alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

都市は変えられる 公共空間再編の話

2018年09月10日 | インフォーマルパブリックライフ

 最近は2冊目の本の方に頭がいっていてブログはすっかりご無沙汰で
本当は子育てが辛いとか 3冊目は絶対に女の生き方の本に
してやるとか 母になるとこんなに辛くなる子育ての仕方なんて
絶対間違ってるだとか そんな日常なのだけれど
とにかく今は研究が癒しになっています。

 そういうわけで、今はインフォーマルパブリックライフの大切さと
それを促す公共空間をよくするために世界でどのような取り組みが
行われているのか、それをより促すにはオープンカフェが必要だ
という視点で原稿を書いています。

 まだまだ出来上がりませんが、来年には出版したいと思っています。
どうかお楽しみに・・・

 今度9月23日に、本の1部である、世界の公共空間再編に対する
問題意識とその取り組み方、どうすれば街が活性化するのか について
お話させていただきます。日本の地方都市や活力をとりもどしたい
エリアの参考になればいいなと思っています。
国分寺の胡桃堂喫茶店さんでお話させていただきます。
よかったらどうぞ・・・

https://www.facebook.com/events/308070523286755/


フランスの都市計画 インフォーマルパブリックライフ

2014年10月12日 | インフォーマルパブリックライフ


 私がフランスの好きなところは 変わらないところは変わらない
だけど変えるところは意外にも びっくりするようなスピードで
進化させていく そんなとこ。

 「フランスっていつ行っても変わらないよね」という人がたまにいるけど
それは大間違いだと思う。街並、それは変わらない。
変わらないようにできている。だけど中身はぐわっと変わる。
私が留学した2001年はフランスには環境問題に興味のある人は少しだけ で
有機野菜のマルシェなんかもパリにたった1つしかなかったけれど
10年ちょっとたった今 意識は思い切り変ったようで
どこの街でも ちょっとあるけばビオの店。ワインもビオワインがやたと増えた。
そういう変化 だけでなく フランスが世界に誇ってもよさそうなものは
都市を変化させてることで これもこの10年くらいですごく変っているようだ。

 パリに貸し自転車ヴェリブがあるのはわりとよく知られてる。
この10年ちょっとでおきたパリの変化としては、ヴェリブだけでなく
貸し自動車、トラムの新設、私の留学時代から始まったパリプラージュ。
(これはもともと高速道路が走っていたセーヌ川右岸に砂をしきつめ
海岸のようにしてのんびり散歩を楽しもうというもの。街のど真ん中に
砂浜が出現し、デッキチェアが並び、しかもそこに半裸の男性達が
日焼けしようとごろ寝しているという姿に度肝を抜かれたものだ)
このイベントは大成功をおさめ、今では北のウルク運河の方まで広がっている。
久々に訪れたウルク運河(サンマルタン運河の北にある素敵なところ)には
船の学校や足こぎ式のボートも新たに用意されており、パリが
水の都であることに目覚めた様子が伺える。
今ではセーヌ川に通勤、通学用の船便も用意されているようだし、
オルセー美術館の隣のセーヌ右岸にはやたらめったらカフェが並び
(こんなのもなかった)無料でチェスやらゲームにこうじられる
スペースが用意されている。セーヌからの風、その横で飲み物を飲み
のんびり誰かと遊んでいられる・・・もちろん子供だって全然OK
その心地よいゆるさといったら!
これをインフォーマルパブリックライフと言わずして何と言おう?




 やっぱりフランス人は都市の使い方がうまい。
都会でのリラックスした過ごし方。広場にある昔ながらのカフェだけでなく
広場 人の集まる場 をいかにしてつくっていくか。
私はこのセーヌ川に1年前に開設されたというゆるい遊び場にまた度肝を抜かれ
なんだかやるせない気持になった。この国にはかなわない。
どんなに私たちがヨーロッパ風の真似をしたって、これには絶対かなわない。
隣にはセーヌ、水面には船を改装したカフェがゆるゆると浮かんでて
見上げれば美しいアレクサンドル3世橋がこちらを見下ろしている。
私は散々マリークレールの東京取材で「東京の水辺のカフェ」とやらを
探したけれど(そしてほとんどいいのがなかった)この国から来ている人に
それをたとえ見せたところで そりゃあ絶対かなわない。
やっぱり日本は日本らしさで勝負するしか道がない・・・と
思わされてしまった圧倒的な美しさと そのゆるさ。

 気取らない だれも気取らない 気取るための場所ではない。
ここはカフェ・ド・フロールじゃないんだから。
公園でピクニックも 別に誰も気取っていない。
格好をつけるためじゃなく 自分が気持いいと思うこと
自分だけでなく友達も 家族も楽しいと思うこと
自分の気持に素直になったら そんな場が生まれていくのだろうか。

 「セーヌ川沿いでのんびり ごろごろできたらしあわせだよね」
そんなことを思った人が圧倒的多数になれば きっと街は変ってく。
ブルゴーニュ地方の首都、ディジョン市は10年前から都市改造を始め
3年前から都市の中心地から車を追い出してしまったらしい。




 ディジョンはけっこう大きな都市で 車がないと相当歩くはめに
なるけれど それでも2本のトラムと小型バスだけ中に通して
あとは全てを追いやった。市場や配達にいく車だけが許可をもって走れるらしい。
「でも・・・住民は本当に満足してるんですか?」
と観光課の方に聞いたところ、「満足してるわよ!静かになったし
安全だし、路上駐車がないから道が広くなったのよ」と嬉しそうに
答えてくれた。中世の街並がしっかりと残るこの都市は
随分静かでまるでヴェネチアにいるようだ。
もちろん市の中心部の大きな広場には車は通っておらず
数件のカフェのテラスが広場をゆったりと囲んでる。真ん中では
はしゃぎまわる子供達。まさにまばゆいばかりの光景だった。

 フランスは問題を抱えてた。今だって全て解決しているわけじゃない。
都市の中に溢れた車、クラクションを鳴らす日々、排気ガス、そして狭い道。
そんな中、ディジョンはじめ、様々な都市が解決に向けて動いてる。
車を追い出すのは簡単じゃない。自分が車に乗っているならなおさらそうだ。
パリから外に行くときの激しい渋滞、それにトラムが拍車をかける。
今度はバスが拍車をかける。ナンシーという街から外に出ようとしたときも
2車線しかない道路のうち1車線がバス専用レーンになっていたから
まったく車が進まなかった。「だからね、こうやって車に乗ってる人の
やる気をくじく作戦なんだよ」ため息をつきながらローランが言う。
まだまだ問題はあるものの、それでも解決しようと前に動く。
パリの公園には共同菜園スペースもできていて、それも市内で増えてるらしい。
問題がある、でもそれを問題だ!と声に挙げ、そこから解決していく姿勢。
それでいつか 人々の笑顔が増えるなら それは素敵かもしれない。
パリはあまりに大きすぎ 車を追い出すのはそう簡単ではないだろうけど
またきっと変化が起こるのだろう。フランスのインフォーマルパブリックライフ、
リラックスした都会の生き方、もっとしっかり探りたい。

ピクニック

2014年05月18日 | インフォーマルパブリックライフ
フランス語にはピクニケという動詞が存在してる。
それは「ピクニックする」という意味で、
「ピクニック」という名詞に「する」をつなげるわけではなくて
ちゃんとpique-niquerという動詞が辞書に載っている。
それが衝撃的だった。


 留学時代 何を学んだかと言えば
それはおそらくフランス語でも政治の本質でもなくて
1つはパリにおけるカフェというもののあり方で
1つはピクニックだったのだろう。


 本当は図書館に籠らなければいけなかった留学時代
「一体何しにパリに来たんだ?」と日々自問自答していた私が
居た場所は 図書館ではなくカフェであり
そして陽の当たる公園だった。
私の住んでいたパリ国際大学都市のすぐ目の前には
モンスリー公園という非常に素敵な丘のある公園があり
そこには寝そべる人たちがいた。ギターをひく人、
ジョギングする人、子供の居る人、散歩する人、ナンパする人。
老若男女が自然と混じり 思い思いに過ごしてた。
精神的にしんどくなっていた私は毎日のようにそこに行き
トトロの木と呼んでいた 生命力溢れる木の下に行き
あたたかなぬくもりをもらっては そのあたりでぼーっとしていた。
正確には ぼーっとしようと努力していた。


 当時本当に「リラックすること」が全くできなかったた私は
沢山の人に相談していた。一体どうすればいいんだろう?
「ぼーっとすればいいんだよ。公園にでも行ってみたら?」
留学先の友達にそんなアドバイスを受け
なるべく公園に行き、無理だったけどぼーっとすることを心がけ
大事な貴重品を枕代わりに かなりしょっちゅう寝そべっていた。



 そのうちいつか 公園に行くことがごく当たり前のこととなり
日がくれるのが遅かったころ 夕飯をつくってはお皿にいれて
寮の目の前の公園でパスタを食べたりも。
帰国してから家の近所にある公園で また一人ピクニックを再開し
パリに想いをはせていた。


 今 子供を持つ親になり かつ 経済的に厳しい中で
私がとった選択は 外食費を削るため に
いつでもどこでも昼食を持ち歩くことだった。
ご飯代がいらないのなら その分入場料は払えるだろう。
ご飯代がいらないのなら その分交通費が払えるだろう。
いつももう面倒くさい!と思いながらも 
朝からお弁当を詰めていたのは 仕方のない事情もあったし
費用対効果を考えて どう考えても私には
子供と二人の外食代はその費用に見合わないと思えたからだった。
外食をすればご飯はつくらないですむ。洗い物もしなくていい。
もちろん荷物だって軽い。それは身軽でうらやましい。
だけど子供と行く先々に 素敵でかつ安いお店が
どこにでもあるわけじゃない。私の予算じゃせいぜいマックか
サイゼリヤなんかだろうけど 
その混雑してごみごみした雰囲気の中で 最後に支払う金額に
私はげんなりするだろう。 そんな余裕 私にはとてもありません・・・


だけどお弁当を持っていたなら とりあえず椅子さえあれば
どこでも食べれる。列に並ぶ必要はない。自分さえ頑張れば
それなりに豪華なものが 時には美しい木の下で
よっぽど安く食べれてしまう。自分さえ 頑張れば・・・


 結局のところ私たちはピクニックが好きらしく
極寒の時期だろうが パンにあたたかいスープをもって
いつもどこかに繰り出していた。車もない、お金もない、
他に頼れる人もいない。自転車の1つももっていない。
頼れるのは自分の肩と 蓮太郎の足だけだ。
それでもなんとか荷物を軽く かつできるだけセンスよくして
私たちはいろんなところに繰り出した。
なんだ、意外とできるじゃん・・・
六本木、砧公園、葛西臨海公園に、真夏の熱海の途中下車。
馬事公苑に代々木公園、飯田橋に二子玉川、それから皇居に外人墓地。
ベビーカーすらもってなかった。途中で疲れた息子が
寝てしまうとき 残された選択肢は無理矢理起こすか
最後は抱っこ。だから大荷物は持ってけない。
それでも体力がもつのなら それでも天気が持つのなら。
沢山のところに出かけていって


私たち は 何を見ようとしたのだろう。


私はきっとこうだった。
もともと電車に揺られて東京のど真ん中まで3歳児と繰り出したのは
インフォーマルパブリックライフを探すためだった。
3歳になる直前に3ヶ月パリで過ごした私たちは
それこそ毎日のようにピクニックをして過ごしてた。
カフェに行きたいと思っても 4ユーロなんて払えなかった。
子供のジュースもだなんて到底無理。そう確か
午前中は公園に行き どこかのベンチでご飯を食べて
それからパリビストロの事務所に行った。
そして息子が昼寝をする間 私はそこで翻訳をする
そんなことを繰り返してた。だから偉いわねなんて
言われながらも 毎日のように公園に行き
パリの公園に浸ってた。


その姿 は 美しく そこにはお互いの自由があった。
それまで私が知っていた京都の公園は
母は専業主婦の母。子供を見守り常に寄り添い
仲良く一緒に遊んであげる。それ以外には
母の居場所なんてない。そんな公園がほとんどだった。
ところがパリは違っていた。真ん中にある楽しげな遊具
それをとりかこむ緑のベンチ。乳母らしき人や
母のような人たちは ほとんど遊具の近くにはおらず
新聞なんかを読みながら ベンチで風に吹かれてた。

そんな自由があるものか・・・と私は驚き打たれてしまった。
私も真似をしてみよう、と 無料でもらった新聞を読み
子供を真ん中で遊ばせてみた。その気持ちよかったこと!
子供は子供で楽しんでいる、大人は大人で楽しんでいる。
さわさわと音をたてる緑があって 風がそこを吹き抜ける。
足下には砂浜のような砂のある公園もあり
じゃあ私も と サンダルを脱ぎ 心地よい砂を感じて新聞を読む。
それってどれほどの喜びだろう。本当に すばらしいなと思ってた。
そういえば夜にピクニックもしてたなあ・・・


確かインフォーマルパブリックライフについて云々言うように
なったのはこのパリの経験からだ。日本にはそれが
あまりなさそうに見えたけど「じゃあ本当にないの?」と
言われた私は探ってみることにした。インフォーマルパブリックが
すばらしいかどうかというのは子供がいればすぐわかる。
子供は雰囲気の濁った感じや心地よい感じをすぐキャッチする。
じとじと湿って空気の悪いバスの中でギャーと泣く赤ん坊がいるのは
きっと彼らがそんな空気のバロメーターだからだろう。
じゃあパリの公園で生き生きしていた我が息子 は
東京ではどうなのだろう?確かそんな風に思って
うちからそんなに近くもないのに 電車に乗って繰り出していた。


インフォーマルパブリックライフというのは誰にでも開かれている。
赤ん坊から老人まで 男でも女でも 一人でも子連れであっても
みんながなんとなく幸せそうに過ごしてて その雰囲気の中に
自分も居たい そう思った人がまた一人 そこに混じり 腰をかけ
その空気を形作る一員となる。


大人も子供も楽しめて ピクニックのできる場所は
ほとんどどこも インフォーマルパブリックライフがうまくいっている。
誰がそこに居てもいい 悲しいことがあったっていい
だけどそこを立ち去るときには ちょっと笑顔になっている
そんな場所が 世界のどこかに存在している。
それはなぞなぞのような場所。浮遊しているようにも見える。
インフォーマルパブリックライフはあったりなかったりする。
こちらの公園にはそれがあるのに すぐ隣にはなかったりもする。
それは場の力のような でも法則があるような。
懐の広い場所には パリのモンスリー公園のように
あたたかさ や 安心感があるのだろう。
安心し リラックスし いつもより笑顔になれる場所。
そんな木陰でお金をかけずにのんびりすることができたなら
こんな贅沢なことはない。


子供が産まれてもうすぐ6年。ひたすらしてきたピクニック。
インフォーマルパブリックライフとピクニック
もう少しそれを関連づけて形にしていきたい。

東京のインフォーマルパブリックライフ

2012年03月06日 | インフォーマルパブリックライフ


 「みきの本が平積みにされてるよ!」と東京の八重洲ブックセンターを
訪れた父が興奮して電話をかけてきた。え?本当??
本当なら写真とってきて!!とお願いし 後でその画像を
みさせてもらうとどうやら本当のことらしい。
喜んだ私は息子を誘って嬉しいダンスを久々に踊ったり。
何でなのだかわからないけど ついに平積みにされる日が
やってきたとは!!本当にうれしい。


 でもそれっていつまでのこと?もしかして一週間後には
終わってる?自分の本が本屋で売られているのを一度しか
見たことがない私は(出た直後は出産直後で本屋さんなんて
行けなかった)やっぱりこの目で見てみたい!と
今日は東京まで息子と母と行ってみた。




 そういえば以前取材させてもらったビストロもあったことだし、、、
と思っていたけど どうにかなるかと思っていたら、どうも出る駅を間違えたらしく
これでは息子のお腹も足ももたないだろう。まあいっか、いいとこ
あったらそこにしよう、と思っていたらまさにパリのカフェらしい
お店を発見!ビストロと書いていたのでそこにして
おいしいランチを堪能してから また丸の内を散歩する。


 以前取材に来た時に なんかこの辺ずいぶん素敵なところだなあ!と
思っていたけど 日中に大手町から有楽町にかけて歩いてみると
何があるのかよくわかり いかにあの殺伐としたビル街だった東京が
以前とは違った道を歩もうとして頑張ってるのかがよくわかる。
この緑、あたらしく植えたもの?道路にたくさん置かれている
植物の大きな鉢も?そして新しく並ぶ店にはやたらとカフェっぽいところが多い。
これって浜野さんが『人が集まる』で書いていた ニューヨークの
立ち並ぶ摩天楼の中にもグラウンド面には人間の温かみがあり、、、という
やつと一緒じゃない?並木道がありなんとなく人でにぎわう
人間味の感じられる丸の内、は なんだかニューヨークを思わせる。


 新しく置かれたであろう植物のまわりにはベンチもあって
気軽に休めるようになっていて その隣には彫刻がある。
銀座みたいに立ち並ぶ やたらとセンスのいいブランドの
ショーウインドウも 銀座ほど人を寄せ付けない感じじゃなくて
東京1のセンスの良さを感じていって!この遊び心素敵でしょう?
といった感じで魅せてくる。へーそうか 今どき渋谷とか銀座とか
行かなくっても 東京駅周辺って わざわざ足を運ぶような街になりつつあるわけだ。


 きっと昔は ただの高層ビル!の街 だったのだろう。
私は東京駅周辺を歩くたびに かなりの居心地の悪さを感じていたと思うけど
今は子連れでもなんとか歩いて行けるような 緑だったりグラウンド面にある
入りやすそうなカフェであったり そういうものが溢れてる。
(このカフェ率の高さは関内並み?)




 丸の内のインフォーマルパブリックライフのきわめつけ は
三菱1号館美術館の裏手。ここは知らなかったけど かなりの
高層ビルの1階に面した空き地がパリの公園みたいになっていて
そう大きくない緑地に面してなんと3軒もカフェが作られている!
なんてパリみたいなんだ いや パリには公園に面したカフェはあんまりないかしら?

 なんだかんだいってもちょっと殺伐としたビル街の後
このスクエアに入って私の身体は素直に気持ちがいい!と反応をして
蓮太郎も一気にのびのびとして驚いた。そして納得がいってしまった。
ああだから 私はパリが好きなんだ。だってここまさに
パリみたいなんだもん。三菱1号館美術館のレンガ造りの建物は
私が10年前に住んでいた国際大学都市の建物を思わせて
そこにはやたらと広い緑地があって ピクニックとか ジョギングだとか
スポーツだとかを好きなだけやってよかった。緑で満ちた中にわざわざ作られている
並木道も美しかった。パリにはそんなところがけっこうどこにでも
存在してる。それがやっぱり すごいんだなあ、だって 都市の中なのに!




 都市の中にいるというのに 自然があって 心地よい風や緑のやさしさを
感じられ なんとなくベンチや芝生に寝転んでいる そんなことを
日中も夜もやっていられる。それがパリの良さだった。
「みてみて、ママみたいなの見つけたよ!!」といって息子が
指差した彫刻は 裸の女の人が芝生の上で寝ているもので
私はそんなにセクシーじゃないのでは?と思ったけれど 息子によれば
「ママはぐうたらだから」らしく母によれば「公園で
寝るような子はあんたくらいしかいない」かららしい。
だけどさ、パリは公園で 沢山の人がごろごろしてる。
だって気持ちいいんだもん!本当にあれは至福の時間。
芝生から大地を感じて 見上げると桜があって 気がついたら
桜の花びらが舞っていて、、、 そこにワインやコーヒーなんかが
あったなら?最高!という他ない。パリにはそんな生活が
社会的地位やお金のあるなしに関わらず けっこうごろごろしてるんだ。




 私たちはこの心地よく立ち去りがたい空間でお茶をして
いやー東京もすごいなあ!と思いながらも「でも遠いんだよね、、、」と
言っていた。そう 確かに私が元気だったころ よく息子を連れて
なぜか六本木ヒルズを探検したりもしてたけど 東京は私には遠く
六本木ヒルズや丸の内の真ん中に住めるような人なんてなかなかいない。
ここは素晴らしいとこだけど、「気軽に来れる」かと言われたら
そこで勤めている人はきっとそうだろうけど たいていの人はわざわざだ。
パリの場合はそれがいろんなところに溢れてた。自分がいるのが
高級な地区であっても 移民の多い地区であっても 再開発で
緑が多くて住み心地のいい街がつくられてきた。だからわざわざ
遠くの「そこにしかない!」場所まで1時間かけて行かなくっても
いろんなところに心地よいスクエアが存在していて そこで
バラの匂いを嗅いでみたり ラベンダーが咲いていたり
公園が砂浜みたいになってたり、、、


 「東京にもないわけじゃない」そう思って私は子供を抱えて
いろんなところを訪ねてまわった。だけどそれらは子連れの私には
遠すぎた。代々木公園も気持ちよかった。六本木ヒルズのグラウンド面も
かなり努力をしているだろう。丸の内なんて素晴らしい!
だけどそれらはやっぱりお金持ちで そういうところに
アクセス可能な人には開かれているけど そうじゃない人にとっては
存在しないに等しいような そんな気もしてしまう。


 心地よい街 自然と笑顔になってしまって
かたくなな心もほどけていって リラックスした自分になれる
そんな街ってやっぱり魅力があると思う。そんな街には
人が集まる。そうしてお店もできて やがて経済が活性化する。
パリの街は モンマルトル、モンパルナス、サンジェルマンデプレ、
それから東側の順に栄えて行ったけど それはどこも
もともとは郊外だったり ちょっと田舎っぽいとこで
昔ながらの雰囲気がある家賃の安いところに 居心地の
よさを感じてアーティストたちが移動をしていった。そうして今では
どこも家賃が高いけど はじめから高級な街にくつろげる場所を
つくったわけじゃない。リラックスしてくつろげる街
等身大でいてもいい街 それって一体どこだろう?

パリの街並の美しさ

2011年11月03日 | インフォーマルパブリックライフ


 パリって何て美しいんだろう なんて
整っているんだろう とは おそらく誰しも
パリに行ったことのある人だったら一度は感じることで

 パリに住みたい!と思ってしまった人というのは
その街並の美しさに心地よさを感じてひかれてしまったというのも
大きな理由の1つだろう。


 さて、だからといってビザをとろうとすると
「パリが美しいから住みたいなんてのは理由としてダメ」と
即却下され その上パリに住んでパリ症候群みたいなことになったら
ますます「美しいから住みたいだって 何いってるんだ
日本に帰って頭を冷やしなさい」と言われるのがオチだろう。


 だけどね?でもね?私は思う。

 街並の美しさ や 心地よさ 暮しやすさって
すんごい大事な要素じゃないの?その街に住むにあたって。

 じゃあどうして二子玉川や自由が丘やたまプラーザは人気があって
地価が高いの?どうして人はわざわざ青山まで足をのばすの?
それはセンスがよくって美しくってそこに行ったら
なんとなくいい気持になれるからじゃないのかな?


 そういう場所の地価が高いのは自明の事実であるというのに
どうして街並やセンスのいいもの、センスのいい場所が大事であるという
ことについて述べられた本が少ないのだろう。


 私はパリの秘密をさぐろうと思ってもう何ヶ月か
図書館に通い クリエイティブシティも読んだ。
クリエイティブ都市論もよんだ。パリの都市計画の歴史あたりも
だいぶ詳しくなってきたし 建築系の本も読んだ。
でも謎はいっこうに解けないばっかりだ。
(何かいい本ありませんか??)


 パリでは景観を守るための法令がとてもしっかりしていて
広告やらも簡単になんてだせないそうな 歴史的建造物の
500メートル以内の場所ではカフェの外見も規制がかかっているそうな
オスマン?ナポレオン三世の大改造?もうわかったよ
だけど私が知りたいのは もっとその奥にある哲学で。
いくらオスマンや王様が「フランスを世界一の首都にするために
美しさで他国を圧倒してしまおう!」と思っていても
さすがにそれに対する同意がなければ何百年も維持できないし
法律をつくろうとするときに否決されるかもしれない。
だけどそれが可能になった それらはいわゆる「哲学」とか
「現代思想」とは違う もっと一般人の中にながれる思想の違い なのかなあ



 私はパリプラージュというセーヌ川沿いの高速道路を
夏の間止めて海岸にしちゃおう!というイベントの一年目をみて
あまりに度肝を抜かれてしまった。人工的につくった海岸
そこにはちゃんと砂がしかれて長椅子に寝そべる人は半裸であった。
パリの中心を人工的に海岸にする?ありえない、、、!!!と
思ったけれど それはいろんな人の「いいね!」を呼んで
今では他の地方にまで飛び火しているらしい。




 先日カフェで出会ったフランス人に「どうしてパリプラージュは
開催されることになったんですか?それってバカンスに行けない人の
ための社会政策みたいなものだったんですか?」と聞いてみた処
彼は「別にそんなことないよ。やってみて面白かったから続いただけで
面白くなかったらすぐだめになるし でも共感した人が多かったんだよね」
と言っていた。それだけのこと?(ちなみに哲学カフェもそんな
感じで続いて世界にまで飛び火したらしい)


 パリでは日本人の目からしたらあり得ないようなイベントが山ほどあって
誰が?どうしてこの企画が通って よくも予算がおりるよなあと
思ってしまう。美しいこと 楽しいこと 面白いこと 盛り上がること
そういうイベント インフォーマルパブリックライフを楽しめる
安価なイベントがあまりに多い。政策としても、文化というものを
いかに庶民、貧困層にまで広げて行くかというのが大事らしい。
(失業者は美術館タダとか!)そういう政策の根本にある
思想の違いって何なのだろう?


 パリの街並について書いてる人は どうしたって
礼賛したいわけじゃなくても「やっぱりパリは素晴らしい」と
書いてしまう。日本にもいいとこはいろいろあるけど
でもやっぱりため息がでてしまう。



 そしてそんなため息の出る街並や、あっと驚く
スペクタクルに感動をして やっぱりいいなーこういうの!
そう思って市民の誇りが生まれて来るのかなあ
私が出会ったパリ在住の人たちは「なんだかんだいって
パリはやっぱり素晴らしいし他に類を見ない街だ」と言っている。
うるさいし車は多いしスリはいるけど
でもやっぱり味わい深いし パリ市もかなり頑張っている
(もう犬の糞も放置しちゃいけなくなったとか、、、)
そうして自分たちの街を世界にも誇れる街にして
フランス の 誇りを保ち 愛国心をもっているなら
美しさ!で世界を圧倒しようとしていたルイ14世や
ナポレオンが構想した世界というのは 正しかったのだろうなあ


 日本にも美しいものはある でもそれらは遠く離れてる
そりゃあ京都のいいとこにいったらあるけれど
「家庭画報」にはあるけれど そんな世界は一般の世界からは
ほど遠い。パリはメトロの駅にいったら それだけで
広告が絵になっている。そんな世界を100年も守り通して来たこと
それらはやっぱり 政策云々ではなくて 市民の誇りによるのだろうか


 素敵な街並 心地よい暮らし インフォーマルパブリックライフのある暮らし
もっと探求したいのだけれど どうしていったらいいのだろう?
私が探求したいのは 多分「カフェ」みたいに もっと「文学」とか
「建築」とか今までのハードでがっちり研究されてきた分野と違って
その間らへんを浮遊してるけど重要なんじゃないかと思われるところなのでは、、、
どなたかおすすめの本などあったら教えてください。

パリの都市計画を学ぶ

2011年10月20日 | インフォーマルパブリックライフ



 ここ最近は広尾の図書館に通ってフランスについて勉強だ!
というわけで うわあ何も知らないと思っていたけど
受験勉強を思い起こして集中して取り組んでみると
なんとかそれなりにいろんなことがわかったようで
今日家に帰って息子に「お母さんねえ今日こんなこと
勉強したの」と行ってみると復習になって面白い。


 例えばエッフェル塔は万博の時に作られたけど
それはその後取り壊される予定だったとか
エッフェル塔のエレベーターは当時の最先端
技術を導入した斜めに上がるエレベーターなんだとか
(つくった当時からついてるんですよ!)
アヴェニューってのは並木のない大きな通りを
指していて、唯一の例外がシャンゼリゼなんだとか
ナポレオンがパリの三大墓地をつくったとか
そういういろんなことを いろんな本から学んで行って
はーそうだったのか!!面白い とかじりついて読んでいた。



 パリに行って まあなんて美しい、、、と驚嘆するのは簡単だ。
その人の横について「ほんと美しいよね 日本と違うよね」
というのも簡単だけど じゃあどうしてパリはそんなことが
可能だったのか?と問うてみると それはあんまり簡単じゃない。
そこには景観保護の法律だったり そこにまつわる思想や歴史が
あるようで。


 私が図書館でいろんな本を読んでいって学んだことは
パリという都市が美しい ということは
なんと世界に対して国力を誇ることであり
ちょっとした軍事力にも近い様な 圧倒的な
美しさで差を見せつけて どうだ我が国は
世界一!我等にはかなうまい、、、と他国を驚かさせる
(そして日本の岩倉使節団は思惑通り圧倒されてしまったらしい)
そんな国の、というかもとは国王の政策でもあったらしい。
(万国博覧会で国力を見せつけるのと同じ感じ)




 公衆衛生だとか住民の暮しよさというのも大切だけど
美観整備って国力を誇ることだったのか!あれほどの
ベルサイユ宮殿を作って世界にそれを見せびらかせて
まねさせてしまう そういう「強さ」
そういう 圧倒的な美しさ、洗練されたものに対する思想
そういうのって 日本の町づくりの発想には
あんまりないんじゃないのかな??


 表面でものごとをみていると わあ美しいとか
ああ日本と似ているなとか どうしてここは違うのかなとか
思うけど ちょっと深く見始めていくと
そこは日本とヨーロッパ。一口に城といっても
むこうはシャトー こちらは天守閣なお城であってお殿様。
あっちは騎士団やらなんだかへんてこな格好をした貴族の国で
本当に文化が全然違うんだなあ 今こうして
なんだか同じ様な気持になってわかりあえる(気がする)のが
嘘みたいに 文化的土壌は全然違う
そういうことが 面白い。


 圧倒的な国力と 洗練された趣味の良さ で
他の国々にため息をつかせ 自国の国民には喜ばれ
そうして大きな通りを整備してって 緑の少なかったパリに
公園をつくっていったオスマンの時代から19世紀。
そうしてどんどんパリには人口が増えて行き
パリは「花の都」になっていく。
そんなパリに憧れて 世界中から人がきて
彼らを寛容に受け入れて 外国人を
まるでフランス人みたいに思わせちゃって
その上で文化が花開いてく それがパリのやり方だった。


 そんな名声のお陰だったのか第二次世界大戦中も
パリは奇跡的にほとんど無傷で守られて今に至っているわけで。
美 というのはやっぱり国力でもあるんだなあ。
(こんな考え方は日本にはないように思いますがいかがでしょう?)


 それからパリでも近代化の波に従って
セーヌ川の横に道路を通してみたりとか
高層住宅を作ってみたりしたけど それらは結局
評判がよくなくて 日本のいわゆるニュータウンみたいなのは
かなり嫌われるイメージとして今でも根付いているらしい
パリはどんどん拡張しては「郊外」の壁を取り壊し
郊外がパリになってったけど これからパリはどうなるのだろう
今はあまりに家賃が高く みんな郊外に移るしかないと
よく話にはきくけれど 今のペリフェリックの外が
パリの内側になるような日も来るのだろうか
私たち日本人からしたらかつて低所得者のために
つくられたという赤煉瓦の高層住宅なんて 
相当うらやましいマンションにしかみえないけれど
そんなとこにある公園や遊具もかなり素敵だったけど


 またこういう視点をもってパリにいったらパリが
面白く見えるのだろう 今度行ったら歴史博物館やら
ベルサイユにも行ってこよう。見てたけど見過ごしてたもの
違った視点で見始めてみると なんだか奥行きが広がってくる
それにしても 日本とフランス 似ているようで やっぱり違う。

パリへのまなざし

2011年09月11日 | インフォーマルパブリックライフ


 今日は東京の二子玉川で、PRESS PARISさん主催の
日仏ピクニックが開催されて 行ってみると
予想をはるかに超えた人たちが集まっていて
なんと150人くらいが河原でのんびりやっていた!
まるでここ セーヌ川みたいじゃないか。
そう『東京パリ化計画』をお話していた竹内さんは
着々と東京をパリみたいにしているんだなあ、、、


 東京にも こんな空間が出現するなんで
夢にまでみたセーヌ川でのピクニック
楽しそうにワインを飲んでる若者達
ありあわせのもので即席にはじまるピクニック
ポンデザール(芸術橋)の上でもピクニックが
開催されて 人が歩けないほどになるという
話をきいたときにはどれほどびっくりしたことだろう。
ピクニックをする人たちの傍らを 船がボーッと
音を出して通り過ぎ 豪華な船の上には仲間同士で
ガンガン踊っている人たちがいる。


 どんなにか その中に入りたいと思ったことだろう


 そういえば そんな想いすら忘れていたけど
私はけっこうあの3ヶ月でそういうものに参加させてもらってて
そうなんだ それはパリでは「当たり前」みたいなんだけど
入れない年月がずうっとあって ようやくそこに入れてもらえた
そんな場所 だったんだなあ 今にして思うと本当にありがたい。


 セーヌの夜 セーヌ川の夜。 そこにはノートルダムが
まばゆい光を放ってて そのまわりには人が集ってる
夜の9時でも 11時でも そこには人が群れていて
どこまでも人通りは絶えることなく続いてる
それがパリの光景なんだ そうパリはとても美しい。


 そんな光景が私の目を閉じたとたんにいつでも
すぐに浮かんでで 私もう 頭おかしいんじゃないかと
思ってたけど 今日のピクニックにはどうもそんな感じの
人たちが沢山来てて なーんだ私の頭がおかしいというよりも
見てる世界が異なるだけで それを知っててとっても好きな
人たちは 少数だけれど存在してて 日本にいながら
パリの地名を語ってしまう そうそうあそこには何があってね
そうなんだ そうなんだよね そんな人は 居る訳だ。


 私の脳裏には色んなピクニックが浮かんでて パリ在住の
日本人が集まるピクニックにも何度か行かせてもらっていたけど
あそこに集っていた人たちの なんだか突き抜けた感じの雰囲気
あの独特さ 私はそこまでなれないわ、と思ってたけど
その「差」というのは 何なのか って 考えてたら
やっぱり同じ「日本とフランス」という場ではあっても
今日の二子玉川に集った人たちの多くは日本人らしい顔をしていた。
そう ちょっと謙虚な感じで 控え目で でもフランスに興味があって
だけども「住むことにした」人たちは 突き抜けなければいけないものも
捨てなければならないものも おそらく日本に捨ててきたかったものも
沢山あって ものすごい決心をして そこに住むことに決めたわけ で
「いーなーパリ いつの日か行ってみたいなあ」と夢にみている
そういう人とは顔が違う。そうなんだなあ 私がお正月に感じた
近いようでなんだか乗り越えがたい様な溝というのは
どうやらそこにあったんだなあ。


 だけどやっぱり 私もパリにもう一度住みたい。
フランス語だってやってやる!って決めたから
もう人に頼らずに 自分でもなんとかできるくらいに
なってしまえば気が楽だから「みんな、帰って来たよ!
今度はビザもちゃんととったの それでね
今度日本のお茶会しようよ!」と言えるように
そんな風に なりたいなあ。


 パリにあるもの 日本にあるもの
パリにいたら恋しくなるものが山ほどあるのは知っている
私たちは日本人だし ヨーロッパ的な感性を生まれながらに
もっていないし いちいちつまづくこともある。
だけどやっぱり 日本になくって あったらいいのに!と
思えるヒントは山盛りなんだ。今日もわかった パリに
興味をもつ日本人というのは けっこう感度の高い人たちで
画家の人とか 音楽家とか 作家だったり そういうものが
生活において大切だと思っている人たちなんだ
そして彼らは 日本の「日常」生活において
なかなかそれに触れられる機会がないことをよく知っている
だからパリにひかれてしまうし そんなのがあったら
なんて素敵で生きやすいんだろうと思ってしまう
そうなんですよ そんな都会が可能なんです
しかも都市政策で それをすることが可能だなんて
私たちには驚きなんだ。


 私はやっぱり パリのカフェやインフォーマルパブリックの
ガイドがしたいなあ どうしてそれがパリでは可能だったのか
ポイントはどこなのか そんな経験を実際したら
とろけちゃうほどな気持になること こんなのが
毎日のようにあるなんてうらやましすぎる!と思っちゃうこと
アートや音楽や美しいものやゆるやかで素敵な出会いのある
暮らしって 本当にいいよなあ


 パリ?はあ パリ?と思われてたけど
最近はパリ パリ言ってるとまわりの人も
押されて興味を持ってくれるのか なんだか
まわりにフランス語に興味をもつ人も増えたりもして
なんだかこれは かつて留学から帰って来た時
「カフェ カフェ」言っててまわりの人たちに
「はあ?カフェ??」と言われていたのに似ているなあと思う
パリなんて興味ない?そうでしょうねと思うけど
きっとカフェが今ここまで注目されてるように
パリも再び注目される日がくるのだろう。
私は沢山の人にもっとフランスの魅力の部分を
知ってほしい それは観光とかじゃなくって
生き方、哲学、人間のあり方と社会がそれを
どう支えるか?そんなところらへんなのかなあ
もっとちゃんと勉強をして 沢山の人に伝えたい。

インフォーマルパブリックライフのある暮らし

2011年09月10日 | インフォーマルパブリックライフ


 今日は近所でたまたま開かれていたコミュニティカフェの
いろんな事例を聞く集まりに参加して、シンポジウムの様子を
みながら そういえばいろんな会に参加したなーと思い出していた。


 この10年間で なんとなく興味をもって 参加したもの
「全国リサイクル商店街サミット」「路地サミット」
「全国町家再生交流会」それから「ふれあいの居場所サミット」に
「サードプレイスコレクション」ええっとあとは
「全国子育て広場実践交流会」だったかな?あと
コミュニティカフェの集まりも昔いったと思うし
友達が主催しているような場づくりの集まりで事例を聞いたこともある。


 さて なーんとなーく 興味があって 気軽に参加した
それらの集まりは よく考えたら共通項があるわけで
家にじっとしていることができない私にとって
「外に出ること」は死活問題だったわけであり
そんな私が外で見たもの、15年間見続けたものは
インフォーマルパブリックライフだったのだ。


 路地?街の縁側?ふれあいの居場所?サードプレイス?
商店街?それからまちづくり だとか そういうものは
実はみんなインフォーマルパブリックライフであって
家でも学校でも職場でもない それらの箱の外であり
なんとなーく 外に出たくて できれば誰かや何かと
出会いたくって そんなものを期待して
ちょっと靴履いて出てみよう っていう
そんな外での暮らしのことで それが充実している街は
どんどん人が増えてくる。だって暮らしが楽しいんだもん。


 さて 根っからのインフォーマルパブリックライフ育ちの私は
今でも高校生のときみたいに お金をかけずに街に出て
外の暮らしを楽しむ方法を探してて パリはそれが可能だけれど
東京は本当に可能じゃないの?実は知らないだけかなあとか
息子と一緒にいろいろ探検したりしている。


 そんな私たちの(ちょっと迷惑な)インフォーマルパブリックライフの
楽しみ方は、、、ボーネルンド(外国の知育玩具を扱っている
おもちゃやさんで、お金を払って遊ぶでっかいスペースも
あるのだけれど それとは別にただでおもちゃも触らせてもらえる)で
工具のおもちゃや磁石でくっつく立体模型や魚釣りや知育玩具を
使ってみたり 輸入食品店のカルディで無料で配ってくれる
アイスコーヒー片手に試食品をつまみながらお店の中を
眺めてみたり。


 さて、コミュニティカフェ!とか世間では言われているものの
子供のいる母親にとって果たしてコミュニティカフェは
どれほどいいのかなあ?と子供が3歳になるとちょっと微妙にも思ってしまう
というのも例え飲みものが300円でも、2人になると600円で
しかもおやつ食べたい!と言われた日にはそれがもっとかさむわけ、で
ちょっとカフェに来ただけなのに これじゃあランチ食べれるじゃんという
値段になってしまうのだ。(例えば私が通ってた喫茶けやきは
とてもリーズナブルでジュースは250円だったけど、
2人分+ケーキにしたら600円こえて、600円がランチの値段
なんだかちょっと損した気分になりません?)


 うーんどうしよう カフェに行きたいけど2人分払うのは辛い。
そう思って最近は蓮太郎が寝た時にすかさずカフェに行き
彼が寝てる間に私はやりたいことをやるのだけれど
それでもたまには一緒にカフェに行きたいと思う
そんな時 すごいなあと思ってしまうのは哀しいけれどもマックなんだな。


 マックかよーと思うけど 最近のマックはすごいみたいで
我等は六本木の素敵なマックを発見し そこはやたら
お洒落で(なんと一階ではハンバーガーが注文できない!
注文できるのはコーヒーとかデザートだけでカフェみたい)
テラスもあって、2人で飲み物とおやつを頼んで400円、、、
たとえお腹にちょっともたれてしまっても これはなかなかすごいよなあ。


 じゃあお昼は?どこで食べたらいいんだろう?と思ってたけど
先日青山に行った時に青学の構内に忍び込んだら とても
素敵な並木があって「なんかパリみたいだねえ」といいながら
2人でパンを食べていた。そういえば学食もあるみたいだし
そういうのを巡ってみるのもわるくないかも。東大も
ベビーカーの人がよくお散歩しに来るそうな。


 それから公園?実はどういう差別かわかりませんが
外国人が多い地区にはやたらかっこいい遊具のある
公園があり、広尾の有栖川公園はなんだか外国人率が高くて
ブランコも普通じゃないし 六本木ヒルズの住民が
来るらしい これまた外国人率8割くらいだったロボット
公園というところにはやたら長い滑り台がいくつも
存在してて なんだかここはパリみたい! 蓮太郎も気にいっていた。
ちなみにフランス人の多い神楽坂や飯田橋にも 
なんだこの遊具!こんなの近所にないよ という
豪華な遊具が存在してる。日比谷公園とかにも
遊具はあるのかな?皇居の中はどうなんだろう?
もっと探検できればいいけど、、、代々木公園も
息子といったら意外と面白いのかな。


 東京は確かにお金がかかる。なんたって
真ん中に住んでなければそれだけで交通費がハンパじゃない。
でも真ん中まで足を伸ばしてみると 意外なことに
外国で着想を得た誰かがここもこうしてみよう!と
がんばっていて へーえ六本木ヒルズに
お絵描きコーナーが!とか いろんな発見があるみたい。
(ヒルズにはボーネルンドの遊具を使った子育て
休憩室みたいなのがあって、タダで授乳したりお茶のんだり
ちょっと子供を遊ばせたりできました)


 東京も 高校のときは散々探検したけれど
まだまだ日本に詳しいフランス人に案内できるほどには
私の中のデータがアップデートされてない。
そういえば駒沢公園とかもあったなあ 秋葉原にも行ってないなあ
谷中根津千駄木も 久々に歩きたいんだけどな
交通費を考えると うっとひるんでしまうけど
午前中から お弁当をもって出たなら 相当堪能できるだろうか
東京にも素敵なところは沢山あった
東京に インフォーマルパブリックライフがあるのなら
もっと私も発見したい。おすすめがあったら教えてくださいね!

パリにあるもの

2011年08月18日 | インフォーマルパブリックライフ



 「日本人ってさあ どうしてそんなにパリが好きなの?」
とはよくパリで聞かれる言葉で だからさあ
パリに来ている日本人は特殊であって 別に
日本人みんながパリになんか興味ないよ!と
私は言いたくなってしまうけど パリに惹かれる
日本人がいるのも事実。日本人 というより
外国人全般なのかもしれないけれど
「どうして?」と聞く彼らが何故そう尋ねるかといえば
彼らにとってはそれが当たり前のものだから。


 そう パリにいる と だんだん
パリの嫌な部分が目について うるさいだとか
ごみごみしている 人が多すぎ?落ち着きがない?
いつもプリプリ怒っているとか いろんなところが
あるけれど それでも一度 外国人が帰国をすると
そう その良さがわかってしまう


 そしてまた気づいてしまう


 ああ やっぱりね あそこにしかなかったんだ。


 「パリで青春時代を過したものは どこで
その先の人生を過そうとも パリは一生君に着いてまわる
何故ならパリは 移動祝祭日だからだ、、、」と
ヘミングウェイは言っていた。そうしてみんな
パリに戻った。サルトルも「パリしかないよ」と
言っていた。一度パリで過した者は いつかまた
あそこに戻りたくなってしまう。 だってパリにしかない
母国にはない何かがあった 母国にそれを求めてみても
何かが違う 外国にいる違和感を考慮してでも
それでもなんだか得るものがある それはパリが
移動祝祭日だからなんだろか。


 移動祝祭日ってどんな訳だよと思っていたけど
それはつまり 毎日がお祭りみたいというわけで
そうなんだかパリは 路上に祭りみたいな活気が
溢れてて 毎日どこかしら変化があって 毎日
外に出ると 浮き立つ様な気分になれる そんな
何かが存在している そんな街 なんだよな。


 
 結局の処 どうせ私は都会が好きなんですよ
だってこの広々としてセンスのいい空間に
すごい落ち着きを感じるんだもん 直島に行ったって
一番落ち着いたのは安藤忠雄の設計した美術館の中の
コンクリートのトイレだったり。しょうがないじゃん
だって中学生のときから誰もが認める都会っ子だった
わけだもん。。 そう そんな都会っ子にとって
芸術やら文化の香りが溢れてて かつ安い値段で
それらに触れることができ しかもかなり
緑が多い都会だというパリはかなり魅力的。


 今日は二子玉川の高島屋の屋上庭園に行き
素敵な植栽の中にテーブルが置かれているのを目にしたのだけど
そう そういうのが パリには普通にあったんだ、、、
そりゃあ たまらないよね。都会の中に自然があって
芝生の上では昼寝ができて ピクニックしても
サッカーボールを蹴ってもよくて 湿気はなくて
樹々の合間をぬって流れて来る風は心地よい、、、


 そこにカフェがあったなら?最高じゃないかと
思うけど パリにはそんなところにカフェがあったり
急に出現することがある。そうじゃなくても
普通のカフェはどこでも持ち帰りが可能だそうで
公園でピクニックをしたあとに、ちょっとカフェに
立寄り、いれたてのエスプレッソを公園に持って来ることが
できるらしい。それってそう 最高なんです
その時はそれがどんなに最高なのか 気づいてなかったり
したのだけれど。 そんなこと が 当たり前 に
できてしまって しかもお金がかからない
(持ち帰りエスプレッソも1ユーロくらい)
そんな都会って 滅多にないんじゃないかなあ。


 パリにはいつも 街路樹の合間を縫って
心地よい風が吹いている。そよそよ、さわさわ、、、
ここはどこ?と思うけど 都会のど真ん中の
はずであり、私が自然と感じたものは
実は誰かがかつて植えた人工的な植栽なんだ。
お洒落な運河だってよく考えたら人工的で
人がつくった街なのだけど めちゃくちゃ素敵にできている。




 人間ってなんか すごいなあ 本当は
人工的でも こんなに素敵なものをつくることが
できるんだ。人工的って 悪い意味しか思いつかなかったけど
人工的に 自然を感じられる つい気持よくなってしまう
空間をつくっていくこと それが可能なわけなんだ。


 パリはごみごみしてるけど それでも東京に比べたら
人はまだまだ少ないし 緑の量は圧倒的だし
メトロのラッシュもそう大したことはないわけで
しかも野菜の値段もかなり安いしな そう考えると
暮すのに心地よい都会なんだなあと思う。
フランス人は文句ばっかり言っているけど
フランス語が全部わかってパリに暮してたら
楽しいことだらけじゃんと私は思ってしまうけど
それは外国人の視点があるからなのだろう。
世界中から人が憧れ 人が住みたくなってしまう街。
住んでみると大変だけど それでもカフェや
道端での何かとの出会いや発見があり
素敵な緑に触れていられる そんな街 が 好きだなあ


 人がつい ひかれてしまうのには訳がある。
その辺をもっと解明してって 案内人になれたなら
きっと面白いのだろうなあ。パリのカフェや
インフォーマルパブリックプレイスのガイド、
日本の暮らしのヒントになるような視点を
大事にしながら そんなことができたらいい。

自由が丘という街で

2011年08月08日 | インフォーマルパブリックライフ
 


 今日は久しぶりに自由が丘を歩く機会に恵まれて

 あーー 懐かしい!!ああ 私の青春時代?
なのかどうかはわからないけど 確実に
私を形作った街なのだ。この街で色々と感じることができて
なんだかとってもうれしくなった。


 最近は いつの日かまちづくりにちょっと
貢献できる人になるように?と 活気在る街とは
なんぞやと考えながら、渋谷とか青山だとか
裏原宿やらを歩いてて うーん そうだね
活気あるよね この辺もお洒落になったな
だけどなーんか ちょっと足りない?
熊倉先生も『人が集まる』の浜野さんも言っていたけど
なんだかちょっと入りたくなるようなカフェがない。

 とはいえ東京の街には驚くほどの活気があって
それはすごいと思うのだけど 自由が丘はなんだかいい。


 私がかなり驚いたのは 自由が丘は
路面に張り出している店が多くて
それが活気をつくりだしてる。

 それもドラッグストアとかではなくて
お洒落な雑貨屋さんが散歩道にワゴンを出していたり
洋服屋さんがファサードの前にやっぱりワゴンを
出してたり。自由が丘のお店はたいていこじんまり
してるのだけど 何かと路上に張り出していて
それが小さな道に活気を生んだり
ちょっと覗いてみたくなっちゃう効果をちゃんと生み出している。


 浜野さんはグラウンド面が大切なのだと言っていた。
ビルがあっても、地上に面した階に何があるか
ビル街の中の1階に 歩道に少しテラスが出された
スタバに人が集まって行く それは無機質で人工的な
空間の中で ちょっと人間サイズの場所で
路上にテラスが張り出されてて そこに居てもいい
高層ビルの中ちっぽけに見える自分であっても
そこにはきっといってもいい そんなサインがあるからだろう。


 自由が丘はそんなグラウンド面、路上を大事に
した街で お店のショーウインドウをはみ出して
路上にいろいろ展示してある。それにちょっとはカフェもある。


 かつて憧れていた南口の小さな通りに行ってみると
あーこれこれ、まさにパリをイメージして作ったんだな!というのが
よくわかる。街路樹にパン屋さん、人間サイズの小道に
立ち並ぶお店たち。ここの路上に出されたワゴンに載ってた
スコーンが美味しそうだったなあ。。。 ここの小さなカフェ
どんなに憧れていたことだろう。それに通りの名前も
「マリークレール通り」とかだしね。


 裏の大きな通りに出ると 大きな街路樹のある並木道。
こんな道 って ありそうで 意外と東京にだってなかなかない。
自由が丘のいいとこは、ここにベンチを置いてることと、この通りに
何軒かカフェがあること。そしてそれらの需要といったら!
もう20年以上も2軒のカフェが存続している。
昔ここに日比野克彦さんのお店があって 小さかった
私はその世界にとても憧れたりしたんだなー。
ここは歩いたり 立ち止まったり かつてはなんだか
お洒落な異国を感じられたアウトドアの店があったり
でも300円しかもってなくても ここのベンチで一息ついて
木漏れ日の中でゆっくりできる。
そう 自由が丘は肩肘はらない。青山や表参道とは
やっぱりちがって 人間サイズでごちゃっとしていて
お金がなくても 小学生でも なんだか楽しむことができる
数少ない素敵な街だと思う。


 この街で 私は高校生だったころ

 パンの耳をかじってた。近くのサンジェルマンに寄って
無料のパンの耳とパンを1つくらいかじって
残ったお金で無理矢理カフェに行っていた。
あのころ どこにいってただろう?
なんだかお洒落な ビゴの店のカフェがあったな
それからどこに行ったのだろう とにかくやたらとカフェに憧れていた。


 そんな高校生だった私が 今ではカフェ文化研究家とか
名乗ったりして 東京の多くの私が憧れた街が原型として
描いてた パリのカフェ と もっとつながっていこうとしている
そこには色んなイメージがあり オリーブで描かれた
きらきらした世界もあった その裏にはパリ症候群もあるのだろう
それでも私は?やっぱりパリのカフェは好きだなあ
やっぱりパリにいるのは好きだなあ
都会のど真ん中なのに 芝生でごろんと寝転んで
時には昼寝もしたりできちゃう それって本当にすごいこと。


 日本の街は まだこれからもパリから学ぶことがあるのだろうか
小さい頃から憧れていた 素敵なカフェも 素敵な街も
結局全部 もとのイメージはパリにあるらしいということがわかってきた。
私もいつか パリのカフェガイドをしたりして
日本の素敵な 心地よいまちづくりに貢献することができるだろうか
素敵な街には それを求める人たちがやってくる。
ああこれだった ああここだった そういうところに出会いたい
小学生だった私は 自由が丘に出会ってしまって
それで通い続けていたのかなあ 憧れていたいろんなことたち
私もそれをカタチにしたい。例えオリーブがバカにされても。
それでもやっぱり 得た影響ははかりしれないものだったから。

空間の美的感覚

2011年08月02日 | インフォーマルパブリックライフ



 最近本を読んだりいろんな人と
話をしたりして思うのは どうして日本の
ちょっとしたコミュニティスペースとかって
とりあえず長机にパイプ椅子と それから
紙コップをおいてカフェみたいにしてみました って
そんなところが多いんだろう?と それは
私にとっては昔から不思議だったのだけど
それでいい って思っている人が沢山いるから
多分そうなってしまうわけ で
だけど最近私が話をする人たちは
「そんなんじゃダメですよね?!」と言ってたりして
そうそう やっぱりそう思います?あれ やっぱり
いけてないですよね!と 私も加勢したくなる。



 でもどうしてあんなになるんだろう?
だってそれでいいと思う人がいるから それが通るわけでしょう。
どうして日本の郊外の国道沿いは どこも似たり寄ったりで
そこを走ってるだけじゃもう 何県にいるのか全くわからない
そんなことをしてしまうんだろう 昨日は渋谷の夜をみたけど
街の景色なんてぐちゃぐちゃだ。あれを芸術、ととらえられる人も
いるだろうけど なんだかなー なんだかどうなのかなあと思う。


 さて、なーんでフランスはあんなに綺麗なのかなあと
思っていたら 田舎道を走ってたって ものすごい
きれいな街路樹があったりしてハッとさせられることの方が
多くて もちろん郊外のスーパーはあれど 日本の国道沿いみたいに
やたらでかい色とりどりの店が乱立していることはない。
セーヌ川沿いの夜景なんて 本当にこれが都市として
機能している街なのか!と疑いたくなってしまうくらい
びっくりするほどロマンチックなわけだけど



 それって所与のものじゃなかった。


 そういうことに驚いた。これらはみんな フランスの
厳しい文化政策と規制の上で成り立っていて とくに
フランスは広告にめちゃくちゃ規制がかかるらしい。
都市部でも規制の強い広告は 田舎ではもっと強くて
田舎はホテルの看板くらいは出せても 広告というのは
ほとんど道に出したらいけないらしい。それってすごいことだよね。
(ちなみにそんな規制の強い広告を逆手にとって?パリの
貸し自転車ヴェリブは広告会社がパネル広告を設置するかわりに
なんと初期投資から全額負担して、パリ市はお金を負担せずに
貸し自転車制度を作ってしまったらしい!すごい話です)

 そして歴史的建造物の周囲500メートルは、何を建てるにも
改装するにも、かなりの規制がかかるらしくて
そんなモニュメントのまわりだなんて それでも
カフェはいっぱいあるけど 不思議なことに
フランスは規制が強い区域の中に 沢山のカフェが
存在していて その規制の中でなんとか営業しているわけだ。
でもカフェは許される国なんだ それが私にはなんだか不思議。


 そうだったんだ あの統一感のとれた町並みは
なんとなくできちゃうものじゃなくって 規制の上に
強い規制をかけて 看板の文字はこれならOK ネオンは
だめだけどこういうライトにするならOK 歴史的な
ファサードはちゃんと残して活かしなさいとか
そういう規制があってはじめて あんな風に残される。


 それでそんな街で育った人は やっぱり誇りを持つんだろうか
そんな街で育った人は 空間のセンスを当たり前に身につけて
いくんだろうか。それとも美的教育とががあるのだろうか
パリのアパルトマンを眺めてみると ほとんどどこの家でも
ぼんやりとした間接照明をつかってて 蛍光灯を使ってる家は
本当にごくわずか で 一度蛍光灯の家をみかけたときに
わーなんだかあそこだけ日本みたい と思ったことがある。
(それからセーヌ川沿いの橋の下に一カ所蛍光灯が使われている
ところがあって なんだかそこだけとても違和感を感じてしまった)


 和田幸信さんの『フランスの景観を読む』のあとがきはとても
興味深い。「フランスで特徴的なのは、パリを中心として歴代の
国王により美観整備が行われてきたことである。国王がみずからの
威光を示す壮大な宮殿や街路をつくったことにより、市民も
都市における美観の価値を認識した。やがて近代になり、市民が
主役となって都市計画を行うときにも、美観や都市景観が中心になった。
いわば、すぐれた都市景観が教育的役割を果たしたことになる。
これはまた、逆もまた真なりに思える。日本の視覚公害といわれるような
乱雑な駅前商店街、あるいは広告や看板で店舗が隠されるようなバイパス
沿いを見て育つと、これが都市の景観であると思いこむことになるだろう。」
『フランスの景観を読む』p.266


 これは恐ろしいことですね。
あまりにも違う歴史や背景を背負っている日本とフランスなわけだけど
せっかく世界に誇る美しいものが溢れた国なのだから
もう少し 公的な場が 誰もが目にする場所や空間が
もっと素敵で 心地よい場に なったらいいなと思うのだけれど
私もいつか?いつの日か そういうところにカフェ的な
エッセンスを加えたりして 貢献できたらいいのかな

インフォーマルパブリックライフ

2011年07月31日 | インフォーマルパブリックライフ



 最近私が興味があって追求したいテーマに
なりつつあるのがインフォーマルパブリックライフというもので
この単語はオルデンバーグの『The Great Good Place』に出て来たのだけど
日本語で言うとするなら 気楽に行けるちょっとした街や近所での
生活みたいな感じだろうか これを前に書いた
リラックスした都会の生き方 と言ってみることも
できると思う。なんというか、路上になんとなく出れる
楽しみがあって そこにいったら何かがあって
特にお金を払わなくても そこで楽しい思いをしたり
何らかの発見があって ちょっといい気分になれるところ
(インフォーマルパブリックプレイス)がある生活。

 
 この「なんとなく外に出た時に楽しみがある」っていうのが
重要なんだよなー これがある街って圧倒的に少なくて
昔うちの旦那さんが言っていた「東京ってお金払わなきゃ
何も楽しくないんでしょ」という 確かに言われてみれば
そうかもみたいな 消費主義、大金を払った人だけ
楽しめる というのとはちょっと違った そんな街の
ことなんだけど。


 どうして私がそれにこだわってしまうのかって
多分私が育った街は それがあった街だったから。
昔のたまプラーザはとても文化的な街で
ゴールデンウィークや夏になると 東急百貨店の
3階にある 芝生の敷かれたテラスの上で
タダで野外映画が観られたり、土曜日には
室内で100円くらいで映画を観れる日があったりと
なにかとお洒落だったのだ。


 そして小学生だった私は街や街の雑貨屋さんから
いろんなことを学んでいって 大きくなったら
やっぱり街をぶらぶら歩いて 相変わらずなわけだけど。


 何で街を歩くのかって 何か発見や出会いがあるからで
そういうものが 散りばめられてる街の場合は
けっこう人通りも多くって そこには自然と人が集まる。
谷中の夕焼けだんだんとという坂道にある商店街とか
上野のアメ横とか浅草の仲見世だとか 路上に
なにかが溢れてて なんとなく眺めていられる
なんだかぷーんと美味しそうな匂いが漂う
そんな街は歩いて楽しい街なんだなあ。


 先日フランス人と上野を歩いていた時 大道芸をやっていて
それをちょっと横目にみながら「パリはさあ こういうのが
いっぱいあってしかもレベル高いのがいいんだよね」と言っていた。
そうなんだよね パリは路上にやたらとレベルの高い何かがあって
路上にそんなものがあったら そりゃ基本はタダだから
人は惹き付けられてしまう。ヴォージュ広場の石造りの回廊の中で
オペラを一人歌ってた人も 本当に美しい空間で
信じられない音色を目の前で発してくれていて
私はその場から動けなかった。沢山の人が動いて行っても
私は壁に寄りかかったまま とても立ち去ることなどできなかった。
そんな経験ができる街 って やっぱりうれしいものだと思う。


 さてそんなことを思いながら 今日もたまプラーザの
駅にいったら はて?やたらうまい音色が流れてる、、、
この音量、これ ライブだよね?こりゃそんじょそこらの
お遊びみたいな歌じゃなさそうだ 興味はないけど
これもインフォーマルパブリックライフだ ちょっとだけ
行ってみよう と思って進行方向と逆に向かって歩いて行った。
そのライブ それがかなりすごかった。


 Brand New Vibeという名の彼らは9月にメジャーデビューするらしく、
本当に素敵な歌声、それにみんなかっこいいし
なんか言ってることが熱い。「夢は叶うんだ!だから追いかけて!」と
彼らは私たちに向けて熱く歌って なんだか思わず泣きそうになる。

 こうやって 歌手の人たちが人々を励ます曲を歌うのは
やっぱり彼らもがんばって それで到達したからなんだよなあ
無理かなと思うときもあったけど 諦めないで進んでったから
だから彼らは今私たちにこう語りかけてくれるのだろう。
「夢に向かって進んでいくんだ Juste do it!」ジャストドゥイットかあ、、、


 応援し合える人がいるというのはいいことだ
お互いの未来を応援したい そう思えるのはいいことだ。
なんだか胸が熱くなって その場を後にさせてもらって
ああほらね これがインフォーマルパブリックライフなんだよね
そこにいく前と行った後では 自分の状態が全然違う
そこには未知との出会いがあって 予期してなかった何かが起こる
それがとっても大切なんだ そう ランコントル
なにかとの出会いがあるから それが人生を潤してくれる
そういう可能性が沢山ある街 
それがインフォーマルパブリックライフのある街なんだよな。


 だからきっとある人たちは パリ症候群になってまで
パリに憧れてしまうのだろう だからきっとあの街は
保育園が足りてなくっても なんだか子育てしやすいのだろう
インフォーマルパブリックライフのある生活は
自分を自分にしてくれる 自分がもってた忘れていた側面を
ハッと思い出させてくれる そんな機会をもたらしてくれる
母であっても母だけじゃない そんな側面をすぐに思い出させてくれる。

フランスの開発型都市デザイン―地方がしかけるグラン・プロジェ
赤堀 忍,鳥海 基樹
彰国社




 どうしてそんな街であることが可能なのかなと思ってたけど
意外にもそれは計画された都市設計でもあるらしく
私がパリで随分心地いいなと感じた場所は 広尾の図書館に
あった本の中でかなり都市の再開発の場所として明記されていた。
(『フランスの開発型都市デザイン』)
そういえば あのカフェばっかりの素敵な道も
バスティーユの素敵なマルシェがあるとこも?
みーんな誰かが議論して 人々のより快適な生活のために
ひどくなってた場所をあらため 心地よくしてくれたんだ。。。
改めてフランスの都市計画ってすごいと思った
この先どこまで探って行くのかわからないけど
インフォーマルパブリックライフとカフェのある街
それはこの先 ちょっと私のテーマになりそうだ。

夜のピクニック

2011年05月14日 | インフォーマルパブリックライフ


 先週まではなんだか本当にしんどくて
ああもうダメだ と諦めモードに入っていたけど
今週の後半から少し何かがぬけてきたのか
パリでやるべきことやここにいる意味が
少し見出せたような気になって


 そう確かにね 息子やここにいる日本人と
日本語ばかり使っていないで フランス語を
やってこそ 理解できる世界があるわけで
「わからないから嫌だ!」と言ってたら
いつまでたってもどうにもならない それがわかった。


 昨日は「そうだよねえ じゃあテレビも少しは
みないとなあ 疲れるからやだとか言ってないでねえ」と
何気なくテレビをつけると なんとウィーンのカフェの
話をやっていて さすがはカフェ文化研究家?
一目みただけで もしやこのカフェはあのカフェではと
判別できる。映像にでてきた3つのカフェはどれも
私が行ったことのあるカフェで 会話はドイツ語なんだけど
フランス語字幕がついてて 蓮太郎に「ちょっと悪いけど
静かにしてよ!」とお願いをして 急遽テレビに釘付けになる。


 それらのカフェではいまだに知的な会話やら出会いがあるらしく
新聞の数の多いことで知られていたウィーンのカフェでは
相変わらず世界中の新聞が読めるらしい。iPadの時代とはいえ
そういうのはやっぱり素敵だし カフェで知的な議論をしたり
シナリオを書いたり作品をつくったり そういうのが
いまだにあるのだということ それを知れて嬉しくなった。


 そうだやっぱりフランス語がんばろう!と思った矢先

 今度はParis-Bistro.comの事務所に行って
蓮太郎を寝かしつけたら それから代表と一緒に
Salon de Saveurという、食の見本市みたいなのに
行かせてもらった。もうだいぶフランスに慣れてくると
「フランスって結局チーズとワインとハムなんでしょ!」
という気になって ううたまには他のものが食べたい、、、
日本の食って なんて豊かなんだろうと思うけど
それでもやっぱり美味しいものを食べると
ちょっと壊れかけてた私のお腹も「うーん美味しい」と
思ってしまって また今日も日本食の予定がどこかに行ってしまう。
(ちなみに息子はおにぎりをつくっていってもサンドイッチを
選ぶほどパン好きです)


 さてそこで代表にまたいろんな人を紹介してもらい
そこで出会ったアヴェイロン地方でパンを作っている人の
話は面白かった。また記事をちゃんと書きますが
彼のパンは半分焼けた状態でビストロなんかに卸すことができ
あとはお店のオーブンで15分ほどやいたら完成というもので
パンの耳はかなりカリカリサクッとしていて
中身もやわらかすぎず、固すぎず、ちょうどいいかたさで
彼のパンは他のパン屋さんのパンみたいに
主張の強いパンじゃなくって パンドカンパーニュみたいに
変につよい酸味があったり パンの味が強くて
フォワグラとかチーズの味を殺してしまう様なものではなく
ベッドのような存在でありたいんだそうな。
この時はパンだけでよくわらからなかったけど
そのあとこのパンはとても威力を発揮してくれることになる。



 この後また事務所に戻って しばらくすると息子が起きて
それでは帰りまーすとメトロに揺られて急いでお家に帰り
友達と約束していたバドミントンをすることに。


 さて そんな夜 7時すぎに私が勝手に思いついた

 あ 今日の夜ピクニックしない?代表が買ってくれた
おいしいパンあるし ご飯つくるのの面倒くさいし
よかったらバドミントンのあとどうですか


 という そんな程度の思いつきピクニックに

 気がつけば最終的には7人も集まって
なんだか素敵な夜だった。 そう パリは
夜にピクニックができるのです(夜もけっこう明るいから)


 そうして我らは1時間くらい風が吹く中バドミンドンして
「そういえばねー私京大にいたときエセバドミントン部っての
してたんですよ」と彼女に話し(彼女は日本人)
「おーじゃあパリでもバドミントン部しようか」という
話になって 「じゃあ週に1回くらいどうですか」という話になる。
かつて大人がパドミンドンをしている姿をみて自分もしたくて
すねまくってた息子はというと 意外といい子で
自分のボールで遊んでて たまにかまってバドミントンの練習を
してあげてたら 我等が9時すぎにご飯を食べはじめ
「いやーこんなのいいねえ 幸せだねえ」と
言っていたとき息子も「しあわせー」と言っていた。
おおそうだったのか ほったらかしだと思ってたけど
意外と幸せだったのか。昨日の息子はことのほか幸せそうで
その人に「どうしたらこんな風に育てられるの?」と
言ってもらえてちょっと嬉しくなった。

 フランスに来てから日本と子育て観が全然違って
しんどかったこと 来た当初はいい子にすることなんて
できなかったことなどなどを話しながら
めちゃくちゃおいしいパンとめちゃくちゃおいしいチーズを
食べて 「いやーこのパン やばいねえ」と話してた。
「これ パリで買えないの?」「うーんレストランには
卸してるって言ってましたけど」このパンは
前に田舎のマルシェで買ってもらったパンみたいで
すっごくおいしくてチーズやらハムにマッチする。
これ 日本で絶対うけると思うなあ
パリでもなかなか食べられないくらい美味しいのなら
日本じゃもっと手に入らない そう思うけど
また記事を書くのでみてください。

http://www.paris-bistro.com/japon/cuisine/pain_cazottes.html

 さて そんな風にもう夜なのに
子供をつれて ワインを飲んで 酔っぱらいながら
ピクニックして 子供をおんぶして走り回ったり
息子はおもちゃのトランペットをふいてみたり
そんなことをして寒いねえといってたころに(22時過ぎ?)
もう一人子供を抱えたお母さんもやってきたりして
「ママばっかりやってたらしんどいもんね
ちょっとそこで一杯飲んで行かない?」と誘ったりして
その公園のすぐ隣にある大きなホールに出現していた
クレオール風のバーみたいなところに
子供2人を連れて行き 「いやあパリに
こんなゆったりしてしかも子供連れて行ける様な
ところがあるなんてね!」とみんなで驚き喜んでいた。
そのバーはとても素敵で空間がめちゃくちゃ広くて
子連れでも平気な雰囲気なんだけど さすがに
そんな人ほかにはいないかと思っていたら
あ いたいたアフリカ人の2歳くらいの男の子。
そんな雰囲気がいいよねえ


 パリはきっと もっとフランス語に自身をもって
そう 自分を表現しだしたら 誰かとの会話を
楽しもうって 自分から 声をかければ
きっと楽しくなっていく。昨日ははじえめて息子と一緒に
カフェのカウンターに入って行った。そう
そういう勇気をちょっと出せれば 勇気は次第に
慣れに変わって もう勇気なんかいらなくなるから
そうやってだれかとコミュニケーションすることが
本当はすごく私を救ってくれるんだろう


 パリには緑もあれば公園もあり ピクニックが
どこでもできて そこでスポーツだっていろいろできるし
カフェも山ほどあるわけで 都会にいるのに
リラックスした そんな生き方が可能なのだろう
そこにコミュニケーションがあったなら
自分からの働きかけがあったなら もっと
楽しくなるのだろう もうくらいところから
抜けて行きたい 私も自分で 積極的に関わってみたい
そうしたら何かが見えるだろうか
思いつきのピクニック とても素敵な夜だった。

1ヶ月

2011年04月26日 | インフォーマルパブリックライフ


 今日久々に母に電話をして懐かしい声を聞いたら
「そういえば今日でちょうど1ヶ月になるのねえ」と
母に言われて気がついた。そういえば なんだか
よくわからない不安やらいろんな気持を全部段ボールに
つめこんで 必死の思いで航空券を予約して飛び立ったのは
25日の金曜だった。そうそして もう1ヶ月が経ったんだ。


 「子育てしてると時が経つのが早いでしょう?」とは
よく言われて来たけれど 私はこれまでそんなことを
思ったことは一度もなくて 長かった 本当に長かった、と
思ってきたのだけれど ここにきてからは早かった。


 息子と一緒に今日の夜も歯磨きをしてちょっと遊んだりして
「はいもうねんね!」と言い聞かせ そういえば昨日も言ったな
もう今日も夜になったのか、、、となんだか不思議な気分になってた
時が経つのは本当に早くて 1ヶ月もパリにいたけど
ほとんど息子にかかりっきりで(この間本当に一人になって
息子と離れたのは計6時間くらいしかないから私にとっては
生んだ直後なみの密着度なのかもしれない)
パリを見たのかといわれると エッフェル塔を眺めたのと
遠くからモンマルトルをみたくらい?モンパルナスタワーも
みたけど そういえば凱旋門もちょっとかすった そんなもの。


 毎日のように公園に行き(来てからほとんど雨が降ってない)
ピクニックしたりスーパーやマルシェで買い物したり。
時差ぼけやら子育て観の違いやら いろんなものに戸惑って
泣きたくなったり泣いてしまったり 時折日本が恋しくなったり
日本語で話したくなったりするけれど



 それでも?それでも 今朝はまた蓮太郎が夜中の3時に
大泣きをして それでかなり疲れてブルーになっていたけど
ここの人たちの協力のおかげでいままでなんとかやってこれ
今日はそのあとは蓮太郎も公園にいって砂場で1時間くらい
たっぷり遊んでなんだかとても幸せそうだった。

 先日まで田舎でのんびりさせてもらった分だけ
ちょっと節約できていたから もう今日は久々に来た
モンスリー公園の近くの中華街にいってベトナム料理の
フォーを食べよう!と心に決めて
パリに来て1ヶ月記念なのだか はじめて
パリで 外食らしい外食をした。


 そうすると蓮太郎は子供用椅子がなかったり
フォーをべちゃべちゃこぼしたり なにかと
大変だったというのを 注文してから思い出したりするわけだけど
まあいっか でもなんだかやっぱり幸せだなあ
泣いたりもするけれど それでもここでは
毎日一度はアハハと大きな声で笑って
それでもやっぱり 人生は悪くないかもと思えてる。

 今朝はしんどかったけど パリはやっぱり
外に出たなら きっと何かが待っていて
今日はなんだかちょっと幸せな気分になれて
それで帰りにメトロに乗ったら見たことのない
アフリカらしきところの楽器を弾いてる人がいて
普段のメトロの音楽は あんまりたいしたことないのだけれど
彼らは音楽の音色も美しければ 1人は踊り
2人一緒に歌いはじめた その歌声もとても美しく
そんな雰囲気にうれしくなった蓮太郎はメトロの椅子で
踊りだし 普段なら「ちょっと!!」というとこだけど
まあ目の前の人が踊っているし と私も止めず
そしたらまわりの人もなんだか嬉しそうな顔で
我が息子を見守っていた。
目の前には小さな赤子をおんぶしているアフリカ人。
ああそんなこともあったなあと思っていたら
今度は息子はおんぶしてくれと言い出したりで
大変だったりもしたけれど それでもなんだか
幸せだった。そしてメトロが地上にあがると
はっと目にするパリの夜空が待っていた。


 嗚呼パリの夜 そんなもの を
何だか久々にみたような セーヌ川に
アパルトマンに美しい光の数々
一人でいたときは何度も目にした
そんな景色を今度は息子と目にして
なんだかとても驚いた。


 田舎はのんびり 緑もあって空気もよくて
食べ物もみんなおいしくて 外でごろんとしてられるし
走り回ってもだれも怒らないけれど 外で飲む
コーヒーは最高に美味しかったけど
パリは都会で大変だけど それでもやっぱり
なんだかここは 味わい深い街なんだ。
いつまでここにいられるのかも私にはわからないけど
なんとかやってきた1ヶ月。少しずつでも
未来がひらけていったらいいのだけれど。。。

リラックスした都会の生き方

2011年04月04日 | インフォーマルパブリックライフ

 先日日本を発つ間際 に 同じ団地の友人が
「飛行機で読んでね」といって昨日の夜に
書いたのだという手紙を私に手渡してくれた。
彼女とは引っ越しも間際になってものすごい頻度で
会うようになり 飛び立つ前日の夜なんか
お世話になった近所のおばさんのお家で
晩ご飯を御馳走になったあと 私は色々また
悲しい想いを繰り返し 沢山の段ボール箱に
囲まれながら いたたまれない気持になって
「ごめん、ちょっと寄ってもいい?」と夜の
玄関先に立ち寄って 彼女の前で泣いてしまった。


 それでも次の日の朝は6時すぎには出発で 関空に2人きりで
着いてからは 恐ろしいほどのトラブルが待ち受けてたから
出発3時間前についたといっても 感傷にひたる暇は
全くなくて 気がつけばもう飛行機にのる時間が来ていて
動かない息子の手をむりやり引っ張ってはパスポートを
差し出して なんとか機内に入って行った。


 それから少し余裕があって 彼女の手紙を
読もうとしたら なんだかもう読んでる先から
涙がこぼれて仕方なくって 最後まで読むのが
本当に精一杯だった。渡されたときはちょっと不安で
「もしかして本当は大嫌いでしたとか書いてないよね?」とか
聞いてみたけど「そんなことないって」と彼女は笑って言ってくれ
そうして私はようやくその「飛行機で読んでね」という手紙を
読んで 彼女が私と出会えたことを 
喜んでくれていたということを知ることになる。


 手紙の中には「美樹ちゃんと知り合わなかったら
きっとピクニックもしなかっただろうし
カフェにも行かなかっただろう」と書いてあった
私はそれにはいささか驚き ああ そうなんだ
となんだか不思議な気持になった。

 彼女なんかは なんだかそういうのがとても自然で
慣れてそうな感じだったんだけどな。私たちはよく
団地の目の前の緑ゆたかな公園に行き
私がコーヒーをいれて魔法瓶につめていき
彼女がお菓子を持って来てくれ 親子四人で
のんびりしたり 時には野点をしてみたり
大山崎のアサヒビール山荘に行きピクニックをしたこともある

 そんな彼女が 「私一人だったらそんなこと
しなかっただろう」と書いていた。それに私は驚いた
そういえば 私はしょっちゅうピクニックをしたり
してたけど よく考えたら それを提案するのは
たいてい私で 誰かに提案されたというより
自分からやっていたのかも。お花見だってそうだった
それらはもしかすると フランスで留学時代に
少し身に付けたものかもしれず 私にとっては
ごくナチュラルなものだったけど 他の人にとっては
そうでもなかったということなのかなあ?
だからその我等がよく行く公園は すごく緑が豊なのに
だれもピクニックをしていなかったのだろうか


 私はそんな事実に少しショックを受けたのだけど
昨日ラ・ビレットというパリの大きな公園に
サンドイッチをつくってピクニックをしに行ってみる と
そこには恐ろしいほどの人が溢れてた!!!


 みんな何してるかといいますと

 ピクニックをしてるんだなあ


 フランスにはなんと「ピクニケ」という
「ピクニックする」という動詞まで存在している
さすが「草上の昼食」の国?ピクニックは
この国の確固とした文化というか 本当に
当たり前に存在している楽しい習慣な感じがする。


 先日京都でお世話になったフランス人が言っていたけど
「日本ではお花見の時くらいしかピクニックをしないけど
フランスではちょっと天気がいいといつでもピクニックになる」
と言っていた。まさにそうで平日は簡単なものをもって
ちょっと公園でご飯を食べたり 休日はみんなで
約束して大規模にピクニックとか。
もう気持悪いくらい人 人 人!!だった。
見渡す限り 緑の上に人 人 人 という感じ。
みんなどこから溢れだして来たのだろうか
ちなみにそんな日はカフェのテラスも人だらけ
いいなあ私もカフェ行きたい!!と思っていたら
一週間してようやく初めてカフェのテラスで一息つけた。


 ラ・ヴィレットはパリの北東にあるからなのか
そこにはフランス人だけでなく アラブ人にアフリカ人
ブラジル人になんかやたら多国籍な人々だらけで
そんな中で蓮太郎も まあまあ浮いた存在だけど
彼はものおじせずに楽しそうに小さな丘で遊んだり
ブラジル人の演奏している音楽のそばで
一人踊り始めてみたり(!)めっちゃかけっこをしてみたり
なかなか楽しそうにやっています。


 そんなピクニック!!!な人たちをみて
あーここって 本当にお金がなくても
楽しめる しかもめちゃ都市なのに 緑があって
それなりにリラックスできる そんな生き方が
あるんだなあ と とても驚いてしまう
その都市の中のリラックスというのが
閉め切られたマッサージルームの中とかじゃなく
公共の公園の中で 本当にみんな思い思いに
楽しんでいる たとえ天気が悪くても
散歩している人もジョギングの人もいっぱいいるし
天気がよければもうすごい。


 そりゃ京都にだって自由な雰囲気はあるんだけれど
鴨川沿いにタイコたたいたり楽器の練習をしてる人もいるけど
だけど私はわかってしまった。そういう人もいる というとこと
そういう人が山ほどいる というとこは
やっぱり多様性やら開放感が全然違って
赤信号 みんなで渡れば怖くないじゃないけれど
みんなやってるならやってもいいじゃん!という気になれる
別にごろごろしたって走り回ったってタイコ叩いたって
踊ってたってシャボン玉飛ばしてたって
バカみたいなことしてたって 
まわりにはそんな人がけっこういるから
まあここならいいんじゃない?というか。。。


 そのせいなのかやたら蓮太郎は解放系に向かってて
この先大丈夫かしらと思ったりもするけれど
やたら笑って楽しそうに日々踊ったりして過してる。
こんな生き方もあるんだなあ
たとえいろんな事情を抱えていても
たとえ人生が思うように進まなくっても
お金持ちのフランス人ではなくっても
こうやってお金をかけずに外に出て
なんとなく楽しめる そしてなんとなく
いろんな人とコミュニケーションができてしまう
そんな都会もあるんだなあ

 私にはそれがとても驚き。


 私はずっと 都会の時代はいつか終わって
田舎やら農の時代が来るものなんだと思ってた。
だけど私は都会が好きで 都会にも都会特有の
はかりしれない魅力があると『クリエィティブ都市論』を
読んで気が就いてしまったから ならば都会を諦めないで
人間にとってもっと気持よく 住みやすい
そんな場所にしてみることって 大事なんじゃないかなあと
強く思うようになってきた。確かにパリは汚いし
うるさいかもしれないけれど だけどここには
何らかのヒントがあるような気がする。
そんなヒントが 私の視点を通して少しでも
日本に伝えられたら 私も今は役に立たなくっても
少しは役に立つだろうか。。。


『クリエィティブ都市論』
都市を諦めたくない人に
それでもやっぱり都会ってなんかいいよねと思ってしまう人には
おすすめです。そうか その高すぎる家賃の意味があるわけかと
思わされます。だったら私は物を減らして都会で小さな暮らしを
したいなあとこれを読んで思わされました。
これを読んでなかったらパリに来ていなかったかもしれません?
基本的にアメリカの話ですが東京もとても生産性が高いとほめています。

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める
井口 典夫
ダイヤモンド社





フランスに行くなら

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