水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

愉しむ・3

2006-01-12 21:40:51 | Weblog

闇(病)からの回復。
幾つもの方法がある。
心配も絶望も無用だ。
深い闇(病)からなら幾つかの条件がある。
条件が重なると開ける仕組みだ。

「愉しむ」。
方法の一つであり条件の一つでもある。
闇(病)の大部分は愉しくない。
ならば放せばいいのに・・・。

見つめる事は掴んでいる事だぜ。
病み人が病み人でいる時、
闇(病)ばかり見つめている。
闇(病)は嫌だ、といいながら・・・。
嫌なら放せばいいのに・・・。

ワシは個人の自由を尊重する。
闇(病)から回復しなければならない、
とは思わない。
好きなら一緒に居てもいいと思う。
「嫌」と言いながら一緒にいたがる人も多い。
それも自由だ。

「闇(病)から解放されたい」
そう依頼を受ける。
「ならば・・・その闇を掴んでいる手を離して」
でも闇(病)を見つめる癖がある。
何かを見つめていないと不安なのだ。

見えない世界の仕組みがある。
見えないからこその仕組みがある。
見えない相手を見つめる(意識を向ける)と、
相手は存在してしまうのだ。
もう一つの仕組みもある。
見つめた(意識)相手が優先する。

闇(病)を見つめると闇は大きくなる。
光(自然体)を見つめると闇は減少する。
どちらも無くなる事はない。
どちらを見つめる(意識)かは自由だ。

回復は自然体と同方向にある。
ワシなら・・・どうせ見つめるのなら、
輝くヒュギエイア(健康女神)のネ~チャンにするぜ。
「愉しむ」と、この(輝く)オナゴは見えるようだ。

闇(病)の中にいても大丈夫だ。
輝きの方向さえ判れば進めばいいだけだ。
輝きへ歩く事を「愉しみ」という。
何も難しい事はないんだぜ。

(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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