私が奈良女子大学に勤めだしたのは1974年で、その時は曾沢太吉先生が学長で、落合太郎学長は既に辞めておられ「伝説の人」だった。落合学長も新制・奈良女子大学の初代学長で、最初は奈良学芸大学(現・奈良教育大学)との学長を兼ねておられたようだ。旧制・三高の校長からの転出であった。旧制・三高時代から「名物校長」のようであり、奈良女子大に来てからもそうで、例えば卒業式式辞などは、京大総長等とは別に必ずといってよいほど新聞に報道され、私が京大生の時も、その記事を見た記憶がある。落合先生はフランス文学者だったが、私の前任者の足達富士夫先生(後、北大教授、故人)もフランス語に堪能でヨーロッパ文化にも一家言を持っておられたので、話が合って、落合先生のお宅を足達先生が設計されたと伺ったこともある。一度、私の学生時代の新聞などをみて落合式辞を鑑賞してみたい。
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いつも来る女子学生たちとは勝手が違う、と面白がって奥さんともども歓迎して下さったことを、想い出します。