西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

最後に見たい風景(仮説)

2011-07-29 | 住まい・建築と庭
人生の最後に見たい風景は、どういうものだろうか。

まあ、亡くなってしまった人に「本当は、最後にどういう風景見たかったの?」と聞けるなら、その答えによって、はっきりするだろう。

しかし、そういう訳にはいかない。そこで、亡くなる間際でまだ意識がはっきりしている人に、「どういう所で、どういう状況で最後を迎えたいか?」と聞いて、その答えをまとめれば、「最後に見たい風景」が明らかになるかもしれない。

でも、この作業も本人、家族、医療関係者等の同意を経てやるべきなので「大変」だ。

後は、このブログのように、こういうテーマを提示して個々に答えるのに任せるばかりである。

で、先ず自分から少し「今のところ」を述べてみたい。

前に「窓からの風景」に関連して、和室から見える最後の風景について「例えば、この和室で死に目を迎えた人は、恐らく縁側に近い畳の上の布団に寝ている視点から大空、木立、「さつき」など全てが見えなくてはならないだろう。何故なら、そこから「大空」に「帰って行く」のであるから・・・」と述べたことがある。まあ、これは今もそう思っている。

「窓を通じない」風景も含めて、全風景となるが、「窓を通じない」風景とは、まあ屋内、部屋内風景となる。

そこには、配偶者や子孫、家族などが見えたほうが良いし、出来れば「弟子」、友人などもいたらなお良い。最後に感謝の握手をしたいと思っている。

他には、常日頃身近にあった器具(例えば茶碗や箸)、本などが見えたらよいのでは、と思う。どうでしょうか。