西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

将来の身の立て方ー官僚忌避ー

2011-07-08 | 金沢の思い出
私の出た高校からは、浪人・現役合わせて東大22名、京大14名(大学院含む)合格した。(1960年~1962年、昭和35年~37年)

東大の場合、文Ⅰとか理Ⅰとかに分かれ、法学部に進学しようとすると大体は文Ⅰに入らないといけない。で東大文Ⅰには複数名合格、京大法学部へは1名だった。で、東大でも法学部へ進んだのが数名いたが、東大でも京大でも中央官庁に行ったのはいなかった。京大法学部に進んだ友人は弁護士希望で司法試験を何度も受けて受からず、あきらめて金大医学部に入りなおして医者になった。(彼は実は理系だったのだ。)

東大から「役人」になったのは、法学部からではなく工学部から確か2名で、通産省と科学技術庁に入ったと思う。「今をときめく」原発関連官庁である。一人は事務次官まで行き、もう一人は途中で天下りした。

で、高校時代の進学雰囲気を言うと、官僚になりたい、という友人は、殆どいなかったのではないか。戦後の民主主義の雰囲気や、理工系ブームが影響している。

私は、大学で学部を出る時、隣りの土木の友人が多く「公務員試験」を受けたので、試しに私も「建築職」で受けて受かったのだが、実際に建設省に行くことはなかった。

最近、テレビで明治政府の伊藤博文が中央政府を形成するのに、帝国議会を経由しないで官僚によって勅令(天皇の命令)という形で法律をつくる道を開いたので、官僚が身分の保障をえて、「偉く」なった、と言っていた。戦後は、議会が行政の上におかれたが、戦前からの伝統で官僚が「力」を持ってきたのだ。

で、民主党政権が、「脱官僚」を掲げたが、一旦廃止した事務次官会議も「復活」している。経産省も原発事故で一旦「落ち目」かと思われたが盛り返しているかに見える。だが、ここにきて又「脱原発」までいくか、との瀬戸際である。私は行った方が良いと思うが、「脱原発」「脱官僚」が政局絡みで使われるのはかなわない。