alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

自分の解放

2012年03月04日 | 私の人生



 「まあみきちゃん、元気そうになったわね!
なんだかおでこのチャクラも開いてきたみたい!」
と 2週間前とは打って変わったことを言われた今日の
午後の体操教室。「なに言ってるんですか、、、」と
思ったものの でも本当に元気そうになったらしいのは
確かなようだし 今日は体操のあと久しぶりに
蓮太郎に向かって「お母さん元気になったからね!」と言えた
自分に驚いた。


 自分を元気と言えるだなんて、、、!


 すごいことだなあ、2月は春に向かってのたまっていた
悪いものたちを全部吐き出すときだったのかなあ
そう考えたら きっとこれからもっと良くなる。
そんな気がして 今年ばかりは 春がいい気分で迎えられるかも。


 この体操教室は とっても変な教室だけど
効果といったら半端なくって 毎回身体もめちゃくちゃ軽くなり
自分の中の重荷も少しずつ軽くなるから 本当に心身ともに
健康維持に欠かせない教室だと思う。


 ちょうど3日前くらいから ああなんだ れんたろうって
こんなにリラックスして肩肘はらずに生きてるんだ
だから猫みたいにしなやかなんだ!と気が付いて
なーんだ私も力を抜こう とだらんとしてたら
なんだか本当に気持ち良くって それがとてもありがたい。


 お母さんがだらんとしてると 息子にも強いことは何も言えず
私も動くのが嫌だから なんとかちょっと頭や言葉を使って
場所を動かずに遊んでみたり。息子はとても活き活きと生きているけど
「それはあんたが放任してたからじゃない?」と先日母に言われてしまった。
「こうしなさい ああしなさい あれもだめ これもだめ!!」だと
息子の表情もどんどん変わる。それは京都でもフランスでも
先日のインフルエンザでも体験したけど「いい子にさせなきゃ!」と
強く思ってだめ だめ だめ!!とやっていると
彼の目の下はなんとなくクマっぽいいやな感じのくぼみができて
少なくとも活き活きしてない それだけはよくわかる。


 たいていの場合 そんな時には 私もどこかで疲れたり
彼が熱を出したりだとかで「ああ悪かったな まあいっか!」という
力が働いて やっぱり2人で布団でごろごろ そしてバカ遊びをして
楽しむ そんな感じになっていく。


 インフルエンザの時の「あれもだめ!これもだめ!」が終わった後で
私も肩の力を抜いて なーんだこれって気持ちいい と気が付いて
もしかして と 思ったのは 子供に「だめだめ!」と言っているのは
自分のことも許せていない そういうことなんじゃないだろか。


 躾はもちろん大切だ。でもすべて「いい子」な方向でやっていたら
どちらもけっこう苦しくて その力が強く働く時といったら
それは自分に内在されてる他人の目を気にし始めた時だろう。
彼に何て言われるだろう?あの人に何て思われるだろう?
彼の実家ではいったい何て言われるだろう?フランスで何て言われるだろう?
そういうことを気にしはじめると「だめ だめ だめ!」になってしまう


 だけど本当は?別にいいんじゃない?ということだってあるわけだ。
これくらい仕方ないよということもある。それどころか
もしかして 私たち大人が子供から学べばいいんじゃない?と思うことさえもある
大人の社会がすべて正しい訳じゃないなら(正しいならこんなに
慢性的な病気とか生きにくさを抱えてる人が多すぎるのはおかしいのでは?)
子供のしなやかさとか軽やかさとか発想とかバカさから
私たちが学ぶことだってあるんじゃない?(しかもそれを難しい言葉では
創造力とか呼ぶんじゃない?)


 私はよく「恥ずかしい」と思ってしまった。
京都の中心部なんかは「よそさんに嗤われるえ」と言われるらしい
そんなで言ったら息子の行動はかなり恥ずかしいことばっかりだけど
でも恥ずかしいようなことをしてるのはけっこう面白い。
だから私たちは変なことをしながら2人でゲラゲラ笑う。
蓮太郎を楽しませるため?歩かせるため?そう思っても
こちらも大きな声をだして「発車しまーす シュッシュー!」とか
いって蒸気機関車のまねをして走っていると笑えてしまう。
飛行機ビューンといって翼を広げて走って行くのも
恥ずかしいけど面白い。


 「自分を解放できるから、、、」と様々なワークショップに
行ってみたという女性は私に話してくれた。自分の解放?
この先生の体操教室もまさにそう。息子は自分を解放してる。
そもそも縛りなんていうのがない。そこに大人がどんどん縛りを加えてく
「そんなことしたら恥ずかしい」「そんなことしたら笑われる」
そうやって そう思って 私は長年 口を閉ざして生きて来た。
時折それでも質問したくて 話したりもしてたけど
私は普通の社会生活で自分を解放なんてできないでいた
だからずっと 苦虫をかみつぶしたような顔をしてたのだろう。

 だけど最近思うけど きっと子供が喜ぶことは
きっと子供が楽しいことは 大人にとっても大抵楽しい。
子供にとって本当に居心地がいい場所は 大人にとっても居心地がいい。
子供は場のバロメーターな気がするけれど 本当に居心地のいいカフェは
何故だか子供でさえもけっこう長居ができるもの。
場の空気が濁っていたり淀んでいると子供はすぐそれを察知する。
あの蓮太郎でさえ どこかに行った時、特に私のいないところでは
場や人の空気を読んで黙ってる。でもその人が自分を
認めて受け入れてくれることがわかると 彼はゆっくり自分を出していく。
それって大人も同じなんじゃない?でも私が 蓮太郎のようにまで
慣れていないのは きっと私のバリアが蓮太郎よりよっぽど固いからだろう。
(多分それは幼稚園と小学校時代につくられたものだと思う)


 私はワークショップに行けるような機会はあんまりないけれど
独身の人たちに比べてちょっと恵まれていることがあるとするなら
このアホな息子と一緒にいることで ワークショップにお金を
払わなくても しらないうちに自分を解放できることだろう。
子供の真似をしたならば?もっとしなやかになれるのだろうか
蓮太郎と一緒にバカになったら?もっと自然に笑えるだろうか


 体操教室に通って半年。身体を学んで自分を少しは解放できるように
なった気がする。変な体操を朝蓮太郎の前でしながら「お母さんって
おかしいよねー」と言ったら息子は「おかしくてもいい!」と断言してくれた。
世の中に 一人でもそう言って自分を愛してくれる人がいること、
それは本当にありがたい。
私たち バカな親子は何かを見つけていけるのだろうか
少なくとも 我が子の目はいつも輝いてキラキラしてる。
我が子はとてもアホだけど そこにこそ 人生を楽しむヒントが
あるかもしれない。もっと自分をゆるめていくこと
アホな蓮太郎だけじゃなく 本当はアホな自分を認めていくこと
他の人たちと同じようには生きられないけど 息子が言ってくれたように
「それでもいい!!」って断言すること それが大切なのかなあ。

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