alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

子育てと疎外

2015年08月31日 | 日仏子育て事情
 「子供がいると子供中心の生活になるっていうよね」と
子育てをしている私に対して共感を示すように独身の子が言うことがある。
それに対して私はいつも思っていた。
「いや、中心どころじゃないよ。8割くらい子供だよ・・・」


 実際日本で子供を育て、かつ専業主婦になってしまうと
生活や感心ごとの8割くらいは子供になっているように思う。
産まれて数ヶ月の時は子供の鳴き声に追われ、誰かが
訪ねて来てくれたとしても実際には気が気ではなく、
子供に目をやっていると話の半分も耳に入らない。
(これは子供が7歳になった今もあまり変らない)
そのうち孤独に嫌気がさしてママサークルや児童館にでも
足を伸ばしてみようものなら、「れんちゃんママ」と
呼ばれるようになり、話の中心は全て子供で、
気がつけば「私は」という主語は消え、「れんたろうはね・・・」
と子供が主語になっている。次第に自分のアイデンティティが母になり、
子供を産んだ友人たちのFacebookの写真といえば
子供と映る自分であったり、子供の顔が「自分の写真」の
代わりになっていたりする。



 子供を産む前からしっかりとした仕事があって、産んでも1年以内には
職場に復帰・・・そういう人は同じ子育てをしていてもまるで違う生き方だ。
けれどもまだ日本では、多くの人が様々な理由から専業主婦に
なり、その選択はその後の生き方に深い痕跡を残してしまう。
私は専業主婦を3年くらい経験し、それから働く母になったけど
専業主婦と働く母とでは顔つきや話し方まで異なるように思う。
専業主婦はもちろん子育てだけに関して言えば、父親と
同じくらいの時間しか残されていない働く母よりずっと子供に
構っていられるしケアもできて本当に羨ましいなと思ってる。
けれども専業主婦には彼女達なりの深い苦悩があったりもして、
私はそれが絶えきれずに、働くことを選んだ訳だ。

 子供が産まれて自分が自分でなくなっていく、
アイデンティティクライシスが起こっていく。
まず結婚して名字がかわり、それから子供が生まれ、
自分の名前ではなく「~ちゃんママ」と呼ばれ、
慣れ親しんだ自分の名前が消えることから始まってゆく。
私、だったはずのもの、は一体どこに
行ってしまったんだろう?出口の見えないトンネルの中、
闇は深まるばっかりだ。一度仕事をやめて専業主婦を選んだ人には
トンネルから抜けるのには恐ろしく時間がかかる。
保育園に入れてたくても書いてもらえる書類がない。
なんとか書いてもらえるような週3日の仕事を見つけたとしても
そんなものではとても保育園に入れない。子供が昼寝している
時間のほんの少しの自由をとるか、週5日、父親並みに働いて
「ママ、ママ!」とくっついてくる我が子との別れを選ぶか、
それとも二人目を産む選択か?どれの選択肢も難しい。
優しい母、をめざしたつもりで子供の意見を聞いてあげる。
「~ちゃんは何がしたいの?~に行きたい?どうしたい?」
それが子供の個性を育むのかと思っていたら実際には
わがまま坊主になるばっかりだ。子供に振り回される人生、
自分の時間はほとんどない。けれどもまわりの人には
「いいなー(働かないで・・・)羨ましい~」と
言われてしまう。たとえ鬱になっていたって、友人たちは
その理由を推し量ってくれることもないだろう。

 結局、今頃わかったけれど、「子供中心の子育て」の
人生というのは子供には(一見)よいかもしれない。
でも女性の人生をかなり破綻させるものだと思う。
フランスが何故そこまで母である女性を尊重させる
子育てを選んで来たのかは私にはまだわからない。
おそらく昔から母乳をあまり好まないという歴史的事情も
あるのだろう。母親になった人は自分を捨てて、長男のために
奉仕せよという時代なら、子供中心の子育てが理にかなっている
かもしれない。けれどもおそらく私だけでなく、
それなりに自由な社会の中で高等教育を受けさせてもらい、
男子生徒と同じように自分の人生を夢見ていた女子達にとって
「私が受けて来た高等教育は果たして意味があったのだろうか??
母になるだけなら「15でねえやは嫁に行き お里のたよりもたえはてた」
のように早く子供を産んで大学になんていかないのが一番だったのでは?」という
思いが頭をよぎることもあるのではないだろうか?
必死に大学受験をし、大学院にまで行ったのは、
ただ母になるためだけだったのだろうか?
そんなことを思えば思う程に私は苦しさで一杯だった。
だから鬱にもなったのだろう。


 "Bébé made in France"を読みながら日本の子育てを観察し、
痛感したのは結局のところ、フランス式の、小さい頃は
子供に厳しく、静かにさせるところではしっかりと静かにさせる
大人の視点を中心とした子育ては、大人にも子供にも周りの人にも
平和をもたらすということだった。
大人が連れて行った場所で子供が金切り声をあげ、
その場から逃げ出し泣きわめく。それをなんとか鎮めるために
お菓子やらiPhoneやらを取り出す大人。そんな解決策が
いいとは自分でも思っていないけど、「他にどうすればいいっていうの?」
そんな気持が母親の微妙な表情からうかがえる。
私もさんざんやってきたけど、その場しのぎのその選択は
実は後日のもっとひどい状況を創りだすとは
夢にも思っていないかもしれない。
そして結局私たちが出す結論は
「もうあんたとはどこへも行かない。
子連れでこんなところに行った私が間違っていた。」
そうして道は閉ざされていく。付き合うのは子連れの気持が
わかる人だけ、その方が共感しあえるし、歩く速度も同じだから。
行くレストランはなるべく騒いでもいいところ。
私なんて子連れ外食は後悔の連続だからひたすらピクニックを
繰り返し、友人と子連れ外食なんて3回くらいしかしたことがない。
「だってしょうがないじゃない。子供だからできないのよ?」
私たちはそう思ってた。でも、そうじゃないのかもしれない。
その感覚こそが、実際には私たち母親自身の首をより一層しめていると
気づいていたなら、もっと他の選択肢をとろうとしていたかもしれない。
「子供だから・・・(無理)」
「子供だから・・・(こんなもんで満足するだろう)」
「子供だから・・・(子供だましのおもちゃやテレビを与えとけ)」
日本は一見子供に優しい子供の楽園のように見える。
でも「あれも!これも!それも!みんな!!!」欲しい、欲しい!
という誘惑だらけのこの国で、そんな子供に手をひっぱられて
歩いて生きていたら、小学校高学年の娘さんたちを育てる知人がもらしたように
「ディズニーランドとか子供の行きたい場所にしか行ってません・・・」
と嘆くことになってしまう。子供、ではなく母親が、
しっかりとした軸をもって生きること。
それがどれほど大切なのか、この本で思い知らされた。
個性尊重で有名な国、フランスの子育てで大切なこと、
それは親自身が"C'est moi qui décide!"(決めるのは(子供ではなく)私)と強く言うことだ。
子供にずるずるひっぱられない子育ては
周りの人も、母親も、そして子供も
きっと幸せにするのだろう。

 毅然とした態度をもったフランス式の子育て、
できるところから実践し、子供の変化をみていきたい。

子育ての重責

2015年08月25日 | 日仏子育て事情


 最近時間があるときはすかさず
パメラ・デュルッカーマン著の
"Bébé made in France
Les secrets de l'éducation à la française"を読んでいて、
かつて息子と過ごしたパリで感じたことを
まさにそうだと思い出しながら、つい話に引き込まれていく。
この本に出ていたけれど、最近の調査でわかったことは
両親が鬱っぽくなる確率というのは子供が一人増えるごとに上がるらしい。
子供を持つこと、それは人生を変えること。
自分のものではない人生、他者の人生に振り回され、
髪の毛かき乱して生きていくこと、それが子育てなのならば、
子供を産むのは怖いだろう。


 つい先日日経に載っていた調査では、独身者のうち約1割が
「子供を持つことを希望しない」そうで、理由としては
自由が制限されるというのが大きいらしい。
私はこの日本社会で声を大にして「子供を持つことは素晴らしい!」と
特に女性たちに言う自信はない。産んでほぼ2年程、結局私は
鬱状態に陥っていたみたいだし、世間で賞賛されている母乳育児の素晴らしさも
今振り返るとわからない。母乳にすることによる肌のふれ合いはあるだろう。
けれど母乳育児の機会費用を考えたなら
そのことによって気づかぬ間に失っているものも実は相当あるような・・・



 思えば私の失敗は、息子が一ヶ月早く生まれて来てしまったことにあると思う。
本当はお腹にまだいるはずだったその期間、小さかった息子は
おっぱいを飲むことができなくて 沢山の人に激励され、
3人掛かりで母乳を飲ませようと思っても、息子には
まだそれを吸う力なんてついてなかった。身体も小さく、既存のおむつは大きすぎ、
病院から特別なおむつをもらって使っていたのを覚えている。
彼がこんなに早く生まれたのは明らかに私が妊娠中に本を執筆していたからだ。
2センチを超えるような分厚い本を妊娠期間中に無理矢理書いていた身としては
なんとかまともに生まれてくれただけでも本当にありがたく、後ろめたさも一杯で、
この子、小さいんだから・・・可哀想に、そんな気持を持っていた。


 だから1ヶ月がたち、ようやく人並みに母乳が飲めるようになったころ、
私はあんなにも嫌がられていた母乳を飲んでくれるのならばできるだけ
あげようと思っていた。それがそもそもの失敗だった。そして私は
やせ細り、息子はみるみるうちにぷっくらし、私はいくら食べても
お腹が空いて、いつもゲッソリ、ふらふら、そんな状態で生きていた。
猛暑の京都の小さなマンションの一室で、小さな息子と私は密室に二人きり。
泣く息子に対してどうしていいのかまるでわからぬ私はといえば、ひたすら
おろおろするだけで、この声が虐待だと思われたらどうしようとびくつきながら
おそらく解決策として、母乳を与えていたのだろう。私にはそのとき
その方法しかなかったし、他にどうすればいいのかわからなかった。
着る服はいつも授乳服。そのうち授乳枕を買って、パジャマも授乳専用に・・・

 どこでボタンをかけちがえてしまったのか、私はどこかで道を誤ったのだと思う。
でもそんな人はおそらく私だけではなくて、この後子供を産むことになった
高校時代の同級生たちも同じようにゲッソリして鬱っぽくなっていた。
私たちにはわからなかった。この「出口の見えないトンネル」から
抜け出す方法があるのかどうか。他の人が口を揃えて言うように
「3年間は少なくとも我慢」しなければならないのか?
私は当時28歳。女友達は働き盛りで輝いていた。「大手町」
「青山」「表参道」そんな言葉を聞く度にどれほど羨ましかったことだろう。
ほんの少しでもその憧れに近づきたくて、友人にディーン&デュルカの
バックを買ってきてもらうように頼んだことさえあった。
子供が生まれてから無理矢理にでもコンビニに行くことを息抜きにしたという人や
生協の配達の人が来る日だけはなんとかしてストッキングをはいたという人もいた。
その人たちの気持が私には痛いほどよくわかる。
パソコンを見る気力もなく、生協のチラシを見ては
何かいいことないかなあ・・・何か私の人生を救ってくれるものはないかなあ・・・
そんなことを夢みてた。




 「ボルドー市街に行くのが夢なんですよ。」
数ヶ月前、都内で開催されたワインの試飲会で、ソムリエの知人に
そう言った。彼はその数日後にはボルドーの有名なワイン学校の特別講座に
参加するというすごい人で、私に笑いながらこう言った。
「そんな、簡単に叶う夢じゃないですか・・・。」


 簡単に叶う夢、か・・・・。


 そりゃあ、その人にとってはな・・・。
なんだか複雑な気持になった。


 今では、同じその試飲会会場にいさせてもらえ、
私もワインエキスパートの資格をとって
ボルドーの産地も訪れた。そういう私を知る彼の眼からすると、
私の「ボルドー市街に行ってみたい」という念願は
「どうして?行けばいいじゃない?」という程度の
簡単に叶う夢なのだった・・・そもそもこんな人と
知り合えてここに居る、ということが、数年前の私からすれば
夢にすら思ってなかったような出来事なのに。


 その頃私はただぼんやりと夢を見ていた。
フランス語?それなりにはできたけど、教えられるほどではない。
「老人福祉センターでね、無料でなら講座が持てるかもね」といわれてがっくりしたのを覚えてる。
ワイン産地に関して言えば、息子を時折預けられた一時保育の帰りに立ち寄るパン屋の
壁に書かれたブドウ畑の絵を羨ましそうに眺めるだけだ。
いつかあんなところに行ってみたい・・・
ただ、そう思っていた。叶えられるなんて思いもせずに。



 トンネルには出口がなかった。私にできた唯一の抵抗は
ブログを書くこと、お茶を飲むこと、息子が昼寝をしたときにすかさず仕事をすること
そして絶対に二人目は産まないと宣言することだった。
わずかな自由、息子が寝たときにだけ手に入る、
わずかな知的好奇心・・・ほんの時折寄れる図書館、
ほんの時折出会うことのある知的な人。そんなものに
出会えるたびに私は涙がでそうな気持になって、確信を強めていった。
私のいるべき場所はきっとここじゃない・・・



 子育てや結婚に対するやるせない思いのまっただ中で、
偶然にも息子と渡仏することになり、私の眼に映ったのは
まったく違う子育ての環境だった。公園にはバラが咲き、
遊具の下には砂浜のような砂や木のチップが敷き詰められ、
やたらと面白そうな遊具が山ほど並んでる。
でも遊ぶのは子供だけ、でその子に構う親の姿はどこへやら。
遊具の周辺に並ぶベンチには新聞を読み時折子供に目をやる
保護者の姿。ワインを片手に子供に構う、そんな女性達に
出会ったのもフランスだった。ワインと子育て?
それが両立可能なものなんだ・・・

 日本の子育ての重責はここにはないように私には思えた。
この本の中にも書かれている「1日野菜や果物を5品目」という
スローガンは、アメリカ人女性の著者には素敵に思えたけれど
私には笑い事にしか思えなかった。1日30品目じゃなくていいの??
フランス人は子育てしている。でも実際に長時間彼らの
子供を構っているのは親以外の人たちだ。乳母に保育園の先生・・・
素敵な公園にいるのは母親ではなくアフリカ人の乳母集団・・・
それでも子供は育つんだ、そこに私は驚いた。
それでも、どころではなく、実は日本よりも
「親の言うことを聞くときはきちんときく」という
公共の場でわめかないような子供たちを、関わる時間は少ないくせに
フランス人女性たちは上手に育てているらしい。
こちらはといえば専業主婦で自分の人生はどこかにやって
子供にこんなに捧げているのに、子供は言うことを
きいてくれやしない・・・どうして?なんで?
私の人生返してほしい・・・と思うことも多かったけど
この本を読んでいたら「そういう子供は結局のところ
親がつくっている」という事実がわかった。
色んなことの積み重ね、で道端でわめく子供ができあがる。
色んなことの積み重ね、で、TGVでじっとして動かない子供が
できあがる。この本(フランス語版)には子供に
「~することを身につけさせる、学ばせる」という表現が
よく登場する。我慢することを学ばせる。一晩中眠ることを
学ばせる。土日の朝は両親を叩き起こさないことを学ばせる。
好き嫌いがあっても好きになるまで食べさせる・・・
親が大人の我慢強い視点をもって、「いい人生を送るためにはね、
いい?こういうことが大切なのよ・・・」と伝えてあげられる。
それがまさに理想的な親のスタイルなのだろう。


 フランスのスタイルは素敵だけれど、一方でこれって
親が大人になりきってないとできないような気もしてしまう。
母親が人生の途中でやりたいことも中途半端なままに
母になり、専業主婦になって悶々としていたら、果たして子供に
「いい?大人になって生きていくにはね、こういうことが
必要なのよ・・・」と客観的視点をもって説明するのも
難しいように思うのだけれど。私だってどうしていいのかわからないよ!
そんな風に思っていたら、フランス式は難しい。
自立した大人、自立した人間って何だろう?
フランスと日本には根本的な違いがあるように感じるけれど
その鍵は、産まれた時の子供との接し方にあるのかも。
子育てはの先にはその国の国民が育っていく。
子育てって奥が深い。




※ こちらの本は邦訳があるそうで「フランス人の子供は夜泣きしない」
というタイトルだそうです。とても面白い本ですよ!

フランス式子育て

2015年08月13日 | 日仏子育て事情
 フランス人の子供達ってなんて静かなんだろう、
どうしてこんなにいい子にしていられるんだろう?
それは私が息子を連れて3ヶ月パリに滞在した時に
強く感じたことだった。

 どうしてこんなにも違うんだろう?
私は一体どこを間違えてしまったんだろう?
自分がしていることの中で何よりも子育てが苦手な私は
日々自問自答を繰り返していた。
一体どこで?何がいけなかったのか?
それとも全部?もうやり直しはきかないのか・・・

 育児の本はなんだか怖くて避けていたけど
相談できる機会があるごとに私なりには相談してきた。
そして答えはあいまいだった。
まあ子育てなんて大変なものよ、小学生になったら
ちょっとは楽になるんだから。それまであなたも頑張りなさい、
そんなトーンが多かった。

 日本では子育てというのは相変わらず大変で
我慢するもの、自分の人生の数年間を捧げるものというニュアンスがある。
私も子供を7年育ててきた訳だけど、これまでの
大変さを考えたなら、やはり同じ年齢の人たちに
「是非とも子供は生んだ方がいいよ!」と声を大にしては言えないだろう。
あなたがいいと思うなら・・・大変だけどね。
母親の責任や重圧は大きいし。
日本で上手に子育てしようと思ったら働くなんて
やめた方がいいんじゃない?子供にきめ細かく
教育をしてあげるなら、やっぱり専業主婦が一番だ・・・
それが最近の結論だった。
でもやっぱりフランスは違うらしい。


 以前からタイトルに非常に興味をもっていた
"Bébé Made in France"という、パリで3人の子供を
育てているアメリカ人ジャーナリストが私とほぼ
同じ疑問を抱き、パリで子育てするアメリカ人やフランス人達に質問を
重ねて書かれた本には彼女が見つけたフランス式子育ての秘訣が載っている。
「どうしてフランス人の子供達はあんなにいい子でじっとしていられるの?」
「どうしてフランス人の子供は生後3ヶ月もたたないうちに
一晩中寝れるようになってしまうの?
アメリカではそうはいかないし、パリ在住の
アングロサクソンたちも同じ意見なのに!!
そんな彼女の嘆きはまさに息子が小さいころの私の嘆きそっくりだ。
「どうしてフランス人の子供達はバカンスにきても
静かにしていられるの?うちの子供は思いっきり
ご飯を床にこぼしてばかりで、二度とバカンスなんて
家族でいかないって誓った程なのに!」その気持、本当にわかる。。。
だからもう外食なんてするもんかってピクニックを始めたわけで・・・

 そうそう、どうして??と共感しながら読み進めていくと
見えてくるのはフランス人の親たちの毅然とした、大人な態度。
私は正直これを読むまで、フランスの親達は表向きは
美しいけど、実は家の中ではすごく怖くてたまに
鞭でも持ち出しているのでは?と思っていた。
それくらい、フランスの子供はじっとしてだまるということを
継続的にやっていられる。よくフランスで言われるのは
「これは大人の時間なの。あなたはだまっていなさい。」
だから夕食に招かれた時、大人はずっと大人同士の会話をして
子供は(同席した場合)ほとんど口をはさめない。
日本だったら子供が話の主役になって、「ねえねえ僕ね!!」
「うん、なになに・・・?」最終的には
「ごめんね、結局まともに会話できなかったね。子供いるから
しょうがないようね。今度は子供抜きで話せるといいね(遠い目・・・)」
になってしまう。

 私はフランスにいた時も「毅然とした態度」について
説明されたことがあったけど、いまいちピンとこなかった。
それはダメといったら絶対だめで、どんなに子供が駄々をこねても
大人も譲らないことだ、と説明されはしたものの、泣き叫ぶ子供を
前に私はぐらぐら揺れ、結局「わかったよ・・・」と
なってしまった。この本を読みながら、結局子育てがうまく
いかなかったのは私が子供だったからなんだなあ・・・と痛感。

 フランス人たちの子育ては大人というリーダーが
子供という新しいメンバーを導いてくれる感じに映る。
その根本には「こどもに説明する」という、よく
フランス人達の口から聞こえたキーワードがあるのだろう。
「赤ん坊でも説明すればわかってくれる。本当だよ?」
そしてそれを信じることだ。私はこの言葉のお陰で
日本で魔の2歳児といわれる「イヤイヤ期」を5日くらいで終えてしまった。
そのかわり、どうする?どうしたい?と聞きすぎたせいで
(これが子供の自主性を育むのかと思ってたんだけど・・・)
逆に子供に振り回され、あとで結局イライラするはめに
なってしまったのかもしれない。

 子供が泣いたらすぐに走ってあやしにいって母乳をあげて
夜中寝れずにゾンビのようになってしまい、日中はふらふらしたまま
生きている・・・私の人生返して、と京都時代に心底思っていたけれど
そうやって子育て鬱になるのと子供の睡眠時間とは相関関係があるらしい。
フランス人は夜中に子供がないても飛んでいかず(そもそも
赤ん坊は大人とは違う部屋でベビーベッドで寝かされている)
数分間放っておいて眠るならそうさせ、おむつや着替え、
どんなことを試みても泣き止まない時、最終手段として母乳を
与えたりするらしい。日本でよくある「私こんなに眠れなくて・・・」
という我慢大会のようなママトークはほとんど存在しないという。
子供に「夜しっかり眠ることを教えること」が親としての
教育の第一歩だったのだ!とその本には書いてある。
そういう教育があったとは・・・そこでボタンをかけちがえると
お互い眠れず、母親は日中のイライラ、旦那も仕事中に眠気に襲われ、
赤ん坊はどこへいってもおっぱい頼み、そうすれば子供は落ち着くからと
どこでもおっぱいをあげる母。そしてふりまわされてゲッソリ
という、かつての私のようになってしまう。誰か、もっと早く教えてくれていたなら
こんなことにならなかったかもしれないのに・・・と思っていたら
この本にもまさに同じことが書いてあり、睡眠の省では
「これらのことを知ってから私と旦那は試してみた。まず1日目は
子供が12分泣いたがそれから寝た。2日目は5分泣いた。3日目の
夜中に起きたのは私と旦那だけだった。それから子供は
毎晩続けて寝るようになってくれた・・・」と締めくくられている。Bravo!


 母親の人間としての幸せがあってこその家庭、そして子育てがあるという
フランス。私が息子に振り回されていた頃にフランスで言われたことがある。
"Qui décide? C'est vous où c'est lui?" 「誰が決めるの?彼が決めるの?
(あなたでしょ!)」親があって子供がある。母の余裕があってこそ
子供にも笑顔が生まれていく。そういうスタンスが強い国では
大人のやることを邪魔する子供は愛されない。そして至るところで
「シーッ!(静かに!)」っとされ、子供も自分で学んでいく。
(我が子はさんざんこれをされたのでこの発音だけはうまい)
はじめはドタドタとしか歩けなかった息子も3ヶ月たったころには
すり足で歩けるようになり、ほぼ抱っこ一点張りだったのも
相当な脚力がつき、公共空間ではいい子にするということを
しっかりと覚えてくれ、帰りの12時間くらいの飛行機では
隣にいることを忘れる程静かに過ごしてくれた。
日本に帰国して傍若無人な子供を目にして
浦島太郎のような気持になったのを覚えている。(もとに戻っちゃったけど)

 結局のところ、日本では「どうせ子供なんだから・・・まだ子供だし・・・
(理解できないし、そんなこと無理よ・・・仕方ないじゃない)」
という諦めがあると思う。フランスはそうはいかない。
「子供だから?うちの子供はできたわよ!(あんただってそうしなさいよ)」
という雰囲気がある。その土壌があればこそ、子供にも
美術館に行かせ、素晴らしいものに小さい頃から触れさせようとするのだろう。
子供だって本当はできる、そう、本当はできるのだ・・・
けれどしなくてもいいと思った瞬間、子供は図にのってくる。
どちらがいいのかわからないけど、子供は意外と厳しい環境でもやっていける。
5歳で百銘山を全部登った子供もいるし、うちの子だって鈍行に3時間揺られても
ほとんど文句なしに旅行ができる。
最近子育てについて思うのは、一番大切なのは親の根気じゃないかということだ。
子供に振り回されるのではなく、それなりの物の見方をもって
諦めずにそれを子供に伝えていくこと。
もはや遅すぎるかもしれないけれど、なんとか諦めずに
根気をもって、子供に向き合えたらいいなと思う。


ーーー
Pamela Druckerman
"Bébé made in France Les secrets de l'éducation à la française"
2012年にニューヨークで出版された本のフランス語訳です。日本語訳すべきだと思う!



フランスに行くなら

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