今日は日曜だというのに朝6時半におき、重かった腰をあげて
クルミドの朝という哲学カフェに行って来た。
クルミドで哲学カフェがあったらいいと思うんです、、、なんて
いつだったか影山さんにお話をしていた日があったけど
パリに行ってそれを確かめ、実際に実行に移してしまうのが
影山さんのすごいところで、もう1月から10回以上開催されているのだろう。
さて、そんな哲学カフェで話したことは、私が前から気になっていた
信頼ってどうやってつくられるのか、信頼って何なのか?ということで
そんなテーマを投げかけたら興味を持ってもらえた人が多くて
それについて話をしてもらえることになる。
詳しいことはまた他で書こうと思うけど こちらででてきた
話によれば、心をオープンに保てていると自分の判断に自信を持てる機会が多いらしい。
ところが人に信頼されようとして人の目を気にして何かをしている時には
意外とそれが信頼につながっていなかったりだとか 面接に落ちたりだとかで
どうもうまくいかないような、、、
信頼とは?という1時間半の話の後で、私なりに出た結論というのは
信頼は他人に対してする片思いのようなものであり、裏切られてもまあ
仕方ないと思えるくらいのものらしい。それが社会的信用とか契約とは違うとこ。
そう考えると信頼というのは自分の判断への自信に他ならないんじゃないのかな。
他の人たちがそうじゃないんじゃない?と例え言っても、自分が自分に自信を持つこと。
そこで判断したときにたとえうまくいかなくても責任をとれること。
そういう人が人を信頼して「君、やってみたまえ」と言うのかな、、、
私がこのテーマについて悶々と考えていた理由の1つに、影山さんやら
キャトルセゾンの社長さんやらが即座に判断を下して何かを
任せてくれたことがあるからで、どうやって?どうして決断が下せるのだろう?と
不思議で仕方がなかったからだ。私の場合は判断にいつも自信がなくて
後悔したり後ろを向いたり、時には泣いたり。あんたが決めたことでしょう、と
言われたところであんまり自信がないものだからぐらぐらグラグラするのだけれど
私が出会った彼らは揺れない。そんな彼らは雲の上にいるような存在だった。
今日でてきた私なりの結論では それは彼ら実業家の人たちが
自分の判断に自信をもっているからで かつ実績だってあるからで
きっとそれの積み重ねでこそ 彼らは今あるようになれたのだろう。
そういうことができる人だからビジネスがやっていけるのかもしれない。
そして結局人の判断や社会的基準じゃなくて
自分が自分に自信があれば そして人生にも自信があれば
ものごとは大きく変わる。学歴?英語?英才教育?人間の将来のために
大事そうにみえることは山ほどあるけど 私はこの1年の困難の中で
自信さえあったなら 人生は大きく違うのではないかと気が付いた。
それこそが根本なのでは?それさえあれば おそらく人生は開けてく。
自信のある人は人にチャンスも与えてくれる
そうして人を開かせてくれる そこで自信を得た人は
他の場所でもやっていける 大丈夫 自分はできる どこにいっても
やっていける そう思えたのなら飛び立てる。
福島の事件があってすぐに飛び立て引っ越しまでできた人たちは
他の場所に移り住んでも自分は稼げる 人生はなんとかなる、と思えた人たちなのだろう。
でも不安要素が勝ってしまうと 重い腰は上がらない。
大丈夫、できる、うまくいく。そう思える人は強いと思う。
では自信を得るためには?何がキーになるのだろう?
哲学カフェではいろんなことを考える。そして次のテーマが浮かぶ。
そんな場所が日本にもある うちからはちょっと遠いけど
でも日本語でそれが語れる。それはとてもありがたい。
私もどこかもっと近場で 哲学カフェをやりたいなあ。。。