おはようございます。 生き生き箕面通信1610(130520)をお届けします。
・日本国憲法は、日本のものでありながら日本だけのものではなかった
なぜか。敗戦直後の日本は、国際社会の厳しい監視のもとに置かれ、自分たちの思いだけで新しい憲法の内容を自由に決めることは認められなかったからです。
「歴史哲学的憲法講座」の2回目として、歴史哲学者の八柏龍紀さんが「週刊金曜日」の最新号(5月17日号)にこう記しています。「『マッカーサー憲法』と改憲派にいかに揶揄されようが、また反動的な松本案だと、進歩派(?)にどのように批判されたとしても、人類史上、かつてないほど酷薄で暴虐の限りを尽くした戦争の惨禍のあと、国際社会のなかで生き延びる意味でも、日本という国家が再び軍事機能を持つことは、ほとんど不可能だった事実は覆されることはない」
続けて、「『憲法』とは実に『その国のものでありながら、その国だけのものではない』のである」「憲法には、まずもって多様な国際社会といかに付き合い、いかに共存していくかという重要な課題があるのである」とも指摘しています。
憲法のあるべき姿としては、「憲法とは事実として、いまの『地球世界』が志向する『公共性』に内在するものであり、それを意識するものでなければならない」と強調しています。つまり、世界があるべき姿をめざす、それと同じ方向が望まれるというわけです。ボクも全くその通りだと同意します。
日本は、敗戦直後、どう生き延びるか、存亡の危機に立っていました。それまでの日本を律していた明治憲法のままでは、存立できないことは明白でした。当然、憲法を改めて、世界に「こんな国になりますから、了承してください」という立場だったのです。
戦闘機ごとアメリカの艦船に体当たりする特攻隊作戦。「玉砕」と称した全滅作戦。それらは「作戦」の名に値するものでもないことはもちろん、人間としてやってはいけない自殺行為でした。食べるものもない、闘うための銃も弾もない。挙げ句の果ては、捕虜になるくらいなら、「自ら生命を絶て」と自決用の手りゅう弾を配る。
中国をはじめ、太平洋の島々で、世界史のなかでも際だつ凄惨な戦いをやってのけたのが、日本でした。こんな”狂気の国”は、世界としてもそのままにしておけず、抜本的な解体・変革を迫られていたのです。
新しく生まれ変わる日本は、世界が受け入れられる姿でなければなりませんでした。連合国側では、オーストラリアやデンマークが、天皇の戦争責任を厳しく追及し、何らかの措置が必要でした。東條英機などが絞首刑だったことからすれば、同じような刑が科されるような状況でした。それを食い止めるための、マッカーサーの象徴天皇と9条だった。アメリカが要求したこのセットで、世界との妥協を図ったわけです。
安倍政権はいま、9条を改定しようとしています。今度もアメリカの強い意向が後ろにあるとはいえ、9条を改定して戦争ができる国になることが世界との平和共存の道なのでしょうか。