おはようございます。
生き生き箕面通信1260(120521)をお届けします。
・元気な中村哲さんに元気をもらう
久しぶりに帰国したペシャワール会の中村哲さんが昨日5月20日、
大阪市内の天王寺区民センターに現れ、アフガン現地での水路建設
など近況を話しました。小柄な中村さんは、いつもの少し謙虚な話し
ぶりでしたが、お元気でした。ただ、「日本に帰ってくると、体調がよく
なくなる。栄養の取り過ぎになるのかもしれない」と話していました。
豊かだった地域が戦乱で荒れ果て、住民は難民になったり、若者は
傭兵になったりのなかで、営々と水路建設に取りかかった中村医師。
そしてついに26キロにおよぶ堂々たる水路を砂漠化した荒れ地に通
したのでした。そして、小麦の青々と茂る畑が出現。数十万人の食が
確保できるようになった。時には、米軍を中心とする多国籍軍の戦闘
用ヘリコプターが飛びまわる中、水路工事を続けた。外国の援助隊が
引き上げる中、中村医師は唯一とどまり、医師としてではなく、水路建
設者として活動を続けたのでした。
中村さんは、そうした活動に対しての称賛は拒否しています。「そこ
に水を必要とする多くの困っている人たちがおり、だから水をなんとか
しなければならなかっただけ」と話しています。会場から、伊藤和也さ
ん(08年に何者かによって拉致され、間もなく死体で発見された)に関
する質問が出された時も、あまり多くを話したがりませんでした。ただ、
「他人の死をあざけったり、死人をむち打つようなことがこの国ではひ
どくなっているように感じる」と、抑え込んでいる感情を少しのぞかせ
ただけでした。
以前もこの箕面通信で書きましたが、中村さんのような人にこそ、ノー
ベル平和賞がふさわしいと思います。しかし、そうした声が先走ることは、
中村さんにはありがた迷惑、むしろ活動の障害になりかねないと思いあ
たりました。それはともかく、中村さんの生きざまは、日本人のほこりで
す。以前は、中村さんのような心根の人が多くいました。それが、グロー
バリズムなどという流れの中で大きく変質していきました。しかし、いま
は再び考え直すチャンスです。生き方を見直しましょう。何のために生
きるのか。誰のために生きるのか。
生き生き箕面通信1260(120521)をお届けします。
・元気な中村哲さんに元気をもらう
久しぶりに帰国したペシャワール会の中村哲さんが昨日5月20日、
大阪市内の天王寺区民センターに現れ、アフガン現地での水路建設
など近況を話しました。小柄な中村さんは、いつもの少し謙虚な話し
ぶりでしたが、お元気でした。ただ、「日本に帰ってくると、体調がよく
なくなる。栄養の取り過ぎになるのかもしれない」と話していました。
豊かだった地域が戦乱で荒れ果て、住民は難民になったり、若者は
傭兵になったりのなかで、営々と水路建設に取りかかった中村医師。
そしてついに26キロにおよぶ堂々たる水路を砂漠化した荒れ地に通
したのでした。そして、小麦の青々と茂る畑が出現。数十万人の食が
確保できるようになった。時には、米軍を中心とする多国籍軍の戦闘
用ヘリコプターが飛びまわる中、水路工事を続けた。外国の援助隊が
引き上げる中、中村医師は唯一とどまり、医師としてではなく、水路建
設者として活動を続けたのでした。
中村さんは、そうした活動に対しての称賛は拒否しています。「そこ
に水を必要とする多くの困っている人たちがおり、だから水をなんとか
しなければならなかっただけ」と話しています。会場から、伊藤和也さ
ん(08年に何者かによって拉致され、間もなく死体で発見された)に関
する質問が出された時も、あまり多くを話したがりませんでした。ただ、
「他人の死をあざけったり、死人をむち打つようなことがこの国ではひ
どくなっているように感じる」と、抑え込んでいる感情を少しのぞかせ
ただけでした。
以前もこの箕面通信で書きましたが、中村さんのような人にこそ、ノー
ベル平和賞がふさわしいと思います。しかし、そうした声が先走ることは、
中村さんにはありがた迷惑、むしろ活動の障害になりかねないと思いあ
たりました。それはともかく、中村さんの生きざまは、日本人のほこりで
す。以前は、中村さんのような心根の人が多くいました。それが、グロー
バリズムなどという流れの中で大きく変質していきました。しかし、いま
は再び考え直すチャンスです。生き方を見直しましょう。何のために生
きるのか。誰のために生きるのか。