西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

70歳(「古希」)の記

2011-07-04 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
私は6月26日に満70歳になった。古希である。奈良女子大学での教え子達の何人かが、7月に入って3日に奈良で「誕生祝いの午餐会」をしてくれた。

有り難く出かけた。人生70年も過ごしてきたので「先輩」として何か言おうと思った。以下が、その「原稿」である。

「今日は、お招きいただき有難うございます。先週の日曜日(6月26日)に古希(70歳)になりました。考えてみると歴史的な節々に私も人生上の節目を重ね刻んできたのでは、と振り返っています。

まず生れたのは、1941年(昭和16年)で太平洋戦争に突入した年です。1945年(昭和20年)に敗戦を迎え、国の体制も大きく変わりました。今テレビの朝ドラ「おひさま」で終戦を迎え陽子の勤める国民学校では、教科書の(拙いところ)を墨で塗りつぶす作業を子どもらにさせていましたが、私が入学した1948年(昭和23年)の小学校の教科書は「新しい」戦後民主主義に基づくものだったと思います。

そこで、クラス委員や児童会の役員は、選挙で選ばれ、私もクラスメートに押されて会長選挙に立候補し、「演説」まがいのことをした記憶もあります。残念ながら落選し副会長になりました。

1960年(昭和35年)に大学に入った時は、いわゆる「安保闘争」の時で戦後の歴史、特にアメリカとの関係を「半占領状態」から「完全独立」の状態にしなければ、と思いました。

その後、大学院を経て研究者(教育者)の道に進み、豊田高専、京大を経て1974年に奈良女子大学に移り以後31年間勤めることになり、皆さんとも出会い、7年前に定年退職し、4年間平安女学院大学で教鞭をとりましたが、今はほぼ完全な「地域人間」です。

そういう時、2011年(平成23年)に3.11の東日本大震災、東電福島第一原発の大事故が起こったのです。

この事態は(飯田哲也(てつなり)さんも指摘していますが)明治維新、敗戦後に続く近代から現代の第三の変革期と考えられるのではないか、と思います。

そういう時に、私は正に古希を迎え皆さまにこうして祝ってもらっています。

こういう社会的歴史と個人史との交錯を心に留め今後を有意義に生きていきたいと思います。

本当にありがとうございました。」

(これは実際に言ったこととニュアンスが違うが、言いたかったことである。)

集まって頂いた13人の皆さん、本当にありがとう。一緒に有意義な人生をつくっていきましょうね。