西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

学長寸描(3)奈良女子大学ー落合太郎

2005-07-08 | 奈良の思い出(助教授時代)
私が奈良女子大学に勤めだしたのは1974年で、その時は曾沢太吉先生が学長で、落合太郎学長は既に辞めておられ「伝説の人」だった。落合学長も新制・奈良女子大学の初代学長で、最初は奈良学芸大学(現・奈良教育大学)との学長を兼ねておられたようだ。旧制・三高の校長からの転出であった。旧制・三高時代から「名物校長」のようであり、奈良女子大に来てからもそうで、例えば卒業式式辞などは、京大総長等とは別に必ずといってよいほど新聞に報道され、私が京大生の時も、その記事を見た記憶がある。落合先生はフランス文学者だったが、私の前任者の足達富士夫先生(後、北大教授、故人)もフランス語に堪能でヨーロッパ文化にも一家言を持っておられたので、話が合って、落合先生のお宅を足達先生が設計されたと伺ったこともある。一度、私の学生時代の新聞などをみて落合式辞を鑑賞してみたい。

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1 コメント

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 (alchemist)
2012-04-11 17:56:34
中島助教授が奈良女から非常勤として英語の講義に来ておられました。仲間たちと伏見の観月橋を渡って官舎に二三度お邪魔したことがあります。先生が亡くなったのが在学中でしたから、1974年のご赴任だとすれば、すれ違いだったかも知れません。
いつも来る女子学生たちとは勝手が違う、と面白がって奥さんともども歓迎して下さったことを、想い出します。

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