alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

パリで子育て

2011年03月31日 | 日仏子育て事情


 パリに来てから思っていたより蓮太郎は
元気で楽しそうにやっていて 外に出ても
抱っこ抱っこで歩かないけど
そんなわけで道端でたちどまっては
フランスの工事の車を見てみたり
(この名前何?と言われるけどホイールローダーと
トラクターを合体させた様な車とか、わからないのばっかり)
怒ったり彼と交渉したり結局だっこをしてみたり で
それなりに大変なのだけど なんだかそれでも
パリは楽しい。


 なんでかなあ と思うけど
そりゃ2時間子供と散歩をしにいって
ショッピングセンターでわがままを言われ続けた挙げ句に
牛乳一本とハムくらいしか買えなくて空しくなる様な
そんな状態ではないからなのかなあ

 ここにはスーパーもあればパン屋もあるし
それにマルシェもあれば 何故か日中でも
人がたくさん歩いているから?なんだか
「世界でひとりぼっち ふたりぼっち」な感じがしない。


 今回はもう本当にお金をつかっていられないので
1日10ユーロ(約千円)以下しか使わないように
頑張ろうということにして なんとかかんとか
そんな状態で成り立っている。なんせ息子が
いるわけだかだら 結局のところ 徒歩範囲でしか
どこかに行けず なんとこの私がまだカフェにも
一回もいってなければ カフェドフロールも、
エッフェル塔すら行っていない。


 それでもなんとか楽しくやっていられるのは
行こうと思えばいつでもいけるし 会いたい人たちに
会おうと思えばいつでも会える そんな安心感があるからだろう




 今日は蓮太郎と激安のマルシェに行って
意外と二人で行くと遠かったけど 25リットルの
ザックを背負って あれやこれやと見ている間に
お店の人に押し売りされて(フランスでは「これ何キロ
いくらだから」といって目があって見ている間に
袋に入れられてしまう)ほうれん草1キロだとか
(そんなにいらない!)にんじんを8本くらいの
一束だとか そういうのを沢山買って
もうザックが満杯になってしまった。それでも
それだけ野菜を買い込んだけど 多分全部で
10ユーロちょっとしかしてないだろう
そう パリは 安い所をみつけたら
意外と安く暮せるのです
なんせイチゴ1パックで160円くらいだったし。。。


 そうして重いザックをかかえ
その上に13キロある息子を抱っこし
えんえんと歩いてはちょっと後悔したりするけど
それでもパリは 私にとってはとても広がりや
発見に満ちてる街で まあそれは 私が外国人だからなんだろうけど
マルシェがあったり 運河には船が動いていたり
意外と緑も多かったり カフェのテラスはどこも
人がちょっとコーヒーを飲んでたり
ぐずっている息子を歩かせようとする横で
アフリカ人に「彼は疲れてるんだよー!」と声かけられたり
別に何が特別というわけでもないけど
この人間が 人間くさく生きてる感じが
無理に押さえ込もうとがんばらないで
怒る時は怒っているし、クラクション鳴らしたいときは
鳴らしてしまう そんな感じが私は好きだ。


 この先我等はどうなるかなあ
来週からはもう少し保育園のあてを探してみようと思うけど
私もカフェやビストロで優雅にお昼を食べれる日がまた
来るのだろうか 昨日なんて 息子と二人でファーストフードの
店に入って 少しだけものを頼んで 家からはるばるもってきた
ピザの残りをこっそり食べたりしてたのだけど
なんとか 道は開けるかなあ

 とりあえず 息子の時差ぼけは昨日でだいぶなおったらしく
これで私も眠れるようになりそうだから またゆっくりと
それなりにリズムがつくれるだろうか
息子と二人 手をつないだら いったいどこまで行けるのだろうか
メトロではスリにあいそうになったけど なんとかかんとか
無事にやっていけたらいいよなあ

蓮太郎と二人

2011年03月30日 | 想いをカタチに



 まさかこんなことになるとは、、、

 2ヶ月前には夢にも思っていなかった

 まさかこんなことになるとはという状況は
きっと日本にいる誰もが思っていることなのだろう。


 私の場合は 何ヶ月も前から思い描いてた未来と
1ヶ月前くらいから考えていた未来と それから
日本の状況が どかーんと2週間で合わさって
気持はまさにとるもの手につかずという状況で
ニュースを見ては何かしなきゃと思ったり
得体の知れない不安にかられてとにかく誰かと
話したくって それだけのためにカフェに行ったり
とにかく誰かと寄り添っていたい気分になったり
友達にひたすら電話をかけたり
自分の状況のいろいろで 毎日のように泣いたりもした
何が何だかわからなかった だけど私は段ボールを
ひたすらもらって たくさんの荷物を箱にしまいはじめた
西日本で何かしたくても 私には猶予はなかった
だって もう 2週間前に契約を切ってしまうことに
なっていたから 行き先なんて 他にあったのか
なかったのか 東京にいきたかったけど
誰もが口を揃えて「来るな」と言った。


 そうして私はパリに来た


 何日でそうなったのか

 何が決定打だったのか は

 自分でもよくわからない

 だけどただ 眠りたかった

 もしもう死んでしまうのならば
ここでもいいと思える所で私は死にたい
そう思ってた たくさんの不安をかかえて
勢いにまかせて荷物をつめて
みえない未来と友人たちが勧めてくれる
「タイミング」というものの存在を信じて


 今度は息子と パリに来た。



 本当に?と思うけど

 本当に今日われわれはメトロに乗っていたようで

 本当に?と思うけど

 日本で毎日泣いていたのが嘘みたいに
 
 私の目は活き活きしていて

 しかも不思議でならないことに

 息子の目も輝いている あんた こんな顔するんだね、、、






 この先われらはどうなるのだろう

 これからどうしていくのだろう

 何も先は見えないけれど

 パリはやっぱり気持がよくて

 私も息子も「フランスって楽しいね」と
 笑ってそんなことが言えてる



 こんなこと に 急になってしまったけれど

 だけどこれも 全ての状況がそれなりに
揃ってなければなかったことで
例えば蓮太郎がベビーカーなしじゃどこにもいけないだとか
(思えば1月にフランスから帰ってきてから我等は歩くことを
徹底しはじめたわけでそれまではベビーカーと三輪車だった)
蓮太郎の日本語力と私たちのコミュニケーション能力だとか
私のつたないフランス語力も パリをどれくらい知っているかも
(今回はガイドも持っていなければ地図すら日本に置いて来ていた)
息子がどれくらい私の言うことを聞いてくれるかも
今迄だったら無理だった


 「タイミングっていうのはね 思ったより早くやってくるらしいよ
それをつかめるかどうか神様が試してるんだって」と
6月に航空券を変えようかどうか迷っていたとき旦那が言った
それから私の人生は 大いに変更されてしまって
そりゃあフランスに住もうと本気で思っていたけど
まさか今?いつかが今になってしまうとは
さすがに夢想だにしなかった


 けれども我等は飛行機にのり
関空では出国できませんとチェックインカウンターで突然言われ
しかも息子は下痢でおむつは6枚しかなかったけれど
それでもそれらの旅のみそぎが済むと
意外にも物事はそれなりに進んでくれて
何よりも彼が嬉しそうに 本当に
日本の日々ではちょっとしか見られなかったようないい顔で
あっはっは!!と笑ってくれてる それが私は本当に嬉しい


 この先がどうなるかなんてわからないけど
ゆっくりとフランス語力も上達させて
何か私もこれからの日本の役にたてるよう 少しでも何か 伝えたい。

人生

2011年03月24日 | 私の人生

 書きたい 書きたくない 書きたい
書きたい 書くべきじゃない でも本当は書きたい

 そんな気持を地震のあとからずっと
持ち続けていたけれど このブログ は
私自身の記録であって やっぱり私は書いていたい
どうしてかって たぶん書かないと生きられないから
なのだろう


 人生って何なのだろう
夢は諦めるためにあるのだろうか
私のまわりの大人達 は
諦めなさい 諦めが肝心なのよ と
私が子供を産んでから ずっと諭してきたけれど

 それで私もそんな色にちょっと染まって
時折若い人たちのいる場所で 夢って
諦めるためにあるのかな よく諦めろって
言われるんだけどと言ったりすると
「ええ 何言ってるんですか!」と
今度は逆のことを言われて戸惑ってしまう。


 昨日はネガティブモードが全開になり
とても一人でご飯をたべる気になれなくて
四条河原町から御所南まで えんやこらっと歩いて行って
mocomococafeというカフェをやってる友人に
「ねえ夢って諦めるためにあるのかな?」と
きいてみると「何言ってるんですか!昨日夢を
どう叶えるかって書いてたじゃないですか」と
言われてしまう。「でもそれはクロちゃんが言ってたんだよ
私は文章に起こしただけだよ」「でもみきさんだって
言ってましたよ 私たちは他の人からみたら
それなりに夢を叶えた人のうちに入るのかもしれないって。。」


 そう それで 私が最近わかったことは
夢を叶えたかったら協力者をみつけることで
一番大切なことというのは共感なんだ、、、、


 だけど私はすごく苦しい

 どうして?どうして?と人は言うだろう

 私だって答えられない どうしていいのかわからない

 だけど1つ言えるのは 私だって苦しんできた
そんな中でもがいて努力して何度も泣いた
この一ヶ月 どれだけ私は泣いただろう
悩んで悩んで 泣いて泣いて その先に訪れた決断は
未来を開いてくれるのだろうか


 私にはよくわからない こうすべきという価値観も
どうしてそうすべきなものなのか

 わたしにはよくわからない 人が幸せなはずという価値観が
必ずしも全員にとって幸せなはずじゃないということを
簡単にはわかってもらえないことも

 私にはよくわからない この先どうしたらいいのかも

 だけどもし 私にも少しの光が 少しの未来があるのなら
私はきっとまた書くのだろう 疎まれていても
存在を歓迎してもらえなくても それでも書いたその言葉 は
誰かの中に残ることだってあるかもしれない
それでも創ったその場所やその空間は
誰かの記憶に残ってくれるかもしれない
それが誰かの 新しい一歩を踏み出すことになるかもしれない
だから私は何かを創って行くのだろう たとえ
存在が疎まれていても だけと本当は歓迎されたい
だから私はどこかへ行こうとするのだろう

 まだ未来はあるのだろうか
私にも 残された人生はあるのだろうか
もう人生は終わったと思っていた6月から
少しずつ違う方向性が見えて来て 私は随分待ったのだろう
諦め切って死ぬ前に 使命があるなら私はやりたい

情報力

2011年03月19日 | 日本の「空気」

 恐ろしい地震が発生してから1週間がたったらしい。


 この1週間は きっと日本の人たちにとって
そして世界中の人にとっても 普通の1週間とは
全く違った どう形容していいのかわからないような
7日間だったのだろう。


 私にとっては はじめの2日くらいは
何が起こったのかわからなかった
なんせうちにはテレビがないから
他の人たちが口にしている地震のすさまじさを
映像では見ることもなく 何がなんだかわからなかった
それで何があったか理解したくて
友人の家に朝晩とテレビを見せてもらいに行った
そうしてひたすらショックを受けていた。

 
 それから3日目くらいだろうか
フランス人たちからさんざん原発のことを言われはじめて
彼らの言うことになんとかついていこうとしてたら
沢山の情報を出来る限りチェックするようになり

 それから次第に私のフランス語力もアップしたらしく
状況がだんだんと把握でき 何が起こって
これから何が起こりうるのか 少しずつ
頭が整理され始めてた。


 今日私 は これからの自分の状況と
この先の日本の状況とを考えながら
いろんな人と話をしてたら
彼らもやっぱりこの一週間ですごく変わったらしく
ある人は「コペルニクス的転換」だと言っていた。


 たまたま私は 普通のママの姿をしながら
フランスとつながってたし この1週間ほど
強いパイプを感じたことはないくらいに
フランスから情報がバンバン入って来ていて
それでなんとか情報が理解できたけど
今日話をしてた人たちは この1週間で
ツイッターをしている人としていない人との間に
すごい情報格差があるのだと言っていた

 テレビのニュースだけみていたら
入っては来ない情報が 他から一杯入って来ていて
それらを全部重ねた上で 今の状況を把握して
かつ自分の状況と重ね合わせて 自分は何を選択するか
とくに変わらない人もいるだろうけど
日本にとっては新年度。新しい会社に入る人だって
東京の大学に行く人だって 一人暮らしで引っ越し予定の
人だって たくさんたくさんいるわけで
こんな時「東京にはこないほうがいい!」と言われてみたって
念願の東京の大学に受かった人だって沢山いるわけだ。


 そんな時 日本の大変な状況と 今の自分の仕事や
立場とを照らし合わせて どんな行動を どんな一歩を
踏み出してみるのか それらがすごく問われてて
もうこれからは「会社がこうだと言っていたから」
「上司がこうしろと言っていたから」そうしましたという
そんな時代ではなくなって 情報をどれだけ集めて
どれだけアクセスポイントをもち そこで
どう自分が動くか そんな時代に まさに
変化しつつあるような気がしてしまう。


 こんな時 に 他の言葉が使えていたこと
語学を勉強していたことが 役に立つとは思わなかった
だけどいざという時 誰と話して どこにアクセスできるかで
何かはすごく変わる気がする。頼れる友人を
持っていること いいアドバイスが聞けそうな人が
まわりにいること いい情報源をもっていること
それってとっても大切なんだろう


 「だってあのときあなたは大丈夫って言ったじゃないか」
そんな事件は何度も起こった。だからこそ 本当に
大丈夫なのか 全く信頼しないというのも
それはどうかと思うけど 賛成派だけじゃなく
反対派の意見も聞いて その上で判断すること
「何も知らなかったけど そうするものだと思っていたから」と
そんな想いで後で後悔することのないように
情報を集め ちょっと疑い それから自分で判断すること
それってとっても大切なんだ
「あのひとたちがこう言ってるからこうなはず!」と
ひたすらに信じ込むだけでなく 批判センスをもってみること
それで自分は何を選ぶか まさに今の私には
そんな選択がかされてる。

不安だけれど

2011年03月19日 | 日本の「空気」
 
 今朝まで私は原発のことが心配で不安で
たまらなくなってたのだけれど 今日になって
フランスから届いたメールや彼らと話をしてみると
「なんだか思ってたよりいい状況になった
みたいじゃない よかったねえ!」とのことだった。

 なんのこと、、、?と思ってしまうけど
それは放水作業のことらしく 今朝の新聞の時点では
核燃料のプールには水が届いてないみたいだっだけど
午後には届いたってことなのかしら

 日本のニュースはなるべくチェックしているのだけど
なんだかどうも言葉だけではわかりにくくて
それで それってだから効果あったの?どうなのかしら?
と疑問をもってもよくわからない。また明日
新聞をみるとよく解説してくれているのだろうと思うけど


 彼らはどうしてこんなにも情報がはやくて
私たちよりいろんなことをよく知ってるのか
私には不思議でならないけれど 「なんでそんなに
心配するの?」ときいてみたら一人の友人がこういっていた
「だって遠いから状況がわからないからだよ
うちの近所でテロがあったとき世界中から電話が
かかってきたよ。だけどメトロは普通に動いてるし
ぼくにとってはそこまで変わらない日常だったんだ」
遠いからっていうのもあるのかあ

 彼らはいっつもチェルノブイリの話をするけど
当然のように参照されるわけだけど  私はそんな頭をもってないから
聞いても何だかよくわからない。今日ルモンドのページを開いてみたら
原発によってできる雲の話がのっていて
ああなるほど これが先日きいた話かとちょっとわかった。
だけど今では フランス側も まあ日本政府も
そんなに問題ないっていってるし 意外と大丈夫なんじゃない?と
驚いたりしているようだ。じゃあなんで避難勧告だすんだよ、、


 原発は これで少し収束に向かってくれるのだろうか
そうであることを願うしかないけれど
もうこれ以上恐ろしい事件が起きずに安心できるといいけれど
これからどうなっていくのだろうか 
朝起きて新聞を手に取るときや ニュースを見るのはなんだか怖い

温度差

2011年03月17日 | 日本の「空気」

 今回の地震があってから私が個人的に
どうしても驚かされてしまうのは
フランスと日本とのものの見方や報道の仕方であって
最近ではもうなんだかかつてパリに留学していた
時のように 日本とフランスとのその違いを
身体で学んで でもそれを日本の人に言ってももなかなか
理解されない そんなことが多くなってきた。


 そもそも私の場合は地震自体を知ったのも
フランス関係の仕事をしている方とお話を
してきたその後で フランスから携帯に電話がかかり
「大丈夫?みんな美樹のこと心配してるよ!」と
言われてはあ?なんのこと?と思ってた。


 昨日地震があった時間に一緒にいたフランス人と
話していたけど 彼の場合も同じで揺れを感じてなくて
私と話してそのあと5時頃、フェイスブックを
みてみたらやたらと友人が心配していて
はあなんのこと?と思ったらしい。


 その日の夕方私は何が起こったかを知るために
京都のラジオをつけたのだけれど やたらのんびりモードで
驚いて 1日目はほとんど何があったのかわからなかった。

 それからやたらとフランスにいる人達から
連絡がきて うちにはテレビがないからなのか
私がちょっと出ている隙にも彼らは情報を入手していて
「また爆発があったろう!」と言ってくる。
そもそも原発が大変らしいというニュースだって
私の場合はフランスから入って来たんだ。
ええ本当?なんのこと?と思って一体何が
どうなっているのか 自分なりに把握をしようと
もがいていたら いつのまにか
テレビがないのに まわりにいる日本人よりも
いろんなことを知っているようになり
こんどは私のまわりの人が 私にむかって
「ええ そんなことあったのー」と言っている
みんな テレビあるんだけどな。


 最近ではその温度差はどんどんと広まっていて
明確な被害が起こっていない京都はとてものんびり
みんなテレビをつけつづけていると不安になるから
最近はあまりみない人も増えているらしい


 そんなさなかに フランスではもう原発が
大変だという議論が沸騰しているらしく
フランス政府は関東にいるフランス人に
帰国もしくは関東より南にいけと行っているらしい
日本への渡航も自粛を呼びかけていて
昨日からかな 航空機の便も増発させて
どんどん帰国させてるらしい


 彼らはいつも 私にこう言ってくる
「チェルノブイリを知らないのかい?
あの時どうなったと思ってるんだ!」
私はちょっと言いたくなるけど 日本の
一般の人がいったいどれだけ チェルノブイリを
自分ごととして語れるだろう 今日母がもらしていたけど
「原発のことなんて難かしくてわかんないわよ!」と
言っていた。確かに知ろうとすればするほど
あまりに専門知識が必要で かなり面倒くさくなってくる


 どうしてこんなに違うんだろう
同じ日本のニュースであって
同じことを 時には同じ映像も使って話しているのに
どうしてこうも 日本にいる当事者であるはずの
私たちと パリという あまりに遠い外国の人達は
反応がこんなに違うのだろう 
誰かと話せば話すほど 私はなんだかひきさかれてく
コトは重大なんだろうと私は思う
彼らはそれを知っている
だけど私たちは 何かを信じているのだろうか


 私はこんなところにいるけど
正直いってとても怖くて いつも不安で仕方ない。



自分の立場でできること

2011年03月15日 | 自分自身

 毎日毎日 これから何が起こって行くのだろうと
気が気じゃなくって 我が家にはテレビがないけど
ラジオをつけたり インターネットをチェックしたり
携帯のニュースをみてみたり 家族に電話をしてみたり
新聞を食い入るように眺めてみたりの生活で


 だけど 一歩 外に出る と
京都は何事もなかったようで
おそらく誰しもテレビを見ていて
地震のことは考えてるけど
なんだか何もないみたい。

 街中にいってもそうだし 郊外の
ニュータウンのカフェでもなんだかちょっと
拍子抜け で それでも話をこちらが
しだすと そうだよねえとか怖いよねえとか
そうか東京はそんな状況なのねと
いってもらえるわけだけど 
東京の人や東北の人が抱えている状況と
こちらはあまりに違い過ぎ
なんだか外国にいるみたい
(実際ほとんど揺れてないので実感がわかないのだと思う)


 それでもなんだか不思議なのは
そして私がこの場を借りて伝えられることといったら
パリでは我がことのように日本を心配している人達が
たくさん存在していて、もう赤十字の義援金も
動き出したし、原子力発電に関する議論が
もうすでにわきあがっていて デモまで
起きたりしているらしい。遠い日本のことなのに
そんな風に 心配してはテレビのニュースをチェックして
どうしたらいいんだろう 何かできることはないだろうかと
考えてくれている人達もいる
そして議論し動き始める人達がいる
私にはなんだかそれがとっても不思議で
ありがたいことだなあと思う。


 母によれば 横浜はスーパーの棚はもう空っぽで
それというのも必要なものを買うというより
買いだめをしようとする不安な心理が働くからで
スーパーは入場制限をしてるか閉店してたりするらしい。
計画停電はその予定に入っていたけど意外にも
うちの実家の区域はそれを免れたらしいから
まだ停電は経験してない でもガソリンスタンドや
コンビニも ほとんど何も買えないらしい


 それとは逆に 私のいる京都といったら
ほんとうにのんびりしていて 昨日の夜の時点で
スーパーの棚を覗いてみても どこも
品切れになっていないし カフェでの様子も
街の様子も ほとんど何もなかったようで
違うのはテレビで流れている映像と
ときたま義援金の箱をみかけるくらい。


 全ては同じ日本で起きていることなのに
なんだか何がどうなっているのか
私にはよくわからない。ただわかるのは
何かできることがあるなら やった方がいいということで
私は今日の朝新聞でみた、静岡県ボランティアセンターが
毛布50万枚(!と思ったけど避難所には44万人の方が
過しているらしい)を送るらしくて、19日必着で
毛布を集めているんだそうな。これはやろう!と私は思い
よく考えたらこの人口密度の高い団地を活かしたら
けっこう集まるのでは、、、と思いつき
何人かに声をかけて毛布を集めようとしています。

 ちなみに毛布(新品か洗濯したもの)の送り先
静岡県ボランティア協会
420ー0856
静岡市葵区駿府町1の70
県総合社会福祉会館2階
電話054 255 7357



 あと今の私にできることはフランスで日本を
想ってくれてる人達がどんなことを思っているか
どんなとりくみをしようとして動いているのか
ちょっとお伝えするくらいなのかな。
すでに14日にパリの国際留学都市の日本館で
地震に対するチャリティコンサートが行われたそうです。
イベントを自粛する気持も痛いほどよくわかるけど
私だって「こんな時に?」とつい思ってしまうけど
だけどそこであえて集まる そこで
少し前を向ける気持になって
なんかしよう!という気持になれることもある。
こんな時 だからこそ 誰かと集まり
勇気をもらって 何かをしていく
それって本当は とても大切なことだと思う。


 テレビの前で一人でニュースを見続けてると
どんどんと悲しく不安になってきて
無力感にうちのめされてしまうけど
もしかして 誰かと一緒にテレビを見たり
テレビのあるカフェで近所の誰かと話していたら
なんらかのいい行動のアイデアが出て来るのかもしれません
それに一人で家にいるよりも どうせ営業することになってる
カフェにいったら省エネだから こんな不安な時にこそ
カフェに行って 誰かと 自分が今思っていること
それを率直に話し始めてみてください
そうしたらきっと 何かが変わる
カフェはそんな場のはずだから。。。

少しでもできること

2011年03月14日 |  カフェ的な場で考えたこと

 地震が発生してから何と言葉を発していいのか
ずっとわからなかったけど 少しでも 出来ることを
できる立場でやっていくこと それしかないのかなと
考えていて 私のいる京都というのは
ほとんど揺れも起きてなかったし 今でさえ
横浜のスーパーは入場制限が起きているというのに
こちらでは棚に食品が溢れてる。
街を歩いても何一つ地震を感じさせられるものもなく
キヨスクに貼られる雑誌の内容も 先週の
まだ地震がなかったときのものだから
なんだかとても奇妙な感じ


 こんなとき に何をしたらいいものなのか
例えば行こうとしていたイベントにいくべきなのか
それとも家族といるべきなのか
うちにはテレビがないのだけれど テレビを
みせてもらいに行くべきなのか
それともニュースをみてればいいのか
支援のサイトを調べるのか 私にはわからないけれど

 一人一人が 自分のもってる力を活かして
少しでいいから何かすること
それが大切なんだろうなと今日気がついた。


 今日は前から合う予定だった京都の友人と
カフェで会い そもそもこんな時にカフェ?とか
昨日彼女が開催していたイベントに人は来たのだろうかと
思ったけれど そのイベントは 急遽チャリティになったらしい

 カフェをやってる彼女によれば
そうやって少しでも来た人達の気が晴れて
かつそのお金が何かの役に立ったら
いいんじゃないかと言っていて

 今日私もこんな時なのに子供を預けて
カフェで本を書きながら どうしてカフェに
来るのかって こんな時なのに じゃなくって
本当はこんな時だからこそ 人は不安で仕方ないから
誰かと寄り添っていたくって カフェのように
誰かが同じ空間にいるところ に 来るんじゃないか
そう考えた。


 ポジティブにしててもネガティブになっていても
同じ結果が起きてしまうなら それならネガティブに
ニュースの前でじっと座って動かないより
それでもこんな時だけど 梅は咲いてて
うぐいすは植物園の前で鳴いてて 着物さえ
来ている人たちがいる こんな時なのにと思うけど
もしかして こんな時だからこそ 
ラジオで音楽を流したり 自分たちが
持てる力をちょっと活かして
だれかの気持を楽にすること
そして誰かにネガティブな気持を移すんじゃなくて
誰かもちょっと前を向ける気分にすること
それが大切なのかもしれない。


 日本ではどんどんイベントが中止になっていくけれど
フランスだったらこんなときチャリティイベントがあるらしい
こんな時にそんなことしてられないよ!と思うけど
こんな時だからこそ 自分の持っている要素を
少し活かしてみること それが誰かの役にたつこと
そんなとこもあるのかもしれないと思う。


 私が言えることなんて 私のフランスの友人たちが
本当に日本を心配してくれているということくらいと
きっとカフェみたいに人がいっしょにいれて
ほっとできる場は役に立つということくらいしかないけれど
友達が教えてくれた 素敵なサイトがあるので
それをご紹介します。日本ってすごい国なのかもしれない
そんなことよく言われたけど あんまりよくわかってなかった
日本人の一人として 私も何かがんばりたいです。

http://prayforjapan.jp/tweet.html

 それからご存知かもしれませんが
日本財団の義援金のサイトです。
クレジットカードで一口2000円から支援できるそうです。

目の前が真っ白になる

2011年03月10日 | 想いをカタチに

 面白い という言葉 は
目の前が真っ白になるって意味なんですよと
かつて上田先生のやったParty for the futureで
出会った人が言っていた。


 驚いて目の前が真っ白になる
そんな経験 日本ではなかなかしたことなかったけれど
人はそんな経験を一度してしまう と
それまでもってた価値観が音をたてて
崩れはじめて 違った発想を手に入れられるようになるのだろう


 あれは去年の4月だったか まだ1年も前じゃないけど
私たち は カフェ研究会というのを開催していて
それは東京の芝につくられた「芝の家」で開催された。
そうその時は 同志社の上田先生が
アメリカのMITに行ってしまって
そこからスカイプでそこでの様子を中継するという
そんなのがメインの日だったのだ。


 そこで私は驚いた。

 上田先生も驚いていた。先生はこう言っていた。

 「いやあね、行く前はね もうアメリカになんて
見るものは何もないと思ってたんですよ 日本にだって
なんでもあるしね ところがね 行ってみたら
もう楽しくって楽しくってね!!!」

 画面の向こう側から伝わる上田先生の興奮ぶり。
沢山のカフェの映像 新しいMITの建物の中で
一体何が起こっているか。 レゴが置かれ
食べ物をつまめるパーティの中で 日本人からは
想像もしえないようなすごい作品をつくる人達

 
 私は目の前が本当に真っ白になってしまった。


 先生は もしかして少しくらいは
画面の向こう側にいる 日本で日本的雰囲気で
久しぶりに集まっている なんとなく楽しげにみえる
私たちをみて「いいなあ」と思ったかもしれない
だけど私は喉から手が出る様な気持で
「私もこんな世界に行きたい!!!」と強く思った。

 こんな世界が 人々が持って生まれたものを
ぐんぐんのばして刺激しあって クリエィティブになっていく
そんな世界が存在している そんな生き方もありだということ
それに私は開いた口がふさがらなかった。


 それから2ヶ月くらいしてから 私はパリに着いたのだろうか

 そこにはまた 違う世界が存在していて

 こんな風にリラックスして都会の中で生きられるなら
どんなに素敵なことだろう と また
喉から手が出るほどこの街に住みたくなった
アメリカを知ってる人は アメリカの方がよっぽどすごいと
言うけれど 私はやっと 「私も入れて!!」と
心の底から叫んでしまえる そんな場所 を みつけたような
そんな気がそこでしたんだな。


 今日なんか 上田先生の気持がちょっとわかった気がした。
日本で先生はワークショップの第一人者と言われてて
沢山の場所に関わって 沢山のところで提案してきた
そしておそらく多くの人はこう言うのだろう
「さすが上田先生!すごいですねえ、、、」

 だけど先生はアメリカに行った時
もっともっとすごいものに圧倒されて
(あきらかに圧倒されてる雰囲気だった)
その中で でも自分だって何かやれると
レゴのパーティを開催しながら それでも
驚きいろんなものを吸収していた
そう 先生は日本でずっと誰かの前で提案してきて
ひっぱってきた それは一人で?わからないけど
だけど先生も誰かと一緒に 仲間になって
もっと前に まだ見ぬ未来に進みたかったんじゃないのかな


 私はずっと そんな誰かを探し続けていたのだけれど
どうしてなかなか出会えなかった 「カフェ研究会」の
先生達は とっても面白かったけど
あれからは音沙汰もなくなって 私はまたしても一人になった
だけど一人じゃ進めない 一人では発見できない世界がある。

 フランス語にはdécouvrir(デクヴリール)という言葉があって
発見するとか見出すとかっていう意味なのだけど
彼らはこれを好んで使う。もっと目を見開いて
違う世界 を 知らない世界を発見すること
それってとっても大切だけど 一人きりではなかなかできない
découvrirできる仲間が見つかった時
人ははかりしれない速度で進んで行けるのだろう


 私はもっと進みたい 
 私はもっと発見したい
 違う世界もあることを
 違う生き方もあることを

 そんなの本当にあるのかななんて
日本にいるといつもネガティブになってしまうけど
きっとまだ 見てない世界が 見るべき世界があるのだろう
「知らなけりゃよかったのに」と思うことなんて
世界中には山ほどあるけど 閉ざされた世界の方が
幸せだったと思うことだってきっと沢山あるだろうけど
私もいつか先生みたいに 驚いて 中に入って
そんなことも ありなんだ って 日本の人に伝えたい。




 

フランスの食の取材記事

2011年03月09日 | フランスの食文化

 最近はもうどうしよう、、、と
6割くらいはネガティブになり
4割くらいは未来をみつめて
なんとか立ち直ってみたりとか で
あまりに抱えてることがありすぎて
どうしていいのかわからない。


 そんなネガティブで非常に弱気な私にとって
ほんの少しの希望の光を見せてくれるもの
それがフランスに関することとか フランス語で
しゃべることなのだけど そうはいっても
異国は異国 ちょっと普通のモードになるたび
どうしていいのか まったくもってわからなくなる

 それでも進んで行くしかないんだ
第一後戻りしようとしても全然うまくいかないじゃないか
そう自分に言い聞かせたり してはみるけど
なかなかどうして 私は一人でポジティブになれる
タイプじゃないみたい。


 それでも何かは変わり始め
何事かは 今年に入ってから
すごい勢いで動き始めて
ついにはじめて 今一緒に
お仕事をさせてもらってる
パリのビストロ、カフェ文化を紹介するサイトに
翻訳でなく、自分の言葉で文章が書けました!!

 先日カメラ片手に「プレス」ということで
取材をさせてもらったアジア最大の食の祭典
Foodexというイベントの取材記事です。
少しでもフランスの食やワインを身近に感じて
もらえたらいいなと思います。

 この先は日本で面白そうなカフェとか
ビストロやワイン関係の記事も
書けたらいいねと話しています。
フランスってまだまだ面白いとこなので
これを通してもっともっと 私も学んで
沢山のことを伝えて行けたらと思います。
よかったらクリックしてみてくださいね!





夢に向かって

2011年03月07日 | フランスへの道
 
 京都の家で家事をしてると
なんだかいっつも苦しくなって
もうどうしていいのかわからなくなってくるけれど
そんな私を救ってくれて 希望を見出してくれる先は
いつもその先にある世界。


 子供を生んだばかりのときに
我が家に国際電話がかかってきたとき
「パリのローランだけど!」と言われて
心の底から驚いた。パリ、、、?!
って 存在しているのだろうか
私には京都の家の4畳くらいの世界しか
その時存在してなかったから
本当に意味がわからなかった。

 その高い楽しげなトーンの声に
私はとても驚いて 2年以上たった今でも
その時のことが忘れられない。


 子供を生んでみてからは
それでもやっぱりフランス、、、と
やたら想いが強かったけど
そんなパリはまだこの世にちゃんと存在してて
私が知ってる世界というのは 目の前に
壁のようにそびえたつ あの団地だけではないらしい。


 さて最近は激しい苦しさを抱えながらも
ほんの少しの希望を抱いてなんとかかろうじて生きていて
今日はこの先の計画を自分一人で考えていたら
さっき国際電話をしていたパリの人から
ほとんど同じようなことを提案されて驚いた!


 そうそうそれ!まさにそれをやろうと思って
今日書いていたとこだったんですよ!やっていいの?
そりゃなんて嬉しい、、、そんなこと 
させてもらえるのなら 本当に私は嬉しい
取材とかもっとしたいなあ 日本のカフェも
日本のワイン学校とかも それから
パリでがんばっている日本人から
のちのちはParis-Plageとかまで
手をひろげて インタヴューしてみたらどうだろう。


 先日のFoodexでは即席「プレス」になったけど
職人さんや 想いをもっている人達の
話を聞くのが高校のころから好きだった私にとって
そして呼ばれてもないのに やたらにそんな展示会とかに
足を踏み入れていた私にとって これはけっこう向いているかも
と思ってしまった。 カメラ片手に 文章書いて
ザック背負って?ザックの中にはパソコンだろうか
昔一度新潟の職人さんの取材させてもらえたときは
本当に楽しかったなあ そんなことがまたできたなら
それが今度はフランスのワイン生産者だったなら
それほど楽しいことはない。。。


 苦しいことは山づみだけど こうして時折
夢をえがいて むふふと思える
それがしかも 私だけの空想ではなく
誰かがそれをできる機会を用意してくれてるのなら
こんなに嬉しいことはない。何だか前に進んでいけそう


 あの日6月のカフェシャルボンで
私たちは語り合っていた。そうそう まさにそれなの!と
日本とフランスはこんなにも遠いのに
不思議なことに シンクロニシティが起こりうる。
そうそう もっと深い意義のある旅を
提案できたらいいよねえ そこで日本語でガイドして と
それから私はガイドの試験を受験して
なんとかそれも受かったみたいで
この先も夢が広がるけれど
仲間がいれば 協力者が いたのなら
夢は叶って行くのだろうか

 きっとこれから面白くなる
私たちはもうはじめてしまった
神様はきっと「ひきかえしても無駄だ」と
私に言いつづけてる。後ろを向くより前を向いて
振り返らないで進んで行くこと なのかなあ
死にそうな顔じゃなくって
思いっきり楽しそうに 笑ってカフェで
議論している そんな日 が くるのかなあ

 応援してくれる人がいるから
やるべきことは山ほどあるから
不安からスタートするのは もうやめにするべきだから
不安じゃなくってワクワクを もっと大切にして
眼前に描かれつつある きっと実現可能なはずの未来を
しっかり見据えて歩きたい。



心の声

2011年03月06日 | 私の人生

 ここに戻って来ると私の内なる声はたいてい
いっつも 苦しい 苦しい、、、と訴えていて
だけどなんだかぬるま湯だから そこを出るのも
こわくって それにやるべきことが山ほどあるから
そんなこと言う暇があったら進むしかない!と
そこに向かってみるのだけれど

 
 どこかに気持を吐き出したい。


 とはいえブログはなんだか公のものになっていて
予想さえもしてないような誰かがみているわけだから
(それはおそらくあなたのことかもしれません?)
それでも私が書いてしまうのは ただ書かないでは
生きられない人だから というのもあるけど

 京都において これだけブログを書いて来たのは

 もしかして 近くにわかってくれる人というのが
いなかったから なのかもしれない。


 パリや東京で書くときは おそらく私は
こんなことがあった!とか こういう経験をしたとかで
「伝えたい」という想いで書いているのだけれど
京都でパソコンに向かってひたすら手を動かしているときは
このどうにもならない想いをどこかに吐き出したくて
それがこのパソコンだっただけ で
もし誰か がいたのなら そうはならなかったのかもしれない。


 そう考えると 今置かれているこの状況も
まあ仕方のないことなのかなあ
私はどこへ行くのだろうか
私はどこへ向かうのだろうか
人は夢 を 口にしたなら
そこへ一緒に向かってくれる 誰かを
見つけられたなら それを実現できるのだろうか

 
 今日はモコモコカフェというところで
カフェコーヒーというイベントがあり
そこで楽しくカフェについて、BAR探偵の店長の
吉崎さんと モコモコカフェの店長のくろちゃんと
みんなの前でお話をさせてもらってきたのだけれど
お話を聞いてくれてた中の3人が 自己紹介で
「このカフェが出来る前からかかわっていて、、、」
と言っていた。


 そういえば 今はカフェがあるけど
私も子供を生む前は 彼女らとともに
ちょっと行動を共にしていて
今のカフェの2階はまだ誰かの部屋であったり
1階は土間みたいになってたりとか
その前にパオでカフェをやってたりとか
いろんなことがあったなあ


 もう私も「cafe文化研究家」的な肩書きに慣れ
みんなの前で本の宣伝をするのもだいぶ慣れたりしたのだけれど
彼女達とカフェで語ってた頃 私はまだ原稿を書いてるときで
書き終わって蓮太郎が3ヶ月の時 出版記念パーティとかで
ここに居た人が来てくれたりもしたよなあ
あのころはまだカフェはなかった

 
 そうやって 思い返せば
夢は叶うものなのだろうか。
今日ここにいた吉崎さんは いつか鴨川で会った時
「京都に移るか静岡に残るか」でかなり熱く語り合い
「僕は京都でもやっていける自信があります」と
語っていたな そして今京都でカフェの店長をやっている。


 そうすると 想いをもって 動きだし
協力者 を 見つけていったら
たとえ大金は稼げなくても 夢は叶うものなのだろうか


 私にはよくわからないけれど 今日そこにいて
みんなの前で話をしていた3人は 他の人から見たら
ちょっとは「夢を叶えた人」ということになるのだろうか
そうなのだったら 夢ってどうしたら叶うんだろう


 
 私にはもう何もないから
何もないと思っていたから
失うものさえないと思ってたから
だから私は動きはじめた
そして私は語り始めた
だって何一つもってないから
それでも何かを叶えたかったら
言葉にすること?それ以外には何もなかった。


 私には何もなかった
降ってきたのは希望だけ で
もう死んだ顔して生き続けるのは嫌になったから
希望を持ってみたかった。


 希望があるなら 死ななくてもいいのなら
もしも笑って生きられるなら そんな人生があるのなら
もう一度 そこに向かっていきたい
そう 心の底から思った私は
行動を起こすことにした。



 そうして私は?どこかに向かって行くのだろうか
この2ヶ月で 本はだいぶそれなりの形がみえはじめ
Paris-bistro.comはまたたく間に立派な形になった
夢を実現させるためには?語るだけでなく
協力者、応援してくれる仲間が必要なのだろう。
そんな時 手に負えないくらい大きなものを背負ってしまって
それが回転しはじめたとき、助けて!!と心の中で
叫びながらも なんだか楽しくて笑ってる
それがかつて 人が呼んでた「イイダミキ」という者なのだろう

 だから私は 進むしかない
もう 進み始めてしまったのだから
悲しくなったり 苦しくなったり 弱気になってる暇はない
そう それはよおく わかってる
だけどどこかに吐き出していたい
私は決して強くはないから
道はきちんとひかれてないから
あるのはただ希望だけだから
それでも道がつくれたのなら
何年か後に 今日の日みたいに
「そういえばあのころこんな風に言ってたなあ」って
ちゃんと実現してるんだって 思える日が 来たのなら
これを書いた意味もあるかな?

 時間はとても限られてるから
少しでも前にすすまなきゃ。

ワインとの出会い

2011年03月04日 | フランスの食文化

 「フランスってご飯もワインも美味しいでしょう?」
留学中に 旅行でパリに来た日本人女性出会う度に
こんな質問を投げかけられた。そう言われるたび
私は「そうですか、、、」となんとも言えない言葉を
返してた。だって私が食べているものといったらクロワッサンに
サンドイッチに自分でつくったパスタだったり
ワインなんて興味もなければあまり好きじゃないと
思っていたから滞在中に何度か「もっと飲めばいいのに」
と言われたけれど そんな気にもなれなかった。
当時の私はワインはなんだか渋くて
あんまり美味しくないものだと思ってた。


 ところがそんな私に大きな変化が訪れた。

 それは私の人生を大きく変えることになる
6月の まさにあのカフェで語り合った日なのだろうか
どうして私は ワインが好きになってしまったのか
それはよくわからないけど あの恐ろしい
「コンフェランス・ド・ラ・プレス」というのが
発端だろうということは間違いなさそうだ。


 そこのコンフェランス、、、ってなんだったのかと
思ってたけど 最近になって辞書を引いて意味を知ったら
なんと「記者会見」だったらしい。私は
全くわかってないまま会場に出向いてしまって
そこでフランスのワインの規制の変化について
全くもって理解できない話を2時間くらいきかされて
そこで私はちょっと持ってたフランス語に対する
自信を全部失って だけどもうちょっと知ってみたいから
帰り際に ワインの本を買ってみた。


 そこから何かが変わっていって
本当に何も知らなかったワインに少しずつ
触れて行き 「ラーオーセー」って何なのか(L'AOC)
フランスにはどんな地方があるのか
ぶどうの品種にはどんなのがあるのかとか
ちょっとずつだけど学んでいった

 それだけじゃなく 何よりも大切なこと
それはワインの味わい深さ 奥深さを
身をもって体感できたことだろう。


 昨日ははじめて「取材」と称して
(なんと私は「プレス」になって
「プレスルーム」に行ってしまった!)
幕張メッセのFoodexというイベントに行き
そこでフランス関係の企業がどんなものを
出しているのか見にいったのだけど
まあ半分以上はワイン!ワイン!で
ボトルが100本以上並んでる、、、


 なんとなくワインというだけで
華やかで高級で敷居の高そうな感じがしたけど
新幹線代払ってまでここに来たのだ。
かなり気合いを入れて来たから
なんとなく素通りなんかしちゃいけない!と
会場にいること6時間。なんとか勇気を
振りしぼり 折りを見てはフランス語で話しかけ
ワインを試飲させてもらったり
お話をきかせてもらったりした。


 今回ここで試飲したのはモンペリエの近く(ミネルヴォワ)の
赤ワイン、ボルドー近く(ベルジュラック)の白ワイン、
タヴェルという、アヴィニヨン近くのロゼワイン、
それからドイツワインにベルギービール、紅茶に
日本酒、ベトナムコーヒー、、、、

 色々と飲んでみると 本当に同じ「ワイン」という
名称なのに どれも味わいが全然違って
記憶に残る味わいだった。なんというか
フランスの奥深さを感じられる経験だった。
前にパリで4種類のワインの試飲会を
友人宅で開催してもらったときも
全然味が違ったけれど
「みんなちがってみんないい」って感じなんだなあ
「それぞれ違って それぞれの味わいがあるから面白い」
という、、、フランスワインはそれを味で示してくれてる
そんな気がする。夏以降いろんなワインを飲んだりしたけど
フランスのワインがいいなあと思うのは
複雑な味の広がりだったり変化だったり
地方ごとに全然違う味わいがあるからなのだろう。
その違い、多様性、同じじゃなくてもいいということ
それが私の心も一緒に開かせてくれる そんな気がする。


 本当に美味しいワインや本当に美味しいものは
やっぱり作り手の人の想いがしっかりと入っているのかなあ
それを感じられた時に「うっわあ美味しい!!」と感動し
その味わいがいつまでたっても舌に残って
忘れられなくなるのかな。

 先日友人と行ってみた大山崎のサントリーのウィスキー醸造所で
味わった「山崎」もめちゃくちゃ美味しくて
ああこの空気で味わうの最高、、、、!と二人で感動していた。
そういう 味と その雰囲気とが相乗効果を生み出して
記憶に残る味わいになる それって本当に素晴らしい。


 ワインは一人で飲むものじゃなくって
誰かと一緒に楽しい雰囲気で その時間全部を楽しんでると
より一層美味しくなるもの。美味しいワインを選べるようになったなら
美味しいワインと楽しい食事と会話でいい時間が過せるかしら
ワインと料理のマリアージュ 
心まで溶けて行きそうな気分にさせる魔法をもった
フランスの美味しいものたち
昨日はちょっとそんな気持を思い出させてもらえたから
これからももう少し進んでいって
楽しい食のあり方を 私ももっと探りたい。

「カフェコーヒー」というイベントがあります

2011年03月01日 |  カフェ的な場で考えたこと

 今日は東京のカフェに入っていたら
とある女優さんを発見しました!
東京ってすごい、、、と思った1日でした。

 さて、今度3月6日に京都の
モコモコカフェで、かつて静岡で
auraというカフェをやっていた吉崎さんの
お話を聞く会を開催します。私は聞き手として
彼にいろいろ質問をしたりする役で登場します。
モコモコカフェは座禅の会やヨガなど
いろいろやっててとても素敵な町家カフェです。
よかったらいらしてくださいね!


:::::::::::::::::::

カフェ講座
カフェコーヒー ~吉崎孝介の場合~

ゲストスピーカー 吉崎孝介(BAR探偵店長)
コメンテーター  飯田美樹(café文化研究家)

京都には、カフェがたくさんありますが、
その店にはそれぞれ個性がある。
その個性とは、どんなこだわりでできているのか、
こっそり教えてもらいましょう。
気になる店主のカフェ講座。

この企画、吉崎さんとの出会いから始まりました。
吉崎さんは、元田中にある「BAR探偵」の店長さん。
友人がよく行く店で店長さんがフェアトレードコーヒーの話が出来るとの噂を聞いて
お店を訪れたのがきっかけでした。
フェアトレードコーヒー、それは生産者に適正な価格で取引されるコーヒーのこと(かな)。
知識もなく、とにかくコーヒーについて学びたかったのもあり話を持ちかけたのですが、
お話をしていると、彼自身がとても個性的でおもしろい生き方をしていたので
そちらにどんどん興味が移っていき、企画も吉崎さんのカフェのこだわりへと変更になりました。

普段、何げなく入る店にも店主がいて、話さなくともその店の空気を作っている。
そんな店主は、普段何を思って、何にこだわっているのか教えてもらいたい。
話を聞いて、またその店を訪れるとぐっと見る目が変わるはず。

どうぞ、お気軽にご参加お待ちしております。
コーヒーを飲みながら、サロンのように店主と気軽にお話しいただけるようになっています。
当日は、吉崎さんが「おいしい」と自信のフェアトレードコーヒーを取り寄せていただいています。
そちらもどうぞお楽しみに。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
吉崎孝介
1981年東京生まれ。
大学中退後東京のcafe slowで修行後、静岡でcafe&bar auraを開業。
auraは学生から60代ぐらいまでの常連客が付き面白い人が集まるという噂の店になる。
auraを営業しつつ様々な文化活動を行う。
静岡大学のある授業から生まれた学外ゼミ「天晴れ門前塾」の第三期の講師を務め
「カフェ論」というテーマで静岡市内の4つの大学の学生に向けて半年間授業を行う。
auraは3年半営業し、静岡でまたcafeをやる事を約束しつつauraを一旦閉店、京都に移る。
京都は3年目、現在はフリーカメラマンとBAR探偵の店長を兼業
吉崎孝介 HP
http://kousukeyoshizaki.web.fc2.com/

飯田 美樹
café文化研究家。20世紀前半に様々な文化、芸術的運動が起こっていった
パリのカフェが一体どのような場所だったのかを研究しながら、今の日本にも
もっと心地よい出会いと会話の生まれるカフェが増えるようにと、機会をみては
カフェの力強さについて発言したりしています。
著書に『caféから時代は創られる』(いなほ書房)。
現在はサードプレイスとしてのカフェについての本を書こうとしています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
テーマ
・なぜカフェにこだわるのか(カフェの歴史など)
・カフェをするためのこだわり
・なぜ人はカフェをやめるのか
・常連のすすめ

場 所:mocomococafe
    京都市中京区間之町通丸太町下ル大津町665
参加費:1500円(コーヒーとお菓子付)
    ※コーヒーは吉崎さんが用意したフェアトレードコーヒーです。
日 時:3月6日(日)16:00~18:00
申込み:お電話もしくはメールアドレスまで。
    (電話)075-634-6796
    (Eメール)mocomococafe@hotmail.co.jp

フランスに行くなら

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