alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

本来の自分を活かせる社会

2012年03月25日 |  カフェ的な場で考えたこと


 今日は今期最後の体操教室に行って来て
見学に来たという女性とペアになって彼女のことを
マッサージしたら驚いた。ずいぶん身体が固いなあ。
「けっこうこってますねえ、、、 マッサージとか
あんまりされる機会ないんですか?」
「そうですねえ こういうのも興味あるんですけど
疲れてたらご飯食べてもう寝ちゃう!っていうのが多くて
自分の身体は後回しなんですよね、、、」


 そんな彼女は今度私の足を揉む番になったとき
何度も何度も驚いていた。「何この足!!めちゃ柔らかい!
耳たぶみたいなんですけど!足って固いもんじゃないんですか?」
「あー毎日マッサージしているからかもしれないですねえ、、」


 話をすると彼女も5歳児の母らしく なんだか
典型的な感じで 彼女は自分のことは後回し で
家族やら仕事に関することをいろいろやって
「こんな教室これたらいいけど、そんなの贅沢かなあ」という感じ。
そんな彼女に私はちょっと言ってみた。
「でも自分の身体が変わったら きっといろんなことが変化しますよ!」


 ひょんなことから通うことになったこの教室は
誰もがびっくりしてしまうような変な教室なのだけど
今まで通ったヨガやらの中で一番気持ちがよくて効果があって
何故かというと 先生は身体と心のつながりを考えていて
ガチガチに凝り固まった心を心から変えるのは難しいけど
身体をほぐすことで心もほぐしていくことができるいう考えでやっているからで
1時間半の体操のあと スッキリとした身体になっている自分は
心もなんだか軽くなり ああそうなんだ 自分を大事にするって
こんなにも大切なことだったんだ とはじめて知った。


 自分の身体を触ること 自分の身体をいたわってあげること
どこがしんどくてどこが詰まっているのか意識すること
どうしたらもっと楽になれるのか なるべく気持ちのいいことをして
身体をほぐしていくと 凝り固まって抱え込んでた自分がどんどん
変化していき 自分の中のエネルギーを感じてうわあと驚くこともある。


 今日は最後の教室なので、先生は「気持ちいいことをすればいいのよ
気持ちいいことだけすればいいの!そんなのあり?って思ってても
ありなのよ その方がいいの!」と訴えていた。半年前は先生の言ってることが
半分わからなかったけど 今ならだいぶわかる気がする。
たぶん前述の彼女の場合は「そんなこと言ったって!」と思うだろう
普通の日本社会で生きてる人は自己犠牲が当たり前な中で生きている。
自分なんてどうでもいい それに加えて内在された他人の目で
いろんなことを決めている。でも自分は?何のために生まれてきたの?
何を喜びとしているの?自分がすごく楽しいことで人が喜んでくれ
それでお金まで払ってくれたらこんなに嬉しいことはない。

 先生は今日みんなの前で「ありがとう」じゃなくて「ごめんねえ!」と
笑いながら言っていた。「私何にもしてなくて!みんなにいつも助けられてね!」
でもそんな先生の教室の威力はすごい。だからみんなが続けたくなり
先生はそれで生きていける。あんな笑顔で楽しそうにやられてしかも自分が
気持ちいいなら そりゃ他のヨガや整体に同じお金を払うなら こっちに行きたくなるだろう。

 私も最近フランス語を教えてお金をもらえるようになり
こんなありがたいことってないなあ 嬉しいなあ!と思ってる。
もしお金を払ってくれてる人も満足してくれているなら これほどうれしいことはない。
自分を活かして 好きなことをして 誰かが喜びお金まで払ってくれる
それは自己犠牲で何かをするより何倍も得るものがあると思う。
自分の本当の気持ちを知ること 好きで得意でいつまでもやってられることを
もっと活かしていけること 子供のころに持っていたはずの
きらきらした笑顔をもう一度とりもどすこと その熱中が
誰かの役に立って行くこと そんな風になったなら
だれだってもっとやる気になって頑張れる。

 そんなwin winな社会はないのだろうか 私にはそれがありうる気がする
自分がまず気持ちよくなり 自分の気持と身体をほぐすこと
固定観念でガチガチになって身動きとれなくならないこと
子供のようなしなやかさをとりもどすこと
やっぱりこれからの時代 子供から学べることってすごく大きいんじゃないかと思う。
先生と蓮太郎はすごく似ている。満面の笑顔で生きる。
思いっきり生きてみる。なかなかできなかったけど 
真似するとこからやってみよう。

本当の国際交流

2012年03月24日 |  カフェ的な場で考えたこと



 「住んでみたい と思ったのは 旅行で何回が行ってはみても
日本に帰ると何事もなかったかのように日常に戻ってしまうから。
住んだら自分の中に何かが刻印されて日常も変わるのかな と 思ってね」と
2001年の8月に 留学でパリにやってきた私は泊まっていたユースで出会った
日本人の女の子たちに語ってた。

 「確かにそうですよねえ 私もアジアとか行って感動して帰って来ても
2週間くらいするともう日本の日常に戻ってて、、」そう話してくれた
彼女たち は 何日かして日本へ帰った。もうパリなんて 忘れてしまった
かもしれない。「刻印」をうけるために住むことにした私はやたらと
深い刻印を押されてしまって日本に帰ってからの世界はかつて目にしてた
世界とはだいぶ変わって見えたけど それでもあの時の1年間は
あんまりものを 見てはいなかった。たとえパリに住んでても。


 「海外に行ったところで人は結局もとの物の見方の方が勝ってしまうから
例えガイドに何か変わったことが書いてあっても「そんなはずない」と
思ってしまい 結局そういう目で物事をみてしまう」とパリのツアーで
感銘を受けてくれ、また一緒にツアーを企画しようと言ってた人が
話してくれた。ああだから 私が例えパリに住んでも
チーズは知ってるものしか買わない、見たこともないオレンジ色のや
灰色の大きなチーズ それにマルシェにいっても「???」という
ものには手が出ないのか。あの頃はワインだって友達の家で出された
安くておいしくないものか飲んでなかった。だからフランスのワインは
美味しいということを知らないままで終わってしまった。


 そんな風に 例え海外にいったところで自分の元々の物の見方は強い。
見たいもの 見えるものしかみていない のが 人間というものらしい。
ところがそこに水先案内人が居たのなら?「フランスに来たんだ。
このワインと靴下の匂いのチーズを食べてから帰りなさい!」と
宿にワインとチーズを持って来てくれたフランス人。たくさんのものを
découvrir(デクヴリール 発見する フランス人が好きな言葉。
まさに目隠しされてた覆いを取るということですね)させてくれた
フランス人たち。彼らのお陰で私は知らなかった本当のフランスを
学んで行った。なんだ こんなにも美味しいものが存在してたのか!
こんなにも素敵な暮らしが本当にあったのか 「そんなの嘘!」と思ってた
フランスのイメージは実在していた。だけどそれは
たった一人で寂しく留学生をして外国人とつるんでいても
決して見られないものだった。そこにはその国をよく知っている
水先案内人が必要なんだ。それは京都観光でもそうだと思う。


 本当のその国やそこでのあり方を 誰かが案内してくれたなら
そこにはdécouvrirが起こるしショックを受ける。見ているようで見たいものしか
見ていなかった目は自分の固定観念という覆いをとって
「こんなのもありなのか!!」と違う何かを見させてくれる。
そういえば私が「そうだ!カフェだ!」とインスピレーションを受けたのは
アムステルダムで活動家たちが集うという、かっこいいベジタリアンなカフェに
連れて行ってもらった後のことだけど、それはオランダ在住の知人が
いろんなところに連れて行ってくれたから。そうして観光では
行くような場所ではなかった 彼らのライフスタイルに密着している
カフェを見させてもらって度肝を抜かれたというわけだ。

 そうして私たちは揺らぎ始める こんなの、、、ありなの?
こんなの、、、あったらいいなあ?あったっていいはずじゃない?
どうしてそれが可能なんだろう?どうやったらできるんだろう?
彼らにそれができるのだったら 私にもできないはずはない、、、


 そうして肌で何かに触れてしまうと 私たちは変わり始める。
いくら本や映画や講演会で何かを言われても「そーんなの
あんたが特殊だからでしょ!私には無理!」で終わっていたものが
実際に肌で触れ、しかも目の前の人もどうも自分とたいして変わらない
同じ人間なのだと(まさにカフェみたいなところで飲食をともにして)
感じてしまうと どうして自分にはできないのかと不思議に思ってしまうだろう


 同じ人間なのに、、、な


 そう 同じ人間なんだから。


 そこですごい揺らぎが生じて しかもそれがグループ単位だと
彼らが自分の場所に戻った時に 一人じゃないから共有したイメージをもとに
何かをすっと変えて行ける。そこでは一人きりで物をみてきてガツンと
衝撃を受けた人が抱いてしまう孤独感は存在しない。むしろ一緒に
前にすすめる。それがグループの強さだろう。


 本当の国際交流っていうのは そういうことじゃないのだろうか。
日本で茶道を経験してみて「あー正座ってなんて大変なの!かたっくるしいわ
一杯のお茶飲むためにこれ?」と思うフランス人。そしてもてなした側の
日本人は「なんだよちょっとくらい我慢しろよ!」と思って終わる。
それが真の国際交流?歌舞伎とか民謡みてればそれでいいの?
それよりも何かにドーンとショックを受けて じゃあ自分の立場では何ができるか
それがいいならどう取り込むか そうやって受け入れること
お互いにいい面を学び合うこと 表面を触って知ったかぶりになるんじゃなくって
そんな心と心が打たれ合う経験の機会 もっと作り出してみたいなあ

他人の目

2012年03月21日 | 日本の「空気」


 先日友人が住んでいるシェアハウスに 
京都でカフェをしている共通の友人を呼び その子と
話をしようと思っていたら あれよあれよという間に
沢山の人が集まって、「私も話したい!」「私もききたい!」
まぜてまぜて 私も人生の転機やねん、、、というわけで
コンビニに日本酒を買いにでかけて1時すぎまでみんなで
いろいろ語ってた。


 どうしてこのタイミング で? 

 どうしてこのタイミング で なんだかうまくコトが運んで
私たちはここで話す機会を得たのだろう?


 彼女がそのカフェを辞めるのか それともまわりの
ちょっとした期待に沿ってそのまま続けてくれるのか は 
私にはわからないけれど その時出会った女子たちの
話をきいててわかったことは 他人の目 って
おそらく私たちが意識してるほどには 意味がない ということだ。


 
 外国に行って自由で開放的な気分になっても
そのあと日本人女性の胸をいちいち締め付けるのは
私たちががんじがらめになってる日本的な価値観で どうやらそれは
宇多田ヒカルが歌ったように 外国や遠くに行っても
追ってくる。「だって私は私なんだから」というもので
自分がそれを自身で乗り越えない限り どこまでも私たちにつきまとう。

 内在された他人の目。それものすごくリアルだけれども実体はない。
そういえばフーコーはパノプティコンって言っていたっけ
本当は監視されていなくても 監視する人がどこかに外出してても
「監視されてる」そう思うだけで 人は萎縮してしまう、、、


 そしてそんな内在された監視の目である「他人の目」が
おそらく世界中のどこの国よりも強く働くのが日本だろう。
私はフランスで政治について勉強したとき ピンとこなかった。
「人間は自然状態ではオオカミである?だから法で規制を
しないとならない?」どうして?日本では法なんてたいして働かなくても
たいていの場所に秩序があった。そう 全ての外国人が地震の後で絶賛したのは個々の
日本人に内在されてる秩序の力。でもそれは他人の目 という恐ろしいものでもあるわけだ。



 フランス人のすることは 日本人には理解できないことも多い。
「フランス人は子供を産んだ後 母乳をとめる薬を飲んだりするらしい」
という話をしたらそれを聞いた人は鼻で笑った。彼らのやることなすことは 
日本人には突拍子もなく聞こえ、バカじゃない?と嘲笑われることになる。


 だけどようやく私はわかった。私たち は 本当は
それをやってみたっていいかもしれない。それも悪くないかもしれない。
だけど自分の中にすごくブレーキがかかっているから
とてもじゃないけど想像できない。まさに彼らは「想定外」。
だけど彼らの頭がおかしいわけでも人間としていかれてるわけでもなくて
もし自分にも それだけの環境やそういう状況があったなら
そうなることもあるかもしれない。その方が気持ちいいかもしれない
その選択だってありかもしれない。もっと自分の気持に素直になってみたのなら、、



 だけど幼少の頃から執拗に内在された他人の目 は 私たちを律し続ける。
私が京都で話をした人は大学3年くらいのときにワークショップで
「人にこう見られたい自分」と「本当の自分」のようなものを書いていくとき
「こう見られたい自分」しかなくて愕然したのだと語ってくれた。
その時彼には「自分」がなかった。それは「他人の目からどう見られるか」の
自分でしかなかったわけで 彼の家で出会った女の子は「もう自分の本心なんか
わからへん!」と叫んでた。本心がわからない!その気持ちはわかるけど
でもそれってまわりを気にして合わせよう合わせようとしすぎた結果のことだろう。


 この国の社会のなかで 自分を見失っているのは 何も母親だけじゃなかったようだ。
若い働き盛りの女性も 大学生も もしかして高校生も?そして年間3万人という
自から命を絶つ人たちも 自分を失い、何が一体大切なのか さっぱりわからなくなっている。
そして一番大事と思わされて来た 内在されてる他人の目 は自分のことを
責めつづける。だけど本当のまわりの人は?


 「あんたに苦しんでほしくてフランスに行かせたわけじゃない」と
うちの母は留学中に国際電話で話してくれた。「そんなに苦しいなら
カフェにでも行ってればいいじゃない」って
そこからカフェの研究がはじまった。行ってもいいの?私は彼女のために
母を喜ばせるがために苦しみながらも勉強を続けて来たと思ってた。
でもそんな母が大どんでん返しみたいなことを電話で言った。
私には何がなんだかわからなかった。

 でも今にして思えばそりゃそうだ。実在しているまわりの人や友達は
誰もその人に苦しみつづけてほしくない。苦虫をかみつぶしたような顔して
生きられるより いつか見せてくれたような素敵な笑顔でいてほしい。
内在されているのではない 実在している他人の目 は 
自分が想定しているよりも 意外と理解があるものなんだ。


 だからもう 本当は活き活きしてればまわりの人も
嬉しいんだって 人のためとかいって偽って苦しい顔をしてないで
あの時みたいな活き活きした顔で楽しいことやって
まわりを笑顔にさせたらいいんだ
まわりの人は 本当はそんなくらいに思っているなら
内在されてる他人の目なんてゴミ箱に捨てたほうがいいんじゃない?

 私たちを縛って苦しめるのは 結局自分の中にある 他人の目でしかないわけで

自分が勝手に「まわりの目」を気にし始めた瞬間に 歯車はギシギシと変な音をたて
おかしい方向に回転していく。そうしてそれは止まらなくなり
どれが本当で どれが嘘かも わからなくなり 深く貼付いた仮面は
自分一人ではもうはがせないほどになっている。


 他人の目 は まだまだ私たちを縛ってる。でも足をひっぱりあうんじゃなくて
もっとみんなが活き活きできたら?私もあなたも 応援するよ!
そんな風にやっていけたら 人間もっと沢山の力を発揮できるんじゃなかろうか。

giveの思想とtakeの思想

2012年03月20日 |  カフェ的な場で考えたこと


 「せっかくだから一緒にモーニング行ってみよっか」
ということで お世話になった友人と 朝から京都の喫茶店。
候補地は2コあったけど、はじめに店の前を通ったパンケーキの
有名な町屋カフェ で モーニングをすることにした。


 前日の夜はうまく話せなかったのに その日の朝は
カフェの開放感のおかげかなんだか話がノリにのり、
なんて素晴らしい議論!というのができて京都に来た甲斐を感じてた。


 沢山の話をしていた中で ふっと思い出したのは
広尾のセガフレードに居た時影山さんが話してくれた 
giveの思想とtakeの思想の話であった。


 今の社会はほとんどtakeの思想をもとに作られている。例えばカフェだと
この時間にお客さんが来たらいったいいくらお金がとれるか
一人が何時間居るとして じゃあ値段設定はどうしようか
原価率を考えて利益を生み出すためには どんな値段にすればいいのか
つまり「一人当たりいかにとれるか」という思想で成り立っている。
それが今の 当たり前な社会というわけなのだけど

giveというのは 時計の針の回転の仕方を逆方向にするようなもので
takeが不安に基づく思想であるなら giveは信頼に基づく思想?
これだけのものを与えれば、お客さんは喜んで、実はこちらが
考えていたよりも多くのものを支払ってくれるかもしれない。
例え値段が高く設定されていなくても 「これだけの空間で
この値段なんて!」と嬉しくなって誰かに伝えてくれるかもしれないし
お土産にお菓子を買ってくれるかもしれない。



 うちの息子は どうしてこんなに毎日幸せで楽しそうなんだろう、、、と
様々な不安を抱えてはよく泣きそうになっている母は彼を見て考えた。
そして疑問を投げかける。「なんで蓮太郎っていつもそんなに楽しそうなの?」
いつか素敵な「なるほど!!」という答えが返ってくるのを期待しながら。
今回は彼はこう言った。「おもちゃがあるから。カーズとか
ママもフィンマックミサイルのトミカ買ったらいいんじゃない?」
「そうかーママもおもちゃがあったらいいのかー」

 そんなことを言いながら 息子は母と置かれている星の下は同じであっても
別に明日の心配みたいなものを全くしていないからいいのかな と思わされ
心配や悩みがなければ 今しかなくて こんな風に笑えるのかなと考えた。


 もちろん人間が狩猟とか農業だとかを行ったりたくさんの発明をしたのは
「明日食えるのか」という心配ごとがあったから で それは悪いことじゃない。
だけどもう少し 心配事や不安が少なかったなら?
「明日住む家がなかったらどうしよう」と不安を抱えながら生きるのではなくて
「住む家もある 暮らして行くのに足りるお金も充分にあるし楽しめる」と
思っていたら そりゃあ気持ちやそれに伴う行動も ずいぶんと変わることだろう。


 頭の中の半分くらいがつい「心配」になってしまうのは
1つだけの道を踏み外してしまった人にとっては 特に東京みたいな場所では
生きてく術がないからで その恐ろしさといったら半端ない。
だから自分のやりたいことをもう少ししたいと思ってみても
この選択肢のない中で「そんなの無理!」としか思えない。
そして不安がもっと増大していき 人々は守りに入る。
まず家を買わなきゃ そのためにはいい企業に入って35年ローンを払って
夢なんてもうどうでもいいから お金の支払いをしなければ、、、


 不安は不安を増大させる。そして人々が不安になったら?
誰が特をするのかって それはだいたい物を売る側だ。
不安で頭がおかしくなりそうな時「これさえあれば!」と
思わせておけば彼らはそれを買いに走る。それが100万の壷であっても
1万円の化粧品だとしても それらが恐ろしい不安から守ってくれるなら
少しでも幸せになるために 人びとはポーンとお金を払える
だって不安に満ちた生活は本当に苦痛に満ちているから。


 だけどもし そうじゃないあり方があったなら?
信頼は人を元気にさせて 才能を伸ばしてくれる。
そこにお金がつくのなら?そのスピードは倍増される。
キャトルセゾンの社長さんが私にコラムの執筆をお願いしてくれた時
私はあることに気がついた。なんだ才能なんて関係ないんだ。
それよりむしろ信頼なんだ。そこでだれかが「わかった あなたに
任せましょう。」と言ってくれたとき しかもそこにお金が関わる時に
人はそれに応える自分になれるように必死に伸びて行こうとする。
あの人の信頼に添えるように 私に任せてくれたんだから。
そうしてく中でその人の才能の芽がどんどん開花されていく。
何度も壁にぶちあたり、何度もダメだしされてく中で。



 思えばパリのカフェツアーもコラムの執筆もパリビストロの
仕事も全ては「信頼」が先に立っていた。それらはgiveの
発想だった。それは「私に十分な才能があるから」ではなくて
だれかが「きっとやってくれるだろう」と信頼してくれたお陰で
結果として形になったものだった。giveの思想にはリスクが伴う
もしかして うまくいかないかもしれない。だけどそこに
賭けてみる。自分の判断や信頼というのに賭けて何かをまず与えてみた時
沢山のものごとは 今までの社会のものの見方と全然違った方向に
回転をしていくのかも。


 giveの社会とtakeの社会。どちらもこわいしリスクは伴う。
でもgiveはリスクをとる方で takeの社会はリスクを避けて
保身に走る方かもしれない。giveの方には神様や人、そして自分の
やろうとすることに対する信頼感があるのかも。
固定観念にがんじがらめな方よりも 私はgiveの社会に
きっと魅力を感じてる。不安にがんじがらめにならないで
ちょっとずつでもコトを起こすこと もしかしてもっと幸せな未来が
giveの社会にはあるのかも。

京の生活の豊かさ

2012年03月20日 | 京都とカフェの物語


 ちょうど1年ぶり の あの街に降り立って
せっかくだから!とカフェ巡りをはじめてみると
なんだこの都市、、、やっぱりすごい と 奥深さを感じることになる。


 京都はカフェの質が高い。

 そして京都にはカフェのある生活が当たり前に存在してる。


 そう そんなの当たり前だったけど 1年間あの場所を離れてみて
違う土地で生活をすると なんだかあれってぜいたくなことだったんだ、と
ようやくわかってみたりする。




 京都に住みたい はじめてそう思ったのは 大学1年の時だった。
環境活動を通して出会った京大生の友達が カフェを活動の場に使っていたこと
大学生であるというのに けっこうみんなおすすめカフェを持っていて
カフェが日常の一部に組み込まれているということ
それが私には驚きだった。京都、、、なんだか東京とはずいぶん違う。
私は京大生にはなれないけれど 大学院なら可能性はなくもないかも?
そう思ってダメもとで出した書類が何故だか通って私も京大院生になってしまった。


 大学生のころに私が知ってた京都というのは 銭湯があり
自転車があり 誰かに自転車を貸してもらったり 誰かの後ろにのせてもらったり
日常にカフェがあり 友人たちはその店のマスターと気軽に口をきいていて
おすすめの店が何軒かあり 彼らはたいていシェアハウスみたいなところに住んでいて
家賃は3万円前後でいい暮らしをしたりしていた そんなのが私の憧れた京都であった。


 懐かしい、、、6年くらい住んでいたはずなのに どうして?と思うけど
子供が生まれて京都の郊外にうつってからは 例えちょっとカフェに行けても
大学院の時のようにゆっくりすることなんてできなかった。
でも今回はカフェに入って特に明確な目的もなく、まあちょっと絵でも
描いてみようかとか そう 「カフェに行くためにカフェに行く」だなんて
とても贅沢なことを堪能できた。


 なんだかバカみたいな話だけれど パリ パリ と言っていたのに
京都のカフェには出会いがあった。ライブに子供を連れて来て その子は
絵本を読んでいる?そんなカフェがあるというのか そうかここなら
遅くなっても自転車ですっと帰ればいい。満員電車なんてないから
東京みたいに夕方4時すぎたら子連れでどっか行くのはアウト!なんて
ことがない。シェアハウスに子連れで住んでいる人もいて そうしたら
私みたいな客人がやってきたときに 子供を2階で寝かせて自分は
みんなとお酒のみながら会話 なんてことも可能らしい。
なんだ 京都 いいじゃん、、、!!


 インフォーマルパブリックライフ?そういえばここにはそんなのがあったらしい。
商店街は歩く人たちで賑わってるし けっこう色んなイベントもあるし
ゆるい空気もただよっている。有名な百万遍の手作り市なんて
インフォーマルパブリックライフそのものかもしれない。ここから生まれた
有名なカフェ 御多福珈琲は四条にカウンター中心の店を出してそのお店は大賑わい。
手作り市にはアーティストもいればパン屋さんも 小さなカフェみたいなのも
マッサージサロン?も変な人たちも溢れてた。老若男女の溢れるお寺構内の
手づくり市は アーティストたちの登竜門。


 そんなのがあったなあ、、、あったんだよなあ


 今更だけど 京都っていいところだなあ
パリへの想いは相変わらずあるのだけれど でも
いつか住めたらそのあとここに戻ってこようかな
そしたらそのころにはフランス語の先生にでもなれるだろうか
京大かどこかで少し雇ってもらえないかな?そういえば
フランス人のガイドの資格もあるから それを活かして
何かをするのも面白いだろう。フランス人が夢見る京都
私は京都という場所にいながら いつもパリを夢みてしまって
御所を縦断しながらフランスのラジオを聞いていたけど
いつの日か 相互作用みたいなものが起こせたのなら
それは面白いかもしれない。




 京都の町家 お金のかからないシェアハウス
交通費のいらない自転車暮らし 子連れでも行けるカフェでのライブ
やたら色んな店で出会う玄米のごはん 質の高い珈琲と喫茶店
そして人と話すのが好きな人たち 青春時代を例え過ぎても
ここでは18歳のころと大して変わらぬ話があった。
喫茶店のカウンターと主人との会話 常連さんの変わらぬ日常
緑の中を流れる鴨川 そしてもうすぐ咲く桜。 鴨川沿いでのゆるいお花見
着飾っていない舞妓さん。京都では当たり前の町家カフェや
中庭にある灯籠 そしてやたらセンスのよすぎる文具店。


 京都はなんだか等身大だ。こんなにお金をかけずに生きることが
可能なら 私だって生きられるかも こんなにお金をかけずに
生活ができるなら もう少し好きなことに力を注いでても生きられるかも
そんな可能性を匂わせてくれる街。 もし今度京都に住むなら
今度は荷物をぐっと減らして 街中に住もう。そして15年後も
やっているはずの ゴゴの常連さんにもう一度なろう。


自分らしさ?

2012年03月12日 | 日本の「空気」



 「出るくいはうたれる。」

 フランスに来て自由な空気を吸って開放的な気持ちになった
日本人たちが ちょっとフランス人の友達でもつくってみようと
勇気を出して ミッシェルが主催している「お茶会」という
交流会に参加をすると まず目に飛び込むのがこの言葉。



 沢山の日本人が出入りしている彼の家には
広いすてきなキッチンがあり そこに掛けられた
ホワイトボードにこの言葉が書かれてる。ホワイトボードの
他の言葉は この家に来る人たちに書かれては消され 違うものになるというのに
もうおそらく2年以上も この言葉だけは残されたまま。


 パリに来て一番印象を受けた日本の言葉。
なんでまた パリに来て こんな言葉に出会わないといけないんだ、、、

 私にとってこのホワイトボードの上部にへたくそな字で書かれた
「出るくいはうたれる」というものは 忘れられないものだった。


 
 「出る杭は打たれる。」

 どうしてこの言葉だけが消されることがないのだろう
これをみて どれだけの日本人がウッとなったことだろう
だいたいパリなんかに住もうとする日本人は 大抵の人は
出る杭として打たれたことがある人なわけで
パリ在住の日本人はやたら変わったというか 変な人が多いのは
多くの人が認めるところだろう。


 私はこの日本の人生の中で さんざん打たれてしまったから
もう自分というのが何なのか 半ばわからなくなっていた。
最後の抵抗みたいな感じで 水の中でバタバタもがくことはあったけど
私にはよく自分というのがわかってなかった それに自信なんてこてんぱんに
砕けちってた。それは恐ろしいことだと思う。


 オギャー!と生まれた瞬間に 子供たちは何かを強く主張する。
おっぱいが欲しい、こんなんじゃやだ、もっとこうしたい!
そう強く主張できるのは それが通ると知っているから
まさかそれが拒否されるなんて思いもよらない。
生まれたときから自信がない赤ん坊なんていないと思う。
彼らは自信に満ちてこの世に生まれ落ちてくる。
愛情?注いでもらえて当然でしょうママ?ご飯?もちろんおなかがへったらもらえるものさ!
そんな感じで彼ら異星人はこの世に生まれ落ちてくる。


 だけどどうしてなのだろうか そんな自分という揺るぎない
存在に対する主張や気持ちに満ちた彼らは いつしか
自信を失っていく。それはもちろん人により
そうならないで 自信をもって生きられる人もいたりする。
だけど私が今まで会って来た人たちの中で言ったら
いかにも自信に満ちてそうに生きている人なんて
ほんの一握りしかいなかった。多くの人は「私なんて、、、」
と自信がない中なんとかがんばって生きている
私の目にはそう映っているのだけれど。


 なんでそうなってしまうのか 私にはよくわからない
自信に満ちた赤ん坊や小さな子供が こてんぱんに
自信を喪失するまでに 一体どれほどの事件があれば足りるのだろう?
少なくとも私の場合は人とちょっと違っていたから けっこう
いろんないじめがあった。昔外国に住んでいたから?
髪の毛が茶色かったから?まずは外人!と言われていたし
顔の横にあるホクロのおかげで小学校は男の子たちに
さんざん嫌な呼ばれ方をした。いわゆるいじめみたいな雰囲気に
クラスがなってたこともある。下駄箱で画鋲が入っていたこともある。
だけど私はあるときわかった。なんだあんたたち
つるまなかったら何もできないんじゃん!自分の意見も言えないくせに!
それで私は もう仲間らしいものにいれてもらえなくても
自分として強くなろうと 5年生くらいの時だったかに決意した。
それでも道はきつかった。


 さんざん?そう さんざんだった。 自分の意見を発したことで
さんざん批判をされてきた。それは言い方も問題でもあったのかもしれない
だけど私は出る杭だった。出たくて 叩かれたくて出たわけじゃない
そうじゃないの?それって大切なことじゃないの?と感じてコトを起こして
それらのコトが そう いつも 自分が思っていたよりも
重大な結果を招いてしまっただけだ。そうして散々なことを言われて来たし
散々私は脅されてきた。「受験をするなら退学届けを出してください」
「職員会議にかけますよ」「校長の首が飛ぶかも」
「そんなこと言うんだったらもう朝ご飯は作らないからね!」
大学院にしたってほとんど追い出されて卒業できたようなものだと思う。
そんな私に 自信を持て という方が むしろ無理ではないのだろうか?

 
 けれども私はなんとか生きた。そうして今までこの世に存在するわけで
散々叩かれて来ても どこかで誰かの意見が変わったりする
「環境問題は大切ですね」「環境対策をやりましょう」「はあ?カフェ??」と
さんざんバカにされたようか顔して聞かれたカフェの研究も
今ではなんとか共感してくれる人たちを沢山みつけることができた。
だからやってこれたのかもしれない。今にみてろ!と思って来たから


 だけどできれば 本当は打たれてなんかいたくない。
本当は「まあ素敵!面白いね!一緒にやろう!」と言ってほしい だけど
そんなことはまれだった。「はあ?」というのばっかりだった
だから私はこわかった。いつだって 自分の意見はなるべく言わないようにしていた
批判も断罪も怖かったから どうして私が書くかって?
それは私が向いあっているのはパソコンや紙であり
私を面と向かって断罪する誰かではないからできることなのだろう。



 そんな私に ようやくクルミドというカフェでの仕事に慣れつつあった私に
喫茶店の社員の人が「飯田さん もっと飯田さんらしく
働いてくれたらいいんですよ」と言ってくれて驚いた。


 自分らしく??


 「この店はそんな店を目指してますから。みんなが自分らしさを
発揮して その人目当てにお客さんが来てくれるような、、、」


 そんな話は聞いてはいたけどいざ自分ごととなると
私は一瞬途方に暮れてしまった。私らしいって何だろう?
私が最近わかったことは 私はさんざん自分を偽って来たということだ。
それはおそらく 自分らしさを出すことと 社会的軋轢との
関わりの中で 自分が苦しまなくてもいいようにと
無意識にとってきた守りの姿勢だったかもしれない。
私だって怖かったから。私だって痛かったから。例え泣いても
助けてくれる人なんていなかった。だからくそ!!と思う意外に
立つ方法なんて存在していなかった。私が『cafeから時代を創られる』を
書いたのは 「女は子供産むことが一番の幸せ!!」という考えの
見本のような愛知県の吉村医院を見学に行き、そんなのは耐えられないと
家のトイレで嗚咽した後のことだった。


 私はたいてい 誰かの期待に応えるように そう
「求められるいい子」になろうとして頑張って来た。
だけどそんなの無理だった。学校の成績だけは良かったけれど
悲しいかな30年経った今 日本で受けて来た学校教育の
大半は意味がなかったとしか思えない(国語と歴史と家庭科は役にたったけど)
そうして私が「それでも!」と自分の道を行こうとすると
そこには軋轢しか待ってなかった。それはいつもそうだった。


 そんな私がちょっと自由で自分らしくなれたのは
フランスという国の空気やゆるさや自由さやどうでもよさのおかげだろうと
思うけど 相変わらずこの日本という場において 「飯田さんらしく」と
言われてみても 私の頭は?で一杯になってしまう。
私らしいってどういうこと?私は予期せず クルミドの人たちの前で
私が思う私らしさをフランスで出してしまった
それは細胞が喜ぶような美味しいものを食べたときとか
思わずみんなが帰国する前に一人一人とハグしてしまったりとか
ちょっとワインを飲んだときとか フランス人たちといるときだとか?
生真面目な私を捨てて 自分らしくなってしまった
だけどそんな私は 他の人たちが目にして来た私とは全然違うと思う。
蓮太郎とアホなことをしているのは楽しいけれど
とてもじゃないけどそんなシーンは他の人には見せられないと思うくらい
この国のコードの中には存在しない いやはみ出てる それが
本来の私なのかもしれない。だから私は外国にいくとちょっと嬉しくなるのだろう
だってアホなのも、社会について思うことがあったりするのも
もっと自由に生きていたいのも 私だけじゃないと思えるから。


 日本でもっと20年以上貼付けて来た仮面を脱いで
自分らしくいられることはできるのだろうか?
そんなこと 問うたことすらなかったけれど
できることなら 私だって自然な顔で笑っていたい。

あれから1年

2012年03月11日 | 私の人生


 3、11から1年が経過して 世界中で
誰もが色んなことを思った日なのだろう。
私はまわりの人たちほど 復興関連で何かを
頑張ったりとかしてはいないので 何か言うべきことも
言えるようなことも特にあるわけではないのだけれど

 それでも私にとってもこの日を境に人生は
激変していって 何だったのかな 何だったのだろうと
今日はぐるぐる考えていた。きっとみんなもそうだろう。


 人生の分岐点にありそうに見えた3月 私はわけがわからなかった。
一体何が起こっているのか?家にテレビがなかった私は
リアルタイムで情報なんて入ってこなくて ようやく次の日
友達の家に行かせてもらってテレビを見るとすごいことになっていて
それでもやっぱり 頭の中はわーっとなってて
何をどうすればいいのかも さっぱりとわからなかった。
できる限りの援助はしよう そう思って2日ばかりいろいろと
動いていたけど 爆発が起きてからか 色んなことが我が身に
降り掛かり いつからか私は航空券のサイトをチェックするようになっていた。


 私にとっては この1年は いろんなことをしたかったけど
やりきれなかった そんな1年だったのかもしれない。
沢山の知人が復興や支援の活動をはじめていく中 私は
自分の私生活のごたごたや自分の人生でもう手一杯になってしまった。
先行きが全く見えない そういう点で 私は福島の人たちに
共感をしてしまったのかもしれない。私は直接の被災者ではないけれど
結局のところこの日を境に人生がゴロっと変わり
わけのわからないまま わけのわからない選択をして
以前にはあるかと思ってた道とはなんだか違う道を歩んで
だけど目の前にはまだ小さい我が子がいつも傍らにいる。


 はっきりいって  どうしていいのかわからない


 それがこの1年間の私の状況だった。それは個人的な体験かもしれないし
だけど避難したという点やこれでも母親であるという点で
福島で見聞きした話にはやたらと共感してしまい
私はほんの少し 救われたような ああ辛かったのは
道が見えなくてもがいているのは 私だけではなかったんだ と
なんだかやっと 友人を見つけたような なんだかそんな気持ちになった。


 私は沢山の卵を割った。それはこの事件のせいでもあった。
だけどオムレツはつくれなかった それは半生のままだった。
けれど今日 フェイスブックで知人が「この1年はマイナスを
ゼロにするとき これからはプラスにするとき」と書いていて
そうかもな と 思えたから 少し前を向ける気がする。
人はどん底に陥ったとき あまりのどん底のせいもあり
やたらと前を向いてみたりする。私はこの夏が最悪だったけど
夏に書いたブログやノートをみてみると やたらと前向きでもあって
何でだろう?と思うけど そうでもしないと生きて行けない
そんな現実があったからだろう。辛いとき 夜道を20分間歩きながら
私はアフォーメーションを繰り返してた。どんなにそれらが
信じられなくても とりあえず口に出して繰り返してみた
そしていつか 何ヶ月か後に 「もしかしていけるんじゃない?」と
思えるような時が来た。それは本当に不思議なことだ。


 何も信じられなくなってても とにかく声に出して
何度も繰り返しその言葉を発してみること
そしたらいつか 意識から無意識にまでその言葉が落ちて行くと
どうも夢を見るらしい。夢でもそんな意識になれてるということは
自分の意識が相当変わったということで 口に出す 声に出す
どんなに信じられなくてもとりあえず言ってみる って
大切なことなのだと思う。


 この1年は 散々だったような気もする。でも一方で
いい出会いだってあったわけで どこかに向かって 去年の今より
確実に何かが形になっているようには思う。ただの夢想に近かったことが
だいぶ近いレベルまで来たような、、それでもまだまだ遠いような

 私は割った卵の分だけ オムレツをつくることができるのだろうか
できること と できないこと がそれなりにわかってきた今
書く ということ それはやっぱり大事にしたい。

サードプレイスでの革命

2012年03月10日 | サードプレイスとしてのカフェ


 「今日はお店がいっぱいだから、フランス語は
お店の上でやりましょう」と案内された場所 は
マージュ西国分寺というシェアハウスのコモンスペース。
そこには大きなテーブルがあり クラシックなんかもかかってて
カフェでできないのは残念だけど それはそれで悪くないかと
静かな環境でフランス語教室を開催してた。へーこんなとこなんだ。
けっこういいとこだったなあ これからはこっちでやるのもいいかもな


 そう思いながら帰り際にiPadでフランスの童話を読むと
'mage'という単語が載っていた。そういえばマージュってどういう
意味だろう?と単語のところを触ってみると
魔法使いとか キリスト誕生の時に東方からやってきた
3人の博士のこととか書いてある。へーそうなんだ、
なんだかそれは意味深い。ああ だから あの空間は 
魔法のようなことが起こるんだ。


 不思議なことに クルミドコーヒーという名前のカフェで
私が時を過ごしていると なんだか魔法のような
偶然のような でも偶然にしたらどうもできすぎているような
それでいて何気ない顔してやってくる
そんな出会いがたいてい起こる。それは私がそのカフェで
働いたあと ちょっとどうしても去りがたくって
もう少しだけ居たいと思って席に着いたときにたいてい起こる。
もういいか 帰ろうか、、、やっぱり早く帰らなきゃ。


 どうして出会いというのはそんな時にばかり起こるのものなのだろう?
そういえばウィーンのカフェでもそうだった。有名なツェントラルという
カフェの中で どうしてここにはいろんな人たちが集ったんだろう?
カフェには特に何もないというのに?と考えていた。私には
それが不思議で仕方なかった。そのカフェは宮殿みたいな建物で
天井も高くて内装は素敵なのだけど なんだかガランとしているような
私には結局わからない カフェにきても手持ち無沙汰だ、、、と
思っていた まさにその時、目の前にあったグランドピアノに
座ったおじさんが生演奏を始めてくれた。




 こ これは、、、 立ち去りがたい。


 まあいいか 急ぐ理由もないことだし と 座っていたら
なんだか絵でも描こうかという気分になって 彼の絵を描いてたら
何曲か弾いたあと、おじさんは私のところにやってきて 「これは私のことか?」
と聞いてくる。そうだ、とうなづいてみると彼は「じゃあ日本の曲を
弾いてあげよう、、、」と私の知らない日本の曲を弾いてくれた。
言葉はわからなかったけど 私は絵を描き 彼はピアノで
心から交流できた気がして 本当に嬉しかったのを覚えてる。


 ああ だから こんな出会いが次々あるから 

 もう立ち去ろう。 そう思ったまさにその時

 ドアがキィっと開いて誰かが入って あらあの人だ!という出会いがあって
そんな出会いが次々あるから だから立ち去れなかったんだ。


 だからカフェに集った彼らはあんなに長いことカフェにいたわけだ。




 誰だって 1日ずっとカフェにいようと思っていたわけじゃないだろう
だけどそこには魅力があった。カフェはベルトコンベアーのように
自分は同じ場所にいるだけで 他の人々がやってくる。
だからカフェは立ち去りがたい 家とは全然違う魅力があるのがカフェなんだ。


 そしてなんだかクルミド という 場所はそんな魅力を持っている。
それは私が中に入って知り合いが増えたからかもしれないけれど
今日は本当においしいイチゴの焼きたてケーキを堪能した後
帰ろうと思っていたら影山さんが地下に居て ちょっと話しかけたら
いろんな話題で盛り上がり とても嬉しくなってしまった。
影山さんは私の次の本に関していろいろと構想を練ってノートに
書いてくれてたらしく そんな人がいるものなのか、、、!と
思っただけでとても嬉しい。


 そう それで話していたのだけれど


 サードプレイスという場所は きっともっと可能性を秘めている。
それはカフェもそうかもしれない それはオルデンバーグの本に
書かれているようなことも 書かれてないこともきっとある。
きっと そう カフェや力をもったサードプレイスという場所は
いつの時代も革命的な場所なんだ。そこでは人間の本来の力が
発揮でき そこにいる人たちがどんどんとクリエィティブになっていく
そんな魔法のハコが カフェであり サードプレイスなのだろう。
(カフェに入る前と後では4倍頭が良くなっていると
モンテスキューは言っていた)


 オルデンバーグは書いていた。


「日常生活においては本物の歌手でもダンサーでも詩人でも雄弁家でも
心理学者でもコメディアンでも賢人でも印象派でも、賭博のやり手でも
大根役者でも英雄でもない人たちでも、サードプレイスに行けばきっと
そうなることができるのだ。そこではステージが開かれていて、どんなに
演技がまずくても、観た人たちはそれをほめてくれるのだ。
アマチュアたちにとってこれ以上励みとなることがあるだろうか?」
(Ray Oldenburg 'The Great Good Place' p.59)


 なぜ 他の場所ではふたをしないといけないようなことが
サードプレイスでは言えるのだろう?なぜ他の場所ではできないことが
サードプレイスではできるのだろう? それは誰かがそんな誰かのあり方を
「それでもいい」と許したからなのだろか。息子が私に言ってくれた。
「お母さんちょっとおかしいかな?」「おかしくってもいい!」
そうやって肯定されれば それで一緒に笑えれば そっか まいっか
どうせバカだし いやむしろ相田みつをのように「人間だもの」と思えさえする。


 私は今日お風呂に入ろうと思って服を脱いでお風呂場の扉を開けたら
お湯が全く張られていなくて驚いた。何てバカな!と思ったけれど
フランス語で息子にC'est pas grave, C'est la vie...
(たいしたことじゃないよ そんなこともある(それが人生さ))
と思わず言ってみたら まあいっか それくらい と思えてしまった。
そう 別にたいしたことじゃない、、、

 フランスはそういうのがゆるかった。日本では許されないようなことも
山ほどc'est pas grave...といって許されきた。人間だもの そういう時も
あるんじゃない?人間だもの そういう空間の方が気持ちいいんじゃない?


 オルデンバーグによれば、平均的な人々が演じている、外の世界での
社会的役割の体系は、人間の活気ある表現欲求を満たしきれないし、
人は自分のイメージを意識して、クールであろうとするものらしい。
普通の人は、スーパーで歯の間にバラをはさんでダンスをしようとはしないし、
映画館で列をなして待っている間に好きなバラードを歌ったりもしない。
じゃあどこでそういうことをするかって? ふつうの人はそんなことをしようとすら思わない。
平均的な人はシャワーをしながら歌ったり、朝ご飯をたべながら小さな声で
配偶者に話をすればそれでこと足りてしまうのだとか。
(The Great Good Place, p.59)
でも本当に?そこに彼は疑問を投げかけた。
本当に?それでいいの?


 日本では自分の中に他人の目がしっかりと内在されている。
「そんなんしたらお隣さんに嗤われるえ」「ありえへん」
京都のカフェで私が耳にし続けたのはそういったたぐいの断罪だった。
だからしっかりと枠からはみでることのないように
「恥ずかしくない」人間がつくられていく。それはあまりに
意識されずに行われる教育だから どれくらい強い社会規範が
自分の中身を統制してるか そんなことには自分ではもう気づきもしない。
本来の自分というのがどこかで少し叫んでいても
内在された「他人の目」はどこまでも自分をおいかける。
外国にいってちょっと解放された気分になった日本人女性を後から
責め立てるのは 他の誰でもない まさに自分の中に内在された
「他人の目」で だから私たちはわけもわからず時折涙を流してしまう。
どうしてなのかはわからないけど 「許されない」と思うから 
外国や遠くに行っても自責の念に責め立てられてしまうのだろう。


 だけどそれが許されたなら?

 いいじゃん別に! 人間だもの そんなことあるよ
やってみたらけっこう楽しいもんだよね 
本当は私だってできることならしたかった って
誰かが認めてくれたなら?私は今日なんだか嬉しい気分になって思った
本当は私も踊りたいし 歌いたい 嬉しいときは嬉しいダンスをしたいと思う
(でも一人じゃ恥ずかしくてできないので蓮太郎を誘うけど)
アホなことをするのも本当は楽しい。身体を思いっきり動かすのも
叫ぶのもきっと楽しい 本当はそんな自分がいたはずなのに
子供のころの自分 きっと息子のようにのびのびしてた自分は
どこかに消えてしまってた。だけどそんな力を発揮したなら?


 少なくとも 例え上手に笑えなくても
笑顔の方がまわりは嬉しい。へーあの人 こんな風に笑うんだ、、、
そんな顔するんだ、って いい顔して笑ってくれたら
まわりはもっと嬉しくなる。いいよ 本当はいいんだよ
意見を言っても 踊っても 歌っても 自分の気持に素直になっても
もう少し自分を出していいんだよ きっとそしたら 勝手に
人がつながっていって 勝手になにかがうまくいく、、、


 サードプレイスがそんな拠点だったなら いやきっと
昔のモンパルナスはそんな場だった。ロトンドに行って
人生が変わってしまった人たちは きっと何かを「見た」のだろう
自分が今まで属して来た息苦しい世界とは違った「何か」を
そんな人たちも「ありうる」ことを 想定外ではなく
現実に存在することを。そこで自分の中に革命の風が吹いたのだろう。


 そんなの も ありなんだ、、、


 たった一匹の猿が芋を洗いはじめたことで 100匹が変わることもある
誰かに起こった革命は まわりの人たちを変えていく
それは社会的圧力に対して自分がもっと 直感や欲求に従った結果だろう。

 それでもいい そんなのもあり 別にたいしたことじゃない、、、
例え他の人や規範とは違っても、、

 そこから何かが始まっていく

 サードプレイスやカフェというのは そんな場所になるのだろうか
なりうるだろう だってきっと 今までもそんな力が働いていた
そしてこれからもきっとそうなのだろう。

 時代にはその時代の思想を 思想にはその自由を。

思想の自由のためには?まずは自分がとらわれから解放されていくことか、、、


福島との関わり方

2012年03月08日 | 福島見聞録

 「もう考えるのをやめたんだ。」

 それが投げかけた質問に対する はっきりとした返答だった。
どうして彼は東京に居続けることができるのだろう?
私には不思議で仕方なかった。だから私は彼に尋ねた。

「みきちゃんには未来があるから避難した方がいい。」

爆発の後、どうしたらいいのか不安で仕方なかった私に
沢山の有益なアドバイスを暮れた大学時代の友人は
西日本の驚くほどのんびりした雰囲気の中で一人
パニックになってた私にフランス行きを勧めてくれた。
「頑張ろう!日本!!」のかけ声の中、そんなのありかと
思ったけれど 彼は「未来があるから」と言ってくれた。
それが私には本当にありがたく 命の恩人のようにすら思えてた。
フランスに行って何週間かしたときに 「ほらね!
みきちゃん、プルトニウムが発見されたよ!あー今
もうフランスなんだね ほんとよかった、、、」と電話口から
彼の安堵する声がきこえた。


 福島に行ってから 顔をつきあわせて話す機会は
なかったけれど いろんな事実を知った後 彼に
「一体どうしてそれなのに東京にいられるの?」と
尋ねてみたら 前述の答えが帰って来たというわけだ。

 「だってそうしないとこんなところで生きられないよ!」
そう まったくその気持ちはよくわかる。私は福島に
行ってから体調を崩し、1ヶ月に2回も寝込んだので
そして友人たちによれば「それは放射能云々じゃなくて
考え過ぎ!」ということなので もう考えるのをやめにした。
私も普通に戻りたかった。もう放射能なんてなかったことに
すればいい。いちいち気にして外食をしたら 何一つ美味しくない。
だいたい内部被爆をしていたところで 私は今こうして
東京にいられる喜びの方が大きいように思えるわけで
「避難!」「命!」「放射能!」ただそれだけで 
全てを一気に捨ててしまって 見知らぬ土地で新生活ができますかって
私はそんな器ではないと思う。だいたい今頃面白そうに思える
京都にしたって 5年もいたのに全然なじめなかったじゃないか、、、


 私が達した気持ちの上での結論としては 長期的には
避難を考えた上で、今は多少のことはしょうがないので
もうなかったことにして(そうプルトニウムも放射能も。
だって気にしてたら気が狂うのがよーくわかった)もう
マスクだってしたくない(だって1日中してた後に
インフルエンザにかかったりもしたわけだから)
だったら免疫力を高めて いつ終わるかわからない
人生をもうちょっと前向きに楽しんだ方がいいではないか?
放射能がどんなに怖いものであっても その影響が来るより先に
精神的な抱え込みはもっと人をむしばんでいく
(だから私はミスター100ミリの言うこともまんざら嘘ではないと
思わなくもない、、、「心配し過ぎが一番良くない」)
私は自分の体験を通してそう思ってしまったから
彼が結論づけたように「考えることをやめてしまう」
もう福島さえも 忘れてしまう それが私の身体にとって
一番いいのではないか と 思っていたわけなのだけど。


 ところがどっこい 今朝カフェにいてメールをみてたら
フランスの電子版の雑誌がもう今日から買えるという。え?
フランスはまだ8日になってないのに?いや、午前0時を過ぎたのか
ということは、マリークレールが発刊だ!!と
電波の弱いカフェだったのに 無理矢理電子版を取り込んで
どこどこ?どんな?と思って記事を探し当てたら載っていた。
「福島の子供達は避難すべきか?」という カラー5ページの記事だった。


 難しいジャーナリスティックなフランス語を読みながら
あーこれを載せることにしたんだなあ ああこれは印象的だったなあ
ああこれは本当に映画の最後みたいなシーンだったなと
沢山のことを思い出し 何行かごとに 福島でやたらと感じた
鳥肌のような 身体がゾクッとする感じがやってきて
だんだんとその世界に入ってしまう。嗚呼ソフィ、、、やっと
忘れかけていたのに、、、久しぶり に また 頭がそのことで
一杯になり やるべきことが山ほどあるのに「これ訳さなきゃ!」と
思ってしまう。勢いでお世話になった人に電話をしたり
フランスにメールを書いたり ああ また福島モードになってしまった、、、


 記事の中にはこう書かれてた。「もう生活を複雑にするのは嫌だと
思った人たちが 忘れるという決断をする」そう人生をシンプルに
するために。放射能 放射能と言っていたら どんなにそれが
大事なことでも たくさんの亀裂を生んで 関係性が苦しくなる。
そこで抱えるストレスと 話すのをやめるストレスと 避難を選ぶストレスと?
沢山のストレスの中で天秤にかける。そしてソフィーはこう問うていた。
彼女にとって 記事の最後はもう決まってた。日本にやってくる前に。
「それがあなただったら?あなたならどうする?」


 私は?私だったなら?福島から帰った直後、私はもう避難!という
モードになった。放射能についてもやたらと調べた。そして
たくさんの亀裂を生み出し 頭はおかしくなりかけて 生きることが
無理そうになってきた。だって子供の靴にプルトニウムがついてたら?
そんなこと考えながら生きられるように きっと人間はできていない。
だから私の身体は私の頭にストップをかけ なんと2回も「もうやめにしろ!」と
言って来た。そうして元気になった今 忘れたい とこなのだけど
何事もなかったかのように それに東京もおもしろそうだ
そう思う自分がいる一方で 時折いろんなことを思い出し
ドキッとする自分も存在している。それだけじゃない。
なんだか私は ちょっと責任を感じてしまっているんだな。


 本当は 母だったなら 息子に対する責任を 一番に感じてたら
いいはずなのに 私はこういう性格だからか 社会的責任みたいなものを
ちょっと勝手に感じてて 今回も2回記事を読み たくさん感動した後で
ああ、でもあれについては述べてないのか あああれらは割愛されたのか と
「その他のもの」になってしまった 沢山の時間や人を思い出し
「この取材で一冊の本が書けるね」と言われてた 10日間の
ソフィーの取材は たった5ページ。5ページってそれはすごいことなのだけど
でも一緒にずっと居た者からすると 5ページか、という気もしてしまう。
沢山の人がいろんな想いで彼女に話をぶつけていった。でも
雑誌には制約がある。しかもマリークレールはファッション誌。
見せ方にもこだわらなきゃいけない。すると1ページは写真になって
記事本文は4ページ。しぼりにしぼりにしぼりにしぼって 4ページになるわけだ。


 簡潔に書くということ 

 それはフランスではかなり大事にされてることらしい。
それはよーくわかるけど でも 字数が制限通りになれば
全てがうまくいくわけじゃない。そのために失うことだってある
そう 焦点を合わせるために 抜け落ちる物語は沢山あって
それは写真のセレクトと同じことだけど

 でも 福島に関していったら 私には全てが衝撃的だった。
テレビも雑誌もラジオも映画も たくさんのものを撮り
その一番いいセレクトだけを載せていく。それはそうなんだけど
指の間からするすると 砂粒のように抜け落ちて行く
物語の中にだって たくさんの想いや感情や人間模様が存在してる。
でもそれらはそこでは書かれない。撮影されても載ることはない。


 福島の物語 は カフェの物語にやっぱり似てる。

 たくさんの人の想いがあって 沢山の人の人生がある
だけど彼らがいくら感動しても いくら言いたいことがあっても
それら小さな物語 は なかなか紡がれることはない。
私は通訳だったけど 全ての記憶が私の脳みそから消される前に
書き留めておこうと思った。それはまさに見聞録というタイトルそのもので
見聞きしたことを備忘録的に書き留めておくものだった。
書いたなら 忘れてもいい でも書かないで忘れることは
私にはできそうにないことだった。だから私はひたすら書いた。
その中には ソフィーの記事からは抜け落ちたけど
おそらく2人の頭の中に焼き付いている様々なシーンもあったと思う。
ソフィーは記事では日本政府の対応や福島県や学校側の態度について
ほとんど触れてないけれど 彼女だって折に触れて怒ってた。
でもそれら は 記事を記事として一本の筋を通すために
きっと選択されなかったのだろう。


 紡がれない物語 を 紡ぐこと
書くことにどれくらい意味があり 書くことが何かを変えることになるのか
私にはまだわからないけれど やっぱり1つ感じることは
私は一人の日本人として 大切なものを見てきたらしいということだ。
ソフィーの記事もちゃんと出た今、私も物事をみてきた人として
自分なりの立ち位置をもう少し考える時かもしれない。
それはまるごと忘れてしまうのでもなく かといって考え過ぎで
体調不良になるのでもなく 120パーセントの力は注げないけれど
何か もっとおどろおどろしくない力を使って ネガティブじゃない
力を通じて 何かできることがあるのなら
私もそこに加わりたい。誰か 黒船に頼るだけじゃなく
書くということを通して自分にもできることがあるのなら
何かできたらいいのだけれど。まずは記事の翻訳か!

フランス語を教える

2012年03月08日 | フランスへの道




 「はーいじゃあ 私の後に続いて発音してください
Répétez après moi! (レペテアプレモワ!)」

 そんな声を聞きながら まだ訪れたことのない パリという
憧れの場所に向かって フランス語を勉強していた高校時代。
フランスから来たという女の先生はなんだか素敵なオーラがあって
彼女が家庭科室で作ってくれた フランス流のガレットは
日本で知ってるクレープとは全然違ってとても印象的だった。


 そんなフランス風クレープも 自分で作れるようになった今
15年が経過した今 私も彼女をちょっと真似して
今日は「レペテアプレモワ!」と言ってみた。
今日はフランス語の初レッスン。やったことがないわけじゃないけれど
今日は一対一じゃなくって2人を相手にしていたからか
なんだかこれまでより緊張をして なんだか先生になった気分。


 先生 私 あれだけフランスに憧れて やっとここまでやってきました
そう高校時代の先生にちょっと言いたくなってしまう。そりゃあまだ
わからないことも山ほどあるけど でもカフェが好きで憧れて
フランスに想いをはせて 一方で環境活動をバリバリしていた
私が今 ちょっとずつ遠い未来に近づいて来た。それはとっても嬉しいことだ。


 フランス語 は やればやるほど難しい。
へこまないことなんかない し 読めば読む程わからない。
今まで誰の口からも「フランス語?簡単じゃない!」なんて聞いたことがない
わかるためには?努力に努力をかさねることか?たとえ毎日「うーんわからん」と
思っていても?いつかわかる日が来るために?


 フランス語を挫折するのは本当に容易だと思う。
基礎の基礎らしい顔してでてくる定冠詞とやらは これまた
やればやるほど だから何?どっち?という感じだし
基礎はとっても大事なのだけど 基礎こそが一番難しい。
それがフランス語 の 一番の苦しさかもしれない。

 だけど私はさんざん苦しんでやってきたから
わからない人の気持ちや嫌になる人の気持ちだけはよくわかる。
もっと面白く 楽しく 子供が言語を身につけるように
すーっと入るフランス語というのはないのだろうか?
それがあったらかなりうけると思うのだけど
いつの日か 子供から学ぶフランス語とか
シャンソンで学ぶフランス語とか 料理しながら学ぶフランス語とか
フランス流の生き方や考え方、はたまた哲学カフェだとか の あるカフェを
やれたら面白いだろうなあ。。。


 一緒にフランス語を勉強したけどやめた人なんて沢山で
(むしろ高校や大学時代から続けている友達なんているのだろうか?いない気がする)
やめる理由もタイミング も 山ほどあった?と自分に問うたら
不思議なことに 私にとっては そんなタイミングは一切なかった。
そんな気がする。一体どうしてなんだろう?


 妊娠中に書いていた本を書き終わったときでさえ 私は
バカみたいにカフェに通って フランス語を勉強してた。
おそらくあのときお姉さんは「あんたそんなことしたってね 生まれたら
何もできないのよ バカねえ、、、」と思ってたんじゃないかと思うけど
半ば強迫観念みたいに 私はフランス語を続けてた。
どうしてなのだか息子が生まれた直後ですらも、病院の中の有線で
「フランス語を失っちゃいけない!!」と思ってわざわざシャンソンの
チャンネルを聴いていた(そんなことが体調を悪化させたのだろう)
そんな私にとっては「フランス語?やりたくてもつらい、しんどい」と
思う機会はたくさんあっても「もうやーめた!」と思う機会は不思議なことに一度もなかった。
いつまでたっても もっとしゃべりたい もっとできるようになったらなあ
そんなことを思ってた。そうして今に至ってるわけだけど


 私は別にフランス語が好きなわけじゃないと思う。
でもフランスには魅力を感じて フランス人と話をするのは大好きだ。
そのためにはフランス語がないといけない。そして何故だかフランス語を
話している自分はなんだか気持ちがよくって よっぽどか 流暢なはずの
日本語よりも フランス語の自分の方が 本当の自分な気がして嬉しいんだな。
私にとっては それだけのことかもしれない。
英語であってもフランス語でも 語彙力は圧倒的に少なくっても
なんだか本来なりたかった自分になって 本当の気持ちで話せる
日本語で話す「うっ」というような壁や自分を押さえ込むような力が
私の場合 外国語だと働かなくて それが気持ちいいのかなあ?


 フランス人はおおげさだ。フランス人は日本人より怠けもの。でも
よっぽど知的ですごい沢山のことを知っている。彼らはしょっちゅう
怒ったりむかついたりしかめっ面をしたりしていて 私はちょっとドキドキするけど
それでもなんだか人間くさい。彼らはきっと 素直に生きているんだろう。
そんな姿に 私も憧れてしまうんだろう いいなあなんだか
私もそう生きてみたいなって 私も仲間にいれてほしいな
あの大げさな議論に加わりたいなと そう思うから
くそー 今度こそ!次はもっと楽しんでやる! そう思って 私は続けていたのかも。
生のフランス 古びたシャンソンじゃないフランスは 本当に
魅力があると思う。それはエッフェル塔とかシャンゼリゼではなくて
人間があり、もがき続ける彼らの生き様なのだろう。


 いつの日か フランスで沢山のことを学んで 日本でカフェみたいな
学校みたいな場ができたらいいと思う。それは語学だけじゃなくって
人生をもっと心地よくするために いろんなことが学べる場。
蓮太郎はそこでギャルソンをするのだろうか?そんないつかの日を夢見て
もう一度気合いをいれて フランス語に触れていこう。

東京のインフォーマルパブリックライフ

2012年03月06日 | インフォーマルパブリックライフ


 「みきの本が平積みにされてるよ!」と東京の八重洲ブックセンターを
訪れた父が興奮して電話をかけてきた。え?本当??
本当なら写真とってきて!!とお願いし 後でその画像を
みさせてもらうとどうやら本当のことらしい。
喜んだ私は息子を誘って嬉しいダンスを久々に踊ったり。
何でなのだかわからないけど ついに平積みにされる日が
やってきたとは!!本当にうれしい。


 でもそれっていつまでのこと?もしかして一週間後には
終わってる?自分の本が本屋で売られているのを一度しか
見たことがない私は(出た直後は出産直後で本屋さんなんて
行けなかった)やっぱりこの目で見てみたい!と
今日は東京まで息子と母と行ってみた。




 そういえば以前取材させてもらったビストロもあったことだし、、、
と思っていたけど どうにかなるかと思っていたら、どうも出る駅を間違えたらしく
これでは息子のお腹も足ももたないだろう。まあいっか、いいとこ
あったらそこにしよう、と思っていたらまさにパリのカフェらしい
お店を発見!ビストロと書いていたのでそこにして
おいしいランチを堪能してから また丸の内を散歩する。


 以前取材に来た時に なんかこの辺ずいぶん素敵なところだなあ!と
思っていたけど 日中に大手町から有楽町にかけて歩いてみると
何があるのかよくわかり いかにあの殺伐としたビル街だった東京が
以前とは違った道を歩もうとして頑張ってるのかがよくわかる。
この緑、あたらしく植えたもの?道路にたくさん置かれている
植物の大きな鉢も?そして新しく並ぶ店にはやたらとカフェっぽいところが多い。
これって浜野さんが『人が集まる』で書いていた ニューヨークの
立ち並ぶ摩天楼の中にもグラウンド面には人間の温かみがあり、、、という
やつと一緒じゃない?並木道がありなんとなく人でにぎわう
人間味の感じられる丸の内、は なんだかニューヨークを思わせる。


 新しく置かれたであろう植物のまわりにはベンチもあって
気軽に休めるようになっていて その隣には彫刻がある。
銀座みたいに立ち並ぶ やたらとセンスのいいブランドの
ショーウインドウも 銀座ほど人を寄せ付けない感じじゃなくて
東京1のセンスの良さを感じていって!この遊び心素敵でしょう?
といった感じで魅せてくる。へーそうか 今どき渋谷とか銀座とか
行かなくっても 東京駅周辺って わざわざ足を運ぶような街になりつつあるわけだ。


 きっと昔は ただの高層ビル!の街 だったのだろう。
私は東京駅周辺を歩くたびに かなりの居心地の悪さを感じていたと思うけど
今は子連れでもなんとか歩いて行けるような 緑だったりグラウンド面にある
入りやすそうなカフェであったり そういうものが溢れてる。
(このカフェ率の高さは関内並み?)




 丸の内のインフォーマルパブリックライフのきわめつけ は
三菱1号館美術館の裏手。ここは知らなかったけど かなりの
高層ビルの1階に面した空き地がパリの公園みたいになっていて
そう大きくない緑地に面してなんと3軒もカフェが作られている!
なんてパリみたいなんだ いや パリには公園に面したカフェはあんまりないかしら?

 なんだかんだいってもちょっと殺伐としたビル街の後
このスクエアに入って私の身体は素直に気持ちがいい!と反応をして
蓮太郎も一気にのびのびとして驚いた。そして納得がいってしまった。
ああだから 私はパリが好きなんだ。だってここまさに
パリみたいなんだもん。三菱1号館美術館のレンガ造りの建物は
私が10年前に住んでいた国際大学都市の建物を思わせて
そこにはやたらと広い緑地があって ピクニックとか ジョギングだとか
スポーツだとかを好きなだけやってよかった。緑で満ちた中にわざわざ作られている
並木道も美しかった。パリにはそんなところがけっこうどこにでも
存在してる。それがやっぱり すごいんだなあ、だって 都市の中なのに!




 都市の中にいるというのに 自然があって 心地よい風や緑のやさしさを
感じられ なんとなくベンチや芝生に寝転んでいる そんなことを
日中も夜もやっていられる。それがパリの良さだった。
「みてみて、ママみたいなの見つけたよ!!」といって息子が
指差した彫刻は 裸の女の人が芝生の上で寝ているもので
私はそんなにセクシーじゃないのでは?と思ったけれど 息子によれば
「ママはぐうたらだから」らしく母によれば「公園で
寝るような子はあんたくらいしかいない」かららしい。
だけどさ、パリは公園で 沢山の人がごろごろしてる。
だって気持ちいいんだもん!本当にあれは至福の時間。
芝生から大地を感じて 見上げると桜があって 気がついたら
桜の花びらが舞っていて、、、 そこにワインやコーヒーなんかが
あったなら?最高!という他ない。パリにはそんな生活が
社会的地位やお金のあるなしに関わらず けっこうごろごろしてるんだ。




 私たちはこの心地よく立ち去りがたい空間でお茶をして
いやー東京もすごいなあ!と思いながらも「でも遠いんだよね、、、」と
言っていた。そう 確かに私が元気だったころ よく息子を連れて
なぜか六本木ヒルズを探検したりもしてたけど 東京は私には遠く
六本木ヒルズや丸の内の真ん中に住めるような人なんてなかなかいない。
ここは素晴らしいとこだけど、「気軽に来れる」かと言われたら
そこで勤めている人はきっとそうだろうけど たいていの人はわざわざだ。
パリの場合はそれがいろんなところに溢れてた。自分がいるのが
高級な地区であっても 移民の多い地区であっても 再開発で
緑が多くて住み心地のいい街がつくられてきた。だからわざわざ
遠くの「そこにしかない!」場所まで1時間かけて行かなくっても
いろんなところに心地よいスクエアが存在していて そこで
バラの匂いを嗅いでみたり ラベンダーが咲いていたり
公園が砂浜みたいになってたり、、、


 「東京にもないわけじゃない」そう思って私は子供を抱えて
いろんなところを訪ねてまわった。だけどそれらは子連れの私には
遠すぎた。代々木公園も気持ちよかった。六本木ヒルズのグラウンド面も
かなり努力をしているだろう。丸の内なんて素晴らしい!
だけどそれらはやっぱりお金持ちで そういうところに
アクセス可能な人には開かれているけど そうじゃない人にとっては
存在しないに等しいような そんな気もしてしまう。


 心地よい街 自然と笑顔になってしまって
かたくなな心もほどけていって リラックスした自分になれる
そんな街ってやっぱり魅力があると思う。そんな街には
人が集まる。そうしてお店もできて やがて経済が活性化する。
パリの街は モンマルトル、モンパルナス、サンジェルマンデプレ、
それから東側の順に栄えて行ったけど それはどこも
もともとは郊外だったり ちょっと田舎っぽいとこで
昔ながらの雰囲気がある家賃の安いところに 居心地の
よさを感じてアーティストたちが移動をしていった。そうして今では
どこも家賃が高いけど はじめから高級な街にくつろげる場所を
つくったわけじゃない。リラックスしてくつろげる街
等身大でいてもいい街 それって一体どこだろう?

京都喫茶物語 カフェでの出会い

2012年03月06日 | パリのカフェ的空間で


 「バーの中ではね、何でもいいから何かやってみると
いつも事件が起こるんだ」従兄弟のジャークが
ボーヴォワールに語った言葉。この日の言葉をきっかけに
彼女はカフェに通い始める。カフェにあった小さな事件、
それは「何でもいいから何か」でよくて
わたしが出会った小さな事件はテレビの取材という事件。

 雑誌にはよく載っているそのカフェも、テレビの取材は
はじめてらしく、1ヶ月も前くらいからマスターはそわそわ
してて、11月17日は取材が来るから絶対来てよと
言われてた。取材の時間はとても早くて朝の6時半かららしく
辛いなーと思いながらも でもマスターと約束したし
それに行ったらサンドイッチを御馳走してあげる、と
事前に約束してくれていたから 行かなきゃーーと思ってた。


 それでもやっぱり6時半はきつくって がんばって6時に
起きて支度したのに到着したのは8時頃。来ると言ってた
友達たちもその日はドタキャンになってしまって
私一人でドアを開けると あれ?予想以上に人が居ない。

 「すみません遅れちゃって、、、もうみんな
帰っちゃったんですか?」と聞いてみる。
「みーんなねえ、来てないのよまだ!!!」とちょっと怒ってるお姉さん。
かなりガランとした店内にテレビ局の人がちらほら。
取材は予想してたより早い時間で、常連さんはまだ来ずに
仕方がないからテレビ局のスタッフをいれて撮影をしたとの
ことで、ごめんなさい、、、、と謝りながらカウンターへ
と足を運ぶ。

 すると奥にはわたしの知らない男性2人。しかも若い。
あれ?この店の若い常連なんて私だけかと思ってたけど
この人も仲良さそうにお姉さんとしゃべってる、、、
こんな人はじめてみたなあ、常連さん、なのかなあ。

 撮影されるかもしれないから、とこの日ばかりは
カウンターの隙間をつめられ、わたしはその人の
隣になった。そこで会話したかどうかは覚えてないけど
ちちんぷいぷいの魔法があって、そこでみんなは
出会って行った。

 放映日は私の誕生日だったから その日ゴゴには
行けずにいたけれど、23日が過ぎてから ひとしきり
それが話題になって 常連さんは皆見てたから
マスターの顔の映りがどうだとか、あんなに撮って
CMよりも短くしか放映されなかったとか
別にテレビ効果でお客は増えてないだとか 
いろんな話が飛び交って ちちんぷいぷいという事件の
お陰で私も話の輪っかに入っていけた。


 あの朝出会った見知らぬ若い常連さんは
あんな早くに店にきちんといたくらいの人だから
いつも来るのは私なんかよりずっと早いということも知る。
9時過ぎに店に来ていた私と9時前には店を出ていた彼と、
出会うことのなかった人が事件を機に出会ってく。

 全然違う世界の人に いとも簡単にあえるカフェ。
全然違う世界の人とも 連帯感の生まれるカフェ。
テレビの取材があったとき 常連さんはあえて姿を
見せずにいたけど でも確かに みんなのなかには
この店に通う事に対する連帯感があったと思う。

 朝カフェをはじめたことで 常連客になってゆく
「僕はカフェはゴゴしか行かない」そう言った彼の
この店に対する確かな想い。みーんなそれを持っている。
同じ店で 同じ時間にコーヒーを飲んで時を過ごす。
ただそれだけのことなのに カフェがもつ威力はすごい。
ゴゴに出会って 自分で体験しなければ
論文は決して書けなかったし自分の言葉で
語れなかったと本当に思う。
(2007年4月)

京都喫茶物語 朝のゴゴ

2012年03月06日 | パリのカフェ的空間で

 京都のことを思い出していたら昔「コーヒー文化学会
ニュース」に書いた原稿が出てきました。
まだ本も形になってなかったころのお話です。

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 今朝思い立って自転車をぐーんとこいでゴゴまで行ったら
久々のモーニングに間に合った。モーニングなんていつ
ぶりだろう?もしかして去年からもう来ていなかったのかも。
あの頃はいつもコーヒーとバナナ、言わなくっても
出してくれてたお姉さん。「ここはねえ そんなあなたたちの
愚痴を聞く場所よ~」と言ってくれてたお姉さんに
会いたくなって 自転車をわざわざこいで向かって行った。

 鴨川沿いには桜が咲いて、悲しい心も少しはましに
なってゆく。昔は桜があんまり好きではなかったけれど
いつも春爛漫の陽気にのりきれない自分がなんだか
嫌だったけど でも今は 少しの桜を見るだけで
ちょっとは気分が明るくなる。京都はそういうとこがいい。




 ゴゴのドアをカランと開けると意外に店は混んでいて
ああそうだ、ここは朝が一番混むのだったと思い出す。
いつものわたしが座る席にも人は居たから、心置きなく
カウンターへと向かって行ってモーニングを注文する。
お姉さんがちょっとかまってくれたから、今大変なんだと
こぼしてみると「すんごい元気なさそうな顔!どうしたの~?」
と言ってくれる。そうなんだ そんなに元気なさそうなんだ。

 ゴゴにはいっつも来ていた訳で お姉さんは色んな顔を
知っているから そして色んな会話を知っているから
なんだか話が通じやすい。しばらくたって 常連さんとの
会話の仲間に入れてもらうと、真ん中の席にいたおじさんと
話が合って、やろうと思って持っていったことも
手につかぬまま、かなり長く語ってしまう。

 ここに来て魅力を感じたことの1つに、常連さんが
京都育ちなことがある。私にとって遠い存在の人達が
ここにはいつも通って来てて 当たり前に京都がある。
そんな彼等に少ーしずつでも京都の世界を教えてもらって
紅葉や花の名所を教えてもらい 会話に参加させてもらう。
そんなことがとても嬉しい。

 そのおじさんは娘さんたちの教育についての話をしてて
最近興味を持ってた「ダム女」と「付属」という私立の
学校の違いを説明してくれる。それから娘さんの留学の
話や受験の話、早稲田の話も出て来たなーと思っていたら
留学中の娘さんが政治学にも興味があるということで
それならば、、、とパリ政治学院についても触れてみた。

 おじさんはそんな情報を得られた事が嬉しいらしく
長い事語った後で店を出る時も「いい話ができてよかった」と
挨拶をしてくれた。お姉さんに愚痴を語りに来たはずなのに
結局おじさんと教育話にあけくれて ちょっと感謝も
されてしまって 自分が出てきて面白かった。
お陰で少し元気になって やっぱりゴゴはいいよなー
こんなにもみんなが触れ合う そんなカフェは
他のどこでも見たことがない。自然な会話 自然な流れ
そしてみんながゆるりとつながってゆく。素敵なカフェだ。

 帰りがてらゴゴの近くにできたカフェを横目に見る。
朝からやってるみたいだけれど、まだお客さんはいないよう。
そうだよな この一帯で朝のゴゴに勝てるには まだまだ
厳しそうだよな。だって朝はゴゴがいい。

 以前ゴゴで話したおばあちゃんは「この辺の喫茶店に
何軒か行ってみたけどねえ ここが一番元気があって
楽しそうだからここに来るんだ」と言っていた。
そんなおばあちゃんと触れ合う若者。私には当たり前の
早稲田の世界はここでは遠くテレビの中で、私には
驚きで満ちた京都の世界がここでの日常ある世界。
そんな中に入って行けて いつでも受け入れてもらえる

 そういう点では 午後のゴゴより 朝のゴゴのが
よっぽどか面白い。人と人との交差点。この店を後にするとき
「さよなら」は「行って来まーす」に変わってる。
(2007年4月)

自分の解放

2012年03月04日 | 私の人生



 「まあみきちゃん、元気そうになったわね!
なんだかおでこのチャクラも開いてきたみたい!」
と 2週間前とは打って変わったことを言われた今日の
午後の体操教室。「なに言ってるんですか、、、」と
思ったものの でも本当に元気そうになったらしいのは
確かなようだし 今日は体操のあと久しぶりに
蓮太郎に向かって「お母さん元気になったからね!」と言えた
自分に驚いた。


 自分を元気と言えるだなんて、、、!


 すごいことだなあ、2月は春に向かってのたまっていた
悪いものたちを全部吐き出すときだったのかなあ
そう考えたら きっとこれからもっと良くなる。
そんな気がして 今年ばかりは 春がいい気分で迎えられるかも。


 この体操教室は とっても変な教室だけど
効果といったら半端なくって 毎回身体もめちゃくちゃ軽くなり
自分の中の重荷も少しずつ軽くなるから 本当に心身ともに
健康維持に欠かせない教室だと思う。


 ちょうど3日前くらいから ああなんだ れんたろうって
こんなにリラックスして肩肘はらずに生きてるんだ
だから猫みたいにしなやかなんだ!と気が付いて
なーんだ私も力を抜こう とだらんとしてたら
なんだか本当に気持ち良くって それがとてもありがたい。


 お母さんがだらんとしてると 息子にも強いことは何も言えず
私も動くのが嫌だから なんとかちょっと頭や言葉を使って
場所を動かずに遊んでみたり。息子はとても活き活きと生きているけど
「それはあんたが放任してたからじゃない?」と先日母に言われてしまった。
「こうしなさい ああしなさい あれもだめ これもだめ!!」だと
息子の表情もどんどん変わる。それは京都でもフランスでも
先日のインフルエンザでも体験したけど「いい子にさせなきゃ!」と
強く思ってだめ だめ だめ!!とやっていると
彼の目の下はなんとなくクマっぽいいやな感じのくぼみができて
少なくとも活き活きしてない それだけはよくわかる。


 たいていの場合 そんな時には 私もどこかで疲れたり
彼が熱を出したりだとかで「ああ悪かったな まあいっか!」という
力が働いて やっぱり2人で布団でごろごろ そしてバカ遊びをして
楽しむ そんな感じになっていく。


 インフルエンザの時の「あれもだめ!これもだめ!」が終わった後で
私も肩の力を抜いて なーんだこれって気持ちいい と気が付いて
もしかして と 思ったのは 子供に「だめだめ!」と言っているのは
自分のことも許せていない そういうことなんじゃないだろか。


 躾はもちろん大切だ。でもすべて「いい子」な方向でやっていたら
どちらもけっこう苦しくて その力が強く働く時といったら
それは自分に内在されてる他人の目を気にし始めた時だろう。
彼に何て言われるだろう?あの人に何て思われるだろう?
彼の実家ではいったい何て言われるだろう?フランスで何て言われるだろう?
そういうことを気にしはじめると「だめ だめ だめ!」になってしまう


 だけど本当は?別にいいんじゃない?ということだってあるわけだ。
これくらい仕方ないよということもある。それどころか
もしかして 私たち大人が子供から学べばいいんじゃない?と思うことさえもある
大人の社会がすべて正しい訳じゃないなら(正しいならこんなに
慢性的な病気とか生きにくさを抱えてる人が多すぎるのはおかしいのでは?)
子供のしなやかさとか軽やかさとか発想とかバカさから
私たちが学ぶことだってあるんじゃない?(しかもそれを難しい言葉では
創造力とか呼ぶんじゃない?)


 私はよく「恥ずかしい」と思ってしまった。
京都の中心部なんかは「よそさんに嗤われるえ」と言われるらしい
そんなで言ったら息子の行動はかなり恥ずかしいことばっかりだけど
でも恥ずかしいようなことをしてるのはけっこう面白い。
だから私たちは変なことをしながら2人でゲラゲラ笑う。
蓮太郎を楽しませるため?歩かせるため?そう思っても
こちらも大きな声をだして「発車しまーす シュッシュー!」とか
いって蒸気機関車のまねをして走っていると笑えてしまう。
飛行機ビューンといって翼を広げて走って行くのも
恥ずかしいけど面白い。


 「自分を解放できるから、、、」と様々なワークショップに
行ってみたという女性は私に話してくれた。自分の解放?
この先生の体操教室もまさにそう。息子は自分を解放してる。
そもそも縛りなんていうのがない。そこに大人がどんどん縛りを加えてく
「そんなことしたら恥ずかしい」「そんなことしたら笑われる」
そうやって そう思って 私は長年 口を閉ざして生きて来た。
時折それでも質問したくて 話したりもしてたけど
私は普通の社会生活で自分を解放なんてできないでいた
だからずっと 苦虫をかみつぶしたような顔をしてたのだろう。

 だけど最近思うけど きっと子供が喜ぶことは
きっと子供が楽しいことは 大人にとっても大抵楽しい。
子供にとって本当に居心地がいい場所は 大人にとっても居心地がいい。
子供は場のバロメーターな気がするけれど 本当に居心地のいいカフェは
何故だか子供でさえもけっこう長居ができるもの。
場の空気が濁っていたり淀んでいると子供はすぐそれを察知する。
あの蓮太郎でさえ どこかに行った時、特に私のいないところでは
場や人の空気を読んで黙ってる。でもその人が自分を
認めて受け入れてくれることがわかると 彼はゆっくり自分を出していく。
それって大人も同じなんじゃない?でも私が 蓮太郎のようにまで
慣れていないのは きっと私のバリアが蓮太郎よりよっぽど固いからだろう。
(多分それは幼稚園と小学校時代につくられたものだと思う)


 私はワークショップに行けるような機会はあんまりないけれど
独身の人たちに比べてちょっと恵まれていることがあるとするなら
このアホな息子と一緒にいることで ワークショップにお金を
払わなくても しらないうちに自分を解放できることだろう。
子供の真似をしたならば?もっとしなやかになれるのだろうか
蓮太郎と一緒にバカになったら?もっと自然に笑えるだろうか


 体操教室に通って半年。身体を学んで自分を少しは解放できるように
なった気がする。変な体操を朝蓮太郎の前でしながら「お母さんって
おかしいよねー」と言ったら息子は「おかしくてもいい!」と断言してくれた。
世の中に 一人でもそう言って自分を愛してくれる人がいること、
それは本当にありがたい。
私たち バカな親子は何かを見つけていけるのだろうか
少なくとも 我が子の目はいつも輝いてキラキラしてる。
我が子はとてもアホだけど そこにこそ 人生を楽しむヒントが
あるかもしれない。もっと自分をゆるめていくこと
アホな蓮太郎だけじゃなく 本当はアホな自分を認めていくこと
他の人たちと同じようには生きられないけど 息子が言ってくれたように
「それでもいい!!」って断言すること それが大切なのかなあ。

京都のおすすめカフェ

2012年03月04日 | おすすめカフェ


 「飯田さん 今度京都に行くんですけど
おすすめのカフェあったら教えてください!」
という声におこたえして、京都のおすすめカフェを書いてみようと思います。
(もう一年も行ってないけど、、、一応5年くらい住んでました)


 喫茶ゴゴ  出町柳駅近く




『cafeから時代は創られる』に書いた「Gという喫茶店」。
ゴゴはカウンターがある昔ながらの自家焙煎コーヒー店。
初めて店の扉をカランと開けてみたのは 自転車で店の前を
通り過ぎ ロースターからぷうんと漂う香りにいい気分に
なりながら「どうしてコーヒーって焙煎の香りはこんなに
いいのにあんまり美味しくないんだろう?」と疑問に思った日のことでした。
「あーあの店がこれなんだ!」と研究室に置いてあった雑誌をみながら
じゃあ帰りに寄ってみよう、と立ち寄って見ると何これ!という感動の味。
当時は40年店に立ってるマスターの淹れたコーヒーで こんな
コーヒーがあるものなのか!と感動しました。

 それから徐々に常連をめざし、通わせてもらった喫茶店。
マスターはもうカウンターには立ってないけど、マスターの
志を受け継いだお姉さんがお店にたって、みんなをあたたかい
笑顔で迎え入れてくれています。ここは常連さんでもはじめての
お客さんでもなんとなく会話が成立するお店。そこが
お姉さんの腕の見せ所でもあり、いつもその腕には脱帽です。
カフェ?場のつくりかた?コミュニケーション?体験するなら
ぜひゴゴへ!と沢山の人を連れて行きました。



 40年間ほとんど変わらないという安心感のある
赤い小さな椅子と古びた感じのオレンジの照明は
なんだか別世界のような でもこれぞ京都というような?
この店には徒歩圏の常連さんが多いので
京都では不思議なことに、お店の前にたくさんの自転車は並びません。
ゴゴには喫茶店、カフェの真髄があると思います。
お店に行っておねえさんに会ったらぜひ「飯田さんから聞いて」と
伝えてみて下さいね!この店だと蓮太郎でも1時間以上いれるからすごい
本当に落ち着くお店です。

 おすすめはサイフォンで淹れたコーヒー。一度だけでなく
2度サイフォンの中を循環させる名物「燕がえし」も見ものです。
あとはハムのトースト(サンドイッチみたいなもの)も
しぼりたてのオレンジジュースもめちゃくちゃ美味しいです。

京都府京都市左京区田中下柳町8-76 今出川加茂大橋東入ル
075-771-6527(朝は早くからやっていますが
午後は3時くらいまで?たまにやってたりやってなかったりなので
電話して尋ねてみることをおすすめします)



 cafe independants (アンデパンダン) 三条御幸町

 大学1年の時に東京から来てこの店に連れてこられ
なんだこの雰囲気!!と圧倒されて、いつか京都に住みたい と
思わされたカフェ。地下にあって少しだけ地上から差し込む光と
ちょっと崩れた感じのレンガの壁、大きな木のテーブルや
高い天井、当時まだ珍しかったデリのガラスケースなどが
とてもかっこよく、煙草の白い煙の中でなにやら楽しそうに
話をしているアーティスト風の人たちがまぶしく見えました。

 東京の大学生だった私は京都の友人が環境系の展示を
このカフェの中でするんだと話していたのを聞いて
京都ってすごい!カフェと環境を結びつけられるの?と
驚いたものでした。

 アンデパンダンの雰囲気はとにかく独特。
ヨーロッパ、ベルギーあたりの活気あるカフェに来たみたい?
京都の若者なら何度も行ったことがあるはずのカフェ。
このビルでの1階では現代アートの展示もされています。
三条通りは歩くのも楽しい通りです。京都に来たらぜひ寄ってみてください。

 おすすめはカレーとかかな?食事はけっこう美味しいです
サンドイッチもだいたいとても美味しいです。この店のポテトが好きです。

京都府京都市中京区弁慶石町56 1928ビル B1F
営業 11時半~24時 



 進々堂  京大農学部近く


 言わずと知れた、、、京都といえば進々堂。
なんだかとても懐かしい。ここも大きな木のテーブル(8人がけくらい?)
が特徴的で、100年前くらいからある伝統的なカフェ。
なんでも昔フランスに留学してた方がかの地のような
カフェをめざして創ったとか、、、隣にはパン屋さん。

 ここでは大テーブルがあるからといって
隣の人と会話が起こるようなことはまずないですが(アンデパンダンもありません)
京大のゼミ生が一緒に勉強をしていたり、教授らしき人が
来ていたり。私もここで何度も本を広げて勉強してました。
窓ガラスに面した席は一番明るく、一等席だと思っていますが
そこは埋まっていることが多く、店内中央の方になると
昼でもけっこう暗いです。でもこの暗い喫茶店的雰囲気が
また京都っぽいんだなあ と 遠く離れた今となっては思います。

 進々堂は朝早くからやっていて、一度朝8時半くらいから
知人たちとミーティングみたいなのをしたことがありました。
その時は全員とても頭が冴えていて、素晴らしい意見が
どんどんでてきて驚いたのを覚えています。ミーティングや
議論をするなら夕方からするよりも朝した方がいい意見がこんなに
簡単にでるものなんだなあ、、、と驚きました。そして
朝のカフェはとても気持ちよかったです。


 ここはミルク入りコーヒーと、イングリッシュマフィンや
カレーがおすすめ。スコーンも美味しいです。
近所には沢山古本屋もありますので古本屋帰りにぜひどうぞ!

京都府京都市左京区北白川追分町88
8時から18時 火曜定休



 スターバックス三条大橋店


 この店は私が三条に住んでた頃の居間みたいな店でした。
家が小さくてもサロンがカフェだったらなんて素敵なんだろう!と
思いながら目の前の鴨川と空を眺めてました。『cafeから時代は創られる』は
全てこの店で書かれたものです。毎朝8時から9時くらいに
マックのパソコンを持ち込み、大きくなりつつあるお腹を
抱えながらカフェインレスコーヒーを頼んで
キーボードを叩いていました。この店、ちょっとわかりにくいのですが
地下席があり、そこが素晴らしいのです!

 今の雰囲気はわかりませんが、当時は1階は外国人観光客や
ちょっと立ち寄った人、地下は常連客という感じになっていました。
地下から眺める鴨川の美しいこと!京都のお寺に行く度に
はて この構図、どこかで見たことがある、、、と思っていたら
三条スタバの地下から眺める鴨川の構図と一緒なのだと気がつきました。
京都のお庭は建物の中から眺めると額縁の中に庭園があるという構図に
なっているのですが、三条スタバも確か窓ガラスの枠が黒くて
同じような感じで鴨川を眺められるのです。


 この店はいつ行っても混んでいますが、朝だけは別。
1階から朝眺める鴨川と太陽の光もとても美しい。不思議なことに
ここは店員さんも私が行ったことのあるスタバの中でダントツに
素敵な方が多くて、とても気持ちがいいのです。
いつかお店に本置いてもらえないかなあ、、、ここで書いたんですけどねえ、、

京都府 京都市中京区 三条通河原町東入ル中島町113 近江屋ビル 1F
営業 8時から23時



 京都生ショコラ  岡崎

 日本人のショコラティエと外国人の奥さんが営んでいる
とても変わっていて でも居心地のいいカフェ。
日本家屋の店内には小さなちゃぶ台がいくつもあって
そこでお茶することができます。私が好きなのは中庭で、
店内が満席でも(よく待たされる!なんせ店員さんが奥さんだけだから)
意外とそっちは空いてたりします。日本にいながら外国の
お庭でお茶する気分。ここの生チョコは絶品で
異国情緒あふれる不思議な日本風の店内でゆっくりとくつろぐ
ことができます。ちょっと場所がわかりにくいんですが、、、

京都府京都市左京区岡崎天王町76-15
営業 水曜から日曜 12時から17時まで



 イノダコーヒー三条店  三条通り

 「イノダのカウンター行きました?」とコーヒー文化学会で
言われたものの、なかなか行くには勇気が必要だったこちらのイノダ。
三条通りに面したガラス張りの店内奥には、丸いカウンターと常連さん。
どうやってこんな店に入ればいいんだ!と思っていたものの
えいやっと勇気をだして店に入ると、優しい店員さんに
「カウンターに行ってみますか?」と案内されました。

 常連さんばかりのこちらのカウンター。言われなくても
スッとその人の読む新聞が差し出される。そんな店。
常連さんが多いので隣の人と ああこんにちは、といった感じで
話しています。ちょっと忘れてしまいましたが、この円形カウンターの
中では白い制服を来たスタッフが、おたまやら寸胴の鍋を使って
コーヒーをつくったりしてるんですね。それがまた見もの。

 イノダは何件か行きましたがこの店のコーヒー、
アラビアの真珠は一番美味しくて飲みやすかったです。
店員さんもすごく腰が低く、かつプロフェッショナルで
京都の誇りある店なんだなというのがよくわかりました。
カウンターから眺められるちょっとした中庭もかわいいです。
イノダのアップルパイはめちゃくちゃ美味しいですよ!

京都市 中京区三条通堺町東入ル桝屋町69
営業 10時から20時 無休


 書き出したらなんだかどんどん出てきましたが
また追加していこうと思います。








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