岩波文庫の青119-4の内村鑑三著『後世への最大遺物・デンマルク国の話』(1946年10月10日第一刷発行、・・1995年4月5日第65刷発行による)を今朝早く手に取った。そのうち、「デンマルク国の話」を紹介してみたい。
後ろの「解説」(鈴木俊郎さん1976年改版)によると、「「デンマルク国の話」は、明治44年(1911年)10月22日(今から、ほぼ100年前に)、当時講演者(私注:内村鑑三)自身の聖書講堂であった東京柏木の今井館において行われた講演でありますが、それを講演者みずから文章として、翌11月、当時彼が主筆であった『聖書之研究』第136号に掲載したものであります。「後世への最大遺物」より17年後、著者51歳の時であります。
本文の内容は、デンマークが、1864年いわゆる第二シュレスウイヒ・ホルスタイン戦争の結果プロシアとオーストリアに対しシュレスウイヒ・ホルスタイン二州を割譲させられたのち、戦敗国の戦後の経営としていかなることを行ったか、その国民は戦いに破れていかに精神に破れなかったか、国民が宗教的信仰に拠って立って自然は彼らに対しいかに無限の生産力を示したか、善き宗教、善き道徳、善き精神があって国は戦争に負けてもいかに衰えなかったか、そういうことが、ダルガス父子の植林事業の叙述を主軸として、述べられているのであります。」(106頁)とある。
大変薄い本なので是非、手にとって欲しいものだ。定価310円である。
まあ、内村鑑三は、日本人として当時、天皇制と言う「狭い」日本の制度を越えたキリスト教に立脚したために毅然として天皇制の下での日本政府の方針に終始批判的に対応していたと思う。私は、キリスト教を信ずるものではないが、戦前においては、恐らく少なくともキリスト教とマルクス主義が思想的にも理論的にも天皇制を越えていた、と思う。
内村鑑三は、短い「デンマルク国の話」のまとめの部分で三つのポイントにまとめているが、第二点として、ダルガス父子の行った植林事業に始まるデンマークの事業に対して、次のように言っている。
「第二は、天然の無限的生産力を示します。冨は大陸にもあります。島嶼(とうしょ)にもあります。沃野にもあります。沙漠にもあります。大陸の主(ぬし)かならずしも富者ではありません。小島の所有者かならずしも貧者ではありません。善くこれを開発すれば小島も能く大陸に勝さるの産を産するのであります。ゆえに国の小なるはけっして歎く(なげ)くに足りません。これに対して国の大なるはけっして誇るに足りません。冨は有利化されたるエネルギー(力)であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にあります。海の波濤(なみ)にもあります。吹く風にもあります。噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみなことごとく冨源であります。かならずしも英国のごとく世界の陸面の六分の一の持ち主となるの必要はありません。デンマークで足ります。然(しか)り、それより小なる国で足ります。外に拡がらんとするより内を開発すべきであります。」(86~87頁)
どうだろうか。今様に言えば、太陽光発電、潮汐発電、風力発電、地熱発電が全てきちんとあげられている。100年前に日本が内村鑑三の指摘を受けて、徐々にでも「再生可能エネルギーの開発」に、それこそ「100年の計」で取り組んでおれば、現在、日本の安全なエネルギーは万全になっており、世界の模範になっていたにちがいない。
内村鑑三は、当時デンマーク対英国を小国対大国のモデルにして述べているが、これも今様に言えば、小国・日本に対して大国・アメリカ、中国、EU、インド、ブラジル、ロシアなどをイメージ出来るだろうか。「大国」の国策を真似するに及ばないのだ。
歴史に「もし・・・たら」がないとしても、そういう先達が明治にいたことを胸にひめ、あと100年間、日本人らしく真面目に取り組めば、脱原発を先にスタートするドイツに追いつき追い越すことも夢ではない。
後ろの「解説」(鈴木俊郎さん1976年改版)によると、「「デンマルク国の話」は、明治44年(1911年)10月22日(今から、ほぼ100年前に)、当時講演者(私注:内村鑑三)自身の聖書講堂であった東京柏木の今井館において行われた講演でありますが、それを講演者みずから文章として、翌11月、当時彼が主筆であった『聖書之研究』第136号に掲載したものであります。「後世への最大遺物」より17年後、著者51歳の時であります。
本文の内容は、デンマークが、1864年いわゆる第二シュレスウイヒ・ホルスタイン戦争の結果プロシアとオーストリアに対しシュレスウイヒ・ホルスタイン二州を割譲させられたのち、戦敗国の戦後の経営としていかなることを行ったか、その国民は戦いに破れていかに精神に破れなかったか、国民が宗教的信仰に拠って立って自然は彼らに対しいかに無限の生産力を示したか、善き宗教、善き道徳、善き精神があって国は戦争に負けてもいかに衰えなかったか、そういうことが、ダルガス父子の植林事業の叙述を主軸として、述べられているのであります。」(106頁)とある。
大変薄い本なので是非、手にとって欲しいものだ。定価310円である。
まあ、内村鑑三は、日本人として当時、天皇制と言う「狭い」日本の制度を越えたキリスト教に立脚したために毅然として天皇制の下での日本政府の方針に終始批判的に対応していたと思う。私は、キリスト教を信ずるものではないが、戦前においては、恐らく少なくともキリスト教とマルクス主義が思想的にも理論的にも天皇制を越えていた、と思う。
内村鑑三は、短い「デンマルク国の話」のまとめの部分で三つのポイントにまとめているが、第二点として、ダルガス父子の行った植林事業に始まるデンマークの事業に対して、次のように言っている。
「第二は、天然の無限的生産力を示します。冨は大陸にもあります。島嶼(とうしょ)にもあります。沃野にもあります。沙漠にもあります。大陸の主(ぬし)かならずしも富者ではありません。小島の所有者かならずしも貧者ではありません。善くこれを開発すれば小島も能く大陸に勝さるの産を産するのであります。ゆえに国の小なるはけっして歎く(なげ)くに足りません。これに対して国の大なるはけっして誇るに足りません。冨は有利化されたるエネルギー(力)であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にあります。海の波濤(なみ)にもあります。吹く風にもあります。噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみなことごとく冨源であります。かならずしも英国のごとく世界の陸面の六分の一の持ち主となるの必要はありません。デンマークで足ります。然(しか)り、それより小なる国で足ります。外に拡がらんとするより内を開発すべきであります。」(86~87頁)
どうだろうか。今様に言えば、太陽光発電、潮汐発電、風力発電、地熱発電が全てきちんとあげられている。100年前に日本が内村鑑三の指摘を受けて、徐々にでも「再生可能エネルギーの開発」に、それこそ「100年の計」で取り組んでおれば、現在、日本の安全なエネルギーは万全になっており、世界の模範になっていたにちがいない。
内村鑑三は、当時デンマーク対英国を小国対大国のモデルにして述べているが、これも今様に言えば、小国・日本に対して大国・アメリカ、中国、EU、インド、ブラジル、ロシアなどをイメージ出来るだろうか。「大国」の国策を真似するに及ばないのだ。
歴史に「もし・・・たら」がないとしても、そういう先達が明治にいたことを胸にひめ、あと100年間、日本人らしく真面目に取り組めば、脱原発を先にスタートするドイツに追いつき追い越すことも夢ではない。
100年前に 今様に言えば、太陽光発電、潮汐発電、風力発電、地熱発電が全てきちんとあげられているのですね。
物事を冷静に客観的に判断できる力をいつまでも失いたくないものです。