alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

子供とカフェに行くということ

2011年04月30日 | 日仏子育て事情

 今日は念願のカンニバルカフェという
前からけっこう好きだったカフェに
行ってみたのだけれど フランス人の友人と
その友達と蓮太郎と私という組み合わせ で
そもそも息子と2人でだって まともなカフェに
入ったことは3回くらいしかないというのに
「なんとなく よくある感じで待ち合わせ」を
してみると 案の定 それがうまくいくわけもなく
ここはフランス フランスに慣れてる人は
約束の時間通りに到着することもあまりなく
それが私だけだったらノートでも取り出して
考えごとしてまあいいかと思うのだけど


 息子がいると 注文した飲み物や
食べ物が目の前からなくなってしまったらもうおしまい


 そう かつて友人が京都に来たとき
私にこう忠告してくれていた
「美樹ちゃんのためを思って言うけどね
れんちゃんとはフランスに行かない方がいいと思うよ
だってせっかく行くならちゃんとした研究をしてほしいもん」
その彼は我が家に2泊して 彼と行った嵐山のカフェでは
注文したパフェがすぐくるかどうか そして
息子が食べ終わったらどこまで時間がもつのだろうか
そんなことで気が気じゃなかった
せっかくだからと一緒に行ってみた仁和寺では
息子はお寺の中で大泣きし 入場料を払った私は
やるせない気持でいっぱいになりながら
木でできた廊下の上を泣き叫ぶ息子を抱えて
逆方向に歩いて行った。あの時は本当に辛かった。

 
 そうして私はそんな彼の忠告に従って
一人でフランスに行かせてもらって
沢山のカフェの写真を撮って 2冊目の本を
準備して、、、と思ってたけど
今日カフェで出会った人に質問されて辛かった。
「今回は本を書きにいらしてるんですか?」

 この一ヶ月 本のことなんて
ほとんど頭に浮かばないくらい
私は子育てで一杯だった

 カフェ?子育てカフェは行ったけど
まともなカフェは パリに溢れているというのに
5回も行ってないだろう それはお金がないだけじゃなく
「蓮太郎と行っても仕方がない」と私が思っていたからだろう


 子供がいたら?そうそんな自然な待ち合わせ も
「ミキさんと行きたいカフェがあるんです」と言われても
「ごめん息子がいるから無理です」になってしまう
息子は息子でちょっと我慢しようとやってみるけど
結局うまくいかなくて ストレスを抱えた私も
ストレスを抱えた多くの母になった日本人も
到達する答えというのは同じだろう
「やっぱり行かない方がいい」


 そうしてみんな 諦めていく

 カフェ?無理だね じゃあせめて子育てカフェはどうだろう


 でも私 今日思ったのだけど
息子は日本でカフェに200回以上行っていると思うけど
彼にとっての「カフェ」というのは子育てカフェのような
適当に床で遊んでもいいカフェでしかなく
もしかして 彼はカフェというのを理解していないのかもしれない


 どうしてこんなことするんだろう

 どうしてこんなにひどいんだろう
 
 どうして怒らせる様なことばかりするんだろう!と思うけど


 もしかして ちゃんと説明して
ちゃんと理解をもとめてそしてトレーニングを繰り返したら
彼もできるのかもしれない。


 日本ではすぐ諦める。

 「子供だからね」「子供にはしんどいね」
「子連れでこんなとこ来るべきじゃなかった」
「こんなことしようとした私がバカだった」
そうしてどんどん子供を抱えた母親は社会から
隔離されていく。「子供がいるから何事も
思うようにいかない」母になったその人を
まわりの独身たちは理解ができない
だからどんどん遠ざかってく


 子供がいるから?子供を生んだばっかりに?


 私は本当に哀しかったし辛かったけど

 すべてを諦めないといけないのだろうか

 もしかして やったらできるかもしれない

 それには時間がかかるだろうけど

 まずはカフェに座ってみること
 そして遊びや習慣をつくっていくこと
自分もそれに関わっていって
しばらくしたら 彼は一人で遊んでくれるかもしれない
いきなりその場で言うのではなく はじめから
言い聞かせたら?わかってくれるかもしれない


 彼はメトロでいい子にできるようになったじゃないか
だいぶ手をちゃんとつないで歩けるようになったじゃないか
廊下だって そーっと歩けるようになったじゃないか
だったらちゃんと はじめから「子供だから無理」と
諦めないで こちらも一緒にがんばったなら
カフェにも行くことができるのだろうか
カフェで一緒に時を過して
いい時間を共有することができるのだろうか





 フランスは 「子供だから」と子供とその母親を
セットになって社会から隔離してしまうのではなく
子供だけ保育園にいれてしまうか そうでなければ
他の場所ではそれなりにしつけして
なんとかして 私もそこに行ってやろうと
諦めない姿勢があるように思う
私はここで子供を一人で寝かすことをようやく覚え
そのおかげでだいぶ気持が楽になった
カフェでもなんとかできるだろうか
簡単にはいかなくっても それでもやっぱり
私はカフェに居たいと思う
明日から やっぱり息子とカフェに行こう
そして時間の過ごし方を 一緒に開発できたらいい。

――追記


 その後一ヶ月くらいして訓練をしてみたら
意外にもカフェに行けるようになり、カフェは
こういう場所だというのをわかってくれるように
なりました。「蓮太郎 カフェいったらどうするの?」
「じっとしてるの」「走っていいの?」「ダメ」
「車で遊んでいい?」「ダメ」「じゃあお話は?」
「していいの」「カフェは椅子から降りたら終わりだからね!」
というわけで30分くらい一緒に過せるようになり
カフェ好きの息子になりました。やっぱり
「子供だからどうせ、、、」と思わず「これこれとは
こういうものだ こうするものだ」というのを
教えるとできるようになるみたいです。すごいですね!

1ヶ月

2011年04月26日 | インフォーマルパブリックライフ


 今日久々に母に電話をして懐かしい声を聞いたら
「そういえば今日でちょうど1ヶ月になるのねえ」と
母に言われて気がついた。そういえば なんだか
よくわからない不安やらいろんな気持を全部段ボールに
つめこんで 必死の思いで航空券を予約して飛び立ったのは
25日の金曜だった。そうそして もう1ヶ月が経ったんだ。


 「子育てしてると時が経つのが早いでしょう?」とは
よく言われて来たけれど 私はこれまでそんなことを
思ったことは一度もなくて 長かった 本当に長かった、と
思ってきたのだけれど ここにきてからは早かった。


 息子と一緒に今日の夜も歯磨きをしてちょっと遊んだりして
「はいもうねんね!」と言い聞かせ そういえば昨日も言ったな
もう今日も夜になったのか、、、となんだか不思議な気分になってた
時が経つのは本当に早くて 1ヶ月もパリにいたけど
ほとんど息子にかかりっきりで(この間本当に一人になって
息子と離れたのは計6時間くらいしかないから私にとっては
生んだ直後なみの密着度なのかもしれない)
パリを見たのかといわれると エッフェル塔を眺めたのと
遠くからモンマルトルをみたくらい?モンパルナスタワーも
みたけど そういえば凱旋門もちょっとかすった そんなもの。


 毎日のように公園に行き(来てからほとんど雨が降ってない)
ピクニックしたりスーパーやマルシェで買い物したり。
時差ぼけやら子育て観の違いやら いろんなものに戸惑って
泣きたくなったり泣いてしまったり 時折日本が恋しくなったり
日本語で話したくなったりするけれど



 それでも?それでも 今朝はまた蓮太郎が夜中の3時に
大泣きをして それでかなり疲れてブルーになっていたけど
ここの人たちの協力のおかげでいままでなんとかやってこれ
今日はそのあとは蓮太郎も公園にいって砂場で1時間くらい
たっぷり遊んでなんだかとても幸せそうだった。

 先日まで田舎でのんびりさせてもらった分だけ
ちょっと節約できていたから もう今日は久々に来た
モンスリー公園の近くの中華街にいってベトナム料理の
フォーを食べよう!と心に決めて
パリに来て1ヶ月記念なのだか はじめて
パリで 外食らしい外食をした。


 そうすると蓮太郎は子供用椅子がなかったり
フォーをべちゃべちゃこぼしたり なにかと
大変だったというのを 注文してから思い出したりするわけだけど
まあいっか でもなんだかやっぱり幸せだなあ
泣いたりもするけれど それでもここでは
毎日一度はアハハと大きな声で笑って
それでもやっぱり 人生は悪くないかもと思えてる。

 今朝はしんどかったけど パリはやっぱり
外に出たなら きっと何かが待っていて
今日はなんだかちょっと幸せな気分になれて
それで帰りにメトロに乗ったら見たことのない
アフリカらしきところの楽器を弾いてる人がいて
普段のメトロの音楽は あんまりたいしたことないのだけれど
彼らは音楽の音色も美しければ 1人は踊り
2人一緒に歌いはじめた その歌声もとても美しく
そんな雰囲気にうれしくなった蓮太郎はメトロの椅子で
踊りだし 普段なら「ちょっと!!」というとこだけど
まあ目の前の人が踊っているし と私も止めず
そしたらまわりの人もなんだか嬉しそうな顔で
我が息子を見守っていた。
目の前には小さな赤子をおんぶしているアフリカ人。
ああそんなこともあったなあと思っていたら
今度は息子はおんぶしてくれと言い出したりで
大変だったりもしたけれど それでもなんだか
幸せだった。そしてメトロが地上にあがると
はっと目にするパリの夜空が待っていた。


 嗚呼パリの夜 そんなもの を
何だか久々にみたような セーヌ川に
アパルトマンに美しい光の数々
一人でいたときは何度も目にした
そんな景色を今度は息子と目にして
なんだかとても驚いた。


 田舎はのんびり 緑もあって空気もよくて
食べ物もみんなおいしくて 外でごろんとしてられるし
走り回ってもだれも怒らないけれど 外で飲む
コーヒーは最高に美味しかったけど
パリは都会で大変だけど それでもやっぱり
なんだかここは 味わい深い街なんだ。
いつまでここにいられるのかも私にはわからないけど
なんとかやってきた1ヶ月。少しずつでも
未来がひらけていったらいいのだけれど。。。

子供に対する価値観

2011年04月25日 | 日仏子育て事情


 フランスにきてもう1ヶ月が経つのだろうか

 はじめの1ヶ月は蓮太郎と一緒に適応できそうかどうかの
試験期間みたいなもんだなあと思ってたけど
まあそんなにことは簡単に運ぶ訳もなく
けっこう私は何度も泣いて ある時は
涙が溢れて止まらなくって驚いた。


 どうして涙が出てきたかって

それは多分 フランスと日本との子育ての
価値観の違いにそれなりに適応しようとして
もがいてしんどくなってるからで
来たばかりの時は こちらはとっても自由があると
思っていたけど 最近私が感じているのは
こちらではいわゆる「子供らしさ」なんて
あまり求められることもなく なんというか
「いい子」ともまた違うと思うのだけど
「じっとしてもの言わぬ子」というのが
かなり求められているような気がする。


 その違いがあからさまにはっきりしたのが
田舎に行ったときに乗ったTGVで 今は
フランスはバカンスで だから子供ももちろん
たくさんその特急には乗っているのだけれど
日本だと 連休で子連れで新幹線といえば
のぞみというよりひかりに乗って あまり
ビジネスマンの居そうな時間帯は避け
まあまあ子供に優しそうな人が乗ってそうな
列車や時間帯を選んだりするのだけれど
そして子供がぐずったらデッキであやしに
行くのだけれど なんとなく行楽列車な感じなんだけど


 おそろしいことにバカンス中のフランスのTGVには
そんな子なんて私が見た中では一人もいない。
ここでは不思議なことに赤ん坊さえ泣いていない。
そう この国は 公共空間とか静かにすることが
求められている場所で ちょっとでも子供が
アーとかいったりすると すかさずママやら
まわりの大人が「シーッ」とやって
ちょっとうるさく騒いだりしようものなら
すかさず発せられる言葉というのが ”doucement"
(ドゥースモン) このドゥースモンがポイントなんだなあ、、
とこの2週間くらいで私は気づいた。


 doucement という言葉 はやたらと公園やら
子育てカフェやらメトロやら どこに行っても
子供に対して発せられてるのを耳にする。
でもこれを日本語に訳すときちんと対応する言葉が
ないようで「やさしく やさしく」とか「ゆっくり」とか
「あわてないで」とか「静かに」とか「そーっと」とか?
でも滑り台をいそいで滑ろうとする子供とか
道をかけていく我が息子とかにも発せられる
この言葉は 「シッー」と同じくらい瞬時に
すかさず発せられ かつて「ドゥースモン!」と
親に言われていたであろう子供がちびっ子に向かって
言ってたりする。そう フランスではなんか
ドゥースモンがポイントらしいのです。


 それに対して我が子と言えば、、、、


 新幹線では2時間いい子にできていたと思っていたものの
フランスのTGVは子供がいようが赤子がいようが
まさにシーンと静まり返ってて ちょっとでもうるさい音が
しようものなら「アーン?」という顔をした
誰かの顔が覗いたりする。でも子供だからしょうがないでしょ!と
日本人ならいいたいところ、、、 ところがこの国は
「そんなこといったってうちの子はしなかったわよ」と
言う感じ。たしかにそうだ「子供だからできない」と
思ってしまうのは私の方で 目の前にはまさに
フランス人形みたいにじっとして口を閉じて
座り続けている子供たちが存在している、、、、


 なんでそんなことが可能なの?


 一体どういうことなんだろう?


 そんな中 蓮太郎もかなりがんばって
一人で昼寝をしてみたり 添い寝なしで夜寝させられたり
TGVの中でもいい子にしてみたりするのだけれど
だけどちょっと限界だよお だって日本人なんだもん
だってそんなの慣れてないもん だって子供なんだもん
と 弱音を吐きたくなってしまうけど
弱音を吐くと 今度は「だけどそうした方が
あなたにとっていいと思わない?子供のいいなりになってたら
親が死んでしまうわよ!」と言われてしまう
確かにその通り で だからなかなか昼寝をしない
息子に対して3時くらいにはかなり腹が立ってしまったり
抱っこだっこで歩かない息子にこのやろー!と思ったりするのだけれど
「だったらベビーカーを買えばいいじゃない?」と
言われてしまうとその通り
息子が抱っこだっこというから汚れてもめだたない
服を買おうと思っていた私がなんだかバカみたい。


  フランスは親の自律 親が子供に
振り回されずに親がまず規則を決めて
子供中心で親がへとへとになんてならないように
生まれた時から子供よりも大人優先!!がすごく強いように思う。
日本の場合は母親は自分を犠牲にしてなんぼ
私はなんども「私はこんなに夜泣きで眠れなかった」とか
「子供のためになんらかのことをすすんで犠牲にした」というような
話を耳にしたことがある。その度に「まーあの人はすごいわねえ!」という
まなざしで見られる様な感があるけど フランスはまるで逆!
この国の人たちが日本のひきこもりのことをまるで
理解できないというまなざしで見るのはきっと
生まれたときからのすごい違いによるのだろう。


 そもそも私が子育てでかなり病んでた時に
はじめて私に「だけどあなたの人生だって大切に
しないとだめよ」と言ってくれたのはフランス人女性だったけど
私は息子を産んではじめてそんなことを言われた気がして驚いたけど
今になってわかるのは フランスではそれはかなり
当たり前な感覚で 子供中心で子供に振り回されて
あれもこれもできなくなって、、、というのは
こちらでは「よくがんばっている」ではなくて
「大人としていけてない」感じなんだなあ


 そういうわけで フランスと日本とのはざまで
悩み葛藤することに 覚悟はしてきたわけだけど
どこまで「いい子」にさせればいいのか どこでなら
のびのび楽しくやってていいのか そのさじ加減もまだ
よくわからずに 色々とたまっていたものもたまってしまって
涙が出たりもするんだな 

 それでも蓮太郎は廊下をそーっと歩いてみたり
5階まである階段をなるべく自分で歩いてみたり
メトロでじっと座って静かにしたり 田舎にいって
自分のおうちを作ってみたり さくらんぼとって食べたり
毎日パンやらチーズを食べたり それなりに
適応しようとしてがんばってくれているので
私ももうちょっとふんばってみようと思います。

子育てカフェで考える

2011年04月14日 | 日仏子育て事情


 考える なんて言ってはみても
息子と離れられない日常の中では
頭なんてまわらないのだけれど。


 それでも不思議だなあと思うのは
もう蓮太郎を連れて4回目くらいになる
パリの子育てカフェ カフェゾイド で
朝から音楽の時間があって
お歌を歌うのが大好きな息子にフランスの
歌に慣れさせようと 母は無駄に努力をしたりで
そこに行ったりするのだけれど

 
 もちろん息子はフランスの歌を何一つ知らないし
踊るのが好きとはいってもやっぱりその中では
照れているのか 彼はひたすら車のおもちゃで
遊んでる。そんな中 みんなが楽しそうに
フランス語で子供と仲良く歌ってる





 さて そんな中 私もやっぱりわからないので
 
 異邦人の孤独を感じてもよさそうなのに

 なんだかあんまり感じないんだな


 私にはそれが不思議でしょうがない。


 それはここにアフリカ人やらアラブ系の人やらや
「いかにもお母さん」な人はむしろ少数で
この人乳母?とかお母さん?またはおばあちゃん?とか
お父さん?かしら??というような ??のつく感じの人が
沢山やってきているからだろうか
ここには日本の児童館やママサークルや公園で当然とされる
「子供と母親!」という図式はどこへやら で
私は先日までニュータウンで「世代間の交流が、、、」とか
言っていたけど ここは子供用のカフェなのに
そんなことを言う必要がまったくないほど
めちゃくちゃいろんな年齢の人がいて
(子連れでない人 スタッフなのかなんらかの
目的をもって訪れてるのか?みたいな人も多い)
本当に多国籍で雑多な空間。。。


 そのせいなのか

 日本で日本語がしゃべれてて 「それなりの普通の家庭」の
ママとしてサークルやら児童館に行ってた私が
あそこでは全ての会話もすべての歌も理解できていたはずなのに
何故か感じていた絶望にすら近いような孤独感 は
不思議なことにここではなくって
今日はご飯を注文した後 仲良くなった
日本人のママが持って来てくれたドーナツに
2人でカフェで注文したお茶を飲んでたら
かなり幸せでいっぱいだった。
ここはカフェだからいいんだろうか??



 状況でいったなら 今の私の置かれてる状況のほうが
よっぽどか大変なのに それでも私は元気な時は
やっぱり楽しそうな顔をしていて
蓮太郎も今日そのママとおともだちと歩きながら
「しあわせだねえ」と言っていたのできっと幸せなのだろう。


 パリなんて 子育てしにくいはずだと思ってたけど
だってメトロじゃベビーカーとか使えなさそうだし
(改札がとても複雑なのでとても一人では通れない)
エレベーターなんてほとんどないし
道には車がいっぱい通っているし


 ところがパリの公園だったり そのカフェもそうだし
子育て全般に関してなのかもしれないけれど
こっちはあくまでも大人目線を大切にするんだな。
例えばすんごく驚いたのは ラビレットという大きな公園の中に
子供用の遊具がめちゃくちゃいっぱいあるコーナーがあり
(私はニュータウンで子育てしてましたがパリの方が
公園の中での遊具の数や選択肢が圧倒的に多いらしいことに
気がついて驚いています。都会が子育てしやすかったら
言うことないじゃん!しかもすごい緑が多くて気持いい)
そこには砂がしきつめてあって なんだか浜辺みたいな雰囲気。
いわゆる「お砂場」な雰囲気だけじゃなくって
まわりにはなんとパリプラージュ的な椅子(浜辺っぽい)が
置いてあり 大人はそこに腰掛けて 子供の
様子を見守る感じ。そう そこで蓮太郎が
自分のおもちゃで夢中で砂遊びをしている間
私は心地よい風に吹かれて なんと眠りそうになってしまった!


 そんな経験


 東京の公園だっていったことあるけれど


 日本の公園ではしたことがない

 子供が砂あそびをしている間

 浜辺に居るような気持になって うっかりうとうと?

 それは本当にありえない。



 なにが違うのかといいますと

 視点が全然違う気がする

 フランスの公園は もともと遊具があまりなかったのも
あるのだろうけど 大人ありきの公園で
遊具のまわりにベンチがあって 大人は
ほとんど一緒に遊んでいないで
ベンチに座って子供を見ている


 それに対して日本の公園は遊具の近くに
ベンチなんてほとんどないから
ちょっと座ろうかと思っても せいぜい
砂場のはしっこくらいで 自分は座ってのんびり
見守っている というのはなかなか可能じゃない。
どっちがいいのかはわからないけど
でも日本人の母親だからといって 誰しもが
子供とべったり遊んでいるのが得意だという訳はなく
私はなんども「もー早く帰ろうよ もう嫌ー」
という顔をしながら子供をみているお母さんを
目にしたことがある。


 そんな時 ちょっと座って ちょっとなんか
食べたりしながらぐたっとできたらいいのになあと
思うのだけど パリの公園は子供は遊び
親やら乳母みたいな人やらは
何かを食べたり新聞読んだりしたりもしていて
そりゃあ子育てカフェみたいな発想にもなるだろうな
という気がしてしまう。


 こちらのカフェではお昼時だけじゃなくって
朝のお歌の時間だろうが 注文したら
親たちは何か飲んだり食べたりできて
そんな中で子供が遊び 子供が食べ物をぐちゃぐちゃにして
汚したら後で親がほうきをもってきてきれいにするという
どうやらそんな仕組みらしい。





 この自由で適当でいられる感じ
自分ペースでいられる感じ
子供をもったからといって 自分は自分で
いられるような そんなところが違うのだろう
フランスはとても特異だと思うけど
私にはそれがありがたい し 心地いい。

2週間が経過して

2011年04月14日 | 日仏子育て事情

パリに来てから早いものでもう2週間が過ぎていて
息子とともに行けたところはといえば
ほとんど大したこともできずに、やたら公園に
行ってることと ピクニックをしたことと
エッフェル塔をままあ近くで眺めたくらいで
2週間 ほとんど私のいる地区から出れていない


 あー パリに来たのになー という
うっぷんもたまりつつあるようで
あまりにも美しくまばゆい光を放ってる
カフェのテラスを見る度にとてもうらやましくて
仕方ない。先週くらいから「まあ行ったら
いいじゃないか 多少高くても」と
思い始めてはいたのだけれど なんだかんだで
「お昼寝が終わってからにしよう」と思ったら
6時になったりとかで そこからいけない
わけでもないけど(パリは7時すぎても明るいので)
カフェクレーム飲んで眠れなくなったらどうしようとか
考えて 結局いけないことになる。


 目の前に あるのにな、、、


 パン屋の前を通る度にうらやましー!!!と思って
目にしてしまう 色とりどりのお菓子達も食べたくて
そんな風に思っていたら ついに昨日私は体調を崩して
1日寝込むという体験をはじめてパリでしてしまう。


 蓮太郎はといいますと 彼も2週間でがんばって
かなりフランス流の子供の振る舞い方を身につけて

 なんと一人でも寝れるようになったりだとか
(これは生まれてはじめて!)私の仕事先で
なんとかいい子で一人で寝れるようになってみたりとか
それなりに「お手つないでスタスタ」といって
歩いてみたりとか だいぶ歩けるようになってくれたし
メトロでもかなり長時間いい子ができるようになってきた。
そうして我等は 毎日毎日 公園か子育てカフェに行き
ほとんど連日ピクニックをしてお昼ご飯代を浮かせて
なんとかやってきているけれど


 我慢のしすぎもよくないねー。。。


 カフェ行きたいなあ 服も買いたい
フランスは夏日みたいなのがつづいてて
みんな薄手のワンピースやらバレエシューズで
冬服しかもっていない私はとても浮いてる
それでも毎日温度差があまりにはげしくて
今日はブーツでもおかしくなかった
そんなのもあって体調を壊しやすくもなるのだろう
おいしいお菓子も食べたいなあ ワインももっと飲みたいなあ
でも買い方がいまいちわからない し
高くはないけど 安いのを買って失敗するなら
まあ買わない方がいいかとつい思ってしまうし
なんだかうまく楽しめない。


 この2週間はなんとか子供とやっていくこと
それだけに追われてて この先なんて見えてなかった
今もそれは同じだけど この先をもう少し見据えるためにも
たまには一人でカフェに行きたい そのために は
少し預けないといけないのだけど
なかなかどうして 難かしい

 なんとかやっていけるだろうか
なんとか笑っていけるだろうか
先日は子供とずっと居続けることに
いい加減耐えられなくなり私も泣いてしまったけれど
(それでも2週間やれただけ私にとっては快挙かも)
いつも怒ったりぷんぷんしている生活じゃなく
もっとのんびり リラックスして
楽しめたらいいんだけどなあ それには自分のゆとりが必要
そのためだったら お菓子くらい買ってもいいか
昨日の夜ほど 女性にとってのお菓子の必要性というものが
痛いほどわかった夜はない。
やっぱり後で買いにいこう。。。

蓮太郎とカフェ?

2011年04月06日 | パリのカフェ文化


 ここに来てからこの先のことをほとんど
何も考えられずに過していたけど
まだ2週間もたっていないのに急に
小さな子のいる知り合い(しかも近所)が
2人もできたりもして 意外と運がいいような
なんとなく わからないけど流れに沿ってれば
何かが見えてくるのかなという そんな気もしたりする。


 一応カフェ文化研究家 で しかも
パリのカフェについての研究をしているという
人のはずなのに 今回ばかりは
「お金がない!!」と思ってて
カフェにいってお金がひゅーんと飛んでいくのが
とてもこわくて まだ1回きりしか
普通のカフェには行ってなかった。


 いいなあ カフェ。。。 いつも いや日ごとに
テラスには人が溢れてて 誰かと楽しそうに
コーヒーを飲みながら談笑したり
トランプしてたり うらやましいなあと
重い息子を抱えながら 喉から手がでるような気持で
彼らを眺め いつなのかはしらないけれど
いつか行こう と いつも思う。


 今回は息子が一緒にいるので
いつもの滞在とは私も全く感じが違って
「旅行者」というより「住んでいる人」という感じだし
息子と一緒にカフェに行ったら 多分出会いや
会話が待っている。わたしがカフェに
なんとなくうらやましいなと思いながらも
ちょっと足を踏み入れられないままなのは
もしかすると「お金がない」というそんな理由だけでなく
あの中に まさにサードプレイス的な空間の中に入っていって
ちょっとした会話を交す そんな勇気がまだないからというのも
きっとあるのだろう。


 子供を抱えてうらやましげにカフェのカウンターを見つめる度に
そこには誰かと話す男の人たちや カウンターの下に散らばったゴミ
仲のよさげな地域の人たち そんな雰囲気が溢れてて
あまりカフェの多くないこの地域でも みんな
行きつけのカフェがあるようで わたしはどこなら
合うのかな と 今は外から眺めて探っている状態なのかもしれない。


 もちろん子連れカフェは素敵なんだけど
でも一応カフェ文化研究家だし やっぱり
普通のカフェにも行きたい。わたしもテラスや
カウンターでコーヒーが飲みたいなあ。。。。


 今日はあまりにも天気が良くて
(もうタンクトップになってる人たちもいた!)
運河沿いの船のまわりにはのんびりしたり
お昼ご飯をたべる人たちが集まっていて
今日は子連れカフェに行こうとしたけど
こんなにも天気がいいのに室内ってのももったいない!
と公園を2つ巡ることにして のんびりとお散歩してた。


 新緑が芽生えはじめたパリは本当に美しくって
シックなアパルトマンのある界隈に行かなくっても
雑多でごみごみとした私が今居る地区らへんでも
緑があって 運河があって 心地いい風が吹いてて
ああ パリだなあ という感じ。
私はこの朝のなんともいえないパリの匂いをかぐのが心底好きだ。


 そういうわけで 運河に停泊している船に乗りたい
息子といっしょに船のカフェを覗いてみては
「ここは4時からなんです」とか「ランチ営業なんです」と
言われて断られ もうトイレに行きたくて仕方なくなった私は
今日ばっかりはカフェに行こう!とあまり
感じはよくない適当な感じのカフェのテラスに
座ってみることにした。




 蓮太郎と2人で本当のカフェに座るのは
ようやくこれがはじめてで どうなることかと
思っていたけど まあまあいい子にしてくれて
ああなんだ 意外といける?と思えて私は
嬉しくなった。 そうだ日本でしていたように
本を一冊もってきて カフェで教育すればいいんだ
今日は「ぐりとぐらのあいうえお」。
そうしたら私もお茶の一杯くらいはなんとか
飲めるし 彼もなんとか気がまぎれるから
なんとかカフェ代を捻出して また少しはカフェに
行きたいなあ、、、


 今日も公園には中国人やらアフリカ人やら
アラブ系の人やらフランス人やらが混じってて
あいかわらず多国籍で面白い。昨日はメトロに
乗ってたら 目の前にいたおばさんが食べるバナナを
見つめた蓮太郎に おばさんがバナナを半分も
わけてくれ(!)今日はなんと バゲットをつんでる
青い車を私がみつけ「なんかパン運んでるねえ」と
眺めていたら なんとそこの人が長いバゲットを
半分もちぎって「もっていけ」と渡してくれた。
日本でもおばあちゃんはやさしいんだけど
パリに来て(この界隈だから?)びっくりするのは
男の人たちで声をかけてくれる人が多いこと。
カフェのテラスに座ってこっちを眺める人とか
なんだかそんな掛け合いが面白くって
ああこれぞコミュニュケーションとエスプリの街、、、と
思ってしまう。ここは人が人間くさくて
人間らしい匂いを持ったまま生きている。
そんな都市がありうるということ それが私には面白い。

パリで子育て

2011年04月05日 | 日仏子育て事情

 パリに来てからもう1週間が経過して
蓮太郎は意外と適応してるのだけど
唯一の弊害はといえば とにかく
抱っこ 抱っこ!!!なことで
我等は外に出る度に「歩きなさい!」
「抱っこ 抱っこ!蓮太郎もう歩けない」で
道端で大げんか。。。


 ここにきて子育てをして 難かしい
状況に陥りながらもいろんな人とかかわりを
持ちながら なんとなく感じられるのは
フランスと日本の子育てに対する価値観の違いで

 フランスは どちらかというと
子供は厄介者だと思ってる感が強い気がする。

 それでそういう社会的認識がなりたっていて
だからこそ 厄介払いをするために
乳母だとか、保育園のシステムだとかが
日本よりも先に発達していったんじゃないかなあ
子供はもちろんかわいくもある。だけど
大人の邪魔をする存在でもある。

 そんな時 に


 日本だと 大人がそれに歩み寄り
子供が中心にどんどんなって
大人 特に母親は 自分を犠牲にしていって
私はかつて母乳育児の桶谷の先生に
「あなたは犠牲の母ね」と言われたけれど
(いまだにその意味がよくわからないけど)
自己犠牲 自分を捧げて 人生を半ば諦めて
母の職務を全うすること それがいいとされてる
そんな風潮をよく感じてた。


 例えばバスに乗ったときや電車で
出会ったおばさんたちは 見知らぬ私に
子供を産むことの大切さを諭していったし
そのうちの3分の1くらいの人は
「まだ1人しかいないの?もう1人は産みなさい」と
助言していった。そんなの余計なお世話だよ!と
私は思うけど 彼女達はやさしさのつもりでそう言っていた。
広島に向かう電車の中であったおばさんなんて
「うちの娘はもうすぐ40歳になるのに
子供ができないの。まだ働いててね 子供を
産むことこそが幸せなのにね はやく子供が
できたらいいのに」と見ず知らずの私に
語っていった。どうして?仕事だって大切じゃないか?!と
私はつよく思っていたけど 私は子供を抱えた場所で
よくそんなおばさんたちの言葉を耳にしていった。


 ところがパリではなんだか違う


 もちろん子供に優しい人はいっぱいいるけど
まず初対面の人に対して「もう1人子供を産め」とか
そんな私生活に関わる様なことを言うのはとても失礼らしい。
だから私がわけのわからない状況で 子供と2人だけで来て
保育園を探していても 「それで、あなたはどういう
状況なんですか?」ときかれることなく そっと
しておいてもらえてる。それが私はとても嬉しい
日本だったら根掘り葉掘り 本当はどうでもいいのに
私のことなんか関心だってないくせに
興味本意で聞かれるようなことを
ここではそっとしといてもらえる
「だってそれは私生活の範疇だから」
そんな言葉があるんだな!
(ちなみに初対面の人に「結婚してますか?」とか
「子供は?」と聞くのも失礼にあたるらしい)


 そんなパリで 日本的な子育て、子供中心で
子供に追われてへとへとになるような
子育てをしてきた私はたまにこんなことを言われてしまう
「今二人で話してるんだからちょっと静かにしなさいって
蓮太郎に言ってくれない?」「抱っこ抱っこたって
もっと歩かせないとだめだよ!」「私ももうすぐ
仕事に行かないといけなくて急いでるから
急いでって蓮太郎に言ってくれない?」


 そう ここは大人のペースが主体なんだなあ。。。


 私はかなり 子供に合わせてきてしまった方なので
一度京都で子連れのフランス人をガイドしたとき
「今日はどこに行きましょうか?」と30分くらい
打合せをしたときに 彼らの子供たちがほとんど
無言で大人の話している横でちょこんと座っていたのに驚いた。
そんなことってあるんだな、、、
ちなみに前回の哲学カフェでも1時間くらいカウンターに
ちょこんと座ってじっと静かにしている子がいて
驚いた。年齢は蓮太郎と同じくらい。。。
そんなことが あるんだなーー


 ここに子供と一緒に来る前は
フランスの方がしつけが厳しいのかと思ってた
だから子供は活き活きしてない なんだかそんな気がしていたけど
たぶんそうではないようで 行儀作法に関しては
日本はかなり厳しいと思う。それは全般におよんでるのかなと
思うけど そして日本の子たちはおとなしいように思うけど
こちらの子たちは力のゆるめ方というか
遊ぶ時はめちゃくちゃ激しく遊んでて
おとなしくするときはおとなしくする
その力の入れ加減がもっとはっきりしてる気がする
日本では 「いつもおとなしくて言うことを聞くいい子」が
求められがちだけど こちらでは「遊ぶときはめちゃくちゃ遊んで
でも大人のいる空間では大人を優先させられる子」が
求められているのかな

 
 さて そんなこと 蓮太郎はできるのだろうか


 それをするには まずは説明 それから時にはおどし?
そして約束を守らなかったらこちらも強気な態度に出ること  
なのかなあ 一週間で 私はやっと 強い母親に
なりかけてきたような気がしてる。
かなり体力もついただろうし かなり説明もしているし
蓮太郎はメトロや静かにするべき場所では
それなりにいい子にできるようになってきた。
おしっこトレーニングは最悪だけど
それでも私はやる気になって
だいぶ母親らしくなったかなあ


 母だから語れることがある
母だからわかりあえることがある
母だから知り合える 笑い合える人がいる
まだまだ難かしいけれど
それでもこんなに大変だって 日本にいるときより
私はよっぽど嬉しいらしい
ちょっとは預けられるといいけど
少しは働きたいけれど まず当分は
フランスの子育て事情を探っていくことなのかなあ

 子供がいても 全てを諦めなくていいのなら
素敵なカフェにだって行けるなら
大人の時間を楽しめるなら 髪の毛振り乱して
いつも怒っている様なお母さんにならないでもいいというなら
そりゃあ いいなあと思ってしまうなあ


 今日蓮太郎とサンジェルマンデプレの
カフェドフロールの前を通ったけど
なんだか私は哀しくなった この子を抱えていたら
パリにいてもカフェには行けない?
そんなことないといいけれど
「子供を産んだら諦めなさい」の日本型 と
「子供を産んでも諦めない」のフランス型と
違いは色々あるだろうけど もう少し
フランス型を学んでみたい。

リラックスした都会の生き方

2011年04月04日 | インフォーマルパブリックライフ

 先日日本を発つ間際 に 同じ団地の友人が
「飛行機で読んでね」といって昨日の夜に
書いたのだという手紙を私に手渡してくれた。
彼女とは引っ越しも間際になってものすごい頻度で
会うようになり 飛び立つ前日の夜なんか
お世話になった近所のおばさんのお家で
晩ご飯を御馳走になったあと 私は色々また
悲しい想いを繰り返し 沢山の段ボール箱に
囲まれながら いたたまれない気持になって
「ごめん、ちょっと寄ってもいい?」と夜の
玄関先に立ち寄って 彼女の前で泣いてしまった。


 それでも次の日の朝は6時すぎには出発で 関空に2人きりで
着いてからは 恐ろしいほどのトラブルが待ち受けてたから
出発3時間前についたといっても 感傷にひたる暇は
全くなくて 気がつけばもう飛行機にのる時間が来ていて
動かない息子の手をむりやり引っ張ってはパスポートを
差し出して なんとか機内に入って行った。


 それから少し余裕があって 彼女の手紙を
読もうとしたら なんだかもう読んでる先から
涙がこぼれて仕方なくって 最後まで読むのが
本当に精一杯だった。渡されたときはちょっと不安で
「もしかして本当は大嫌いでしたとか書いてないよね?」とか
聞いてみたけど「そんなことないって」と彼女は笑って言ってくれ
そうして私はようやくその「飛行機で読んでね」という手紙を
読んで 彼女が私と出会えたことを 
喜んでくれていたということを知ることになる。


 手紙の中には「美樹ちゃんと知り合わなかったら
きっとピクニックもしなかっただろうし
カフェにも行かなかっただろう」と書いてあった
私はそれにはいささか驚き ああ そうなんだ
となんだか不思議な気持になった。

 彼女なんかは なんだかそういうのがとても自然で
慣れてそうな感じだったんだけどな。私たちはよく
団地の目の前の緑ゆたかな公園に行き
私がコーヒーをいれて魔法瓶につめていき
彼女がお菓子を持って来てくれ 親子四人で
のんびりしたり 時には野点をしてみたり
大山崎のアサヒビール山荘に行きピクニックをしたこともある

 そんな彼女が 「私一人だったらそんなこと
しなかっただろう」と書いていた。それに私は驚いた
そういえば 私はしょっちゅうピクニックをしたり
してたけど よく考えたら それを提案するのは
たいてい私で 誰かに提案されたというより
自分からやっていたのかも。お花見だってそうだった
それらはもしかすると フランスで留学時代に
少し身に付けたものかもしれず 私にとっては
ごくナチュラルなものだったけど 他の人にとっては
そうでもなかったということなのかなあ?
だからその我等がよく行く公園は すごく緑が豊なのに
だれもピクニックをしていなかったのだろうか


 私はそんな事実に少しショックを受けたのだけど
昨日ラ・ビレットというパリの大きな公園に
サンドイッチをつくってピクニックをしに行ってみる と
そこには恐ろしいほどの人が溢れてた!!!


 みんな何してるかといいますと

 ピクニックをしてるんだなあ


 フランスにはなんと「ピクニケ」という
「ピクニックする」という動詞まで存在している
さすが「草上の昼食」の国?ピクニックは
この国の確固とした文化というか 本当に
当たり前に存在している楽しい習慣な感じがする。


 先日京都でお世話になったフランス人が言っていたけど
「日本ではお花見の時くらいしかピクニックをしないけど
フランスではちょっと天気がいいといつでもピクニックになる」
と言っていた。まさにそうで平日は簡単なものをもって
ちょっと公園でご飯を食べたり 休日はみんなで
約束して大規模にピクニックとか。
もう気持悪いくらい人 人 人!!だった。
見渡す限り 緑の上に人 人 人 という感じ。
みんなどこから溢れだして来たのだろうか
ちなみにそんな日はカフェのテラスも人だらけ
いいなあ私もカフェ行きたい!!と思っていたら
一週間してようやく初めてカフェのテラスで一息つけた。


 ラ・ヴィレットはパリの北東にあるからなのか
そこにはフランス人だけでなく アラブ人にアフリカ人
ブラジル人になんかやたら多国籍な人々だらけで
そんな中で蓮太郎も まあまあ浮いた存在だけど
彼はものおじせずに楽しそうに小さな丘で遊んだり
ブラジル人の演奏している音楽のそばで
一人踊り始めてみたり(!)めっちゃかけっこをしてみたり
なかなか楽しそうにやっています。


 そんなピクニック!!!な人たちをみて
あーここって 本当にお金がなくても
楽しめる しかもめちゃ都市なのに 緑があって
それなりにリラックスできる そんな生き方が
あるんだなあ と とても驚いてしまう
その都市の中のリラックスというのが
閉め切られたマッサージルームの中とかじゃなく
公共の公園の中で 本当にみんな思い思いに
楽しんでいる たとえ天気が悪くても
散歩している人もジョギングの人もいっぱいいるし
天気がよければもうすごい。


 そりゃ京都にだって自由な雰囲気はあるんだけれど
鴨川沿いにタイコたたいたり楽器の練習をしてる人もいるけど
だけど私はわかってしまった。そういう人もいる というとこと
そういう人が山ほどいる というとこは
やっぱり多様性やら開放感が全然違って
赤信号 みんなで渡れば怖くないじゃないけれど
みんなやってるならやってもいいじゃん!という気になれる
別にごろごろしたって走り回ったってタイコ叩いたって
踊ってたってシャボン玉飛ばしてたって
バカみたいなことしてたって 
まわりにはそんな人がけっこういるから
まあここならいいんじゃない?というか。。。


 そのせいなのかやたら蓮太郎は解放系に向かってて
この先大丈夫かしらと思ったりもするけれど
やたら笑って楽しそうに日々踊ったりして過してる。
こんな生き方もあるんだなあ
たとえいろんな事情を抱えていても
たとえ人生が思うように進まなくっても
お金持ちのフランス人ではなくっても
こうやってお金をかけずに外に出て
なんとなく楽しめる そしてなんとなく
いろんな人とコミュニケーションができてしまう
そんな都会もあるんだなあ

 私にはそれがとても驚き。


 私はずっと 都会の時代はいつか終わって
田舎やら農の時代が来るものなんだと思ってた。
だけど私は都会が好きで 都会にも都会特有の
はかりしれない魅力があると『クリエィティブ都市論』を
読んで気が就いてしまったから ならば都会を諦めないで
人間にとってもっと気持よく 住みやすい
そんな場所にしてみることって 大事なんじゃないかなあと
強く思うようになってきた。確かにパリは汚いし
うるさいかもしれないけれど だけどここには
何らかのヒントがあるような気がする。
そんなヒントが 私の視点を通して少しでも
日本に伝えられたら 私も今は役に立たなくっても
少しは役に立つだろうか。。。


『クリエィティブ都市論』
都市を諦めたくない人に
それでもやっぱり都会ってなんかいいよねと思ってしまう人には
おすすめです。そうか その高すぎる家賃の意味があるわけかと
思わされます。だったら私は物を減らして都会で小さな暮らしを
したいなあとこれを読んで思わされました。
これを読んでなかったらパリに来ていなかったかもしれません?
基本的にアメリカの話ですが東京もとても生産性が高いとほめています。

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める
井口 典夫
ダイヤモンド社





パリの子育てカフェ

2011年04月01日 | パリのカフェ文化



 かつて私が子育て中にものすごく鬱っぽくなり
悶々としていた時に 占い師の友人が
「自由を手にするためのワークショップ」というのを
してくれて その時何にもとらわれずに
やりたいことができるとしたら?といわれ
嘘だろうと思いながらもそれをノートに書いてみた。


 そんなの絶対無理 ムリ 無理!!!


 と思いながら書いていたことたちは
その1年後くらいにはなんと全部叶ってしまって
私はその力に本当に驚いた。


 だから私は夢を描いてみることにした


 それはとってもこわかったけど


 諦めなさいとみんなに言われて
もうやめようと 思っていたけど


 最初にフランスに行った時から

こわかったけど 私はもう一度夢を見た。



 そうして私はノートに書いた

 なるべく目につき 読み返しのしやすい場所に

 ノートが新しいものに変わっても
また1ページ目に書いていった
フランスに行って あれをして これをして
こうなったら、、、こんなこともできるだろうか
例えばベニスに旅行するとか?ローマだってやっぱり行きたい
いつかヨーロッパのカフェに関する本が書きたい などなどなど、、、



 だけどそれらはみーんな9月以降に ゆっくりと
叶うはずだった だから私にはわからなかった
4月から 何をしていけばいいのかも。


 私はノートにこう書いた。
「カフェゾイドの常連になってしまった」
いつかそんな日が来るかなあ?


 そうして私は勇気を出した。
もうのんびりするだけなのはおしまいにして
これから少し 動いて行こう 先に向かって
動いて行こう。だから今日はパリで初の
子育てカフェに ずっと前から気になって
仕方なかった子育てカフェに 蓮太郎と行ってみよう。


 今日はもう 躊躇はしない!
そう決めて行ったから お店の前に立ってもおびえず
息子を抱っこして扉を開けた。店内には恐ろしい数の
子供達がうごめいている。私たちのいるスーペースはない
だけどそれでも引き返さない。抱っこしたまま立ち止まる。



 それから少しお店の人の話をきいて
「じゃあ2階へどうぞ」ということになり
息子を連れて初のカフェゾイド。
どきときしながら2階の扉をあけて
そこの人に挨拶をすると「私あなたのこと
覚えてますよ!カフェの研究をしてるって
一度ここに来た人でしょう。母がいたとき
紹介してもらったわ」と言ってくれる。
そう 私は12月にもここに来て
ものすごい勇気を出してカウンターで会話をしたのだ
「え!本当に覚えてくれてるんですか!!」
それがとっても嬉しくなった
「まさか子供がいるとは思わなかったわ」
そういいながら素敵な笑顔でわれらを歓迎してくれて

 息子はトラックのおもちゃやら
タンバリンやらシンバルやら鉄琴やらで遊び始める。
不思議なことに 子育てをしている私でも
一人で来ると「うわーお洒落だなあ!!」と
圧倒されるだけだったけど 今回は子供がいるので
子供目線で色々みれて 物の見方が変わっていって面白い。

 例えばフランスは室内でもだいたい靴を脱がないのだけど
これじゃハイハイしてたらそうとう衛生的によくないなとか
よくみたらおもちゃはかなり壊れてるなとか
あれもこれも 電池が入っていないじゃんとか
おままごとセットはあるけど そこにある食べ物は
オレンジと目玉焼きとスイカだけだったりとかで

 なーんだ意外と 私が行ってた児童館の方が
環境はいいのかもなんて思ったりもしてしまう。
まあきっとこういう比較ができるところが私の
うりなのだろうと思うけど あまりにも急に飛び出てきたから
さっきまで児童館やらつどいの広場にいたのにな と
ただ国が変わっただけで ひゅーっと飛行機で12時間を
耐えたなら 似た様な世界が待っている
なんだかそれが とっても不思議でへんな感じだ。


 さてここが 日本の児童館にくらべて面白いところが
あるとするなら ここの1階がカフェなこととか
(もともと子供がカウンターとかで飲めるように
つくられたと本には書いてあったけど、今やカウンターは
大人で一杯。)2階でもご飯をたべていいようになっているとか
音楽や絵を描けるという アーティスティックな要素も
大きく含まれていることかなあ。柱には絵が描かれてたり
ソファーやらはアフリカの布で包まれていたり
そーいうセンスがいいんだな。


 ここは年間6ユーロの加盟金みたいなものを払って
行く度に2ユーロ支払うらしい。その2ユーロで
子供は2階で思いっきり遊べて、しかもなんとお昼ご飯がついてくる!
これはとっても嬉しいです。今日のごはんはクスクスで
大人の分は4、5ユーロ。節約生活をしまくってたけど
もういい加減エスプレッソが飲みたい!と思い
エスプレッソも注文し 最後に息子はだだをこねて
ジュースを注文。どちらも1、5ユーロです。
(普通のカフェではジュースは4ユーロくらいします)


 お昼ご飯を下のカフェで食べてると、隣に座った
ラファエル君(もうすぐ3歳)が蓮太郎にちょっかいを出し
お母さんがやめなさい!ちゃんと食べなさい!と言っている。
どこも子育ては大変です。母の言うこと もっと聞いてくれたら
いいんだけどね。子供は楽しそうにへらへら笑ってるけど
母はだんだんむかついてくる。そうして私もここでは
「いい子で偉いですねえ」とそのお母さんに言われたものの
スーパーで走り回る息子を叱りつけることになりました。
子育ては本当に大変です。。。


 そんなわけで 沢山の人があたたかく迎えてくれて
どこのカフェよりも人々がつながりあったり
あたたかそうな雰囲気がしているこのカフェは
子供を連れて行ってこそきちんと会話に混ぜてもらえる。
ここにはアフリカの子もアラブの子もフランスの子も
蓮太郎みたいな日本人も来たりするけど でも
誰もがあたたかく迎えてもらえる そして大人は
コーヒーが飲める 子供はわんさか走り回ってる
それがなんだか心地よい。息子はかなりここが
気に入ったみたいなので ノートに書いていた通り
カフェゾイドの常連になって フランスの子育て事情を
もっと探って お伝えできたらと思います。

フランスに行くなら

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