今夕、テレビで東日本大震災での目立つ「傷痕」17か所について、保存して今後永久に被災の過酷さを示すため原物で残すのか、それらにより思い出す嫌な思い出を「忘れて」新たなチャレンジに進むため撤去するのか、が問題になっているという。
私は、一般的には「誇らしいものは」保存、「嫌なものは」撤去だろうと思う。
日本で、「嫌なもので保存」は、広島の原爆ドームくらいであろう。
その意味で言うと、東電福島第一原発は、(絶対的に)保存、その他の「自然災害」の痕跡の保存・撤去は、地元住民の気持ちによる、としたらどうか、と思う。
仮に原物(現物)を撤去したとしても、記録、記憶として「東日本大震災博物館」は、必要不可欠である、と心底思っている。
私は、一般的には「誇らしいものは」保存、「嫌なものは」撤去だろうと思う。
日本で、「嫌なもので保存」は、広島の原爆ドームくらいであろう。
その意味で言うと、東電福島第一原発は、(絶対的に)保存、その他の「自然災害」の痕跡の保存・撤去は、地元住民の気持ちによる、としたらどうか、と思う。
仮に原物(現物)を撤去したとしても、記録、記憶として「東日本大震災博物館」は、必要不可欠である、と心底思っている。