東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸の土偶で雛まつり

2012-03-03 16:52:39 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010365今日3月3日は上巳の節句でおひなまつり。

面白半分であり合わせで飾ってみました。イメージとしては川柳「柳多留」21編 文化頃の有名な句

「村の嫁 今戸の土偶(でく)で 雛まつり」

 

考証的にはだいぶいい加減なところもあるかもしれませんが、イメージとしてはこんなのもありではないかと、、、。

まず中心の今戸焼の土人形つまり今戸人形の裃雛ですが、天保年間の配色手本では既に群青色や鉛丹をふんだんに使うようになっていますが、それより遡る文化文政であれば、まだ群青色ではなく、画像のように赤部分には植物の煮出し(蘇芳)で黄色部分はやはり植物の煮出し(キハダ・黄柏)の煮出し汁を膠に混ぜて塗る配色だったのではないかと思います。襟には朱色か鉛丹。部分的に使われている緑は緑青(酸化銅)か「くさのしる」といわれるもの。当時としては鮮やかな赤や青はまだ庶民生活には縁遠いものだったのではないでしょうか?

後ろには江の島名物の「貝屏風」を巡らせてみました。(ほとんど貝が残っていませんが、、、。)画像の屏風は明治以降の出来で、赤が既に鮮やかな合成的な色にはなっています。この貝屏風、昭和のはじめには既に作られなくなったようですが、かなり有名な土産物だったようで地方へ販路があったようです。

桃の花を挿しているのは初期伊万里のお神酒徳利で、これは文化年間でもあったのでは、、、。

庶民の雛まつりであれば、雛の故実とか有職に捉われることなく、顔のあるものなら何でもOKだったのではないか?これは個人的なイメージです。そこで、やはり昔の浅草の名物だった「浅草の練り人形の金魚」を添えてみました。いわゆる赤物の玩具で医療の発達していなかった当時の呪いとして疱瘡の神様は赤いものに執りつくと考えられていたので赤い玩具や絵を持たせて子供が病に罹らないようにという思いの造形でもありました。但し画像の金魚は天保以降のものだと思います。「練り人形」というのは桐箪笥つくりで出た桐のおがくずをふのりやふすまを混ぜて練った素材で型抜きして作ったもので、土人形よりは軽く焼く手間も要らないので着付けの雛人形の頭にもよく使われた素材です。

財力のあったお武家や豪商であれば豪華なお人形にお飾りもしたでしょうが、そこは庶民。緋の毛氈ひとつでも、当時としてはかなり上等なものだったでしょう。今でいうカシミアのようなもの。古い家のお雛飾りを見学に行ったことがありますが刺繍の入った小袖や裲襠を開いて敷き物にしているケースもありました。画像では昔手に入れた古い野良着を敷いてみました。「村の嫁」にこだわりすぎ?しかし案外藍色と人形たちのコントラストがいやらしくなくすっきりして見えると思います。

この句の作られた当時のイメージとして画像から割り引いてみるべきところは、裃雛はOKだとして、特に赤い色はこれほど鮮やかで強烈ではなかったのだろうということです。

時代考証に厳しい人が見たら、怒られるかもしれませんが、面白半分で撮影してみた画像です。