生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

1588 ・何が「主権回復の日」か。ばかにするのもいい加減にしろ

2013-04-28 07:18:50 | 日記

おはようございます。                                                                   生き生き箕面通信1588(130428)をお届けします。

・何が「主権回復の日」か。ばかにするのもいい加減にしろ

 安倍首相は本日4月28日を「主権回復の日」とすることにしました。サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が1952年(昭和27年)のこの日に発効したことをもって、「主権回復の日」とすると取ってつけたように言い出し、天皇・皇后にまで出席を要請して国民の目をあざむく大イベントに仕立て上げる演出をしました。

 ご承知のように、沖縄では本日を「屈辱の日」として、安倍首相に対し島を挙げて抗議する行動が行われます。仲井真弘多知事も、安倍首相主導の催しには欠席することを決めました。知事としては、天皇・皇后が列席する催事に欠席することは心苦しい決断だったはずです。それでもそう決断せざるを得ないほど、沖縄の気持ちを踏みにじる催しなのです。

 61年前のこの日、沖縄だけを切り離して、日本は占領時代に”終止符”を打ちました。日本は、沖縄がアメリカの占領下に置かれたままであることを認めての”独立”でした。日本本土は、沖縄を見捨てたのです。私たちが一度は、沖縄を見捨てたのです。

 あるいは、日本本土の”独立”と、沖縄の”占領継続”を取り引きせざるを得なかった、つまり沖縄を「見捨てさせられた」というのなら、これまた「屈辱の日」となる心情こそが真っ当なはずです。

 しかも、”独立”したという日本本土自体も、真の実態は占領状態が続きました。普段は一見「独立」しているようにさせながら、いざという大事な判断はアメリカの指示に従わせる。それを保証するのが、日米安保条約の本質です。安保条約は、決して日本を守るものではなく、アメリカが最終的には実権を握っていることを保証する法的根拠なのです。

 だから、日本本土に住む私たちにとっても、まさしく「屈辱の日」と受け取ることこそあってしかるべきではないでしょうか。それを「主権回復の日」などと自らをあざむくなどとんでもない。何が「主権回復の日」か。ばかにするのもいい加減にしろ。これは沖縄の人々の心情であるばかりか、本土の私たちの気持ちとしても言わずにはおれません。第一、本当に「主権を回復」しているのなら、いまさら改めて祝うという大げさなことをする必要がどこにありますか。

 明日の朝刊は、天皇・皇后の写真入りで、「主権回復の日」の祝賀紙面を読まされることになります。かくして国民の頭は、祝うべき「主権回復の日」が刷り込まれ、洗脳されていきます。そして、自民党を支持するがっちりした基盤が固められていきます。

 これまでの対米隷従の結果は、主食がコメからパンへの切り替えが進んでアメリカ流の食生活となり、働き方も年功序列制度が崩されて個別に競わせる競争型社会へ、そしてヨーロッパ型の福祉社会をめざす方向は否定されてアメリカ流の自己責任型へと、さまざまな分野が大きく変貌させられてきました。

 その仕上げとして、アメリカにせかされたTPP(環太平洋経済連携協定)へ参加します。TPPへの参加は、日本がお願いして入れてもらうような形をとっていますが、本当の所は、民主党時代の菅首相がアメリカに言われて突如「参加する」と言い出したものです。アメリカにとって、大きな魅力のあるニッポン・マーケットを欠いたTPPなど全く意味がありません。

 「主権回復の日」? プイッ。