ある気功師・193
現像した写真には生駒研修所で撮った数枚にも氣が写っていた。
龍村師匠、故師匠の父上(当時87歳)、管理人夫人。
全て、私が一緒で他の人に撮ってもらったものだ。
全て、私がとても嬉しく思える人達との写真だった。
もちろん、白い氣だ。
この事がきっかけとなったのかどうかは知らない。
その後、私は意識して氣の写真を簡単に撮れるようになった。
時代がデジタル写真になり、簡単に確かめる事ができるようになった。
銀塩フィルムよりもデジタルのほうが写りやすいようだ。
他の人達も写った経験が増えたようだ。
ここなら、と思った場所では、ほぼ必ず氣の写真が撮れた。
集めるつもりなら何万枚も撮れる。
ただし、携帯カメラのデジタルは思うように撮れない。
構造的に何か違うのかもしれない。
撮れるなんて普通だった。
すると、興味が無くなった。
興味が無くなると、撮れる割合が少なくなった。
これは金粉現象でも同じだった。
興味がある時は、毎日、毎回金粉が出せた。
だがそれが普通になったら、興味が無くなった。
今は、出すのに苦労する・・・
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