おはようございます。 生き生き箕面通信1594(130504)をお届けします。
・憲法が「押しつけ」なら、安保条約も「押しつけ」。憲法が「無効」なら、安保条約も「無効」のはず
安倍首相をはじめ改憲論者は、「憲法はアメリカから押しつけられたものだから、日本人の手で自主憲法を制定しなければならない」と、主張します。「押しつけ憲法は『無効』」という意識なのです。
しかし、改憲論者が絶対に口にしないことがあります。「憲法と同時に調印した安保条約も、押しつけられた」ということです。改憲論者が「押しつけ憲法は無効」というなら、「押しつけ安保条約も無効」のはずですが、決してそうはいいません。
かくのごとく、改憲論者の「押し付けられ論」は、矛盾に満ちたものなのです。
「安倍政権の改憲暴走を許さない!」という集会が昨日5月3日の憲法記念日に大阪市内のエルおおさかで開かれました。神戸大名誉教授の浦部法穂さんが、「『押しつけ憲法論』が決して『言わないこと』から見えるもの」と題して講演しました。その中で、改憲論者は「押しつけ憲法」とは言うが、「押しつけ安保」とは言わない理由を、明確になぞ解きしました。
「なぜ『押しつけ憲法』なら言えるのか。それは、9条『改憲』はまさにアメリカが求めていることだから。『自主憲法』などというのは嘘っぱちで、実態はアメリカの要求に応えるための『改憲」であり、アメリカのいうことに追従しているだけ」と、断言しました。
「なぜ『押しつけ安保』と言わないのか。『押しつけ安保』などと言おうものなら、自分の首が飛ぶ!」とも。
「『押しつけ憲法』を叫べば叫ぶほど、『押しつけ憲法』の『押しつけ改憲』という『屈辱的』な現実を浮かびあがらせるだけ」とも喝破しました。
安保条約は1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約締結の日に秘密裏に結ばれました。講和条約締結式は豪華なオペラハウスの華やかな場所で行われました。しかしその後、安保条約の締結は同じ日の午後、場所をサンフランシスコ郊外の米第六兵団の下士官用の粗末な施設で行われました。
日本側は吉田首相(当時)がただ一人、こっそりと抜け出してその粗末な場所で署名しました。それまで、日本でいくら追及されても、「安保条約は交渉中」の一点張りですべて秘密にしてきたものです。日本側代表団ですら、どんな中身かも分からないものでした。それほど秘密裏に運んだのは、表に出れば猛反対が起きるほど日本が隷従する内容だったからです。
吉田首相は、この交渉の時から「日本をアメリカに売り渡すこともいとわない」という決断をしたといえます。そして、この安保条約に続く行政協定(のちの日米地位協定)で、日本のアメリカへの隷従が、法的に保証されることになりました。この協定では、「アメリカは望む数の兵数を、望む場所へ、望む期間だけ配備できる」ことが明記されていたからです。アメリカは、日本の隷従を明記する条約を押しつけたわけです。この内容は、現在の安保条約と日米地位協定にも引き継がれて、生きています。
安保条約と一対の行政協定は、安保条約とともに「日本全土の基地化」を可能とする内容を含んでいました。いま、日本列島が基地化されていないのは、現在はその必要がないからだけにすぎず、アメリカが「必要といえば、日本は断れない」という内容なのです。
安倍首相は、「美しい日本を取り戻す」というのなら、アメリカから「日本の真の独立」をこそ取り戻してほしいものです。もちろん、そんな気はないでしょうが。