alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

産後鬱

2015年09月10日 | 子育ての苦しさ
 産後鬱、という言葉がある。子供を産んで
しばらくしてから子供の泣き声に振りまわされ、
自分の身体の調子も元にもどらない状況の中、
次第に色んなことに対応できなくなっていき
鬱っぽくなっていく。
産後鬱、というのは病院で診断されるような
たぐいのものかは知らないれど、私は
明らかにこの産後鬱になっていた。


 まだFacebookもなかった時代、iPhoneも登場しておらず、
メールといえばパソコンを開くか携帯メールしかなかった頃。
子供が生まれ、祝福され、でもなんとなく友人達の足は遠のき、
友人たちの中でもダントツに早く子供を生んでしまった私には
近くに頼れる「先輩ママ」もいなかった。
妊娠中と同じような気持で家に遊びに来てくれる友達。
それはとっても嬉しいのだけど、私の体力は
かつてのように3時間も友達を受け入れることは不可能で。
山積みになっている洗濯物。ご飯を食べようとした瞬間に
泣き叫ぶ赤ん坊。食べても食べても満腹感を感じられない
私のお腹は二人分食べないと持たないというのに
この体力では洗い物すらままならない。
助けて・・・・どうしたらいいのか、誰か教えて・・・
母が京都まで来てくれたときはなんとか話し相手がいたものの
母も帰り、旦那も仕事に行ってしまうと私の話し相手は
言葉が通じるのか定かではない赤ん坊一人だけ。
大人とは話したことがあっても子供との
付き合いなんて皆無だった私は仕方がないので
赤ん坊を抱えてひたすら童謡を歌い、
宮沢賢治の童話を読み聞かせ、彼が時折寝てくれるのを待っていた。



 カフェに通い続け本を執筆した妊娠時代、
その近所のカフェにようやく子連れで行けたのは2ヶ月が経ってからだった。
ふらふらの身体で近所のATMに寄っただけで熱中症のようになり
その後ちょっと1時間だけと許しをもらって(近所だった)
灼熱の祇園祭に出かけていったらまたしても身体はふらふら。
生きているのが本当にやっと。洗濯物をたたむ気力すら
残っていない、そんな日々の繰り返し。


 私・・・色々できたはずなのにな・・・
家事だってそれなりにできたはずだったのに。
1日中家にいるのに洗濯物すらままならない、そんな自己嫌悪から
はじまって、次第には大学に通ったことすら
忘れてしまった。私、京都の街を自転車で走っていたことが
あったんだっけ・・・?全ては遠い彼方に去った。
あるのは誰か知らない別の「彼女の」人生だ。
「自分の」人生だと思っていたもの、もうすぐ
手に出来ると思っていたもの、それは目前にして
遠い彼方へ葬りさられ、私が笑う時は子供につられて
笑う時だけになってしまった。
私、母になるために生まれて来た訳じゃないって、
そう思って本を執筆したのにな・・・



 きっと昔からお嫁さんやお母さんになることに憧れて来た人たちは
産後鬱にはならないだろう。産後鬱とアイデンティティクライシス、
自己崩壊は密接に関わりがあると思う。
また自分を活かせる素晴らしい職業につき、
それなりに自分で時間管理ができる人たちが母になっても
そう問題はないだろう。彼女達には復帰できる場所があり、
限られた子育ての時間を存分に大切にしようと思えるからだ。
けれど実際の世の中にはそんな「VERY」のように華々しい仕事をして
うまくいっている人ばかりがいるわけではなくて
私や私のまわりの女性のように
それなりの大学に行ったものの
就職先などで問題があり、一度その会社をやめたような人が
付き合っていた人と結婚をして子供が生まれることになった時
そこから問題が生じてしまう。彼女達には保育園に通せるほどの
しっかりとした「復帰先」があるわけじゃない。
ちょっとした「得意分野」に週5日勤務のハンコはついてこない。
けれども高等教育をしっかりと受けてきたから
専業ママ一本になるのは気持的に葛藤がある。
じゃあどうすればいいのかって?その人たちに選択肢なんて存在しない。
幼稚園ママになり、子供が幼稚園に行っている間に
好きなことができるよう、ただひたすら待つしかないわけだ。
(一時保育は使えても週に1度がいい方だ)
つまり子供がオギャーと産まれたその瞬間から、
ハイ3年、少なくとも3年は、子供のために我慢してね・・・
(「二人産なら7年よ・・・」とうちの母)
となってしまう。そしてママ友たちは遠い目をしてこう語る
「あと1年したら・・・そしたらあのお店でランチしようね!!」


 20代後半や30代後半の、人生まさにこれから!といった気分の
女性達が、ヒカリエのまさにターゲットとなるような
キラキラした都会の女性達の1人だったような人たちが
いきなりそんな状況に陥ってしまうこと。
そして周囲から差し伸べられる手が、あまりにも
求めているものと違うこと
(「そんなことしてて旦那さんのご飯は大丈夫?」)
さっきまで独身女性と仲良く話していた人たちが
言葉の通じない(ように思える)子供もしくは
母であること以外に共通点の何ひとつない「ママ友」
(しかもけっこうライバル心があるような・・・)
とだけの付き合いで生きていく。
そりゃ、鬱になってもおかしくないんじゃないの??
しかも子供が産まれる→家が狭いから引っ越しをしよう
→家賃的に都心部は無理→郊外に引っ越しになってしまうと
以前の友達とのつながりも切れ(子育てしているママの
行動範囲は半径500メートル以内ともいうそうだ)
孤独は深まる一方だ。



 つまり私が問いたいことは、産後鬱って
誰でもいい誰か3人に一人がなるような「運が悪かったね、残念!」
というたぐいのものでも、その人がやたらネガティブだから
でもなく、かなり社会的に引き起こされる状況なのではということだ。
同じ状況に置かれてみたら?あなたもなりうるんじゃない?
核家族で、助けてくれる親族も近くにおらず、しかも
「子供のために」引っ越ししてしまったら?
今は輝いている花嫁もも、いづれそうなるかもしれない。
これから産まれてくる子供達と母親がもう少し幸せで
いられるためにはどうしたらいいのだろう?
もっと女性達が口を開いてみることか・・・

フランスに行くなら

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