「イスラムは愛と平和の宗教である。」
それは耳にタコが出来る程、1月のテロの後に
イスラムの地位ある方々が語り続けていたことだ。
そして彼らはなんとかして1月のデモに
イスラム教徒の人たちにも参加するように呼びかけて、
彼らなりに発言しようとした。
それは今回も同様で、ラジオに出演していた自身も
イスラム教徒という男性は、バタクランの前で
マルセイエーズを歌ったイマムの姿に非常に
心を打たれたと言っていた。
「イスラムは愛と平和の宗教である・・・」
けれども1月の私にはピンとこなかった。
何故こんなにもイスラムを代表する人たちは
「愛と平和」を強調し「それは自明のことである」
(もはや説明するまでもない)という態度を示しているのに、
一方では同じ「イスラム」という名のもとに
世界で散々な行為が行われているのか・・・
その後私はかなり勉強したと思う。イスラムに関する本も
何冊も買い、モスクにも行って説明も受け、1月のテロに関する
イスラムの人たちの講演会にも参加した。
でも正直謎は深まるばっかりだった。
そしてやっと今回の事件の後の分析に触れ、
自分の中でその謎が解けてきたように思う。
イスラムはおそらく実践の宗教なのだ。
もちろんコーランは大事とはいえ、日々の実践、
生き方でこそ、イスラムの在り方がわかるのだろう。
だから彼らは態度で示し、「わかってよ」というのだろう。
それに対して私は理解するために本から入ろうとしてしまい、
本を読むともちろんコーランが引用されており、
その中には恐ろしい表現や「目には目を・・・」的な
言葉も説明されている。そこがイスラムとの出会いになり、
言葉通りに受け取ると、おそらく誤解が生じるのだろう。
なぜなら「原理主義」というのは言葉通り、教典に書いてある通りに
実践せよという方法だから。原理主義はイスラムだけでなく、
ユダヤ教やキリスト教にもある考え方で、シャルリーエブドは
この「原理主義」を批判していた。理想と現実が対極にあるのなら、
教典そのものと現代社会にも矛盾はつきものだ。
それをどうすりあわせてやっていくか・・・
すべての宗教はそれなりに近代社会の変化に合わせ、
少しずつ変っていった。だが原理主義はそれを認めない。
そして教典から入り、それだけから宗教を理解しようとするのは
キリスト教を理解するために教会に通い、牧師さんの説教をきいたりせずに
ひたすら聖書を読んで理解した気になるのと似ているように思う。
だからそこにズレが生じ、イスラム教とイスラム原理主義との
混同が生まれてしまうのだろう。
なぜイスラムをきちんと信仰し、実践しつづける人たちが
1月のパリのテロリストや「イスラム国」に対し
「あんな人たちは関係ない!一緒にしないで!」と叫ぶのか。
それは彼らの言うように、本当に関係ないからだろう。
ところがどうも日本ではイスラム教とイスラム国、
テロリストが微妙に混同視されているように思う。
「イスラム教の人たちがヨーロッパで差別にあって、
それでこんな事件を起こしちゃったんでしょ。
イスラムの人たちも可哀想・・・」これは同情しているようで
実際には彼らが一番恐れ、嫌がっている「混同視」ではないのだろうか。
今回のテロ犯やジハードに参加するフランスの若者たちに関する
記事をできるだけ多くチェックして、それなりにわかったことがある。
まずテロに参加する若者の多くは確かに移民二世ではあるが、
ほとんどの場合もともと経験なイスラム教徒ではなかったということだ。
これは私たちの状況を想像してもいえる気がするが、
敬虔なイスラム教徒は普段の生活においてイスラム的在り方とは
なんであるかをよく知り、それをできるだけ実践しているとする。
そんな人たちに対しては、人殺しやあえて平和を乱すことは許せないし
あり得ない。(もちろん人殺しは大罪)小さい時からモスクに
通い、実践している人には理解不能なことだろう。
(だから彼らはものすごく嫌な顔をして「一緒にしないで!」と
言うし、「イスラム国」への報道に対し、混同視されないように
「イスラム」という名を使わないように世界の報道機関に
訴えたのもイスラムの人たちだ。だから「イスラム国」は
ISとか、フランスではEIとかDaeshと報道される。
ちなみにオランド大統領はその点ものすごく気を使っている)
けれどもイスラムとは何かをよくわかっておらず、
ちょっとした不満をかかえ、軽犯罪歴のあるような
若者達が誰かにそそのかれ、イスラムとはこういうものだ、
世界はこんな酷い状態にある、君も武器をもって
ともに戦おうではないか・・・と洗脳された時、
残念ながら教典の一部をおどろおどろしい解釈で
読み取る事も可能なのだろう。とはいえ彼らの多くは
イスラム世界のために!というよりも、自分たちの
承認欲求をみたしてほしい、くすぶる気持を
正当化し、暴力さえも正当化してくれる心地よい
「何か」に出会った、ただそれだけのことだと思う。
フランスのジャーナリストや知識人はがっくりさせるような
事実を教えてくれる。ジハードに参加したフランス人が
その直前に「馬鹿でもわかるイスラム教」という本を
ネットで購入していたこと。ジハードに加わる
者の30~40%は新たに(急進)イスラム教に
改宗した者であること(つまりそれまではイスラムなんて
しらないで生きてきたし、「イスラム教であるが故の
差別」を経験したこともない者だった)フランスで急進主義として
目をつけられている者の3分の2が15歳から25歳までの
若者であること・・・
私が経歴を読んで来たテロに関与してきた者達は
どちらかというと「イスラム教徒だから差別にあって」というよりも
家庭が貧しく、両親が離別や死別といった苦しい生活環境の方が
目立つように思う。それなりの生活をしているイスラム教徒の人なら
きっと子供達をかまってモスクにも連れて行けるのだろうが、
子だくさんで片親になってしまったような場合だと、
貧しさ故に子供に構う暇も余裕もない。
どちらかというとそんな環境で生まれてしまった
心の空白、誰も自分に構う余裕がないという淋しさを
うめたい、すこしでも注目されたいといった思いで
まずちょっとした盗みがはじまって・・・という
貧しさ故の辛さの方が目につくように思う。
心の空白、満たされない気持、だれも自分をまともに
構ってくれない・・・そんな時、やさしく寄り添ってくれる
「師」に出会い、彼のもとで自分が生まれ変わっていく。
急進派になって「テロリスト」として死亡した若者の
友人達はたいてい口を揃えて「昔はそんな人じゃなかった。
やさしい子だったのに・・・」と言うそうだ。
移民二世でテロリストになった者達は両親の宗教や文化も
しっかり引き継いではおらず、フランス語も両親より上手く、
西洋文化の中で普通にお酒を飲み、女の子をナンパするような若者だった。
ところが彼らは急に「別人」になる。そして名前を変えることすらあるらしい。
今までコーランをしっかり読んだ事もなければお酒を飲み、
ヴェールもまともにかぶらなかったような人が突然
ヴェールをかぶり、気付けば全身を覆うヴェールになっている。
(でも彼らが全員「イスラム国」に賛同しているわけでもなく、
シャルリーエブドを襲撃したクアシ兄弟の妻達は
全身をヴェールで覆っていたが「そんなのありえないよね」と
話していたという(夫も賛同していたそうだが・・・))
そして彼らは世界全体に対して戦を挑み始める。
西洋文明だけでなく、世間と折り合いをつけている
今日のイスラム教の在り方も目の敵にして、
全ての「間違っている」ものに対して戦いを挑みはじめる・・・
これはイスラムの問題というよりは急進思想に染まる若者の
問題といえるのではないだろうか。私にはこの問題は
学生運動の時代の連合赤軍やオウム真理教にはまっていった
若者たちの問題により近いように思えてしまう。
おそらくそれほどまでに
穏健なイスラム教徒と、超急進的なイスラム(の名を借りた
人たちの集まり?)の間には隔たりがあればこそ、
穏健的なイスラムの高い地位にある人たちは
「あんなものはイスラムではない!」と言うのだろう。
何故彼らが急進思想に走ったのか?それは貧しさであり
教育の問題でもあるかもしれない。手っ取り早く自分の
心の乾きを満たし、「答え」を教えてくれるもの、
それが「解決策」であれば、何だってよかったかもしれない。
フランスではある時急に自分の息子がシリアに行ってしまう人が
いるという。その親の哀しみといったら半端ではなく、
「ドイツに行くっていっていたのに・・・」と泣きそうに
なりながらインタビューに答えている。
何が?どうして?彼らをそうさせてしまったのか?
麻薬のような魅力をもった解決先の向こう側には
死が待ち受けている。私には彼らの心の乾きは
激しい承認欲求のように見えてしまう。
参考文献 Le Mondeより
Olivier Roy, "Le djihadisme est une révolte générationnelle et nihiliste"
"Pour les désespérés, l'islamisme radical est un produit excitant"
"Hasna AÏt Boulahcen, entre vodka et nijab"