alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

カフェ研究会終了

2009年03月27日 |  カフェ的な場で考えたこと

 つ ついに 待ちに待ってた東大の日がやってきて
準備をすませて電車に乗って ついに着いた東大前。
と 東大、、、  駅についてみたものの
合格発表を待つ受験生のような気分になって
どうしようと困惑してた。けれども時間は迫ってて
とにかく早くいかないと!と出口に出たら
徒歩10分と書いてあるのに 出口の隣はすでに東大。
東大って 広いんだ、、、!!

 いけどもいけども東大の壁で しだいに困惑するのも
あきてきて なんだか空気がパリみたい 
この木陰も気持ちがいいな そんなことを思っていたら
緊張感もとれてきて ようやくホールにたどりついたら
なーんだ この椅子 この机 私が見慣れた
分科会でもしてそうな そんな場所なわけであり
そんな緊張しなくてよさそう それでちょっとほっとした。


 初顔合わせの先生に会い どたばたした会場をぬけて
おにぎりを急いで食べて ワークショップがはじまって
中原先生のひきつけられるパワーポイントをみた後で
ついに私の話になった。さて どうなることやらな、、、

 けれどもこの雰囲気は 「講演!」とか「発表!」という
雰囲気よりは エコリーグ的なアドリブちっくな雰囲気で
こんな場所で原稿読むのもいけてないよなと 原稿はちょっと
やめにして 自分を信じてアドリブメインでいくことにした。


 それで話しがはじまると あとは進んで終わるだけ で
何をしてるかよくわからない。そうして何かがわかるのは
終わって拍手が来たときで あ 意外にも拍手があって
なんだか反応よさそうだ!!そう思えたのが嬉しかった。


 それからまたも 上田先生という方の「これこれ!!」という
お話があり みんなうまいぐあいにインタラクションしているようで
すごくきいてて面白い。いやー 面白い場になりそうだ!!
そしたらどんどん盛り上がり カフェタイムには
次から次へと人が来てくれ 沢山質問してくれる。

 思ったよりも本をもう読んでくれてた人もいるようで
私のことを知ってくれてたり 深い質問も沢山あって
とにかくそれが本当に嬉しい。げんきくんに送ってもらった
たくさんの名刺も交換されて 最後の本も売り切れになり
あーカフェって 求められてる それがとってもよくわかる。


 これが最初の機会になって 研究に戻ってみたけど
こうして知ってもらえたり こうして読んでもらえたりして
より深い質問や より深い問題提起をしてもらえ
そうだなー どうなんだろう どうしたらいいんだろう
どうなっていたんだろう 日本ではではどうすれば?と
考えてくのは面白く 適当な答えじゃなくて
ちゃんとみんな答えられるように もっと研究を続けたい。


 私にとって まるで縁がなかった分野の教育学とも
結びつき それを聞いてくれたひとたちは また違う分野の人で
でもみんなが カフェ カフェ カフェ といってくれ
私が前から言っていた「カフェ的空間」なんて言葉も
ここでは使われてたりして きっとカフェには深い
ポテンシャルがあるのだろう。


 とにかく今日は楽しくて
とにかく今日は嬉しくて 沢山の人が聞いてくれ
沢山の人の心に少しは何かを残せたようで
私の本を ちゃんと読んでくれてる人がいて
もうそれだけで 本当嬉しい やっぱり書いてよかったなー
やっぱりやっててよかったなー
でももっときちんとやろう もっと前に進んでいこう
しばらくはカフェ文化研究家で いくつもりでいるわけだから
ちゃんと第一人者になれたらいい。


 研究って楽しいのかな
研究って向いてるのかな 答えはノーな気がしてたけど
やっぱりなんだか面白い。


なんで私が東大に!?

2009年03月26日 | 想いをカタチに


 昔から四谷学院の宣伝は よーく目にしていたけれど
私もそんな風に言う日がくるとは まさか夢にも思わなくって
だけれど私もちょっと言いたい。「なんで私が東大に!?」

 そう実は 明日は東大で講演(?)なのだ。


 こんなこと書いてる暇があるのかどうかはわからないけど
一応は資料づくりもみんな終わったつもりでいるから
明日になって気持ちがかわるその前に ちょっと書いておこうと思う。


 何かが変わる出来事というのはあるもので
それまでひたすら「お母さん!!」をしてきた私に
ある時すっと変化がおきた。何気なくネットを検索していたら
私の本の名前が載ってた。それも書評だったのだ。


 「良書である」と書いてくれた東大の先生に
私はとっても感激をして 私はといえば ただの母なだけなのに
こんな人 も私だったと これを書いた私もいるのだと
ちゃんと思い起こさせてくれた そんな文章を書いてくれてた。
そうして私は連絡をとり 「お茶でも飲んで話す会でもしましょうか」という
先生の気軽な提案が 明日の会になってった。
その名も「カフェ研究会」? かつて私がやっていた
もう仲間とも連絡できなくなっているけど
あの名前が こんどはここで再開されて
もっと面白くなりそうな すごい時間が待っている
そんな気がする だから東大!!と気をはってしまってたけど
やっぱりもっと楽しもう。そう思って明日を迎える


 これまでは 前の日に終わることすらなかった私が
昨日にはもう資料をつくってしまえたのも
あんな本を書けたのも みんなみんな れんちゃんがいるからで
「子供がいるから何もできない!」というのはきっと
ちょっとちがって 子供がいるから こつこつこつこつ
やるしかなくて 地道なものが 実を結ぶ。


 先生は 私に今でも研究ができるんだよと教えてくれた
それは本当にうれしくて 本が読める 研究できる
それについてみんなと考え 語っていける それは本当に
楽しいことだ。明日も何かが生まれるのかな
きっと何かが変わるだろう きっとまたいい出会いがあって
何かが前に進むような そんな気がする。


 今更ですが ご案内 カフェはこれからキーワードになりそうですよ??
http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/03/post_1466.html 

散歩の同伴者

2009年03月17日 | 私の人生

 おとといから横浜の実家に帰ることにして
今度こそ は 念願の表参道に行きたいなーと
思っていたら 母が帰るなりこう言った。
「明日行くけど一緒に行く?」
え!明日!!? そ そんな あまりに急な、、、

 けれども実家に帰ってしまえば
恐ろしいくらいやることがなく 
あの大変な日々は何だったんだと思ってしまい
やることがあるから帰ってきたけど
なんだかまだ気ものらないし せっかくだから
行ってみようかと ちょっと行く気になってきた。


 そして当日、めっちゃ天気もいいわけで
ゆっくりとお支度をして ほとんど使ったことのない
横浜用と化してしまったベビーカーに荷物を積んで
けっきょくおんぶで家をでる。

 そうして電車に乗ってしまえば 意外にも20分で
表参道につくわけで なーんだ乗ったら簡単なんだ!
そりゃもう一人で新幹線に乗れるわけだし
意外とどこかにいけるかも、、、
駅についたらおんぶのまんまコテンと寝ちゃったれんちゃんは
恐ろしいほど首がそりかえり 落ちたら死んでしまう!!と
ちょっと気が気じゃなかったけれど 母に会ったら
気も楽になり 久しぶりに ナイフとフォークでご飯を食べた。


 そうか表参道かー。 ベビーカーはおりたたみ
やっぱりおんぶで階段を上がる。おんぶは機動力がすごいよね
エレベーターがなくたって 大人の通れるところはどこでもいける
だけど表参道についたから よっこらしょっと使ってみよう。
どうなるかはどきどきだけど ベビーカーにれんちゃんをのせ
クレヨンハウスに行ってみる。


 ベビーカー慣れしてない彼は やっぱりすぐにぐずりだし
結局母がれんちゃんを見て 私が一人でお買い物。
クレヨンハウスはかなり面白く ゆっくり見れたら最高だけど
まあ仕方ない。それでも本屋が面白くって「孤母社会」という
「そうそうそれ!!」というタイトルの新書があるから買ってしまう。


 クレヨンハウスを出たあとは 念願のアニヴェルセルでお茶をして
存分に表参道気分をテラスで味わった。ちょうど今 書かなきゃ
いけないカフェに関する原稿があり どうしようかと悩んでたけど
今回はテラスについて書いてみよう!そうだわ私
カフェ文化研究家だし もうちょっとカフェにもいかないと。
はじめてカフェでベビーカーに座らされてたれんちゃんは
それなりに楽しそうにはしゃいでてくれ おかげで
お茶もケーキも普通に食べられて とってもとってもありがたい。

 ベビーカーを持って行くのは大変だけど
やっぱりおんぶがメインになるけど やっと季節がよくなったから
これからもっと外に出ようか 平日だったら混んでないしな
ちょっと大変な思いもしたけど それなりに満足をして
げんきくんに電話をすると「淋しいけれど東京でしかできないことを
やってきたら?」とのことだった。
そうだよなー うん そうだよねえ!!
それならばもうちょっとカフェに行こうか
それともアートに触れようか。

 ずっと我慢して 行きたくても行けなかった東京の街
私は東京散歩が好きだ。あのどことなく無機質な感じの
ちょっと冷たい空気を浴びて お店をちょっと覗いてみたり
くたびれるほど歩き回って「これ!」というカフェを探してみたり。
大変だけども日をみて動いてみるのなら 少しくらいは行けるかも。
次はいつだかわからないしな いつかのパリの日のために
ここで練習しとこうか。そう思ったらむずむずと
散歩欲求が高まって 誰か散歩の同伴者はいないかなーと考えた。


 カフェで話すのもいいけれど 散歩をしながら
何時間か一緒にすごして途中たくさん休憩をして
そういう日ってすごくいい。かつて私には
とても素敵な散歩の同伴者がいてくれて たくさん
散歩をしたよなー カフェもそうしてめぐってみたり
ベビーカーがあるのなら 授乳さえできるのならば
なんとだってなるのかも。


 前々から気になっていたカフェやら文化的な場所やらに
今度は一緒にいこうかなあ 誰かと一緒に行けるなら
ハードルはきっと高くないし そういう散歩がまたしたい。
れんちゃんとともにうららかな春の東京を
一緒に歩いてくれそうな人 いてくれたらいいよなあ。

育児疲れ

2009年03月12日 | 子育ての苦しさ


 ここ最近はれんちゃんと相思相愛 仲良しだーと
思っていたのもつかの間なのか おとといの晩は
なぜか全然寝てくれなくて 一時間おきに
泣いては起こされおっぱいをのみ
また泣いては起こされの繰り返し で
次第に私はゾンビになった。


 もー耐えられん!!と思って早起きしていた
げんきくんにれんちゃんを渡しにいって
寝させてくれ、と寝てはみるけどまた泣いて
げんきくんが学校にいってしまうとあとは二人で
どうしよう。


 朝早くからぱっちりお目めのれんちゃんは
ゾンビになった私にかまわず楽しそうにやっていて
なんとかご飯のあとにおっぱいをして寝てはくれていたけれど
その日一日体力は回復せずに家事も何もできずじまい。
とにかく身体の調子も悪くて頭は痛くイライラしてて
ハーブティをいれてはみたけどイライラはおさまらず
れんちゃんは普通にしててもなんだか嫌になってくる。

 
 そんな状態がずっと続いて夕方にはピークに達し
もー育児嫌だ!!と思ってしまう。女の人が
やりたいことがあるってことは 本当に面倒くさくて
子育てには果てしない時間をとられるわけで
ついしんどくなった折りには「この子がいるから!」と
思ってしまう。あー子供がいなかったらな そう思うと
つい恨めしくなってしまって 子供は何も悪くないのに
小言の一つも言いたくなる。

 そんな時にはママ友とかに会ってみたいけど
紙オムツがなかった昨日はどこにも行けず
実際あっても そんな気分じゃ気力もなくて
外になんか出られない。そしてうっぷんがたまった私は
子育てが嫌になってしまう。


 かつて妊娠中に行った母親教室で
「ノイローゼになる人の気持ちがわかる」とか
「虐待する親の気持ちがわかってしまう」とさえも
子を持つ親は言っていたけど ついに気持ちがわかってしまう。
この密室で 誰もいない 助けてもらえぬこの密室で
自分がとても辛いとき 子供の泣き声やわめき声はもう
本当にしんどくて こんのやろー!!と思ってしまう。

 だけど本当は 頭がちょっと冷静になれば
子供はほとんど悪くなくって 機嫌が悪くなっていたって
親が与えた食べ物が悪かったりとか
親のストレスを感じてたりとか
イベントがある時に限って調子は悪くなる。
子供はあんまり変わってなくて
いつだって母を愛してくれているのに
変わらぬ笑顔で母を求めてくれているのに
ついつい母が自我に目覚めてしまったり 調子が悪いと
子供がノイズになってしまう。


 こりゃ大変な時代だなー

 女が自由に目覚めたことで 女はいいことあるけれど
家庭は実際どうなのだろう 我が家に関して言ってみるなら
私がちょっと ボーヴォワールを読んだときには
決まって調子が悪くなる。
げんきくんが帰ってきたとき 怒った顔の私がいると
よくある会話にこんなのがある
「今日なんかしてたの?」
「ボーヴォワール読んでた、、、」
「またボーヴォワール!!」
最近は以前みた映画の真似で
「ボーヴォワールは毒ですよ 人民をむしばんでいく、、」と
彼は言う(もちろん冗談だけど)
たしかに毒かもしれないなーー
ボーヴォワールは世界を平和にしたのかな?
一見平和にしたようだけど「世界の平和はまず家庭から」
なのだとしたら ブルトンやボーヴォワールのように
家庭を大いに嫌った人の言ってたことは なかなか
相容れないよなあ


 第三の道はあるのかなあ 子供をうんで 
密室育児で家庭にどっぷりつかった人も
あまり健全そうには見えなくて すごいストレスを
抱えているけど そのはけ口もなさそうで
保育園がいいのだろうか カフェに行っても
子供はなかなか遊べはしないし
でもママたちはストレスフルで どうしていったらいいのだろう。


 サルトルは 第三の道を創っていこうと努力していた
そしてそれが道になる。ボーヴォワールも当時の女性を
大いに解放したわけで 私も何か 見出せるかな
葛藤は乗り越えるためにあるのなら アウフヘーベン
私も自分で見出したい。

上映会終了

2009年03月08日 | 私の人生

 今日は一週間待ちに待ってたダライラマ映画の上映会。
知らない人ばかりくるとのことで どんなんだろう
とにかくうちを片付けないと!とかなり焦って
今朝はイライラしていたけれど イベントはやはり
大変だけど れんちゃんにちょっとストレスもかけちゃうけれど
終わってみるとよかったなーと思うもの。

 最近自分の書いた本をまた読み直し
久々なだけに あーこんなこと考えてた!とか
そっかー 確かにそうかもな!と思うことが沢山あって
いざカフェの準備をすると「まったくだ」と思うことが沢山ある。
でも今回は 「サロン」じゃなくって 名目上はカフェだから
私には合っているかな だけど自分の家だから
片付けするのが大変で いつもきれいにしていたところで
一日手を休めていたら どーんと散らかり放題になり
自己嫌悪になってしまう。人がただ遊びに来るなら別にいいけど
「カフェ」だとなると つい意気込んで
毎回けっこうくたくたになる。
けれどもカフェが終わってみると あー今日もよかったな!と
充実感があるわけで 家にいながらいろんなところに
色んな話に想いをはせる そんな経験が毎週できたら
どんなに楽しいことだろう。

 
 今日は全然知らないけど興味があった ダライラマの
映画を観てから げんきくんが秘蔵のガイアシンフォニーの
ダライラマの章を見せてくれ そのあとは京大でダライラマの
研究をしていた人がみんなに解説をしてくれた。
カフェという場をつくる人 と 映画の上映会をしている人と
研究をしている人が うまい具合に集まったから
たった4時間だけなのに 本当に得るものがあり
私が本に書いてみた「これだけのものをカフェで得られるのだったら
一人で家で本を読み続けるのとカフェに行き続けるのとでは
後に圧倒的な差ができるだろう」ということが
「まさにそうだ!」と思えてしまう。


 チベットについて知りたくっても ダライラマを知りたくっても
なかなか敷居が高いけど 今日の会はとてもよくって
初歩の初歩がわかってきたから 次の一歩も踏み出せそうだ。


 主婦をして 子育てしている私にとって
もはや動けない私にとって 家に居ながら世界をこうして見れるのは
家に居ながら世界を感じ 考えることができるのは
本当に嬉しい経験で そういえば 大学院にも行ってたし
やろうと思ってやれずにいた レボカフェという集まりも
ここでできたらいいよなあ まわりには
世界とつながり 世界を志向してる人がいて
少しずつでもそれらを知って 少しずつでも身近になれば
何かが変わってゆくのかも。


 動けない状況にある人だから カフェ店主は向いていて
子育て中では厳しいけれど でもいいことも沢山あって
部屋をちゃんときれいにするのは 赤子のいる生活では大切だから
結局カフェが終わってみると いい出会いやいい語りと
部屋もきれいになっていて 得るものの方が多そうで
これは続けていけるのかなあ 4月以降もやれるかな
たまには上映会だとか 発表だとかもやってみたいな
我が家はカフェになるのだろうか 
それとも私が外に出るのか とりあえず来週土曜もカフェしてみよう。

時間

2009年03月04日 | 女の生き方

 最近ちょこちょこまわりの人から
「こんなのどう?」という話をもらって
「面白そう!」と思う度「一人だったらそりゃ行きます」と
つい思ってしまうけど 毎日毎日家からなかなか出られずにいる
私に実際 どこかで何かをすることなんて可能なのかと
ちょっと哀しくなってしまう。


 毎朝起きて体操するたび今日は元気に外にいって
やっぱり身体を鍛えよう!と思うけど
朝の家事がはじまって あわわわ、、、と追われていると
ああもう10時、11時 お腹が減って二人分のご飯をつくって
なんとか食べ終えてみると え!もう2時!!そして私はくたくただ。


 みんな一体どうしてるんだろ?家事と子育ても両立できない
私にとって みんなもそうかと思っていたけど、昨日ママ友になった
人の家にわけあって朝早くにおじゃまをしたら なんと
きれいに片付いていた!朝の10時なのに なんで どうして?
こんなに朝からすっきりしてたら さぞかし時間があるだろう。
私は彼女と出会った時には 行動的な彼女はきっと家はほったらかしに
なってるんだわと思ってたけれど大間違いで 朝からどーんと
ショックを受ける。そして片付けの本を読んでは 有元葉子さんは
ご飯を作り終えると台所もピカピカなんだというのを知って
また再びショックでドーン。


 どうしよう 私も片付けしないとな と
気持ちばかりが焦ってしまい やっぱり何かをするには
できる主婦になってから で 家事をすっきりこなしてはじめて
他のこともできるのかなあと そういう思考にとらわれては
何もできない そんな自分がコンプレックス


 そりゃあさー 世の中得意不得意あるよねえ
私家庭科なんてだめだったもん でもそれが得意な人もいるわけで
げんきくんの妹さんの家に遊びに行くたび あまりの手際のよさに
圧倒されてショックを受けているけれど 彼女家庭科!って感じだもん、、、


 そんな想いを抱いてみても 現実の状況は何も変わらず
どうにかこうにか 時間をつくっていくしかなくて
妊娠中は なんとか本を書き上げたから 無理をしないで
こつこつきちんと続けることで やっていくしかないのだろう。


 「もーどうしたらいいんだろう!?」と母に相談してみると
「10年は子育てに専念したら!」と言ってのけたあの母は
今度はけろりとこう言った。「あんたの人生も大切だから
後悔しないように頑張りなさい!預けるのもありかもよ」
え えええ?そーなの?そーかもねえ、、、

 母は私を4歳になるまで家庭で育てたらしいのだけど
私はこの後どうなるのだろう れんちゃんはとてもかわいくて
預ける?と考えるほどに愛しさが増し かわいすぎる!!と
思ってしまって 当面はそうはならないような気がするけれど
自分の時間が欲しいとき 本の一つも読みたいときや
いろんな作業をしたいとき どうしてったらいいのだろう
ベビーシッター?一時保育?近所の人に預けてみるとか
1日2時間くらいでいいから ちょっと時間があったらいい

 そう思って昨晩はれんちゃんの横で「無双原理」の本を読んだら
小難しめな本なのに55ページも読んでしまった。れんちゃんは
お腹さえすいてなければ けっこういい子にしてくれるから
一緒にいれば カフェのように 同じ空間にいさえすれば
二人で別なことをしてすごしていられるのかな
少なくとも 家事を私がしている間は
そうしてもらっているわけで 家事を短縮できたなら
自分の時間が増えるだろうか そうしてちょっと「仕事」をすると
つかれたときに見るあの笑顔が よりいとおしく感じられ
れんちゃーん 癒してーと思ってしまう。
スキンシップして癒されるのは 私だけではなさそうだから
二人して楽しそうにしているわけで まんざら悪くもないかもな。


 オルタナティブって何なんだろう
女性の自由をとるために 保育園に預けることか
大変な場所に子供を連れて行くことか
何をしたって「エゴ!」とは言われそうだけど
そう言った人が面倒を見てくれるわけでもないわけで。
子供のために!と自分を捨てて 二人っきりで頑張っている
若いママも見てきたけれど みんなちょっぴり
笑顔が疲れているかんじで 口をそろえて「ほっとしたい!」と
言っていて オルタナティブって何なんだろう
そもそもそんなのあるのかな
自由な女性として生きてきた 私はどこに行くのだろう
かつては子供なんて欲しくないと思ってたけど
うまれてみたら れんちゃんはあまりに可愛く
自己も犠牲にしてきた(?)けれど
この先はどうなるのだろう 
子供と一緒にいる社会 子供が一緒にいる社会
そんな社会をつくっていくため やっぱりおんぶも必要か。

3月のcafe lunatique

2009年03月02日 | 私の人生

子育てしながらなんとか開催しているカフェも
先日で三日目になりました。お客さんが来ても来なくても
開いているのがカフェなのでこの先もやってみようと
思っています。

 さて 3月は8日日曜日と14日土曜日の2時から
6時くらいまでやってみようと思います。
8日はダライラマの半生を描いた映画の上映会を行います。
14日はとくに何もありません。最寄り駅は阪急洛西口または
桂駅、JR桂川駅です。これそうな方は連絡くださいねー。
(ちなみにまた3月末から4月はじめまで横浜に帰ります)

フランスに行くなら

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