御煎茶用の炉です。下に敷板(或いは炉台?)を敷いて、上に急須(ぼーふら・湯沸かし)をかけます。陶印があり、「白井善次郎」の作であることがわかります。「善次郎家」は今戸にあった白井3家の本家です。昭和20年の東京大空襲で被災されるまでは今戸で製作されていたそうですが、戦後葛飾区のお花茶屋(宝町)へ移られました。今から十数年前、当主の白井和夫さんを訪ね、直接お話しを聞く事ができました。これと同じ手のものを拝見しながら聞いたので、これが「白みがき」という仕上げであることは確信できます。惜しいことに、当時お話を理解、整理するだけの予習をしていなかったので、断片的なことしかわかりません。「白みがき」は「黒みがき」同様に那智石で磨いてから再度焼くのか?同様のものの中には部分的に黒鉛を刷り込んで焼いたような斑のあるものもあります。一般に「雲華焼」(うんげ)と呼んでいるようですが、今戸では何と呼んでいたのか?橋本三治郎の「村雲焼」という名前との接点があるのだろうかと考えているのですがわかりません。
土色は⑦の半田焙烙同様、中京か関西の白い土を使用していますが、表面の磨きのきめ細かさは、こちらのほうが断然丁寧で艶もあります。こちらは確実に「白みがき」ですが、半田焙烙はどうなのか? 「風門」と呼ばれる口の形はこれは鷺のシルエットの形で、へら彫りで足の表現が観られます。他にも扇面型や瓢箪型の風門もあったようです。
上から内側も画像に撮ってみました。穴のあいた火袋部分だけは、耐火粘土を使い、本体との接合が難しいのだそうです。
それにしてもお話を聞いた当時、こっちにもっと予習の知識があったら、もっといろいろわかることがあったのに、、と悔やんでいます。
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