東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

被官様の鉄砲狐

2016-10-01 13:52:31 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 3月以来の鉄砲狐の支度です。この夏前から型抜きして干し、素焼きして焼き貯めしていたものにやすりがけして、胡粉の下地塗り、泥絵具と墨で彩色します。鉄砲狐の配色デザインは作る家による小さな違いはあっても大同小異というところでしょう。足の爪の表現として赤で点を置くことと、台座に黄色を置くことは天保年間以来のことで、「玩具聚図」という天保3年の人形玩具の配色手本帳が浅草橋のお人形の「吉徳」さんに残されていますが彩色についてはそのお手本に準じてやっています。唯一異なるのは、天保の頃は「真っ赤」な絵具が少なかったせいか、赤い部分は「朱色」とか「鉛丹」で塗っていたものが、明治になると「洋紅」とか「赤」「スカーレット染料」などが出てきて、真っ赤に塗るようになります。三社様に以前赤部分はどうするかお尋ねしたところ、「赤」を希望されたのでそのようにしています。昨年の「日本民芸館展」出品の狐には手本のように朱色を使って塗りました。(民芸館展に出品した狐と被官様に出ている狐とはモデリングが微妙に異なります。当初被官様向けに起こした型は江戸時代の鉄砲狐をお手本にモデリングしたものですが、神職様のご希望でもっと太らせて欲しいとのことだったのでそのとおりにしたものが現在被官様に出ているタイプ。当初起こした比較的スリムで尖った感じの型を民芸館展に出品しました。)

 鉄砲狐は昔の小絵馬のように神様に奉納して祈願するためのツールであって、鑑賞物ではなかったので落語「今戸の狐」の話のように内職として彩色をしている人が少なくなかったのでしょう。その中で狐の目は一筆で速筆で描かれたのでしょう。それを意識して描いているつもりです。総じて今戸人形の面描きで、狐にしろ、福助にしろ、一筆の目の穂先が走っていて中ほどで筆の腰というか三角っぽく膨れているのが昔の今戸焼の土人形共通の特徴のひとつだと思います。当然筆ののばし具合、筆圧の差というものが描いた人によって差があるものの、書道での筆の留め、はらい同様筆の置き方、はらい方ってあるんだと思います。また台座の赤と群青の縞ですが「玩具聚図」のとおり側面にも描いています。線は丸筆で描いているのがほとんどで筆圧によって線の太さに強弱が生まれるもので、一番上の筆の置くところが丸くなっています。自分では手先がビビってしまうことがありますが、それも自然なことと思い一気に描いてます。平筆は使いません。