alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

シャルリー・エブドを考える

2015年01月30日 | フランスあれこれ
 東京新聞と中日新聞がシャルリー・エブドの一面の画像を記事中に
掲載し、それに怒った日本のイスラム教徒の人たちが
抗議して、新聞社がそれに謝罪をしたという。
ちょっと待ってよ・・・それはちょっと・・・
そう思っていた矢先、そのニュースは早速フランスの
ル・モンドで取り上げられていた。

 シャルリー・エブドについて書くのは私もためらっていた。
実は私のもとには新しい、おそらく日本ではかなり
貴重なあの緑色の表紙のシャルリーエブドが存在している。
パリでも発売数日はまるで手に入れられず、
キヨスクをいつみても「売り切れ」の文字。
そんな中、パリ在住の友人が「今度こそ開店30分前に
行って買ってやる!」と頑張ってくれ、なんとか獲得したものだった。


 もちろんこれが届いた日の喜びといったらないし
誰かに伝えたかったけど、私はずっと黙っていた。
なぜなら日本には 私も含め おそらく
この雑誌について語る資格がある日本人は
ほとんどいないと思ったから。

 私も曲がりなりにも少し言及してしまった身として
もう少し知ってみたい、読んでみたいと思っていた。
けれどもフランスの雑誌を取り揃えているアンスティチュ・フランセの
図書館に電話をしても、フランス書籍で名高い欧明社に
電話をしても「うちでは取り扱っておりません・・・」
それほどまでに、日本のフランス社会にさえも
この新聞は存在してこなかった。
そこでテロがあり、情報が急に入ってきた。


 もちろんテロがあったら語らざるをえない人たちはいるだろう。
そして自分たちのできる範囲で情報収集に努めただろう。
それで?3週間経った後、一般の人の反応をまとめてみるとこんな感じだと思う。
「まあそうは言ったって・・・あの雑誌、侮辱していたんでしょ?
ちょっとやり過ぎだったんじゃない?表現の自由にも程があるでしょう。」
だんだんと、シャルリー・エブドは日本で「侮辱雑誌」として認識された
感があるように思う。「それに対してなんであんなにフランスは
意固地にデモをするのかしら?(私にはわかならいけどまあいっか・・・)」

 ところでこの新聞を実際に読んでみた人は
一体どれほどいるのだろう?先述のように日本にはこれまで
ほとんど存在していないし、例え触れたことがあったとしても
きちんと読めた人というのは日本にどれほどいるのだろう?
正直いって、この新聞はものすごくインテリで、かつ
使われているフランス語も難しい。
私はフランス語の翻訳もして、一応通訳経験もあるけれど
それでも1回読んだだけでは頭の中が「???」で一杯になってしまう。
(今はル・モンドならかなり読めるようになったけれど、
そのレベルでも太刀打ちできないくらいの難しさ)

 何故難しいのかといえば、使われているフランス語が
一般的なフランス語と違い、現地でよく使われる俗語や
外国人にはわかりにくい単語が多いから。
それに、世界情勢をわかっていないと比喩や隠喩が
何を意味しているのかわかならい。これをなんとか読んでみて
私が感じたのは「す、すごい・・・!」の一言だった。
どう表せばいいのかわからない。とにかく日本には
同等のものが存在しないと実物を見た人は口を揃えて言っていた。
知的遊戯としての笑いというか
彼らの知的レベルの高さ、世界で起こっている問題を
一歩引いて眺めることで、そこを「あはは」と笑いに
変えてしまう。そして笑った後にこう思う。
「確かにそうかもしれないな・・・」
(そして何だか馬鹿らしく思えてしまう)
こういう世界で果たしていいのか?彼らは
風刺画と笑いという手段を使いながら、意外にも
深く突き刺さる問いかけをしているように思う。


 12人もの人が命を落とした中で、それでも製作された今回の号は
あっと言わせるものがある。彼らこそまさに「テロの犠牲者」だけど
「私たちはこんな酷い目にあってしまった、許せない!」
とは一言もいわないどころか、その状況すらも多少笑いに
変えている。300万人を越えるデモ。その中で多くの人が
"Je suis Charlie" (私はシャルリー)と書かれたプラカードを掲げていた。
けれども当の本人達は、その状況に感謝しつつも
シニカルな視点も忘れない。「シャルリーを買った時
自分を特別な存在に感じたもんだよ。誰も
僕たちを気にかけない。ところがどうだ、シャルリーが
一週間もテレビで放映されていたんだ。なんたる恥・・・
俺の妹さえも今日シャルリーを買ったんだ。それでみんな
"Je suis Charlie"って言うんだぜ。
だけどさ、俺はマチューだよ。」という文章もあれば
プラカードを掲げてデモする国民戦線(極右)の
マリールペン氏の姿もあり、そこには"Je suis ravie"(私は大喜び)
と書かれている。マリールペン氏もさんざんこの新聞で
やり玉に上がった人物だから。


 シャルリー・エブドは難しい。実際には相当に知的で
世界に興味があり、教養が高い人でないと真に意味するニュアンスが
わからない。これが文章だけだったなら、読むべき人しか読まない
新聞になっていたと思う。けれどもそこに絵があることで
子供でも、フランス語のニュアンスのわからない外国人でも
わかるような印象を与えてしまう。そこがこの雑誌の
落とし穴であり、大きな誤解を生み出した点なのではないかと思う。


 確かにイスラム教は偶像崇拝を禁止している。
私が訪れたモスクは教会とは全く違い、中央に
神を表す像がないばかりか、もちろん入り口にも
どこにもそれは存在せず、キリスト教の教会とも
京都のギラギラしたお寺ともまったく印象が異なっていた。
ここまで像を認めないというのは驚きで、神社に近いような
印象を受けたほどだった。案内してくれた方に
あの絵に対するイスラム教の方達の反応について尋ねたところ、
「怒りというより悲しいという気持です。
マホメットは私たちにとっては生き方のお手本となる先輩のような
方ですから」とのことだった。
自分たちがそれを守り、大切にしているのにまたしても描かれたこと、
それは嫌な気持にもなるだろう。私も初めてあの絵を見た時
「ああまたか・・・やり過ぎだってば!」というのが第一印象だった。
その時確かに挑発のように思えてしまったのを覚えている。
けれども彼らは本当に「侮辱」し、挑発したのだろうか?その真意は
わからないけれど、シャルリー・エブドが意図する絵は
パッとみて(特に外国人が)すぐにわかるようなものではない。

 "Tout est pardonné"というのは直訳すれば「全ては許された」
という意味になる。全て、というのはテロリストが彼らを殺したことかも
しれないし、これまのシャルリー・エブドとイスラム教との諍いのことかもしれない。
それとも、紙面で何度か触れられたように
「今までは僕たちの宿敵のようだった人たちが
テロとその後のデモによって急に「友達」になってしまった」
ということを表しているのかもしれない。
(つまりこの事件が起こったことで、全ては水に流された・・・)
けれどもフランス人の友人によればこの言葉自体は
イエス・キリストが人間達を許したときの言葉であり、
それをマホメットの言葉として使うこと自体が侮辱ととらえられる
かもしれないと言っていた。

 実物を手にとって一番目に飛び込み、驚いたのは、
ニュースに流れる画像では小さくしか移らない
マホメットの涙だった。この涙にはどういう意味があるのだろう?
申しわけなかった、悪かった、という表情に見えるが、
彼はどうして涙を流しているのだろう?
(神の名の下に)こんな大惨事が起こったことを嘆いているのだろうか?
(犯人は殺害時に「アラーは偉大なり」と叫んだという)

 彼が手にする"Je suis Charlie"のプラカードは
一体何を意味するのだろう?「私はシャルリー?」だとしたら
「そんなわけないだろう!シャルリーと一緒にするな」
だいたい"Je ne suis pas Charlie"(私はシャルリーではない)って言いたいのを
我慢していたんだと思うイスラム教徒もいるだろう。けれど"Je suis Charlie"には
もっと幅広い意味があり、これは「連帯」でもあり
「表現の自由に賛成」ということでもあり、シャルリー・エブド側の
言葉でいえば、"Je suis Charlie"とは「ライシテ(政教分離)」
を意味するのでもあるそうだ。私にはどうもこの言葉は
「私はシャルリーを支持する 表現の自由を守りたい」
という意味が強く、「私はシャルリーである」という
意味合いは実際にはかなり薄いと思う、が、これも訳されて
I am Charlie と言われると、「私はジョージだ、シャルリーじゃない」
と言いたくもなるだろう。

 だから私が伝えたいのは、シャルリー・エブドの風刺画は
本当に難しいということだ。特に外国人や、フランスや世界での
状況をよく知らない人にとっては簡単に誤訳が起こると思う。
だいたいニューズウィークや他の雑誌の表紙だけをとらえて
問題にする人はまずいない。何故なら表紙というのはその紙面の内容に
関連しているはずだから。それなのに表紙だけを抜き出して
前後のニュアンスやその時起こっていた時事問題、つまり紙面に書かれているはずの
内容を全部すっとばして表紙を議論の対象にしてしまうこと、
それもおかしいように思う。
どれが真意かはわからない。彼らはそれを言葉で伝えようとしないから。
おそらくこの左翼インテリに愛されてきた反骨精神あふれる新聞は
わかる人にだけわかればいい、そのスタンスでやってきたのだと思う。
だからこそ、世界中が一斉に「私もシャルリー!!」と言った時
戸惑いを隠せなかったのは彼ら自身で、「そんなこと言ったって
あんたらどうせそんなの忘れて、また違う新聞を読むんでしょう」と言ってしまう。
シャルリーを知れば知る程、こんなにもエスプリに溢れ、
世界の問題について「おい、ちょっとそれどうなんだ!?」と
問いかけ続ける、しかも極左となってかたくなに何に反対というのではなく
常にエスプリを忘れない。その姿勢を貫いた彼らというのは
殺されるに値されるような相手ではなかったと心底思う。
テロリストの敵ではあったかもしれないけれど、彼らは
イスラム教徒の敵という訳ではないと思う。2ページ目には
「宗教の全体主義」についての言及があり、それを守るためにも
「ライシテ」が重要だと述べている。宗教の名の下に?
神の名の下になら?何をやってもいいのだろうか?神の名を借りて
神が居たら許さなかったようなことをやっている人たちも実際にはいるのでは?
それが真のその宗教の姿といえるのだろうか?
だからこそ、一歩引いたまなざしで宗教をとらえる時間、
私の宗教は私の宗教ではあるが、他の人にとっても絶対的なものではない。
それが彼らのいいたい「ライシテ」の思想かもしれない。


 彼らは彼らでイスラム教をキリスト教と同じ様に扱ったことで
過ちを犯したのかもしれない。けれども私たちも同じように
きっとシャルリー・エブドを誤解している。もしかすると彼らこそ
サルトルのころからフランスに残る社会に対する鋭いまなざし、
そしてそれをあえて口に出す姿勢、批評精神、決して迎合しないこと、
エドワード・サイードが言うような、真の知識人が守ろうとしてきた精神、
それを馬鹿なふりを装ってずっと続けていたのかも。

西洋の「力」

2015年01月20日 | フランスあれこれ

 フランスのオランド大統領はデモの数日後、
元々予定されていたわけでもないというのに自ら
アラブ世界研究所で開催予定だったイベントに出向いて
演説を行った。このタイミングでわざわざそこに行って
演説をする。一体何を言うつもりだろう?

 フランスのラジオ、franceinfoは他の情報を流していたけど
「今から演説が始まります!」と急いで中継に切り替えた。
私もそんなつもりはなかったけれど、ただ事じゃないのかもと思い
ついつい耳を傾けた。

 テロについて、彼はここで糾弾してしまうのだろうか・・・
おそらく誰もがそう思ったに違いない。
けれども私の理解できた範囲で言えば、オランドは
非難するようなことはほとんど口にしなかった。
その代わり、ヨーロッパとアラブ世界との交流の歴史に触れ、
これからもお互いがとも文化的にも経済的にも交流しあい
新しいルネッサンスを創りだしていくのだと語っていた。
テロのことにはあえて強くは触れず、イスラム過激派によって
実際に一番被害を受けているのは(フランスではなく)
イスラムの人々だ と語るほどだった。

 私はこの演説を聴きながら この人は本当にすごい。
たまたまテロが起こった時の大統領がオランドだったというのは
不幸中の幸いだと思い、一人心を打たれてしまった。
おそらく彼は何度もイスラムの世界を訪れたことがあり、
他の人たちよりも実際のイスラムの人々の生き方を知っていたのだろう。
だからこそ、そんな状況でも敬意を払い、テロが起こった当初にしても
イスラム過激派と普通のイスラム教徒をわけて話そうとしたのだろう。

 私は正直テロ直後のニュースやイスラム教徒の人たちの声を
聞く前までは、イスラムについてほとんど知識を持ってなかった。
けれどもそれではまずいと思い、内藤正典さんの
『ヨーロッパとイスラーム ー共生は可能かー』という本を
買って読むことにした。なるほど、この本を読むと納得のいく
ことが多く、彼は2004年にこの本を出す前から警告していた。
ヨーロッパがこのままの見方や対応を続けることで、より一層
イスラムからの猜疑心は増すだろう・・・。


 この本には主にヨーロッパに渡ったイスラム系移民や
移民2世の話が書いてあり、アンテグラシオン(統合)
やライシテ(政教分離)、スカーフ問題についての記述も多くある。
その中で私が特に心を打たれたのは、移民として渡った人たちが
ヨーロッパで(実際には)疎外感を味わった後、
母国の宗教や文化に癒しを求めたということだった。
疎外感が強ければ強い程、彼らはそれに救いを見いだすことになる。
ドイツであれ、フランスであれ、ヨーロッパに渡ったからには
できるだけ現地の社会に適応しなさい。そのためにも
語学習得は必須です。とはいえ、実際に住んでみると
ほとんど語学に力をさけていない人がいるのも現状だ。
私も子供を連れて3ヶ月フランスに住んだ際、友人に
「どうして日本人とばかり会ってるの?」と言われたことがある。
異国の地で子供を育てる、すでに細かい習慣があまりに違い
テレビが流れてもわからない。「今の日本はどうなってるの?」
と原発に関するフランスのニュースを渡されたところで、
そもそもそのフランス語が半分も理解できないし、日本語の情報はあまりない。
日本だと喜ばれるようなことをしてフランス人の反応を待ってみたって
のれんに腕押しみたいな状況が続くこともある。
そんな中、日本語が通じ、共通の概念があり、
豆ご飯を炊いてみたなら「何なのこれ?!」ではなくて
「わー素敵、豆ご飯!」と喜ばれる。その喜びといったらない。
異国の地は想像以上にストレスがある。そんな中、
みんなそれなりに頑張っている。だけどできないことがある。
いくら努力しても現地の人にはかなわない。いくらやっても
壁がある。そして痛い程気づかされるのは自分が日本人だということだ。

 だからこそ、時には日本人と会い、何の努力もいらない
母国語を使い、おいしいお茶でも飲んでみたい。
そこに計り知れない癒しがあるというのは、きっと
どこの国の人でも同じだろう。
そんな人たちが増え、それがだんだんエスカレートしていくと
その国のコミュニティができ、宗教施設がつくられ、
だんだんその中だけで生活可能になっていく。
すると現地の人は、理解できない言葉や習慣だけで
物事が行われるその場所に怖れを抱くようになる。
それでもフランスにはチャイナタウンがあり、日本人街があり、
ユダヤ人街などがあり、それらの地区のお店に入ると
基本的にはフランス語が通じるし、
フランス人たちもそれらを敵視している程には思えない。
移民たちはそれなりにアンテグラシオンの要請に答えようと努力をし
フランス人達も彼らなりに 許容できる範囲でなんとか許していこうとした
それがこれまでの状況なのではないかと思う。


 それでも結局どんなに努力をしてみたところで
アメリカに「ガラスの天井」があるように、
フランスにもしっかりとした壁がある。
フランス社会は数%のエリートたちがグラン・ゼコルに通い
官僚の卵として養成される。そんなグラン・ゼコルにいるのは
ほとんどが白い肌で栗毛色の髪をしたスノッブな「生粋の」フランス人だ。
もともと良いお家で育ち、移民の多い地区になんて
近づいたこともないような彼らがどれほど現実を知っているのか?
私は一応そのグラン・ゼコルの1つに通ったけれど、鼻高々な彼らとすれ違うたびに
それを疑問に思っていた。フランス人にはいい人もいるとはいえ、
ことあるごとに人を見下したような態度の人がいるのも
事実ではあり、そういう人には何をいっても彼らの解釈が勝ってしまう。

 私が留学したのは2001年の8月末で、それから10日ちょっと経った時
9.11が起こってしまった。当時私はパリ国際大学都市という
ところに住み、もちろん議論が巻き起こっていた。
その時ほぼ2日くらいはパソコンもなく、テレビのフランス語情報も
わからない私には、何が起こったのかあまり状況がつかめなかった。
その時誰かに誘われて、国際大学都市の中での数人での
議論に参加したことがある(おそらく英語だったのだろう)
私は状況もつかめていないし、議論にも追いつけなかった。
仕方がないからとにかく聞くのをがんばろう、そう思った矢先に
明らかに矛先が私の方に向かったのを感知した。

「ねえ、ミキ。これはまだわからないんだけど・・・
あなたはどう思う?あのね、あれは日本がやったんじゃないかっていう説があるの。
ほら、日本にはカミカゼがあるでしょう・・・?」

 これは冗談ではなく本気の質問だった。全ての人がこちらを向いた。
私は冗談でしょう?そんな訳がない、それは絶対にありえない。
そういうのが精一杯だった。絶対にそれだけは違う、そう確信
したけれど、その理由がきちんと説明できなかった。
彼らは本当にそうかな、といった目をしながらも、
議論はまた別の方向に続いていった。


 一人の日本人として、これがどれほど悔しかったか。
その後にも様々な場面で「知ったような顔をして私に日本を
説明するけど、明らかに間違っている人たち」に出会ってしまう。
彼らはほとんどわかっていない。でも声高らかに友人達に語っている。
「日本ってね、こんなことがあるんだって。私、本で読んだのよ・・・」


 私はその1ヶ月で強く決意を固めてしまった。
いつか彼らにきちんと言えるようになろう。
そんなことはありえない。実際にはそうではない。
何故なら、と言えるようにならねばならない。
でもどんなに彼らが馬鹿なことを言っていようが
彼らはこちらの土俵に立つ気は毛頭ない。
だから私が彼らに伝えるためには、彼らの土俵に
立たなければ、最初から勝負すらしてもらえない。
そのためには語学だけでなく知識も彼らの論理も必要だ。
それは激しい努力を必要とするだろうけれど、いつか私はやってやる・・・
そう思ったのを覚えてる。

 そして10年以上前に心に刻んだそんな想いは
10年努力してみたところで、簡単には実現できない。
それほど西洋社会で普通に育った「彼ら」と私の間には
大きな差が存在し、情報量も違う中で、差は日々開いていくままだ。
「ヨーロッパとイスラーム」の中で内藤氏はこう語る。

「ヨーロッパとイスラームとの共生を可能にするか、
あるいは破局に導くのか。それを決めるのは、
ヨーロッパが、自らの文明がもつ「力」をどれだけ
自覚できるかにかかっている。なかでも、
西洋文明には、社会的進歩の観念を無意識のうちに
他者に押しつけてしまう「力」があることを
自覚できるかどうか。それを押しつけたときに、
ムスリムがどのような違和感を抱くかを理解できるか。
このふたつのハードルを越えられるか否かが、
ムスリムという人間との相互理解の鍵と言ってよい。」


 ヨーロッパ社会がもっているその「力」
おそらくイスラム社会も私たちも、昔から
その論理の中では育っていない。だからこそ、
それこそが普遍的だと力説され、お前にも
できるだろう、わかるだろうと言われても、弱者になってしまった
側にとってはもはや言葉はあまり意味を持たなくなってしまう。
何故ならどうあがいてみたところで、負け戦なのが決まっているから。
そんな時、自分の属していた国の文化や宗教が
計り知れない癒しになることはあるだろう。
私だってわけもわからず泣きながらパリに居た時
日本では窮屈で仕方ないと思った着物を着て抹茶を飲んだら
心も身体も心底ほっとして驚いたのを覚えている。
けれどきっと、もとをたどればそんな程度のものであり
異国で生きることにした者たちは なにも結束して
ホスト国の人々に立ち向かおうなどと
始めから思っていたわけではないだろう。

 西洋文明には「力」がある。他者を理解する前に
その「力」や論理、自分のものさしだけで
他者を判断してはいないか。一度それを問いかけること
それが大切だと思う。シャルリー・エブドが
新しくモハメッドを表紙にした雑誌を刷って以来、
世界ではアンチ・シャルリーのデモが
各地で続いている。パキスタン、ニジェール、
チェチェンでは数千人規模のデモが起こり、
フランスの国旗が燃やされた国もある。
デモによってすでに10人近くが死亡した。
「表現の自由」も大切だけれど、侮辱したつもりはなくても
そう描かれること自体が外の文化の人にとっては大いなる侮辱である、
というのは往々にしてありうるものだ。

 国際感覚というのは何なのだろう。
それが日本にあるとも思えないけれど、
外国語の習得と同じように、自分とは違う他者を知る気持、
違うけれども知っていきたい、違うけれども
なんとかわかりあえたらいい。共に進んで行くために、お互いに一歩は折れる。
そういう気持を持つことも大切なのではないかと思う。

フランスの大規模デモ

2015年01月12日 | フランスあれこれ


 昨日、日本時間の深夜、フランスで空前の規模の
デモ行進が開催された。参加者はフランス全土で
400万人程、パリだけでも150万~200万人が参加したという。

 デモが始まったのは日本時間の夜12時頃で、
私は前後1時間くらいのニュースをずっと聴いていた。
ラジオからですらものすごい興奮が伝わってくる。
後ろから聞こえるフランス国歌、時折流れる拍手の渦。


 今回のデモはもちろん反テロであり、17人のテロ犠牲者の
追悼集会でもあって、デモの先頭には犠牲者の家族、
それから40カ国余りの首相たちが並んでいた。
オランド大統領と共にサルコジ元大統領の姿もあり、
ドイツのメルケル首相やイギリスのキャメロン首相の姿もあった。
連帯、まさに連帯だった。様々な国の国旗に様々な宗教が交じり合う。
その中でスローガンのようになっていたのが
"Je suis Charlie" (私はシャルリー)というものだった。
この言葉を掲げ、フランス全土で空前の規模のデモが開催された。


 フランスにおける9.11と言われる程のこの事件は
フランス社会に相当なショックを与え、迷いや戸惑いを
抱えながらもこのデモに参加した人たちもいたという。
今回シャルリーエブドが「表現の自由」の象徴として
国中が"Je suis Charlie"に染まる一方で、シャルリーエブドの絵に対して
今でも批判的な気持を持っている人たちもいる。
イスラム教徒の人の中には、彼らの絵をよしとする
人もいれば、それはいまだに許せないと思っている人もいる。
「けれどもそれは裁判にかけるべきで、あんな殺され方を
するべきじゃない」という意見がルモンドに載っていた。


 フランスにおいて風刺画というのはマリーアントワネット
以前からあるらしく、1つの伝統文化といえるらしい。
だがその文化的背景が異なる人にはどこまでがユーモアで
どこまでが行き過ぎて辛辣なのか、簡単にはわからない。
(ちなみにアメリカにも風刺画はあっても宗教の批判はないそうだ)
同じフランス人でフランス語のニュアンスを解する人でも
信仰が違い、自分が信じているものを侮辱されるような描き方をされると
よく考えたりする前に、まず腹が立ってしまうのは当然だろう。
それでも、まあ言われてみたらそうかもな、とふっと笑える
心の余裕があったらいいのだけれど、必死な状態で生きている人には
そんな余裕なんてない。もし自分が江戸時代の武士だとして、
面白おかしく描かれた「腹切り」の絵を見せられたとしたら?
こちらにはその世界と選択肢しかないわけで 好き好んで
そうするわけでもないのに それを他所の世界の人から笑われたなら
どんな気持になるのだろう。 


 今回私がラジオで一番印象に残った言葉は
サンドニというパリ郊外で劇場をしているフランス人の話で
「私はこういう日がいつか来る、いつか来るって10年も前から
言っていたのよ。本当にそうなってしまったわ。私がサンドニで
劇場をしているっていっても、皆サンドニをフランスだと思っていない。
一緒に仕事をしているのは皆フランス人よ?」
サンドニは移民問題で知られるパリ郊外で、言ってみれば
荒れてしまっている郊外だ。フランスにはきらびやかな
イメージの一方で、移民問題とかなりの格差が存在している。
シャルルドゴール空港からRER(電車)でパリ市内に入って行くと
なんだか殺伐とした郊外が目に映る。こうしたいわゆる
「パリ郊外」は目の上のたんこぶのようなものだった。
だから栗毛色で白人の生粋のフランス人たちは そういう場所を
目にしないように、あまり考慮しないように、対策を
きちんととるというよりは、「取り締まり」ふたをしてきたように思う。

 その問題がいつかひどい形で噴出するわよ!と彼女は
言っていたのだろう。そしてそんな日がやってきた。
曲がりなりにもシャルリー・エブドを襲撃した2人はフランスで
育った人たちだった。同じパリ、とはいえど、恵まれた境遇の
ブルジョワフランス人と移民の子とでは置かれた境遇が全然違う。
それをほとんど放置してきた、その結果としてこんな事件が
起こってしまった・・・そう考えた人もいるようだ。
そのショックというのは「関係のない他国のテロリスト」から
襲撃されてしまったアメリカ、とはまただいぶ違うものだろう。
だからこそ、この先の教育をどうするか、"Quartier défavorisé"
(恵まれない地域 移民の多い郊外など)をどうするかが
これから重要になってくる。この日を境にフランスはきっと変るだろう。
サルコジだってどちらかというと郊外に対して手厳しい対策を
とってきたけど、あのサルコジがオランドに呼び出された日、
ものすごく元気のない声で「こうやって呼び出されたらもちろん
行かない訳にはいきません・・」と言っていた。
郊外に住んでいたって、移民の子だってフランス人だ。
「私たちはイスラム教徒である前にまずフランス人だ」と
ルモンドのインタヴューに答えた人がいた。
移民対フランス人なんて構図はとっていられない。
移民がいなくなってしまったらフランス人の母たちは
働くことすらできないだろう。

 私は移民の多い19区に息子とともに3ヶ月滞在していたことがある。
はじめはドキドキだったけど、ある時ふと気がついた。
この人たちも私も同じ境遇なんだ。子供がいて、お金を
なんとか稼がなきゃならず、毎日を必死な思いで生きている。
ただそれだけのことだった。彼らはとてもあたたかかった。
道を歩いていたらパンを配達中の車が停まり、息子に
バゲットをちぎってわたしてくれたことがある。
歩かない息子を抱っこしていたら何度もアフリカ人に
声をかけられた。「オレも抱っこされてみたいなあ!」
パリで一番くらいに安いマルシェには強いアクセントの
フランス語を使う商人たちが溢れてた。「△△€!」
よく考えたら1,5€ということだった。彼らはものすごく
力強くて、でも温かみがあふれてた。
ラビレットの公園ではしょっちゅうアフリカ人たちが
太鼓をたたく。この人たちも、本国にいるよりも
それでもパリの自由さがいいと思ってここにいるのかもしれない、
ふとそんなことを思ってしまった。
公園に行くとフランス人の母親なんてほとんどいない。
乳母車にのった白い栗毛色の子供をあやすのは
大抵アフリカ人の乳母たちだ。彼女達は携帯電話を片手に
音楽なんかを聴きながら 時折となりの乳母としゃべっては
適当に子供に目をやっていた。それがフランスの現実だった。
彼らには彼らの生活がある。ブルジョワフランス人とは違う。
食べものだって自分の国の料理を作り、着る服だって異なるけれど
それでもフランス語をしゃべってる。中国人でもアラブ人でも
イタリア人でも、自分の言葉や文化がある中で それでも
他人と出会う時にはフランス語を使うのが フランスの
「アンテグラシオン」なのだった。誰しもがフランスの恩恵を受け
自国と比べてやっぱり尊敬する点があり、だからそこに留まっている。


 この数年、フランスは分断されていたという。
フランスが1つになることなんてかなり長いことなかったそうだ。
今これを機に、「以前」のフランスと「以後」のフランスが
生まれていこうとしている。確かに「以前」のフランスは
悪い点も沢山あった。移民政策や郊外に対しても、どちらかというと
冷たく見放している感があったけど、このデモで本当に、
どんな宗教でどんな肌の色であれフランスを思うフランス人だと
いう一体感が生まれたように思う。
二度とこんな事件を起こさぬように変えていく点はきっと大いにあるだるだろう。
そのためにも下の階層に置かれた人たちの声に耳を傾けること 
それが需要だと思う。フランス人は本気になったらすごい。
きっとこの国は変るだろう。
1月11日という日は歴史に残り、21世紀にむけたフランスの
大きな転換期となるだろう。

(写真はデモに参加したParis-Bistro.comの代表の友人が撮ったもの)

追記

パリではその後、亡くなった警官3人の追悼式が行われ、
オランド大統領による26分間の演説がありました。
「彼らは我々が自由に生きるために亡くなった」とのことでした。

ユダヤ系商店で人質となったユダヤ人4人は犯人に殺されており、
それがもとでフランスにおけるユダヤ人の立場も再び問題として
取り上げられています。彼らはイスラエルの一番大きな墓地に埋葬されたとのこと。
パリにおけるユダヤ人の立場の悪化を恐れて即座に家を売り、イスラエルに向かった
ユダヤ人女性の話もラジオで流れていました。

シャルリー・エブド誌は水曜日に300万部を販売されましたが、
発売当日の朝10時にはフランス中で売り切れました。
これから計500万部刷ることにしたとか。500万部というのは
フランスのメディア始まって以来の記録だそう。
表紙にはまたしてもマホメット・・・またイスラム社会で
さすがにやり過ぎ、「挑発だ」などと物議を醸し出しています。
フランスでも「じゃあどこまでが表現の自由なのか?」という話題もあがっているようです。
表紙には"Tout est pardonné" (直訳すると全ては許された)と書いてあり
涙を流したマホメットが「私はシャルリー」と書かれたプラカードを持っている・・・
私にはこれをどう判断したらいいのか正直わかりませんが、
ここまでするかという気持はあります。
(まだフランス人の意見は聞いてきません)

1月15日、フランソワ・オランド大統領はパリの「アラブ世界研究所」で
テロ以前から開催予定だったイベントにわざわざ出向き、自ら演説を行いました。
テロを非難するようなことは言わず、原理主義によって一番被害を受けているのは
アラブの人たちだと語り、これからヨーロッパとアラブ世界でともに
ルネッサンスのような新しい時代に移行しようと演説しました。
大統領としての器の大きさ・・・私は関心してしまいました。
本当に頭が下がります。

デモが終わり、彼らの話題は"On fait quoi?" に移りました。
今からどうする?ということです。テロに対して、表現の自由に対して、
これからの教育に対して、課題は山ほどある中で、一人一人が
「じゃあ私たちは、これからどうする?」と問いかけ、小さな一歩を踏み出すこと
それが大切なのではないでしょうか。

今回のフランスのテロは移民2世の兄弟が主犯となって起こしたものです。
彼らについてはまた今後書きたいと思っていますが(よく知ると普通の人に近い感じ・・・)
今の状況を知るのにとてもおすすめしたい本は内藤正典さんの
『ヨーロッパとイスラーム ー共生は可能かー』です。
新刊に『イスラム戦争』もありますが、上記の方がフランスのテロを
理解するのに役立つのではと思います。岩波新書。

表現の自由

2015年01月11日 | フランスあれこれ


 フランスのシャルリー・エブド襲撃以来
フランスでは相変わらず強いショックが続き
ラジオだけでなく友人達も「そのことしか
フランス人は話してないよ」という。
ラジオではようやくサッカーの話題があがったものの、
競技場でも1分間の黙祷があった程で、この日曜には
ヨーロッパの指導者50人程も集まる相当な規模の
デモがフランス各地で開催される。
(おそらくフランス解放以来の規模のデモになると言われている)

 何故それほどまでに・・・
その反応の大きさに驚き、戸惑いを抱いた日本人は多かっただろう。
先日ブログを書いたあと、「そこまで描いたんだから
殺されることもありうるのでは という意見の人が周りに多かった」
といったコメントをしていた人がいた。やっぱりな・・・
正直そう思ったのは私だけではなかったんだと思ってしまった。

 おそらく編集長のシャルブ氏自身はいつかそんな日が来るかもしれないと
覚悟はしていたことだろう。だからこそ彼はそれでも
描き続けたのだろうけれど、逆に激しく抗議したのは
残されたフランス人たちで、彼らにとっての「表現の自由」は
私たちには計り知れない価値のあるものだった。
フランスと日本には様々な違いがあるけれど、
私たちにその「表現の自由!!」がピンとこないのは
おそらくそこまでの表現の自由が存在していないからだろう。
フランスは国をあげて今表現の自由を守ろうとしているのに対し
日本は国主導で表現の自由を脅かす法律を作ってしまった。
(思えばこれもフランス人達が多少抗議していた)

 私たちの社会では 誰かが命令しなくても いつも自分たちに
内在された秩序があり、それがいつ芽生えたものなのか
それが「ある」ということさえも もはや気づけなくなっている。
震災が起きた後、外国人が驚嘆したのは日本人の秩序正しさだったという。
それはいい面ももちろんあるけれど つねに自分を抑えていくことで
いつの間にか 自分が一体何者なのか わからなくなってしまうことがある。
「あなたの意見を言って下さい」そう言われても
外国語だから ではなくて 自分の意見自体がわからない。
留学先でそんな経験をしたことのある人は多いだろう。

 もし大変なことを口に出してしまったら・・・
人にどう思われるだろう。 その先何が起こるだろう。
その恐ろしさといったらない。だから私たちあえて口をつぐんでしまう。
非難されるくらいなら、馬鹿にされるくらいなら、危険な目に合うのなら
そんなことを言わないか、削除した方がましだろう。そんな目に合うのなら
心の奥にこっそりしまって、皆に合わせておけばいい。
私たちの住む国で人と違った意見をあえて口に出すことは 死ぬ程勇気がいることだ。
村八分になるかもしれない。仲間にもういれてもらえなくなるかもしれない。

 だからこそ 人とは違う自分を表現してしまうのは いつも恐れがつきまとう。
表現者 が どれほどの怖れを抱いて物事を表現するのか
それは人にもよるのだろうけど 私の場合はかなりの勇気が必要で
書いては消し 書いては消し えいやっとその溝を飛び越えるのに
どれほどの勇気がいっただろう。それでもフランスのジャーナリストは
私に背中を見せてきた。「大丈夫、もっとできるから!あなたも
書いたらいいのよ!」と。「ミキ、もっと勇気を持つんだ。
自分の意見を言ってきちんとした批評をすることで 君についてきて
くれる人がいるんだから」けれども私は怖かった。おそらく他の人もそうだろう。

 日本にある自由というのは いつも限定がついていて
「~の範囲内においては自由にして構いません」
でもその範囲を逸脱してしまったら?国は責任を追いません。
しっかりと、社会が良いという範囲内で それなりの人生を送って下さい。
もれてしまったら?それはあなたが悪いでしょう。それを自己責任と言うんです・・・
私は自分なりの人生を歩みたくなり 少し道を外れてしまった。
その先の対応といったら本当に恐ろしいものだった。
Aという道は用意されています。
でもBという道はありません。用意されていないのです。

 フランスを擁護するわけではないけれど、フランスはまた
だいぶ違う。表現の自由というのは結局「自分の意見を言う自由」
ということだろう。その手段は議論でも、描くことでも文章でも
踊りでも構わない。他の人とは違った意見を持っていること
それがフランスでは尊重される。イエスというより少しでも
批判できる点を見いだしてこそ評価される社会になっている。
「私とあなたは違います。で、それで?」という風に
社会の仕組みがなっている。

 私がパリ政治学院に留学した時 色んなことがわからなかった。
まだ日本の気持にどっぷり漬かり、フランス語のレベルも低く
民主党的な夢を抱いていた私には フランスの現実主義がわからなかった。
政治学の基本というのに「人間は自然状態ではオオカミである」
というのがあった。そもそもそれがわからなかった。
日本にいた私にとっては人間は自然状態でも秩序をもっているように
見えたから。今ならわかる。私たちは日々の成長過程で
それを内在させるよう、たゆまぬ努力をしているだけだ。
そしてそれに気づかなくなってしまうほど、一体化してしまっているのだ。

 自然状態がオオカミであったなら?ある権利を手渡すことで
そのかわり、国や法律が皆を守ってあげましょう・・・それが
フランスで習った国家というものだった。

 国家なんてね、国なんてね、もうそんな時代じゃないよと日本の友は言っていた。
けれど今のフランスは 国家とは何かを見せつけてくれている。
国は必死になって国民を守る。今だけでなく、原発事故直後に
フランス政府がとった対応も迅速だった。
飛行機は無料で到着後の空港での放射能のチェックも厳重だった。
その飛行機にフランス人の旦那さんと飛び乗ったという
日本人女性の話を聞いて、どんなに羨ましかったことだろう。
日曜日のデモも国を挙げて行われ、警官が2300人体制で取り締まりをするそうだ。
国 というのは その国の国民によって成り立っている。
国民には色んな宗教の人がいる。カトリック、プロテスタント、
イスラム教にユダヤ教・・・でも今や宗教は関係ない。
その前に私たちはフランス共和国の国民だ、と多くの市民が言っている。
革命があり、自由・平等・博愛という理念があって、何より
大切にしてきたのは自由、あなたがあなたの意見を表明する自由であった。
何故かといったら、そこからフランス革命が始まったからかもしれない。
そして彼らは自由を勝ち取り、市民のための「共和国」が誕生した・・・

 結局多くの人がフランスに憧れ住み着き移民となったのは
経済的理由だけでなくフランスの「自由」あってこそだろう。
それはどんな風に振る舞っても良い暴力的自由ではなく、
あなたのしたいことと私のしたいことを認め合う自由に見える。
あなたはそうなんだね・・・私は違うけど。それはフランス語という
言語にも表われている。教科書の一番最初のころに出てくる
"Moi" や"Toi" これは英語にはあまりない概念らしく、私は
こう説明している。「あなたはイギリス人なのね、私の場合はね(Moi)、
私は日本人なのよ。」「あなた(Toi)、あなたは紅茶にするのね。
私はね、(あなたとは違って)コーヒーにするわ」
私はあなたとは違う。でもそれだけのこと。だから議論を好むのだろう。
誰もが同じ意見だったら、議論なんて成り立たないから。

 みんなが違う、その前提でこれからどう国を成り立たせるか
どう教育を成り立たせるか。だからこそ、強力な「ライシテ(政教分離)」
や「アンテグラシオン(統合 主にフランス語での教育)」があるのだろう。
フランスの市民が平等かどうかは別にしても
「表現の自由」それがあればこそ 自国にとどまっているよりも
生活が多少苦しくたって それでもフランスに住もうとするのだろう。
自分が自分であれる喜び 自分らしくしても責められないこと
その心地よさというのは きっとかの地に住んだ人なら
経験したことがあるだろう。それは計り知れない喜びで
そのためだったら生活が苦しくたっていい。パンとチーズがあればいい。
だからフランスには歴史的に数えきれない程の芸術家が住み
フランス人たちはそれを誇りに思ってきた。
表現の自由、勇気をもってそれをついに表現したとき
「それ、いいじゃん」と言ってもらえるその喜び。
そういう土壌がある場所だから 生まれるものがあるのだろう。









フランスの新聞社 シャルリー・エブド襲撃事件について

2015年01月10日 | フランスあれこれ
 「フランスで新聞社襲撃 12人死亡」
朝電車に乗っていた時、ふと目の前にいた人の新聞の
見出しが飛び込んできた。え?なに?嘘でしょう?
動揺しながらすぐにFrance infoのニュースを聞くと
普段のラジオの調子とは全く違う、深い悲しみが伝わってくる。
「彼は本当に優しい人だったんだ。人を傷つけようなんて
気持は微塵ももっていなかった。友人を亡くす悲しみが
こんなにも辛いものなんて・・・」ほとんど泣きそうになりながら
亡くなったシャルブ氏について語る人がいた。
その時私には15分くらいしか時間がなく、一体何が起こったのか
よくはわからないけど、ただ事ではないというのを痛感した。


 私がそれを知ったのは木曜の朝、それから少しでも
時間があるとひたすらラジオを聞いて、ルモンドを読み、出会ったフランス人と
会話をし、理解を心がけてきた。印象としてはフランスにおける
9.11と言ってもいいくらい、フランス人たちは相当なショックを
受けている。けれども日本ではどうも受け止め方が異なるように思う。
だから私は知っている限りのことを書いてみよう。
遠くに住む私ができることは訳すことと書くこと、
きっとそれくらいだと思うから。



 シャルリー・エブドが襲撃され、12人もの関係者が亡くなり、
フランス中には激しい悲しみとショックが広がった。
私は9.11の時にフランスに留学していたけれど、
今回はおそらくそれと同等かそれ以上のショックが
あったのじゃないかと思われる。オランド大統領が
エリゼ宮に政敵のサルコジ元大統領をわざわざ呼び、
サルコジもすぐにそれに応じていった。国旗は3日間
掲げられ、木曜日には学校やメトロなどでも
1分間の黙祷の時間があった。容疑者の
逮捕に向けてもまさにフランス中が1つになって動いていたのが
感じられる。フランスのニュースはそのことしか話さない。
あまりのショックと、激しく緊迫した状態が
ラジオ1つからでもひしひしと伝わってくる。
そんな経験は初めてだ。



 「シャルリー・エブド」という週刊誌の名前を事件前から
知っていた日本人はきっと少ないだろうと思う。
私もまず新聞の見出しで「新聞社襲撃」と知り、
一体どんな新聞社かと思っていた。ここで大切なのは
「どこでもいいどこか」の新聞社が襲撃されたのではなく、
シャルリー・エブドがしっかりと狙われたということだ。
そこにフランス人は相当なショックを受けている。
何故なのか。シャルリー・エブドというのは1960年に創刊された
「アラキリ」という雑誌を前身とした週刊誌で
ご存知のように風刺画をウリにしている。
その風刺の仕方は私たち日本人からするとちょっと
やり過ぎじゃないの?とか、ここまでする?という
印象を受けることもあるけれど、フランスでは相当
愛されてきたようだ。「アラキリ」は60年代前半から
月刊誌を創刊し、社会風刺、社会批判的なことを続けてきたため、
何度も出版禁止にされてきた。
「アラキリ」というのは「腹切り」、つまり切腹という意味だ。
それがタイトルになっている。しかも切腹、ではなく腹切り。
そういう名前の週刊誌というのもどうかと思ってしまうけど、
「アラキリ」もかなり愛されていたらしい。


 シャルリー・エブドの風刺については、何も
イスラム教だけに限ったことではなく、イスラム教、というよりも
イスラム原理主義など、行き過ぎてしまったものに対する
風刺を中心としていたようだ。イスラムだけでなく、キリスト教や
ユダヤ教に対しても風刺があり、NHKの生前のインタヴューでは「マルクスを
批評するのと同じように、宗教家だって批評されてもいいではないか」と
編集長のシャルブ氏が語っていた。
(ちなみに宗教への風刺という概念はアメリカにはないらしい)


 さて、ここで私たちにとってわかりにくい問題が出現する。
それはフランスの「ライシテ 政教分離」というものだ。
フランスはフランスで生まれたら、親の国籍がどこであろうが
子供はフランス人になれるという出生地主義を長年とってきた。
そのかわり、フランス共和国の一員となったからには
「アンテグラシオン」をしっかりしてもらいましょう、という
暗黙の了解がある。この「ライシテ」も「アンテグラシオン」も
フランスに住むとよく耳にするけれど、留学当初は
辞書でひいてもまったく意味がわからなかった。
まず、アンテグラシオンというのは「統合」と訳されるけれど
「フランスに住むからにはフランスを受け入れてもらいましょう」
というもので、その最たるものにフランス語教育がある。
フランスの優れた教育は受けさせてあげるから、フランス語は
しっかりとやりなさい。母国語でのみの生活はだめ!ということだ。
私はこの強烈な「アンテグラシオン」でフランス語漬けの生活を余儀なくされた。
おそらく政教分離もそのアンテグラシオンの1つと言えるだろう。
どんな宗教を持っていても構わない。けれども公教育の場では
それをあえて明示するようなものを身につけてはいけない。
キリスト教徒が十字架の首飾りをするのもダメ、イスラム教徒が
スカーフを巻いて授業を受けるのも・・・本当はダメだと思う。
このあたりで議論が巻き起こり、「イスラムスカーフ問題」というのが
随分前にかなり問題になっていた。


 さて、そのアンテグラシオンやら政教分離があるので、
親がどの国出身でどんな宗教を持っていようがフランス国民として
平等に生きていけることになっている。とはいえ本当に違いがないか、
住む場所や肌の色、名前で判断されていないかといえば
実際には「平等」なんて言えないだろう。アンテグラシオンは
うまくいけば(理念上は)素晴らしいけど、そんなに簡単に
適応できないこともある。フランスは今でも階級社会の名残が
あり、地区ごとに生活環境もかなり違うので、移民の子として生まれ、
様々な葛藤や感情を抱いて育つ人がいるのは想像できる。

(今朝のLe Mondeにはシャルリー・エブドの絵に対して今でも怒っている
イスラム教徒の中学生の話が載っていた。)



 それに対してシャルリー・エブドの立場はというと、裕福で
恨まれるようなブルジョワ金持ち、というわけではなく、
どちらかというと左翼の闘士に近い感じのようだ。
シャルリー・エブドはまさに「表現の自由」という
フランスのプレス、フランスの文学、哲学の根幹とも
言えるようなものを代表し、具現しつづけていた雑誌社だった。
昔から何度か出版禁止になり、火炎瓶を投げ込まれ、
事務所がほぼ燃えてしまっても、引っ越しを重ね、
それでも出版を続けてきた。表現することのリスクや
怖さを自ら体感しつづけてきた上で、それでも
彼らは表現し続けた。私のまわりのフランス人たちによれば
彼らの風刺画はあくまでもユーモアであり、誰かを
傷つけようという意図ではなく、「ちょっとこういうのって
行き過ぎ難じゃないの?」という状況を風刺画で
描いていた、ということだ。


 日本で今のフランスの状況が伝わりにくいのは、
日本の状況に還元して考えるのが難しいからだろう。
何度も私も考えたけれど、おそらく日本にはシャルリー・
エブドに相当するものはないだろうし、だからこそ
その「表現の自由の象徴」であった彼らを失った
ショックもあまりよく理解できないのだと思う。



 個人的には「そこまで描く?」とか行き過ぎでは?と
思うこともあったけど、冒涜、侮辱のためではなく
それでもあえてやり続けるというのは彼らなりの強い意図が
あるからだろう。それは笑ってやろう、というのではなく
おそらくそういう姿を自分が客観的に見ることで、あれ、
それって変じゃない?行き過ぎかも?何もそこまでしなくても、
と自らを問い直す、言い換えれば"Philosopher"(哲学する)
当たり前だと思っていた姿を問い直す、
ということをしたかったのかもしれない。
だとすれば、フランス人が必死になってシャルリーの
精神を守ろうとしているのも理解できるように思う。



 シャルリー・エブドはリスクを承知でそれを続け、それでもフランス社会には
多くのイスラム教徒でさえも「シャルリーを支持する」と
言えるほどの寛容さや成熟した視点があった。
私が個人的に驚いたのは、今回かなり早くにイスラム教関係の
代表者達がラジオの取材等に応じ、悲しみとシャルリーへの
支持を示したことだった。彼らの多くは言っていた。
「容疑者のしたこととイスラム教とは何の関係もない。
イスラム教は平和を願う宗教だ。」イスラム原理主義と
イスラム教には深い隔たりがあるらしく、多くのイスラム教徒が
またイスラムの名の下に、自分たちをひとくくりにされる
何の関係もない事件が起きたことに強い衝撃を受けている。
この日曜日にはパリで大規模なデモ更新が予定され、
そこには数多くのイスラム教徒が参加するだろうと言われている。
フランスでは事件後から"Je suis Charlie"(私はシャルリー)と書かれた
プレートやFacebookの画像を持つ人が増えている。
その中でも「私はイスラム教徒 私はシャルリー」とあえて書く人もいる。

 フランスにはルソーの時代から、他の国では許されないような
表現に対する寛容さが守られてきた。だから多くの亡命者が
やってきた。ルソーは言った。「自分の国では書けないことを
フランスでは書くことが出来る。」ゲートルード・スタインも言った。
「作家は2つの国を持たなければなりません・・・」そして
アメリカ人の彼女はフランスで書いた。ジェームスジョイスの
本だって、本国では発禁だった。それをフランスで発売した。
多くの国では許されないことを、フランスはそれを誇りに思って
許してきた。けれどもその象徴的な人物が、本国のパリで
自分の会社で惨殺された。おそらくそれが
ものすごくショックなことなのだろう。


「ペンにはペンで立ち向かえばいいではないか」
私にそういった人がいる。それが誰にでもできることではなく、
そういう言い方がまた階級や、生粋のフランス人と
そうではない人たちの立場の差を感じさせてしまうのでは
と私は思ってしまうのだけど。あなたにはできるかもしれない。
でも私達はそもそもそんな世界に行くことすらできなかった、
そう思う人たちはいるだろう。けれども誰しもに共通するのは
「だからといって何も殺すことはない」まさに本当にそう思う。
それに容疑者はアルカイダで訓練を受けたようなプロだったから
それこそ一般の人たちの感覚とはかけ離れているのかもしれない。


 日曜日には前代未聞の規模のデモが開催される。
シャルリー・エブドは諦めず、来週の水曜日には100万部を刷るという。
フランスにはシャルリー・エブドという、ペンで戦い続けた人たちがいた。
サルトルも彼らを応援していたという。書く、というのはリスクを伴う。
誰よりもそれを承知していたシャルブ氏たちは、それでも書くという選択をした。
信じられないほど勇気のある彼らの姿 そしてこれからのフランスを
もう少しちゃんと追ってみたい。

参考文献 Le Monde.fr , franceinfo

フランスに行くなら

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