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昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

干支の亥(猪)づくり②「下谷の摩利支天」(猪乗り摩利支天)

2018-09-19 20:23:30 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 一昨日割型をこさえたものから型抜き試行中。今戸人形の古典の種類の中に猪を象ったものがほとんど見られないので先日の「仁田四郎」に引き続き苦しい創作です。

但し、創作ではあっても江戸東京とのつながりのあるネタ、または古くからの言い伝えや信仰や縁起担ぎをベースにしたいと思っています。今戸のある浅草から近いところで猪につながる縁起や何か、と考えたところ、山手線の車窓からも見えるアメ横の摩利支天堂(徳大寺)がありました。

 関東の昔のローカルCMをご存知な方であれば「二木二木二木二木二木の菓子」という先代の林家三平師匠のコマーシャル。あるいは「♪スィング スィング スィング スイング ヘイ 二木ゴルフ♪」という現・林家正蔵師匠のこぶ平時代のコマーシャルが耳に焼き付いているかと思います。アメ横の「二木の菓子」の屋上に現在お祀りされているのが下谷の摩利支天様で、子供の頃は大塚駅前にあった「角萬」の金閣寺(「大塚~ 角萬」というコマーシャルもありました。)の仲間のようなものだと思っていたのですが、お寺そのものは江戸のはじめ頃から現在地にあったそうで、当然地面に建っていました。

 摩利支天さまは「厄除け」「開運」などにご利益があり、古くは戦国武将から江戸の武士からの信仰、それと勝負や開運を願っての庶民からの流行り神としてここ下谷の摩利支天さまは賑わってきたといいます。何度かの改築のうち、明治の門前の風景の挿絵が「東京風俗誌」に挿入されていたと思います。摩利支天さまのお姿は女性の姿で7頭の猪の上に座ったもの(三面六臂、または八臂)と一頭の猪の上に立って左手を掲げ、右手に刀、又は弓矢を持っている姿のもの(一面二臂)他あり、アメ横の摩利支天さまには「伝・聖徳大師作」といわれるお姿が何度もの災害や戦災からも無事にお祀りされているそうです。この夏に自転車で上野動物園とここアメ横の摩利支天さまとをネタ調べのためお参りさせていただいた折、御守売り場の方にいろいろお訊ねしており、そのお姿(一面二臂)の写真入りのカラーのパンフレットをいただき、それを頼りに原型作りをしていました。

 伺ったお話によれば、摩利支天様は太陽とか陽炎の象徴なのだそうで、例えば鬼子母神さまだったら「ザクロ」のところ摩利支天さまだったら「太陽」というイメージにつながるということで、実際の伝世のお姿は猪の上に直接正面向きに立たれているところですが、両手を独立させるように2枚割型から抜き出すことは不可能なのでお姿をお天道様の円の中に納めて、猪の上に立つという構図にしてみたわけです。仏像をレリーフとして表現するのは、大きなスペースならばそれなりに細部まで追及すべきところですが、直径9センチの中に納めるとなると指先などまで彫を入れても飛んでしまうので、甘い肉付けになってしまって下手っぴな感じがしますが色をつけたらどうなるだろうか、、、という感じです。

 下の猪のモデリングについては郷土玩具のお好きな方ならば、「ああ、あれか?」という形状だと思います。猪単独の姿を象った郷土玩具の中では一番秀逸な人形だと思うものを参考にさせていただきました。

 まだ試し抜きの状態で、これから何度も抜き出しながら割型自体もこなれ、抜き方にも慣れていくという感じだと思います。

干支の亥(猪)づくり①「仁田四郎」 はこちら⇒