闇(病)からの回復。
幾つもの方法がある。
心配も絶望も無用だ。
深い闇(病)からなら幾つかの条件がある。
条件が重なると開ける仕組みだ。
「愉しむ」。
方法の一つであり条件の一つでもある。
闇(病)の大部分は愉しくない。
ならば放せばいいのに・・・。
見つめる事は掴んでいる事だぜ。
病み人が病み人でいる時、
闇(病)ばかり見つめている。
闇(病)は嫌だ、といいながら・・・。
嫌なら放せばいいのに・・・。
ワシは個人の自由を尊重する。
闇(病)から回復しなければならない、
とは思わない。
好きなら一緒に居てもいいと思う。
「嫌」と言いながら一緒にいたがる人も多い。
それも自由だ。
「闇(病)から解放されたい」
そう依頼を受ける。
「ならば・・・その闇を掴んでいる手を離して」
でも闇(病)を見つめる癖がある。
何かを見つめていないと不安なのだ。
見えない世界の仕組みがある。
見えないからこその仕組みがある。
見えない相手を見つめる(意識を向ける)と、
相手は存在してしまうのだ。
もう一つの仕組みもある。
見つめた(意識)相手が優先する。
闇(病)を見つめると闇は大きくなる。
光(自然体)を見つめると闇は減少する。
どちらも無くなる事はない。
どちらを見つめる(意識)かは自由だ。
回復は自然体と同方向にある。
ワシなら・・・どうせ見つめるのなら、
輝くヒュギエイア(健康女神)のネ~チャンにするぜ。
「愉しむ」と、この(輝く)オナゴは見えるようだ。
闇(病)の中にいても大丈夫だ。
輝きの方向さえ判れば進めばいいだけだ。
輝きへ歩く事を「愉しみ」という。
何も難しい事はないんだぜ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」