生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信590 ・著しく公平性を欠く読売の小沢追及

2010-07-16 07:06:08 | 日記
おはようございます。また読売を批判しなければならず、「生き生き」というより「うつうつ」の通信です。
生き生き箕面通信590(100716)をお届けします。

・著しく公平性を欠く読売の小沢追及
 小沢一郎氏のいわゆる「政治とカネ」の問題をめぐって、ふたたびマスメディアが大きく取り上げています。今朝の各紙は、東京第一検察審査会が陸山会事件について「不起訴不当」と議決したことを伝えています。その伝え方には、かなりの差がみられました。

 まず読売は、「不起訴不当」を一面トップで扱い、三面のほとんど全部を使って社会部、政治部の担当記者の署名入り記事と社説。さらに社会面トップも関連記事で埋めました。本日の読売お勧めの力が入ったメイン・ディッシュといった扱いです。

 朝日は、一面は三段見出しでサブ扱い。二面に詳報を持って来ており、社説でも取り上げています。ところが、社会面は1行もなし。

 経済界や政界関係者に読者の多い日経は、一面の下のほうに三段見出しで伝えたほか、三面と社会面で詳報と識者のコメントなどで構成しています。

 目立つのは、朝日と日経が、まだ紙面の「公平性」を確保しようとする努力のあとが伺えるのに対し、読売は「ともかく小沢を有罪へ」という意図をむき出しにした紙面づくりになっていることです。

 たとえば読売一面の主見出し「小沢氏不起訴不当」は、朝日の「小沢氏『不起訴不当』」とくらべると、不起訴不当に括弧がついているか、いないかだけの差のようですが、読売のように括弧がなければ「不起訴は不当」であり、「有罪」で決まりという印象を与えます。括弧をつければ、これはだれかがそう主張しているという引用なのです。人の名誉にかかわる報道をする場合は、括弧ひとつにもきめ細かい配慮が必要なことは読売の編集責任者も十分に承知の上のことですから、意図的に「有罪」を印象づけたものでしょう。

 読売の政治部記者は署名入りで「小沢氏支持議員に衝撃」という記事を書いています。朝日は「側近『復権へ一つ克服』」としています。これは、今回の「不起訴不当」は前回の「起訴相当」と異なり、検察が再び不起訴とすればそれで「一件落着」となることを踏まえたものです。つまり、朝日は「検察は再び不起訴とせざるを得ない」ということを読んだうえの記事だから、むしろ小沢側近は「不起訴不当」にほっとしている、と伝えるものです。読売もそれを承知しながら、「大変だ、大変だ」とうろたえているかのような記事の作り方。きわめて意図的といわざるを得ません。

 検察審査会に対する疑問が出されていること、さらにはその検察審そのものが11名中6人あるいは7人の賛成で「不起訴不当」を議決したのであり、やっと過半数だった。つまり他の検察審メンバーは「検察の不起訴が正しい」という意見だったのかもしれません。観察審はともかく秘密のベールにつつまれており、どういう論議をして結論を出したのか、また結論の全文すら明らかにしていません。ただ結論の要旨だけを公表するにすぎません。

 そもそも検察が1年以上も執念をかけて小沢を追い回し、大手建設会社にも立ち入り捜査までして調べ尽くした末の「不起訴」でした。検察担当者自身が、唇をかみしめたほど完璧に無実だったのです。にもかかわらず、「小沢は有罪」として、ほうむろうとする読売。識者のコメントも、議決に対して「支持」「不支持」の両方の立場からを載せるのではなく、二人とも「支持」の立場の人間を選んでいます。そのこと自体に、ジャーナリズムの使命放棄がうかがえます。きつい言い方をすれば、今朝の読売の紙面からは「ジャーナリズムの死臭」がただよってきます。