alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

信頼と自信

2012年06月10日 | カフェと社会変革


 今日は日曜だというのに朝6時半におき、重かった腰をあげて
クルミドの朝という哲学カフェに行って来た。


 クルミドで哲学カフェがあったらいいと思うんです、、、なんて
いつだったか影山さんにお話をしていた日があったけど
パリに行ってそれを確かめ、実際に実行に移してしまうのが
影山さんのすごいところで、もう1月から10回以上開催されているのだろう。


 さて、そんな哲学カフェで話したことは、私が前から気になっていた
信頼ってどうやってつくられるのか、信頼って何なのか?ということで
そんなテーマを投げかけたら興味を持ってもらえた人が多くて
それについて話をしてもらえることになる。


 詳しいことはまた他で書こうと思うけど こちらででてきた
話によれば、心をオープンに保てていると自分の判断に自信を持てる機会が多いらしい。
ところが人に信頼されようとして人の目を気にして何かをしている時には
意外とそれが信頼につながっていなかったりだとか 面接に落ちたりだとかで
どうもうまくいかないような、、、


 信頼とは?という1時間半の話の後で、私なりに出た結論というのは
信頼は他人に対してする片思いのようなものであり、裏切られてもまあ
仕方ないと思えるくらいのものらしい。それが社会的信用とか契約とは違うとこ。
そう考えると信頼というのは自分の判断への自信に他ならないんじゃないのかな。
他の人たちがそうじゃないんじゃない?と例え言っても、自分が自分に自信を持つこと。
そこで判断したときにたとえうまくいかなくても責任をとれること。
そういう人が人を信頼して「君、やってみたまえ」と言うのかな、、、


 私がこのテーマについて悶々と考えていた理由の1つに、影山さんやら
キャトルセゾンの社長さんやらが即座に判断を下して何かを
任せてくれたことがあるからで、どうやって?どうして決断が下せるのだろう?と
不思議で仕方がなかったからだ。私の場合は判断にいつも自信がなくて
後悔したり後ろを向いたり、時には泣いたり。あんたが決めたことでしょう、と
言われたところであんまり自信がないものだからぐらぐらグラグラするのだけれど
私が出会った彼らは揺れない。そんな彼らは雲の上にいるような存在だった。


 今日でてきた私なりの結論では それは彼ら実業家の人たちが
自分の判断に自信をもっているからで かつ実績だってあるからで
きっとそれの積み重ねでこそ 彼らは今あるようになれたのだろう。
そういうことができる人だからビジネスがやっていけるのかもしれない。


 そして結局人の判断や社会的基準じゃなくて 
自分が自分に自信があれば そして人生にも自信があれば
ものごとは大きく変わる。学歴?英語?英才教育?人間の将来のために
大事そうにみえることは山ほどあるけど 私はこの1年の困難の中で
自信さえあったなら 人生は大きく違うのではないかと気が付いた。
それこそが根本なのでは?それさえあれば おそらく人生は開けてく。
自信のある人は人にチャンスも与えてくれる
そうして人を開かせてくれる そこで自信を得た人は
他の場所でもやっていける 大丈夫 自分はできる どこにいっても
やっていける そう思えたのなら飛び立てる。


 福島の事件があってすぐに飛び立て引っ越しまでできた人たちは
他の場所に移り住んでも自分は稼げる 人生はなんとかなる、と思えた人たちなのだろう。
でも不安要素が勝ってしまうと 重い腰は上がらない。
大丈夫、できる、うまくいく。そう思える人は強いと思う。
では自信を得るためには?何がキーになるのだろう?


 哲学カフェではいろんなことを考える。そして次のテーマが浮かぶ。
そんな場所が日本にもある うちからはちょっと遠いけど
でも日本語でそれが語れる。それはとてもありがたい。
私もどこかもっと近場で 哲学カフェをやりたいなあ。。。

2012年04月02日 | カフェと社会変革


 「わーお花が咲いてるねえ!春だねえ
今年はきっといいことあるよ!」と 梅やら早咲きの桜を見るたび
蓮太郎に言っていた。今年ばかりは 私も春がうれしくて
だって大変な年だったから 苦しい思いは散々したから
もう春こそは幸せな気持ちになっていたい もうトンネルを抜けたい、
いや抜けるはず!という想いで 枯れてるように見える枝から 
一斉に生命力を吹き出す梅や桜を目にする度に 
大丈夫 私にだって春が来る と 心からそう思ってた。



 3年9ヶ月 という長い長い年月がたち
みんなはこの間 どう変わって行ったのだろう?
カフェをやる といって動いていた友人は カフェを開いて
けっこういい場になっていたのに 3月末でやめたらしい
他の友人はどうしてるかな?何回か転職したり?私と同じ団地に住んでた
蓮太郎と同い年の子がいる友人は 2年前の四月に子供を
保育園に入園させてはじめは仕事をしていたけれど 
それから子供が生まれたりとか なんだか激動だったらしい。

 みんなのことがうやらましい うらやましいなと思って来たけど
この間ほぼ4年の間に どれだけ何かが変わったのだろう
私の場合は ずっと蓮太郎と一緒に過ごした。それは価値判断じゃなく
私のやろうとしていることややってたことでは保育園が入園許可を
くれなかったり 自分の移動の都合で書類申請ができなかったり
いろんなことが重なったからで この3年9ヶ月は長かった。


 だからこそ ものすごい短時間に集中して何かをしたりは
できるようになったのだろうと思うけど


 この先いったいどうなるのかなあ、、、、


 今日は保育園の入園式。蓮太郎と一緒に午前中だけ時間を過ごして
中学生のボランティアの時以来みたいな保育園の3歳児クラスの様子を
観察しながら なんだか不思議な気分に浸ってた。


 ずうっとこの子が居たけれど 今も目の前で眠っているけど
蓮太郎が生まれて以来 彼は私の生活の中にドーンという位置を占めて来た。
でもこれからはきっとちょっと違う。私 という人格の中 に 私がどこからか
帰って来た。それは去年の夏くらいから思っていたことでもあって
私はすっかり忘れきってた「私」というのを思い出す作業をしていた。
そう 中学生のころ どんなものが好きだったっけ
高校のころはどうやって自分のことを喜ばせてた?
ハーブティは?マッサージは?好きなものとは何だろう?
すっかり忘れてた「自分」というもの それがようやくわかってきたころ
「自分の時間」がやってきた。


 もう 蓮太郎は理由にならない。




 「蓮太郎がいるからできない」それはもう理由にならない
ついにそんな日がやってきた。言い訳じゃなくて 本当に無理だよ?!と
思うことは山ほどあった それでもなんとか動いて来たけど動きは
かなりのろかった。夢や何かを次々と実現する人に大切なのは
スピードだろう。でも私は亀みたいにのろかった
果たしてそれは 加速することができるのだろうか
それとも?何も変わりがなければ「蓮太郎がいるから」じゃなくて
「私がやれなかった」だけになってしまう。これから変わって行けるかなあ?


 神様は 7割くらいの準備がそろった時に 何かをプレゼントしてくれるらしい
だから何かが欲しければ まずはそれを受け取れるだけの心の準備 それから
具体的な物や環境の準備がいるらしい。それが「よし まあ行けるか!」と
神様に判断されたとき プレゼントが来るのだろうか
3年9ヶ月してやっともらえたプレゼント 私は描いていたことを
実現できるようになるのだろうか


 何かが現実になったとき 「ああそうか あれがなかったらこれは無理だった!」
とわかることがあるわけで そこまでの段階に達してないと そのこと事態が
起こらない。フランスに?いつか行ける日も来るのだろうか?
幼稚園ママとフランス語で会話する日も?その時までには
やっぱり蓮太郎にフランス語の特訓をしとかないとだめかしら?とか
バカなことを考えるけど 沢山のことの準備がそろえば
次のステップがきっと向こうからやってくる。それがいつかはわからないけど
もうバタバタしなくていいように これからの時間を活かして
イメージを具現化していこう。

社会不適応?

2012年03月02日 | カフェと社会変革


 「i phoneのことなんだけどね、オーストラリアで買おうかと
思ってるんだ。オーストラリアで買って、日本でシムカードを入れて
フランスでもシムカードを変えて」
「それってうまく行くの?オーストラリアのi phoneってフランスでも
使えるの?」「使えると思うよ。でも日本のはフランスでは使えない。
僕が使いたいのは3GのGPSだから。wifiじゃだめなんだ」
「フランスのiphoneを日本で使っても国際電話扱いになっちゃうしね
あなたはインターナショナルな人であっても
世界はあなたほどインターナショナルになってないってことね」

 と 笑いながら私は言った。


 そう 世界はまだそこまでインタナショナルになってない。
3カ国にビザを持って行き来している人がいるとしても
国の壁はまだ厚く、同じiPhone1つをとっても、色んな壁が待っている。


 広尾のカフェで 昨日はいろいろ考えていて
あるときはっと気がついた。


 もしかして、、、 私たちが社会に適応できてないんじゃなくって
社会が私たちに合っていないのだとしたら??


 こんなこというと男性陣にバカにされそうではあるけれど
でももしそれがそうだったなら これはコペルニクス的転換だ。


 そもそも社会って誰がつくっているんだろう?
社会って誰のためにあるんだろう?子育てを再生産と言ったりするけど 
もしかして私たちは子育てよりも 物事を深く考えることなく、
社会こそ再生産を繰り返してはいないだろうか?
チャップリンが私たちは歯車になってるんだよと警告しても
あまり深く考えることもなく 「こんなものだ」ということで
ただ与えられた 所与のものとして再生産を繰り返し
それを子供に教えて行くけど さて それで本当にいいのだろうか?


 正気って何なのだろう?と私は昨日考えた。
シュールレアリスムの創始者アンドレ・ブルトンは
「私たちの属しているこの社会は私には気が狂っているという印象を
与える」と言っていた。社会からおかしいといわれていた
ブルトンが狂っていたのか はたして社会が狂っていたのか?
今の日本は 私の本を読んでくれた人も言うけれど
ブルトンやボーヴォワールが「そんなのおかしい!!」と思っていた
社会的制圧の強すぎる社会に似ていて 私が本の中で示した彼らの
苦しさを 自分のものとして感じてくれる人もいる。


 私はずっと自分がおかしいのかと思ってた。でも
正気といわれるものは結局その時点の社会構造にうまく
適応できているかどうかであって それは社会や時代によって変化する。
エーリッヒ フロムはこう書いていた。

 「よく適応しているという意味で正常な人間は、人間的価値については
しばしば、神経症的な人間よりも、いっそう不健康であるばあいも
ありうるであろう。かれはよく適応しているとしても、それは
期待されているような人間になんとかなろうとして、その代償に
かれの自己を捨てているのである。

 これにたいして、神経症的な人間とは、自己のためのたたかいに
けっして完全に屈服しようとしない人間であるということもできよう。」
(『自由からの逃走』p.156)

 そしてアーティストといわれた人たちは自己を捨てるくらいなら
「病気」と言われる方がましだと思って生きた人たちだった。


 『cafeから時代は創られる』を書いてからだいぶ時がたち
私は最近思うけど アーティストなんて 実は特殊な才能を
持った人ではなかったんじゃない?クリエイティビティって人間に
備わった素質なんじゃない?誰かはそれを諦めなかった。
多くの人はどこかで諦めて「適応」する道を歩んだ
違いというのはそれだけのことではないのだろうか?

 だけど本当は 人間はこの社会に簡単に「適応」できるほど
シンプルになんてできていない。本当はもっと渦巻いていて
沢山の悩みや思いや才能があり 産業社会で求められるような
単純なことをずうっとしてたら幸せになれるようなもんじゃなく
もっとカオスで複雑なのが人間なのだろう。
人間はただのホモエコノミクスじゃないと思う
経済活動さえしてればそれで満足なんてことないのだろう
だからどこかで私たちは問題を抱えたまま生きる
そこである人たちは病気になって ある人たちは鬱になり
ある人たちは引きこもる。ある人たちは海外に脱出を試みる。
どこかがきっとおかしいのだけど 私たちはこう思う。
「適応できない私がおかしい」そうして自分を責め続ける。



 本当にそうなのだろうか?



 今朝ものすごくリラックスした気持ちで蓮太郎と
バカなことをやって遊んでいたら 2人とも
大笑いの連続で 私たちはとても気持ちがよかった。
ああそうか 蓮太郎ってやわらかくてしなやかで
なーんだこれくらいリラックスしてるから
だからいっつも笑っているのか!とやっと彼の人生を楽しむ秘訣を
理解できたような気がした。
彼はいつもバカでアホなことばかりするのだけれど
もしかしたらバカなことが本当で まじめくさって
しかめっつらした大人の社会が 実はおかしいのかもしれない。
子供は吸収が速いというけど それは子供の脳みそが
大人と全く構造が違うとかじゃなく もしかして
これだけリラックスしてまだ丸い頭でいられるから
スポンジのように沢山吸収できるのかもしれない。
だったら大人も?もっと子供のようにバカになりアホになり
力をだらりと抜いてみたら すごく変わるのかもしれない。
そしたら子供と同じくらい 創造的になれるのだろうか。
そうしたらリチャード・フロリダのいうような
かなりのクリエイティブな都市が生まれていくんじゃない?
(彼の理論ではそうして都市が活性化され経済的に成長する)


 19世紀末ウィーンも 大人は真面目くさってた。
ブルトンがいたころのパリの大人もそうだった
だけどカフェに集った彼らは挑発してって後の社会を
変えてった。だからだろうか 今はウィーンもパリも
そのころに比べればよほどリラックスして芸術にも寛容で
人々が生きやすい街に思える。日本もカフェから
何かが変わっていくのだろうか?
私たちの社会がもっと 私たちに合っていく日
もっと自然な顔して大人も笑える日というのが来るのだろうか
それが遠い未来であっても いつかそんな日が来てほしい



カフェ的対話が何かを変える? Cafeから時代は創られる、できました

2012年01月24日 | カフェと社会変革

 1月からすっかり福島モードになっていて
他のことがかなりおろそかになっていたけど
本当は そう、拙著『caféから時代は創られる』の
第3版が完成したのです(しかも年末には家に届いてた)


 カフェ、、ねえ、、、と
頭が福島のことでいっぱいになっている時は
自分のやってきたことまでも疑りたくなってしまうけど
いやいや、そんなはずはない。きっとそんなはずはなくって
カフェ的な対話というのや カフェのような場 というのは
これからの時代 とても大事になると思う。


 例えば福島に こんなカフェがあったなら?
飲み物はみんなミネラルウォーターでつくられていて
柿の葉茶やドクダミ茶とか リンゴとか酵素を使った
メニューのご飯や玄米ご飯とかが色々あって
世界中のメディカルハーブとかエッセンシャルオイルが
集まっていて 気になる症状によって誰かがそれを調合してくれ
カウンターのまわりには沢山の人が なんとなく話をしたくて
集まっている。そこには世界からのジャーナリストも集まっていて
自然と英語の会話もあって もちろんみんな 話しだすと
熱いから 熱い議論が生まれてる。でもただお茶を飲みにきたっていいし
本を読みにきたっていいし 赤ちゃんとのんびりしにきたっていいし
誰かと出会いたくってきたってよくて みんな思い思いに
そこで時を過ごしてて 誰も家で鬱々としていたくないから
その店はいつも人で満ちていて いるだけでなんだか気分がよくなっていく
そこにいったら 福島のことや 新しいエネルギーとか
これからの世界観について 沢山の情報が手に入る、、、


 「福島はね 今パワースポットだと思うんです」と
福島でフリーペーパーを作っている人が私に向かってそう言った。
え、本当??と思いはしたけど なんだかよくわからないけど
魅力がある それは確かなことだと思う。そしてこれから
また沢山の人がそこにやってくるだろう。本当のことを知りたくて
現実の福島を知りたくて。だからこそもし 可能であったら
福島にそんな情報が集まっていて 不安なことや 気になることを
ちょっと誰かと話していたい そんな人たちが集まるカフェ的な場が
あったらきっと いいだろうと思うのだけれど
外部から来る人たちにとってみても、、、


 そんなカフェ は 福島だけじゃなくって
これからいろんなところで必要になってくるんじゃないのかな
彼女は「仮面」についての話もしてた。仮面があるから
本当は 本心では 怖いとか そんなの嫌だと思っていても
県の誰々さんだとか、八百屋の誰々さんという「仮面」を
かぶった自分になると とてもそんなことが言えなくなると。
だから居酒屋に居るとき以外 いっつも仮面をかぶってしまうような
日本でこそ カフェみたいに 仮面をはずして 誰でもなくて
ただのそこで出会った個人みたいな感じで ぽろっと本音の
話ができる そんな場所が大切なんじゃないのかな?


 私たち は あまりに仮面を長いこと かぶっていたから
仮面が顔に張り付きすぎて 脱ぎ方すら忘れてしまったかもしれない
いつから仮面が張り付いていたのかすらも 記憶にはないのかもしれない
それらは他人にむけて作られた顔で 「こうでなければならない」という
顔だった。でも本当は どこか遠くにやられてしまった 自分というのも
いたはずだった。本当は 歌うのが好きで 本当はちょっと恐がりで
本当はそんなことはしたくなくって 本当は、、、


 カフェには建前は必要がない。カフェには仮面は必要ない。
カフェは昔から 社会的身分から解放される場所だった。
あなたがたとえ社長でも 隣に座った私とせいぜい同等の権利しかない
そんな場所がカフェだった。そこで社会的身分を気にせず
ぽろっと口に出した言葉が 本当は的を射ているかもしれない。

 カフェにはいろんな役割がある。住環境が悪かったとき
人々が集ったのもカフェだった。みんながそこで時を過ごせば
家で暖房を使わないでいられるし 誰かがいるから
なんとなく寂しさから逃れられるし でも好きなことはやっていられる
それにカフェでは干渉されることもないから 「一人でいたいと
欲しながらも 誰かがいないと生きられない人たち」にとっては
格好の場所だった。そんな場所 は 不安な時代にこそ
必要とされていると思う。カフェが本当に力をもって不思議な
魅力を放ち始めていた時代 は たいてい戦時下だったから。


 不安なときは 誰かと一緒にいたいと思う
家で一人でテレビを見るより 誰かとそれを見て
誰かと意見を交わしていたい そこにお茶があったなら
それだけでほっとするだろう。私は震災直後にどうしていいか
わからずに 堪え難い想いを吐き出したくて京都中のカフェを
廻った。でもどこにいっても「ここだ」とは思えなかった。
そして最後に 確かもう航空券をとることに決めていた夜
カフェで開催されてた日仏交流会に行き ああここだけは
不安や放射能やいろんなことについて 思ったことを口にできて
みんなでそれを話していられる それがやっぱりフランス風のカフェなんだ
だから私はフランスに行こう と その時は確信してしまったのだけど


 そんな時 に 誰かに想いを打ち明けられる
ちょっとでも聞いてくれる人が居る カウンターにいた隣の人と
少しでも意見を交わして不安な時を共有できる そのうち
ドキドキしてた気持ちがいやされて「じゃあいってきます!」に変わってく
そんな場 が カフェだと思う。そんな場は 結局のところ
なかなか存在しないけど 日本にもっと増えてほしい。

 『cafeから時代は創られる』これはパリの昔のお話ですが
カフェという場のもつ魅力、力づよさ、社会的役割について
考察、力説している本です。現代にも活かすことはもちろんできると思います。
また増刷しましたので興味のある方はご注文ください。
アマゾンでもそのうち注文できるようになると思いますが
お早めにという方はalternativeway@mac.comまでお願いします。
送料込みで2900円でお送りします。
(ちなみに東京 西国分寺のクルミドコーヒーさんでも購入可能です)


カフェでの革命

2011年08月31日 | カフェと社会変革



 今日はうーん引き寄せの法則ねえ 法則、とは
言っていたけど本当にいいことあるのかなあ、と
ちょっと疑問に思っていたけど 想像を超えて
飛び上がって喜んでしまう様な出来事があり
本当に嬉しくて蓮太郎と踊ってしまった。


 というのは前々から愛読していて読む度に
深く共感していた『人が集まる』の著者、浜野さんから
なんと電話がかかってきたからで、それというのも
私が2週間くらい前だったかに浜野さんにお手紙と
本をお送りさせていただいたからなのだけど
もう返事もなさそうだしだめだったかー
やっぱりな そうとう大物だろうしなあ
私は読む度にものすごく共感してしまっていたので
勝手にわかりあえる友達みたいな気分になっていたけど
浜野さんは渋谷のスクランブル交差点前の
スタバのあるビル Qフロントを開発したという
すごい人なので(よく知るほどにこんな人が
ありうるのかと思ってしまう)私が想いは
込めたとはいえ、半分泣きながらすがるような
気持で書いたあの手紙は たしかにちょっと字が
汚かったしだめだったか、、、と思ってた。


 ら、なんとご本人から電話があった!!!

 もうそれだけで飛び上がるように嬉しくなった。

 やっぱり引き寄せの法則ってあるのかなあー
これはさすがにすごいなあ 毎日なんとか
ポジティブになろうとしてきてよかったなあと思わされる。
こんなに嬉しかったのは東大の中原先生がブログで
私の本の書評を書いてくれてたときと、同志社の
上田先生がまだお会いする前に私の本を読んで
半ば興奮した口調で電話をかけてくれたときだった。
「飯田さんね!僕もパリに何年か前に10日間
行ったんですよ カフェには何かあると思いましてね!
それで僕がやってるParty for the futureっていうイベントがあって
すごい面白いイベントなんですけど僕は毎年一人
一分くらいしか話せなくてね これがサロンの
女主人の苦悩なんだなあと思いました!!」と言ってくれた。
そしてお会いした先生の持ってた私の本には沢山の
付箋が貼ってあり それを見ただけで私は本当に嬉しくなった。


 あー 自分なんて と思って家で悶々としている時に
そんなメッセージを受け取れるのは どれだけ
嬉しいことだろう。あの喜びといったらなかった。
そう そんな喜びで 私の人生はどこかに向かっていったのかなあ


 自分に前向きな言葉をかけて いい状態なんだと
マインドコントロールしようとしている自分もいるけど
本当に飛び上がるように嬉しくなったり いるだけで
嬉しくなったり やったー!という気になれたりする
瞬間はある。それは言い聞かせているようなのとは
全然違って なんだか空を飛べそうな そんな気分なんだよな。


 そういう気分でもっといられる 本当にワクワクしていて
本当に嬉しい様な それでいて まわりの人も楽しいような
そんな生き方ってあるのかなあ だれかがワクワクしていると
まわりの人もつられてワクワクしてしまう。上田先生の
まわりに居る人っていうのは 先生のワクワクにひかれていたい
あのオーラをもらっていたい そんな気持もあるんだろう。
私は先生がアメリカであまりに圧倒されて興奮して楽しくなってる
姿をスカイプで見させてもらって 喉から手が出るほどに
フランスに行きたくなった。それで実際行ってしまって
そしたら見たことも想像したこともなかったような世界が
待ち受けていた。そこで私はガツンとやられてしまったわけで。



 そう きっとかつてのマンレイのように
ブルジョワ社会に生きてきた ボーヴォワールが
夜のカフェの雰囲気にくらくらしてしまったように
藤田が初日についたカフェで あまりの自由さに
圧倒されてしまったように。マンレイも頭がくらくらしていた。
今ならわかる。実感として 何が起きたのか説明できる。
頭がくらくらするということ それは思考が変わること。



 今迄もってきた価値観が ぐらぐらゆれて
あたらしい世界を肌で感じてしまって
こんな世界もありなのかって 目の前にあるから
あてられてしまって 多分そこには共鳴だとか
シンクロニシティ的な場のゆらぎみたいなのが存在しちゃって
彼らはどーん と あてられた。



 そして人生が変わってしまった



 例えそれとは知らなくっても

 だけど魅力的だったから 

 彼らはそこに入ってしまった

 だって そこに居たかったのよね?
私にはその気持がよくわかる。
どうして?なんて説明はできないけれど
きっとここだと思えたのだろう。


 だっておそらく それが彼らにとって
求めてたものに近いように見えたから。


 そうして彼らは思考を変えた

 こういうの も ありなんだ

 ありえるんだと受け入れて

 そこから彼らは変わっていった


 なんだか私は今ならわかる。
世界を変えるということは
世界や社会を変えようとすることではなくて
自分が変わることなんだ。ようやく何かが
わかりかけてきたような気がする。
そうして彼らはまず自分の思考を変えた。
藤田は日本から持って来た絵の具箱を叩き捨て
ボーヴォワールはコップを割った。
そうして彼らは自分自身の何かを変えて
そこから何かが変わって行った。
カフェでは革命だったり様々な運動が起こって行ったわけだけど
それは彼らが議論をしていた それだけじゃなく
カフェ という 場に 出会った彼らが
自分の殻や枠から自由になって
「ありえない」とおもってたものが「ありえる」という
それを受け入れたからなんだ。


 そんな思考の連鎖反応が カフェの時代を
つくっていった そしてどんどん来た人たちが
あてられて変わってしまった そんな場が次々に
存在していた それがパリのカフェだったんだ。


 人が人 に 出会った時に 人が 人を
変えて行く。そこには特有の力があって
それってなんだか 抵抗できないものなのかなあ


 引き寄せの法則というものが 物理の法則並みに
一般法則なのだとしたら カフェの話にも
これからの空間づくりにも ものすごく応用できるはずだろう
私は今自分の身をもって苦しい時期を乗り越えようとしてるけど
もしかしてここに大いなるヒントがあるかもしれない
なんだかそんな気がしてしまった。
人間ってなんだか面白い。

フランスに行くなら

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