西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

柳沢 忠先生の最終講義の印象(病院における中庭)

2005-11-18 | 名古屋・豊田の思い出
柳沢 忠先生は、私が豊田高専にいた頃(1966年~1970年)、名古屋大学・建築学科の助教授だった。教授が都市計画の早川文夫先生、助教授が建築計画の柳沢 忠先生だった。お二人とも東大の建築学科のご出身である。「新興の旧帝大」の名古屋大学工学部に建築学科がつくられることになった時、教授陣の構成は、計画系が東大、構造系が京大の「老舗」が世話をしたためだ。構造系では例えば「御大」の横尾義貫先生(京大教授)が兼任で行かれた。一方、京大の計画系の「御大」だった西山先生が「憤慨」しておられたことも記憶している。それ以降のことは飛ばして、私が奈良女子大にいる時に柳沢 忠先生の名古屋大学教授の定年退官の会があり、出かけた。最終記念講演は勿論、病院計画のことで、手術の進歩に合わせて手術室を抜本的に改革された話だったが、最後に設計された最新の病院を示して、これからは「癒される中庭のあり方も重要」と言われたことは、長く頭に残っている。懇親会で、柳沢先生と懇談した時、「私の名前は忠、口の真ん中に心がある、だから言ったことは間違いない」と言われたことも覚えている。柳沢先生は、有名な柳沢吉保の末裔である。(写真は名古屋大学豊田講堂)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿