alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

パリで仕事?

2011年05月31日 | フランスへの道


 「ミキ、今度の土曜は何してるんだい?
シャンパーニュに行ってみる?」「は?シャンパーニュ?
って 飲み物じゃなくて 場所のことですか?」と
あまりの突然の申し出に目を丸くしながらビストロの
仕事の代表の言葉に答えてた。
「そうだよ パリから50キロくらいだからね」


 あまりに突然だったので その日はちょっと無理だったけど
今日は息子を事務所の人たちに預かってもらい
シャンパーニュまで行って来た。


 シャンパーニュ、シャンパーニュ!!
母に話したら「まあ夢みたいねえ うらやましいわ」と
言われたりして 私の中でも夢みたいで
そう 夢みたいではあったのだけど


 なかなか道は困難だ。


 「今回は大事だからね なんとかして
広告がとれるようにしないといかん」と念を押されたものの
10年ぶりくらいに身をおいた いわゆる
ほんまもんの高級フランス料理のお店に招かれ
代表とシャンパーニュの会社の人と一緒に
昼食会をさせてもらったのだけれど
もう2人が会話しはじめると 一生懸命聞こうとしても
60%くらい理解するのが精一杯で
ここで食い込まなきゃと思っても
入って行くのは難かしい。

 だけどだまってちゃ絶対だめだ!!
だまってたら石になってしまうと思って
少しでも隙があったり 興味の持てそうなことがあったら
なるべく質問するようにしたけど
それでも気持はかなりできなくてごめんなさいモードになって
だいぶネガティブになってしまった。


 あーあ ここまでやってきたのに

 これじゃあ進めないのかな


 あーあ ここまで来たというのに

 やっぱり難かしいのかな


 そうして諦めたくなってしまって

 フランス料理は私には重すぎるだとか
ついこの間まで日本で専業主婦だっただけなのにとか
弱音を吐きたくなってしまう。


 それでもこうして 沢山の素晴らしい機会を与えてもらって
ギャルソンレースに行かせてもらったり
サンジェルマンデプレのカフェを巡るマラソンの取材を
させてもらったり(よかったら読んでみてください
お金はないけど ただで
美味しいお酒を飲める機会を沢山もらったり
(今日ははじめてシャンパンが美味しいと思えて幸せでした)
念願のワイン畑を見せてもらったり 普通の人は
入れないところまで 代表が一緒だから
行かせてもらえたりできるのだけど


 それだけで すごいことなんだけど


 お金がないとか どうやって稼ぐんだとか
生きていけるのかとか考えだすと
あー やっぱり、、、 と後ろ向きになってしまう


 それでもここまで来たんじゃないか


 私の今の状況は 何一つ確かといえるものはなく
確かといったら蓮太郎が私を好いててくれることくらい?
それ意外にはもう 神のみぞ知るとしかいいようがない
日本で違う未来が待っているのか それでもパリにまた
来ようとするのか 東京が実は合っているのか
田舎で暮した方が実はいいのか
私にはよくわからない


 それでもここまで来たということ


 それだけでも 何ヶ月か前の私には夢のようで
1年前には「お願いだからちょっとでいいから
カバンもちでもさせてください」と思ってた
今はカバンもちじゃなくって 一緒にいろいろ
取材するときに連れて行ってもらえるようになり
私もだいぶ記事を書いたりさせてもらえるようになった
それは何年か前にしたら 本当に夢の様なことなわけで



 1年前にはワインのことなんて 全くもって
わからなかった ワインなんてまずいじゃないか
くらいにしか思ってなかった そんなワインしか知らなかった
だけど今では スーパーの棚をおそるおそる見てみたら
この仕事のおかげでかなりの名前を知っていた
あーあれはなんとかで 確か魚に会うんだそうな
あーこれはフーデックスで試飲したやつ
そうそして今日は2種類の本当においしい
シャンパンを試飲させてもらって おかげで
シャンパンが美味しいこともわかったし
同じシャンパーニュといっても味にいろんな違いがあること
それから知らなかった製造方法もわかって本当に
勉強になった そんな今 は 未来への
はじまりなのだろうか。



 フランスは パンとハムとチーズとワインの国で
おいしいけど こってりしていて 時には嫌になったりもして
ものすごく和食が恋しい(そしてしょっちゅう和食を
つくって身体の均衡を保ってる) ここにきてから
沢山の人の話や自分の経験で 日本のよさもよーくわかった
日本のあの繊細さや 食の豊かさや美しさ
そういうのが恋しくなったり 素敵だなあと思ったりする
だけど日本に帰ったら?きっとまたここが恋しくなるのだろう
そんなこともうこの10年くらいでよくわかっているじゃないかと
自分に何度も言い聞かせてみたりするけど どうなのかなあ


 日本とフランスを行ったり来たり
お互いにお互いのいいところを紹介しあって
お互いのいいとこどりができたなら
それで素敵なのかなあ フランスがいいとこもある し
日本が優れてるとこも沢山あるわけで
それでもフランスでなんとか仕事をしたりしたいなら
ここにいてフランス語にまみれているしか方法はないのだろう
何かできることがあるんだろうか
私だからこそ できることって あるんだろうか
少しでも道が開けてほしいのだけれど
諦めるまえに 奮闘してみる それが私の道なのだろうか

2011年05月24日 | フランスへの道



 夢っていったい何のためにあるんだろう
 

 諦めるためにあるんだろうか 

 それとも叶えるためなのか

 それがあるとなんとなく明日に向かえるからなのか


 フランスにはなんだか味わい深い表現が沢山あって
「人生は美しい」とか「人生は大変だ」とか
そんなことをみんなしょっちゅう言っていて
それでもたまに夢をみている。


 「私がいつかもっとお金持ちになったらね
モンソー公園の横のアパルトマンを買うのが夢なの」
(彼女はすでにエッフェル塔のほど近くの高級住宅地に
住んでいる)「もうちょっと稼げるようになったらねえ
やっぱりサンジェルマンデプレは味があって素敵だからね
ここに住めたら素敵だろうねえ 今住んでいるところは
お金持ちが多いけど大事なのは金 って感じであんまり
好きじゃないんだよね」(そうはいっても17区はなかなか素敵)


 そんな風に ちょっとした夢をみたりして
「いつか日本に行きたいなあ 来年だったらいけるかしら」と
そんなことを言ってたり 夢って一体なんなんだろう。


 昨日たまたまちょっとだけ「おくりびと」を観ていたら
主人公が高級なチェロを買ったけど楽団が解散になり
チェロを手放したらなんだか楽になったんだそうな
それで「自分が夢だと信じて来たものは自分を縛っていた
だけかもしれない」というようなことを言っていた。
私はそれがとても日本的な哲学だなあと思わされ
どっちがいいのか 諦めたら気が楽になってまた
違う世界が待ってるのよというものと 追いかけてみるのと
私にはよくわからない。


 
 そんな私は 昨日Paris-Bistroの代表とともに
サンジェルマンデプレの42軒のカフェ、ビストロを
飲み歩くというマラソン
(42キロのかわりに42軒)を
取材させてもらい 憧れのフロールやリップやドゥマゴの前で
猿やらクロマニヨン人の姿に変装した恐ろしい姿の人たちが
楽しそうにビストロを巡り 会話しバカなことをしまくり
踊ったり歌ったりしている姿をずっと見ていて
何だか不思議だったなあ
(また記事を書くので見てください)



 私はその代表とこの仕事のおかげで
今まで遠い世界だったサンジェルマンデプレやらフロールやらが
なんだかちょっと身近になって 最近はお金を一銭も払わずに
そんな素敵な空間にいっておいしいワインをもらったりする
機会がちょっとずつ増えて来て(でも私は2杯が限界なので
昨日は本当に酔っぱらって気持悪くなりました)
こうやって サンジェルマンデプレのカフェに
代表と行かせてもらって 彼の後についてカウンターまで
いってみたり プロコープの中をのぞいたり
いろんな人を紹介してもらったり
昨日はそんなで役40軒のカフェを一緒にうろうろしてた。
最後はもうふらふらになっていたけれど
それでもこんな機会があって(伝説的な
このマラソンが開催されたのは4年ぶりらしい)
そこにちゃんといかせてもらって
久々にカフェの写真をここぞとばかりに撮りまくり
私はとっても嬉しくなった。


 パリはそう きっと勇気と忍耐があったなら
かなり楽しくなるんだな あともちろんフランス語。


 そんな酔っ払いだらけの街を歩きながら
代表と話をしてたら彼はこう言っていた。
「僕はね この雰囲気が本当に好きなんだよね
だって日常でいろんなことがうまくいってなくても
この日ばっかりは忘れられるだろ?」本当にそうだなあと
私は思った。そして彼は「こういうイベントはね
みんなと同じレベルにならないと彼らは口を開いてくれないんだ
水だけ飲んでたらきけない話もいっぱいあるよ だから飲もう」と
プラスチックのコップを片手に彼は一体何杯飲んだのだろう?
カフェをめぐり いろんな人と交流し その記事を書き
美味しいものに触れていられる それが仕事になるのなら
なんて素敵なんだろう 


 夢というのが何なのか どれほどの価値があるものなのか
使命とか何かがあるものなのか 私にはよくわからない
けれども多分こうした経験をさせてもらっていることも
フランス語をがんばっていることも 息子とカフェに行けてることも
みんなかつての私からみたら「夢を叶えた」ということなのだろう
だって息子とパリで笑っていられるなんて
なんだかそれは不思議でならない。


 そうして彼らは言うのだろうか
「大変なこともいっぱいあるし やっぱりいつもお金はない
それでも人生は悪くない?」悪くないんじゃないでしょうか
こんなにもカフェがあって だれかとのコミュニケーションの
可能性も広がって 公園ややたら緑やらお花が溢れているし
お金がなくてもすばらしい光景を目にすることが
けっこうできるし(先日はヴォージュ広場という美しい
石造りの広場の片隅で一人でオペラを歌っている人がいて
めちゃくちゃ美しかったので長いこと聴いてしまいました。)
どうしてパリには いろんなことがこんなに溢れているんだろう
どうしてここの光はこんなにも美しくって
パリのカフェのテラスはまばゆい光を放つのだろう
それはただ 太陽光線が日本と違うだけなのか
他にも理由があるんだろうか
パリジャン達は決して満足することなんてないけれど
それでもここは なんだか素敵な街だなあ と日々思う。

パリのカフェで

2011年05月21日 | パリのカフェ文化


 最近はあっという間に時がたち
やれあれだこれだとやってる間に
あ もう 1週間経ってしまった。
今週は嬉しいことに 子供を誰にも預かってもらえなくても
「あーもうしんどい!!」と思わずに けっこう
子供とも遊んだりして でも新聞読んでみたりとか
フランス語もちょっとがんばって なかなかいい
時を過せて嬉しくなった。


 自分で過去のブログを読んでると
あーそうだよなあ 来たばっかのとき
こんなことを考えてたなあ あれがしんどかったなあとか
よくやってたよなと思うけど この1ヶ月半くらいで
だいぶいろんなことが変化して(なによりも
蓮太郎がすごい成長した)やっと慣れて来た感じ。


 最近ようやくネガティブモードを抜け出せたのは
フランス語をやってこそ到達できそうな世界を
ちょっと感じられたり 蓮太郎が幸せそうに
笑ってられたり Paris-Bistro.comの仕事が
今はまだ仕事といえる程ではなくっても
なかなか面白い世界を垣間見せてもらえるからで


 なんだかパリは 悪くない と
にんまりすることが増えて来た。


 先日は夜の8時くらいに、事務所の帰りに
モンマルトルを蓮太郎と散歩して ちょっと
カフェでショコラでも飲んでみようと
カフェを探して入ってみた。
最近はどういうわけだか1日1回か2回くらい
カフェに行くこともできるようになってきて
そのせいなのだか私の激しいストレスもだいぶ
軽減されたようで「子供がいるからカフェにもいけない」
「子供がいるから仕事もできない」
「子供がいるから誰かと話したくてもまともな話にならない」
というのがほとんど全部なくなった!(ありがとう蓮太郎)


 パリのカフェのこの雰囲気は
日本に帰ってしまったのなら 絶対に恋しくなることは
間違いなくて だって 日本にはそんなところは
代官山のミケランジェロくらいしかなく
そこにわざわざ新幹線に乗って行っても なんだか
やたらと高級感がただよっていて なんだか違う
そう やっぱり何かが違うんだなあ
代官山は好きだけど。


 パリのカフェは 小汚くって
狭い椅子と椅子の間でちょっとした会話があって
先日のモンマルトルでは息子が一度床から落ちたりだとか
私がトイレにいっている間に「ちょっといい子で
座っててね!!」と本を渡してちょこんと
待たせていたりとか(危ないけどちゃんと待ってる)
そんなこんなで隣のおばさんたちと会話もあって
なんだかとても幸せだった。


 カフェだけじゃなく どこへ行っても
なんだか気難しそうなこわい顔した人もいるけど
やさしく接してくれる人もいて メトロだったり
(でも電車の中では圧倒的に日本のおばちゃんが優しい)
カフェの隣の席だったりで なんとなくちょっとした
会話をしたり 公園で出会った美しいパリジェンヌと
子供を介した会話をしたり そういう会話がなんだか嬉しい。


 先日ははじめてパリのビストロを紹介するサイトに
載せているビストロ、ロワイヤル・チュルンヌに行って来て
息子とビストロで食事だなんて かなりどきどきしたのだけれど
「ごめんなさい2人で分けてもいいですか?」といって
10ユーロちょっとのアシペルメンティエというグラタンを
息子と半分こして食べてみた。

 パリのカフェにはテラスがあって 目の前には車が通る。
だから子供の気晴らしにだってなるわけで なんとなく
行き交う人たちや車や救急車やらを眺めていると
それなりに息子の機嫌もいいらしく この日はいつもの車の本を
取り出さないでもすんでしまった。私はそんなテラスの
隣に座った人が読んでいた新聞のドミニク・ストラスカーンの
記事(今フランスで超話題)が気になって仕方なく
あの人そこのキオスクで買ったんだから私も後で
買いに行こうとか 彼女がなんとなくそのまた隣の人と
話している(たまたま隣になっただけ)政治的話題とか
その話の中の動詞の活用の仕方とかを耳にしながら
いろんなことを吸収したりで面白い。


 そう パリのカフェには 誰かとの出会いとか
飛び交っている情報だとか ちょっと気になる
ニュースがあったら なんとなく話しちゃおうとか
ギャルソンと粋な会話を交してみようとか
誰かかっこいい人いないかなとか そんな沢山の
視点や情報が飛び交っていて なんとなーく
座ってるだけで なんだか幸せなんだなあ。
(先日は恋人とカフェのテラスでたわむれていた娘に、通りがかった
お母さんが成績のことかなんかでお説教したりしてた)


 そんなカフェが 1つでも日本にあればいいのに


 カウンターで 1ユーロでおいしいエスプレッソが
ささっと飲めて 仕事に行く前の5分だけ
ちょっと立ち寄る そんなことができたらいいのに
そこで誰かとちょっと会話して 自分のことを
気遣ってもらえる そんなことができたらいいのに
ただ食べ物を食べたり飲んだりするだけじゃなく
色んな出会いや刺激が待っていて そのために
ちょっと入場料でも払ってみようか
そんなカフェがあったらいいのにと 思うんだけど。


 やっぱりフランスになんか住めないかしらと思う度
メトロや何かでいろんなカフェを目にしてみると
私の小さな野望がむくむくと湧いていき
全てのカフェに行ってみたいし その記録をとってみたい
いつどこにどんなカフェがあったのか それらを
もっと把握してみたい いつもそんな想いにかられ
ここもあそこも もっと もっと
行ってみたいなあ と思ってしまう。


 道は開けて来るのだろうか どうして私は
カフェ カフェ カフェというのだろう
だけどカフェには 予期せぬ何かがあるはずで
もっと躊躇せずにカフェに足を踏み入れたなら
面白い世界が広がるだろうか そうであってほしいのだけど
パリはなんだか不思議な街だ どうしてこんなに
やたらとカフェがあるんだろう。

夜のピクニック

2011年05月14日 | インフォーマルパブリックライフ


 先週まではなんだか本当にしんどくて
ああもうダメだ と諦めモードに入っていたけど
今週の後半から少し何かがぬけてきたのか
パリでやるべきことやここにいる意味が
少し見出せたような気になって


 そう確かにね 息子やここにいる日本人と
日本語ばかり使っていないで フランス語を
やってこそ 理解できる世界があるわけで
「わからないから嫌だ!」と言ってたら
いつまでたってもどうにもならない それがわかった。


 昨日は「そうだよねえ じゃあテレビも少しは
みないとなあ 疲れるからやだとか言ってないでねえ」と
何気なくテレビをつけると なんとウィーンのカフェの
話をやっていて さすがはカフェ文化研究家?
一目みただけで もしやこのカフェはあのカフェではと
判別できる。映像にでてきた3つのカフェはどれも
私が行ったことのあるカフェで 会話はドイツ語なんだけど
フランス語字幕がついてて 蓮太郎に「ちょっと悪いけど
静かにしてよ!」とお願いをして 急遽テレビに釘付けになる。


 それらのカフェではいまだに知的な会話やら出会いがあるらしく
新聞の数の多いことで知られていたウィーンのカフェでは
相変わらず世界中の新聞が読めるらしい。iPadの時代とはいえ
そういうのはやっぱり素敵だし カフェで知的な議論をしたり
シナリオを書いたり作品をつくったり そういうのが
いまだにあるのだということ それを知れて嬉しくなった。


 そうだやっぱりフランス語がんばろう!と思った矢先

 今度はParis-Bistro.comの事務所に行って
蓮太郎を寝かしつけたら それから代表と一緒に
Salon de Saveurという、食の見本市みたいなのに
行かせてもらった。もうだいぶフランスに慣れてくると
「フランスって結局チーズとワインとハムなんでしょ!」
という気になって ううたまには他のものが食べたい、、、
日本の食って なんて豊かなんだろうと思うけど
それでもやっぱり美味しいものを食べると
ちょっと壊れかけてた私のお腹も「うーん美味しい」と
思ってしまって また今日も日本食の予定がどこかに行ってしまう。
(ちなみに息子はおにぎりをつくっていってもサンドイッチを
選ぶほどパン好きです)


 さてそこで代表にまたいろんな人を紹介してもらい
そこで出会ったアヴェイロン地方でパンを作っている人の
話は面白かった。また記事をちゃんと書きますが
彼のパンは半分焼けた状態でビストロなんかに卸すことができ
あとはお店のオーブンで15分ほどやいたら完成というもので
パンの耳はかなりカリカリサクッとしていて
中身もやわらかすぎず、固すぎず、ちょうどいいかたさで
彼のパンは他のパン屋さんのパンみたいに
主張の強いパンじゃなくって パンドカンパーニュみたいに
変につよい酸味があったり パンの味が強くて
フォワグラとかチーズの味を殺してしまう様なものではなく
ベッドのような存在でありたいんだそうな。
この時はパンだけでよくわらからなかったけど
そのあとこのパンはとても威力を発揮してくれることになる。



 この後また事務所に戻って しばらくすると息子が起きて
それでは帰りまーすとメトロに揺られて急いでお家に帰り
友達と約束していたバドミントンをすることに。


 さて そんな夜 7時すぎに私が勝手に思いついた

 あ 今日の夜ピクニックしない?代表が買ってくれた
おいしいパンあるし ご飯つくるのの面倒くさいし
よかったらバドミントンのあとどうですか


 という そんな程度の思いつきピクニックに

 気がつけば最終的には7人も集まって
なんだか素敵な夜だった。 そう パリは
夜にピクニックができるのです(夜もけっこう明るいから)


 そうして我らは1時間くらい風が吹く中バドミンドンして
「そういえばねー私京大にいたときエセバドミントン部っての
してたんですよ」と彼女に話し(彼女は日本人)
「おーじゃあパリでもバドミントン部しようか」という
話になって 「じゃあ週に1回くらいどうですか」という話になる。
かつて大人がパドミンドンをしている姿をみて自分もしたくて
すねまくってた息子はというと 意外といい子で
自分のボールで遊んでて たまにかまってバドミントンの練習を
してあげてたら 我等が9時すぎにご飯を食べはじめ
「いやーこんなのいいねえ 幸せだねえ」と
言っていたとき息子も「しあわせー」と言っていた。
おおそうだったのか ほったらかしだと思ってたけど
意外と幸せだったのか。昨日の息子はことのほか幸せそうで
その人に「どうしたらこんな風に育てられるの?」と
言ってもらえてちょっと嬉しくなった。

 フランスに来てから日本と子育て観が全然違って
しんどかったこと 来た当初はいい子にすることなんて
できなかったことなどなどを話しながら
めちゃくちゃおいしいパンとめちゃくちゃおいしいチーズを
食べて 「いやーこのパン やばいねえ」と話してた。
「これ パリで買えないの?」「うーんレストランには
卸してるって言ってましたけど」このパンは
前に田舎のマルシェで買ってもらったパンみたいで
すっごくおいしくてチーズやらハムにマッチする。
これ 日本で絶対うけると思うなあ
パリでもなかなか食べられないくらい美味しいのなら
日本じゃもっと手に入らない そう思うけど
また記事を書くのでみてください。

http://www.paris-bistro.com/japon/cuisine/pain_cazottes.html

 さて そんな風にもう夜なのに
子供をつれて ワインを飲んで 酔っぱらいながら
ピクニックして 子供をおんぶして走り回ったり
息子はおもちゃのトランペットをふいてみたり
そんなことをして寒いねえといってたころに(22時過ぎ?)
もう一人子供を抱えたお母さんもやってきたりして
「ママばっかりやってたらしんどいもんね
ちょっとそこで一杯飲んで行かない?」と誘ったりして
その公園のすぐ隣にある大きなホールに出現していた
クレオール風のバーみたいなところに
子供2人を連れて行き 「いやあパリに
こんなゆったりしてしかも子供連れて行ける様な
ところがあるなんてね!」とみんなで驚き喜んでいた。
そのバーはとても素敵で空間がめちゃくちゃ広くて
子連れでも平気な雰囲気なんだけど さすがに
そんな人ほかにはいないかと思っていたら
あ いたいたアフリカ人の2歳くらいの男の子。
そんな雰囲気がいいよねえ


 パリはきっと もっとフランス語に自身をもって
そう 自分を表現しだしたら 誰かとの会話を
楽しもうって 自分から 声をかければ
きっと楽しくなっていく。昨日ははじえめて息子と一緒に
カフェのカウンターに入って行った。そう
そういう勇気をちょっと出せれば 勇気は次第に
慣れに変わって もう勇気なんかいらなくなるから
そうやってだれかとコミュニケーションすることが
本当はすごく私を救ってくれるんだろう


 パリには緑もあれば公園もあり ピクニックが
どこでもできて そこでスポーツだっていろいろできるし
カフェも山ほどあるわけで 都会にいるのに
リラックスした そんな生き方が可能なのだろう
そこにコミュニケーションがあったなら
自分からの働きかけがあったなら もっと
楽しくなるのだろう もうくらいところから
抜けて行きたい 私も自分で 積極的に関わってみたい
そうしたら何かが見えるだろうか
思いつきのピクニック とても素敵な夜だった。

2カ国語で生きる

2011年05月12日 | 日仏子育て事情


 日本にいると バイリンガルって 
かっこいいけど なんだか遠い存在で
そうなるには 親がお金持ちで外資系企業に
つとめてて 子供は私立の学校で、、、
という高級な感じがぷんぷんするけど


 以前フランスに来た時に 世界の60%の
人は2カ国語、もしくは同じくにでも2つの言語を
話すのだと耳にして 驚いたけど よく考えたら
その場にいた日本人以外のフランス人のように
みえた人たちは 英語とフランス語やドイツ語とフランス語とか
2カ国語がペラペラな人たちで こっちにいると
本当に国際的なんだなあと思う(そしてやっぱり
3カ国語は必要なのかと思ってげんなりしてしまう)


 だけど2カ国語で生きるというのは一体どういう
ことなんだろう?私は中学は私立の女子校に行っていて
そこには帰国子女の子たちがいっぱいいたので
下校時に彼女らのアメリカの話を聞く度に
うらやましくって 私の小学校時代なんて
なんてひどいものだったのだろうと嘆きたくなり
子供を産んだら絶対帰国子女にしてあげようと思ってた。


 彼女達 は 普通に私の友達で
もちろん日本語の発音が少しだけ変わった子もいたけれど
よく考えたら うちの学校には英語の特殊クラスはあっても
(でも彼女達はあの先生の発音はいけてないとか
役に立たないといっていた)おそらく国語の特殊クラスは
なかったように思うから 小学校時代に何年間か海外に住み
日本に戻って来たからといって そこまで国語に問題が
生じるということもなかったのだろう
(たいていの子は言われないと帰国子女だとは気づかなかった)


 2カ国語が小さいうちから使いこなせたら
わたしみたいにバカみたいに 何年もかけて語学をやって
のたうちまわり でもまだまだダメで苦しくてっていう
そんな想いをしないでいいのか 本当にうらやましい、、、
私だって 留学したのはまだかろうじて若い21歳の時で
おそらく当時はもっと吸収力がよかったのだろう
今となっては もうできませんといいたくなるけど、、、



 さて パリには そんなわけ で
2カ国語を話す人がかなりいて 私のいる移民が多い地区には
何語だかさっぱりわからない言葉を話し 誰かと
話す時はフランス語という人たちが沢山住んでいる。
今日もはじめて児童館みたいな所(日本より
圧倒的に数が少ない!!!)に行ってみたら
そこには3人しかいなかったけど 中国人親子と
我等日本人と それからお母さんがフランス人で
お父さんがスペイン人らしい人。インターナショナルですね
それで会話はフランス語。それがパリの当たり前
(決して英語になることはないのでは)


 私にとっては 2カ国語も 3カ国語も憧れだけど
決して当たり前のものではないから 私がしてきたみたいに
すごい苦労をするのだろうかとか 色々考えてしまうけど
先日会った お母さんが日本人でお父さんがフランス人の
13歳の男の子 は ちょっとたどたどしい日本語と
流暢なフランス語を話しながら フランスにおける
日本の漫画の翻訳のひどさについて話してくれた。
「たとえばね あられちゃんが「ンチャ」っていうでしょ
それが「ボンジュール」とかね わかってないよ!!」など
フランス語での説明になるともうよくわかんないけど
彼はアニメの翻訳もなってない!と言っている


 でもねえ君、、、 その翻訳をした人が
 
 どんだけ苦労をしたことか、、、


 と 私は言いたくなってしまうよ


 もちろん彼も彼のお母さんも沢山がんばってきたのだろうけど
13歳で2カ国語を話し 大人ががんばったところでそんな些細な
ニュアンスまでわかんないよというような そんな所を
当たり前のように比較してしまう 彼が私はうらやましかった。
子供って すごいなあ、、、 我が子はなんだか
最近フランス語がまあまあわかるらしく
今週は2回フランス人の友人にベビーシッターしてもらったけど
かなり楽しくやってたそうだ。子供って すごいなあ



 私はと言えば フランス語がネックでもう嫌だと
思うけど そんなことをお家の人に話していたら
「もっと外にいって話さなきゃダメだよ!なんで
パリに来たのに日本人とばっか話してんの?」と言われてしまう
だけどねえ 子育てしてたらそんな余力も残ってませんよと
言いたくなるけど(そうじゃないですか 海外で
子育てしているみなさん?)そういわれてしまうと
そういえば蓮太郎とはいつも日本語だし
アニメつけても理解しようという気すらないし
やっぱりもうちょっとがんばらにゃいかんかな と
今日は児童館みたいなところにいって 人に話しかけてみた。


 3カ国語が話せたのなら 世界はきっと楽しいだろう
3カ国語が読めるのならば きっと世界が広がるだろう
13歳の彼みたいに いろんな比較もできるだろう
私は今は かろうじてのフランス語をちょっと活かして
ママとして もうちょっと子育て事情を探ってみよう。

パリの子育て事情

2011年05月10日 | 日仏子育て事情



 最近は原因不明の疲れやなんかに悩まされ
土曜日にはまたしても大泣きしてしまったけれど
日曜日が思った以上に素敵だったからなのか
なんだかちょっと壁を超えた?なんだか元気に
なった気がする。


 先週はやたらといろいろしんどくて
友達の家まで準備もふくめて2時間くらい
かけていったのに5分も話せなかったりだとか
そんな状況に無性にやるせなさと腹がたち
またしても家で泣いてしまった。
だけどもしかしたら蓮太郎は言ったらわかってくれるかもと
泣きながら「お願いだから誰かと話をしに行った時は
少しくらい私に話しかけないで一人で遊んでくれ」と
力説し 彼がわかったといったので
本当にわかったならカーズのミニカーを
買ってあげると約束し その日にスーパーに行ったら
目を疑うほど高かったけど (7ユーロ)
7ユーロでベビーシッターしてくれるなら
まあいいか、、、と諦めて大金をはたいてみた。
(他のミニカーは2ユーロだったけど
フランスの子達はカーズのミニカーに
並々ならぬ愛着があって 公園で遊んでても
それだけは何があっても貸してくれない)


 さてそんなカーズの車のおかげか
ちゃんと言い聞かしたからなのか
蓮太郎は私が誰かと話したい時に
ちょっと一人で車で遊んでくれるようになり
それだけでだいぶ気が楽だ。

 おまけに今週からはベビーシッターを
してくれそうな人がなんと3人も見つかって
先週のどん底っぷりに比べるとなんだかすごい変わりよう。


 さて そんな彼をちょっとみてくれることになった
日本人の知り合いと一緒に公園に行ったとき
うわー日本語だ!全部通じる 息子の言葉も
全部通じると嬉しくなってフランスでの子育ての
しんどさやら違いやらをまくしたててしゃべっていたら
その子はもうすぐ滞在が1年になるというのに
私の言った様なことはほとんどみたことも
おそらく考えたこともないようで なんだかそれに驚いた。


 ああそうか 私も昔住んでいたとき
公園にピクニックには来てはいたけど
子育てだとか その違いとか そんなの考えたことも
あるわけなくて 私はひたすら「ママ」を
ここで日本以上にがんばってきたわけだけど
ここで気づいたことというのは 日本でも子育てをして
パリでも自分で母として子供とともに何かをみたから
わかる視点なのかもしれない

 そう思えてなんだかちょっと嬉しくなった

 私にも書けることがある

 私だから書けることもある




 子供がいるから見える世界は全然違う
(例えばカーズがどんなに大事な車かとか)
私にも何か伝えるべきことがあるんだなあと
その時思えて なんだかやっと報われた。
決していい母ではないけれど それでもこの1ヶ月
本当に母として頑張った。歯磨きもおしっこトレーニングも
抱っこもまっすぐ手をつないで歩かせることも
メトロで静かにすることも 1日2回公園に行くことも
毎晩のマッサージも 私はけっこう頑張った。


 日本人の 普通にママとしてやってきていた
そんな視点の私からすると どうも日本にとっての
「普通」というのは 他の世界にとってはかなり普通ではないらしく
私はもうかなり公園にも遊具にも詳しくなったのだけれど
いまだにフランス人ママの生態というのがよくわからない。


 フランスでは子供を生んでも8割の女性が働くらしく
公園にはママらしき人は夕方(保育園のあと)を
除いてほとんどいない。特に1歳を超えたくらいだと
全然いなくて、アフリカ人の乳母なんかがだいたい
子供を預かっているか保育園に行っている。


 ところが不思議なことに彼女達はめっちゃ復帰を
するのだけれど 私が保育園について尋ねた
子育て経験のあるフランス人は口を揃えてこう言っている。
「保育園を探すのは不可能に近い。パリでは本当に難かしい」
じゃあなんで?いわゆる日本の幼稚園ママみたいに
よりそって2歳児と遊んでる様な人がいないのかしら
一応ここには一次保育もあるようで、それは日本よりは
かなり数が多いのだろう。私が住んでた西京区は一次保育は
3つくらいしかなかったけれど
いまいる19区には10カ所くらいあるみたい。

 さて、そんな一次保育にも入れない人は?
ヌヌとよばれる乳母に子供を預するらしい
私の知人がたまたま8ヶ月の子を預かっていて
彼女に「フランス人のヌヌっているの?」ときくと
それは非常にまれなんだそうな。ヌヌは時間単位か
もう一ヶ月丸ごととかで支払うらしいけど
もちろん保育園よりよっぽど高い。
(彼女は1時間7ユーロからが法律で定められてると言っていた)

 ということは パリだって 
すっごく子育てが大変で 特にメトロに乗ろうものなら
エレベーターなんて存在しないし 改札はどうやって
通れるのかよくわからないし(係員の人にいうと
開けてもらえるともきいたけど でも窓口が混んでたら?)
乗ったところでメトロ狭いし、、、
それでも泣き叫ぶ子が少ないのは驚きだ。


 さて 公園でママやらヌヌやらをみていると
私はなんだか恥ずかしくなってしまうのだけど
今度は子供と一緒に遊ぶ母がすごく少ない。
あきらかにめんどくさそうで 私は新聞読みたいのよみたいな
雰囲気がぷんぷんしてる。そういうのを見る度に
「なんでフランス人のママは公園で子供と
遊ばないの?」と聞いてみるけど もう子育てを
ほぼ終えたフランス人女性たちは「私だって
遊んでたわよ!」と反論する。でもよちよち歩きの
子とすべりだいで遊ぶ人はいるけど 
2歳くらいの子になるともう全然いない。
それに対してパパらしき人たちはよく子供と遊んでて
「なんでこんなにパパばっかりなの?」と友人にきくと
「ママは家で洗い物してるんじゃない?」とのことだった
でもフランスって たいていの家に食器洗浄機ついてるんだけど、、、


 フランス人のママたちは いったいどこにいるんだろう?
彼女達は毎日どんな風に過しているんだろう?
私には気になって仕方がない。こんなにも早いうちから
アフリカ人のヌヌに預けて 彼女達は「でも子供は
一対一でみてもらえてたらママじゃなくてもいいのよ」と
言い放っちゃうわけだけど カフェゾイドでヌヌたちの
どーんとした態度をみていると すごいおおざっぱというか
子供に寄り添ってというよりも 彼女達も
「私も音楽きいてんだから あんたは勝手に遊んでなさい」という感じ。
すごいなあ それで子供が育つんだなあ
そう 本当に それが驚き


 世界には 朝ご飯がクッキーだけの国もある
世界には 朝ご飯がコーヒーだけの国もある
日本では1日30品目食べろを言われているけど
フランスは果物も含んで5品食べろと一生懸命宣伝している
子供は3歳までは母親としっかりくっついていないとという人もいる
だけどベビーカーに有無を言わさずくくりつけられ
公園でヌヌと一緒に過してる小さなパリジャンたちもいる
どっちもどっちだと思うけど
どっちもさ そこまでしなくてもいいじゃん!と私は
叫びたくなってしまうけど でもそれでも
人は生きていて それでも人は育つんだなあ
それが私には驚きです。


 こんな「子育てなんて面倒くさいこと私はできれば
したくない」と思ってそうな人が多そうな国なのに
どうしてここは出生率が高くなっているんだろう?
それも不思議で仕方ない。パリは公園はいっぱいあるけど
決して子供の楽園じゃない。日本の方がよっぽど
ママにはやさしい気がするけれど
(ちなみにミルクの国フランスはカフェゾイドにすら
授乳室はなく、今までどこでも授乳している女の人を
みたことがない。公園でおしっこさせてるお母さんはいたけど)
それなのに日本では子供を生みたいと思う人が
あんまり多くないんだなあ

 
 フランスはとても不思議だ

 彼女達は 一体何を求めているんだろう
長いこと近づけなかった パリジェンヌという人たちに
もっと近づいて 話がきけたらいいよなあ

サンジェルマンデプレの熱い夜

2011年05月06日 | パリのカフェ文化




 この先どうなることやらですが

 昨日は少しだけ夢をみさせてもらえました。



 今回長いこと滞在しているのに一度も
訪れていなかったカフェドフロールに
行ってきました。もう何度も来たからわかるけど
パリは確かに存在していて あそこに行けば
ああまたあの人という人たちがいる
そうなんだ だけどやっぱり遠かった
そんなデプレに行ってきました。


 「ミキね、水曜の夜にカフェ ボナパルトの
オープニングイベントがあるんだけど行ってみる?」
そうParis-bistro.comの代表に言われ
どんな会なのかもよくわからなかったけど
とにかく夜のサンジェルマンデプレに行きたい一心で
「行きたい!行かせてください」と代表と
お家の人に頼んでなんとか一人で行かせてもらった。


 駅を降りると ああデプレ

 ここはやっぱり変わらないんだ

 デプレの教会 へージャズイベントがあるんだそうな
いいなあ行きたい そうして目の前にあるドゥマゴの
目と鼻の先にボナパルト。ボナパルトは高そうな雰囲気だったから
カフェを研究しているわりに一度も入ったことがなかった。

 ボナパルトの前には沢山の人だかりができていて
みなさん素敵なスーツやらお洒落な服を来ていて
場違いなニットを脱いで(相変わらずスプリングコートがない)
受付の人にきいてみる。と、「あーブロンベルジェさんね!」と
通してくれる。しばらくすると代表をみつけて話をきくことに。


 昨日はだいぶ昔からサンジェルマンデプレにある
ボナパルトのインテリア改装新規オープニングパーティだったらしくて
来た人たちはシャンパン片手に沢山の人と会話をしていた。
私たちは新しいカフェにできた木をつかったお洒落な
エレベーター(!パリのカフェでエレベーターなんてみたことない)
やら、30年代風のランプやらをみたりしつつ
インテリアを担当したデザイナーの人をつかまえて
インタヴューをさせてもらったり(私は
代表の横できいていただけだけど)
私もこのお店のオーナーにちょっとインタヴューを
させてもらったり、2人でギャルソンに話を聞いてみたり。


 それから代表が「ミキ、ちょっとフロールで
一杯飲んでくかい?今日フロールで
オーケストラがあるんだよね」と誘ってくれて
ふーむせっかくだからちょっとお話でもしようと
いう感じなのかな?と思ってフロールに行くと大間違い。
「あ 今日はね、フロールの2階で哲学カフェがあるはずですよ
友人が英語の哲学カフェを開催してるんです」というと
「そんなはずはない」とのこと
はて?と思うと1階に哲学カフェの人たちは移されて
2階は変な集団で占拠されていた。


 「サンジェルマンデプレでね、こんどバーを
めぐるマラソンがあるんだよ」「はあ?」
私は意味がわからなかった。それはもう13年前から
開催されている「Festival Singe-Germain」という
イベントで(これはサンジェルマンという感じで読めるのだけど
サンジュというのは猿という意味)、なんとこの界隈の
42のカフェやらバーを走りながら巡って、42杯の
小さなグラスを飲み続けるというイベントらしい

 この日のフロールは「記者会見」?と代表は
行っていたけど前祝いみたいなものだったのだろうか
フランスにも酔っ払いっているんだ!!!っていうくらい
激しく彼らは歌ったり遊んだり さすがサンジェルマンデプレの猿、、、
なんというか、、、大阪のノリのいい飲み会みたいな感じ?
ここでもワインがめちゃくちゃふるまわれ
関係者の人たちは床にみんなで並んで横になり
フロールのギャルソンがそこに飛び込み
彼らの手でリレーされて遠くまで運ばれていた、、、
こんなことって あるんだなあ、、、
私は目を疑った。





 まじめくさったフロールなのかと思っていたけど
そういえばサンジェルマンデプレってかつて
こんな場所だったんだよな そして私は彼らの
早口なフランス語になんとかついていこうと
必死になっているだけなのだけど それでも
フロールのテラスの外でいつものように
なんとなくタバコをふかしてたまってしまった人たちと
会話をしている そんな所にいさせてもらえて嬉しかった。


 「どうだいフロールとボナパルトは全然
雰囲気が違うだろう?」そんなフロールの一階では
顔をみたことのある人たちが真面目な顔で哲学カフェ。
さぞかしあの騒音が邪魔だったことだろう。


 この先何がどうなってくのか
道がちょっとでも開けていくのか
諦めきってもう日本に帰ってしまうのか
私にはまだわからないけど 昨日ボナパルトから
眺めていたサンジェルマンデプレの教会の夜は
美しかった。ここには独自の世界があって
すごい世界の人たちがいて みんな
一人の肉体をもった 人間なんだなあ


 もっとフランス語がわかったら
もっといろんなことを知ってたら
もっと気のきいた会話ができたなら
そしてちゃんと日本語版がしっかりとした仕事になったら
そりゃあ素敵だろうになあ


 昨日はそんな夢をみて
とても素敵な夜だった。
今日は?子供に振り回されて本当に
やるせなかったけど フランスにきて
しんどい思いをしてそれでも自分しか
いないような状況で なんとなく
見えて来ることもある 私のこういう態度が
こういう結果を招いたのかな
もっとこうしてみたらどうなのだろう
そうやってもがいていること
もがきつづけてかろうじて生きていること
そのことにも意味はあるのだろうか

 明日はもっと蓮太郎と楽しく過していられるだろうか
この先どうなるかわからないけど
もう少しだけ とどまってみたい。

悪夢の後で

2011年05月02日 | 私の人生


 普段は夢なんて覚えることはないのだけれど
昨日の夜に見た夢は かなり恐ろしい夢であり
どんな夢だったかというと バスに乗ってたら
大量にぐらぐらと歯が抜けてって
気がついたら口の中がじゃりじゃりになり
歯で溢れそうになって必死で押さえる
そんな恐ろしい夢だった。


 そのあとにハッと起きたからなのか

 あまりに恐ろしくその夢のことを相談したら
フランス語で見たサイトによれば「アンピュイサンス」と
書いてあり  それはまったくその通り で
自信のなさとか 気力のなさとか
自分に対する信頼感のなさみたいなのが
どうやら夢で露呈したらしい
(もっと恐ろしいことも書いてあったけど
あまりに大量に歯が抜けたのは多分自分の問題だろう)


 そう なんでだか 私は先日本当にもう死んでしまいたいという
気持になって ちょっとまってよ これじゃ
パリ症候群と同じじゃんか もうそんな風にはなりたくなかったし
けっこうリラックスして生きていると思ってたのに、、、

 フランス語のサイトによれば 自分が
他人からどう思われているかを気にし過ぎとも書いてあり
確かになあ 私ここに来たってただの母でしかなかったし
先日会った人に「それで今は本を書きに来ているんですか?」
と言われて本当にショックを受けた。


 パリでは沢山の活動をして活躍している
日本人の人たちがいる そんな人たちに会う度に
私はなんだかショックを受けて 話したい 会話したいと思っても
まともな会話が続けれられない(子供を追いかけたり
手を引っ張られたりしていくので)それが私には
けっこうしんどい。もうひとふんばり と思うけど
なかなかどうして なのかなあ


 それでも私が私の立場でできること って
あるのだろうか 昨日フランス人の友達に
日本とフランスで母として体験した子育てを
ブログに書き続けて行くのはとても大切だろうと
言われて嬉しかったけど そう 今の私にできること は
たくさんの葛藤や感じたことを 
ひたすら言葉にしていくことで
今は何にもならなくっても どこかで誰かが
少しでも共感をしてくれてたら そのうち
何かになるのだろうか


 こんな状況でなんとかもがいているけれど
それでもフランスで私がちょっと身につけたのは
「大人のために子供の習慣をコントロールする」ということで
日本では 子育ては追われてなんぼ ヘトヘトになってなんぼなのかと
思ってたけど こちらでは 規則正しく子供を時間通りに
寝かしつけたり 一人で有無を言わさずベッドに行かせたり
そういうことができるようになってくると
たとえ一人で子供を見ていても かつてのように
「もうほんとうにひどい!いい加減にしてよ!」という
ような気持になることが減ってくる。


 どっかでそんなことがまた起こったら
日本にいるとき私は同じようにこう聞いていた
「いったいどうしたらいいんでしょう?」
私は何度も出会った人やまわりの人に尋ねて来たけど
日本の人たちはこう言っていた「子供はそういうものなのよ」
たとえばスーパーでものすごくだだをこねて
寝転がったり泣きわめいたり だけど「子供だからね」で
日本ではそこでけっこう甘い言葉で
子供を釣ったりすることがある。
私なんかは実際お菓子で釣ってしまったり、、、


 けれどこっちだと「どうしたらいいんだろう?」
と尋ねてみると それは「母の愚痴」的な言葉ではなく
質問として受け取られ 解決策が提示されたり
解決策を考えるようにしむけられることがある。

 そうか私は「仕方ない」って諦めていた
「この子はこういう子なんだ」って たとえば
「抱っこだっこ!!」と言っていたって
公共空間でいい子にできなくっても
日本だと「うちの子はできなくって、、、
えらいねえ なんとかちゃんは、、」で終わってしまう


 息子は昨日カフェで昼寝をして目覚めてから
よくわからないけどかんしゃくを起こし
外で15分くらい大声で泣きわめいていた
私は止めることすら出来ずどうしようもなかったけれど
だから泣き止むまで泣かせるしかないし
この子はそういうことがある子なんだと思っていたけど
そういうことをされてしまうと あとで誰もが
とても嫌な気分になるというのもよくわかり


 それならそうさせないようにしてみる方法は
ないのだろうか?おそらくそれもあるのだろう
我が子は夜中に何度か目をさましていたけれど
ある時からシャワーのあとにマッサージをはじめたら
夜中ぐっすり眠れるようになってしまった
問題があるのなら 解決策もあるかもしれない
もっと快適に生きられるように
なにか違う方法があるのかもしれないんだな
フランスはなんだかそういう発想の仕方がすごい
それはとっても当たり前のことなんだけど
「だったらもっとみんな気持いい方がいいじゃない?」と
そんな発想がある気がする。
子供がいるのは手がかかるけど
子供の言葉はあたたかい。
子供といるのは大変だけど 小さな身体はあたたかい

 子供も大人も もっと一緒に快適に
幸せに笑っていられる そんな生き方
どちらかが何かを諦め切ってしまうのではなく
一緒にいることを楽しめる そんな生き方があったらいいなあ
子供と一緒にわけもわからず飛んで来てしまった
私に今課されているのは そんな何かを見出してみることなのだろうか

フランスに行くなら

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