水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「天河・35」

2006-08-21 22:48:20 | Weblog



大銀杏から神殿に向かう。
丁度、朝礼拝を行う前だった。
我々龍村セミナー一同は能舞台上を許された。
一般参賀者は胡床から。

柿坂宮司が祝詞を上げる。
お話をして下さる。
龍村先生が呼ばれ、階段中からアサナ。
一般参賀者も一緒だ。
このような「おおらかさ」は天河神社の特徴だ。

「おおらか」でなければ神様は降りない。
畏れと敬愛と感謝の上での「おおらかさ」だ。
それぞれ、いろいろな部分を学んだろう。
ワシは「おおらか」と「楽」に神を観た。

深いからこそ精妙な「場」がある。
その「場」の依代(よりしろ)に社が建つ。
社に引き寄せられた者達は深い部分を震わせられる。
そして、
変わる。
神と人との合一の「場」
ホンモノを守る社は少ないだろうな。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・34」

2006-08-20 20:41:31 | Weblog


天河の大銀杏はワシの「氣」なぞ必要でなかった。
当たり前だ。
だが何も無いわけじゃない。
何も無いわけがない。
「氣」には応えてくれる。
巨木は優しいのだ。

気づくレベル(層)よりも深いモノ。
感じないレベルのモノ。
強いていえば・・・勘。
いつ気づくかわからない。
だが、未来に気づくだろう。
そういう深い層からの何か。
妙なる何か。

ワシは受け取った。
微にして妙なる部分が震えた。
微妙はワシの仕事上の部分だ。
不安定な勘じゃないぜ。
何が変わるか。
何が起こるか。
とても愉しみにしている。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・33」

2006-08-19 22:53:07 | Weblog


二年前。
ワシは九州の宗像神社にいた。
本宮の裏の巨木に呼び止められた。
何故か、する事は解っていた。
触れて、「氣の交流」だ。

ワシに澱んで浄化しきれなかったモノ。
それが一瞬でスッと消えた。
同時に巨木もワシからの「氣」を喜ぶ。
何故だか知らない。
時には「いいかげんの氣」も必要なのだろう。

ワシはヒーリングの深い意味に気づいた。
「分かち合い」がヒーリングの本筋なのだ。
お互いが同時に支えあう時がある。
お互いが同時に必要だったと気づく時がある。
お互いが同時に回復(回帰)する行いがある。

天河の大銀杏に2年前を重ねていた。
予想は外れた。
予想はよそう。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・32」

2006-08-18 19:41:11 | Weblog


天河65代目の柿坂宮司。
夜中12時過ぎまで丁寧に講義をして下さった。
一人一人の感想や質問は皆と共有となる。
シェアリングは一人で多人数分の学びとなる。
共有体験後のシェアリングは大きな効果なのだ。

翌早朝は和子先生の瞑想法があった。
だがワシは参加せず、一人で大銀杏に行った。
大銀杏と「氣の交流」がしたかったのだ。
誰もいない時、静かに、そっと。
巨木とは「氣の交流」が行いやすいのだ。
樹は「氣」の塊なのかもしれんなぁ。

大銀杏は天然記念物だ。
空海の手植といわれている雌雄同体の特殊銀杏だ。
根元を囲っている柵がある。
裏側から(ちょっと失礼させてもらう)。
巨木なので表側からはワシは見えない。
そして、両手を広げて抱きついた。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・31」

2006-08-17 22:54:45 | Weblog


例大祭の夜、柿坂宮司が講義をして下さった。
忙しいだろうに・・・。
7年前の柿坂宮司の言葉を思い出す。
「神様が相手ですから・・・」

「神様」は特定ではない。
我々一人一人の内なる神だ。
我々は自覚できないでいる。
少なくてもワシは自覚できてない。
ワシの中の神様を自覚できない。
だが、宮司はその神様に出会う。

だから手を抜けないのだと言う。
一人一人の感想や質問に丁寧に応える。
言葉ではない。
その、姿なのだ。
その、生き方なのだ。
ワシは宮司様としての
惟神(随神・かんながら)を観る。

ワシとしての惟神は・・・
もっと、ナマケモノに近い・・・。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・30」

2006-08-16 21:45:33 | Weblog


ホンモノの神社には濃い「氣」がある。
大元に働きかける「氣」がある。
日本人としての大元を震わす「氣」がある。
天河弁財天社ではその影響が大きいようだ。
ここで何かが目覚める人は多い。

「日本人でよかった」
「日本に生まれて嬉しい」
今回もそういう感想が幾人からも出た。
ワシのような無能力者でも触発された。
日本人としての血を震わされたのだ。

ワシはこの歳になって初めて邦楽の深さに触れたと思った。
もちろん、深さといっても判らないままだ。
だが「とても深い」とは感じたのだ。
洋楽器に比べ、単調だと思っていたのが逆転した。
和唄の底知れぬ深さを感じたのだ。
日本は・・・深いモノを秘めている・・・。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・29」

2006-08-15 22:13:18 | Weblog


五十鈴は二つで一つとなるようだ。
三つの鈴が三角の形をしている鈴だ。
それを二つ合わせると六亡星に似る。
宇宙の形とかいう人もいるが、宇宙の形を見た人はいない。
だが、一つの完成された形ではあるようだ。

原氏はイザナギとイザナミとした。
二つ合わさり、何かが生まれる。
合わさった波動は何かの扉を開く。
遥か宇宙の共通した波動と共鳴する。
そして・・・何かが起こる。

二つ合わさったモノ。
それを神とした。
それを「キミ」と表現した。
君が代(神の世界)の意味はここにある。
完成された二つが合わさったモノ。
君が代は千代に八千代に・・・。
(神の世界は時と空間が無限であり、過去と未来が・・・)
当たり前で深い意味があったのだ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・28」

2006-08-14 21:06:34 | Weblog


講義で幾つか染みた事がある。
天河神社の象徴として五十鈴(いすず)がある。
神話の神代鈴と同じモノといわれている。
その神器を振ることに魅せられた人がいた。
あまりに見事な鈴振りに講義をお願いしたのだ。

髭顔の原氏は臨時講師を快く引き受けて下さった。
「あれは振っているのではなく、振らされているのです」
振る、より、震るに近いのかもしれない。
震えてしまうようだ。
そして、その波動は全身に波及するようだ。

「つい、腰も振ってしまいます」
「顔はにやけてしまいます」
この神器は、嬉しい、楽(愉)しい、気持ちいいモノなのだ。
身体が自然に振れる。
それは舞の元でもある。
楽器の元でもある。

神は楽しい場所に降りて来る。
こんな、当たり前が今まで判らなかったのだ。
神は嬉しい場所に降りて来る。
神は気持ちいい場所に降りて来る。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・27」

2006-08-13 22:06:25 | Weblog


午後からは能(慶祝能)。
「通小町」という。
ワシは能の面白さがわからない。
眠くなる・・・。
人間国宝さんに申し訳ない・・・。
(観世流 片山九郎右衛門)

ところが右隣の和子先生が言った。
「今日の能は素晴らしい迫力だわ」
ワシには迫力がわからない。
和子先生は龍村家で子供の頃から能を習わされたという。
そして、駐米して日本の伝統芸能を紹介する仕事をしていた。
能、歌舞伎、文楽等をアメリカに紹介したのは和子先生なのだ。

後でわかったことがある。
人間国宝さんが体調不良で舞台に立てなくなった。
息子さん(だと思う)が急遽代役をした。
人間国宝の代役だ。
その為、とても「氣」を込めて演じていたらしい。
誰も知らない事だった。
和子先生の感想は凄いとしかいいようがない。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天河・26」

2006-08-12 23:18:00 | Weblog


10時からは例大祭だ。
天河神社の多くの年間行事祭りでも一番大きな祭りとなる。
上下白服に着替え神殿へ。
祝詞、玉串奉納などの神事。
そして、昨夜とは違う神楽。

11時からは護摩壇が作られた境内で護摩法要。
採燈大護摩厳修という。
山伏姿の修験者達が大勢で行う。
本山修験宗 聖護院門跡の方々だ。
これが、また見事な護摩だった。

結界を張った護摩壇から、
東南西北に破魔矢?を打ち込む。
そして護摩壇にも打ち込む。
更に大鉈で東南西北に結界を張る。
真言や般若心経などを唱え、火入れをする。
破邪の剣で護摩壇を浄化する。

最初、護摩壇の下から煙が這う。
それが特殊撮影のように広がるのだ。
何かに操られているような煙だった。
そして火。
後から、近年最高の護摩だったと聞かされた。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする