alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

子供から学ぶ

2010年03月29日 | 子どもから学ぶ
 3月はいろんなことを考えたけど
結局は子育てを楽しもうというモードになって
ため息ばかりついてた日々から
吉野にいって 吉野の山からメッセージをいただいて
そうだやっぱり 今私のしていることは
大切なんだ と ことあるごとに認識をして
れんちゃんとの時間をもっと大事にしようと思い始めた。


 2月はけっこう研究モードになっていたけど
3月は色々と考える事も多かったからか
れんちゃんが寝ている時間も 何故か研究モードに
なれなくて そのかわり子育ての方法については
だいぶわかったような気がした。


 自分のやりたいこともしたいし
子供の面倒もみなきゃいけない
そんな時 どうしたらいいのだろうか?
それは きちんと遊ぶ事!なんじゃないのかな。


 保育園ママじゃなくても 自分で子供をみているママでも
実は家事やらやるべきことに気をとられ
あんまり子供と遊べていない しっかりと
向き合えてない そんなことは往々にしてあるようで
保育園にいったほうが よっぽど先生がかまってくれてる
そんなことすらあるようだ。


 そして自分で面倒をみているママも
イライラしててよく怒る。「もーやめて!!
なんでそんなことすんの!!何度言ったらわかるの!?」と



 ところで私はだんだんと気づいてきたのだけれど
子供のする「悪さ」がエスカレートをしていくのは
きっとつまらないからなのだろう。
お母さん もっと構って とか
お母さん もうここにいるのは飽きたとか
そんなわけで 小さな空間にいるだけじゃ
つまらないから その中をほじくりだして
冷蔵庫をあけはじめたり お鍋を全部とりだしてったり
お母さんがいやがる事だとわかっていても
それをやりはじめるのだろう。


 それで私がわかったことは
「もーこの子本当に大変なんです!!!」という親の子は
実はあんまり外で遊ばせてもらってないようで
外にいったら 相当ストレス発散なのにと思うけど
それでも家の中にいるから 行動がエスカレートするしかなくて
お母さんはよけいイライラ でも外にいったらもっと
大変なことになるかと思ってよけい出れなくなったり
そんなことになっているんじゃないかなあ


 それからもう一つわかったことは
子供とちゃんと向き合う時間をとること
これってとっても大切だ!!!


 今までは 私も家事の合間であるとか
ちょっと疲れたときだとか に
れんちゃんも甘えてくるからじゃあ
構おうかなーと構ってたけど
そんなんじゃなく ちゃんと構うこと
きちんと遊んであげる事 って どうやら
とっても大事らしい。


 最近は旦那も飲み会の日がけっこうあって
そんな時は手持ちぶさたで どうしようかと思うけど
仕方がないから 遊ぼうか!!と遊んでみると
れんちゃんは大喜びで もっともっと!!と
一緒に遊ぶ。 ああそうか この子が
誰より一緒に遊んでいたい そんな相手は
ぬいぐるみでもトラックでもなく 
お母さんの私だったのか と気づかされる。
だってお母さん 大好きだもん
大好きな人と遊ぶ方が 一人で遊ぶよりよっぽど楽しい
そんなことに 今更気づく。


 そしてちゃんと構ってあげると
そのうち彼も満足をして
また一人でも遊んでくれて その間に
家事ができる そういう風になっている


 ところがこれがお母さん優先だとさあ大変!!
「なんで今頃泣くの!!」とか「お母さん
忙しいんだからね 泣いてないで我慢しなさい!」とか
そんな風になったあと 次の予定が
子供を遊ばせられるものじゃなく
大人同士の会合とかだと もう最悪
彼はストレスがたまってて そこで吐き出されることになる、、、
そこでお母さんは大後悔「あーもう!!こんなところに
子供を連れてくるんじゃなかった!もーイヤー!」


 最近経験からわかったことは
子供は自分の言う事をきいてもらっていたのなら
ちゃんと親の言う事だって聞いてくれる
だけど我慢ばっかりさせていたら ストレスになり
あとでしっぺがえしをくらう
それに親も 子供と一緒に楽しむ事で
すごく柔らかくなり 成長することができるのに
いつまでもかつての視線だけで子供を見つめ
子供をしばって まわりの大人の反応に
おびえて子育てしていると 子育てなんて楽しくないよ
だって子供は 大人の世界じゃ理解できない
反対にちかい そんなことばっかりする生き物で
子供の視点で大人の世界を眺めてみると
ため息ついて まじめくさって みんな黒いスーツきて
しかめっ面して生きているのが なんだか
おかしく思えてくるけど
大人の視点をもってるままで 子供を自分が育ててみると
かなりのストレスになるだろう。
だって思い通りにならないんだもん
あまりに予測不可能だしね


 だけどそれが面白いんだ
そうやって 子供の柔軟性を学ぶ事が
面白いんだと思えたら きっと大人は成長していく
本当は 子育てって 子供を育てるためじゃなく
大人が違う世界にむかって 成長していくためにある
そんな気が最近している
大人の学び場?大人の成長?
それはラーニングバーに行く事だけじゃないんじゃないか
子育てという経験を与えられた人たちは
本当はマイナスやハンディじゃなくて
すごく成長できる機会というのを与えられた人たちなのかも

 大金をはらってワークショップに行くのもいいけど
何年間か子育てをして 子供から学ぶ事 で
人間は大きく変わり もっと包容力のある人になれる
そんな気がするんだけどな 子供はやっぱり 贈りもの。

ママサークル

2010年03月26日 | 子育て
 今日は昨年秋からちょこちょこ参加させてもらった
ママサークルの卒業式で 私は卒業どころか
まだ一番の新米だけれど 11組の 春から
幼稚園組になる ママと子供たちを送り出す
とても盛大なイベントだった。


 これまではちょくちょく実家に帰ったり
こちらにいても れんちゃんが風邪をひいたり
二人とも元気なときで さあ行こう!と決意をしても
途中で嫌になってやめてしまったりで
なかなか行けてなかったけれども
3月だけは かなり大変なイベントごとになるらしいとは
知っていて これをはずすと多分もう参加もできない
そんな気持ちで 3月だって横浜に行きたい気持ちはあったけど
いい加減 こちらにもじっとしてなきゃ
やれそうなことすらやれない そう思い
「3月は帰りません」宣言をすることにした。(でも4月に帰る?)


 そう だって 3月末は卒会なのだ、、、


 「みきちゃん卒会は参加できそう?」そう言われ
内心どうしようとは思ったものの ここに参加しないと
3月のサークル自体に居場所がない!!とわかっていたので
「参加します!」と即答してみた。すると3月は
本当にその準備が大変で 驚くほどに
他の人たちは気合いをいれて 小物やアルバムを
つくったり 飾りをつくり ダンスを覚え
料理のレシピをつくったりしてて
なんじゃこりゃ!!とかなりびびった。


 だけど私もダンスしないと!と「おかあさんと一緒」の
DVDをコピーしてもらい きいたこともない
「どんすかパンパン応援団」という歌の踊りを
毎日練習することになる(旦那まで覚えてしまった)

 それもはじめは なんじゃこりゃー!と
思っていたけど 練習をはじめてみると
そう簡単でもないようで 一生懸命やってみるのも
また楽しくて アルバムづくりのアイデア出したり
スキャナーをつかってみたり みんなで
セロテープやのりをつかったり
そういうこともまた楽しい。


 今日は朝から、ちらし寿司ケーキというのを
つくることになっていて、それの準備も
(ちょっとしかやっていないけど
というのは私は飾り付け担当だったので)
なんだか若奥さんの団子つくり教室やみそづくり教室
みたいな感じでおもしろかった。


 そうやって たくさんの人が自分の得意なものを活かして
だれかが喜ぶものをつくってく それって意外にも
けっこう楽しいものなんだ。


 今日は卒業するママたちが 一人一人感想を
みんなの前で話してくれて それがとってもジーンときた。
「はじめは人見知りをしてて みんなの名前を覚えるのが
とっても大変でした」とか「子供も私も人見知りで
集会所の前まできて子供が嫌って言い出して本当に
困った事が何度かあった」とか「引っ越してきて知り合いも
いなくてすごく淋しかったけど ここに出会って
すごく変わった」とか いかにも子供が好きそうで
優しそうな人ですら「子供がうまれて自分の時間が
全然なくなって 子供って何?って思った事もあった」と
涙ながらに言っていた。

 私はそれらの言葉を聞くたび 目頭が熱くなり
何度か涙がこぼれてしまった。なーんだ
みんなとっても仲良さそうで入りづらいなと思ってたけど
はじめは一緒だったんだ、、、 それでこんなに
変わってったんだ。 人見知りなんて とても思えない
そんな人たちばっかりなのに みんな人の子の名前を
しっかり覚えているのに みんなはじめは
そんな思いを抱えてきてて それで変わっていったんだ、、、


 私にはそれが感動だった。
ああそうなんだ はじめは孤独だったけど
それがここに出会って救われて
いつしか他人のことまで心配をして
まだ見ぬ誰かを かつての自分のような誰かを
助けたい と こうして活動をしていくんだ
それって本当に 素敵だと思う。


 このサークルをしきってる人はふーちゃんという
笑顔の素敵ないかにも子供が大好きそうな女の人で
その人は何者なのかと思っていたら
なんと京都子育てネットワークの代表の人だった。
私がいつか近づきたいと思ってた
そのネットワークの しかも代表の人が
こんなに身近にいたなんて 半年間全く知らずにいたけど
最近やっと知ったので たまたまご飯が隣の席になったので
なんでこういう活動をはじめたんですか?とちょっと
尋ねることにした。


 すると彼女はこう言っていた。
「私が2人目を産んだ20年前はね 子育てサークルなんて
なかったのよ。私は幼稚園の先生をしてて 一人目を産んで
復帰したんだけど そのとき幼稚園にきてたママたちに
どんな状況で子育てしてるのかってきいてみたら
ものすごく孤独に子育てしてるってことがわかってね
それで仕事をやめて子育てサークルをつくることにしたのよ」
と言っていた。仕事をやめて子育てサークル!
それってかなりすごいと思った。

 彼女はこうも言っていた。
「ある時自宅で休んでたらね、まああなたが家にいるのなんて
珍しいわね、今日みんなでお昼ご飯たべるからよかったらどう?
って近所の人に言われていったのよ。そしたらそこで
ご飯つくって食べてる横で子供達は楽しそうに勝手に遊んで
それでね 気がついたのよ。今までは子供は家庭と幼稚園や
保育園で育つものだと思っていたけど そうじゃなくって
家庭と地域の中でも育つんだって それが目からウロコだったのよ!」

 お母さんが近くにいたら そこに子供達が一緒にいると
彼らは勝手に遊び始める 子供には子供の世界があって
そこでの秩序ができていき いわれなくても
れんちゃんでさえ 3ヶ月下の子にはお兄ちゃん役を
するようになる そういうふうに できている。


 詳しい経緯はわからないけど 幼稚園の先生だった
彼女がそれをやめてまで サークルをつくり
のちにネットワークをつくることにしていったのは
一体どうしてだったのだろう。だけどそれにぴんときたから
それが必要なんだと思って 彼女は行動したのだろう。
昔は地域に子供達が集ってて 勝手に学び合っていた
そんな場所があったけれども 今はそれがなくなっていて
だけど彼女がまたしても中心になってつくってくれた
うちの近所にできた「つどいの広場」は
室内だけども なんだかそんなイメージだ。

 そうやって 子供たちが勝手に遊んでくれるのならば
母たちもそこにいるだけで もっともっと
たくさんのことができるんじゃないんだろうか
専業主婦って、、、と思ってたけど
主婦としてはプロ?なわけだし(私は能力低いけど)
仕事としてというのじゃなくても 前々から
好きだった事を活かしてみんなに喜んでもらえるということは
なんだかとてもいいと思う。
かくいう私もそのサークルのポスターを何故かつくることになり
最近がんばろうと思ってる絵を もう少しやろうという
モチベーションがあがったりした。


 地域の中には 子供だけじゃなく 主婦達だって生きている
彼女達 は はじめは孤独かもしれない。
だけど孤独から救われたなら 発揮できる力は沢山もっていて
何より若いから まだまだ力はあるわけで
ここにいる人たちは 2人や3人子供がいても
それだけで私なんかよりよっぽど大変だというのにも関わらず
それでも人助けをしようとしている それが本当にすごいと思う。


 主婦だって とても素敵な人はいる
とってもかっこいい人がいる。
元主婦で 有名になった人たちだってけっこういるし
(FOB COOPの益永さんも 料理研究家の有元葉子さんも元主婦だ)
そういう人たちはパワーがすごい。
そしてその情熱と 行動力と 説得力が
人をあっと言わせるんだなあ。


 一年前は 主婦なんて!!!と思ってたけど
なんてつまらないと思ってたけど
「全国つどいの広場実践交流会」に参加してから
すごく共感できてかっこいいと思える元主婦(今もか)に
出会い 本当に圧倒された。その人たちの
パワーというのは本当に格好いいし
何より きっとそこに愛があるんじゃないかなあ?
(ちなみに先日参加した「ふれあいの居場所サミット」でも
主婦の力を実感!「ママから時代は創られる」は冗談じゃないかも?)

 うちの旦那の母は「21世紀は愛に飢えた時代だ」と言っていたけど
そんな殺伐とした世の中だから 愛だとか あたたかさを
人間的なぬくもりを ちゃんと感じられるところがあると
人は涙してしまうのかもな

 地域にはまだきっと愛がある
他人に対する思いやり も 慈しみ も
きっとある。よりよい地域
もっと人が生きてる事を楽しめる そんな地域をつくるのに
私も貢献できたらいいなあ!がんばろーっと。

ファーストプレイスの大切な時期

2010年03月24日 | 子育て
相も変わらず 3月も末頃になり 身近な人が
これでもか またこれでもか!というほどに
「うちも保育園いくことになってなー」という
言葉を発し ああ、、、とため息がもれる一方で
批判的な気にもなるけど
「3歳児神話も完全崩壊!」な潮流の今
保育園組にもれてしまった 母達の気持ちはもどかしい。


 そんなさー そんなちっちゃいのに もう
保育園にいれていいわけ??と思うけど
1歳になるまで育て終わって よくわかるけど
1歳になるまでって本当に大変で 子供はまだ
自分の足でしっかりとは立てないし
何をするにも親が必要で 親はひたすら
子供の召使いみたいな状態になるだけで
教育なんて どころじゃなくって 親はヘトヘトになるだけで
だけどその動物としてとても未熟な1歳を過ぎてきてから
大変だけども醍醐味だってあるのだろうに
それを途中でやめてしまう。


 それ知らなくっていいのかなー?と思うんだけど
私だってさ 横浜で預けたことは何度もあるけど
「保育園組のお母さん!大丈夫。
コミュニケーションは量より質です!」といわれても
帰ってからのたった何時間かのコミュニケーションでなんて
「お母さん」にとってみたら そりゃあ大事で
息抜きできて あー子供がいてよかった この笑顔ったらないわと
思える瞬間だけど だけど子育てごっこをしているみたいだと
私はとても恐ろしくなった。だってなんてうそくさい!!
うそくさい と 思いませんか?
私はそう実感したけど。。朝から晩まで外に出ていて
何事もなかったかのように独身の人や男性たちと働いて
それで帰って いきなりママのように振る舞ってるけど
ママ というより 同居しているおばさんだったり
兄弟に近いような だって外にでて「私も子育てしてて、、、」って
言うけれど 私の場合は 外にでるのは ちょっとだけで
たいていは子育てしてるから 自信をもって(?)そういえるけど
例えば私みたいな人が 日中も自分の仕事をしてて
夜や休日も仕事関係の集まりがあって そんなところで
子育てについて語っていても うそくさいと思いませんか?
誰がいつ 子育てしてるんじゃ?とその子を預かっている
側からしたらいいたくなると思いませんか


 「だけどね 美樹の場合は仕事じゃなくって
お茶するために預かってもらってるだけでしょ?」と
言われたこともあるけど だけどさ 本当に仕方ない人も
そりゃあいるけど 保育園に子供を預けて 平日に
ヨガに通って 保育園の話をしている人もいる。
私なんかからしてみたら はあー?優雅で結構ですこと!と思ったけれど
(私はその時京都ではヨガの時間以外れんちゃんと
離れたことがなく とてもストレスフルだった)

 実家の近くで 生まれ育った場所で暮らしながらも
友達だって みんなそこにいる人なのにもかかわらず
私と同じようにため息をつき「本当に毎日大変よね!!もう!」と
いう人なんて あとをたたない。
そうしてみんな 話はじめる。「保育園に預けたいなあ、、、」

 
 そこで誰も 反対意見を言わないのかなと思うけど
たとえばそれが旦那だったら「そうだよなあ
子供もかわいいけどお前の人生も大切だよな
それにそんな辛そうな顔ばっかりされてたら俺だってしんどいよ
うちもそんなに裕福じゃないし、、、 保育園に預けて働いてみたら?」
となるのだろう。


 ではおばあちゃんは?おばあちゃんは一歳で預けることに
反対しないの!?と思うけど

 昔自分も早くから保育園に預けてた人はだいたいこういう。
「偉いわねー!子育ては大変でしょう!
保育園に預けちゃえばいいじゃない?どうして預けないの?」
(けっこうWhy not?という感じでいわれる)

 一方で そんなに早く預けるのはちょっと、、、と
思っている人たちは若い女性に一発で反対されるのだろう。
「そうねえ でももうちょっと大きくなるまでみてみたら?
3歳までが一番大変だけと一番かわいいのよ!」
「そうですねえ、、、 でもうちもお金がないんです
私もちょっと働かないと、、、」
「そう、、、 じゃあ仕方ないわねえ」


 お金ないんです って どれくらいあれば足りるのだろう?
私に言われたくないかもだけど 女の欲望は本当に
きりがなくって 私はここで 子育てのストレスだとか
自分だってやりたいことが!と書いてきたけど
それに対して「まったくこいつは!」と思う人もいるだろうけど
世の中の女性たちは けっこうどっこいどっこいどころか
私が驚くくらいの人たちだっているんです。

 だって考えてもみてください!誰が母になると思います?
あなたの隣にいる その女の子達ですよ?!
飲み会で隣に座ってる 電車で隣に座ってる
もしくは自分の家に一緒に住んでる その子がある日
母になるだけなんです。子供をうみおとしただけ で
何もかもなんて変わらないから だから今から
考えておく必要だってあると思って書いているんです
本当にそれでいいのかって
産んでからじゃ遅いんです。だって彼女達は
「取り残された!!」と思い始めて
ひたすら働くことを夢見るように なるのだから、、
(そして私は脱落者)


 こんな気持ちを 誰もわかってくれそうになんかなかったから
唯一わかってくれるかもしれなさそうな
旦那のおかあさんに電話をしたら 案の上彼女は
のってきてくれて 「昔はねー 女の人も働いてるって
いってもね よべば来てくれるくらいのところで働いてたのよ」とか
「私たちの時代(30年前)は、タイル工場の近くにいたから
女の人たちも働いてたけど 保育所にいれるのは普通は3歳からだった」
「それ以前にいれるのは相当貧しい家だけだった」と言っていた。

 「なんで3歳まではお母さんがみるんですか?」と聞いてみる と
「必ずしも母親でなくてもいいけど 3歳まではマンツーマンの
コミュニケーションが必要なのよ!」とのことだった。
情緒面でしっかりとした根っこをつくっておくことで
あとがしっかり育っていくようになるんだそうな。
自分のことをしっかりとわかってくれる人がいる
いつでも帰れる場所がある 自分はしっかり愛されている
いるだけで それでいいんだと思えるような そんな
安心感って とっても必要なんだと思う。


 なんでこんなに 今になって「居場所居場所!!」と
叫ばれてるのかわからないけど そこまで
強く叫ばれてみると そんなに居場所がないのかよー!と
こっちが叫びたくなってくる。家庭は?第一の居場所の家庭は?
いったいどうなってるんだろう?
家庭は?家庭教育は?そんなのあるわけないじゃんか
崩壊してて当たり前だよ と私は言いたくなるけれど

 家庭にも 地域にも 人がいなくて 家だけは沢山あるのに
その家のために みんな一生かけて働いてるのに
その家の中は空っぽで 美しいインテリアだけは存在するけど
子供も大人もみーんないなくて
彼らは別のハコの中。なんだか変な話だな


 第二の場所だけが重要になり 家庭をみんな飛び出して
朝早くから 親は職場に 子供は保育園と学校にいく
だけど第二の場所というのは 規律が厳しく
自分の望む ほっとするものや安心感は与えてくれない
そんなの定説だと思うけど


 だから「居場所」を求めてる。
サードプレイスもいいけどさ 家庭や地域社会があっての
サードプレイスなんじゃないのかな?
家庭でやるべきだったこと をみんな外注しだしたら
いくらお金を稼いでみたって 足りるわけなんかないというのに
より一層 お金がかかる そんなスパイラルになっていくのに
そしてそれを止められるのは きっと一番初期値の大事な
自分が子供を育て始めて そしてどう振る舞っていくかの時期なのに


 だあれもそれを教えてくれない
そしてみんなは不安にかられて
今 手元にあるお金を少し増やそうとして
ひきかえせない けっこう大きな決断をする。
でもそれが 将来のその家にとって どんな結果になるのかなんて
誰もわからないわけであり その選択に
どれほどの意味があるのかも その時点ではわからない。
だから私みたいに「あの人が働くんなら私も働こうかな」だとか
「先をこされた!!くそー私だって!」とか
そんな馬鹿みたいな気持ちで保育園に走っていくと
短期的にはいいのだろうけど どこかでしっぺがえしがくるのだろう
だってそこには ポリシーなんて全然ないから。


 何もかも 外注してく 何もかもが分業になる。
「世の中には子育てが得意なひとがいるからいいではないか?」
「お互いがそれをいかしあえばいいのではないか?」
そう 僕の国はワインを生産することにするから
君の国では工業製品をつくってくれたまえ
そして分業が 貿易がはじまったけど 効用は高そうにみえたのだけど
その裏には疎外があった やってもやっても
なんだか違う なにかが欠けてる お金をたくさん払っても
何かが欠けてる気になってしまう それは一体何だろう?
おそらく手間や愛ではないか?


 世の中に は 交換可能なものもある
だけど交換を続けることで 気づかずに失っていくものもある
母親という存在は 子供にとって 交換可能じゃないと思う。
そう考えると 本当は その家族とか 子供とか
はたまたその後の教育にとってさえ 
子供がまだ小さいうちに ちょっとのお金を稼ぐために
保育園に預けるという選択は 不安にかられた母親や
強気な娘にいいかえせないおばあちゃんや
「なんで私ばっかり!」と愚痴をもらしてる奥さんに
優しいことばをかけてみるしかない旦那さんが考えてるより
もっともっと 深い意味をもっているのかもしれない。


 誰もそんなこと議論しないし
誰も本音を言わないけれど
みんなおかあさんに同情しているふりをするけど
本当にそれでいいのだろうか?
私にはまだわからない。我が子はまだ2歳にもなっていないから
だけど私は 朝から夜までのこの子と一緒のコミュニケーションは
「質で解決すればいい」なんて そんな言い方をされてしまうと
かなりムッとしてしまう。
かけがえのない時は もう二度と帰ってこない
少なくとも 私にとって れんちゃんの笑顔は重要で
れんちゃんにとってもママは大切
それだけが今の私にある答え。

地域社会に生きる

2010年03月19日 |  カフェ的な場で考えたこと
 先日「ママのホッとサロン」という
児童館で月に一回、ママたちが
ちょっと子供と離れてほっとするために
開催されてるイベントに行ったとき、
沢山のママがこう言っていた。

 「少しでも子供と離れてこうして
お茶を飲めるのが幸せです。」
 「こんな時間はなかななくて!!」


 初回のころの私だったら 本当にそうだ!!と
同意してたに違いないけど(もうよく思い出せないけれど)
今の私はそれをきいてて「そうかあ?」と思ってしまった。
そして「そうかあ?」と思えた、そんな自分は
ずいぶんと幸せになったのだと認識できた。


 どうして私が「そうかしら?」と思ったかと
考えてみると それはおそらく 私にとっての
日々のホッとサロンの カフェ欅があるからで
このイベントを主催している人が こちらのカフェも
運営していて 子供のためのカフェではないけど
れんちゃんはもうしっかりとした常連になり
カウンターに座っては たくさんのものを
もらったりして その横で 私はコーヒーや紅茶を飲んで
お姉さんや おばさんや その旦那さんと話したりして
そのうち他のお客さんとも ちょっと交流があったりしてて
そこにはおもちゃもれんちゃんの好きなトラックの本も
おいてあるから 私にとっては 本当に大切な息抜きの場所。


 私はここに出会ったから なんとか引っ越し先の
見知らぬ土地でも楽しくやれるようになり
はじめこのカフェに通ったころは ただの
「れんちゃんのお母さん」でしかなかったけれど
ある時を境に私は私らしい自分として認識をしてもらえ
最近はどうやってより地域を活性で切る場をつくればいいかを
ここの代表の人と話して 奥さんとは子供や高齢者が
もっといやすい場をつくるにはどうしたらいいか
話したりして たまにカウンターでコーヒーをいれてくれてる
店長さんの旦那さんとは イタリアのカフェグレコや
バール文化について話し合う。それがなんだか
とっても楽しい。


 その間れんちゃんはというと
たいていの場合 ウインナーとか卵とか
ゼリーであるとか お菓子をちょっと
わけてもらえて 私のでがらしの
ハーブティやら紅茶をもらって
(わざわざカップにいれてもらえる!)
しばらくカウンターに座っていたあと
椅子を降りたと思ったら おもちゃの
ところにめがけていって そこらへんに
車をばらまきはじめて遊んでる。


 ちょっと微妙な光景だけど お店の人は
みんなやさしく れんちゃんをとても愛してくれて
れんちゃんの「おいしいの時の笑顔」みたさに
店長さんは甘いものをくれたりもして
時には他の人がれんちゃんを外に連れ出してくれ
私は誰かと何かの話をしながら ちょっとゆっくり
お茶ができる。そんな時間がありがたい。
そうしてそれが日常にある 月に一回だけじゃなくって
しかもそれが 私の場合は研究にもつながってるし
地域活性にもつながるのかも そんな気もちょっとしていて
なんだかそれがとても嬉しい。


 そこだけじゃなく 最近は おばあちゃんたちが
通っているヨガの教室にも通い始めて
今日はいつもと違う場所で開催されてる
ある人のお宅でのヨガに参加した。
子連れで申し訳ないな、、、と思っていたけど
おばあちゃんたちはみんな優しく歓迎してくれ
そこにはお孫さん用のおもちゃもあって
(しかもトラックのミニカーが何台も!!
れんちゃんはトラックおたく)
みんながとてもあたたかく見守ってくれ
その後で我が子がお腹が減ってしまって
大泣きをしていたときは すかさず隣にいた
おばさんが「何か食べるものない?この子
お腹減ってるのよ!」と言ってくれて
お家にあった「おっとっと」をいただいて
その瞬間に彼は泣き止み ひたすらそれを
食べていた。そのあともドーナツをいただいたりとか
みんなとっても優しくて 「またぜひ来てね!!」と
言ってくれ 私がちょっと憧れていた
おばあちゃん世代との交流が すこしずつ実現されてる
ような気がして 本当に嬉しくなった。


 地域に人は生きている。 いろんな人が
狭い地域にひしめきあって生きている。
なかなか交わる機会もないけど みんなそれぞれの
長所をもって 特技をもって生きている。
ママサークルも 嫌悪感を感じることもあったけど
慣れてくると みんなのよさやあたたかさが
だんだんわかるようになり ああこういう場所で
特技を発揮してみたり やりたかったことを
やりはじめてく そんな道だってあるんだなあと
気づかされる。


 近くに住んでいる人で
みんなでそこを楽しくしていく
子育てを 地域社会をもっと楽しいものにしていく
それってとっても楽しいし 
地に足がついてる気がするし なにせお金もかからない。
地域社会はなんだか楽しい。
意外にも こんなところに こんなすごい人がいたのか!と
驚く事もまた楽しい。
「専業主婦で子供といるから」何もできない
わけじゃなく そうやって 少しは時間も工面できるから
伸ばせることもあるかもしれない。それは仕事ではないけれど
だけどやりがいがあるかもしれない。
だって誰かが喜んでいる。みんなの笑顔
その中で 私もれんちゃんも笑顔でいられる
そんな社会はあったかい。

 おばあちゃんたち ありがとう!!

母親という存在

2010年03月18日 | 子育て
 昨日ブログに書いた事を考えながら
今日一日れんちゃんと一緒に過ごしてて
やっぱりれんちゃんは沢山の時間に
私に甘え 膝の上にだっこされてご飯を食べたり
いっしょにじゃれあって遊んだり
抱っこ 抱っこ!といってきたり
雨の降る中おんぶをしながら
色んな言葉の発音練習をしたりして


 やっぱりなー まだお母さんが必要なんだよなー
と改めて認識したりする。
だって 甘えたがってるもん。
甘えたいとき 必要なとき そこにお母さんが
いるということ そのとき見せる彼の笑顔は
とってもよくて本当に幸せそうだ。


 「お母さんだってお母さんであるまえに
一人の人間なんだ」と自由な女は思うけど(もちろん私も)
でも子供にとってはお母さんはお母さんという
絶対的な存在で まだ独身だったとき
道ばたでお母さんに抱っこされてる子供をみかけて
なんだかお母さんはとまり木みたいだと思ってしまったことがある。

 だけど子供をうんでみて 実際お母さんは
子供にとってとまり木にすぎない存在なのかもと思う事が
けっこうあって なんというか そこにいて当たり前 で
自分が実は重いとか 実は抱っこはしんどいんだとか
そんなことは子供は考えた事もなくって
親というのは絶対的にそこにあり
自分が望んだときにはすぐ来てくれる そんな存在なんじゃないかと
沢山の子達をみてて思う。
お母さんは いて当たり前 構ってくれて当たり前
お腹がへったらご飯をつくってくれて当たり前
お母さんの都合なんて僕にとってはおかまいなしさ
だってお母さんだから!! そんな感じに思えてしまう。


 そんなこと言われたって!と一人の個人としては思うけど
私自身も自分の母をそんな風に思ってて
母というのは魔法使いのような存在だった。
自分が布団をかぶってこっそりと泣いているとき
いつも母はそおっとドアをあけて様子を見に来てくれた。
どうしてお母さんはわかるんだろう?それが不思議で仕方なかった。
怖くて眠れない夜は 勇気を出して母の布団を
たずねていったら一緒に眠らせてもらえたりした。
今だって 私が本当に落ち込んだとき 電話をすると
何も言わなくっても母は「どうしたの?何かあったの?」と
いってくれ 超能力者のような気がする
(歯磨きをしながらしゃべっても理解してくれるけど
旦那は全くわかってくれない)


 そんな風に お母さんは自分の意志を全部わかっちゃう
そんな存在でいてほしい 言わなくってもわかってしまう
ツーカーな存在でいてほしい 子供ってお母さんに
そんな期待を抱くものではないのかな。
子供とずっと接しているお母さんは 他人や父親からみたら
まるで魔法使いのように 子供の話す 意味の通じなさそうな
単語で言葉を理解して だから旦那に「れんちゃんの
言ってる事 翻訳してよ」といわれたときに
私はなんだかうれしくなった。
子供とずっと接していたら それはわかってくるもので
母性本能だからとか 母親だからというわけではなく
それは接した時間の問題で 子供は自分を理解して
自分とちゃんと遊んでくれる そんな人を好きになるらしい。


 フランスのキャリアウーマンが書いた『スーパーウーマンは
こんなに大変』を読んでると 子供2人に「お母さんと
シッターさんとどっちが好き?」ときいてみる と
「シッターの方!!」と喜んで答えられてへこんでしまうと
書かれてたけど シッターの方にいわせたら
そりゃそうだろう 私が子育てもして家事してるんだと
言えるものならいいたいことだろう。
(ちなみに「子育て先進国」フランスでは小さい子供は
保育園の集団保育よりもベビーシッターをつけるという方が
主流らしいです。それで彼女達が家事もしてくれてるから
母親は働いていても教育熱心でスキンシップの時間も
ちゃんととれるのでは、、、?日本とは実はだいぶ事情が違いそう)


 3歳までの小さな子供にとっては母親でなかったとしても
誰か一人の人物が その子にきちんと寄り添っている
それがどうやら大切らしい。だから乳母でもシッターさんでも
おばあちゃんでもいいのだけれど 保育園の先生は
0歳児でも先生一人で3人をみてる状況で
それっていったい どうなのかなあ?
もちろん先生達は できる限りの努力をしてくれているわけだけど。


 私が見学にいった保育園の園長先生は
しょっぱなにこう言っていた。「どうしても経済的な状況で
働かないといけないのであれば仕方がありません。
でも小さいうちから保育園にいれることは正直
あまりいいものではありません。保育園では
子供達は疲れてしまいます。それに私はこれまで
何人も入院する子をみてきました。
それでもどうしても経済的に仕方ないのであれば、、、」


 はっきりいって見学にきた私たちは 「どうしても経済的に
仕方ない」という程じゃなかった。「もう少し
自由になるお金がほしいよね 月にあと3万円くらい
あったらいいね!」そんなところで同意していた。
そしてその時一緒にいた友達は 子供を預けて
アルバイトをしはじめることになったのだけど


 なんであのとき 一番はじめに 園長先生は
そう言っていたのだろう と 彼女が働くようになって
わかったことは それまでは雨の日なんて
ほとんど外に出なかった専業主婦の彼女でも
雨だろうが雪だろうが吹雪だろうが 仕事には
いかなきゃいけなくなったわけ で
子供もその中で連れ出され 保育園に行く訳だ。
それで一ヶ月もたたないうちに彼女の子供は
熱を出したり風邪をひいたりしたらしいけど
そうなったところで仕事は休めるわけじゃないから
それでも彼女は連れて行く。

 そして子供は集団がいる小さな部屋で
しんどくっても過ごすわけ で
そのうち誰かに簡単にうつる。
そしてうつり うつされの繰り返し。
だってそうだ 子供が調子悪いときなんて
一週間くらいぐずぐずするのに
いちいち仕事は休めない。
だから無理を承知で連れて行き
あとで先生から電話がかかって
「戻ってきてください!!」と言われることになる。

 それで?どうするのかというと、、、
そのあと病院にいくんだそうな
病院にいったら熱ってなおるの??
解熱剤を飲ませればいいの?
なんだかそんな話をきいてると
どうして保育園が予防接種必須なのかがよくわかる。
そしてどうして園長先生が「どうしても仕方なければ、、」と
言ったのか が よくわかる。

 子供は楽しいことももちろんあるけど
一度しんどくなったとき に
ちゃんと面倒もみれなかったら 深刻になってしまうこともある。
そんな時 に お母さん!!と思っているとき
しんどいときに お母さんがいなかったなら
今の私だって嫌だと思うけど、、、

 子供は元気な時だけじゃない
調子の悪いときもある 機嫌の悪いときもある
すごく甘えたいときもある し 友達と遊びたいときもある
言う事をきいてもいいとき 聞きたくないとき
一人がいいとき お母さんと一緒がいいとき
いろんな気分が共存していて 一面だけでは全然ない。

 お母さん!!と叫びたいとき とっても苦しい時もある。
そんな時に そばにいれない その時に
自分がいったいどう思えるか だからあの先生は
「本当に経済的な理由なら」と言ったのだろう
そして保育園というものは そんなにいいものではないけれど
そういった理由で仕方なく預かってもらわなければならない人たちのために
設立されたものであり 「私が私であるために」とか
「ちょっとは自由になりたいから」という 
そんな人のためのものではないのだろう


 保育園待機児童もいいけれど
もっと他の選択肢だって 考えてみたらいいのにな
私が私でありたいのなら ベビーシッターや
一時保育を もっともっと充実させたら
それだけで待機児童はぐんと減る と 私は思う
保育園は 3歳すぎて 元気になったらいいとこだけど
まだ弱っちい 1歳児や0歳児にも 本当にいいのだろうか
しんどいのなら もっと他の人の手を
一対一で 借りる事はできないのかな
本当に経済的な理由というけど
お金もないのに 6人の子を育て上げた
高森家は お金がなくても子供は育つ
そんな実例だと思うのだけど


 結局のところ 私たち は
たくさんの不安にかこまれて 強迫観念を抱いてて
それだけのことかもしれない
お金がないと結婚できない
お金がないと教育できない
お金がないと子供をうめない
会社で働いてないと社会の一員ではないんじゃないか
子育てなんて意味のない再生産なんじゃないだろうか
自己実現したと思った 私は彼方に去ってしまった


 本当に そうなのだろうか?


 もっと沢山の人の意見を聞いて
もっと沢山の人の生きてる姿をそばで見てたら
こんな強迫観念なんて 消えてしまうかもしれないの に
密室で育児をしながら 頭でたくさんのことにとらわれ
2歳になったら 3歳になったら 子供が
どんな風に変化するかも 何もかもしらないままで
社会から 取り残された その焦りだけが一人歩きする
焦り 不安 強迫観念 そんなものたちに支配されてる?
それらはどこから来たのだろう

 「保育園に子供を預けて自分はもとの人生にすかさず戻る」
それが女達の主流な生き方になっているけど
それだけ じゃ ないんじゃないか
もっと違う 子育てと 自己実現を
自分の使命に向き合うことも できるんじゃないかと思うのだけど
保育園が適している働き方の人もいるけど
それだけが答えなわけじゃない。
答えを探そうとしたときに 違う答えもあるんじゃないか
私は私の子供とともに 第三の道を探りたい。

負け犬の遠吠え

2010年03月17日 | 子育ての苦しさ
 今日は近所で開催されてる「ママのホッとサロン」という
イベントにれんちゃんと行き 最近仲良くさせてもらってる
おばさんたちも今日はそこに来ているはずで
どんなかなーと思っていたら 会自体はよかったのだけど
個人的にショックな出来事が待っていた。


 「今年度ももう最後ですからね。一年間やってきましたけど
どうでしたか?年度末だからこれがもう最後という人もいるでしょう
どれくらいいはりますかー?ちょっと手をあげてみてください」


 主催者のおばさんの声にあわせて 手をあげる人
あーあの人 保育園にいくんだってきいてたな、
と思っていたら あれ あれ あれ!?
あの人もこの人も!!えーこんなにごっそり抜けちゃうの!!?


 私の住んでる西京区 は かなり待機児童がたくさんいる区で
(京都で一番のファミリー世帯が住む区なのだ)保育園の
見学に行ってはみたものの 「ほとんど空きはありません」という
状況で れんちゃんの年の子は 入れても2人くらいと
いわれてたのに えー!!! まさか!!あの人まで!
ついこの間 一緒に遊んでいたというのに
きいてないよー!!!


 無理だと思ってあきらめて 申請書を出さないでいた
私ともう一人のお母さんは 児童館から帰るときに
こう言っていた。「なんか置いてきぼりになった気分、、、」
「なんていうか、、、 ショックだよね、、」
先日仲の良かった友達が働き始めたばかりで
それもあまりに急だったから ようやっとその
傷を癒せそうになってきたところだったというのに
なんだかとっても形容しがたい気持ちになった。
(みんな勉強してないっていっていたのに
自分だけテストの点が悪かったような気分 わかります?)



 そーなんだー みんな一歳で それ以下で 
もう預けちゃうんだ、、、 そして新しい
「保育園ママ」たちは仲よさげにメールアドレスを交換しあう。
なんだかいいよなー 「先を越された感じだよねー」


 主婦になった女性達は 友人が第二子を妊娠したと知ったときや
知人が家を購入したとき 同じような なんとも言えない
ショックを受けると聞いたけど 保育園と働きだすのも
そんな気持ちになるんだなー


 だけどさー いいのか一歳で!!?と思うけど
「3歳児神話」で検索してみると とくに発達に違いなんてないんだそうな
それにさ 両親が働いてたら 教育費だってかけられるから
いい大学にいける可能性も高くなる訳で
現に私の知ってる 0歳児から保育園に入っていた
人たちは みんないい大学に行っている。


 でもさー 母親は 母親はどうなの?
「本当に経済的理由であったら仕方ない」というのはよくわかるけど
たくさんのママと接しているから言うけど たいていのママたちは
「ストレスになるから保育園にいれたい」と言っていて
現に入れた人たちは「育児休暇のときが一番ストレスだった」とか
平気な顔していったりもする。そりゃさー だってさ
朝の8時から夜6時まで 預かってもらったら
そりゃ ほとんど子育てしてないじゃん!!と
私はいいたくなるのだけれど
大変だとはいったところで 子育て自体の関わりだったり
ストレスは 預かった人が感じているわけで
すました顔して「仕事と子育ての両立」なんて
決して言えないんじゃないか と私は思ってしまうけど、、、


 ま 負け犬の遠吠えなんだと言われてしまえばその通り


 なんだか私は 就職活動をして まわりの人が
大企業に内定をとっているのに自分はいっこうに
落ちてばっかりな そんな気分。


 だけどそんな時私を助けてくれていたのは
『知識人とは何か』であって 今の私が思うのは
そりゃね ボーヴォワールは子育てを馬鹿にしてたし
女性も男性同様戦ってなんぼだと思っていたし
その思想が圧勝したわけだけど
それってなんか とてもヨーロッパ的というか
「子供は邪魔者」な発想で
でも日本には かつて外国人から「子供の楽園」と
称されていた日本には もっと大人も子供も老人も
いっしょに楽しくゆったり生きていけてた
そんな何かがあったんじゃないかと思うのだけど、、、


 子供を邪魔者にしていたら それで独身のころのように
黒いスーツの男性たちの中み混じって ひたすら
働いたりしていても もちろんお金は稼げるけれども
社会はあんまり変わらない と私は思ったりするのだけれど
「そりゃそうよ 社会を帰るために働くんじゃないのよ!」と
言われて終わりなのだろうけど 社会をもっと良くするためには
もっとたくさんの人や生物達も生きやすい社会にするには
これまでのように たいして必要でもないものを
必要そうにみせかけて 無理矢理売ってく そんなことを
続けていくのでいいのだろうか?
多様性というのなら(別にママたちはそんなこと言ってないけど)
多様性を共存させて お互いが本当に生きやすい
そんな場をつくっていかなくていいのだろうか?


 私のまわりのママたちは 「子育てばっかりなのがストレスだった」
「社会と関わりをもちたかった」「社会から切り離された感じ」
ということを たぶん一番重視していて
「やっぱり働いた方が」「お金もちょっとは手に入る し
それによって 自分の時間もちょっとは手にすることができる」と
言っていて どうしてもお金が必要でせっぱつまってというよりも
むしろ「自分が自分でありたい!」という 自己同一性を保つため に
働く事にする訳だ。


 それはものすごーくよくわかる し 私だって
中原先生に出会う前は 本当にそんな気持ちでいたけど
ここまで これほど 子育てがただの「ストレス」という
言説で 語られるだけでいいのだろうか?
誰かもっと 「子育ては大変なこともあるけど
自分がものすごく成長するの」とか「子供といる時間は
それまでは存在さえもしてなかったけど
人生の次のステージにいくにあたって 本当に
大事な時間になる」とか 母になった人にとって
子育てがもっとプラスなはずじゃないかと
どうして言ってくれないのだろう?


 こんなにも 根源的な営みなのなら
きっとストレスなだけじゃない。
ストレスは 社会的 精神的に生み出されてる。
今までの人生との比較とか 今日の私のように
働いている人との比較とか だけど だれか
「子供は宝だ」「社会の宝だ」と
だからみんなで育てようとか
もっと言ってはくれないかなあ?


 あまりにも母達は 母になった女達は
とらわれすぎているようで 私自身もそうだけど
子育てをして そのあと自分がどうなっていくか
想像もつかずに怖じ気づいてる。
戻りたい 怖い こんなんじゃいやだ!
いつまでこれが続くんだろう
時間を無駄にしている感じ、、、
そんなマイナスな感情は 非常に今の時代と相反してて
だから母達は必死になって 乳飲み子をかかえて
保育園を見学にいく。


 でも それで いいのかな??


 このままじゃ 0歳児から 80代のおばあちゃんまで
保育園やら介護施設やら 「施設」が人をみる時代になるけど
そこには本当の地域での交流や行き来なんかが欠けていて
働き盛りの人たちは 地域のことは見向きする余裕さえなく
朝から電車で働きにいく。社会には2つの種類が存在している。
「会社」中心の「社会」とほっぽりだされた「地域社会」。
かつて人は 地域で生きていたんじゃないのかな
こんなに社会が二分され 地域社会で生きてる人が
置いてきぼりをくらったような そんな気持ちになっているのは
とても最近な気がしてて それってなんだかおかしいような
そんな気がするわけだけど


 マトリックスは 人々に無意識に複製されてく
でもそれで本当にいいのだろうか?
まずはそれがマトリックスだと気がついて 
指をさしてみることなんだって。
子供を産んだ女性たちが「何か」を再び手にするために
「保育園に預けて働きたい!!」と思うのは
大学3年生が必死になって大企業に就活している
そんな状況に 似ているように思うのだけど
それはマトリックスじゃあないのかな?
自分の人生も子供の人生も
何のためにうまれてきたのか
子育ても就活もそれをもう一度よく考える
いい機会になっているとは思うのだけど、、、




日帰り香川旅

2010年03月15日 | 
 「あのさあ美樹ちゃん 香川行かへん?」
「はあ?香川?なんでまた?」
「いやーちょっとなあ 気になる子達の
試合があんねん それ見に行ってあげようかなーと
それに前から香川行きたいって言ってなかった?」

 そりゃあ言ってはいたけれど、、、


 それは一泊とか二泊の話で
なんと彼が提案したのは京都から日帰りで
日曜に香川に行く話。しかもちょっとだけ
中学生の試合を見に!まあうどんも食べにいくのだけれど


 はあ、、、 なにを 寝ぼけた事を

 と思ってたけど 土曜日は丸一日お世話になったし
本気だったらまあいっか、、、と思って土曜の
遅くに帰ってきたら 彼はやる気だったらしくて
それなら仕方がないので翌朝は6時くらいに出発予定になる。


 とはいえ結局家を出たのは朝の7時を過ぎていたけど
意外にも 明石海峡大橋を渡り 瀬戸内海を眺めて
れんちゃんを遊ばせたりして なんだかんだと
しているうちに 11時前にはついてしまった!ビバ香川!!


 もちろん私は試合を見にいくはずもなく
途中の見知らぬ場所でおろしてもらって
旦那とれんちゃんだけが試合にいって
私は思いもかけずに一人旅。

 
 地図を見ても どこにいるのかわからないのに
それでも嬉しさがこみあげてきて
一人になって やたらとニヤニヤしてまう。
大好きだった 香川にやってきたんだ!しかも急に!
(こんな唐突なのに家にちゃんとガイドがあった)
それがなんだかとてもうれしい。


 さてここはどこだろう、、、?
と歩いていると 早速うどん屋を発見したので
うどんを三回は食べる気満々だった私は
ぬけがけをして扉をカランとあけてみる。
おー まるで喫茶店のような
カウンターとちょっとした席と
そしてテレビがおいてあり
これぞ香川の喫茶店とうどん屋文化?
そんなことを思いながらもうどんを食べては
ほくそ笑み うれしくってたまらない。


 私 一人旅したいと思っていたけど
前回の吉野に引き続き 急に高松でも
そんな時間がもらえるなんて!旦那さんは
私の「一人でぶらぶら歩きたい病」を認知してくれてたらしく
「みきちゃんにはそういう時間も必要だと思っていたよ」
と私を一人にしてくれた。ありがたやー ありがたや。
やっぱり旅は なんだか楽しい。


 それから商店街をぶらぶら歩き
古そうな感じの喫茶店に入ったり
かなりレベルの高い雑貨屋さんに入ってみたり
(香川はめちゃくちゃレベルが高い!)
知り合いの人に教えてもらった港側にある
倉庫街みたいなところのカフェをめざして歩いていったり
ぶらぶら歩きは本当に楽しい。


 今回おすすめのカフェを教えてくれたのは
東大のカフェ研究会で知り合いになった
佐々木さんという方で その後お話をしてみたら
旦那さんの実家が香川だということで
「香川いいですよね!!」と勝手に盛り上がって
「うどん屋とカフェとアート論」を展開させてもらったりした
(佐々木さんのブログにそれがとってもきれいにまとめられてます
http://blog.livedoor.jp/sato_urara/archives/2010-01.html
「さぬきうどんとカフェとアート」というタイトルです)


 前回お会いした東京のカフェも素敵だったので
今度のカフェはどんなのかなあと期待をして行ったのだけど
途中でうどんも食べたくなったし 気になったカフェもあるけど
せっかくだから我慢しよう!とおすすめのカフェに向かっていった。


 そのカフェは 想像を遥かに超えて

 入った瞬間「ワーオ!」と思う
なんだかとってもわくわくさせる
何か 空気がとっても違う そんな素敵なカフェだった。


 倉庫の二階を改装したような広い空間に
ゆったりと席がおかれて 窓際の席からは
瀬戸内海が見渡せる。そこに入る前から
どんなだろうという期待感を抱かせてくれ
ちょっと勇気をもって扉をあけて 
あけてみたら 別世界がそこに待ち受けていた。


 国境の長いトンネルを越えると

 そこは雪国だった、、、



 階段をのぼり しっかり閉まって何も見えない
扉を本当にこれなのかしら、、?と開けてみる と
そこは別世界への入り口だった、、、


 目の前には海があった

 そこをフェリーが出航していた


 出発点?到着点?それとも交差点なのか
すてきなカフェがあるものだ。
やっぱり香川はレベルが高い。


 そんなカフェに感動して絵を描いたりしてたのだけど
しばらくすると旦那からの電話がなって
はい終了ー。これからはファミリーの時間です。


 というわけでうどんを食べて またはしごして
れんちゃんに海と船をみせてあげ
高松城跡の石垣のまわりで遊び
たまたまやってたアートフェスタを堪能し
芸術家たちがつくったらしき段ボール製の
滑り台やらなんやらで れんちゃんも楽しく遊んでた。
(ちなみに高松市は全国で子育てしやすい街
ナンバー2か3に選ばれたらしい)


 あー去りがたい!香川素晴らしい!と
後ろ髪をひかれながらも あと4時間の道のりが
まっていたから4時すぎにはそこを出た。
帰りは渋滞で大変だったけど 京都から
子供をつれても なんとか楽しく日帰り香川もできるんだ。
れんちゃんもとても楽しそうにしていたし
うどんはかなり美味しくて れんちゃんも
しあわせそうに食べていた。
ビバ ビバ香川。今度は瀬戸内国際芸術祭に行ってみたいなあ!


京都での濃い一日

2010年03月13日 |  カフェ的な場で考えたこと
 東京に行ったりする度 いいよなー東京は!!!と
うらやましがってしまうけど それですぐ
東京に帰りたい と思っちゃうけど
私一人がワクワクしても 旦那の仕事もあるわけで
彼は彼で 来年くらいからやっとやりたいことが
実現するかもと言い出してるから すぐに
東京に戻ろうというわけにもいかないわけであり
仕方がないので ここ 京都 で
どれくらい楽しく生きられるものかと思ってた。


 今日13日は京都でも面白そうなイベントが
バッテイングしてて 前から行きます!と
行っていたのがあったのだけど 一方で
「ふれあいの居場所普及サミット」というものもあり
そこではまちの縁側クニハウスの丹波さんや
以前に「日本型支援者養成会議」で話にきいた
新潟の「うちの実家」というとりくみを
している人の話がきけるというから
行きたいなあ!と思ってた。


 しかもその日は 私の行きつけの喫茶
けやきのおじさんも行くらしく
「君の分まで二人分聞いてくるよ!」と言ってはいたけど
いやー やっぱり 行ってみたい!ということで
こちらに参加させてもらうことにした。


 それなら一緒に車で行ったらいいわよと
奥さんに勧めてもらって 車に乗るまでの
一時間くらい 今日はカフェのお手伝い。
れんちゃんは早朝から旦那に預かってもらってたので
私ははじめてヨガやそのカフェに一人で行って
驚く事に一人でいると何でもできる!!
てきぱき動ける!なんだかパワーアップした気分♪


 というわけで何故かお店の前でお弁当を売る
担当になり 恥かしながらも大きな声で
「お弁当いかがですかー!」と売っていたら
嬉しい事に完売したのでお役御免。

 「よし!行くよ!」ということで
1時半の開演めがけておじさんは車を飛ばしてくれる。
「私の車はね ジェットコースターみたいって
いわれてるんですよ」と言っていたけど
どーいう意味?と思っていたら
駐車場をでた瞬間から加速がすごくて驚いた。
こ これ 同じ道、、、??!


 ある時は目が点になり ある時はどきどきし
だんだんと慣れていったけど 私が目にした
4回の黄信号は全て「加速で飛ばせ!」で驚いた。
でもそんなジェットコースターもなんだか
慣れると面白くって あー車に乗るのが
好きな人って こーいうことが面白いのかと
なんだか妙に納得がいく。


 そして我々はぴったり時間通りについて
サミットの話を聞いては私はとても感動し
あーやっぱり女の人ってすごい!と思い
主婦にもやっぱり力があるわ!と再び思い
(昨年夏に参加した「全国つどいの広場実践交流会」
でお話されていたWoman of the yearを受賞した
香川で母親支援をしてる方も もとは
旦那の転勤で見知らぬ土地で子育てをした
かなり孤独な専業主婦だったそうです)
やっぱりカフェだ 居場所なんだわと
再確認して きっと自分には何かするべき
大きな役割があるんじゃないかと勝手に認識したりした。


 それから今度はもともと行きたかった方の
イベントのあとの交流会に参加させてもらって
お会いしてみたかった我らがマイケルと
共に仕事をしていたというカレルさんという方に会い
なーんかいろいろ聞いてみたいけど
無理そうかなあ まあいっか、、、と思っていたら
たまたま場が切れたあとに席がとなりになって
目配せをしてるだけじゃしょうがないので
「どうして日本に住んでるんですか?」と
きいてみた ら そこから深い会話がはじまった。


 私の英語はあまりにたどたどしかったから
ここにはうまく書けないけれど カレルさんは
まさに今私が興味を持っている事に対する
答えを話してくれて 彼の口からも私が今朝
書いてしまった「教育は支配なんだ」という言葉も
出てきたし 私たちがとらわれていて
でもそのことに気がついていないマトリックスに
いかに気づくかが大切なんだと言っていた。
カフェや自由 感情を大事にするという事は
「時々 それもあればいい」というものではなくて
「支配」の側に 相対立してこそ
存在するというものでもなくて
今のこの私たちのとらわれている考え方が
なくなって も 人間はきちんと生きていける
自由であっても 大丈夫なのだと言っていた。
(たどたどしかったのでうまく言えないけど
かなりピンとはきたのです)


 そっかー ほんとかなー
そうなったらいいなとおもうけど
ほんとにそんなことできるのかなー

 と 思ってた事を カレルさんは
「できるんだよ!」と言っていて
私はなんだか嬉しくなった。
人が本来生まれ持ってる可能性
それをより発揮していける社会というもの
それがあってもいいじゃないか
歴史上 人々は支配されてきたけれど
私たちが今 支配されてしまってるのは
「誰か」の意図的な支配ではなく
私たちが気づかないでとらわれ続け
再生産してるシステムなのかもしれないな
(それをカレルさんはマトリックスとよんだのだろうか)


 もう少し 英語がうまくなったなら
もうちょっと まともに自分の意見を表明できたなら
もっと彼と話がしたい。日本には可能性があると思って
彼は日本に移り住むことにしたらしい。
そんな彼に日本をはじめて見せたのはあのマイケルなんだって!
そしてマイケルが大好きな私はカレルさんに日本の可能性の
話をちょっと聞いて それだけでワクワクしたりしたわけで
だってマイケルは自伝の序文に日本のよさについても
書いててくれているんだもん


 日本は本当に変わり始めてる
たくさんの素晴らしい動きがおこりはじめてる
今日のサミットでは「みなさんが本来もっている
やさしさをもっと素直にだしてみたらどうでしょう?」という
ことばがあった。本来持ってる優しさや愛情や遊ぶ楽しさ
れんちゃんが私に教えてくれた沢山の 私が忘れてしまってたこと
大切な きらきら光っているものを これ以上
台無しに おしつぶしてしまうのではなく
より魅力を発揮させて 他の人たちも幸せにしていくように
そんな社会になっていける 日本が見本になったらいい。

卒業

2010年03月13日 |  カフェ的な場で考えたこと
 今朝何気なくラジオをつけたら
尾崎の「卒業」が流れてて
あー懐かしいなあ 友達が歌っていたなあ
さてどんな歌だっけ と聴いてみる と
なんだかかなり激しい歌だ。


 これは中学を卒業する歌なのだろうか
高校なのかはわからないけど どうも
中学っぽい気がしてて 昨日は旦那の
中学の卒業式で 校区に住んでる私はいつも
学校帰りにたむろしている彼らを目にして
一人の主婦の視点としては
「そんなとこたむろすんなよー」と
なんとなくやな感じ と 思ってしまう。


 けれども旦那にいわせると 彼は意外と
理解があるのか 「そういう時間も大事なんだ」
ということで 中学生たちは基本的には学校で
授業を受けて そのあとは部活があって
友達としっかり話をする時間なんて休み時間や
放課後の(塾に行くまでの?)ちょっとした
時間しかないらしい。


 そうかー 大事な時間なんだな
そういえばサードプレイスの話でもオルデンバーグは
「アメリカの近代の都市開発者たちはあえて
そういったたまり場になるスペースを消していったけれど
それは間違いだ!!」と言っていた。
なんでたまり場を消したんだろう?と思っていたけど
主婦モードの私のように「なーにあいつら、、
何だか怪しい」と不審な目で
見てしまう人が多かったからなのだろう。


 だけどそんなこと言ってちゃいけない
なにせ私は「カフェ文化研究家」なのだから、、、
とちょっと反省。


 最近は子供の遊び 教育 そしてカフェについて考えていて
先日吉野に言った際に 「大人の遊びや学び」について研究
している先生方に話を聞いてみたのだけれど
そのとき何かがわかった気がした。
先生達は カフェを面白がってくれてはいたけど
教育とカフェって かなり別な存在で
場合によっては 相対立するものかもしれない
だから教育をカフェにしようというのは
間違ってはいないのかもしれないけれど
かなりおかしな考えなんだなあと思った。


 何故なら教育は支配だからだ!基本的には、、、


 先生は「教育工学というのはある到達点に
達するために いかに効率的にそれを実現するかを考える事」と
言っていた(と思う) そして教育とはある国家の思想の
おしつけで(これは私の考えだけど)結局は
国に役立つ人々を育成するために教育が提供さてれるわけで
それは上の人たちがいかに庶民を支配するかという形の
あらわれでもあるわけだ。


 と すると 「なんで学校なんていかなきゃいけないんだ!
なんなんだこの校則は!先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか?」
といわれても 尾崎が歌っているように 「支配のルール」に
のっとるための教育ならば 先生達は「イエス」というしか
ないのかも。


 教育 は 変わろうとしているのかなあと思っていたから
面白そうな気がしてたけど 実際のところどうなんだろう?
まだ変わらない 今ある近所の中学校では 家出もあれば
学校への不法侵入事件もあったりするわけで
「なんでそんなことするんだ!」と問われてみたら
尾崎ほど強い思いを持った子なんて もういないのかも
しれないけれど そういう思いもあるわけで
子供が子供心を持って 大切なものを大事にしたくて
そのまま大人になろうとしたら 「支配のルール」に
ぶつかって かれらは怒り なげき わめいているしかないわけで
「反抗」はするけれど 結局怒られ親も呼び出されて
飼いならされていく訳で そう 飼いならされて
やがて沢山のことをけろっと忘れて大人になってく
なんだかそんな気がしませんか?


 それっていったいどうなのかなあ


 そんな時に THEたまり場 の サードプレイスのカフェ
というのは 格好の反抗の場になるわけだ。
そう考えるとカフェと公のルールの場は
かなり対立項な気がするな。


 反抗は悪いことなのか
大人になると 子供のときに
何を思っていたかどんどん忘れていくけれど
子供の心を持ったまま で 大人になるのは
そんなにいけないことなのだろうか
カフェに集った「天才」たちは
結局のところ そんな社会と相容れなくて
子供心を大切にしてた人たちで
「まじめくさった大人」の一人になるくらいなら
精神病にかかった方がましだというくらいの人たちだった


 「そんなのはくそくらえなんだ!」
尾崎もくそくらえといっていて
そういう言葉が懐かしかった。
ベビーカーをひいて団地を通ると
私は社会維持側の主婦の一人になってしまうけど
私のしている研究は 実はもっと激しいような
実はかなり 危険なような
でもそこに 醍醐味が見え隠れしているような
なんだかそんな気がしはじめた。

 もう一度シュールレアリスムを勉強しよう!



子供といる幸せ

2010年03月11日 | 子どもから学ぶ
 東京と京都をいったり来たりしていると
京都に帰れば家事は山ほど待ってるし
親類縁者は誰もいないし 東京の友達ほどに
仲良くできる友達だっていないから
「あーあ!!」と思う事が多いけど

 東京の生活をいったん離れて
それはそれ と思ってしまえば
ここでの暮らしも悪くはなくて
東京のような刺激はないけど
なんだか身体が気持ちいい。


 ゆったり のんびり という程に
自分を休めてはいられないけど
(息子さんが突然泣くから
そして昼寝の時間に研究しないと
研究を続ける事が不可能だから、、)
ここにはゆっくりとした時間が流れて
街行くひとものんびりしてるし
犬の散歩の人はわんさかいるし
おばあちゃんたちはあたたかい目で
れんちゃんのことを見てくれる。


 あー子供がいて幸せだなあと思ったのは
れんちゃんといい時を過ごしている時であり
それってどんな時かというと
横浜で雪が降って自分の子供と
ソリで遊んでみた時だとか
追いかけっこをしてみたりとか
かくれんぼみたいなのをしてみたりとか
結局のところ きちんと関わる 
それが大切なんだなあ。


 旦那さんにれんちゃんを一泊二日で
みてもらったあと 彼は私にこう言った。
「蓮太郎はね すごくいい子だったよ。
そんな悪い子じゃないよ。こっちが
ちゃんと構っていたらちゃんといい子に
してくれるんだよ」そうなのかー!


 家に居る と れんちゃんが泣いてばかりで
大変で どうしてみんな一日中家にいるとか
できるのだろう?と思ってたけど
(その答えの一つにテレビがあるというのは
あるらしい 我が家にはテレビがないのだ)
家にいると 私は家事やらやりたいことにも
追われてしまって れんちゃんをあまり構わない。
一緒に積み木とかほとんどすることないしなー

 そんな時間は お客さんが家にきて
夕飯をつくってる間にみてもらったりするときで
そんな時彼は嬉しそうにやっているけど
私と家にいるときは 基本的には
「ちょっと一人で遊んどいて!」という感じ


 だけどちゃんと遊んであげると やっぱり笑顔の
質が違って あーこの子 お母さんのこと
大好きなんだなー!と嬉しくなる。
あの笑顔は 素晴らしい。

 私の場合はそうなるときは 家事の合間か
1日2回の外出で 外に行ったら
私ももう仕方がないのでだいぶ遊べるようになってきた。
昨日も工事を見に行って
今日はちょっとかけっこしたり(そしてバーン!と転んだ)
フリスビーを投げにいったり そういう時間は
なんだか楽しい。


 今日はれんちゃんをあそばせようと
近所のショッピングセンターの前の広場に行って
その間に私は缶コーヒーでも飲んでようかと
自販機でカフェオレを購入したら
彼は「チャッチャ チャッチャ!(お茶)」といいはじめ
「じゃあチャッチャ飲む人はあそこのお椅子に
座って!」といったら本当に座って
結局二人でカフェオレを半分こすることになる
(一歳児なのにいいんだろうか、、、 よくないですね)


 そうして二人で何もない広場の前で並んで座って
「ハポッポ!(鳩のこと)カーカ!(カラス)」
と言ってると あー なんだかここはイタリアみたいだ。
イタリアの広場も何もなくて ただカフェやレストランの
椅子があり 目の前を人々が行き交っていて
真ん中に鳥たちがやってきている、、、
なんだかそんな風に見えてしまって幸せだった。
れんちゃんはとても幸せそうにカフェオレを飲み
こうやって となりに座った自分の息子と
そういう時間を堪能している 「もっと?もうダメ!」
「ヤヤ!!(やだ)」とか言い合いながらも
そんな時間を過ごしてる それがとっても幸せだった。


 れんちゃんと 真央ちゃんの真似をしながら
クルクルしたり マイケルの真似をしながら
帽子かぶったり そういう時間が何だか楽しい。


 お母さんになるってことは 子供を愛すことでもあるけど
子供から無条件に 愛をもらうことでもあって
その愛といったら絶大だから 子供をたくさん生むほどに
それだけ自分が愛してもらえる それって幸せなんだろうなあと
なんだか思うようになる。


 子育てはとても大変だけど
大変さ は 代表とかの大変さととても似ていて
苦しい分だけ 得るものがある ハイリスクだけど
ハイリターンなものだと思う。自分の子供は本当にかわいい。
れんちゃんにつられて 私はどこかに行くだけだけど
そういう時間も いや本当は そういう時間が
お母さんがぽっかりしている そんな時間が
きっと一番二人にとって  大事な時間なのかもしれない。

インターネット復活!

2010年03月09日 | 私の人生

 「みきちゃんってば 東京にいると
やたらとブログを書いているのに
京都に帰るとぱったりんなんだね」
と思われてるだろうとは思ってたけど
それでも書こうと思っていたら
インターネットが使用不能になってしまった。


 それからしんどい日々が続いて
今日ようやっと修理の人が来てくれて
ありがたいことにインターネットがやっと開通!
子育てでしんどいときに 唯一私がいろんなことを
やってる人たちとつながる手段がインターネットや
メールだったから ネットが使えないというのは
ほんとうに辛かった。


 ブログもかけない日々が続いて
「書かない」のと「書きたいのにかけない」とでは
ストレスのたまり具合も違って
私にとってブログは子育てのストレスの発散場所なのだと
納得できた。ブログがなければ このストレスを
どこに向けたらいいんだろう?!
そう考えて カフェにも行ったりしてみたけれど
「そんなため息ばっかりついてちゃだめだよー」と
カフェのおじさんに言われてしまうと
もう八方ふさがりな感じがしてしまい、
「カフェでぐらいため息つかせてよ!!」と
私は思ってしまう カフェはため息をつき
愚痴を言う場ではないのだろうか?
それでそんな愚痴や 泣き言なんかから
何かが違う方向に動き出す そんな場だと思うんだけど、、、


 とはいうものの そこのおじさんは
ため息ばかりの私のためにフレンチトーストを
つくってくれて(ごちそうしてくれたんですよ!)
奥さんはといえば「あなた児童館にでも行きなさい!
月曜にエステがあるから予約するわよ!」と
店の電話から児童館に電話をかけて
フェイスエステの予約を入れてしまう。
「フェイスエステ??」と思っていたけど
行ってみるとかなりよくって 結局のところ
私は近所のカフェの夫妻にお世話になってばっかりだ。


 こちらに帰ってきたと思ったら 旦那の学校では
家出があいつぎ それの捜索やらで彼は遅くなってて
いろいろと運の悪い事も重なったりして
(ネットも使えないし!!!)私はかなりストレスフルで
「もーちょっとくらい一人にさせて!」という気持ちになって
(東京ではかなり一人になってたのだけど)吉野へ逃避することにした。


 吉野では同志社女子大の上田先生のお別れ会みたいなものが
開催予定で 宿泊もできることになっていて
さすがになー 宿泊は無理だわとはじめから諦めてたけど
かなりうっぷんがたまっていたので「私もやっぱり泊まりたい!」と
旦那に無理をいったらいいよといわれ 
吉野で一泊することにした。子供を産んではじめての一人旅!!!
宿にはたくさん人がいるけど 吉野までは私一人で
旅館についても一人の時間があったから
めっちゃ雨が降っていて お店もほとんどしまっているのに
一人旅を堪能していた。


 そうして一人の時間をとると たくさんのことを
「メタ認知」できるようになっていて ああそうか
私ばっかり子育てで、、、と思っていたけど
田舎を電車で走っていると 古いおうちが沢山あって
みんな夕飯つくって 子育てをして おじいちゃんたちと
暮らしていたり 子供と遊んだり 学校にいかせたりして
それが人間なんだなあ、、、 なんだか今まで
限られたごく一部の生き方しか目を向けてなかった気がするけれど
私がここで(ニュータウンだけど)やっているのは
人間として根源的な営みなのかもしれないなあ、、、
と なんだか妙に納得がいき
帰る頃には 母という存在にしか わからない子供に対する
視点があるから それを私は大事にしようと
たくさんの男性たちをみていて思った。
今私がおかれている状況というのは
きっととっても意味があることなんだろう。


 吉野ではれんちゃんのこともほとんど忘れて
霧雨の中で垣間みれた美しい景色や
吉野川のほとりにあるネオミュージアムのあたたかい雰囲気の
中で 沢山の人との会話を楽しめた。
中原先生は熱唱し みんなで踊り カフェを楽しみ
これまでのparty of the futureのイメージを見たりしながら
なんともいえない 一体感を共有したような そんな気がした。


 私はその場で突然上田先生に「イイダさん この場を
10分でカフェにしてもらえませんか?どうしたらいいか
マイクで指示してください」と鬼ふりされて
「えええ!!!?」と思ったけれど 仕方がないので
頭と身体をフルにつかって カフェ空間をつくったりした。
あれがどうだったのか カフェにするのと しないのと
どっちがよかったのかはよくわからない。
でもなんとなく なんとなくだけど その雰囲気を
共有していた 場をともにしてた ただそれだけで
生まれてくるような一体感が そこにはあったようにも思う。


 カフェというものにどれほどの可能性が秘められてるのか
私が思っているほどなのか 実はそれほどでもないのだろうか
それはまだまだわからないけど サードプレイスも
カフェでの議論も 通って 何度もその人と出会い
議論や関係を深めていくことでこそ つくられるものがあるわけで
何度もあって 場を共有していることが とっても大事な気がするな。


 不思議なことに 上田先生たちとは 出会ってまだ一年もたってないけど
なんだかたくさんその輪の中に いれてもらえていたような。
中原先生 上田先生 その方たちに出会わなければ
今の私はなかっただろうから 本当にありがたいことだと思う。


 沢山のイベントに参加して 沢山のお金もひらひら飛んでいき
一区切りつけようかなと思うけど 私はどこに向かうのだろう?
まだまだわからないけれど 一つ学んだ大事な事は
子育てはすごく可能性を秘めているということだ。
れんちゃんはいっちょまえの人間らしくなってきて
もう会話も笑いも沢山なりたち 時にはとても大変だけど
自分を大切に思ってくれる そして一緒にじゃれあえる
そんな誰かが増えたというのは なんだかとてもありがたい。


 ブログを読んでくださってるみなさん 本当にありがとう!




フランスに行くなら

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