alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

一期一会の茶会

2011年02月23日 |  カフェ的な場で考えたこと

 今日はもうすぐ1年目になろうとしている
「洛西ほっこりカフェ」があり 今日は気楽なお茶会を
しようというので2週間くらい前から
隙をみては蓮太郎をさそって「お茶会ごっこ」を
開催し(なんと押し入れでも開催した)
一番簡単なお点前の練習を再開していた。


 ところが今日は先生を呼んだのよ、とのことで
あらそうか、お点前はできそうにないか
そういえば炉もでているし これじゃあ私にはわからない
と 着物を来てはきたものの ちょっとがっかりしていたら
みんなが気楽にお茶をのんだ後 代表の人が
「じゃあ私にいれてくれるかな?」と声をかけてくれ
「でも私わかりません、、、」と言ったら先生が
指導をしてくれた。ハイ 柄杓は?いやそうじゃない
この手で茶巾をとって ハイこれは、、、と
うひゃーもう何年もやってないのでごめんなさい!と
思ったけれど ここでひるんでいる場合じゃない。


 だって私 今日ここで この人たちに
お世話になったこの人たちに お茶をいれたかったんだ。


 だから緊張している場合でも 人の目を気にする場合でもなく
心をこめてお茶を点てよう ありがとうの気持をこめて
本当にお世話になりましたという気持をこめて。

 そうやってお茶を点てていたら 次から次へと
知り合いの人がやってきて おしまいの点前を
しようとしてると また誰かきて
ああこの人も知り合いだ と 結局それから最後まで
私がお茶を点ててしまった。


 先生 本当にすみません、、、と思いながらも
でもここは遠慮している場合じゃない と私は思った
だって私はこれを主催してきた一人でもあり この場のおかげで
ここの人たちと地域の家族のような気持になって

 だけど言えない もしかしてもう 最後かもしれない
そう思うから だから精一杯の気持を込めて私は
一人一人にお茶を点ててみた。そうそして

 なんだか今日 お茶というのがわかった気がした。


 ずっと今まで 茶道というのは堅苦しくって
私にはカフェがいい!と思って来たけど
これって全然別ものなんだ。それで私は
どうして茶道をかじったかって カフェの研究もあるけれど
場をつくる人だったから で 自分でもいつか
大切な人たちと 自分らしいお茶会がしたいと
そんなことを 大学を卒業するときハーブティの
お茶会を 振り袖を着ながら日本庭園の横っちょにある
和風建築で開催したとき きっと思っていたのだろう。


 今 私 は まがりなりにも着物が着られるようになり
上手じゃないけど お点前をするということも可能になって
こうしてここでお世話になった人たちに 一杯一杯
想いを込めて お茶を点てている時に
そして彼らがたった1分か2分の間 茶碗と向き合い
緑の液体をじっと目にして それをすすっていく時間
私が点てたお茶だとか その想いとか に
ほんの少しだけ想いをはせて そこには
少し 少しだけかもしれないけれど
無言の だけど 見えない心の交流が
そこには存在するかもしれない。


 私は言葉を発せなかった
それは発したくなかったからで
どうでもいいことしかいいたくなかった
だって言うのが辛いから


 そんな時 だけどありがとうの気持を込めて
誰かにお茶を出せるなら それは誰かと気楽に
コーヒーをのむ そんな空間とは全く違って
なんだか不思議な緊張感と なんだか不思議な集中力と
不思議な力が働いて 本当に一期一会になるのかな


 そんなこと が したかったから
私はお茶を始めたのかな ただもう一度お点前がしたい
そんな想いしかなかったけれど 大切な人たちに
豪勢な料理でも 気楽なコーヒーとケーキでもない
沢山の会話でもない 無言の交信
言葉にはできないけれど 言葉にはならないけれど
大切なことを伝えたい 伝わってほしいと願う
それが一期一会なのかもしれないな


 きっといつか 誰かが思い出すだろう
あそこで私があなたに向けて お茶を点てたということに
そこにどんな意味が込められてたのか
それはわからないけれど
自由で元気なカフェとは違う
言葉にできない 言葉にできない
でもこの行為で感じてほしい
そんな日本的な空間が 日本のお茶会なのかもしれない。

創造空間

2011年02月18日 | 想いをカタチに


 今日は京都のSocial kitchenというカフェの2階で
創造空間という素敵な名前のワークショップに行ってみた。
ずっとこのカフェは気になっていて 
オープンしたばかりのときに 蓮太郎とえんやこらっと
行ったのだけど その後の雰囲気はどうなのかなあ
京都の中心地みたいになってるのかしら
やっぱり京都はおもしろいのかな
離れていったらだめかしら と
そんな気持に探りをいれたいなーと
思っていたら 今日のワークショップを見つけ
やってみたかったコラージュをするというので行ってみた。


 結果からいうと とても素敵なワークショップで
何をするって ほとんど放っておかれるんだけど
それがすっごく気持よかった。
説明ははじめのほんの2分くらいで
あとは勝手に紙やらなにやらを選んでいっって
勝手に座って ひたすらもくもく
自分の世界にみんなが入ってコラージュをつくってく。
それが気持いいのなんのって!

 以前にも一度スクラップブッキングのワークショップに
行ったことがあるのだけれど それもかなり楽しくて
ああこんな時間ってなんて素敵!蓮太郎のアルバム作らなきゃ!

 と 触発されて やたらに高い台紙やらキットを
母に買ってもらったものの それから一度も触っていない。
「こんなの一人でもできるじゃん 自分の世界に入るんだから」
と思ってしまうけど なかなかそうもいかなくて
特に普段 私の場合はやたらと研究モードに入ってしまって
本当は漫画読みたいなあだとか 小説も読んでみたいなあとか
スクラップブッキングもとか思うけど 
「まずはこっちが優先だ!」と もう何年もそれらのことは
あとまわし(多分この先もやってこない??)

 そういうわけで 「一人で作業をするのだけれど
そこに誰かが一緒にいる」ってすごくいい!
だって材料は沢山あるし ちょっと目をあげて
隣の人のやり方をみて ははーなるほど
ああするといいんだな!と触発されてまたそれを
やってみたりとか そして最後にみんなでちょっと見せたり
解説をすると ほーそういうことなのか!こんな風にも
できるんだ というのが共有できてすごく楽しい。

 
 今日のテーマは「未来予想図」とのことで
10年後を想像して作ってみてくださいとのことだった。
でも別にそうじゃなくてもいいんだそうな
そのゆるい感じがとってもよくて
いただいた案内によれば ここはとても「カフェ的」空間。

 「創造空間コンセプト」
ここでは基本的に人の邪魔をしない限り
何をしても自由です

人の作品やものを批判したり分析したりしないこと

人とコラボもOKです

無理に何かを語ったりする必要はないです
でも もし何かを言いたくなったら なんなりと
皆さんとシェアしてください

気持が乗らなかったりするときは 遠慮なく
一休みしたり この部屋を出ることもOKです

とにかく一番大事なこと 
自分が楽しい 嬉しい状態であること


 これですよこれ!!まさにいいカフェの
条件みたいじゃないですか!
そして「別々のことをしていて
お互い話しかけもしないけれども一緒に居る」
それがすごい大事なんだよね。一人ではできないんだもん。
一人でできそうに見えるんだけど。私は結局息子が11ヶ月の
時にスクラップブッキングをして それから彼は2歳半に
なったけれど それまで一度もしていません。


 それでうーんなかなかいいのができた?とか
自問自答していると みんなやっぱり人の作品に
興味があって いいところをお互いにほめ合ったりしていて
それがなんとも嬉しくなるし面白い。

 私は自分の気持に素直になって
やっぱりパリに住みたいだとか
いつか瀬戸内海に住むのもありかなとか
そうそう再生空間だとか インターナショナルな宿みたいなのを
つくりたいとか 息子も大事にしていたいとか
フランス的生き方を学びたいとか
もっとアーティスティックに生きてみたい!とか
ここに来る前のとても後ろ向きな気持はどこへやら で
やっぱりちょっと嬉しくなって
いろんな色を使ってみたり
マスキングテープを使ってみたり
そんなことをするのが楽しくなった。


 今本を書こうともがきながら 
やっぱり「共感の力」って大切だよ!と
痛感したりしてるのだけど 今日も思った。
「ちょっとこの先海外に住みたくて、、、」と
もらしてみたら「いいですねえ ぜひ遊びに行かせてください!」とか
そんなことを言ってもらえると なんだかこちらも嬉しくて
「はあバカなこと言ってるんじゃないよ!何考えてんの」と
言われるのではなく 見知らぬ人に 気楽な気持で
素直に応援してくれる そんな態度がとても嬉しい。

 日本を旅してみたい人や
海外旅行をしてみたい人
京都をもっとまわりたい人
いろんな人がいる中で
私はやっぱり 私が求める
アーティスティックで知的で活き活きとした
パリにもう一度住みたいなあと
心をちょっと開く度 に 思ってしまう
もっとあそこでのばしたい いろんなものを 伸ばしたい
コラージュも絵も写真もフランス語も 思想も料理も
インフォーマルパブリックライフや人生の楽しみ方も
もっと もっと と思ってしまう
いつも私はこわくって
いつも私は臆病だけど
やっぱり自分を解放したら
たどりつく結論は同じらしい。

 2011年は変化の年になるのだろうか
10年後 私はどこにいるのだろう
10年後に今書いたものを読み直したとき
わーい全部叶っていたねと
そう笑えたらいいんだけどな。

蓮太郎と二人旅

2011年02月13日 | 子どもから学ぶ

 最近はパリから帰って来てから蓮太郎と探検ごっこに
はまってて それというのも普段私と二人では
ほぼ決して歩くということをしなかった蓮太郎が
父母のもとでは実家から駅まで歩いていたというのを
知ったから で もしいつか パリに行くなら
ベビーカーは使えないし 三輪車もちょっと非現実的かも
しれないと思うから ここは鍛えさせるしかない!と
これを機にがんばっていた。

 
 息子をソムリエにしようかとか 探検家にしてみようとか
旅人になったらだとか 料理は仕込んでおかないととか
いろんなことを思うけど 我が子はけっこう私に似ていて
探検するのは好きらしく「探検行く?」と言うと必ず「行く!」と
言い返し やっぱり行かないことにしたりすると
けっこう後で文句を行ってるような気がする。


 
 さて そんな息子とちょうど機会があったので
瀬戸内海に住む友人の家に遊びにいってみようかと思い
それなりに心づもりをしていたら 二人旅の前日に
ちょっと探検しに行った西京区のお寺に行く途中で出会った人が
「連休は天気が大荒れですよ 旅行はやめたほうがいい」と
歩きながら忠告してくれた。え、そんなあ。。。


 何も知らなかった私はその後も近所のカフェで
天気予報を聞いたりしたけど「雪 雪 雪!!」とのことで
それじゃあだめかあとがっかりきていた。
でもなんとなく 今がタイミングな気がしてて
そりゃやることも積もっているけど 今は頭を空にしないと
いいアイデアすら生まれない そんな気がして
気持的には行きたかった。でも当日の朝は大雪で
蓮太郎は風邪っぽくって やっぱりだめか、、、と
諦めて 「もうお母さん 一人で行こうかな 蓮太郎
風邪みたいだし、、」と言ったら「蓮太郎風邪じゃない!!」と
言い張る息子。 「本当に?本当に行くの?新幹線いい子にできる?
疲れても「蓮太郎もうあるけない 電池きれちゃった、、」
って言わない?言ったら置いて行くからね!」
「お父さんとお留守番する?」「しない、行く!!」と一点張りで
仕方がないので子連れでも一人で行っても電車賃は
変わらない し そういえば最近は一人で旅するよりも
蓮太郎といる方が面白いかもしれない 
そう思って出かけて行った。


 大雪の中 ザックを背負い 長靴をはかせ
雪にそなえてスノースーツまでザックにいれて
2泊3日の旅に出た。さすがに一人でこんなことを
するというのは私もはじめての経験で
私にとっても大きな経験 彼にとっても大きな経験
おたがい沢山成長をした。
(ちなみに乗った乗り物は新幹線、バス、車、
ローカル線、ロープウェイ、レトロバスと船!)


 なんとこの旅の最中に いつも「抱っこ抱っこ!!」の
蓮太郎はほとんどそんなことを言わずに 尾道の千光寺から
下の道まで全て自分の足で降りて来た。どこまでも続く階段を
おっとっと っとといいながら 駆け抜けて行った私たちを
まわりの人は笑ってて 私たちみたいなバカな親子は
どこを探してもいないけど なんだかほほえましかったみたいで
電車でも沢山の人に話しかけられて面白かった。
蓮太郎と私はバカ親子なんだけど 
そんなことをやってると まわりもだんだんバカになっていく
それがなんだか面白い どうやらバカって伝染するんだ
そして周りがいい表情になってゆく
それってけっこう 素敵だなあ


 友人の家に行っても 愛想のいい息子はすぐに
友人夫婦と仲良しになり 沢山一緒に遊んでもらって
寝る時もほとんど夜泣きもなくて 基本的には
よく眠ってた 眠れなくってどうしようと思っていたのは
親の私なんだけど、、、


 息子は私の手をひいて 私は息子の小さな手をひいて
二人で一緒に街を歩いて 時には街を駆け抜けて行く
尾道に向島に生口島 に 鞆の浦 で 私たちは美しい
景色をみつめて きれいだねえと言い合って
2泊3日で信じられないくらい沢山の人に出会っていった
家族でどこかに動いていたって出会いはほとんどないけれど
母と息子が二人でどこかを探検してると
本当に世界がこちらに開かれてきて
あの笑顔に引きよせられて 沢山の人が話しかけてくれる
今日なんてついに彼は鞆の浦で写真をとられてモデルになって
それをとったおじさんが喜んでお駄賃をくれるほどだった

 そして貧乏な母はといえば そのお駄賃で息子に
甘酒をおごってもらって 二人でお店で半分こ。
いつの日か 息子と地中海にも行けるかなあ
いつの日か ノルマンディにも行けるかなあ
船が見たい また海が見たい
美しい景色がみたい それできれいだね って言っていたい
沢山の写真をとって 写真を何かに活かしたい
ずっと一人で旅をしていた そんな私の相棒に
息子はなってくれるのだろうか

 本当に彼はよくがんばった。息子はまだ2歳6ヶ月だけど
夜中に電燈のない道を懐中電灯で照らしてくれて
なんだか息子が心強かった 私は一人じゃないんだな
これからも彼があの笑顔で笑っていてくれるように
出来る限り 一緒に楽しく生きていたい。

未来に向かって

2011年02月06日 | 私の人生

 今日は朝から外に一歩も出なかったからか
お昼ごろにはだいぶ鬱っぽい気分になって


 この先の人生どうしよう・・・


 と一人で途方に暮れいていた。

 もう人生を変えよう、と一度は決意したものの
私はいつも弱っちいから あとで後悔してみたりとか
ちょっと涙を流してみたり またぬるま湯が
恋しくなったり バカな自分をなじってみたり。


 
 そんな時 は 一人で悶々とするよりも

 きっと誰かと話をした方がよいわけで

 そう そんな時 カフェに行ったら良いんじゃないかと
今本に書こうとしてるじゃないか でも今日は
もう外に出たくなかったから 下の階の友達を呼んで
一緒にご飯を食べたりしてた。


 そうこうするうち旦那が帰って 「ハイ これ」と
渡されたのは 通訳案内士の試験結果で
うわー!!もう?恐ろしいけど 一度拝んでから
封をあけよう どうか受かってますように!
とおそるおろる封を開けると合格していた!!


 やったー!!!


 とちょっと飛び上がりたい気持で
 
 これフランスだったら即シャンパン!と
思ったけれど ここは日本だ しょうがない。
でも本当にうれしくて 今日の暗かったどうしようもない
鬱モードを なんとか抜け出せたような気がした。


 それからだいぶアイデアも出てきはじめて
そうだ本の考えとリンクをさせて
「誰かと気軽に会話のできるカフェ」を
全国マップにまとめたサイトをつくってみたら
どうだろうとか それなら昨日みかけたETICの
ソーシャルベンチャー支援と関連づけられる?とか
そうだだってオルデンバーグは「フランスのビストロほど
サードプレイスとして認めやすい場所は他にない」と
言ってるんだから それならParis-Bistro.comと
リンクをさせて、そんな日本のサードプレイスなカフェを
まとめてみたっていいではないか?
その方が需要だってあるんじゃないか?
と考えてみた。


 私は今日思ったのだけど

 「しんどいから誰かと会話したい、、、」と
思ったときに 誰でもよくって そうだって
日本の友達という人たちは いつもなんだか忙しいから
「今日ちょっと暇?」というわけにはいかないようで
(何故か専業主婦でも忙しい!)
そんな時 どこにいったらそんな場所があるんだろう?
しかも自分にとって快適で なんだか不愉快にならないような
そんな場所 がすっと検索できたらいきたいのになあ
と私は思った。


 それ けっこういいんじゃないか?

 そんなアイデアは前から何度か出てはいたけど
みんな忙しくて出来ないのなら 私が集めてみたっていいのかも
だってカフェ文化研究家なわけだから。。。


 それでかつ そんな「出会いと会話のできるカフェ」に
フランス人とか外国人も呼んで来るわけ。
そこのガイドをしたっていいし
何故ならそんな出会いは平凡で単調な日常に
ハッとさせられる驚きだったり違う考え方をもたらすからで
カフェこそはそんな場であってほしい
浜名湖ユースのカフェはユースとカフェがあったから
そんな場として機能していた
旅人が地元の人と交わって
地元の人もいつもと違った視点で街をみられてちょっと嬉しい
そんな場所 が
もっと全国に増えたなら

 それで時折そんなガイドができたなら

 そりゃ外国人はうれしいよなあ


 世界には日本語を何年も学び
「日本は私の夢だった!!」と一生懸命
お金をためて日本に旅行する人がいる
だけど彼らにあんまり普通の人との出会いはなくって
金閣 銀閣 三十三間堂に行くだけで
それで 日本 なのかなあ?
もっと普通の場所で 普通に意見を交してみたら?
それほど嬉しいことはない。


 うーん このアイデア なかなかいいかも

 これ日仏両国でできたなら

 かなり面白くなる気がするなあ


 今朝はとっても暗かったけど
みんなに少し勇気をもらって
前も向いて行くしかないわけで
せっかく受かったガイドの試験
未来に向かえるツールがあるなら
まだ道のりは遠いけど 少しずつ歩みを進めたい。

創造行為

2011年02月01日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今日は蓮太郎が保育園に行くはずが、
朝から大量に下痢をして うえっ ノロウィルス再来か?
と恐ろしくなり保育園に電話をしたら病院に行ってください
とのことで 結局保育園は中止になった。

 朝はバタバタしたけれど お医者さんで薬をもらうと
だんだんと自分の想いも噴出しはじめ
くそー今日こそは本を書く予定だったのにとか
昨日から楽しみにしてたのにとか
だいたいなんでこんなところで誰もいない公園に
いつも二人ぼっちなんだとか
「幼稚園ママ」なんて向いてないのに
そのカテゴリーに当てはめられてる そんな自分の状況が
嫌で仕方なくなって 蓮太郎は悪くないのに
だんだんイライラしはじめてった。

 午後はそんな調子だったから 蓮太郎も
「ママ 怒ってるの?」と何度か聞いて
「怒ってないよ 蓮太郎は悪くないよ」とは言ってみるものの
うっぷんはたまるばかり。それで夕方旦那に
「今日も一日蓮太郎にかかりきりで
しんどいから映画に行きたい!!」と訴えてみたら
意外とそれが受け入れられて 夕飯を食べた後
一人で映画に行くことにした。(今日は1日 映画の日)


 まーその後のコントラストといったらなんの!
私は知的刺激がないと本当にだめらしく
頭の中が渦まいていて 沢山の刺激と刺激が
ぶつかりあって 何が生まれるかわからない!っていう
いっぱいいっぱいな状況こそがけっこう楽しい人らしく
誰もいない公園でのんびりと砂場遊びが続く毎日に
喜びを感じられるタイプではどうもないらしい
(でもあんまりそんな人みたことないけど、、)


 さて今日観たのは飛行機で観てもう一度
ちゃんと味わいたかった『ソーシャルネットワーキング』という
映画で これはたまたまフランス語以前観たのだけれど
あまりに早口でしかも訴訟の現場もたくさんあって
何がなんだかわからなかった。でも何かものすごく
創造に関するヒントが沢山隠されている気がしてならなくて
それでお金を払ってまでもみたいと思って観に行った。


 いやー 2回観ましたが


 圧倒されてしまいます アメリカ文化というか
日本とまったく違う文化に そこで創造がどんどん起きて
たくさんのことが同時多発的に起こっていく
こんなにも活き活きしていて躍動的で
ダイナミックな変化が起こる しかもその舞台は
21世紀のハーバードやカルフォルニアで
それなりの伝統もしっかり残っている場所の中
パソコンを使いはちゃめちゃな発想をして
たくさんのものが生まれてく なんだか
これは 日本とは全くもって違う文化で
でも確実に他の国に存在していて

 こんな場が facebookがリアルになったような
そんな場所が 日本にあったら 絶対面白いだろうなと
最近よく思ったりする。


 先日パリに行った際 友人が「今のアメリカはすごいよ
最近の偉大な発明はみんなアメリカから生まれてるじゃないか
グーグルもfacebookもそうだろう?」と言っていた。
彼によれば発明と欲望というのは切っても切り離せないんだそうな。


 今回の映画を観てても 彼女に復讐してやりたいだとか
好きだった人を奪いたいとか そんな理由で頑張って
何かをつくりあげていくことがある。その友人によれば
男性がパーティを開催するとうまくいくけど
往々にして女性がパーティを主催すると失敗すると
言っていた。それは男は男の欲望というのを理解してるから
なんだって。私は女だからあまりよくわからないのだけれど
この映画をみてて やっぱり欲望って創造行為に
とても大切なんじゃないかなと思わされる。


 フランスに行って考えたけど アートというのも
高尚なものに思われがちだけど 本当はそれを創る人は
すごい沢山の欲求や欲望があり もっと人間的で
どろどろしてたり渦巻いているものがあり
それを表に出した時 に アートが生まれるんじゃないかなあ
鑑賞や研究をする人というのは往々にしてお金持ちで
冷静そうな顔して眺めるものだけど 創られた方の
アートというのは もっともっと混沌とした世界から
生まれてくるような そんな気がする


 そう 映画を観終わった私みたいに
頭の中が渦巻いていて それをどこかに
表現しないではいられないような
そうして文字を叩いているような


 映画の主人公のマークのように
友人に話しかけられインスピレーションを得た直後
階段も早足で上ってしまって 急いで
扉をあけて パソコンを開き
「そうだ!これだ!」と何かをつくっていくような


 そんな技術とインスピレーション、それに長いこと
考えている 何事か があったなら
それを形にできたとき に 人は創造したというのだろう。
アーティストという人は 芸術家だと思っていたけど
アートというのは「技術」でもあり
頭の中に渦巻いていてた 何かを形におとせる人なんだ。


 アーティスト って かっこいいなあ
創造するってかっこいいなあ 映画の中で
ハーバードの学長はこう言っていた。
「発明は何よりも大事なことだ。アイデアを
盗まれたのなら違うプロジェクトを発明すればいいではないか」
そう アイデアは浮遊している 沢山の場所に
ころがっている それを誰が形にするのか
それを誰が もっと優れた形にするのか
それができた人というのは のちに賞賛されるらしい
facebookはエジプトやチュニジアの革命にも
かなり影響を与えたらしいし 本当に人々を
病みつきにさせてしまったわけであり
それを創った彼は本当にすごいと思う。


 私も少しでも創造行為ができるなら
それについて考えることができるなら
私ももう少しがんばろう。明日こそは保育園。
2冊目の本に向けてちゃんと頭を働かそう。

フランスに行くなら

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