水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

活かす・2

2005-06-23 16:05:16 | Weblog

活かされている。
活かされていた。
ここに気づくと何も言えなくなる。
手を合わせるのみになる。

ギリギリで生命と付き合うと、
理屈は消えてしまう。
理屈で理解できないのだ。
何が起こるかわからなくなる。
経験も体験も役に立たない。

生命は人間を超えた管轄だ。
それだけは感じる。
だから、いつも、未来はわからない。
だから、いつも、希望が持てるのだ。

絶望を宣言するドクターがいたら、
そのドクターは愚かだ。
生命を理解できると思い上がった愚か者だ。
立場からの意見と絶望宣言は違うだろ。

ケンカをするつもりはない。
(トラブルは苦手だしドクターは権威がある。
権威が威張ると、メンドウだ・・・。
簡単に謝ります。ゴメンなさい・・・)
ワシは生命は理解できぬが、
愚かな人間は判断できるぜ(と独り言)

ワシも人一倍愚かな人間だ。
だから予想もしてしまう。
だが、予想が外れる事も知っている。
ワシは愚か者だと知っている。
正しさを判断できるとは思っていない。

ワシの仕事は正しさを知らせる事じゃない。
生命力の活性化だ。
未来は判らないが、今すべき事は判る。
活性化の手段も持っている。
理屈は解らなくても、使えるのだ。

ここにきて、何となく納得する事がある。
何で、ワシだったのかと。
「いいかげん」で根性無しのワシが、
何で、今の仕事が天職なのかと。

立派な人では・・・向いていないのかも。
生命を応援するのは、根性無しが向いているのかも。
理解する事をアキラメるタイプが向いているのかも。
マジメだと生命力が抜けてしまうのかもね。

何だかなぁ・・・
いいのだか、けなされているのだか判らんが、
兎に角、しょうがない。
何時、どうになっても、嫌じゃない。
これに関してなら、辛い事が嫌じゃない。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント (2)
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