alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

夢を描く そしてカタチに

2011年09月30日 | 想いをカタチに

 まだi Padを手に入れてから1週間もたってないけど
私の生活は革命的に変わったみたいで なんかもうすでに
フランス語のリスニング力が上がったような気さえしてしまう。


 そんなにi Padがいいの?と聞かれても
私はそもそもiPhoneすら持ってないから 状況に
雲泥の差があるわけで それでも子供を膝に
のっけて絵本をみせる感覚で フランスの童謡のサイトを
使って一緒に歌い続けたりとか(まあパソコンでも
してたけどリラックス度が全然違う)電車に乗ってる
「合間時間」にやるべきことを整理したりとか
それだけでなんだかぐーんと前に進んだ気分。


 さて、今回ははじめてカフェでインターネットに挑戦!と
wifiの機器を持ち出し いつものカフェでネットに接続。
わーすごーい!!と感動する一方で 無駄に
ネットサーフィンをするわけにもいかない。
なんせ子供が待っているのだ、、、 さてどうしようと
思ったときに、そうだ メモしていたやることリストを
ちょっとばかし進めよう やる気のかなりなかったような
ことたちも ここで検索して電話番号やら何かを
調べよう と 「電子書籍検討」だとか
いろんなメモのリストを先に進めて行って


 その日が終わってけっこう前に進んだなあ
意外と調べるといろんな機会ってあるんだなあ
人生そんなに悪くないかも?と思っていたら
なんと今朝 『cafeから時代は創られる』を出してもらった
いなほ書房の方から電話があって 「電子書籍の件ですけど、、、」
と言われてしまった。なんと昨日カフェで重すぎる腰をあげて
調べ、もうアドレスわかったならメールをしようと
i Padのスケジュール帳にメモしたことを実行したら
次の日の朝に電話がかかった!「そこの電子書籍の会社ね、
私の知り合いなんですよ 第3版出すよりは安そうだし
いいんじゃないですか 見積もりとってもらいましょうか、、、」

 まさかこんなに早くコトが動くとは!いままで何ヶ月も
動けていなかったのに i Padさまさまです。


 しかもそのいなほ書房の星田さんとは ちょうど昨日
お話したいと思ってて コーヒー文化学会関係では
よく生産地のツアーとかをしているようなので
いつかパリのカフェツアーも、、、と思い
「今度パリのカフェツアーをすることになったので
コーヒー文化学会の会報に記事を書いてもいいですか?」
「ああそりゃ面白そうですね、、、」
それから話はつづき「飯田さん、ウィーンとかはどうなの?」
「知ってますよ やれるならやりたいです!」
「生産地の方はね やれる人がいるんだけどね
ヨーロッパのカフェは需要はあるんだけど
案内できる人がいないんだよね」


「じゃあ私にやらせてください!!!」


 ヨーロッパ?!

 パリだけじゃなくって?いつかイタリア?
アムステルダムにブリュッセル?ウィーンのカフェも?
そういえばそれらに憧れ一応ドイツ語とイタリア語も
ちょっとは勉強したなあ


 そんなところに「仕事なんです」っていって
行ける日がもし来たのなら なんて素晴らしいんだろう!!
堀内誠一はブルータスが空飛ぶ絨毯だったと言っていた。
私はそこまで身軽じゃなくても それでも
パリや できれば少しは仕事と称して
他国のカフェや街並紹介にも関わってみたい
もちろんパリが中心だけど パリのカフェ?案内?
ツアー?じゃあ飯田さんに そうなったなら
そりゃあなんて素晴らしい、、、!


 かつてパリビストロの代表の事務所に
インタビューに行ったとき 彼が「これの
日本語版もつくろうと思っててねえ」と語ってた。
そこで私はすかさず言った。「私にやらせてください!!」
彼はそんな出会いを思い出してよくパリでいろんな人に
そのエピソードを紹介してくれていた。
そんなこと だれかがやれるんだったら
パリのカフェに関わること?日本人で?
私がやりたい!!と思ってしまう
たとえハードルが高くても そう Paris-Bistroの
ハードルは高い。知らなきゃいけないことに
ハイレベルなフランス語力に広告をとるほどの交渉力!
ガイドだってとてもハードルは高いだろう
でもそんなこと できたらなんて素晴らしいだろう
そういうことを やっていたなら
あー今までいろんなことをやってきた意味が
あるよなあ って思えるんだろうなあと思った

 まだまだハードルは高いけど
夢だったことがただの夢ではなくなっていく瞬間がある
到達するのにたくさん時間がかかっても
おぼろげな夢が現実に近づく瞬間がある
夢を現実にするために 協力なツールと一緒に
しっかり前に進んでいこう


-----------
ちなみに  『cafeから時代は創られる』はそろそろ在庫が
少なくなってきています。電子書籍になるかどうかはまだ
わかりませんが、本というカタチでお手元に置いておきたい方は
ぜひ早めにお問合せください!第三版をつくるのにはまたしても
巨額のお金がかかりますので、どうなるかはわかりません。。。

手帳を変える

2011年09月26日 | 想いをカタチに

 今日はi Pad1日目 で 朝からバタバタしてたのだけれど
それでもなんだか充実していて あーi padってすごい!と思う。


 フランス語に1日1時間は触れていよう と
夏に会った日本語ペラペラのフランス人に圧倒されてから
決意したけど 最近は1時間どころか 聴くもの
読むものフランス語?みたいな日が増えていて
(とはいえやっぱり難かしい!!)
けっこうな時間触れていたのだけれど i padが
登場するともうすごい。自分次第では1日15時間でも
触れていられる そんな気がする。


 今日は病院の行き帰りにこれをi pod代わりに使って
フランスのラジオのポッドキャストを聞いていた。
病院に着いてみるとなんと待ち時間が1時間!普段なら
うえーと思うとこだけど 今日はi padを持っているので
かかってこいという感じだった。それで久々に
(i podをなくしてしまったのでもう5ヶ月ぶりくらい?)
フランス語の音楽を聴き 今日はスケジュール管理してみようと
待合室のソファーの上でいろいろといじりはじめてた。


 「夢をカタチにするにはね 手帳が大切なんだよ、、、」と
占い師の友人が 私がかなりへこんでた時に時間をつくって
話してくれた。そうかあ、、、と思ってやる気のない手帳に
彼に言われるままに少し物事を書き込んで ちょっと
やることリストみたいなのをつくってみたら それなりに
すすんだけれど 精神的なダメージを受けてたときは
手帳どころじゃなくなっていた。そうして気づけば1ヶ月
ほとんど動きが止まってた。その間さんざん夢想するだけは
してみたけれど 夢は描いてるだけじゃあいけないのだろう
実現にする努力をするには 手帳と想いとの二人三脚がいいらしい。


 「それでねーこのi padがいいんだよー」と彼は
自慢げに話してくれた。こういったたぐいのものを使いこなしてる
彼が使っていたのがi pad付属の手帳かどうかはわからないけど
「もう手帳が切れてしまう!!」という想いでi pad購入に
踏み切った私にとって この手帳はかなりよかった。


 なにがいいかといいますと


 1日の時間をこのタスクは何時から何時まで と
色を使って示してくれるので あーけっこうここ
空きがあるなというのが見えやすい。
じゃあこの時間なにしようかな?って
未来のことをイメージできる!これはすごい。
今までの私は「明日?明日の風が吹くんじゃない」程度だったし
その日になってバタバタどたばた あああれもない、、、という
ことが多かった。


 ところがこの手帳はひとつのタスクについて 時間の幅と
メモ欄もあるので たとえばどこそこに行くのに
持ち物はこれとこれ というのが書ける
もしくはそこに行く前に確認の電話 えっと
電話番号は、、、もういいや今i padで調べちゃえ!となってしまう


 ところが今までの私といったら!!
「はんこですか、、、すみません、忘れました」とか
美術館に行ったらやってなかったとか 書類が1つ足りないだとか
そんなことの繰り返し。これなら前の日とかにチェックできそう!
それで早く起きてがんばろうという気になれるかも!


 「i padはねーメモもいいんだよ」と誰かに言われた気がするけれど
私が漠然と「これはした方がいいだろうな」と思っていた
ことのリストも 打ち込んでみると うーんじゃあこれは
今週?10月から?どこでやろうか という気になれる。
まずすべきことは?プリント?それとも連絡先を調べること?と
なんだか前に進んでる感じ!今までは「あーあれもしなきゃ
これもしなきゃと書いていたけど今週もできなかった、、、」
という感じだったのに 私 手帳で変わって行けるかしら?


 これだけ沢山のすきま時間を有効に使え しかも漠然と
描いていたことを現実に落とし込めそうな手帳があるなら
なんだか生き方は変わって来る様な気がするなあ
今までは「子供がいるからあれもこれも難かしい」と思ってた。
でも子供がいても 隙間の時間をかなり有効に使えてしまえば
「あーもういいや今日は沢山やったしあとは蓮太郎と遊ぼう!!」と
保育園に預けた後の様な気持になれるものかしら
そうやって気持が切り替えられて 前に進めたらいいよなあ

 今日はi Padのお陰でちょっと違う世界に生きられた。
これからも有効活用をして かっこよく前に進みたい。

I Pad!!!

2011年09月25日 | 想いをカタチに

 今日はついに!!念願のi padを買ってしまいました、、、!

「お金がないのに?」「お金がないから」と普通人は言いますが、、、
そりゃ確かにそうだよなあ それに今度パリに行ったら
一体私はどうなるんだろう 航空券に燃油サーチャージを
足してみる と ああ パリって近いと思ってたけど
めちゃくちゃ遠い、、、と昨日は日本に帰って一番くらいに
パリを遠くに感じてた。


 でもなー 決意すると何かが動くっていうじゃんか
今度パリに住むんだったらi Padは必須だと思ってた。
これがなかったら大変だけど これがあったら
日本の図書館巡りをしないでもやっていけるかもしれないし
フランスの雑誌を読むのもかなり容易にできそうだし
事務所に行く時毎回毎回重いパソコンを背負って行かなくても
大丈夫そうだし、、、 私にとっては必須項目になっていた。


 日本に帰って来てからも 沢山の人に「買いなよー
素晴らしいよ これは必須の文房具だね」と言われ
だよなー 欲しいよ 買うつもりだよ、でも、、、と
思ってた。みんな「買ったらねえ あーもっと
前からもってたらよかった」って思うんだから と言っていた。


 9月中には買おう、、、と決めてはみたものの
それでもなかなか決意はできず、先週今から買いに行こう、と
思ったところで山の様な荷物が届いて断念し その中から
フランス語の本も沢山出て来て あーまず紙媒体で
読めってことか だよなあ やるべきことをやってから?
と思ったけれど


 先日の激しい台風で家に帰るのに3時間ほどかかった私は
電車の中や駅構内でi phoneをいじくりまわしている人たちを見た。
そんな中で私はといえば i phoneもなく もってる携帯は
電源が切れかかり 乗り換え案内で運行情報を見たいけれども
もうちょっとで電源切れる?どうしよう、、、と途方に暮れる
そんな始末。まあでもいいや 疲れてるけどフランス語の本読もう、、
と思っていた矢先 私の目の前に座っていた男の人がおもむろに
バックから取り出したのはi pad。 熱気むんむんでなんだか嫌な
ムードがただよった電車の中で 涼しい顔して彼はインターネットを
はじめて仕事をしだし 一段落ついたのだろうか またそれを
しまって眠ってしまった。。。


 これだよこれ!!! なんかインテリな感じじゃないか
iphoneで運行情報もいいんだけれど なんだかi padは空気が違う
これがあったら どこにいってもフランス語に触れてられるし
カフェがまさに仕事場になり 蓮太郎が寝てる間にフランス語の
雑誌がよめる!!合間にはフランスのラジオのポッドキャストを聴いて、、、


 これは買えってことだなー。。。


 その後もいろんな「やっぱだめかも」はあったものの
もう買うと決めたんだ、いいじゃないか!と意を決して買ってみた。
このえいやっていう感じはちょっと フランスで航空券を変更したときに
似ている気がする。どうなるのかはわからない でも大きな
選択をした。あのとき私は自分にこう言った。「券を変えることは
人生を変えること?」そうして私はこう思った。「i padを持つことは
生き方を変えること?」そうそんな気がする。


 昨年の夏 フィンランドの空港で 私はパソコンと
スーツケース片手にいろんなところに行ってしまって
空港で書いて仕事する そんな人になれたらいいなと憧れた。
あの時はたくさんのものが夢だった いまだってそれはまだ夢だけど
もう少し それらを現実に近づけていく時期のような気がしてるんだ。
i Padは革命的だ。私は夏にもう自分の中で革命みたいなのがあったから
今度は行動をおこす時期なのだろう。そうスーパーで今日私の
耳にこんな言葉がやってきた。


 「人はかくあろうと意図したものになるのではない
かくあろうと投企したものになるのだ、、、」
サルトルのそんな言葉 どうしてそれがやってきたのか
わからないけど 意図だけじゃない 夢を見る だけじゃない
投企 行為 現実化 行動を変えること なんだなあ、、、、


 目の前にあるi Padからは あまりに美しい radio classiqueの
曲が流れる。 この曲を聴いたとき もうものすごく遠くに
行ってしまったように思ったフランスは 再びものすごく
身近に感じられて なんだか不思議だと思う。
心理的距離感をなくすこと そしたらそれが
ほんとうに近くなってくるのだろうか 壁というのは
自分がつくっているだけなのならば グローバリゼーションがもたらした
沢山の仕組みは価値観をぐわんと変えるだろう
世界は確実に存在してる 沢山の国が 生き方がある
それが同時に行われてる 地球はまわって
国々には時差があるけど みんな今 違う場所で生きている
それがとっても不思議だけれど それが事実 なんだなあ
私には想像すらできなかったけど 私もだいぶ変わって行った
思考が変わると 見える世界や これから起こる世界も
変わるのだろうか だとしたら 夏の変化もこれからも
私にとって きっと革命なのだろう。

フェイスブック

2011年09月24日 | 私の人生

 東京に帰って来てからいろんな人に公式ブログをつくったらとか
ホームページをつくったらいいと言われたのですが この
ブログはブログでけっこう好きだしホームページに挑戦したけど
うーん、、、と思っていたところ、えーいフェイスブックにしちゃえ!と
自分のフェイスブックページをつくってみました。
これからパリのカフェの写真やカフェ、サードプレイスなどに
関する記事などをもっとアップしていこうと思います。
パリビストロに関しての記事もリンクを貼っていますので
よかったら「いいね!」を押してファンになってくださいね!!

http://ja-jp.facebook.com/pages/飯田-美樹-Miki-IIDA/114960125270353

パリのカフェガイド

2011年09月16日 | パリカフェツアー


 最近は私が頭の中と言葉でもパリパリパリパリ、、、
言ってるからか なんだか 今日もまたパリみたいだなあ
という不思議な光景を目にすることが何日間か続いてて
河原でバトミントンをしていたり 代々木公園の
素晴らしい木陰でピクニックして寝転んでみたり
多摩川での日仏ピクニックのあまりにセーヌ川みたいな
光景に驚いたり、、、 日本でもこんなこと できるんだなあ
ありうるんだなあ というのがかなり驚きで
これは私がパリパリパリパリ言ってるから引き寄せたのかしら?


 
 いろんなことがある中で 私にとって楽しかったり
わくわくするのはどんなときかなあと考えると
やっぱりフランスについてやパリの魅力を語ってる時というのは
楽しく ガイドの話を誰かとするときは 一番自分らしく
なれるというか わくわくできてるような気がする。


 さて せっかくやるならいいガイドをしたいと思うので
今度のツアーに行く予定の人や フランスに興味の
ありそうな人に「もし何でもできてお金も十分にあるとしたら
フランスで何がしたいですか?」と聞いてみることにした。
すると答えは「パン屋さんに行きたい」だったり「お菓子の
勉強をしたい」とか「チーズをつくっているところに
行きたい」だとか「いつかシャトーに行きたいなあ、、、」


 多分私はこういう質問の仕方をしたので 特に
今度のツアーに行く訳じゃない人にとっては
「フランス、、、遠いなあ、、、いつかいけるかな」という
感じなのだろうと思うけど なんだか不思議なことに
彼女達が語ってくれた遠そうな夢というのは
けっこう近い夢のような気がしてしまって
それってさ Paris-Bistroの代表と組んだらけっこう
できるんじゃない?と思ってしまった。だって彼は
「ミキ、今度の土曜シャンパーニュ行くかい?」ってな
調子でシャンパーニュ行きを誘ってくれたし
実際シャトーの見学も可能だったし
今度はチーズをつくっているところを見に行こうと行ってくれた。



 もしもそういう需要が日本側にあるんだったら
うまいこと手配ができれば それってそんなに
遠い夢ではないんじゃない?語学とネットワークという
問題を 誰かがクリアにしてくれたなら 日本で
何かの活動をがんばってる人と フランスでおいしいものを
つくってる人たちを ダイレクトにつなげていける
それって可能だと思うなあ 今の私には まだたいそうな
ネットワークはないかもしれないけれど それでも
フランスで あのポワラーヌの社長に紹介してもらえたし
フランスで一番のコーヒー豆を出荷しているリシャールの
女社長も私のことをちょっとは覚えてくれていた。
それはみーんな代表がよく頑張ってるからなんだけど
もっと私もがんばって おもしろいネットワークをつくっていったら
日本側でも いろんなことを学びたいとか もっと奥の深い
フランスを 語学の苦しみをぬきにして体験したいとか
そんな需要はあるだろう。


 私はフランス語をしゃべっていたい。
フランスでいろんな人と話しているのはとても楽しい
だけと日本ともつながっていたい 何かの役には立っていたい
パリのカフェを中心とした、インフォーマルパブリックライフや
オルタナティブな暮らしや動きやちょっとアートなんかも含めた
カスタマイズ可能なガイドなら けっこう需要はあるんじゃないか。
フランスには楽しい暮らしがあると思う
それをもっと日本の人に知ってほしいし 日本の暮らしが
もうちょっと気楽で素敵になったらいいなあと思う
フランスには 日本人と交流したい 日本のよさを
もっと知りたいフランス人も 日本に食品を輸出したい人も
沢山いるし 何かつなげられることができたなら
きっと楽しいだろうなあ

子育てって、、、

2011年09月14日 | 子育て

 子育てって素晴らしい?それとも辛い?
素晴らしい けれども辛いときもある?
幼稚園ママになるのは素晴らしい?
それとも選択肢がなかっただけ?
ママ友と子供と公園で遊ぶことに
心底喜びを感じている人がどれくらいいるのか
私にはよくわからないけれど


 どっちにもいいとこがあり
どっちにもないものねだりなとこはある
働きたいと思う女性も沢山いるし
復帰したと思ったら両立が大変すぎて
やめたという話もよくきくし
福利厚生の整った会社に勤めてる人が
復帰したのに 前の条件ほどよくなくて
それがストレスになってやめたという話も
きいたことがある から どれがいいとか
いちがいになんか言えないけれど


 少なくとも 子育てには辛い一面もある
それは事実じゃなかろうか
あとはとらえかた次第なのかもしれないけれど


 私は今高校時代の友人で蓮太郎より
年下の子供がいる子が2人いて 彼女達の
様子をみてると痛いほどその気持がよくわかり
たまに「私はもう抜けたかな」と思う時は
アドバイスとかできるけど そうじゃないときは
私も一緒。 もうどうしていいのかわからない。


 子育てって 本音で母たちと話してみると
みんなけっこうやばい状態になったりしてて
私がパリで会ったどうしてこんなに優しく
子育てできるんだろう?という驚くほど
優しいママでさえ 子供がまとわりついて
もう嫌!!と思って子供をベッドに投げたことがあると
言っていた。そう ほとんどみんな 虐待する
人の気持が痛いほどよくわかる って 
本音で話すとそう言っている。



 そうだよね ほんと言うこと聞かないし
うちの息子は最近は頭にシャワーしないでというので
約2週間くらい大泣きを続け 今朝は虫除けスプレー
しないでというけど後ろからかけたら大泣きしたのが
10分くらい続いて近所中にひびく大声で泣きつづけ
もうそういうのがはじまってくと どうやっても
とまることなく よけい厳しく言ってやろうとすると
どう考えても逆効果 で 15分でおさまるところが
1時間延々とわめき こちらも腹が立ってしかたがなくって
結局半日嫌な気分 に なってしまう。


 私は最近は引き寄せの法則、、、と思っているので
もうこれにとらわれないようにしよう とらわれたら
負けだと思って息子が泣いているその横で自分の
気分をそらし 違うことを考えて気持を上向きに
もってくと 意外と早くそういう大泣きがおさまることが
多くって でも今晩はこれじゃだめか 洗わないと
頭も臭いし!と思ってシャワーをかけたらもう
本当にだめだった。そして私もイライラしはじめ
もうどうにもとまらない、、、


 そんな経験 ありませんか?これを読んでるお母さん!!


 それでね たまに罰ゲームみたいって思いませんか?
なんでこんなことになっちゃったんだろうって
それで自分を責め始めたりしませんか?何か悪いことしたからかなとか
私の友人なんてめちゃくちゃがんばってるのに
「私前世で悪いことしたんだと思う」なんて
泣き叫び続ける子供を抱きかかえながら言っていたけど
そんなの絶対間違っている!と私は思ったのですけど、、、



 女というのは産む機械?子供を産むためにするのが結婚ですか?
でも結婚したら旦那はお金を稼ぐために家にはなかなか
帰ってこなくて 俺はお金を入れてるんだからお前は
育てて当然だろう よかったな 家にいられて?
どうして?子供を産むのが結婚だから?


 私はただ 逃れたかった どうしていいかはわからなかった
だけどとても嫌なことが一杯で 家出をしたいと考えていた
それだけは覚えてる その先がどうなるかなんて
私にはわからなかった だけどただ 私には沢山のことが辛かった


 だから私は 誰かにアドバイスをすることなんて
本当は全然できないけれど どうしたら幸せに円満に
子育てができるのかなんて わからないけれど
友人は自分を責めていた。「いろんなことを勉強してこなきゃ
よかった」そう 日本の幼稚園ママ向きの子育ては
15で姉やは嫁に行き、、、の時代からあんまり変わっていない。
何も知らないで家のことして子供を産んで ご飯つくって
「そういうものだ」と思っていたら 何も問題は生まれて
こなかっただろう。


 だけど時代はあまりに違う 先日小児科の先生が
「予防接種に反対の人もいますけどね そりゃ昔は
はしかにはみんなかかってましたよ でもだからって
今の時代の恩恵を受けてるのをみんな無視してそれだけ
昔に戻れっていうんですか?」と言っていた。私たちは
女だからって 沢山の恩恵を受けて育って来たよ
インターネットもグローバル化も 高い教育もみんなある
それでいきなり「女は家にこもって子供でも育ててろ」って
その落差といったら激しすぎるよ だから苦しむ人がいる
彼女達 は 私も含めてその苦しみをどこに吐き出せばいいのか
わからない。旦那に吐き出してしまったら 夫婦仲が悪くなるし
かといって私の友人みたいに全部自分で抱え込んだら
病気になってしまうことだってあるわけで
コミュニティカフェに行ったらいいわけ?
それで?おばさんたちに「こんなものよー
諦めなさい、、、」と諭されることになるのかなあ?



 こんなにも時代は変わってしまったというのに
私たち に 求められてる母のカタチは あまりに古風で
それが合って大好きな人も世の中にはいるだろうけど
他の人たちは?彼女達 は どれほど幸せなのだろか。
私はなんだか ちょっと怖い。今の自分の状況が
どうかだなんて わからないけど だからといって
前のあの恐ろしく孤独で満たされない気持でいっぱいの
あの状況には戻りたくない。今日出会った幼稚園ママが
公園でこう言っていた。「きれいにしてもきれいにしても
散らかされて きれいになるのはほんの一瞬、、、
だからもう掃除をしたいという気にならない」

 そうだよね よーくわかる その気持ち

 
 どうしたらいいのかなんて 私にはよくわからない
どこかに素晴らしい答えがあるのか そんなもの
存在しないのか 女が諦めれば全ては解決してしまうのか
それも私にはわからない。だけど少しは声を出すこと
たとえそれがちょっとネガティブな言葉であっても
だれかとそれを共有すること それって大事じゃないかなあ?


--追記(2日後)

 「どうしたらいいものなのか?」
私にはわかりませんが、フランス式は事前に説明するのが
いいらしく そうかなあと思ってやってみると意外と
うまくいったりもする。。というわけで今日はなんと
お風呂で髪の毛も洗い、歯磨きもスムーズ!
ちょっとありえなくって嬉しかったです。
「お母さんのいうこと聞くとこんなにお母さん
嬉しそうなんだねえ 抱っこもいつもより
してもらえるもんねえ じゃあちゃんと言うこと
きくようにしたほうが蓮太郎も幸せだねえ」
「うん 本当にそうだねえ!」
我が子 第二反抗期?別名やだもんですが
今日は何故かそれなりに言うことを聞いてくれました!
明日もそれが続くといいなあ

不思議な出会い

2011年09月12日 | 私の人生

 最近は私が「51%以上のいい気分の状態を
保つこと」をなんとか心がけているからか
引き寄せの法則、、、と思ってからだいぶ
時間が経過したからか、 これ 引き寄せっぽいなあと思う
出会いがけっこう増えて なんだかとても不思議な感じ。


 そもそも私は旅先以外ではあまり人に
声をかけられるタイプではなく 誰かと
話したいと思ったら 待っていても声を
かけてもらえないので自分から関わらないと
ダメなタイプだったのだけど 最近は
発するオーラが変わって来たのか なんだか
よく人に声をかけられる人になってきた!


 しかもその人 というのが気がついたら
横に寄り添っててけっこう長いこと
会話してしまった みたいな なんというか
この人引き寄せられて来た?みたいな感じが
ちょっとしたりする。お店の店員さんとも
話すことなんてあんまりなかったけれど
最近は向こうから来てくれてよく話すことが
多いんだなあ それでなんか 通り一辺の
話じゃなくて 商品やお店を通して
いい会話ができたような そんな気になることがある。


 さて、おとといはコミュニティカフェのシンポジウムに
行って来て その帰りに会場内にあった水彩画の
教室の展覧会をちょっとのぞいて いいなあこんなの!
この先生の絵といったらなんてうまいんだろう
ああこのとうもろこしや夏野菜の色彩といったら!
やっぱりうまくなるためには私もりんごからかしら?とか
こんな風に描けたらいいなあ!!と思ってた。
でもさすがに水彩画教室にまで行けないか、、、と思ってたけど


 昨日行った日仏ピクニックでは画家だという女性に会って
フランスに住みたいけれどもフランス語がね というので
彼女のことを知りもしないのに出会い頭に「よかったら
フランス語教えますから絵を教えてもらえませんか?」と
申し出てみた。その話はけっこう盛り上がり じゃあ
それでやってみましょうという話になって 今週の
水曜日には彼女の水彩画教室に参加することになりそうだ!
うれしいなー そうしたら私もパリで絵を描いていけるかしら
そう もっと絵を描きたかったんだよなあと思ってた


 そうして今日 息子と横浜トリエンナーレに行って来て
その帰りに息子が寝たのでカフェを探して(最近は
そういう時に店員さんがやたら親切でだいぶ大きな
シートの席を貸してもらえてます。ありがとうございます)
飲みものを注文してから それにしてもこのカフェの
この光は美しいから描いておこうと思ってシャンパンの瓶やら
アイスカフェラテやらを描いていたら 横っちょから
店員さんが「かわいいですね」と声をこちらにかけてくれるではないか。


 彼女とはやたら長いこと話してしまって いいんですか?
仕事中にと思ったけれど 彼女がオランダに住んでいたこと 
向こうの緑のある風景が懐かしくてたまらないこと
東京に帰って来たけど東京は砂漠みたいだと思ったということ
私が最近愛する関内の一番パリっぽい地区にあるカフェで
働いてるのに 彼女はそれでも「緑がない!!」と嘆いていること
そうですよねえ あっちはいいですよねえ
わたしもオランダ行きましたよ 今もフランスに住みたくて、、、とか
話したりして ここでも一人 日本にいながらヨーロッパを
想っておもって仕方のない人に出会ってしまった。
なんだかこれって 引き寄せた出会いな感じがするなーー。


 横浜だって クリエイティブシティだと名乗っているし
(知ってました?横浜や金沢や大阪は自らクリエイティブシティと
名乗ってるらしいですよ!私は最近知りました、、、)
トリエンナーレの雰囲気はなんだかパリのパレドトーキョーみたいな
雰囲気だったし そこにあったカフェも本屋も懐かしい雰囲気で
目の前にはもうエッフェル塔が見える様な だけどよくみたら
置いてある本はみんな日本語で読めてしまう様な
うーんなかなか悪くない!と思ったりもしたのだけれど
今日出会ったカフェのお姉さんは「私はやっぱり外国に住みます」と
言っていた。日本って 努力してるんだけど 何もないわけじゃ
全然ないけど なんだろう 比率が違うってことかなあ?
調べていったら(クリエィティブシティとか)へー こんな
取り組みもあったんだ!って驚くようなことがあるけれど
なんとなく街を歩いてて いやーここってクリエィティブな匂いが
ぷんぷんするなあとか そういうのとはだいぶ違うような気がする。
ないわけじゃないんだけどね 六本木とか 意外と
面白いとこあるみたいですよと昨日出会った人に話してみたら
「でも六本木って気軽じゃないですよね」と言われてしまった。


 そう 日本のがんばってる街 青山も六本木もみなとみらいも
けっこうインフォーマルパブリックライフ度合いは 高かったり
するのだけれど(今日も山下公園や港のあたりでは素敵な
光景を沢山目にして 私も小学生と声をかけあったりしました)
じゃあ「気軽に行く場所か」って言われると 関内も桜木町も
横浜市民で横浜に近い高校に通ってた私にとっても ハイソな場所で
相当な理由がないといかないような場所だった。青山や六本木だって
「ちょっと気軽に犬の散歩に」なんて人はめちゃくちゃな
お金持ちだけだろう。つまりは一般的な人にとっては
「身近な場所」じゃあないんだな。。。


 おそらく今日出会った彼女が感じる違いというのは
「そういうものが溢れている」か「がんばって探せばないこともない」かの
違いなのだろう。東京にはないわけじゃない 横浜にだって
ないわけじゃない でもそこに行くのに1時間以上かかったり
交通費が相当かかったり値段自体が高かったりで
そうなんだ お金があって そういう家柄の人なら何だって
可能だけれど そうじゃない人には閉ざされている
それが日本の現状のような気がするな。それでも東京はまだ
いろんなものに触れられる機会が一番ある都市だろうけど。


 お金がなくても ポケットに500円しか入ってなくても
とりあえずメトロのチケットがあれば楽しめる
そんな街が ヨーロッパにはきっと沢山あるのだろう
東京にだって横浜にだって素敵なカフェは沢山増えた
だからもっと これからもっと お金がなくても
いろんなものに触れられて 興味や教養を伸ばしていける
そして日本がもっと素敵な未来を育んでいける
そんな場所が増えてほしい。

パリへのまなざし

2011年09月11日 | インフォーマルパブリックライフ


 今日は東京の二子玉川で、PRESS PARISさん主催の
日仏ピクニックが開催されて 行ってみると
予想をはるかに超えた人たちが集まっていて
なんと150人くらいが河原でのんびりやっていた!
まるでここ セーヌ川みたいじゃないか。
そう『東京パリ化計画』をお話していた竹内さんは
着々と東京をパリみたいにしているんだなあ、、、


 東京にも こんな空間が出現するなんで
夢にまでみたセーヌ川でのピクニック
楽しそうにワインを飲んでる若者達
ありあわせのもので即席にはじまるピクニック
ポンデザール(芸術橋)の上でもピクニックが
開催されて 人が歩けないほどになるという
話をきいたときにはどれほどびっくりしたことだろう。
ピクニックをする人たちの傍らを 船がボーッと
音を出して通り過ぎ 豪華な船の上には仲間同士で
ガンガン踊っている人たちがいる。


 どんなにか その中に入りたいと思ったことだろう


 そういえば そんな想いすら忘れていたけど
私はけっこうあの3ヶ月でそういうものに参加させてもらってて
そうなんだ それはパリでは「当たり前」みたいなんだけど
入れない年月がずうっとあって ようやくそこに入れてもらえた
そんな場所 だったんだなあ 今にして思うと本当にありがたい。


 セーヌの夜 セーヌ川の夜。 そこにはノートルダムが
まばゆい光を放ってて そのまわりには人が集ってる
夜の9時でも 11時でも そこには人が群れていて
どこまでも人通りは絶えることなく続いてる
それがパリの光景なんだ そうパリはとても美しい。


 そんな光景が私の目を閉じたとたんにいつでも
すぐに浮かんでで 私もう 頭おかしいんじゃないかと
思ってたけど 今日のピクニックにはどうもそんな感じの
人たちが沢山来てて なーんだ私の頭がおかしいというよりも
見てる世界が異なるだけで それを知っててとっても好きな
人たちは 少数だけれど存在してて 日本にいながら
パリの地名を語ってしまう そうそうあそこには何があってね
そうなんだ そうなんだよね そんな人は 居る訳だ。


 私の脳裏には色んなピクニックが浮かんでて パリ在住の
日本人が集まるピクニックにも何度か行かせてもらっていたけど
あそこに集っていた人たちの なんだか突き抜けた感じの雰囲気
あの独特さ 私はそこまでなれないわ、と思ってたけど
その「差」というのは 何なのか って 考えてたら
やっぱり同じ「日本とフランス」という場ではあっても
今日の二子玉川に集った人たちの多くは日本人らしい顔をしていた。
そう ちょっと謙虚な感じで 控え目で でもフランスに興味があって
だけども「住むことにした」人たちは 突き抜けなければいけないものも
捨てなければならないものも おそらく日本に捨ててきたかったものも
沢山あって ものすごい決心をして そこに住むことに決めたわけ で
「いーなーパリ いつの日か行ってみたいなあ」と夢にみている
そういう人とは顔が違う。そうなんだなあ 私がお正月に感じた
近いようでなんだか乗り越えがたい様な溝というのは
どうやらそこにあったんだなあ。


 だけどやっぱり 私もパリにもう一度住みたい。
フランス語だってやってやる!って決めたから
もう人に頼らずに 自分でもなんとかできるくらいに
なってしまえば気が楽だから「みんな、帰って来たよ!
今度はビザもちゃんととったの それでね
今度日本のお茶会しようよ!」と言えるように
そんな風に なりたいなあ。


 パリにあるもの 日本にあるもの
パリにいたら恋しくなるものが山ほどあるのは知っている
私たちは日本人だし ヨーロッパ的な感性を生まれながらに
もっていないし いちいちつまづくこともある。
だけどやっぱり 日本になくって あったらいいのに!と
思えるヒントは山盛りなんだ。今日もわかった パリに
興味をもつ日本人というのは けっこう感度の高い人たちで
画家の人とか 音楽家とか 作家だったり そういうものが
生活において大切だと思っている人たちなんだ
そして彼らは 日本の「日常」生活において
なかなかそれに触れられる機会がないことをよく知っている
だからパリにひかれてしまうし そんなのがあったら
なんて素敵で生きやすいんだろうと思ってしまう
そうなんですよ そんな都会が可能なんです
しかも都市政策で それをすることが可能だなんて
私たちには驚きなんだ。


 私はやっぱり パリのカフェやインフォーマルパブリックの
ガイドがしたいなあ どうしてそれがパリでは可能だったのか
ポイントはどこなのか そんな経験を実際したら
とろけちゃうほどな気持になること こんなのが
毎日のようにあるなんてうらやましすぎる!と思っちゃうこと
アートや音楽や美しいものやゆるやかで素敵な出会いのある
暮らしって 本当にいいよなあ


 パリ?はあ パリ?と思われてたけど
最近はパリ パリ言ってるとまわりの人も
押されて興味を持ってくれるのか なんだか
まわりにフランス語に興味をもつ人も増えたりもして
なんだかこれは かつて留学から帰って来た時
「カフェ カフェ」言っててまわりの人たちに
「はあ?カフェ??」と言われていたのに似ているなあと思う
パリなんて興味ない?そうでしょうねと思うけど
きっとカフェが今ここまで注目されてるように
パリも再び注目される日がくるのだろう。
私は沢山の人にもっとフランスの魅力の部分を
知ってほしい それは観光とかじゃなくって
生き方、哲学、人間のあり方と社会がそれを
どう支えるか?そんなところらへんなのかなあ
もっとちゃんと勉強をして 沢山の人に伝えたい。

インフォーマルパブリックライフのある暮らし

2011年09月10日 | インフォーマルパブリックライフ


 今日は近所でたまたま開かれていたコミュニティカフェの
いろんな事例を聞く集まりに参加して、シンポジウムの様子を
みながら そういえばいろんな会に参加したなーと思い出していた。


 この10年間で なんとなく興味をもって 参加したもの
「全国リサイクル商店街サミット」「路地サミット」
「全国町家再生交流会」それから「ふれあいの居場所サミット」に
「サードプレイスコレクション」ええっとあとは
「全国子育て広場実践交流会」だったかな?あと
コミュニティカフェの集まりも昔いったと思うし
友達が主催しているような場づくりの集まりで事例を聞いたこともある。


 さて なーんとなーく 興味があって 気軽に参加した
それらの集まりは よく考えたら共通項があるわけで
家にじっとしていることができない私にとって
「外に出ること」は死活問題だったわけであり
そんな私が外で見たもの、15年間見続けたものは
インフォーマルパブリックライフだったのだ。


 路地?街の縁側?ふれあいの居場所?サードプレイス?
商店街?それからまちづくり だとか そういうものは
実はみんなインフォーマルパブリックライフであって
家でも学校でも職場でもない それらの箱の外であり
なんとなーく 外に出たくて できれば誰かや何かと
出会いたくって そんなものを期待して
ちょっと靴履いて出てみよう っていう
そんな外での暮らしのことで それが充実している街は
どんどん人が増えてくる。だって暮らしが楽しいんだもん。


 さて 根っからのインフォーマルパブリックライフ育ちの私は
今でも高校生のときみたいに お金をかけずに街に出て
外の暮らしを楽しむ方法を探してて パリはそれが可能だけれど
東京は本当に可能じゃないの?実は知らないだけかなあとか
息子と一緒にいろいろ探検したりしている。


 そんな私たちの(ちょっと迷惑な)インフォーマルパブリックライフの
楽しみ方は、、、ボーネルンド(外国の知育玩具を扱っている
おもちゃやさんで、お金を払って遊ぶでっかいスペースも
あるのだけれど それとは別にただでおもちゃも触らせてもらえる)で
工具のおもちゃや磁石でくっつく立体模型や魚釣りや知育玩具を
使ってみたり 輸入食品店のカルディで無料で配ってくれる
アイスコーヒー片手に試食品をつまみながらお店の中を
眺めてみたり。


 さて、コミュニティカフェ!とか世間では言われているものの
子供のいる母親にとって果たしてコミュニティカフェは
どれほどいいのかなあ?と子供が3歳になるとちょっと微妙にも思ってしまう
というのも例え飲みものが300円でも、2人になると600円で
しかもおやつ食べたい!と言われた日にはそれがもっとかさむわけ、で
ちょっとカフェに来ただけなのに これじゃあランチ食べれるじゃんという
値段になってしまうのだ。(例えば私が通ってた喫茶けやきは
とてもリーズナブルでジュースは250円だったけど、
2人分+ケーキにしたら600円こえて、600円がランチの値段
なんだかちょっと損した気分になりません?)


 うーんどうしよう カフェに行きたいけど2人分払うのは辛い。
そう思って最近は蓮太郎が寝た時にすかさずカフェに行き
彼が寝てる間に私はやりたいことをやるのだけれど
それでもたまには一緒にカフェに行きたいと思う
そんな時 すごいなあと思ってしまうのは哀しいけれどもマックなんだな。


 マックかよーと思うけど 最近のマックはすごいみたいで
我等は六本木の素敵なマックを発見し そこはやたら
お洒落で(なんと一階ではハンバーガーが注文できない!
注文できるのはコーヒーとかデザートだけでカフェみたい)
テラスもあって、2人で飲み物とおやつを頼んで400円、、、
たとえお腹にちょっともたれてしまっても これはなかなかすごいよなあ。


 じゃあお昼は?どこで食べたらいいんだろう?と思ってたけど
先日青山に行った時に青学の構内に忍び込んだら とても
素敵な並木があって「なんかパリみたいだねえ」といいながら
2人でパンを食べていた。そういえば学食もあるみたいだし
そういうのを巡ってみるのもわるくないかも。東大も
ベビーカーの人がよくお散歩しに来るそうな。


 それから公園?実はどういう差別かわかりませんが
外国人が多い地区にはやたらかっこいい遊具のある
公園があり、広尾の有栖川公園はなんだか外国人率が高くて
ブランコも普通じゃないし 六本木ヒルズの住民が
来るらしい これまた外国人率8割くらいだったロボット
公園というところにはやたら長い滑り台がいくつも
存在してて なんだかここはパリみたい! 蓮太郎も気にいっていた。
ちなみにフランス人の多い神楽坂や飯田橋にも 
なんだこの遊具!こんなの近所にないよ という
豪華な遊具が存在してる。日比谷公園とかにも
遊具はあるのかな?皇居の中はどうなんだろう?
もっと探検できればいいけど、、、代々木公園も
息子といったら意外と面白いのかな。


 東京は確かにお金がかかる。なんたって
真ん中に住んでなければそれだけで交通費がハンパじゃない。
でも真ん中まで足を伸ばしてみると 意外なことに
外国で着想を得た誰かがここもこうしてみよう!と
がんばっていて へーえ六本木ヒルズに
お絵描きコーナーが!とか いろんな発見があるみたい。
(ヒルズにはボーネルンドの遊具を使った子育て
休憩室みたいなのがあって、タダで授乳したりお茶のんだり
ちょっと子供を遊ばせたりできました)


 東京も 高校のときは散々探検したけれど
まだまだ日本に詳しいフランス人に案内できるほどには
私の中のデータがアップデートされてない。
そういえば駒沢公園とかもあったなあ 秋葉原にも行ってないなあ
谷中根津千駄木も 久々に歩きたいんだけどな
交通費を考えると うっとひるんでしまうけど
午前中から お弁当をもって出たなら 相当堪能できるだろうか
東京にも素敵なところは沢山あった
東京に インフォーマルパブリックライフがあるのなら
もっと私も発見したい。おすすめがあったら教えてくださいね!

息子から学ぶ人生の楽しみ方

2011年09月09日 | 子どもから学ぶ


 我が息子 は みなさん写真でご存知の通り
笑顔がウリで ブログを見てから会った人にも
「まあ写真の通り 本当によく笑うのね!!」とだいたい
いつも言われるように まあよく笑っている訳で


 かつての私は どーしたらこんなに笑えるのかな
どうしてこんなに彼は人生が楽しそうなんだろうと
思ってた。当時の私はかなり「犠牲の母」だったので
子供が産まれて「母」という身分になって
それでしかない自分になって 得体のしれない苦しみがあり
(でもそれは私だけではなかったことが高校時代の
同級生で子育て中の人たちにあってよくわかりました)
そこから抜け出したい、本当はこんなの嫌だ、という
気持で一杯だった。壁のような団地に囲まれ 三輪車を押しながら、、、


 さて、最近は色んな心境の変化があって
まあ多分 パリに行って変な人たちに会って来て
帰って来てから「私はそんなに変じゃない」と思ってたけど
どうもそうではないようで いろんな現実が変わり始めて
もうこうなったら仕方ない。どうせ私はおかしいですよと
思い始めることにした。最近なんて 自分でもたまに
頭おかしいんじゃないかと思うことがけっこうあるけど
でも私の好きな人たちは(ボーヴォワールとか藤田とか)
自分は頭がおかしいんじゃないかと思ってたこともあるわけで
まわりからもおかしいと言われたことはあったけど
だけど彼らはそれでも何かを貫いた。


 
 不思議なことに 京都のニュータウンに居たときは
普通のママであることをへんに心がけ ママサークルに行っても
ほとんど自分を出さず、私はそんなに違わないというか
無理に合わせようとしてがんばっていた
(でも客観的にみたら相当浮いていたんだろう)


 それはやっぱり自分に自信がなかったりとか
「合わせなきゃ」という雰囲気の中 向いてないけど
いいママを演じようとしてみたり なんとか主婦であろうとしたり
私は私なりにがんばったけど それは演じてただけだった。



 今私の置かれてる状況は 素晴らしいのか 素晴らしくないのかは
わからないけど でも先日本当に子育てで自分をほとんど
なくしてしまって かなり苦しそうな状態にいる友人と会い
痛いほどその気持がわかって お茶をしながら色々話をしたけれど
私は少なくともあの状態から脱出させてもらえただけ フランスに
行かせてもらえてよかったんだなあ と 思った。
私はどこか違う世界にピューンと飛び出してしまったから
今は違う世界から彼女の置かれてる状況や 過去の私が
置かれてた状況の苦しさが 客観的にわかるようになったみたいで
その選択が この先にもいいものをもたらしてくれるのか は
神のみぞ知るわけだけど それでも私は私になった
自分 というのを思い出した それだけで大きな収穫だった。


 そうして私はまた今度日本に帰って 自分が人とは違っていること
自分はどうやら変であること それをついに認めざるを得ない時がきて
「もういいよどうせお母さん変だもん!」と思ってしまうと
これはかなり気が楽で 「どうせ変ですよー」と思うと
人目を気にしないで済むようになる。それに息子も変なので
2人で変なことをしてると楽しい。それがわかった。


 私はかつては「真面目が服を着たような人」と言われたりも
してたけど 今でもきっと根は真面目なわけで バカ と言われるのが
怖かった。私は頭のいい人に憧れていた。でも最近のフランス滞在で、
どうもインテリジェンスとバカは両立可能らいしということが
わかった気がして そうさ、最新の教育学では「遊びこそ学びだ!」って
言ってるんでしょ?なら誰に遊びを教わるかって 子供に
学んでこそじゃない?というわけで 私は人生の楽しみ方を
息子に教わることにした。


 そして秘訣はどうも思いっきりバカなことをすることじゃないかと
私は学び だからお風呂の中でも思い切り遊び 外にいっても
2人で飛行機のマネして長い距離を走って行ったり
変なポスターや変なものをみては「変だねえ フランスみたいだねえ」
といって笑ったりして そうしていると なんだかけっこう面白い。
いかにして楽しむか いかにしてバカなことをするかというのは
やっぱりかなり頭をつかうことらしい。インテリジェンスと怠け者が
両立するというのも多分そういうことなんだろう。
私は産後しんどくて あまり動きたくなかったから
できるだけソファーに寝転がったまま動かないで かつ
息子を喜ばせるすべを考えていた それでいろんな遊びを
生み出して それで彼は笑顔になった そんな気がする。


 「れんたろうって変だねえ だからフランスで
へんたろうって言われるんじゃない?(フランスは
Rの発音がHみたいになるのでそう聞こえる)」
「へんたろうってよく言われちゃう あはははー(満面の笑み) 
でも ママも変だよねえ?」
「そうだねえ みんな変だねえ」
そんな会話をしょちゅうしていて なーんだ
変だと思ってみると どうせ変だしと思ってみると
なんだか気が楽だなあ。前は「私は別に変じゃない」とか
「私は普通だ」と思ってたけど自分でも
私はおかしいかもしれない と 思ってみると
人にたとえそう言われても 「まあそうですよね
私もそう思います」としか言いようがない。
でもおかしいよなと思ってる時に 奇跡が起こることもある。
普通では考えられない様なことがありえてしまうこともある
だからなんとも判断できない そんな気もするのだけれど。


 息子がいるからできないことも山ほどあると思ってた
でも逆手にとったらこんな息子がいるからこそ
できることも沢山あるはずで それはやっぱり
相手と一緒に楽しむことだ。なんせ一人じゃバカはしにくい。
でも2人だったら一緒にアハハと笑っていられる
明日もなにか 面白いことあるかなあ
いろんな発明 いっぱいバカなことを考えて
一緒に日々を楽しみたい。


 

感情のコントロール

2011年09月08日 | 私の人生


 最近私はなんとかようやく自分との付き合い方が
少しずつわかってきたようで いい気持で過せることが
だいぶ多くなってきて そうすると引き寄せの
法則が働くらしく わーまたいいことあった!というのが
多く、なんだか楽しくなってきた。


 「自分の気持を変えること は 運命を変えること」だと
最近読んでる本には書いてあり それって 、、、 すごいことだな!
かつてトイレ掃除でお金持ちに?という本を読んでそれで
お金持ちになれるならやってみようと実行に移したことがあるけど
(効果はあったような そこまでよくわからなかったような、、、)
でもこの「気持を変える」というのはすごい違いがあるようだ。


 この5ヶ月くらい いやもっと?散々自分の感情に
翻弄され続け、どうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
私はもうなんでもいいから感情のワークショップとかに行きたい!と
思ってた。もうどうにかしたい、、、でもそういうものには
出会えなくって それなら本に書かれてることで頑張ろう、と
いろんなことを実行してみて 今日は感情のコントロール3日目
なのだけれど 今日もだいぶ乗り切った!ので これは
この先もいけそうだ(3日坊主にならないのが私の自慢のはず、、、)


 さて、その本によれば「51%」が大切だそうで
100%いい気分!!うきうき、わくわく 飛び跳ねたい!
にまで至らなくっても、いい気分が悪い気分を上回っていれば
いいらしい。普通の人は自分の感情の状態に向き合うことが
あまりないから、今どんな状態かというのがよく
わからないらしいけど わたしはこの2ヶ月散々向き合い、
翻弄もされてきたので、今どういうとこらへんかがよくわかる。


 へーそうか 不思議なことにこのことを考えても
そんなにいい気分じゃないのかな とか これがあると
気分が上がるなとか 嬉しいダンスをしたいくらいの気分の時とか
ネガティブスパイラルに入りそうな瞬間だとか

 そんな時 何かに対してムカッときて もー!と
思い始めたら要注意。やばい、今47%、45%、と
低下していくのがよくわかる。ここで51%を上回らないと
どんどん嫌なことがやってくる。そしていいことは何もない!
ので、芽が小さいうちにつんどかないと!!
がんばれー、いいことを考えよう、いいイメージ
それからいいようにとらえることだ、、、と訓練すると
なんとなく身に付いていくものなのかしら?


 というわけで けっこう大変だったけど 3日間、前よりももっと
感情のコントロールを頑張って そうしたらかなり
いい気分で過すことができ 沢山のいいこともあって
(最近は電車でよく席が空くようになって困りません!
ありがとうございます)今日は久々に夜一人だし
銀座にきて地下のロッテリアもなんだから ラーメン屋さん
探そうかなあ 何日も前から食べたかったし、、、と
新橋までなつかしの道を歩いて やっとのことで
以前入ったことがあったような岡山ラーメンの店をみつけて
(なんとラーメン550円!)これがめちゃくちゃ美味しかった!!


 いやーありがたいなあ こんなに美味しいって思えるのも
長いことラーメン食べたかったからかなあ 美味しいなあ
嬉しいなあ と こんなにラーメン屋で一人で幸せを感じたのは
初めてなんじゃないかなあ?  私わかった。そうパリでよおく
わかったんだ。どんなに美しい景色があっても 自分の気持が
マイナス感情で歯止めが効かなくなってると 景色は全く
意味をなさない。あれほどまでに美しいセーヌ川とノートルダムも
わーきれいだなあ!なんて素敵なんだろう!って思えなくなってしまう。
それは感情の問題なんだ。いい感情を抱いていれば
満席で通路に座ることになってしまった新幹線でも
私はラッキーだなあ スーツケースがあるから
座ってられるし 本があるからいい時間を過してられるし
と思っていられる。全ては自分の感情次第らしい。


 それでいい感情でいる時間が長ければ長いほど
引き寄せの法則でいいことがやってくるんだそうな。
だからこそ 自分の感情を上向きにもっていくこと
そこにすごい力をかけてみるだけの価値があるってことなんだ。
そうかだったら いいものを持とう
毎日持ち歩くものがいちいち気分を上げてくれるなら
それにこしたことはない そうかだったら
もう少しいい服を着た方がいいんじゃないか
そう思って街を歩くと そうそう 街はやっぱり楽しくなってくる。


 いつだったかネガティブ感情全開の時に
青山を一人で歩いた時はちっとも楽しくなくてそれに驚いたけど
ポジティブな気持で欲張りになり うーんこんなのあったらいいなあ
そんなことを思いながら街を歩くとやっぱり楽しい
あんなことしたい こんなことしたい
今度パリに行ったらあの人とあれやって これやって
そういうことを考えている それはやっぱり楽しいみたい。


 51%だけでいいから 感情を上向きに持っていくこと。
そしたらそれが作用して いい気持が70%くらいになったり
75%になったり 何かがうまくいって120%になるかもしれない
感情を変えること は 運命を変えて 自分を変えて
しいては世界を変えるらしい。そのために は なるべく
自分の好きなものを考えること 好きなことを大事にすることなんだそうな


 自分のものの見方1つで世界は全く違って見える
それってすんごいことなんだなあ。。。


それが仕事になるのなら

2011年09月04日 | フランスへの道


 最近私が目にする類いの本によれば
理想は描いた方がいいようで はっきりと
イメージできればそれがカタチになるんだそうな

 じゃあさ そんな そんなことが仕事になったら
そりゃ面白くって仕方ないみたいな そんなことも
仕事になれたりするのだろうか。


 私にはいろんな病気みたいなのがあるようで
最近気づいてしまったのが、家の中というか
閉ざされた空間にいられない病みたいなのがあり
密室で人の出入りがない空間みたいなところに
ずっといると本当に恐ろしくなってしまうらしい。

 そういうことで説明すると 子供を
産んだばかりのときに 他の人はそうでもないのに
私があんなにも孤独と不安を感じて恐ろしくなっていたのは
密室に閉じ込められて しかも外の風すら
感じることもできない場所で(病院と
帰ったあとも京都はありえない猛暑でエアコンを
5分止めたらもうダメ、、という感じだった
蛇口をひねるとお湯が出たんですよ!)
外にも出られずひたすら家にいて誰かが
訪れてくれるのだけが救いという日々は
本当に辛かったんだなあと思う。
(そして産後で猛暑なのに外に出てよけいしんどくなった)


 そういうわけで 今日みたいに台風がきてても
どうしても1日家にいることができない私は
なんとかして外に出ようとするわけだけど
そうです 子供がいても 雪だろうが雨だろうが
子供をかついでコミュニティカフェやらに行っていた
それは蓮太郎どうこうじゃなくて 私が密室に
耐えられない人だったからなんですね。


 それで私は なんでもいいから人のいるところに行きたい
そう思って まあ一番落ち着く先がカフェなのだけど
もう駅でもいいし 図書館でもいい 誰かがいるとこ
そういうところに行ってれば なんだかホッとするのだけれど
「外の空気を吸っていたい」それは私の1つの病気。。。


 それからもう1つあったのが 海外に行きたい病?
外貨両替病?それとも 海外の宿を調べてしまう病気?
これはけっこう重傷だなあ と 前にパリに行く前に
かなり気がついたのだけど 蓮太郎と行こうとしていた
ベネチアに どこに宿があり 乗り換えはどうやって
ここはいくら で あっちはいくら あー私
こんなとき英語が読めてよかった!それでかなり
情報が入る そう ベネチアを夢見て検索していた
泊まるべきホテルはすでにしぼられていた
(確か予約もしたような、、、)


 結果として蓮太郎とはその時一緒に行かなかったけど
向こうの宿の調べ方は身に付いて それから先も
航空券はやたら予約したから そういうのもかなり
身に付いた。それで昨日、パリのカフェのツアーの
話をしていたときに「じゃあ航空券と 宿ですね
どんな宿がいいですか?ユースとかも面白いかも
しれませんね!じゃあ調べてみます」と言っていて
こーんなことが 仕事になったら!!
なんて素敵じゃないかと思った。
だって病気みたいなものなんだもん。
そうやって想いをはせて うーんとあそこには
ナントカがあり じゃあ近いのはこっちで
あそこにしたらどうかなあとか 泊まった人の
コメントを入念にチェックしたりとか そこでの
出会いをイメージしたり そういうの も
意外と英語とフランス語が役に立ち
なんだか今までやってきたから自分ができる
そう思えて嬉しくなる。
(そういえばローマの宿もよく調べてた、、、)

 今日はパリの宿を調べて 今回はフランス語だったけど
もーこれくらいならかかってこい!という気分になって
それはそれでなんだか嬉しい。

 
 私はなんだか変なので やたらとどこかに想いをはせたり
時刻表に見入ったり そこでの世界を想像したり
そんなのきっと馬鹿らしいけど それが役に立つことがあるのなら
そんなに嬉しいことはない。パリに行ったら あそこに
行って あそこもよくて あーじゃあこんなことも
できたらいいですね どうしたら実現できるかな?
誰に声をかけてみようか そう考えるのが面白い。


 この先どんな風に生きていけるのかわからないけど
「旅」っていうのは私の中のテーマでもあり
「人生が変わる様な旅」というのは 私にとって
一年前からの大きなテーマでもあるのだろう。
なんせ私はその旅で何かが揺らいでしまったわけだから。


 私はかつて 留学しに行ったパリで はじめに泊まった
ユースホステルで 日本人の人たちに会い、なんで住もうと
思ったかについてこう語ったことがある。「旅で感動しても
日本に帰ったら変わらない日常に流されてしまうことがある
でも住んだらもうそれは自分の中に根強くのこって
変えられないものになる気がするから、、、」
そうそして 私の人生はなんだか変な方向に向かってしまった
パリはあまりに強い刻印を残してしまった。でも
そんなパリ を ただエッフェル塔に行くだけじゃない
ルーブルに行くだけではない 人生観が揺らぐ様な
そんなパリのあり方を 日本語でみせることができたなら
そりゃあいいだろうなあと思う。


 私のパリの友人たちは みんな日本がいいというけど
パリには何か 日本にはなくて すごく魅力的な何かが
沢山存在している。それをもっと肌感覚で 伝えられる
そんな人になれたらいい。

パリのカフェガイド

2011年09月02日 | パリカフェツアー


 最近は前向きな言葉を自分にかけまくってるからか
ちょっとへこむことがあっても その後に
うわー嬉しい!ということがあり その
嬉しい!嬉しい! パワーでなんだか
乗り切れてしまいそうな 本当にありがたいなあ
神様はやっぱり見守ってくれているのかな と
思わされるようなことがあり 本当にありがたい限りです。


 今日は西国分寺のクルミドコーヒーさんに行って来て
ちょうど1ヶ月前にアイデアが出て「やりましょう!」という
ことになったパリのカフェツアーの話をしてて
インフォーマルパブリックライフの話をしたり
カフェの話をしたり、お金がなくても楽しめる都市の
話をしたり、五感を使ってもっと感覚を開いてくことの
話をしたり こういう話をしていると
私が3ヶ月パリにいたのも そして苦しいこともあったけど
ひたすら公園に行き 最後の最後にそうか
インフォーマルパブリックライフだわ!と気がついたのも
全然無駄じゃなかったんだなーと思えて嬉しくなった。


 パリのどの公園には何があるとか あそこの
遊具の下には木のチップがしきつめられているだとか
ラビレットの遊具の場所は砂浜みたいになっているとか
そんなどうでもいいようなことが 役に立ったりもするんだな!


 私は今日 いろんなことが嬉しくて
そう まさにそう 1年前に パリのカフェで話をしていた
もっと楽しめる個人むけの旅ができたら そう日本語の
話せるフランス人とも交流したり マルシェで買い物したり
買い物の仕方を教えてあげたり そんなこと ができたならなんて
あの時語っていたけれど それから急遽 私は
日本のガイドの資格をとろうと決めて試験を受けて
だけど私が本当にしたかったのは 面白そう!!!と
思うのは やっぱりパリのカフェガイド。



 ねえ 私がシアンスポに行っていた時
苦しくて仕方のなかった10年前に 私と語学交換をしていた
セバスチャンはこう言った。「ミキはカフェのエキスパートだね」
私はフランス人の彼にそんなことを言ってもらえて
「今日はどのカフェに行く?」ってカフェを選んで
いっしょにがんばって勉強していた そんな彼に
”Tu es un expert de café!"って言ってもらえて嬉しかったよ。
エクスペールが何を意味するか そのときはよくわからなかったけど
思えばパリでは 何も私はわかってなかった
アートのことも 知的なことも 日本についても知らなかった
でも何かが話したくって 一生懸命 会話だけは頑張っていた。


 あの頃 に 比べたら 私はかなり変わっただろう
話をすることもできるようになったわけだし
話す内容自体が豊かになった。それにカフェについては
本当にエキスパートかどうかはわからないけど
フランス人にもだいぶ話ができるようになってるし
きちんとした知識だってけっこうあるから
私のほうが知っているということもある し どこそこに
どんなカフェがあるかは だいたいはよく知っている。
そう あれから10年経って 私はだいぶ成長をして
そうしてついに 遠い 遠い世界だったものたちが
私の近くまでやってきそうになってるのかな
それは とてもありがたい。


 パリもカフェ も 夢だった。 遠い 遠い 存在だった。
高校生のとき あんなにも憧れていた パリという場も
カフェという場も 自由が丘が精一杯だった私が一人で
パリにいったのは 18歳の時だった。それから色んなことがあり
苦しいフランス語を乗り越えようとちょっとずつ努力して
苦しい思いはいろんなところで沢山したけど
七転び八起きであるのが 転んでもただでは起きないのが
私の特色であるのなら それを活かすべきなのだろう。


 そうだ ただでは起きてたまるか!そうやって苦しさをバネにしたなら
いつの日か あああの苦しさも あれがあってこそだったのかなって
わかる日が来るかもしれない。シアンスポに行ってなかったら
カフェにはこんなに行ってなかった。京大が苦しくなければ
カフェで書くことはなかっただろう。あそこで苦しい思いをしたから
妊娠中に本がなんとかカタチになって きっとそう
ニュータウンで辛かったのも サードプレイスや
クリエイティブシティやら に 向かって行く過程なのだろう。


 道 っていうのが あるのなら そうやって
いろんなことを俯瞰的に見て行くと 私の場合は
パリやらカフェやらにどうもつながっていってるようで
あーあの時あの人がここに来てなかったら(人生も
激変しなかったけど)こうはなってなかっただろうな
でもあの人のお陰で私はどこかにつながったのかな
そう思うことが沢山あって それらの道は
私の場合はローマじゃなくって パリに通じているようだ。


 憧れた ら すぐに住んで それでうまくいく人だっているのに
どうして私は10年もこうしていたのだろうと思うけど
それものちのち意味が見えて来るのかな 日本にいたからこそ
わかる視点もあるのだろう。そう それはあるはずなんだ。


 パリのカフェ は世界中の カフェ的な場を愛する人たちにとって
なんだか聖地の様な場所。フロールだって 世界中の人が
集まって来る。私ももうすぐ もっと近くに入っていける
そんな世界をもっと有意義に この10年間にあったものごとを
活かしていって 紹介できる人になっていけるかもしれない。
パリには「何か」があるはずなんだ パリに当たり前に
存在してて 世界の他の国々には なかなか存在していないもの
それを求めて世界中の人たちがいまでも何故かやってくる。
その秘密を解明できるのは フランス人だけじゃなくって
「ない」からこそ見ることができる 外国人であるかもしれない。
そう 私はそう思ったから 日本の変革期に来日していた
お雇い外国人のまなざしのように その国にはないからこそ
見えるものがある それを私は大切にして
もっとあの中に踏み込みたい。 そのために?は
フランス語!そして知識だ。これからもっと 頑張ろう。

横浜の香り

2011年09月01日 | パリのカフェ的空間で


 今日はトリエンナーレに行くぞーと思って
友達を誘って蓮太郎とともに久々の横浜、
横浜 といっても横浜駅ではなくってハマッコの
誇りでもある(?)山下公園付近に行って来たのだけど
なんだか横浜はとてもよく そう 私
前にもみんなで横浜に来た時に思ったのだけど
もしかして ここは私の原点なのかもしれないなーと。


 関内 という街は 特に何にもないような
神奈川県の庁舎なんかがある街で 神奈川県民だからといって
なんとなく ふらっと来る様なところではなく
1年に何回か 用事があって来る様な それは
デートであったり 誰かとの約束だったり
パスポートの申請だったり そんな街なわけだけど


 ここってなんか すごいなあ なんか意外と好きだなあって
前に来た時驚いて 何がそんなにいいのかよくわからなかったけど

 3ヶ月のパリから戻って今ならわかる。ここは
日本のパリだったのだ!! それでね 日本で
あーここはパリみたい って思えるとこって
ほんと少ない。10にも満たないと思うから
だからわざわざ来たくなっちゃう そんな場所 なのかなあ。
(よく考えるとそういうスポットは必ず大きな街路樹がある)


 関内には何があるかと言いますと
やたら綺麗な並木道がいくつかあって
並木沿いにはウィーン風とかフランス風とか
テラスが出ているカフェがいくつかあったりするし
山下公園の近くはまた並木が綺麗で街灯もお洒落。
あの船がどーんという感じは(海なんだけど)
セーヌ川に似ているし なんせこの街は人通りが
少ない割にはカフェが多い!しかも緑がみえる
パリ的なカフェ。私は今日気づいたのだけど
日本にはカフェが3軒隣りあってるような場所って
ほとんどない。居酒屋とかはところ狭しとあるけれど
関内にはいくつか2軒ほどカフェが隣りあってるような
ところがあって そういうのを見ると「どうして
こんなにカフェが?」とか なんだか違和感を感じてしまう。
でもそれはとてもパリっぽくって どっちの
カフェに行こうかな こんどはこっちに行こうかな
どっちの眺めがもっといいかな そんなことを 思わされる。


 しかも不思議なことにみんながみんな超高級というわけでもなくて
今日は海が見えてみなとみらいも見晴らせる素敵なカフェを
発見し(自分でいいカフェを発見する喜びといったら!!)
そこはコーヒーが300円でテラスもあった。お姉さんも
感じがいいし こんなカフェ が あるんだなー。
もちろんセンスもすごくよかった。


 そういうところ、カフェとかテラスとか並木道とか
芝生とか水辺とか船だとか かっこいい建物だとか
街灯だとか そんなのが広範囲で広がってる街 それが
横浜の港あたりなんだなあ。そんな街 が知らない間に
私に与えた影響は きっと測り知れないものなのだろう。
自由が丘は自分で選んだ。横浜はそこに住んでいた。
行きたい行きたくないとかじゃなく 何かがあると
行く場所だった。遠足でだって行っただろう。
横浜市歌だってひらがなで意味もわからず覚えさせられた。
そこには外国の香りがあった 憧れていた異国の世界
港の向こうは外国だった そうここは開国の街。


 今日は開港記念館の前を通って(ここにも素敵なカフェがある)
昔彦根城に行ったときよりももっと強い気持で井伊直弼に感謝した。
開国してくれてありがとう。また鎖国したらいいのにとか
思ってたこともあったけど あなたのお陰でこの素敵な関内があり
そんな場所があったから 私は見知らぬ世界に想いをはせて
生きてきました。そうしてそこにも行けました。
開国してくれて本当にどうもありがとう。


 今日は運良く乗れた「あかいくつ」という巡回バスで
蓮太郎と観光するか、と何年ぶりかの「港の見える丘公園」
あたりの風景もみて うわあ この辺 高校生の時来たっけか
めちゃくちゃ憧れていたよなあ よく一人でさまよっていた。
外国のブリキのおもちゃ インターナショナルスクールに
外人墓地に フランス風の建物に、、、 そうです
私が若かった頃 インターネットなんてなかった。
私は今の若者世代とは違う環境で育ってた。

 20才になったころ まだインターネットは強くなかった
「世界」はまだまだ遠かった。語学だってカセットと
本で勉強していた フランスのイメージは本や
こういう街だった。でもありがとう 港ヨコハマ。
そこには素敵な世界があって 私はさんざん想いをはせた。
何度インターナショナルスクールの文化祭みたいなのに
紛れ込んだことだろう。私は帰国子女になれなかったけど
いつか私は外国にいって 子供を帰国子女にするんだと
その頃に思ってた。そういう世界を思い出し
それだけで胸がキュンとなる。


 憧れていたいろんな世界 カフェに パリに 自由な世界
インターナショナルな雰囲気に 私は自分で 少しずつ
近づきつつ あるのだろうか。


 日本は日本で 街ごとに色んな表情があって面白い
ヨコハマや神戸 それに下町 六本木に新宿に
山下公園に日本庭園 それから京都 瀬戸内海。
みーんな色んな顔をしていて それはそれで面白い。
だけど私はあまりに強く 憧れ続けてしまっていたから
15にして学を志し 30にして立つ を目指して
なんとなかの地で頑張りたい。パリのカフェがある街のあり方
沢山の緑に囲まれた都市のあり方 そしてアートが身近な
都市のあり方 横浜はそれを敏感に感じとり 何かを
やってきたのだろう。私はもっとパリのことを理解して
それを日本に伝えたい。おそらくそれは私だけじゃなく
多くの人に役に立つ要素があるはずだから。
横浜の港と自由が丘と青山の雰囲気がいいと思うのは
決して私だけじゃない。そこには隠されたいろんな要素が
あるはずなんだ 人がつい 歩きたくなってしまう街
なんとなく外に出たくなってしまう街には 何か
大事な要素があるはずなんだ 私はもっと
それをしっかり探って人に伝えたい。

フランスに行くなら

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