alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

猛勉強?

2010年06月24日 | 私の人生


 最近の私はなんだか頭がおかしくなってしまって
京都に一応住んでいるけど 心はどこかにいってしまって
ひたすら毎日フランス語につかって勉強 勉強 勉強だ。


 どーして私ってば 小学生の頃から
パリに憧れていたくせに ちゃんと勉強しなかったのかな
と思うけど まあたぶんいろんな理由もあって
留学した時鬱になってこわかったのとか
本当に何もかもわからなかったのを思い出すのがこわかったとか
いろんな理由があるのだろうけど


 それでも毎年少しは進歩していて
留学が終わってからも全くできなかった「読む」ということが
大学院に行ってた頃には多少できるようになり
それからちょっとは翻訳もして
少しは話を続けていけるようになり
今ではなんとか 自分の意見をフランス人達の中 で
言うことだってできるようにはなってきた。


 だけどまだまだ 「書く」ことも 正確に理解することも
私にはできてないから 今までひたすら逃げてきていた
文法や正しい綴りを書くということ そこにしっかり
向かってみようと 日々やっているのだけれど


 なーに やってるんだかなー
パリにいるわけでもあるまいし
こんな状況で 「いつか」住めるかだなんて
かなり「非現実的」な状況なのに
だって ただの 郊外で子育てしてるママなんだもん
なのに私は ママサークルにつかっているより
フランス語に浸かっていたい。私はとってもおかしくて
多分今の私がママたちと話をしても
表面的には話せるけれど まったく話が合わないだろう
だってこんなのおかしいもん


 フランス語 なんてなあ と自分でも思う
英語をやったらいいのにね?パリでも英語は通じるよ
そう 世の中はもうインターナショナル
つぎにいついけるかなんて つぎなんてもうないかもしれんと
思って私は行ったのに だけど私は勉強している
だけど必死で勉強している
何のため に? 何なんだろう

 やりたかったことなんて 本当はたくさんあった
だけど諦めないといけないのかと思ってた
私もこの地区のおばさんみたいに 主婦になって
子供を産んで 旦那の帰りを待ちわびながら
ご飯をつくって ママ達と仲良くなって
だけど本当は嫌だった 本当は きっと 嫌だった


 私にはとても難かしい
いい母であることも よき妻であることも
だけど母であろうとしたから 私はたくさんのものを置いてきた
2年くらいは 我慢したっていいのかもしれないけれど
もう2年もちゃんとたっていて
今日は彼は保育園。私はフランス語の勉強中。


 道はつながっていくのだろうか
私はどこへ向かってゆくのだろう
もっと広い世界に行きたい もっと大きな世界へ旅立ちたい
どうすればいいのかなんて 私にはわからないけど
もし神様がいるのなら 導いてくれるだろうか
J'éspere!

変化

2010年06月23日 | 私の人生

Ma vie était monotone...


 久しぶりに今日は洛西の子育て関係のところにいって
何事もなかったように 「ママ」になって参加して
蓮太郎と時を過ごしていたけれど


 その後久々のカフェにいき ここはどうかなーと
思っていたら あまりにも 何も変わっていなくって
もちろんこの一ヶ月 でイベントを一回やったり
他のイベントがふえてたり 沢山の人が集っていたり
いろんな変化はあっただろうけど
あまりにそれが「日常」で 私はショックを受けてしまった。


 2週間で たった2週間で 日常なんて変わらない


 一年たって 留学からかえってきたって 日本は
特にかわってないのに 二週間で 何かが変わるわけがない。


 だけど私は変わってしまった。

 私は自分に気づいてしまった

 私は自分に目覚めてしまった

 他の世界もありうるんだと

 それはただの夢ではないと

 そんなことを 身体で感じてしまったようで

 私はそこに戻りたくって

 カフェのあるあの日常に。


Mais la vie "normale" continue comme si rien
n'était passé..


私が「帰る」べき日常は 何も変化はしていなくって
それは日本の主婦の日常 60年間ずっと続いてく
そんな日本の主婦の日常 だけど私は気づいてしまった
他の私がいたことに そうではない 他の私は
他の私は、、、?どう生きたいというのだろう


 私はカフェで書いていたい

 私はカフェで議論がしたい

 私が書いた あの本の中の出来事は
100年前なだけじゃなくって まだこれからでも起こりうる
だけどそれは 一体どこで起きるのだろう?
日本かも と思っていたけど?
日本にだって カフェはないことないけれど
私はカフェに帰りたい
あの苦い ほろ苦いコーヒーの味をかみしめたい。
ちょっと切なくなってしまうような そんな味にまた浸りたい。


 この場所は何も変わらない 変わったの は
私自身で 私はたったの2週間 で
なんだか元に戻ってしまった?
この先どうすればいいのかなんて 全くわからないけれど
私の脳みそはもうシフトしている
違う場所 に 焦点を合わせ始めてしまってる
私の中で何かが動いた
それはもう 止まらない。


生まれて2年がたちました

2010年06月22日 | 子育て
 今日は蓮太郎の2歳の誕生日。
盛大なことは何一つできなかったけど
家族でゆったりお祝いしました。

 蓮太郎はすくすく育って
大きな病気もほとんどせずに、なんと
病院のお世話になったのはまだうまれて3回くらい!
それくらい元気に楽しく育っています。


 大変だー!と思っていたし 本当に自分を捧げてきたけど
蓮太郎に癒されることもたくさんあって
あー彼の笑顔があるから 私も笑顔になったんだなあ
彼がいるから なんとかやっていらるのかなと思います。


 結婚をして3年がたち 子供はもう2歳になって
自分はどこにいったのか と見失うことも多々あるけれど
この2年 いったいどうだったのかな
感想としては長かった。あっという間!じゃ 全然なかった。
とってもゆっくり過ぎてった。


 それでも幸せ だったのかなあ
蓮太郎と過ごした時間は 結局私を笑顔にしてくれ
沢山愛情をもらっていたから 私も元気になれたのかもな
パリにいって 自分にも自分の人生があったということに
はっきりと気づいてしまったけれど
だからもう 前と同じようには戻れない し
戻りたくないと思ってしまうけど


 だけど彼は私を助けてくれた
私が車で号泣したとき チャイルドシートの中から
あたたかい手をさしのべたのは
あの小さな小さな蓮太郎 で 私が泣いていたときに
笑顔で私をなぐさめてくれた。本当に心の優しい子です。


 結婚って何なのだろう
どうして人は結婚するのか
人生は何のためにあるのだろうか
いろいろと 考えることはつきないけれど
それでも蓮太郎がいてくれたこと 私の側にいてくれたこと
この2年間 あたたかいぬくもりを そして優しい笑顔を
いつも私に向けてくれてた それは本当にありがたい。


 「美樹ちゃんはねー 子育てには向いてないよー
主婦にもねー」友人たちは軽くそう言ってくれるけど
本当にそうだと思うけど いつになったらこの状況を
もっといいように変えられるのか まだ私にはわからないけど
この2年間 3年間?少しは学んだこともあるかな
きっと成長したことでしょう もっと大きく
パワーをもって はばたけるならいいのにな!

パリという夢

2010年06月21日 | 想いをカタチに
 もうパリを発って一週間になるというのに
私はまだ現実世界に適応できずについつい
パリを夢見てみたり。


 研究をしていたパリは もう100年も前のパリ は
変な人たちが沢山集って ありえないことが
沢山起こっていた訳だけど 今のパリ にも
「なんだこの人!そんなんありか?!」と
驚くような人たちは沢山たくさん存在しているようで
私は度肝を抜かれてしまった。


 もっと自由に生きたいなあと思っていたけど
ああ こんなのもありなんだ、、、と
パリにはいつも 自称小説家とか 写真家だとか
哲学者とか(!)どうやって生きているんだか
正体不明な人たちがいて もちろん日本のように
それなりのとこで働く人も沢山いるけど
それでも圧倒されてしまう。


 私にはパリが合っていて
私にはフランス人の感覚というのが
なんだかとっても共感できて
あーもっと もっともっと!
フランス語で話したい!と 
そのモチベーションがふくらむばかりで
日本に帰ってきたからといって
もう失ってなるものか と 決意を決めて
毎日毎日 すごい勢いづいてフランス語を勉強してる。


 帰国してすぐ 8月末にかなり難かしい
フランス語関係の試験を受けることに決めてみて
それにむかって この2ヶ月は猛勉強だ!と
思ってるけど これまでとっても
フランス語の「勉強」なんて嫌いで仕方なかったのに
不思議なことに 今は楽しい。


 買ってはいたけど 恐ろしくって読めなかった
中級、上級のフランス語の本達も
今回ばかりはちゃんと活躍してくれそうで
留学時代にパリで買って見向きもしてない
動詞の活用の本さえも 昨日は広げてみてしまう。


 私 がんばることに決めたんだ。


 え?無理しない方がいいって?
もう決めたんです。やってやるんだ。
この二年間、かなり自分を捧げてきたから
もう自分は譲らない。私の人生も大切にしよう
私はそう思うことに決めたんだ。
だってずっと夢だったから
小さな頃から パリがずっと好きだったから
フランスになぜか憧れて
それでも距離があったから
ネックだった 言葉の壁を
ネックだった 「フランス語」という怪物を
もうネックにはしたくない。


 フランスは フランス語さえしゃべれれば
そして自分をそれなりにもってさえいれば
本当にとても楽しい国で
私はもっと 自分の口から
自分の言葉を語りたい。
ちゃんともっと 世界の人と議論がしたい
深い話をもっとしていたい。
だから私はがんばろう。


 フランス語は難かしいけど
年々レベルはちょっとずつでもあがってるから
このモチベーションの力を借りて
この2ヶ月でがんばろう!

 J'espere que je peux revenir a Paris!!

現実逃避

2010年06月18日 | 私の人生
 Paris est devenu tres loin pour moi...


 日本に帰国し成田について まず一番に驚いてしまったことが
だれもが日本語を話しているということだった。
アムステルダムからの飛行機の中、あまりに沢山の
日本人が乗っていたから もうだめか もうここからは
日本の世界かと思っていたけど かろうじて?
私の隣の席の人はベルギー人のマダムでフランス語 で
彼女はとっても話が好きで 眠い目をこすりながらも
かなり長時間フランス語。

 ところが成田についたと思えば
C'est deja fini... C'etais le Japon!

もうすべてはすっぱり終わってしまって
ここはただ 日本語の世界。
母国語を話すこと がこんなにも簡単だとは
フランスにいたら 「フランス人ってこんなに
フランス語しゃべれてすごい!」と思っていたけど
母国語が話せるというのは当たり前の話でしかなく
母国語なんて どんなに眠くても しんどくっても
無意識にふっとでてしまう。そんな母国語に3日もつかれば
フランス語脳はどこかにいって
パリは ああ もう 夢の中、、、


 今日は朝から友達に会い、フランスが
いかに楽しかったかを話していたら
「みきさんの表情が全然違う!」と言われてしまった。
私はとっても活き活きしてたんだそうな
今日は義姉にもそれを言われて
そーなんだ ほんとに楽しかったんだなあと思うけど


 京都に帰るのがなんだかこわい。


 沢山の決意を固めて もう意地ででもやってやるって
決めてきたけど あの日常に帰ってしまうと
私ではない 二人のお世話で日々がすぎ
私はいつもため息をつき の繰り返し
だから 私はそれが とてもこわい。


 もう二歳になるのだから 高いお金を支払ってでも
保育園でもいいのかなあ そうは思えど
また二人で公園に行ったりしたら
「それも大事な時間なんだ」と思ったりして
ママサークルにいったりしたら 違和感を感じながらも
「でもママっていうのも悪くない」と思ってしまい
「それなりの しあわせ」というので生きてしまう


 でもそれが la vie normaleが いわゆる
普通の生活が 私にとって 本当に幸せなんだろか
それならどうして 毎日ため息の連続で
パリにいったら あんなにも水を得た魚のように
子供をうんでから本当にはじめて あんなにも活き活きしてて
私が私自身であった その喜びに 自分でも驚いていたというのに

 ため息ばかりの人生なんて送りたくない
私は私を活かしていたい そんな自分が曇りに曇って
なんだか小さくなっていたけど もっと自分を広げていたい
もっと大きくはばたきたい。パリにいって 変化があった。
だけどそれ を あの日常で どう変えてったらいいのだろう?
東京にいたら まだ両親や兄達がいてくれるけど
京都は八方塞がりで あまりにも日常でしかなくて


 Je voudrais changer ma vie.


 私はチケットの変更をした。イタリア行もやめてしまった。
Toujour il faut payer. いつも支払わないといけないけれど
私はチケットだけでなく チケットを変えたことで
人生さえも 変えてしまったのかもしれないと
イタリア行をやめた日の夜 こんなことをつぶやいた。

 Changer mon billet, c'est changer ma vie?

 そんな風に思ったりもした。


 同じようには生きてたくない 
でも方法がわからない
どうしたらもっと自分が心底楽しんで
やりたいようにやれるのだろう
そんな自分もいるはずなのに
京都に帰ってまた日常?
私にはそれがやっぱりこわい。

パリに行ってきました!!

2010年06月15日 | フランスあれこれ
 a Paris!

 a Paris!!


どんなにこの響きに憧れてきたことだろう。
蓮太郎が生まれて2、3ヶ月の時
フランス人から国際電話がかかってきたとき
"C'est Laurent a Paris!"と言ってた。a Paris?!
パリなんて存在するの?私には4畳半の小さな世界と
京都の近所のせいぜい鴨川くらいしか存在していなかったけど


 パリってほんとにあるんだろうか
ほんとにそんなとこに人は生きてるのだろうかと思ってたけど
本当に念願かなって行かせてもらえて
行ってもなかなか実感のわかないままだったけど
パリは変わらず存在していた。


 パリにいったらまずノートルダムを見たいと思ったけど
今回私は滞在させてもらった家は ノートルダムの目と鼻の先で
毎日どこかにでかける度にノートルダムを仰ぎ見ていた。


 パリに行っても?どうせ3日もたったら日本がいいというのだろう。
どうせ3日もたったら「やっぱりパリは、、、」というのだろうと
思っていたけど 今回は恐ろしいほど楽しくて
沢山のシンクロニシティも待っていて
本当はイタリアにいくはずの予定を全部キャンセルしてまで
パリに二週間いることにした。その間に いろんな素敵なことがおこって
なにもかもが 素晴らしかった。歩きすぎて 足はものすごく痛かったけど
それでも歩かないわけにはいかないくらい
パリはとっても美しくって


 どうしてあんなに10年前は 住んでいたのにつらかったのかと
思うけど 10年たって 前よりもっと 語学の力もあがってて
今回はじめて かなりまともに 自分の考えをフランス語で
表現できたことが 本当に心の底から嬉しかった。
日本語とは全然違うフランス語の表現のおおげささ も
フランス人達の自分に素直で適当な感じとか も
着たい服を着たいように着てる感じも
本当にいいなと思えて とってもとっても楽しくなった。


 東京に帰ってきても 水を得た魚のような気持ちになるけど
パリでそんな気持ちになれて 沢山の人と話ができて
沢山の人にフランスの文化を教えてもらって
カフェを巡り ワインを味わい ビストロの料理を食べては
フランスの文化を学んで 本当にすごく面白かった。


 私の人生は灰色だ と 友人のフランス人がうちにくるまで
思っていたけど そこには違う世界があった。
全然違う だけどもっと私でいられる 私らしい私があった。


 たくさんのことにとらわれて
自分をしばってきたけれど
今 という瞬間しかないのなら
次なんて もうないのかもしれないのなら
今にすべてを費やすしかない。
未来ばかりを考えるより 今一瞬を
最大限に生きていたい。そう思えるようになっていったら
沢山の奇跡が起こった。
私はとっても楽しかったし 自分でも驚くほどに元気でいられた。
本当に素晴らしい時間の連続だった。


 日本に帰って 待っているのは灰色の日々?
そんなのは とても嫌だから
もうため息ばかりついていないで
もっと自分を活かせるように
もっとパリとも関われるよう本気を出して がんばってみたい。

フランスに行くなら

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