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昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

干支の亥(猪)づくり① 「仁田四郎」

2018-08-31 01:24:56 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 来年の干支亥(猪)は今戸焼の古典人形には伝世品として伝わっているものを未だみたことがなく、少なくとも最後の生粋の今戸人形の製作者であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった作品の中にも見当たりません。(案外、ごく少数作ったというケースがあったかどうか、、。)明治、江戸の伝世品の今戸人形についても見当たらないように思います。(確か施釉の箱庭細工にあったかどうか、確かめてみたいとは思います)

 昔の盛んだった今戸人形(少なくとも尾張屋さんの時代まで、それより遡った江戸からの人形作りの伝承の系譜の上での今戸人形)を再現したいというのが、本来の自分の思いではありますが、干支となると、どうしてもお手本のない年があり、亥(猪)のそのひとつです。そういう場合あくまで創作的に数を合わせることになりますが、ひとまわり前の亥(猪)年には「い川(猪川)の玉乗り」「てんてれつくの猪のぴいぴい」「瓜乗りウリ坊」の3種類を作りました。「い川の玉乗り」の方は作業場の収納の一番奥にしまった憶えがありますが、取り出すのが大変すぎるので、せめて「てんてれつくの猪のぴいぴい」と「瓜乗りウリ坊」の割型は出してあるので追って型抜きしていくつもりです。

 とにかくこれが今戸の昔の猪というお手本がないので、創作か他の産地の作例を参考に型を起こすことが、昔からどこの産地にもあったことなので、今回、名古屋の土人形の最後の作者であった故・野田末吉さんのお作りになった「仁田四郎」の人形を所蔵されている方に見せていただき、写真に撮り、それを参考に形を起こしました。写真からなので最終的に読み取れない形状の部分もありますが、名古屋人形の写しを作るというよりは、それを参考にして今戸っぽい感じにできないかと思っています。

 「仁田四郎忠常」は平安末から鎌倉時代にかけての武将で、頼朝の家来のひとりで、頼朝が催した富士の裾野での巻き狩りでは大猪をひとりでしとめたという勇壮な話があり、郷土人形の世界でもいくらか作例があります。伏見人形、出雲初瀬人形、三春張子人形などの他にもたくさんあるのではないかと思いますが、個人的な好みでは名古屋の野田末吉さんの作の構図が素晴らしく、お手本にして作ってみたいと思いました。構図の8割以上、写真を頼りに起こしましたが、誤差もあり同じにはなりませんが、その点今戸風に仕上げたいと思っていますので、例えば被っている笠の形状は微妙ですが意識的に違えてあります。

 割型をこしらえたばかりで、作った自分でさえまだ割型に慣れていないので型からはずしにくい感じですが、これから自分が型に慣れ、型自体もこなれていくと思います。まずは素焼きまで進めて、彩色をするまでどうなるかわかりません。

 亥(猪)に因んだ伝説とか信仰などを背景にしたネタで作ってみたいと思うイメージがこれ以外にもあり時間が間に合えば今後も原型を起こして割型を作っていきます。

干支の亥(猪)づくり②「下谷の摩利支天(猪乗り摩利支天) はこちら⇒                        


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2 コメント

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猪つくり (ウリ坊)
2018-09-02 20:46:58
中日新聞でも、来年の干支作りが、猛暑の中、佳境に入っているという記事が掲載されていました。
いまどきさんも、がんばって下さいね!
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猪つくり (いまどき)
2018-09-17 16:33:03
ウリ坊 さま
古い土人形の産地の昔の人形の種類をみていますと、昔は干支の人形を買いそろえるという習慣はそれほど定着していなかったのではないかと思われるふしがあります。今戸も例外ではなくて、十二支の中で古い人形とか出土品が見当たらないものがあります。猪の古い今戸を観たことがありません。それでも数は揃えておいたほうがよいかと思い、古いお手本がなければ創作的に型を起こしています。すべてひとりでやっているので大量にはできませんが、自分の能力でできる程度に作っています。今年は秋の催事の順番が例年とは違うので干支は早めに準備していますが、時期的に間に合うかどうかです。
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