alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

モンマルトルのカフェ文化

2014年02月22日 | パリのカフェ文化

「この場所にはまだインスピレーションを与えてくれる雰囲気が残っているのよ。
偉大な画家たちがこぞってこの場所に住んだのも決して偶然ではないわ。」

 私が初めて映像翻訳をさせてもらった「パリで逢いましょう」という
番組は パリ9区からの担当だった。初めてその映像を観た時に
なんて素晴らしい場所なんだろう、絶対住みたい、でも、ここは一体どこだろう?と
私は首をかしげてしまった。パリは結構知っている。
モンマルトルも知ってるはずだ、だけどマルティール通りというのは?
その後で地図を見てやっとわかった、ああ、あの雰囲気のいいとこだ・・・。


 私がたまに通るところをうまくすり抜けるようにマルティール通りは
存在していて、その一帯は他とは違うあたたかい空気を放ってた。
番組に登場していたアーティストの女性はその周辺に自宅アトリエをもち、
彫刻のアトリエに通い、マルティール通りのカフェにも通ってた。
そんな彼女が発した言葉。「決して偶然ではないわ・・・」


 残念なことに私はそのあたりを何度かすり抜けただけであり
映像を見て絶対住みたい!と思ったものの、前回渡仏した際も
時間切れでそこには行けずに終わってしまった。
私が知ってるモンマルトルは 丘のあるモンマルトルで
彼女が住んでるモンマルトルは丘の下の、騒々しい大通りを下った
ピガールやクリシー広場の南側。


 1月になって急に研究をしたい気持ちが高まって
手つかずだったモンマルトルの本を開いた。今まではモンマルトル、といえば
ピカソに洗濯船だと思ってた。それはとんでもない思い込みで
モンマルトルにはもっと大切な前史が存在してたのだ。


 彼女がそう語ったように、モンマルトルにはまさに
そうそうたる「偉大な画家」が住んでいた。
ロートレックにマネにドガ、それからゴッホも住んでいた。
そして彼らはカフェを愛し、カフェやキャバレーを舞台に絵を描いた。
それらのカフェはフロールやシャノワールほど名前は知られてないだろう。
けれどもそんなカフェがあった。ゴッホが展覧会をしたカフェ、
ゴッホの「ひまわり」が掛けられていたカフェ。
南仏の「夜のカフェ」で有名なゴッホはやはりカフェに愛着があったらしい。

 クリシー大通りにあった「カフェ・タンブラン」でゴッホは
ロートレック、ゴーギャンとともに展覧会を開催したという。
ゴッホは弟に向けた手紙にこう書いている。
「パリにいて、僕はずっとカフェに自分の展示場が欲しいと思ってたんだ・・・」
あのゴッホがパリのカフェの壁に絵を飾り、偉大な芸術家達がこぞって
飲み物を前にした誰かの絵を描いていた。オルセーで眺めていた
印象派画家たちの絵の中に カフェのような、カフェじゃないような
暗い雰囲気の絵があった。それらはモンマルトルのカフェであり
かつジャポニスムの影響も受けている・・・
モンマルトルの時代はラパンアジルからでも洗濯船からでもなくて
もっと前から 丘の麓に人が集った。
モンマルトルの歴史を調べてみると、そこにこそオルセーがあって
しかるべきじゃない?と思う程だ。モンマルトルには
小さな美術館があるけれど、あんなちっぽけな美術館からは
想像もつかないような作品が溢れるように生み出された場所だった。
1910年くらいには もうそんな時代が終わってしまうけど
それでもまだもしモンマルトルやその麓 に
芸術家たちを呼び寄せたような空気感があるのなら
今度こそその場所に足を踏み入れたい。

今でもまだ 少し風情の残るモンマルトル、ただの観光地じゃなくて
あの場所にあった歴史をできる限り学びたい。

モンパルナスに想いをはせる

2012年06月04日 | パリのカフェ文化


 「飯田さん どうして原文で読まないの?」と
大学院の修士論文を書いていた頃 先輩に言われてしまった。
その人は大阪外大のフランス語学科を卒業していた人なのだけど
私はこう答えたかった。「だって そんなの全部読めません、、、!」


 あの頃の私はどうやってフランス語を読んでいたのだろう?
確かにフランスでインタヴューもしたのだけれど
あの頃のフランス語は一体どんなレベルだったのだろう?
それなりに本と向き合い 1日5ページとかそんなレベルで
なんとかやっていたけれど 私にはやっぱりちょっとレベルが足りてなかった。


 そりゃあもちろん 今でもフランス語を読むのは難しいけれど、、、


 そんな私に朗報なのが 家にあったけどずっと閉じていた
ガートルード・スタインの『アリス・B・トクラスの日記』という
1910年ごろからずっとモンパルナスでサロンを開いていたガートルードの
自伝的日記のフランス語版。かつてパリのピカソ美術館で買ったものの
かなりかいつまんでしか読んでなかった。それに当時 私は
サロン?と思っていた。ガートルードに対する評価もそう高いものでは
なかったし まあいいかなと思っていたのだけれど
ウッディアレンの『ミッドナイトインパリ』を観て以来
ガートルード、すごいんじゃない?と思って手にとってみた。
そしたらこの面白いこと!!(これはもともと英語で書かれています)


 ガートルードは1903年にパリに来たアメリカ人。
彼女の兄のレオは非常に鑑識眼が高くて、仲の良かった
2人はいろんなところに一緒に行っては一枚、もしくは
2人別々に誰かの絵を買った。それらの絵が彼女の居間の壁を埋めていき
まだ珍しかったセザンヌやマティスの絵を見るためにたくさんの人が集まって来た。
ピカソ、マティスをはじめ、沢山のアメリカ人や多国籍な人たちがいた。
映画の中では彼女は英語とフランス語で話してた。
パリは本当に多国籍な街だった。そして今でも多国籍。


 私が現在のガートルードのサロン?!と目を丸くした
ミッシェルの家のサロンには(そういえばこれも同じく土曜の晩だ!)
多国籍な人が集まってくる。ロシア、ドイツ、スペイン、フィリピン、日本、、
産まれたときから国籍が混じってて私には理解できないようなたぐいの人たち
(中国人だけど英語が母国語で中国語もできてフランス語もしゃべりつつ
日本語も学んでるといった、、、)
ミッシェルの家には残念ながら絵画はないけど、自称芸術家たちが集まってくる。
彼らがその後 偉大な人になるのかどうかは私にはわからないけれど
パリの中でも変わった人たちの集まりだろうとは思う。
そこにはアメリカからやって来た若い哲学者のカップルもいて
彼らはフロールでの哲学カフェの後には自宅でサロンを開くらしい。


 そんなサロンに加えてパリには夕食、ディネの文化も存在している。
この本にはマティスの家で食べた夕食の話も書かれてる。
それから小汚かったモンマルトルの洗濯船。こちらはピカソはじめ
後に有名となった多くの芸術家が住んでたアトリエで、ピカソの家は
かなり乱雑だったらしい。そんなピカソと長年つきあっていたのは
フランス人のフェルナンド・オリビエで、彼女は不思議なことに
香水や帽子を愛する優雅なフランス女性だったらしい。どうして
それなのにピカソとずっと一緒にいれたのかわからないけど
モンマルトルの時代はこの2人のカップルがつくったとさえ言えそうな程
2人は沢山の人たちを受け入れて来た。


 ガートルードの話には 南のモンパルナスに芸術家たちが移行する前の
モンマルトルも沢山でてくる。モンパルナスには彼女のサロンが存在していた。
それから詩の集いで有名だったクローズリー・デ・リラも。
パリの北、モンマルトルにはピカソたちのアトリエが存在していた。
彼らはみんなで行ったり来たりしてたけど そのうちモンパルナスに
軍配があがる。ピカソが1912年にフェルナンドときっぱり別れ
他の女性と一緒にモンパルナスに住むことにしたときに
多くの人は「モンパルナスの時代になった」と思ったそうだ。
 
 それくらい 一人か2人の人間が 歴史に及ぼす影響力は
実は大きいのかもしれない。でもそんな人たちも人間だった。
ピカソもマティスも人間だった。偉人だけれども雲の上の人ではなくて
生きて、悩んでた人たちだった。そんな姿がこの本からは見えてくる。


 「なーんだ みんな自分と同じ人間だったのか」
と思えたときに 何かがぐんと変わりはじめる。
それが実際に偉人達に出会えた街のすごさじゃないのかな。
雲の上の存在が なんだ同じように飲み食いもすれば文句もいい
場合によっては自分の方があることについてはできるかもしれないとすら
思えた時に 自分の意識がぐわんと変わる。



 不可能ではないかもしれない


 いや 可能かもしれない


 だって 彼も人間だから。


 そんな風に思えたから 「ミッドナイトインパリ」の主人公は
ヘミングウェイに自分の原稿に対するアドバイスをもらって感激しつつも
自分の道を確かに進んでいこうと思えたのだろう。
私も彼らに会いたいけれど まずは私も
モンパルナスをしっかりと頭に入れて自分の本に向かっていこう。

ミッドナイト・イン・パリ!

2012年05月26日 | パリのカフェ文化


 「あ、そうだ 飯田さん 今度パリのカフェに関係する
映画が公開されるらしいんですけど知ってますか?
アカデミー賞も受賞したっていう、、、」
「え?なんですかそれ?」
「なんだったかなー また名前がわかったらお知らせします!」


 と 普段はあんまりそういった話をしないクルミドのスタッフに
突然控え室で呼び止められるという経験をして なんだか変だ
妙な匂いがする、、、これはどうもそこには何かはあるってこと?
と感じていたら また別の人からもこの映画についての話をされて
これは運命的な匂いがする、、、と思ってた。


 さて そんなミッドナイトインパリの関連書籍に
わが『caféから時代は創られる』を選んでいただいたとのことなので
さっそく公開初日の一番始めに行ってきました、久しぶりのルシネマに!

 なんとか時間に間に合って ルシネマの小さな座席に座ると
妙な感慨が押し寄せてくる。ここに座ったのは一体何年ぶりだろう?
最後に観たのは?「フレンチな幸せの見つけ方」だっただろうか
変な映画!と思っていたけど 結局あの映画にはかなり影響を受けてしまった。。
いろんなことを思い出しながら映画の予告編を見て、2つもパリに関する映像を
見ていると なんだかそれだけで泣けてくる。そうして今日も随分泣いた。
なんで私は泣いたのだろう?それは、、、多分パリに対する想いのせいだ。



 世の中には2種類の人間がいる と 人はよく言ったりもする
この映画を観た私が世の中に2種類の人間がいるとするならば
「パリが好きでたまらない人間」と「パリなんてどうでもいい人間」
もちろん圧倒的に後者が多くて世界の95%以上くらいはそうだろう。
だから「パリが好きでたまらない人間」には多くの侮蔑の言葉や
いい加減にしなよという言葉が浴びせられる。
「もっと現実をみたら?パリは汚いよ」
「そんなの夢想だよ」
「パリなんて犬の糞と渋滞の街」
「世界を色眼鏡でみちゃいけない、、、」


 沢山の人たちが(特に最近はフランス人)私に歯止めをかけてきた。
「パリに行ってどうするの?」そう 知ってますとも
そんなんじゃいけないと どれほど痛い目にあうかというのも
でも世界を広く見渡すと パリが好きで戻りたくて仕方のない人たちも居る。
でもそんな人たちは自分の国では頭がおかしいと思われている。
だけど居たのだ!映画の中に。私はこの主人公となら絶対に友達になれると思う。


 頭の中はパリで昔のモンパルナス?それって私のことじゃないか
それならば関連書籍に選ばれるのもうなづける。そして私は
この主人公と同じくらいある意味頭がおかしいのだろう。
でもしょうがないじゃん、サルトルだって時折幻覚の伊勢エビに追いかけられたし
ボーヴォワールは「あなたは精神分裂病だ」とサルトルに言われたりもしていたわけで
作家とか 何かを創作する人たちは 多少は頭がおかしいからこそ
創作ができるのかもしれない。だって強い思い入れや他の世界への
夢想がなければ 物なんて書く必要性が生まれない。
現実に満足してたら?やっぱり書けない。だって強い力が働かないから。





 この物語の中には現代のアメリカで脚本家としてそれなりに
売れているけど昔のパリがいいと思っている人が主人公で、
他にも1920年代のアイドル的存在だけど19世紀末のベルエポックに
住みたいと思っている人もいる。そしてベルエポックに行って
ロートレックやらに会ってみるともっと昔の時代がよかったと言うそうな。
まあそんなのいつの時代も変わらない。
結論としては仕方ない、僕がいるのは現代なんだという感じだったけど
結局彼はアメリカを捨ててパリに残ることにした。
現代でも美しいパリ 雨の日が美しいパリに。


 パリの夜には奇跡が起こる。
たとえ奇跡までいかなくっても パリの夜はきらきらしている
それは夜がふける程 に その美しさを増していく
そんな都市があるということ ピカソはパリが嫌いだったらしいけど
それでも彼も夜のパリを散歩していた 夜のパリには
フェットがあった ワインやシャンパン そしてダンス
眩い光に出会える街、、、





 「もしきみが幸運にも 青春時代にパリに住んだとすれば 
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも パリはきみについてまわる 
なぜならパリは 移動祝祭日だからだ」

(ヘミングウェイ 『移動祝祭日』より)



 パリには今でも美しい時代の名残が残ってる。
ガートルードスタインのサロン?現代だって
ミッシェルの家のサロンはそれではないか?映画の中で
ガートルードは何カ国語かをしゃべってた。
そこはとても国際的なサロンであった。ミッシェルの家だって
今でも3カ国後はスタンダードで ロシア語やスペイン語や
ドイツ語だったり いろんな言葉が飛び交っている。
そして即興ではじまるダンスの時間 アメリカからやってきた
哲学者たち 世界中からやってきている学生達、、、




 みんな 元気にしてるかなあ

 みんな 元気だろうなあ


 また 私がパリにいったら 「やあミキ いたの?」と
そんな感じで言われるだろう 「あなたはパリのどこに住んでるの?」と
また普通に聞かれるだろう ウッディアレンの愛している街
パリという街には今でも 世界中からその空気を愛してやまない人たちが
なんとかビザを取得して そこに住み着いているのだけれど
お金を稼ぐのは大変だ。。。



 それでもいつか やっぱり私はパリに住みたい。
映画の主人公の彼のように 売れっ子の作家になったら
「じゃあ僕は帰らないから。パリに住むことに決めたんだ」なんて
言えるかな。フランス人たちは日本こそ素晴らしい パラダイスだよと
言うけれど たしかにパンもおいしいし 地下鉄では眠れるけれど
最近では素敵なカフェも増えて来たし そりゃラジオクラシックも聴けるけど、、、
やっぱりいつか パリで仕事がしたいなあ。
「何しに来たの?」ではなくて それなりの仕事を持って
いまでもまだ 外国の人から見たら キラキラしてまぶしさの残る
そんな街 で 私も一緒にワイン片手に笑いたい。

パリのカフェで

2011年05月21日 | パリのカフェ文化


 最近はあっという間に時がたち
やれあれだこれだとやってる間に
あ もう 1週間経ってしまった。
今週は嬉しいことに 子供を誰にも預かってもらえなくても
「あーもうしんどい!!」と思わずに けっこう
子供とも遊んだりして でも新聞読んでみたりとか
フランス語もちょっとがんばって なかなかいい
時を過せて嬉しくなった。


 自分で過去のブログを読んでると
あーそうだよなあ 来たばっかのとき
こんなことを考えてたなあ あれがしんどかったなあとか
よくやってたよなと思うけど この1ヶ月半くらいで
だいぶいろんなことが変化して(なによりも
蓮太郎がすごい成長した)やっと慣れて来た感じ。


 最近ようやくネガティブモードを抜け出せたのは
フランス語をやってこそ到達できそうな世界を
ちょっと感じられたり 蓮太郎が幸せそうに
笑ってられたり Paris-Bistro.comの仕事が
今はまだ仕事といえる程ではなくっても
なかなか面白い世界を垣間見せてもらえるからで


 なんだかパリは 悪くない と
にんまりすることが増えて来た。


 先日は夜の8時くらいに、事務所の帰りに
モンマルトルを蓮太郎と散歩して ちょっと
カフェでショコラでも飲んでみようと
カフェを探して入ってみた。
最近はどういうわけだか1日1回か2回くらい
カフェに行くこともできるようになってきて
そのせいなのだか私の激しいストレスもだいぶ
軽減されたようで「子供がいるからカフェにもいけない」
「子供がいるから仕事もできない」
「子供がいるから誰かと話したくてもまともな話にならない」
というのがほとんど全部なくなった!(ありがとう蓮太郎)


 パリのカフェのこの雰囲気は
日本に帰ってしまったのなら 絶対に恋しくなることは
間違いなくて だって 日本にはそんなところは
代官山のミケランジェロくらいしかなく
そこにわざわざ新幹線に乗って行っても なんだか
やたらと高級感がただよっていて なんだか違う
そう やっぱり何かが違うんだなあ
代官山は好きだけど。


 パリのカフェは 小汚くって
狭い椅子と椅子の間でちょっとした会話があって
先日のモンマルトルでは息子が一度床から落ちたりだとか
私がトイレにいっている間に「ちょっといい子で
座っててね!!」と本を渡してちょこんと
待たせていたりとか(危ないけどちゃんと待ってる)
そんなこんなで隣のおばさんたちと会話もあって
なんだかとても幸せだった。


 カフェだけじゃなく どこへ行っても
なんだか気難しそうなこわい顔した人もいるけど
やさしく接してくれる人もいて メトロだったり
(でも電車の中では圧倒的に日本のおばちゃんが優しい)
カフェの隣の席だったりで なんとなくちょっとした
会話をしたり 公園で出会った美しいパリジェンヌと
子供を介した会話をしたり そういう会話がなんだか嬉しい。


 先日ははじめてパリのビストロを紹介するサイトに
載せているビストロ、ロワイヤル・チュルンヌに行って来て
息子とビストロで食事だなんて かなりどきどきしたのだけれど
「ごめんなさい2人で分けてもいいですか?」といって
10ユーロちょっとのアシペルメンティエというグラタンを
息子と半分こして食べてみた。

 パリのカフェにはテラスがあって 目の前には車が通る。
だから子供の気晴らしにだってなるわけで なんとなく
行き交う人たちや車や救急車やらを眺めていると
それなりに息子の機嫌もいいらしく この日はいつもの車の本を
取り出さないでもすんでしまった。私はそんなテラスの
隣に座った人が読んでいた新聞のドミニク・ストラスカーンの
記事(今フランスで超話題)が気になって仕方なく
あの人そこのキオスクで買ったんだから私も後で
買いに行こうとか 彼女がなんとなくそのまた隣の人と
話している(たまたま隣になっただけ)政治的話題とか
その話の中の動詞の活用の仕方とかを耳にしながら
いろんなことを吸収したりで面白い。


 そう パリのカフェには 誰かとの出会いとか
飛び交っている情報だとか ちょっと気になる
ニュースがあったら なんとなく話しちゃおうとか
ギャルソンと粋な会話を交してみようとか
誰かかっこいい人いないかなとか そんな沢山の
視点や情報が飛び交っていて なんとなーく
座ってるだけで なんだか幸せなんだなあ。
(先日は恋人とカフェのテラスでたわむれていた娘に、通りがかった
お母さんが成績のことかなんかでお説教したりしてた)


 そんなカフェが 1つでも日本にあればいいのに


 カウンターで 1ユーロでおいしいエスプレッソが
ささっと飲めて 仕事に行く前の5分だけ
ちょっと立ち寄る そんなことができたらいいのに
そこで誰かとちょっと会話して 自分のことを
気遣ってもらえる そんなことができたらいいのに
ただ食べ物を食べたり飲んだりするだけじゃなく
色んな出会いや刺激が待っていて そのために
ちょっと入場料でも払ってみようか
そんなカフェがあったらいいのにと 思うんだけど。


 やっぱりフランスになんか住めないかしらと思う度
メトロや何かでいろんなカフェを目にしてみると
私の小さな野望がむくむくと湧いていき
全てのカフェに行ってみたいし その記録をとってみたい
いつどこにどんなカフェがあったのか それらを
もっと把握してみたい いつもそんな想いにかられ
ここもあそこも もっと もっと
行ってみたいなあ と思ってしまう。


 道は開けて来るのだろうか どうして私は
カフェ カフェ カフェというのだろう
だけどカフェには 予期せぬ何かがあるはずで
もっと躊躇せずにカフェに足を踏み入れたなら
面白い世界が広がるだろうか そうであってほしいのだけど
パリはなんだか不思議な街だ どうしてこんなに
やたらとカフェがあるんだろう。

サンジェルマンデプレの熱い夜

2011年05月06日 | パリのカフェ文化




 この先どうなることやらですが

 昨日は少しだけ夢をみさせてもらえました。



 今回長いこと滞在しているのに一度も
訪れていなかったカフェドフロールに
行ってきました。もう何度も来たからわかるけど
パリは確かに存在していて あそこに行けば
ああまたあの人という人たちがいる
そうなんだ だけどやっぱり遠かった
そんなデプレに行ってきました。


 「ミキね、水曜の夜にカフェ ボナパルトの
オープニングイベントがあるんだけど行ってみる?」
そうParis-bistro.comの代表に言われ
どんな会なのかもよくわからなかったけど
とにかく夜のサンジェルマンデプレに行きたい一心で
「行きたい!行かせてください」と代表と
お家の人に頼んでなんとか一人で行かせてもらった。


 駅を降りると ああデプレ

 ここはやっぱり変わらないんだ

 デプレの教会 へージャズイベントがあるんだそうな
いいなあ行きたい そうして目の前にあるドゥマゴの
目と鼻の先にボナパルト。ボナパルトは高そうな雰囲気だったから
カフェを研究しているわりに一度も入ったことがなかった。

 ボナパルトの前には沢山の人だかりができていて
みなさん素敵なスーツやらお洒落な服を来ていて
場違いなニットを脱いで(相変わらずスプリングコートがない)
受付の人にきいてみる。と、「あーブロンベルジェさんね!」と
通してくれる。しばらくすると代表をみつけて話をきくことに。


 昨日はだいぶ昔からサンジェルマンデプレにある
ボナパルトのインテリア改装新規オープニングパーティだったらしくて
来た人たちはシャンパン片手に沢山の人と会話をしていた。
私たちは新しいカフェにできた木をつかったお洒落な
エレベーター(!パリのカフェでエレベーターなんてみたことない)
やら、30年代風のランプやらをみたりしつつ
インテリアを担当したデザイナーの人をつかまえて
インタヴューをさせてもらったり(私は
代表の横できいていただけだけど)
私もこのお店のオーナーにちょっとインタヴューを
させてもらったり、2人でギャルソンに話を聞いてみたり。


 それから代表が「ミキ、ちょっとフロールで
一杯飲んでくかい?今日フロールで
オーケストラがあるんだよね」と誘ってくれて
ふーむせっかくだからちょっとお話でもしようと
いう感じなのかな?と思ってフロールに行くと大間違い。
「あ 今日はね、フロールの2階で哲学カフェがあるはずですよ
友人が英語の哲学カフェを開催してるんです」というと
「そんなはずはない」とのこと
はて?と思うと1階に哲学カフェの人たちは移されて
2階は変な集団で占拠されていた。


 「サンジェルマンデプレでね、こんどバーを
めぐるマラソンがあるんだよ」「はあ?」
私は意味がわからなかった。それはもう13年前から
開催されている「Festival Singe-Germain」という
イベントで(これはサンジェルマンという感じで読めるのだけど
サンジュというのは猿という意味)、なんとこの界隈の
42のカフェやらバーを走りながら巡って、42杯の
小さなグラスを飲み続けるというイベントらしい

 この日のフロールは「記者会見」?と代表は
行っていたけど前祝いみたいなものだったのだろうか
フランスにも酔っ払いっているんだ!!!っていうくらい
激しく彼らは歌ったり遊んだり さすがサンジェルマンデプレの猿、、、
なんというか、、、大阪のノリのいい飲み会みたいな感じ?
ここでもワインがめちゃくちゃふるまわれ
関係者の人たちは床にみんなで並んで横になり
フロールのギャルソンがそこに飛び込み
彼らの手でリレーされて遠くまで運ばれていた、、、
こんなことって あるんだなあ、、、
私は目を疑った。





 まじめくさったフロールなのかと思っていたけど
そういえばサンジェルマンデプレってかつて
こんな場所だったんだよな そして私は彼らの
早口なフランス語になんとかついていこうと
必死になっているだけなのだけど それでも
フロールのテラスの外でいつものように
なんとなくタバコをふかしてたまってしまった人たちと
会話をしている そんな所にいさせてもらえて嬉しかった。


 「どうだいフロールとボナパルトは全然
雰囲気が違うだろう?」そんなフロールの一階では
顔をみたことのある人たちが真面目な顔で哲学カフェ。
さぞかしあの騒音が邪魔だったことだろう。


 この先何がどうなってくのか
道がちょっとでも開けていくのか
諦めきってもう日本に帰ってしまうのか
私にはまだわからないけど 昨日ボナパルトから
眺めていたサンジェルマンデプレの教会の夜は
美しかった。ここには独自の世界があって
すごい世界の人たちがいて みんな
一人の肉体をもった 人間なんだなあ


 もっとフランス語がわかったら
もっといろんなことを知ってたら
もっと気のきいた会話ができたなら
そしてちゃんと日本語版がしっかりとした仕事になったら
そりゃあ素敵だろうになあ


 昨日はそんな夢をみて
とても素敵な夜だった。
今日は?子供に振り回されて本当に
やるせなかったけど フランスにきて
しんどい思いをしてそれでも自分しか
いないような状況で なんとなく
見えて来ることもある 私のこういう態度が
こういう結果を招いたのかな
もっとこうしてみたらどうなのだろう
そうやってもがいていること
もがきつづけてかろうじて生きていること
そのことにも意味はあるのだろうか

 明日はもっと蓮太郎と楽しく過していられるだろうか
この先どうなるかわからないけど
もう少しだけ とどまってみたい。

蓮太郎とカフェ?

2011年04月06日 | パリのカフェ文化


 ここに来てからこの先のことをほとんど
何も考えられずに過していたけど
まだ2週間もたっていないのに急に
小さな子のいる知り合い(しかも近所)が
2人もできたりもして 意外と運がいいような
なんとなく わからないけど流れに沿ってれば
何かが見えてくるのかなという そんな気もしたりする。


 一応カフェ文化研究家 で しかも
パリのカフェについての研究をしているという
人のはずなのに 今回ばかりは
「お金がない!!」と思ってて
カフェにいってお金がひゅーんと飛んでいくのが
とてもこわくて まだ1回きりしか
普通のカフェには行ってなかった。


 いいなあ カフェ。。。 いつも いや日ごとに
テラスには人が溢れてて 誰かと楽しそうに
コーヒーを飲みながら談笑したり
トランプしてたり うらやましいなあと
重い息子を抱えながら 喉から手がでるような気持で
彼らを眺め いつなのかはしらないけれど
いつか行こう と いつも思う。


 今回は息子が一緒にいるので
いつもの滞在とは私も全く感じが違って
「旅行者」というより「住んでいる人」という感じだし
息子と一緒にカフェに行ったら 多分出会いや
会話が待っている。わたしがカフェに
なんとなくうらやましいなと思いながらも
ちょっと足を踏み入れられないままなのは
もしかすると「お金がない」というそんな理由だけでなく
あの中に まさにサードプレイス的な空間の中に入っていって
ちょっとした会話を交す そんな勇気がまだないからというのも
きっとあるのだろう。


 子供を抱えてうらやましげにカフェのカウンターを見つめる度に
そこには誰かと話す男の人たちや カウンターの下に散らばったゴミ
仲のよさげな地域の人たち そんな雰囲気が溢れてて
あまりカフェの多くないこの地域でも みんな
行きつけのカフェがあるようで わたしはどこなら
合うのかな と 今は外から眺めて探っている状態なのかもしれない。


 もちろん子連れカフェは素敵なんだけど
でも一応カフェ文化研究家だし やっぱり
普通のカフェにも行きたい。わたしもテラスや
カウンターでコーヒーが飲みたいなあ。。。。


 今日はあまりにも天気が良くて
(もうタンクトップになってる人たちもいた!)
運河沿いの船のまわりにはのんびりしたり
お昼ご飯をたべる人たちが集まっていて
今日は子連れカフェに行こうとしたけど
こんなにも天気がいいのに室内ってのももったいない!
と公園を2つ巡ることにして のんびりとお散歩してた。


 新緑が芽生えはじめたパリは本当に美しくって
シックなアパルトマンのある界隈に行かなくっても
雑多でごみごみとした私が今居る地区らへんでも
緑があって 運河があって 心地いい風が吹いてて
ああ パリだなあ という感じ。
私はこの朝のなんともいえないパリの匂いをかぐのが心底好きだ。


 そういうわけで 運河に停泊している船に乗りたい
息子といっしょに船のカフェを覗いてみては
「ここは4時からなんです」とか「ランチ営業なんです」と
言われて断られ もうトイレに行きたくて仕方なくなった私は
今日ばっかりはカフェに行こう!とあまり
感じはよくない適当な感じのカフェのテラスに
座ってみることにした。




 蓮太郎と2人で本当のカフェに座るのは
ようやくこれがはじめてで どうなることかと
思っていたけど まあまあいい子にしてくれて
ああなんだ 意外といける?と思えて私は
嬉しくなった。 そうだ日本でしていたように
本を一冊もってきて カフェで教育すればいいんだ
今日は「ぐりとぐらのあいうえお」。
そうしたら私もお茶の一杯くらいはなんとか
飲めるし 彼もなんとか気がまぎれるから
なんとかカフェ代を捻出して また少しはカフェに
行きたいなあ、、、


 今日も公園には中国人やらアフリカ人やら
アラブ系の人やらフランス人やらが混じってて
あいかわらず多国籍で面白い。昨日はメトロに
乗ってたら 目の前にいたおばさんが食べるバナナを
見つめた蓮太郎に おばさんがバナナを半分も
わけてくれ(!)今日はなんと バゲットをつんでる
青い車を私がみつけ「なんかパン運んでるねえ」と
眺めていたら なんとそこの人が長いバゲットを
半分もちぎって「もっていけ」と渡してくれた。
日本でもおばあちゃんはやさしいんだけど
パリに来て(この界隈だから?)びっくりするのは
男の人たちで声をかけてくれる人が多いこと。
カフェのテラスに座ってこっちを眺める人とか
なんだかそんな掛け合いが面白くって
ああこれぞコミュニュケーションとエスプリの街、、、と
思ってしまう。ここは人が人間くさくて
人間らしい匂いを持ったまま生きている。
そんな都市がありうるということ それが私には面白い。

パリの子育てカフェ

2011年04月01日 | パリのカフェ文化



 かつて私が子育て中にものすごく鬱っぽくなり
悶々としていた時に 占い師の友人が
「自由を手にするためのワークショップ」というのを
してくれて その時何にもとらわれずに
やりたいことができるとしたら?といわれ
嘘だろうと思いながらもそれをノートに書いてみた。


 そんなの絶対無理 ムリ 無理!!!


 と思いながら書いていたことたちは
その1年後くらいにはなんと全部叶ってしまって
私はその力に本当に驚いた。


 だから私は夢を描いてみることにした


 それはとってもこわかったけど


 諦めなさいとみんなに言われて
もうやめようと 思っていたけど


 最初にフランスに行った時から

こわかったけど 私はもう一度夢を見た。



 そうして私はノートに書いた

 なるべく目につき 読み返しのしやすい場所に

 ノートが新しいものに変わっても
また1ページ目に書いていった
フランスに行って あれをして これをして
こうなったら、、、こんなこともできるだろうか
例えばベニスに旅行するとか?ローマだってやっぱり行きたい
いつかヨーロッパのカフェに関する本が書きたい などなどなど、、、



 だけどそれらはみーんな9月以降に ゆっくりと
叶うはずだった だから私にはわからなかった
4月から 何をしていけばいいのかも。


 私はノートにこう書いた。
「カフェゾイドの常連になってしまった」
いつかそんな日が来るかなあ?


 そうして私は勇気を出した。
もうのんびりするだけなのはおしまいにして
これから少し 動いて行こう 先に向かって
動いて行こう。だから今日はパリで初の
子育てカフェに ずっと前から気になって
仕方なかった子育てカフェに 蓮太郎と行ってみよう。


 今日はもう 躊躇はしない!
そう決めて行ったから お店の前に立ってもおびえず
息子を抱っこして扉を開けた。店内には恐ろしい数の
子供達がうごめいている。私たちのいるスーペースはない
だけどそれでも引き返さない。抱っこしたまま立ち止まる。



 それから少しお店の人の話をきいて
「じゃあ2階へどうぞ」ということになり
息子を連れて初のカフェゾイド。
どきときしながら2階の扉をあけて
そこの人に挨拶をすると「私あなたのこと
覚えてますよ!カフェの研究をしてるって
一度ここに来た人でしょう。母がいたとき
紹介してもらったわ」と言ってくれる。
そう 私は12月にもここに来て
ものすごい勇気を出してカウンターで会話をしたのだ
「え!本当に覚えてくれてるんですか!!」
それがとっても嬉しくなった
「まさか子供がいるとは思わなかったわ」
そういいながら素敵な笑顔でわれらを歓迎してくれて

 息子はトラックのおもちゃやら
タンバリンやらシンバルやら鉄琴やらで遊び始める。
不思議なことに 子育てをしている私でも
一人で来ると「うわーお洒落だなあ!!」と
圧倒されるだけだったけど 今回は子供がいるので
子供目線で色々みれて 物の見方が変わっていって面白い。

 例えばフランスは室内でもだいたい靴を脱がないのだけど
これじゃハイハイしてたらそうとう衛生的によくないなとか
よくみたらおもちゃはかなり壊れてるなとか
あれもこれも 電池が入っていないじゃんとか
おままごとセットはあるけど そこにある食べ物は
オレンジと目玉焼きとスイカだけだったりとかで

 なーんだ意外と 私が行ってた児童館の方が
環境はいいのかもなんて思ったりもしてしまう。
まあきっとこういう比較ができるところが私の
うりなのだろうと思うけど あまりにも急に飛び出てきたから
さっきまで児童館やらつどいの広場にいたのにな と
ただ国が変わっただけで ひゅーっと飛行機で12時間を
耐えたなら 似た様な世界が待っている
なんだかそれが とっても不思議でへんな感じだ。


 さてここが 日本の児童館にくらべて面白いところが
あるとするなら ここの1階がカフェなこととか
(もともと子供がカウンターとかで飲めるように
つくられたと本には書いてあったけど、今やカウンターは
大人で一杯。)2階でもご飯をたべていいようになっているとか
音楽や絵を描けるという アーティスティックな要素も
大きく含まれていることかなあ。柱には絵が描かれてたり
ソファーやらはアフリカの布で包まれていたり
そーいうセンスがいいんだな。


 ここは年間6ユーロの加盟金みたいなものを払って
行く度に2ユーロ支払うらしい。その2ユーロで
子供は2階で思いっきり遊べて、しかもなんとお昼ご飯がついてくる!
これはとっても嬉しいです。今日のごはんはクスクスで
大人の分は4、5ユーロ。節約生活をしまくってたけど
もういい加減エスプレッソが飲みたい!と思い
エスプレッソも注文し 最後に息子はだだをこねて
ジュースを注文。どちらも1、5ユーロです。
(普通のカフェではジュースは4ユーロくらいします)


 お昼ご飯を下のカフェで食べてると、隣に座った
ラファエル君(もうすぐ3歳)が蓮太郎にちょっかいを出し
お母さんがやめなさい!ちゃんと食べなさい!と言っている。
どこも子育ては大変です。母の言うこと もっと聞いてくれたら
いいんだけどね。子供は楽しそうにへらへら笑ってるけど
母はだんだんむかついてくる。そうして私もここでは
「いい子で偉いですねえ」とそのお母さんに言われたものの
スーパーで走り回る息子を叱りつけることになりました。
子育ては本当に大変です。。。


 そんなわけで 沢山の人があたたかく迎えてくれて
どこのカフェよりも人々がつながりあったり
あたたかそうな雰囲気がしているこのカフェは
子供を連れて行ってこそきちんと会話に混ぜてもらえる。
ここにはアフリカの子もアラブの子もフランスの子も
蓮太郎みたいな日本人も来たりするけど でも
誰もがあたたかく迎えてもらえる そして大人は
コーヒーが飲める 子供はわんさか走り回ってる
それがなんだか心地よい。息子はかなりここが
気に入ったみたいなので ノートに書いていた通り
カフェゾイドの常連になって フランスの子育て事情を
もっと探って お伝えできたらと思います。

パリのカフェ

2010年08月17日 | パリのカフェ文化




 今回のパリ滞在は カフェを見に来たという
わけではないけど やっぱり当然私は
カフェに行く訳で フランス人たちに
「えー またー?もうやめてよ」という
顔をされながら まあでもいいもん
一人でいくもんと 1日3回、
多くて4回カフェに行く。

 この何年かで撮りためたカフェの写真も
もう700枚近くになるらしいので
そろそろ次の本作成に向けて
力をいれていくころなのだろう。


 パリのカフェ

 パリのカフェ ねえ


 その良さって なんなのだろう?





 おそらくそれは、かなり素敵なカフェが
ちょっと歩けばみつかることで
こんなカフェ 日本だったら東京で
広尾に行ったり 代官山のミケランジェロや
京都だったらオーバカナルにわざわざいかないと
見つからない、、、 
(私なんてそのカフェ恋しさにわざわざ京都から
新幹線に乗ってそれから代官山まで行くんだから
あほらしいといったらない)




 そんなカフェ が パリには
一分も歩けばまたあって かなり沢山
席もあるから 長居しててもたいていは
何も言われない し 店員さんも
午後の時間とか暇そうだから
一人くらいいた方がいいんじゃない?と
勝手に思ってゆっくり過ごしてみたりする。


 パリのカフェのよさっていうのは

 どこにでもあることと



 ある程度おしゃれなカフェが最近は
かなりの頻度で存在していることと




 エスプレッソが2ユーロ程度しかしないこと と




 カウンターがあることと
(カウンターではほとんどエスプレッソは1ユーロ)




 エスプレッソが美味しいことと

 カフェクレームが美味しいことと
(でも本当に美味しい店は少ないかも、、、)

 ご飯のおいしい店も増えて来た?
お昼はだいたい1000円から1500円くらいで
食べられます。もちろんパンつき
でもコーヒーは別料金。




 ある程度広い店が多いこと?
だから自分が何をしてても まあいいだろう
そんな気持ちになれたりもする。





 基本的には フランス人からは
いわゆる有名カフェはちょっと馬鹿にされてて
フロールもドゥマゴもモンパルナスのカフェたちも
行ってみたら そこまで悪くはないと思うけど
私は結局行ってしまうけど 彼らは
冷たい目で見てる。そんな彼らはどこに
行くかといえば こちらからしてみたら
まあどおってこともないような 街角の
カフェだったりもするわけで
人それぞれ お気に入りのカフェがあり
そこのテラスでちょっと一服
だれも私ほど長居しないけど
のんびりと街行く人を眺めながら
気もちいい時間をすごしてる。


 このちょっと 喉が乾いたときに
 日本だったら自動販売機にいくのだけれど

 パリには自販機がほとんどなくて
 そのかわり山ほどカフェが存在してて
カフェなら椅子に座れるし まあ
ちょっと行こうか そんな感じでいけるのがいい。
彼らはたいていは飲み物をのんだらすっと
お勘定して すっと出て行ってしまうのだけど


 私の場合は カフェに入るなり
ノートを開いて 考えたことを読み直したり
万年筆を取り出して 考えたことを書いてみたり
たまにスケッチしてみたり 記録用に
ちょこまか写真をとってみたり
勉強もしなきゃというわけで さっき買った
新聞とにらめっこをしてみたり。
でもたいていは 結局考え事に使われていて
すこしずつそれが進んだりする。





 昨日は有名なL'autre cafe(ロートルカフェ)
というところにいって ここは前にも
一度来たことがあったのだけど その時は
かなり人がいて 昨日はまだ6時だったから
(パリでは夕飯が9時くらいだったりするので
まだまだ夕飯時ではないらしい)
人もまばらにしか来ていなくって
しかもここでは 珍しいことに
私みたいに一人で来ている人が多かった。


 たいていはカフェっていうのは
一人だとカウンターには行ったりするけど
席に座るのは誰かと一緒のことが多くて
お隣では誰かが誰かとしゃべってて
というのが普通なんだけど
ここではなんだか雰囲気が違い
三条スタバのようだった。
マックのパソコンを持ち込んで何かを
している人もいて なんだか昔の私みたい。
(しかも私と同じ型だった)




 私もその奥の席の1つに陣取って
考えてみたり、新聞を読んでみたり。
ここは他のカフェとは違ってそこまで
音楽もうるさくないし 店員さんと
お客さんも大声で話してないから
なんだか作業がやりやすい。
それにかなり店がひろくて 2階もあるし
なんだかかつての「秩序のいい勉強部屋」
とボーヴォワールが言っていた
フロールみたいな雰囲気だ。
勉強部屋で 図書館で しかもおいしい
カフェが飲めて仕事を進められるなら
こんなに嬉しいことはない。


 ここなら私もできるかも
私もいつしかここに通って
カフェで仕事ができるかも、、、
なんだか一筋の希望を感じた
そんなカフェの 奥の席。





 パリはカフェ で 満ちている
モンパルナスに行ってみたって
オペルカンフに行ってみたって
パリはカフェで満ちている。

 そこに一人で座ってみても
カフェの威力はわからないけど
そこに誰かといくことで
じんわりと カフェという場がもつ力 が
わかってしまうことがある。






 パリのカフェ では なにかが起こる

なにが起こるか 起こらないかは
行ってみないとわからないけど
偶然性に 心を開いてみたときに
何かは起こるものなのだろう


 カフェではいつも なにかが起こる
予期せぬ何か が 待っている
それが カフェでの出会いであって
それが 人生 なのかなあ?
Qu'est-ce que c'est la vie?
C'est la vie?
Mais la vie,,, c'est comment?



結局空が灰色だって
パリは一歩外に出たなら
予期せぬ何かが待っていて
それが私の心を浮き立たせてくれ
沈んだ気持ちも知らない間に
すうっと消えていってしまう

 


 結局のところ やっぱり私はパリが好きで
パリのカフェ が 大好きで
それがないと 生きられないほど
あのカフェの味が好きなのだろう
エスプレッソのあのほろ苦い味は
人生にとても似ていて 
甘いけど ちょっと苦くて
でも後味がものすごく濃くて
結局のところ やめられない。





 パリにはカフェが山ほどあって
まだまだまわりきれないけれど
いつの日か すべてのカフェを
記録に残してみたいと思う。


追記

パリのカフェの歴史や今については
Paris-Bistro.com日本語版をご覧下さい
来年くらいには「カフェを選ぶ」をもっと
もっと増やせたらなと思っています。
移住できたらいいのですが、、、

追記2 パリのおすすめカフェ

 最近「パリのカフェ」という検索で引っかかるように
なったみたいなので、おすすめも簡単にのせておきます。
ブログのリンクに貼ってある「パリのカフェたち」という
サイトには写真も載っています。お時間あったらご覧下さい。

 あとパリのカフェの良さといったらテラスですね!
隣の人と目を合わせ続けなくても会話ができる、
偶然となりになった人とちょっとした会話ができる
風を感じながらお茶がのめる 街の一部に溶け込んでいる
そんな気持になれる場所、日本にはなかなかないんですよねえ。。



 カフェドフロール(サンジェルマンデプレ)

 フランス人からバカにされても私には思い入れのあるカフェです。
サルトルとボーヴォワールが通ってたカフェです。
フロールは今でも独特の空気がただよっています。
ここで朝カフェクレームとクロワッサン頼むと最高。
2階で月に一度開催される英語の哲学カフェもかっこいいです。



 ヴューコロンビエ(サンシュルピス)

 サンジェルマンデプレから歩いてすぐのアールヌーヴォー調のカフェ。
留学時代に通っていました。ここの半分テラスみたいな室内から
ぼーっと外を眺めるのが私の習慣でした。ここでカフェでの
出会いというものを体感したので忘れられないカフェです。
この狭さがなんともいえない。大好なカフェ。
駅降りてすぐ目の前の緑のカフェです。


 カフェシャルボン(オベルカンフ)

 何故かシャルボンではいつも何かが起こります
そこでの会話で人生が変わってしまったり
勇気をもらって人生を後押しされたり、、、
どうしてなのかはわかりませんがいつも
とても熱く、深い会話ができます。音がうるさいから
会話に感情がこもるのでしょうか?
ここのカウンターはとても味わい深いです。



 ドーム(モンパルナス)

 ここも留学時代によく行っていました。
しっかりと道路からさえぎられたガラス張りのテラスは
目の前の景色はみえてもうるさくなくてとても静か。
ここで文筆業ができたらどんなに幸せだろう と思います。
ここのカフェクレームもおいしいです。
ドームはボーヴォワールがフロールに通う前に行き着けだった店。
ドームを舞台にした小説もありますよ。



 ロワイヤルペレール(17区 ペレール)

 Paris-Bistroの事務所の近くのカフェ。
普通のカフェといえばカフェですが、ここに夕陽の
あたる時のかっこよさといったら文字通りまばゆい!!
あまりにキラキラしていてとても入りたくなってしまいます。
おそらく近隣の人がなんとなく待ち合わせにつかうカフェ。
まさに目の前を行く知人と声かけあったり
だべっていた高校生が通りがかったお母さんに怒られたり。
まさにパリ!!って感じがします。みんなかっこいい。



 シェプリュンヌ(サンマルタン)

 ここもまばゆい光をはなっています。
いつもだいたい満員だけとたまに入れます。
ご飯もとてもおいしくて、目の前は運河。
ゆるいけどセンスのいい店内でここもまさにパリ!
こんなの日常にある暮らし、うらやましすぎる。。。



 ビストロドパントル(バスチーユ)
 
 有名なポーズカフェの向かいにあるカフェ。
いつもどっちにしよう??と迷ってだいたい
結局こちらにいってしまいます。ここは
カウンターに椅子があるので、はじめての
カウンター経験もしやすいかも?アールヌーヴォー
調の内装がめちゃかっこよく、こんなとこ
今でも日常に使ってるんだ!というのがまた素晴らしい。
店員さんもきさくな感じです。ブログのトップの
写真はこの店の写真です。


 カフェデファールの哲学カフェ(バスチーユ)

ここのテラスで何人の人と出会ったことでしょう!
哲学カフェは毎週日曜の10時半から(たしか)
開かれています。とても興味深いですがとても難かしいです。
よく満員になっているので入れずにテラスにいると
そこで誰かとの会話が始まったりして、結局
その方が私には面白かったりもします。
このカフェでの出会いから私の人生は予期せぬ方向に
流れて行ってしまったのかも、、、わからなくても
哲学カフェ、フランスの議論のすごさを感じる
素晴らしい機会なので一度行ってみてください!


最後に、パリのカフェの歴史?何が起こっていたの?
作家達が通ってたっていうけど何してたの?
という方におすすめの本、、、(手前味噌ですが)
『cafeから時代は創られる』(いなほ書房)よかったら読んでみてください。
当時のカフェで起こっていたダイナミックな変化を描いた本です。
よくある「誰々と誰々がいた」と書き記してある本や
写真だけのガイドとは違います。「何故カフェなのか?」
「一体なにがどのように起こっていたのか?」
「カフェが磁場になるとはどういうことなのか?」
というような、「カフェとはいったいどんな場だったのか」に
向き合った本です。これを読んでパリのカフェに行ったら
もっと面白くなると思いますよ。
まだ本屋さんで注文したら手に入ります!!


 パリのカフェやフランス語に興味のある方へ
最近はカフェで学ぶフランス語講座も開催しています。
フランス語?やってみたけど頭が痛い!という方におすすめです。









フランスに行くなら

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