東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

ナンダコレハ

2015-03-05 00:24:30 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)


先日春吉翁のご墓所のお参りのついでにすぐ近くの今戸町内にあるホットスポットに寄ってきました。行くのがはじめてというわけではありません。上野不忍池そばに勤めていた時代ですからかれこれ20数年前にここにある由緒のある狛犬の台座の拓本を取りに来たことがありました。それ以来です。今戸へはご墓所へのお参りにお彼岸やご命日、羽子板市の前後など年数回は来ていますが、何だか怖い、怖い現実を目にするのが怖くて足を運ぶことをしなかったのです。
今回意を決して踏み入れました。(ミステリーゾーンのよう?)インターネットとか出版物で神社についての記事は見たことがあるのですが、細切れの画像のイメージだったのもがジグソーパズルが完成に向かうように広がります。
早速ご社殿の正面に画像では知っていた張りぼて製の巨大招き猫が、、。「手をあげて 横断歩道を渡りましょう」って感じ。

先日、豪徳寺の戦後型招き猫と戦後生まれの今戸焼招き猫とのプロポーションの比較から両者とも常滑系の招き猫を母胎とする兄弟ではないかという考えを記しました。そして縁結びダブル招き猫も常滑亜系なのではないかという結論に至ったばかりです。それらが授与されるのがこの神社なはずですが、この時には授与されていない上(順番待ちとか完成待ち?)境内あちらこちらに点在する大小のオブジェの招き猫たちがまた違う姿をしているのです。
このご社殿の巨大招き猫は何なんだろう?「常滑系今戸焼大人気ダブル猫」とは違うし、おそらく常滑招き猫をデフォルメしたものという感じでしょうか。自ら「招き猫発祥の地」を名乗っているのに江戸時代由来の今戸型の招き猫ではなくて常滑もどき???。不思議。

ご社殿のそばに手描きの看板(ポスター?)があり、「テレビや雑誌で紹介されている 石のなで猫 ♂ナギくん ♀ナミちゃん」とある。ちょっとエイリアン的な風貌でご社殿の招き猫とも「常滑亜系今戸焼ダブル招き猫」とも違う。その隣に立っているのが、「テレビや雑誌で紹介されている 石のなで猫 ♂ナギくん ♀ナミちゃん」でしょうか。「叶えてくださるようです。」って自分で作っておいて「お手盛り」?

台座に「お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫」とあります。でも上に立ってる2匹のエイリアン風の猫は今戸人形の古典の横座りの招き猫ではないし常滑亜系の今戸焼ダブル招き猫とも違うエイリアン猫。(♪ユッ フォー♪)(「♂ナギくん ♀ナミちゃん」というより「ミーちゃんとケイちゃん」という感じ)あと悪いんだけど「お江戸は浅草 今戸」ってあるけど浅草橋の近くの「浅草御門」の外(つまりそれより北側)はもう江戸の市中ではないんだよね。お江戸は「浅草御門」までだと教えられたんだよね。

、「テレビや雑誌で紹介されている 石のなで猫 ♂ナギくん ♀ナミちゃん」のそばにはネコポットの大群(made in china???)とポトスの蔓とによるガーデニング?"welcome"ってあります。
地下鉄で有名になった「常滑亜系の今戸焼ダブル招き猫」

こういう「常滑系今戸焼ダブル招き猫」が境内にほとんど見られなくてどうなっているんだろう???と思ってお守り売り場を見て納得。

なるほど、、すべてが三方の上の磁器製の招き猫「今戸神社招き猫(エイリアン招き猫) ¥3000也」のプロモーションってわけですね。¥3000¥3000¥3000
「テレビや雑誌で紹介されている 石のなで猫 ♂ナギくん ♀ナミちゃん」「お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫」の姿とリンクさせてあるんですね。でもこれって「今戸焼」じゃないじゃん。素材どころかデザイン自体が今戸焼の歴史と関係ない。「瀬戸に発注した量産品」それとも「中国へ発注したもの」?それとも「ダ○ソー」とか100均ショップに大量発注したものか?何も知らない人だったら「今戸焼」だと思い込んで買っちゃうよ。

大抵お寺や神社って鎮座する土地の歴史や文化の伝承保存に積極的であるようなイメージを持っているんですが、このお社はその点ユニークといったらいいのか。今戸に鎮座しているから昔からの「今戸焼」を守る気はなくて、歴史と全然関係ない「エイリアン招き猫を」「今戸焼であるかのようにすりかえる???」ことに前向きであるかのよう。ナンダコレハ。。。。。

こんな歌ご存知ないですか? ♪インドの山奥で 修行して ♪ ご存知? 70年代実写ヒーローキャラの「レインボーマン」。これを知っている人だったらイメージ共感してもらえるかと思うんだけれど「おたふく会」というのがあったでしょう。似てませんかね~。

何とも奇妙。「お茶漬けに生クリーム」「プリンアラモードにいかの塩辛」「鉄火巻きにウスターソース」「ジェラートの上に酢豚」、、、、、、

「豪徳寺の招き猫」→
「豪徳寺の招き猫(続)」→

 

 

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今戸人形 「一文人形?の招き猫」

2015-02-27 23:33:22 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)


郷土玩具にお詳しい方だとそうでもないのですが、「今戸人形」=「一文人形」と思っている方がたまにいらっしゃいます。つまり、今戸焼の土人形は衣装人形とか高級なおもちゃや人形に手を出せない庶民の人形で「一文人形」とも呼ばれた、、。という解釈です。ある程度間違っていないとも言えますが、ちょっとニアピンという感じではないでしょうか。戦前の有坂与太郎の著作などを読んだあとの印象としては、今戸人形自体は衣装人形とか衣装雛とかに比べて購買層を庶民に絞って作られていたとは言えるのですが、大きさの違い、仕上げの違い、手の込んだものなどもあったりで、今戸人形と呼ばれるものの中にも多少のランクがあったのではないかと思います。例えば人形のサイズの呼び方に「中まじり」「小まじり」といったものがあったといいます。浅草の観音様の境内で露天で売られていた時代には半紙を斜めに折った上に、小さめの人形だとたくさん小さな人形が乗って売られていて「小まじり」、それより少し大きな人形だと大きい分数はすくなく乗っていて「中まじり」と呼ばれたそうで、ひとつ売りの場合「小まじり」なら4文だったとか記されています。ただし「大まじり」というものはなかったそうで大きな人形は普通に「人形」と呼ばれていたとか、、、。さらに、ここで登場する「一文人形」は鐚銭一文で売られていたもので小さい上に、焼きが入っていなかったり、せいぜい七厘で焼かれていたくらいなのでひどく脆くてすぐなくなってしまったということです。

ここにとりあげる招き猫2匹ですが小さいです。1円硬貨を一緒に並べてみました。向かって左が高さ2.8センチ。右が3センチ。ただ、自分としてはこれら「一文人形では?」と思っているのですが違うという人もいるかもしれません。戦前の郷土玩具の収集家の膨大なコレクションの一部などが、図版などで紹介されていることや戦前の愛好家によって絵に描かれたものがあり、その中で「一文人形」として紹介されているものには作りが明らかに違う例が混ざっているのです。画像の招き猫のように2枚の割り型から抜き出して成型するもの、泥めんこに似て1枚の型から抜き出すもの。いずれも型から抜き出して成型できるもの。これらは、七輪か何かで火力は弱くても焼きが入っているものがあり、ないものもあるような感じがします。
もうひとつ「一文人形」と記されているタイプは捻りによって成型されているもの。この中には一部型を使って胴体はそろえておいて型からはずしてから手先で曲げたり、ほかのパーツと組み合わせたりして、竹ひごなどを挿して簪に見立てたり、紙片で扇子を切って生のうちに体に挿し込んで乾燥させ、焼かずに胡粉や泥絵の具、染料などで色をつけるというものです。

「一文人形」については改めて記してみたいです。(その上でご存知の方にお教えいただきたいです。)
まずはこれら画像の招き猫も「横座り」で招いていることに「今戸焼招き猫」の典型的な特徴が顕れていると見ていただきたいと思います。
ちなみに向かって右の猫はポーズとしては「丸〆猫」と同じなのですが、型の彫りとしては「丸〆」印は確認できません。でももしかするとまったく同じ型から生まれたもので手描きで「丸〆」と入っているケースも存在するのではないかと空想しています。背面の胡粉の塗り残しすごいですね。「出来について一個一文の人形に注文なんかするな。それは高い人形に対して注文することだ。」なんてやりとり。「西鶴置土産」?だったかにこうした件があったような、、。その分土の焼き色が見えます。火力というか温度が低く生に近い感じがします。左の猫はたぶん1枚型から抜き出したものでしょう。いわゆる「打ち込み」式の成型です。

 

 

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今戸焼(52)箱庭細工の招き猫

2015-02-25 21:48:31 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

今戸焼とひと口に言っても、作られた製品の幅が多く、茶道具等の高級品、素焼きの日常雑器、電気コンロの電熱器のコイル枠とか碍子、もあれば、土人形(今戸人形)、そしてここで画像をとりあげる「箱庭細工」などもあり、隅田川荒川沿岸で窯業が盛んだった頃の土を使っての「ものづくり」渡世の複雑さというものを思わされずにはいられません。「箱庭細工」というのは昔は夏場の涼み半分かなり盛んだったそうで庭の枠とか鉢の中に山だの丘だの川や池を作り、そこにミニチュアの家屋だの動物だの人物を配して楽しむもので、土台部分に粟や稗などの種を播いて発芽させ田圃や草っ原に「見立て」たりもしたとか、、。箱庭細工は素焼き製とか釉薬をかけた楽焼製もあれば、鋳物でできたようなものもあり、素焼き製にも新しいものはペンキで仕上げたようなものもあります。産地も全国に分布していただろうし、特に東では今戸、栃木の佐野の相沢さんも昔作っていたとか、、。西で名古屋の戸部辺り?京都の伏見深草、東山といった感じだったでしょうか。1枚目の画像は3体とも招き猫です。明治くらいのものでしょうか?3匹ともほぼ似た構図、真ん中の子の高さが3.3センチあります。ご覧のとおり2枚の割り型から抜き出したという単純なものではなくて、捻りなんです。捻りで手加減だけで大きさとか規格を揃えるというのはかなり難しいことではないでしょうか。箱庭細工とは別に浅草の捻りの人形というものがあって素焼きされたもの、生土に彩色したもの、釉薬をかけた楽焼風のものなどあり、成型する工程については同じような手間だと思います。

↑向かって左横(猫さんたちにとって右)から見たアングル。

↑向かって右裏(猫さんたちのとって左裏)からのアングル。
ほぼ同じ大きさ、規格を揃えるためには接合するパーツの加工でサイズをそろえたりする秘伝とか量る方法とか型とかがあり、パーツを揃えてから接合するのだと思います。これらの猫さんたちの材料となっている土は隅田川荒川流域の土、、学者の先生がいう「江戸在地系」の赤い天然土ではなくて、おそらく中京か京都方面から取り寄せた白い土のようです。そしてその上に「白化粧土」をかけて下絵の具で彩色して「有鉛透明釉」をかけて焼いてあるようです。
「有鉛釉」は江戸の今戸人形のなかで「舐め人形」といわれた施釉人形によく使われていたもので、子供が口に入れたり、舐めたりしても絵の具が溶けて
色落ちすることがない、ということで歓迎されていたようですが、実は人体に毒だということがわかって明治の半ば「太政官令」で人形や玩具に使うことを禁止された素材のひとつです。画像の猫さんたち、ところどころ「銀化」してみえますが、これは鉛のせいです。

今戸の箱庭細工に関しても画像のようなものばかりではないのです。いろいろ作者があり、使う土も隅田川荒川の焼くと赤くなる土を使っているものもあります。また上手下手のランクもあり上手のものは取り寄せた白くて粘りのある土で、細かい細工で明治以降海外に輸出されていたそうです。
最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年から昭和19年)は明治の末、今戸人形が売れなくなって、箱庭細工に転向していた時期があり、その作品が浅草橋「顔が命の 吉徳さん」でお取り扱いがあったそうです。
吉徳さんのHPには保存されている貴重な人形や玩具の資料を紹介されているページがあり、その中に上等な箱庭細工も紹介されています。

「吉徳これくしょん」のサイトはこちら→
吉徳これくしょんの箱庭細工は高級品で、これらの中におそらく尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作も含まれているのではないかと思っています。
 
 この記事での猫さんたちは土は白いですが上等なものではないでしょう。といって最低のランクでもなさそうな。何よりここでご紹介した一番の味噌が招き猫のポーズです。もうおわかりだと思いますが、正面招きではなく、横座りで招いているということ。これらを作った箱庭細工屋さんたちはこのブログで「今戸人形」としてご紹介しているスタンダードな2枚の割り型からの「土人形」を作った人たちとはちょっと違った職分ではないかと思います。もしかすると焼成窯を持たず、七輪で焼いていた人たちに近いのかもしれません(推量であって断定はできません)。そういう畑の人たちにとっての招き猫のポーズも「横座り式」だったという認識を示す物証のひとつとしてご覧いただきたいと思います。今戸の招き猫の「横座り式」は古い様式で「正面招き」は西からの招き猫が流入したあとの影響下に生まれたものだと思います。「尾張屋さんの招き猫の貯金玉」、「寺島・高野安次郎の招き猫の貯金玉」
などの今戸焼の「正面招き」の作例は西からの影響のあった明治後半以降のものではないかと思います。

追記:この記事冒頭の今戸焼で作られた製品の幅の広さとともに作る製品によって材料となる土が昔から使い分けられていたことも記しておきたいと思います。お茶道具系のものには白い土が使われたことが多く、植木鉢、焙烙、貯金玉、などは地元の焼くと赤くなる土でした。いわゆる「今戸人形」「今戸焼の土人形」には地元の土が使われ、この記事のような「箱庭細工」には白い土の場合と地元の土の場合があり、その延長線上に鳩笛などでも施釉の場合白い土が使われる例を確認しています。おおざっぱに言えば、釉薬をかけない素焼きの人形には地元の土を使うという不文律のようなものがあったのではないかさえ見えます。しかし最近驚いたのですが、現在今戸焼として製作、販売されている人形の中に素焼きなのに白い土のものがあったのにはびっくりしました。♪まわるよ まわるよ 時代はまわる~♪♪♪

豪徳寺の招き猫(続)

2015-02-23 22:00:18 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

昨日の記事「豪徳寺の招き猫」でとりあげた3枚目の画像です。昭和53年刊「ガラクタ百科・身辺のことばとそのイメージ」(石子順造 著・平凡社)からの画像の一部ですが、やっぱり3体並んでいる招き猫のうち真ん中は常滑産。そして右の豪徳寺の招き猫、左の今戸の白井さんの招き猫。形状的にとてもよく似ているので兄弟ではないか、と記したのですが、よりビジュアル的に比較検証してみたいと思います。まず1枚目の画像は昨日の画像3枚目と同じです。こも画像のページにはたくさんの招き猫が同一画面に並んでレイアウトされている中の一部です。ただ、よく見るさまざまな猫が並ぶよう大きさを縮小拡大して並べてあるようで、例えば真ん中の純常滑の猫の撮影されている角度はやや見上げて撮った感じで床と猫との接する面が水平に近い感じです。しかし右の豪徳寺と左の白井さんの撮影角度はやや上からで床との接する角度は大雑把に同じくらいです。実際に大きさが揃うようにしてありますから実物の大きさは実際違うかもしれませんが、今と違って昭和53年だと特別な表現として画像を加工することもないと考えられるので実物の大きさが違っていてもプロポーションは比較できそうです。

まず気になる白井さんのと豪徳寺のを白黒コピーにかけアウトラインに沿って切り抜いてみました。そして蛍光マーカーで白井さんは縁結びのピンク、豪徳寺はそよ風のブルーに塗って色分けしてみました。ふたつの猫の向かって左側、つまり猫にとって右足から招いている右手のわきの下から腕の付け根にかけてほとんど近いラインなので「縁結びピンクの白井さん」と「そよ風ブルーの豪徳寺」とを向かって左(猫にとって右)の足から腕にかけてのラインを基準に交互に重ねてみました。

まずは白井さんが上(縁結びピンク)、豪徳寺が下(そよ風ブルー)

次に豪徳寺が上(そよ風ブルー)、白井さんが下(縁結びピンク)
白井さんのほうがちょっと招く手が長いとか豪徳寺のほうが耳が長いとか末端的な違いがありますが、こんなに重なっているって偶然とは考えられないのでは????他人のそら似とは言えないのでは???? 「♪親の血をひく兄弟いい~」????、、。

今度はカラーコピーしたものを切り抜いてみました。そして白井さんのは目の位置を高く描いているので切り貼りで下に移動させてみました。もうっちょと下げたほうがよかったかな?アウトラインはいじっていないので両目を下に描いたとすれば、より近づいた感じしませんか?

今度は仲良くくっつけてみました。片方だけ鈴を紐で通してますが、、。(ひとりだけズルイ?)

仮に豪徳寺風に鼻の頭をピンクにしてみると、、、。

また元に戻って昭和53年以前の白井さん同士をくっつけると大人気「縁結び招き猫」の出来上がり。「♪ああー 日本のどこかにぃ~私を待ってる人がいるう~♪」→→神社で合コン→→白山様のご利益→→「♪愛あなたとふーたりい~♪」
現在のは磨耗してもっと丸くなっているのでは、、。

ついでに豪徳寺同士をくっつけてみました。これ豪徳寺でもヒットするのでは、、?ご利益ありそう、、、「縁・む・す・びぃ!」。
まあいろいろ試してみましたが、元の写真の白井さんと豪徳寺は撮影の上下の角度はほぼ同じくらいとして左右の向きは微妙にずれて撮影されているとしてもプロポーション的にはこんなに重なるというのは他人のそら似とは考えられない、、。「♪兄弟船は~熱いこの血はヨ~オヤジ譲りだぜ~♪」

ついでにちょっと余興に、、。こんな縁結び招き猫はいかがでせうか?

↑何だか怖い!!ドッペルゲンガー丸〆猫。「ばちが当たりそう??」

気を取り直して眼の位置を下げて、眉を隠して、。

仲良くくっつけて。(眉を隠すのにちょうどいいトーンの紙がなくて残念。)
こまどり姉妹。。。 リンリンランラン留園♪♪♪

「豪徳寺の招き猫①」へ→

豪徳寺の招き猫

2015-02-22 00:47:39 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 つい先日豪徳寺の「東肥軒」さんをお訪ねした記事をアップしたばかりなのですが、「豪徳寺の招き猫」として門前で鬻がれていたという招き猫は世の移り変わりととも仕入れていた産地も変遷して新旧さまざまなものがあったのだろうと思われます。ここでは手元にある画像のうちすぐ出すことができたものをご紹介するのみで、まだまだこぼれているものはたくさんあるのではないかと思います。
 最初の画像は昭和53年刊「ガラクタ百科・身辺のことばとそのイメージ」(石子順造 著・平凡社)の1ページ、刊行された当時あるいはそれ以前の豪徳寺で撮影された画像だと思います。昭和53年といえば当時私は高校2年生で毎日「明大前」まで通学していたので、豪徳寺の近くにいたんですね。(感慨)
 最上段に明らかに常滑産らしき瀬戸物屋でも売られていたタイプの大きな猫さん(これは特に進化して頭と胴のプロポーションがデフォルメされたもの?自分が小学4年生の頃、つまり昭和48年頃、浦和の瀬戸物屋で見たものと同じで、テグスのヒゲが植えられています。)が写っていますが、その周りに写っている大小の猫さんたちは大きく分けて「首輪に鈴玉」タイプと「首輪によだれかけに鈴玉」タイプの2つがあったことがわかります。しかも後者のタイプは大きなひとつのサイズに限られているようです。前者は大から小までさまざまなサイズがあり、現在のものにつながるタイプのようですが、現在のものが全体的にマットな仕上がりなのに比べると常滑産のものに似て、つやがあります。現在のものと実際並べてみないとわかりませんが(豪徳寺の招き猫は自分で持っていないので)現在よりも常滑産に近い感じがするのですがどうでしょうか?

 さて2枚目の画像は昭和10年刊「郷土玩具大成・第1巻・東京篇」(有坂与太郎 著・建設社)の中の「招猫」と題してまとめられた記事の画像で一番左は浅草被官稲荷の招き狐、前列のふたつは今戸の尾張屋春吉翁のお作りになられた丸〆猫(小)の座り姿と臥姿の一対です。そして後列の二体が「豪徳寺招猫2種」と記されています。
 本文中に「なほ、現在、招猫を特別に販売する個所は、世田谷区世田谷町に在る豪徳寺門前で、此処には土製と陶製と二種あり、前者は前面に招福、後者は同じく丸に招と記されている。」とあります。(少なくとも昭和10年以前までは仕入れる産地が異なっても胸に「招福」か「丸に招」と入れるのが豪徳寺招き猫の特徴のひとつだった?)
 真ん中のが陶製つまり「かんかん人形」で瀬戸辺り?右端の太った「招福」と書かれた猫は鈴を紐で通してあるのは、大正ころ深川門前仲町で丸〆猫をもじって売られていた「¬〆猫」(かぎしめのねこ)のひとつのタイプと共通するところで(「¬〆猫」の画像として紹介されているのは首輪も鈴玉も型の彫りとしてできているタイプのほうが知られていると思います。)、京都辺りの産ではないかと思いますが如何でしょうか。時代が下って昭和の戦後30年代終わりころから人形つくりをはじめた今戸の白井さんはおそらくこうした先例から鈴をリリアンや紐で通すヒントを得たのではないかと思うのですが、、。

 画像3枚目は1枚目と同じく昭和53年刊「ガラクタ百科・身辺のことばとそのイメージ」(石子順造 著・平凡社)からの画像の一部です。3体並んでいる右は豪徳寺の招き猫。中央は常滑産の招き猫。左端は今戸焼の白井さん作。
 こうやって並んでいる画像を見て改めてよく似ていると思います。(片や招く右手が頭から離れ、もう片方のはくっついていますが、これは割り型のやり方でどうにでもできそうです。離れているほうが技術的には面倒ですが、バリを削るか否かくらいの差ではないでしょうか?又鼻と鼻梁辺りのモデリングは片方の型の彫りが甘くなっているという程度の差ではないでしょうか。甘くなっている顔の造作の上に描かれた目の位置がずれているのがちょっと違って見える程度?両耳の間の谷間は深いほどバリ取りが面倒なので、谷間を埋めて浅くしたほうが楽なので割り型を作る時に意図的に浅くすることはできそうです。向かって右側の耳先から首、首から肩にかけての稜線は割り型の前後の合わせ目の位置のつけ方やバリの取り方により変わるものだとも考えられます。)
 1枚目の画像から受ける印象から自由に空想させてもらえば現在の豪徳寺の猫の母体は常滑系にあり、3枚目の画像の印象からは造形的にモデリングは今戸の白井さんの招き猫と豪徳寺の招き猫はどちらが「兄か弟か」或いは「母か子か」「卵が先か鶏が先かの関係」のようで、どちらにしても(異父兄弟として)常滑系から生まれたのかもしれないと考えることができるように思います。ちなみに地下鉄のポスターで大ブレイクしている白井さんの2連招き猫(今戸神社の縁結び招き猫)は画像3枚目の招き猫をもとに作られているので!!!そうか「常滑亜系」の招き猫だったのか!!!と感慨に耽っています。因みに1枚目と3枚目の画像は昭和53年以前のものなので、それ以降の豪徳寺と白井さんそれぞれ更に進化して分化していると言えるのではないでしょうか。(分化には意図的な進化と型の磨耗による変化の両方の要因が考えられ、たとえば浅草被官稲荷の鉄砲狐を白井さんが作っていた最末期のものは型の磨耗の夥しいものでした。)
 先日再現してみたいと書いた豪徳寺の招き猫の画像がまだみつかりません。はやくみつけて、できれば所蔵されている方を探して参考にさせてもらいたいなと思う今日この頃です。

 招き猫から離れてしまいますが、上記の石子順造さんの著作を全て読んだわけではないのですが、庶民生活のなかの聖と俗悪のはざまに関するテーマの文章がとても面白く、上記「ガラクタ百科」と並んで「小絵馬図譜」(芳賀書店)の文章など読んでみて痺れます。

※この記事の豪徳寺の猫は今戸焼ではないのですが、便宜上「今戸焼招き猫」のカテゴリーでとりあげてみました。

「豪徳寺の招き猫(続)」へ→

カタログはありませんか?

2015-02-08 19:12:14 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)


以前からメールでのお問い合わせで作っている招き猫のカタログはないか?といった内容のご質問をいただくことがありまして、その都度HPで画像を観てくださいといったお答えしかしていなかったのですが、最近HPの調子がよくなく、アップした画像が消えてしまっていたり不便をおかけしています。HP自体もこれまで利用していたOCNがもうすぐ廃止されてしまうので、他所へ引越しをしなければならなくなりました。人一倍不器用なので、今後引越しのあと少しずつリニューアルしなければと思っています。
さて、カタログ的なものですが、いずれHP上か当ブログの記事としてアップしたいと思いますが、すぐにきちんとした体裁のものとなると厳しいです。これまでの記事に使用した画像ならばすぐにもアップできるので暫定的にここに貼り付けておきます。
画像1枚目
左から①招き猫貯金玉(寺島風)(H11.5cm)、②招き猫のぴいぴい(H8.8cm)、③招き猫の火入れ(H17cm)、④招き猫貯金玉(尾張屋風)(H10cm)、⑤招き猫貯金玉(不詳)(H センチ)
画像2枚目
左から(狐類は除く)①招き猫貯金玉(不詳)(H cm)、②左招き猫(よだれかけ・小)(H cm)

画像3枚目
左から手前①丸〆猫(尾張屋風・臥)(H3.5cm)②丸〆猫(尾張屋風・小)(H4cm)、後列③丸〆猫(昭和戦前型)(10.5cm)④丸〆猫(嘉永安政風)(H10.3cm)⑤丸〆小判猫(H5.8cm)

画像5枚目
左2列 丸〆猫(昭和戦前型・青・蛸足しぼり)(H10.5cm)

作っているものでこれらの画像に写っていないものがあるので、今後改めて紹介させていただきます。

 

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丸〆猫(まるしめのねこ)完売につき、、、。

2014-12-20 07:08:51 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)


昨日12月19日で「浅草 納めの観音 羽子板市」は3日間の催事を終えたことと思います。寒さきびしい中、お出かけになられたお客様はもとより、露店で販売業務に携わっていらっしゃった方々、さぞお辛かったことだろうと推量しています。
さて一番上の画像は自分が初日12月17日の午前11時過ぎに「顔が命の吉徳さん」「創業300余年江戸東京最古の人形の老舗である浅草橋の吉徳さん」のご出店風景を撮った画像ですが、その後数人の方からメールでのお問い合わせをいただき「丸〆猫を求めに羽子板市に出かけたが、既に売り切れていた。近日中の他のどこかで販売されることはないか?」という内容でお問い合わせいただきました。そこで、もしお時間お許しいただけるのであれば、出来上がり次第こちらからご連絡差し上げ、お近くであれば、直接お手渡し、またはゆうパックでの発送もできる由お伝えしました。ご連絡くださった方々以外にも、御要りようであれば私のHPのトップにメールの入口がありますので、そこからお問い合わせください。 ただし。「丸〆猫」とひとくちでいっても、いろいろな種類や色違いがありますので、画像でご判断いただいてどれかご指定いただくのがよいかと思います。
当ブログでも過去に拙作の招き猫や古い今戸焼の招き猫の作例をご紹介していまして、それらの記事は「今戸人形」のカテゴリーに分類していましたが、招き猫に関する記事だけ新たに「今戸焼招き猫」というカテゴリーとして独立させましたので、ご覧ください。→「今戸焼招き猫」

上の画像は「丸〆猫・大・昭和戦前型・古型」といいますが、同じ昭和戦前型でも他にふたとおりの配色がありまして、「丸〆猫・大・昭和戦前型・蛸足しぼり」(最初の画像、吉徳さんのご出店にならんでいるもの)と「丸〆猫・大・昭和戦前型・みどり」というものもあります。
他にも
丸〆猫(嘉永安政風)
本丸〆猫
丸〆小判猫
丸〆猫(小)
丸〆猫(臥)
があります。
昔の古い今戸焼の招き猫を再現しているものは他にも種類がありますが、ここでは「丸〆猫」に限って紹介させていただきました。

その後作っている丸〆猫すべてを並べて撮った画像ができました。→

 

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十五夜さんもいっしょに(猫とも新聞)

2014-08-31 18:14:40 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

 

P1010002_2 こちらは愛猫家に購読層に向けて発行されている「猫とも新聞9月号」(8月22日発行)でとりあげてくださった「丸〆猫」についての記事(11面)です。大きく写っているのが拙作の昭和戦前型のもの。その下の左側の画像をご覧ください。わが家の十五夜さんも写っているのです。ありがたい。

そして十五夜さんの下に写っているのが天保3年に記された「玩具聚図」と題された当時の人形玩具の配色手本帳の1ページです。座り猫が描かれていますが、この配色、面描きは最後の今戸人形だった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになった猫ものの人形と通じるものです。更に言うなら今戸人形の発生の手本となった京都の伏見人形の面描きにも通じるものであり、伏見~今戸へと受け継がれた伝統のひとつであったと考えられると思います。

「猫とも新聞」さんの偉いとおもうのは、丸〆猫を「まるしめのねこ」とルビを振っていること。その点「まるじめねこ」と読む人がいますが、「駒形」と「こまがた」、「鳥越」を「とりごえ」と読む人がいるように濁らないで読むのが東京です。

もひとつ感心したのは、他の多くのマスコミが裏付けなしにお手軽に某神社を招き猫の発祥の地と囃したてている昨今において、古い記録をもとに「浅草神社」(三社様)を発祥の地としてとりあげていらっしゃる見識の高さです。

他の多くのマスコミの世界の人も、ちゃんと調べて裏付けを取って文字にしてもらいたものです。

「猫とも新聞」様ありがとうございました。P1010003

せっかくの機会なので「月刊・猫とも新聞」についてお伝えしておきましょう。

発行所:〒338-001

 さいたま市中央区新中里3-18-15

有限会社ムウズスーパーオフィス

TEL 048-825-1551

e-mail:  nekotomo@mws21.com

URL   htp://www.mws21.com/nekotomo /

 

 

 

 

 

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「だるまのデザイン」

2014-02-18 10:36:51 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

P1010095_3 以前「伝統こけしのデザイン」という本をみつけ、ブログで取り上げたことがありました。今度は同じ出版社から「だるまのデザイン」という本が出版されました。張子や土、木地玩具からだるまをモチーフにしたものまで画像中心に展開しているビジュアルの本です。

 「だるまの中村さん」として有名で「日本郷土玩具の会」の会長をされていらっしゃる中村浩訳さんが監修者となっています。思えば昨年の夏に中村さんからお電話をいただき、今度また本が出るから以前私が作った「ラッパ吹きだるまのぴいぴい」も載せたいとおっしゃってくださったのでした。

そして昨年暮れ辺にこの本が出版されたようですが、当時は浅草羽子板市をはじめ干支もの作りや浅草被官稲荷様への鉄砲狐の納めの仕度でどたばたしていたので、実際に本を手にとって観たのはごく最近です。P1010096

 それとは別に昨年の暮れにこの本の企画デザインを担当された「COHCAE」(コチャエ)の軸原さんという方が私の仕事場までお越しになられ「らっぱ吹きだるまのぴいぴい」を作って欲しいというご依頼をいただいたのでした。

 聞けば1月末から3月にかけて六本木にある「新国立美術館」のミュージアムショップで期間限定で「だるまのデザイン」の本にちなんだ展示と即売をなさるとのことで、「ぴいぴい」もその中のひとつとして、、、ということでした。1月には被官様への鉄砲狐のお納め3回目が最優先となることをご了承いただいた上で「ぴいぴい」もできるだけ早くお納めできるよう努力するお約束をして、今月はじめにやっとぴいぴいをお納めしました。新国立美術館へはまだ足を踏み入れたこともありませんがどうなっていることでしょう。

P1010092画像3枚目は「だるまのデザイン」56ページの昔作った「らっぱ吹きだるまのぴいぴい」が掲載されているところ。実物のぴいぴいと並んで記念撮影をしてみました。

「だるまのデザイン」

青幻舎 MOGURA BOOKS

本体¥1800+税

「だるまのデザイン」の本や新国立美術館ミュージアムショップでの催しについては「COCHAE」(コチャエ)さんのサイトにリンクをはっておきますのでご関心ある方覗いてみてください。→

※「ぴいぴい」というのは明治の末頃まで東京で作られていた縁日向けのおもちゃで、今戸の木地屋(人形の型抜きから素焼きまでを専門に行う)で焼かれた素焼きの人形を、中古の材木板片と反故紙(古紙)を折りたたんだ蛇腹をつないだ鞴(アコーデオンのような)の上に固定し人形の内部の笛を仕込んたものです。鞴を動かすことで風圧を笛に送り、音が人形の中で共鳴する仕掛けになっています。人形の胴体ではなく、上下の板の側面をそれぞれの手で掴んで蛇腹を伸縮させますが、引っ張る(伸ばす)勢いで音がなるように作ってあります。

そういえば、昨年雑誌「BRUTUS」(ブルータス)誌上でも「犬のぴいぴい」を掲載していただきました。→


旅支度

2014-02-13 23:30:20 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

P1010085 丸〆猫は昨日塗り終わり、朱色のよだれかけの猫は昨日のうちに浅草まで納めに行ってきました。画像の青いよだれかけに蛸足しぼり模様の猫はこれから愛知県の豊川市のお店屋さんに向けて旅立つ支度をしています。豊川へは行ったことがないのですが、お稲荷さんで有名なところ。

 ついては丸〆猫のお供として鉄砲狐も同行させようと思います。これからひとつずつプチプチで包んでダンボールに詰め込んで旅立たせます。


色違い

2014-02-11 23:26:01 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

P1010083 先日の鉄砲狐の納めやぴいぴいの納めが済んだので、久しぶりに中断していた作業を再開しています。干支のものやその他の人形、そして丸〆猫のご依頼をかねてよりいただいていたので色を塗っています。

 画像は昭和戦前に作られたと思われる型の丸〆猫を塗っているところ。一番奥に見える鉄砲狐一対以外はすべて同じ型から抜き出したものなのですが、ご覧のとおり大きく分けて3通りに塗り分けています。これら3通りの配色違いはこれまで自分の目で確認できた配色で同じ型を使いながら彩色により異なった表情に仕上がっていたものを同じように塗りわけているのです。画面左半分を占める朱色に群青の縁をつけた手のものはこの型の彩色パターンとしては最も知られているものではないでしょうか。古い収集家のコレクションに含まれていることが多いと思います。

 画面右半分を占めている耳や首輪が赤、よだれかけ中心が群青のものは、実物がわが家にあるもので、群青の地の上に胡粉の白で蛸足しぼりを描くパターンです。

 もう一種類前から4列目に顔をのぞかせている耳が桃色で首輪が赤、よだれかけの中心が白緑色で振り金(真鍮粉)を蒔いてあるパターンのものは、東京調布市立博物館に旧・加藤文成氏コレクションのひとつとして収蔵されているものの配色を写したものです。

 鼻の頭を墨で黒く塗るのが古い今戸焼の猫の顔の代表的パターンと言えるかと思いますが、左半分を占めるタイプの鼻には不思議と墨を置きません。目の表現としては白目に黄色や金(ときどき水色)を置き、その上に丸く点状に黒目を入れるのが古い今戸の猫の顔で、その点上下の瞼を描いて黒目を入れるという猫の顔は画像左半分のパターンが例外のような感じがします。

 今まで確認できた同じ型に施された3つの配色パターン。もしかすると、これ以外にも他の配色が存在するのかどうか、、、。知りたいところです。


今戸人形「座り猫」(江戸時代後期)

2013-05-04 23:54:13 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

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 前の記事に記した「座り猫」の一例です。この座った猫が右手を上げて招けば先の明治の猫のようになるのではないでしょうか?(招き猫になると尻尾は後退してちょこっとになりますが、、。)

 画像の猫も地の白地に見える部分にはキラ(雲母粉)を塗ってありその上から目鼻をまじめ描き込みがあります。

 都内のあちらこちらの遺跡からは構図としてこれと同様で大小さまざま、また微妙にモデリングの異なるものがたくさん出土しています。

 画像のものにはブチを描く代わりに松の枝とが描かれていて御殿玩具からの影響のひとつなのではないかと考えているのですがどうでしょうか?。


今戸人形「招き猫」(明治時代)

2013-05-04 23:08:12 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

P1011112 典型的な今戸焼の招き猫です。

 我が家にはありませんが、以前の記事に記したとおり、都内の遺跡からの江戸時代の今戸焼(東京の土製)の招き猫(丸〆猫や本丸〆猫)の出土が確認されているのですが、いづれも体は横座りで顔と招く手が正面向きのもので、招く手が左か右かの違いこそあれ、今戸焼の古い招き猫は正面向きのものはほとんど見ません。

 

 画像の猫は使われているいる色から明治のものではありますが、この猫と同じ構図でもっと大型でもう少し古めの彩色の猫はいくつか観たことがあります。鴻巣の練り人形の赤ものや千葉の芝原人形に残っている招き猫は今戸のこの手のものからの抜き型や模倣によって生まれたものだろうと思われます。

この猫の赤部分はスカーレット染料。首輪の緑は花緑青(酸化銅)です。はっきり見えませんが角でブチが描かれている一見白く見える地肌にはキラ(雲母粉)で塗られており、白目の部分は普通の白の胡粉で改めて白目を置き、その上に墨で瞳を入れています。

 今戸焼の招き猫に正面向きのものが登場するのは明治以降だと思います。おそらく西の地域で作られた招き猫の影響で今戸にも正面のものが生まれた、と考えています。

 古い今戸の招き猫にこのように横座りで顔と招く手だけが正面に向いているのはなぜなのか?と考えているのですが、東京の遺跡から出土する「座り猫」の量や種類が莫大であることから、以前からあった「座り猫」がある機会に右手を招いたのが招き猫になったのではないかと思うのです。出土の招き猫はほとんど向かって左側に頭のあるポーズで画像の招き猫が招かないで座っているという構図です。

 

 以前このような今戸の古い横座り式の招き猫のポーズを歌舞伎の「元禄見得」に似ていると言いましたら、「面白いこと言いますね。」と笑われたことがありました。


やすりがけ

2011-02-01 17:15:54 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

P1010065 今日から2月。年が明けたと思っていたらあっという間ですね。

初午までカウントダウン状態です。装束稲荷さまの「招き狐」が既にやすりがけも終わり、地塗りするところなのですが、地塗りするなら昨年中に素焼きしておいた他の人形もいくらか一緒に塗ってしてしまおうとやすりがけしています。

棒やすりやサンドペーパーで余計なものを落とし、濡れ雑巾で拭き取ります。やすりがけなしに地塗りをすると、木地のざらざらや、余計なものが地に見えるのできれいではありません。

正直いいますと土から完成した人形までの全工程の中で、この「やすりがけ」と「地塗り」に苦手意識があります。「やすりがけ」ではごしごし磨く単純な作業、でも見落とすときれいにできない。単調な作業。「地塗り」では胡粉と膠とを混ぜる塩梅が季節や天気によって変わってきて、きれいにしかもある程度の厚みに塗るというのが案外難しいからです。

地塗りさえ終われば、楽しみな面描きや色の重ね合わせが待っています。


元祖・招き猫発祥の地

2010-12-19 15:59:05 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011124 浅草寺境内にある浅草神社。三社祭りで有名ですが、招き猫の好きな人にとって、ここがその発祥の地です。

最近、今戸神社のほうが「招き猫発祥の地」という触れ込みで賑わっているようですが、これは解釈の違いからそうだとも読むことができるということで、そもそも、丸〆猫(まるしめのねこ)が嘉永5年に売りだされ大流行した、と「武江年表」や「藤岡屋日記」に記されている場所は、ここ旧・三社権現なのです。

鳥居脇にたこ焼き屋さんの露店が見えます。この辺りに丸〆猫屋の床店(仮設店舗)があったと考えられます。先日、十五夜さんからのプレゼントで家にきた、広重画の錦絵「浄るり町繁華の図」に描かれている丸〆猫屋(左上部分)が、画像のたこ焼き屋さん辺りにあったと想像してみてください。但し、この錦絵は浄瑠璃の登場人物を物売りに見立ててあるので、丸〆猫を売っているのが西行法師になっていますが、記録ではお婆さんが売っていたことになっています。

2007_0101_000000p1011101 丸〆猫は今戸焼で作られたという理由からその地元こそが招き猫の発祥の地であるという理屈も否定はしませんが、やっぱりここ三社様こそが「元祖・招き猫発祥の地」ではないでしょうか。

お時間あれば「武江年表」と「藤岡屋日記」の丸〆猫についての原文をお読みください。

武江年表」原文へ→

「藤岡屋日記」原文へ→

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