alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

自分らしさ?

2012年03月12日 | 日本の「空気」



 「出るくいはうたれる。」

 フランスに来て自由な空気を吸って開放的な気持ちになった
日本人たちが ちょっとフランス人の友達でもつくってみようと
勇気を出して ミッシェルが主催している「お茶会」という
交流会に参加をすると まず目に飛び込むのがこの言葉。



 沢山の日本人が出入りしている彼の家には
広いすてきなキッチンがあり そこに掛けられた
ホワイトボードにこの言葉が書かれてる。ホワイトボードの
他の言葉は この家に来る人たちに書かれては消され 違うものになるというのに
もうおそらく2年以上も この言葉だけは残されたまま。


 パリに来て一番印象を受けた日本の言葉。
なんでまた パリに来て こんな言葉に出会わないといけないんだ、、、

 私にとってこのホワイトボードの上部にへたくそな字で書かれた
「出るくいはうたれる」というものは 忘れられないものだった。


 
 「出る杭は打たれる。」

 どうしてこの言葉だけが消されることがないのだろう
これをみて どれだけの日本人がウッとなったことだろう
だいたいパリなんかに住もうとする日本人は 大抵の人は
出る杭として打たれたことがある人なわけで
パリ在住の日本人はやたら変わったというか 変な人が多いのは
多くの人が認めるところだろう。


 私はこの日本の人生の中で さんざん打たれてしまったから
もう自分というのが何なのか 半ばわからなくなっていた。
最後の抵抗みたいな感じで 水の中でバタバタもがくことはあったけど
私にはよく自分というのがわかってなかった それに自信なんてこてんぱんに
砕けちってた。それは恐ろしいことだと思う。


 オギャー!と生まれた瞬間に 子供たちは何かを強く主張する。
おっぱいが欲しい、こんなんじゃやだ、もっとこうしたい!
そう強く主張できるのは それが通ると知っているから
まさかそれが拒否されるなんて思いもよらない。
生まれたときから自信がない赤ん坊なんていないと思う。
彼らは自信に満ちてこの世に生まれ落ちてくる。
愛情?注いでもらえて当然でしょうママ?ご飯?もちろんおなかがへったらもらえるものさ!
そんな感じで彼ら異星人はこの世に生まれ落ちてくる。


 だけどどうしてなのだろうか そんな自分という揺るぎない
存在に対する主張や気持ちに満ちた彼らは いつしか
自信を失っていく。それはもちろん人により
そうならないで 自信をもって生きられる人もいたりする。
だけど私が今まで会って来た人たちの中で言ったら
いかにも自信に満ちてそうに生きている人なんて
ほんの一握りしかいなかった。多くの人は「私なんて、、、」
と自信がない中なんとかがんばって生きている
私の目にはそう映っているのだけれど。


 なんでそうなってしまうのか 私にはよくわからない
自信に満ちた赤ん坊や小さな子供が こてんぱんに
自信を喪失するまでに 一体どれほどの事件があれば足りるのだろう?
少なくとも私の場合は人とちょっと違っていたから けっこう
いろんないじめがあった。昔外国に住んでいたから?
髪の毛が茶色かったから?まずは外人!と言われていたし
顔の横にあるホクロのおかげで小学校は男の子たちに
さんざん嫌な呼ばれ方をした。いわゆるいじめみたいな雰囲気に
クラスがなってたこともある。下駄箱で画鋲が入っていたこともある。
だけど私はあるときわかった。なんだあんたたち
つるまなかったら何もできないんじゃん!自分の意見も言えないくせに!
それで私は もう仲間らしいものにいれてもらえなくても
自分として強くなろうと 5年生くらいの時だったかに決意した。
それでも道はきつかった。


 さんざん?そう さんざんだった。 自分の意見を発したことで
さんざん批判をされてきた。それは言い方も問題でもあったのかもしれない
だけど私は出る杭だった。出たくて 叩かれたくて出たわけじゃない
そうじゃないの?それって大切なことじゃないの?と感じてコトを起こして
それらのコトが そう いつも 自分が思っていたよりも
重大な結果を招いてしまっただけだ。そうして散々なことを言われて来たし
散々私は脅されてきた。「受験をするなら退学届けを出してください」
「職員会議にかけますよ」「校長の首が飛ぶかも」
「そんなこと言うんだったらもう朝ご飯は作らないからね!」
大学院にしたってほとんど追い出されて卒業できたようなものだと思う。
そんな私に 自信を持て という方が むしろ無理ではないのだろうか?

 
 けれども私はなんとか生きた。そうして今までこの世に存在するわけで
散々叩かれて来ても どこかで誰かの意見が変わったりする
「環境問題は大切ですね」「環境対策をやりましょう」「はあ?カフェ??」と
さんざんバカにされたようか顔して聞かれたカフェの研究も
今ではなんとか共感してくれる人たちを沢山みつけることができた。
だからやってこれたのかもしれない。今にみてろ!と思って来たから


 だけどできれば 本当は打たれてなんかいたくない。
本当は「まあ素敵!面白いね!一緒にやろう!」と言ってほしい だけど
そんなことはまれだった。「はあ?」というのばっかりだった
だから私はこわかった。いつだって 自分の意見はなるべく言わないようにしていた
批判も断罪も怖かったから どうして私が書くかって?
それは私が向いあっているのはパソコンや紙であり
私を面と向かって断罪する誰かではないからできることなのだろう。



 そんな私に ようやくクルミドというカフェでの仕事に慣れつつあった私に
喫茶店の社員の人が「飯田さん もっと飯田さんらしく
働いてくれたらいいんですよ」と言ってくれて驚いた。


 自分らしく??


 「この店はそんな店を目指してますから。みんなが自分らしさを
発揮して その人目当てにお客さんが来てくれるような、、、」


 そんな話は聞いてはいたけどいざ自分ごととなると
私は一瞬途方に暮れてしまった。私らしいって何だろう?
私が最近わかったことは 私はさんざん自分を偽って来たということだ。
それはおそらく 自分らしさを出すことと 社会的軋轢との
関わりの中で 自分が苦しまなくてもいいようにと
無意識にとってきた守りの姿勢だったかもしれない。
私だって怖かったから。私だって痛かったから。例え泣いても
助けてくれる人なんていなかった。だからくそ!!と思う意外に
立つ方法なんて存在していなかった。私が『cafeから時代を創られる』を
書いたのは 「女は子供産むことが一番の幸せ!!」という考えの
見本のような愛知県の吉村医院を見学に行き、そんなのは耐えられないと
家のトイレで嗚咽した後のことだった。


 私はたいてい 誰かの期待に応えるように そう
「求められるいい子」になろうとして頑張って来た。
だけどそんなの無理だった。学校の成績だけは良かったけれど
悲しいかな30年経った今 日本で受けて来た学校教育の
大半は意味がなかったとしか思えない(国語と歴史と家庭科は役にたったけど)
そうして私が「それでも!」と自分の道を行こうとすると
そこには軋轢しか待ってなかった。それはいつもそうだった。


 そんな私がちょっと自由で自分らしくなれたのは
フランスという国の空気やゆるさや自由さやどうでもよさのおかげだろうと
思うけど 相変わらずこの日本という場において 「飯田さんらしく」と
言われてみても 私の頭は?で一杯になってしまう。
私らしいってどういうこと?私は予期せず クルミドの人たちの前で
私が思う私らしさをフランスで出してしまった
それは細胞が喜ぶような美味しいものを食べたときとか
思わずみんなが帰国する前に一人一人とハグしてしまったりとか
ちょっとワインを飲んだときとか フランス人たちといるときだとか?
生真面目な私を捨てて 自分らしくなってしまった
だけどそんな私は 他の人たちが目にして来た私とは全然違うと思う。
蓮太郎とアホなことをしているのは楽しいけれど
とてもじゃないけどそんなシーンは他の人には見せられないと思うくらい
この国のコードの中には存在しない いやはみ出てる それが
本来の私なのかもしれない。だから私は外国にいくとちょっと嬉しくなるのだろう
だってアホなのも、社会について思うことがあったりするのも
もっと自由に生きていたいのも 私だけじゃないと思えるから。


 日本でもっと20年以上貼付けて来た仮面を脱いで
自分らしくいられることはできるのだろうか?
そんなこと 問うたことすらなかったけれど
できることなら 私だって自然な顔で笑っていたい。

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