alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

夢の実現

2014年10月07日 | 想いをカタチに
 叶う夢 と 叶わない夢 その差はどこにあるんだろう?
どうしてうまくいくことと いかないことがあるんだろう?
何年も夢見ているのに叶わないこと 
半年くらい夢見ただけで叶ってしまうことがあり
その差はどこにあるのかと ずっと不思議に思ってた。


 もしかすると、夢の実現というのは自分の気持や本気度合いの
リフレクションなのかもしれない。
本気で叶えたい、と思っているはずなのに
半分くらい不安があったり 誰かに「~したいの?」と聞かれても
即答で「もちろん!」と答えずに 叶わない理由や逃げ道をつけてみたり。
本当に大きな願い程 叶わなかったときの恐ろしさといったらない。
だからこそ 私は逃げ道を作ってきたのだろう。

 だけどきっと そんな気持は現実に反映されている。
フランスの2週間でそんなことに気がついた。

 夢見てたことは山ほどあった。きっと他人の目からしたら
私はどちらかというと夢を叶えている方で
うらやましい、と思っている人もいるかもしれない。
だけど私自身からすると もう7年も思っているのに
叶わなかったり やっと一歩を踏み出せたようなものも沢山あって、
泣きながら夢見て願い、祈ったものに 今回ほんの少しでも近づけた
それは本当にありがたい。

 例えば今年、なんとしてでも私はフランスに行こうと思った。
去年のワイン産地巡りの取材が素晴らしすぎたから。
あの経験ができるためならなんでもしようとフランス語も努力したし
ワインの勉強も頑張った。文字通り今年の夏は勉強漬けになり
ワインを嫌いになりそうな程だった。
けれどもその執着やら絶対に実現させたいとの迷いなき願いの成果があって
今年もわりとスムーズにその「夢」というか「意地でも実現させるべきもの」は
叶ってくれた。そこにあまり迷いはなかった。
ここまでやってきたんだから。ここまで勉強したんだから。
ここまで頑張ってきたんだから、お願いだから行かせて下さい、
今年は無理、なんてどうかなりませんように・・・
不安はもちろんあったけど、不安より先に私は前に進んでた。
だからまわりの人もまあ仕方ないか、と思ってくれたのだろう。
特に誰からの反対もなく、一人で渡仏させてもらって
また素晴らしい経験をさせてもらえた。
これくらい 迷いがなければ、夢 というのは夢 というより
実現すべき現実くらいになるのだろう。

 何かが現実に降ってくるには 準備が7割できていればいいんだよ と
私の人生が大幅に変わる直前にある人が言っていた。
それはまさにそうだと思う。夢 を漠然と抱いているとき
その夢はまだ実現しない。抱かないより抱いた方がもちろんいいけど
夢をもっとクリアに思い描いていって そこに自分がいるってことが
「わーお!!」という驚きよりも 本当に自然なこと で
愚痴の1つも言いたくなるくらいな状況の方が
きっと引き寄せられるのだろう。お金持ちはお金があるのが
まさに当然だと思っている。息子を私立に行かせることが
当たり前だと思っている。そういう人には年間100万円の
学費だってすっと払えてしまう程 に 何故かお金が入ってくる。

 今回私はフランスで また少し 自分の夢に近づけて
なんだかちょっとわかった気がする。
夢の実現を妨げてるのは 他の誰 でもなくて
おそらくそれは自分自身の不安や恐れ なのだろう。
「もしそれが叶わなかったら?」
「もしうまくいかなかったとしたら?」
そんなこと は 考えない。たとえ考えたとしても 気持の10%以下にする。
うまくいくのがあまりに自然で ごく当然なことという風に 
自分の心や実際の準備が7割まできていたら
きっと偶然が起こってくれる。偶然は 思いもかけない方向からやってくる。
だから神様がいると信じて なんとか前に進むこと・・・

 私は沢山泣いてきた。不安だらけでどうしたらいいのかわからなかった。
気持がぐちゃぐちゃになったことも何度もあるけど
今回のフランスは なんだかとても自然だった。
はじめて?きっと おそらくはじめて パリにいるのが
とても自然で なんだか住めそうな気分になった。
そんな気持になったなら そして心の準備を始めていたら
また偶然が起こるだろうか。私はフランスが心底好きだ。
フランスで飲むワインといったら本当に美味しいし
パリはやっぱり面白い。私はパリに帰りたい。
もう我慢して苦虫をかみつぶした顔で生きるのではなく
あの街でアハハと笑って生きていたい。

ジャーナリスト

2014年09月29日 | 想いをカタチに



 ジャーナリスト とは言ったって
ジャーナリスト に憧れて も
結局そうは言ってもな と 心のどこかで思ってた。
だけど夢をもし追うのなら そうでありたい姿というのは
やっぱりフランスで物を書いていることで。

 また昨年に引き続き あのフランスにやって来た。
今年もまたカメラをもって それから忘れちゃいけないものは
ノートとペンだ。お財布を忘れても 万が一鍵を忘れても
絶対に忘れちゃいけないのはこの3点セット。
なんだか私に向いている・・・
そんな気に少しなってきた。

 昨年は正直何がなんだかわからなかった。
ワインの世界がわからないのか、フランス語がわからないのか?
ものすごく楽しかったけど 苦労も本当に半端なく
だけどどうしてもまた行きたくて 1年間ずっと努力を続けてた。
そしてフランスに足を踏み入れ、またブドウ畑に行ってみて

 あ、やっぱりわかる。わかるようになってきた。
この半年のワインの猛勉強は決して無駄じゃなかったようだ。
今なら話せる、もう少し突っ込んだ話ができる。
1度ではわからなくても、想像がつくようになってきた。
フランス人と一緒になって その中でひたすらメモをとる。
歩きながら話をしながら、メモをとってはカメラを向ける。
ブドウ畑を歩いたその足で、今度は山登りして、また同じ靴で
小綺麗なレストランに行くことになる。でも大丈夫、去年の教訓を活かしたから。
ちゃんと靴も用意した。多少雨が降ったって、朝露に濡れたブドウ畑も
びちょぬれの醸造所だって歩いて行ける。フリースだって用意した。
ワイン用語の勉強もした。ワインの味もかなり覚えた。
だからこそわかることがある。ようやくその世界に足を踏み入れた。
そんな気持になれてきた。

 フランス人のジャーナリストと沢山の時を過ごして
実地で学ぶことがある。一瞬で車から降りて写真をとること。
寒くても寒いなんて言わずに耐えること。できる限り質問すること。
たえず好奇心を持ち続けること。辛いことがあったって、
それでも気持をなんとか切り替え、書いて 書いて 書いていくこと。
そうしたら誰かが見てくれる・・・

 昨年は自信もなくタジタジだったけど 今年はなんだか少し違う。
わからない分野の話はまだまだへこみやすいけれど、
それでもワインに関しては 少なくとも成長したと思う。
3年前に憧れて そんなの無理だと思ってた。
遠い遠い 彼方な世界と思ってた。鞄持ちでもできればそれで充分だと思ってた。
でもやっと自分の足で憧れのフランスに近づけた。もうきっと 10歳の頃の
ちっぽけな少女ではなく あの頃の自分が憧れていた世界に入ってる。
フランスで取材ができる、それは本当にありがたい。
フランスで沢山の魅力的な人に出会える、それは本当にありがたい。
いつの日か パリのカフェに腰をおろしてずっと文章を書いていたい。

モンパルナスのカフェの時代

2012年05月12日 | 想いをカタチに



 「ちゃんとやっていればねえ、誰かが見てくれてるものなのよ」

 それが母の口癖だった。今はうまくいってなくても
誰か見てくれている人がいる。捨てる神あれば拾う神あり?
それが私が去年の夏から体験してきたことなのかもしれない。


 先日ひょんな偶然から久々に通りがかったBunkamuraの
本屋さん。そこで私は自分の本を目にとめた のだと思う。
あれが幻でないのなら。だけどあの時私はちょっと
頭が混乱していてもしかすると あれは幻だったかも。
一度ちゃんと確かめなくちゃ だとしたらすごいことなんだ。



 そう すごいことなのだ。



 「私が美樹さんだったら卒倒しています」というコメントを
くれた人がいたけど そう そのくらい クラクラするくらいに
本当か?と思うような 場所だと思う。文学やら美術やらに
多少なりとも憧れのある人だったら きっと一度は目にする本屋。
そんな場所 が  Bunkamuraのドゥマゴの隣にあるわけだ。


 今日こそは、、、と フランス語講座の帰りに
またしてもふらふらした頭で足を踏み入れてみる と
あれ 私の本はない。 先日置かれていたような場所は
なんだか入れ替わっていて 2階にも行ってみたけど
シュールレアリスムの本とか美術書だとか 「マンレイ写真と
恋とカフェの日々」とか そんな本の隣らへんに いつか置いてほしいなあと
思ってあの本をつくったわけではあるけど そのあたりにも本はない。


 あれは、、、幻だったのか。



 さすがにないか。ドゥマゴの隣の本屋さんだもん まあ 仕方ない。


 でも諦めてはいけないことは 今日はルシネマに行くのであった。


 2人も別方向から教えてもらった「ミッドナイト・イン・パリ」という
5月末から上映予定の1920年代パリを舞台にしたウッディアレンの映画は
私の本とかなりイメージがリンクするらしい。それならばぜひ売り込みに行かないと!
これは運命かもしれない、、、そんなことさえ思ったりして
とにかくル・シネマには行くことにした。するとこちらで扱う本は
下の書店が全て決定していて、もう関連書籍も決まっているとのこと。
とにかく余地もあるかもしれないのだからもう一度書店に行ってみよう。



 今度こそはと 勇気を出してつかつかとカウンターへと向かってく。
「あの、ミッドナイト・イン・パリに関連するような本を書いている著者なんですが、、、」
「カフェから時代は創られるという本なんですが、、、こちらでももしかしたら
扱っていただいていたかもしれませんが、、、」

「ああ あの本ですね!」と


 私に応対してくれた人は 本を読んでくれていて
なんとこう言ってくれたのだ。


 「関連書籍に入れさせてもらっています。」


 ほ 本当ですか!!!?


 「あの時代のモンパルナスのことを書いた本ってあんまりないんですよね、、
あっても絶版になっていたりして、、、」そして彼女は私の本について
話してくれた。私は飛び上がるほど嬉しくてもうシャンパーニュ!という
気持ちで一杯だった。



 店を出て 用意して来たおにぎりを食べながら
私は喜びをかみしめていた。小さな頃から憧れていたBunkamura
ル・シネマ?なんど来たことだろう。ただ「ル」がつくという
それだけで その響きがなんとかっこよかったことだろう
「モンパルナスのことを書いている本はあんまりなくて、、、」





 そうだってそれは難しいから。カフェ好き女子がカフェの研究をしようとしても
フランス語の壁は果てなく厚い。日本語ではなんとか読めてもモンパルナスについての
文献がやたら少ないのはこんがらがった上にフランス語じゃないと
研究ができないからだろう。カフェについてなんて書く人たちは
たいていおじいさんだった。もう自分の研究は終わってて
相当な語学力があり ちょっと余力でやってもいいか だって面白そうだもんなあ

 でもカフェに興味をもつようは若い女子にはあまりに壁が扱った。
その上カフェはやたらめったらバカにされてきた。
鷲見洋一さんの『翻訳仏文法』には始まりからこう書いてある。

「文学が好きで仏文科を志望する者はほとんど見あたらず、
わずかにフランスという国が日本でまとわされている幻想の
ヴェールを信じて、「カフェ」や「サロン」や「ロココ」や
「ポンパドゥール夫人」などという、ろくに参考文献もなく、
また、正直いってそれほど取り組みがいがあるとも思えないテーマに
ついて、「研究」とやらをしたがる学生が多い。」p.29


「正直いってそれほど取り組みがいがあるとも思えない」とは
悪かったね!!と言いたくなるけど 実際アカデミズムの中で
カフェというのはそんなものだった。今では「カフェの研究したいんです」とか
「卒論でカフェを、、」と言っている人がちまたに増えて来たけれど
私のころは「カフェ?はあ?バカじゃない?」と言われるのがオチだった。


 それでもカフェは絵本で学ぶフランス語と同じくらいバカにならない。
だってじゃああんたやってみろよ?と言いたくもなるほどに
わからないことが多すぎる。なんでそんなに沢山の人たちが集ってたのか
どうしてそんなにいろんな動きが交差するのか それらに関係性はあるのだろうか、、、?


 そりゃあるよ だって 人間だもの。。。


 本当は答えはとってもシンプルなのだろうと思う。

 だってカフェは面白かった。面白い人は面白い人を求めて動く。
面白い人は面白い人がいないと死んでしまう。だから磁石のように
人を集め 手紙を出しては呼び寄せる。
そうして沢山の衝撃を受けた 時には目の前が真っ白になった
彼らはそんな生活の方が好ましかった。
真面目くさった生き方よりも。。。。


 藤田はきっと とっても楽しかったのだろうなあ
マン・レイも本当に 心底楽しかっただろうなあ
あの時代には沢山の人たちが交わっていた
その拠点はカフェ?誰かの家?それとも本の友書店?
あのころ パリはキラキラしていた それは今でも残ってる?
今のモンパルナスは そんな場所ではないけれど
時折パリは美しい姿を見せてくれる。
フロールの前でタバコ片手に語る人々
サンジェルマンデプレの広場で即興で踊りだす人
セーヌ川の夜 クルージングの船の上で叫んでいる人
パリにはまだ 少しばかり あの時代の余韻が残ってる。
それは自由な街だから?多様性を認めてくれるから?


 1920年代のパリのカフェ。最近触れてなかったけれど
あの時代にはクリエイティブシティのヒントがあると思う。
これを機に もう一度触れていこうかな。
(一番上の写真は1920年代のドームです)

イマジネーション

2012年04月22日 | 想いをカタチに

 今日はひょんなことから松濤をちょっと歩いてみようと思い
そういえばBunkamuraがもうリニューアルされたんだ と
昔から好きだった場所に行ってみた。


 ドゥマゴ という 私が憧れていたカフェ は
小さなときからそこにあり リニューアルをしたからといって
なくなるなんてことはなく 相変わらず そこの
テラスには沢山の人が溢れてて パリとはやっぱり
違うけど でも これが私の知ってるBunkamuraの姿であった。


 ドゥマゴのテラスをの中をギャルソンとぶつかりそうになりつつ横切り
憧れていて でも近づけなかったあの本屋 に そっと足を踏み入れた。
いつか行きたい そう思ってた。

 ここにこそ 本当は私の本を置いてほしい。そうだって ここは
ドゥマゴの隣にある本屋 で ドゥマゴ文学賞にも関わっていて
まさに美術書とかセンスのいい異国の文化がただよっている
そんな本屋なのだから。

 こんな店にこそ 私の本を置いてほしい、、、
この本はね、カフェとか アートとか 文学だとか
それらがどうして生まれて行ったのかとか フランスの文化だとかを
書いてるんです そうきっと 私がずっと憧れていた
青山ブックセンターだとか リブロとか
そしてこの店にこそ 合うと思うんです と
本さえ持っていないのに 売り込みしにいこうかな
でもどうしようかなと思ったその時
引き返そうと思ったその時


 私の目に一冊の本がとまった。


 それが私の本だった。


 『cafeから時代は創られる』


 あの本の白黒の表紙はなんと 私が高校時代に憧れていた
「ドゥマゴ物語」というなかなか他では見つけられない
独特のモチーフの表紙の本の隣に飾ってあった。

 飾ってあったといったって間違いではないような
きちんと表紙が見える形で 人の目線に入る位置 に
立てかけられて置かれてた。


 私の本が?


 この店に?


 高校の時から 憧れていたこの店に 何も言わずに置かれてた


 勇気がなくて 一言だって声をかけられずにいたというのに。


 結局私には何の言葉も見つからなくて 一言も声を発せずその店を後にした。



 Bunkamura 東急が創ったその施設 に 
何度足を運んだことだろう。印象派のことをはじめてよく知ったのも
ここでの印象派展のことだった。そこには「印象 日の出」があって
すごく感動したのを覚えてる。「ブーダンとオンフルールの画家たち」という
タイトルだったと思う その展覧会にいたく感動した私は
ウジェーヌ ヴーダンという印象派の父と言われたらしい人の
作品を見たくてオンフルールまで出かけて行った。
そうしてルアーブルにあった美術館で モネの絵を見たよなあ
そこで見たエトルタという ちょうど訪れたばかりの
断崖絶壁の海の絵は ザワー、ザパーンと波が打ち付ける音が
目の前から聞こえてくるような そんな衝撃的な絵だった。


 Bunkamuraの ル・シネマにも何度も行った。
フランスを思いながらドゥマゴのショコラを飲んだこともある。
いつだったか 絵をデッサンしたことも。


 そんな想い出深い場所 に 私の本が飾られていた。


 夢 っていうのは いつか叶うものなのかなあ

 私もいつか パリで出会った山本ゆりこさんのように
パルコに本が並んだり 何冊も本を出してみたいと思ってた。
断られたり 首をかしげられたりしたことも何度もあるけど
でも最近ではけっこう本屋さんで自分の本に出会うことが増えて来た。
それは私にとっては本当にすごいことなんだ。


 高校生だったころ 何も手には届かなかった
ないお金を一生懸命しぼりだし 一杯のコーヒーを飲みに
喫茶店に行ってみた。そんな私が 生活レベルは変わってないけど
それでもカフェについて ちょっとは認識してもらえる人になってきた。
あのころ フランス語なんて5行さえも読めなかった。
大学生のころだって 日仏学院で5行も文が読めない私は
分厚そうな本をぱらりとめくって読んでいる人がうらやましくてたまらなかった。
でも今では同じ場所 で 雑誌が読めるようになってきた。


 あのころ全く届かなくって 漠然と憧れていた
フランスというのもカフェというのも 今ではようやく近づいて
そうか 日本のドゥマゴの隣に置いてもらえるんなら
パリのフロールにだって言ったら置かせてもらえるかもな
もしかしたらそんなこと Paris-Bistro.comのローランに
聞いてもらえば 意外と簡単なのかもしれない。



 かつての天才たちがもっと昔の天才たちを
「雲の上の存在」だと思ったように 私もそう思ってた。
ドゥマゴの隣の本屋に本を置いてもらえることも
自分が知ってる名前の雑誌にいつか記事を書くことも?
そう それに一冊の本を出すことさえも 私にとっては
本当に大きなことだった。友達たちは「あ そう?」くらいの反応で
驚いたけど 私にとっては どれも大きなことなんだ。


 これって、、、 もしかして シャンパーニュ!って
くらいのお祝いをするべき出来事じゃない?
でも一人じゃさみしいから ドゥマゴのショコラでお祝いしようか
蓮太郎もショコラが好きだから 2人で行って半分ことかできないかなあ
憧れが形になること いつかの想いがカタチになること


 もしかして それは5年先かもしれないけれど
だけど夢見て強く望んだりワクワクしてみたことは
いつかちゃんと叶うものなのかもしれない。
だとしたらパリに住めるかな?今日は大統領選だ
フランスの移民政策 これからどうなっていくのだろう、、、


 

dream

2012年02月22日 | 想いをカタチに





「だからさ、奇妙でもなければ変でもないよ。ただ難しかった。
それだけのことなんだ。」と彼は言っていた。
今日の昼時、広尾のカフェ出会ったオーストラリア人の友達と
ビザについての話をしいた。彼はどうしてなのだか
フランスの田舎に家を持ってるらしく 外国人なのに
一体どうしてそんなことが可能なの?しかも日本に
住んでいるのに?それに彼は今度パリに行ったら
iPhoneを買おうかななんて話をしていた。
え?でも携帯買うのってビザがいるんじゃないの?
っていうか家は?外国人が外国に住んでても買えるものなの?


 「だからさ、僕はビザを持ってるんだよ。永住権のあるビザを。」
と 日本に住んでるオーストラリア人の彼は私の目の前で
言ってのけた。え?私は耳を疑った。
観光ビザとか言ってなかった?「それじゃ家は買えないよ」
「え?つまり あなたはオーストラリアのビザと日本と
フランスのビザを持ってるってこと?一人で3つもビザ持ってるの?」
「そうだよ」と彼は答えた。私の理解が正しいならば。
そんなことが可能なの??


 「別に奇妙なことじゃないよ。手続きは大変だったけど
でもおかしなことじゃないんだ。ちゃんと準備をすればいいだけなんだよ」


 世の中には パリで暮らしてる日本人でやたらうらやましい生活を
している人もいるかと思えば 一人で3つもビザを持ってる人もいるのか。
一方で ひとところに縛られて 子供が生まれた瞬間に
子供を産んだ病院で出会った人に「この子は何学区になるの?
そう小学校はどこどこね!」なんて言われる人も居るというのに
いろんな人がいるんだな。

 「visa,,, I'ts my dream.. (ビザかあ ビザは私の夢だよ、、、)」と
遠い目をしながら私は言った。「難しい、でも不可能じゃない」と
一年前に ビザの担当をしてくれている人は私に言った。
一年がたった今、可能性は一年前よりはよっぽど増えたと思うけど
でもどれくらい可能なのかはわからない。


 空港で EUの人たちが何気なく持つワインレッドのパスポートを目にする度に
格好いいなと思ってた。スーツケースと子供と誰かと 空港の
待合室で 慣れた感じで飛行機を待つ そんな人たちがうらやましいなと思ってた。
いつの日か 私も空港を颯爽と歩く 勇気ある日本人の一人になってみたいと思ってた。
そして気づけば息子は私のスーツケースに亀のようにへばりつき
ガラガラひかれるスーツケースの上でゲラゲラと笑いながら
空港の廊下をヒューッと駆け抜けてった。そんな息子は母にちょっと憧れたのか
自分もスーツケースを持ちたくて 「これがあったらフランスに行ける?」
とかなんとかいって 自分用の小さなスーツケースを手にしてる。


 パリのカフェ で 息子と滞在した時 最後の方にお話をした
日本から旦那さんと一緒に避難して来たという日本人ママは私に
脱出劇の様子を教えてくれた。彼らは17日くらいにはもう決意して
日本にはもう帰れないかもしれないと思いながらも空港に走ったそうだ。
ほとんどまともな用意もできてない中 フランス人の旦那さんは
「とにかく空港に急げ!」と言ったらしい。空港に行けばなんとかなる?
そう思ってたらエールフランスの直行便が待っていて どんどん
乗せてくれたらしい。そんな彼らを待っていたのは フランスでの
放射能の厳しいチェック。彼女はそれに驚いた。そして私にこう言った。

 「国っていうのはこうあるべきだなと思いました。
こうやって国民を守るものなんだって、、、」

 彼らが乗ったエールフランスはフランス人やその家族に対しては
予約も不要、料金も無料だったらしい!私はといえば同じエールフランスに
片道かなりのお金を払って それでも25日に脱出したけど
それは自腹でしかなかったし 片道切符ゆえに空港で入国拒否をされかけた。
私は彼女の話を聞いて 心底フランス人と結婚したいと思った。
「国というのはこうあるべきだと思いました」なんて彼女が言った
私たちの出身国は 決してそんな国じゃなかった。
そんな国があるのなら 私も心底そこに住みたい その時強くそう思った。


 いいなあビザがある人は、、、

 いいなあいざというときフランスに飛べる人は、、、

 私は彼女がとってもうらやましかったけど

 今の時点で 私には他に選択肢がないわけで 目指すビザが難しくっても
他のビザは不可能だから それを目指してやってみるしかないわけだ。


 夢とか 自分の立ち位置って 一体何かなと思うこともあるけれど
今日は広尾の図書館でとても素敵な本に出会って それを読んだら
やっぱり間違ってない、と思えて嬉しくなった。
私が都市に住む背中を押した『クリエイティブ都市論』の著者が書いてた
『クリエイティブクラスの世紀』はぞくぞくするほど面白かった。
それは素敵な言葉に満ちていて 万年筆のインクが空になるほど
メモをとってしまったけれど 心に残ったものにこんな一節がある。

 「もし古いドリームが家族を養える仕事を持ち、彼らを守れる
安全な場所によい家を持つことだったとしたら、新しいドリームは、
自分が好きな仕事で、働くことを楽しめ、自分自身でいられるコミュニティに
住むことだ。」(『クリエイティブクラスの世紀』リチャード フロリダ p.110)


 そうか そういうことなんだ だから私はパリにひかれていたわけだ。
私は自分自身で居たかったから。そして私は古いドリームから
新しいドリームに移行しようとしていたわけだ。だから彼の本は
私の背中を強くドーンと押したんだ。でも日本では古いドリームの価値観が
ほとんどを支配しているから、新しいドリームと言っても話は通じないだろう。
通じなくって当然なんだ。でもだからといって道が存在しないわけじゃない。
きっとこれから未来は変わる そんなきざしを教えてくれる。

そうして彼は私の知らなかった
大切なことをまた教えてくれた。

 
 「私の理論では、文化とは人間のクリエイティブな潜在能力を
制約するものではなく、その成長を促進し、動かすものだ。別の言葉で
表現するならば「自由」だ。よく知られているように、自由は参政権よりも
重要である。自由とは自分自身でいられることであり、夢を追いかけることである。
開かれた文化はイノベーション、起業精神、経済成長に拍車をかける。歴史的に
アメリカ、特にアメリカの大都市が一般的に優れていたのは、まさにこの種の
開放性と自由なのである。」(同 p.93)


 だから私は自由と文化にひかれていたのか、、、
自由とは自分自身でいられることだったのか、、、!
だから私は 特に子供を産んで以降、女性の自由度がとても高い
フランスにひかれていったのだろう。だって子供を産んだ日本の女性には
この手の「自由」なんて存在しない。子育ては主体を失うことだと思うと
かつて友達は私に言った。自分自身でなんかいられない。
主語がいつの間にか子供になって、子供の都合で全てが決まる。
それがよくある日本の母親像であり 子供のために自分を
犠牲にしていくことが どちらかというといいこととしてとらえられている。
でもフランスはその逆だった。彼女たちはけっこう平気で
「それじゃ子供の奴隷じゃない!」と言ってくる。
そう それって奴隷なんだよ本当は。 でも そんなことすら言えない
だから私にとって 子供を産んでからの日本というのは
自由もなければ文化もないように映ってた。そこにはナチュラルとか
自然というやさしい言葉を使った古いドリームに帰れという制圧はあったけど
フロリダの言うような自由はなかった だから苦しかったんだ。


 もし私が 子供を産んでいなかったなら
ここまで狂おしくフランスを求めなかったかもしれない
フランス?一年に一回行ければもう充分!とまわりの人たちのように
思っていたかもしれない。でもそこには 女たちが声を挙げ
獲得していった歴史があった 女たち が 自分自身であるために
そんなフランスに対する思い そんなことを語っても
ビザとは関係ないよと言われてしまうけど それでもやっぱり
私はもっとかの地が知りたい。ボーヴォワールという人の後で
一体何が変化したのか いつの日か 女たちの状況について
私も本が書きたいなあ。


自分を活かして

2012年02月07日 | 想いをカタチに

 「私にも何かできることがあったら教えてくださいね。」

 福島でインタヴューをして胸が熱くなる度に ただの通訳の
枠をはずれて 私も何かできることがしたい、と 強く
思うようになり 帰りがけにこんな言葉をよくかけていたら
「ふくしま集団疎開裁判」というののメーリングリストに登録されて
頭がちょうど福島で一杯になっていたころ それに加えて
めちゃくちゃハイスピードで高度な情報のやりとりが
されているメーリングリストで受信ボックスは満杯になり
見なくてもいいのだけれども つい読んでいたらだんだんと
胃が痛くなって来た。


 そう 確かに 言いたいことはよくわかる し
本当にそうだと思う でもどうしてなのだか胃が痛い
「こうすべきだ!!」と強く言われ続ければ言われる程に
本当だよなと思っていても なんだか身体は別の反応を示してしまう


 そんなことを思っていた折 「率直で忌憚のない意見を求む」と
書かれていたので 私も若者の一人としてどう思うかを
メーリングリストに投稿してみたら 「たしかにそうだ
ちょっとこれでは口調も強すぎて他の人がついてこれない」と
共感してくれた方もいて 発言をしてしまった責任も感じ
東京で開かれるというミーティングに参加してしまったが最後?
なんだかいろいろ振られてしまった。。。


 まさにその夜 議論について行くのがあまりに精一杯だったからなのか
本格的に体調を崩して それから寝込み ようやく体調も回復し
昨日またミーティング。私もわけがわかってないけど
みんな手探りの状態で でも期日はせまっているからやるしかなくて
みんなでああだこうだいいながらどんどん誰かに役割を振って
会がまわっていくのも面白い。私はここまで鬼振りされる会は
みたことないけれど それでもみんな「これは問題だ どうにか
しなきゃ」と思ってて 熱血な弁護士さんの姿勢に押されて
なんだかどんどん巻き込まれ 色々とやってくことになっている。


 ミーティングなんてものに 参加するのも 活動らしい活動を
するというのもなんだか久しぶりなんだけど 私の中での
何かが騒いでしまったらしく それはそれで面白い。


 福島に行く前は 何もわかってなかったし 
何かできることあるかな?なんて思っても ものすごく
遠い感じがしたけど 今になってよーくわかった
できること みんな 山ほどあるよ!
クリックをする フェイスブックで知らせるだとか
当日スタッフをやってみるとか ビデオをとるとか
チラシをつくる 文章をつくる 印刷の手伝いをする
演劇ができる人は演じればいい 音楽のできる人は
音楽を奏でればいい コーヒーをいれられる人はいれたらいい。
ただそれだけのことなんだ。100人の1パーセントが大切で
だけど今 福島関係の活動は 1人の100パーセントになって
倒れかかっている人がいる。これからはもっと
それらの活動に多くの人が関わって 無理なことをするんじゃなくて
自分の得意分野でできること を ちょっとお手伝いすればいい
それがすごい力になるって 私にはよーくわかった。


 本当は どこも人手が足りてない。
情報のあるところには山ほど情報がやってくるけど
それらはさばききれないくらいで 助けてくれる人を
待っている。他の言語に訳せる人も エクセルが使える人も
いろんな能力のある人が ちょっとそれを活かすだけ で
大きな力になっていく なんだかそれがよくわかる。


 人が集まれば力ができる 人が集まって口を開けば
もっと面白いことになる。指揮者のいないミーティングは
なんだかカフェのようだった。沢山の人が口を開いて
仕方がないから 自己組織化してなんとかやってく
誰かにすべてを頼れないなら ここにいる自分もきっと
やるしかないから関わろう って そういう活動
なんだかそんな姿勢は懐かしい。誰かが手を挙げてみる と
沢山の人が集まってくる。そうしてアイデアを出し合って
何かが現実になっていく 建設的な議論というのは面白い。
昔はミーティングが趣味みたいなものだったけど
ミーティングとカフェってだいぶ共通点があるんだな。


 人々が口を開いて 想いをぶつけ そこから何かが
生まれてく そんな場が今 沢山できてる
そういう中に少しでも関われること それはとてもありがたい。

ジャーナリスト

2012年02月03日 | 想いをカタチに


 「ミキはどうして自分のことをジャーナリストって言わないんだい?」
と先日 Paris-Bistro.comの代表に不思議そうに言われてしまい
こっちが不思議な気分になって どうしてジャーナリストって言えるっていうの?
新聞記者なわけでもないのに と 思ってしまった。


 ジャーナリストであるとか プレス ということを
名乗るだなんて 考えたことすらなかった。その両方とも
かつて新聞社で働いていて それから今独立して自分でプレスになってる
Paris-Bistroのローランが教えてくれたこと。


 ふーん プレスかあ プレスって かっこいいなあ
そう思ってたらフランス人たちのおかげでなんどか
プレスルームという空間に私も入れてもらうことができ
なんとコート掛けがあるなんて!!とか なんでこんなに
待遇がいいの?と驚いたり喜んでみたりしてたけど


 ジャーナリスト って 何なんだろう。


 どうして私は 1月に ソフィーと会う前の朝
空港に行くバスの中 今まさにセシウムの値が急上昇してると
知っていながら それでも空港に向かっていったのだろう。
あの日の朝 蓮太郎の顔を見ながら もしかしてこれが最後?と
ちょっと思った。私はとても怖かった。だけど私は行くことにした
よりによってこんな時 そう思ってしまった福島に。
(その後フランスのソフィーの友人からも大丈夫か?なんか
大変なことになってるらしいけど?というメールが送られて来た)


 おそらく 私は ジャーナリストというのをちょっと意識していたのだろう。


 そんな時でも行ってみること 他の人が この連休は
あえて西日本にでも行ったらと言っているような時 に
あえてそこに向かってみる。 そんな人はあまり居ないけど
きっと私も ただ通訳としてだけでなく 何かを感じてそれでも
新幹線に乗り込んでみることにしたのだろう。本当は2人して怖かったけど
誰かが行くこと そこにはきっと意味がある。


 そこからいろんな試練があって それでも私は
書いてみるということをした。それがいいのかよくないのかは
わからなかったけど とにかくソフィーは応援してくれ
知り合いのフランス人たちも応援してくれ 少しでも
それを読んで 何かを思ってくれた人たちがいた。
一人でもいいから知ってほしい そう思ってた。
このブログでも 少しは読者がいることを 私は知ってたわけだから。
私もツールを全くもっていないという訳じゃないから。
だからその後 福島の人が読んでくれたり
福島に関心を持った人が勉強になったと言ってくれたりしたのが
私にはとってもうれしくて なんだかそういうことを続ける
書く ということを続けていくこと それはとってもありがたい。


 1人でもいいと思ってた人が やがて2人になり 5人になったら
それだけでも本当に嬉しい。なんだか最近 私が書いたカフェの本は
一人歩きを始めてくれたような気もする。あの本を読んでくれた人に
この3日くらい立て続けに会い、 そういう人たちの話をきくと
ああもう私が説明しなくてもよくなってしまったんだなあ と 思う。
「はあ?カフェ?」と言われる時代は過ぎて 私の頭の中にはあって
誰も理解してはくれてなかった「カフェの研究とやら?」というのは
今では誰かの頭の中に それなりに残ってくれるようになっている。
それくらい内容が誰かの中に入ってくれたのならば なんだか私は
それとは違う世界にもう行ってもいいような そんな気さえしたりした。


 「私は人々の物語がある場所が好きなのよ」とソフィーは言った。
だから彼女はエジプトとか色んな国に取材をしに行くらしい。
どの国がどう、とかではなくて 女たちのストーリーのある国へ。
だから彼女はどこだったか イスラムの女たちの話もしてくれた。
女たちがもがきながらも自由を少しずつ勝ち取っていく そんな
ストーリーのある国へ 彼女は取材を重ねてく。


 私が今回どうしても同行したいと思ったのは
きっとジャーナリストの仕事を隣で見たいと思っていたのもあるだろう。
こうやって質問するのか こうやってメモしていくのか
彼女がこれからどんな風にまとめていくのかはわからないけど
私はけっこう右腕みたいにもなっていて 半ば以降はかなり
ソフィーは私に相談していて 私の意見を受け入れていた。
横浜でめちゃくちゃわかりにくかった脱原発会議のデモ会場を探す時、
「ソフィー、私のこと信頼してる?」と聞いてみたら「完全にね!」と
答えてくれた。アポイント、道案内、チケットの手配、そして通訳
それから人の話をきくこと そうしてそれを吸収して
それからまた質問して全体像を把握しようと努めていくこと
そうして真実を知ろうとすること、、、


 私にはとても面白かった。沢山の人が質問に対して
答えるときに私の目を見て答えてくれていたのが 私には
とても嬉しかったしそれが大きなことだった。少なくとも
ソフィーだけでなく 私も話を聞いてしまった。 しかも
彼らは私に向かって話をしていた もちろんそれは通訳だったからだけど、、
でも彼らの話は「そうなんですか!」とうなづく私にも向かって
発せられていたと思う。だから私も少しでも何かがしたいと思った。





 私は人の話を聞くのが好きだ。高校生のころも職人展に行っては
職人さんの話に耳を傾けていた。一度取材で新潟や山梨の職人さんの
取材に行かせてもらったときは本当に楽しかったし嬉しかった。
もちろん原稿に山ほど赤は入ったけれど それでもお話が聞けて
本当に素敵な経験だった。私は書くことも伝えることも大好きで
写真や文章を使いながら 何かを誰かに伝えることが
ジャーナリズムというのなら 私がやりたいことというのは
もしかしたら彼らのように ジャーナリストなのかもしれない。
ソフィーやローランがしてること それらはとても格好いいし
ソフィーには言ってみたけど 私もいつか フランスのあの
PRESSカードを手にしたい。(だって美術館がタダになるのだ!)


 ペンの力で人をひきつけ ペンの力で何かを変える
言葉が力強い意味を持つ そんなことができるなら
それは本当にすごいと思う。人と話し、質問をして 議論をしながら
どんどん書くこと そうしてそれをまとめていくこと
たくさんの消え行く物語 を 私もきちんと言葉にしたい。

イマジネーション

2012年01月25日 | 想いをカタチに

 今日もいろんなことをぐるぐると考えながら
日常ってなんだろうとか 結局のところ
世界中どこへ行っても 待っているのは日常で
私はどんな日常というのを送りたいのだろうと 
ちょっとぼんやり考えていた。


 私は今 東京のカフェにいて そこには
扉をあけてお客さんがやってくる。たまに
私は働きながら 福島の人のことを思い出す訳だけど
福島の人たちだってそこで働き 日常生活を送ってる。
爆発のあと 勢いで避難していった人たちも
避難先 で目にしたものは 日常だった
いつもと変わらないようなその人たちの日常生活
そこが遠ければ遠いほど 何事もなかったかのように
人々の日常が流れてる。

(確かに地震直後の京都はびっくりするほど
何事もないように動いてた。カフェはみんなやってるし
着物で出歩くカップルはいるし スーパーに物は溢れていたし
実際私たちは地震をほとんど感じなかった)


 だからなんとなく そこに乖離のようなものを感じて
居心地の悪さを感じたことのある人というのは多かっただろう
だからこそ もといた場所に戻ってみようと 戻ることにもしたのだろう。


 それとこれとが関係あるのか 私にはわからないけれど

 結局どんな日常を自分は送っていたいのか
それをしっかりと想像してみることなのかなあ、、、


 私の場合 ずいぶん前からパリに住みたいとか言ってるくせに
なかなかそれが実現にまでもっていかれていないのは
イマジネーションをしきれていない まだどこかで
ドキドキしていて 今の現状を考えている
足りないものや できなそうなことに目がいっている
そんな自分がいるからなのかなあ?


 本当に大切なのは 自分が自分をどう見るか で
人からだとか 自分が思っている「客観的評価」ではないらしい。
例えば銀行残高自体は全然なくても 他人から見たら
お金もちみたいに思われている人だっているのだろうし
銀行残高なんて 恋人になっても知らないくらい
本当は他人はほとんど知らない訳で じゃあ
だれをどう「お金持ち」と思うかなんて
他人の勝手な判断次第。いいコートを来てるから?
お金持ちそうな服だから?値段の高いカフェに通って来てるから?
誰かにさっとおごってあげられるから?
そんなのは勝手な判断だけど「この人はきっとお金持ちなんだろう」と
他人が思う それだけのこと。


 そんな判断でいってみる と 私の場合は
勝手に自分で大変だ、やっぱり現実的に考えると無理じゃない??と
思うことが多いけど 他人からすると もうパリに住んでいると
思われていることもけっこうあって 知らない人からの
メールに「パリ在住の飯田さんという人から、、、」と
書かれていたりもするし フランスでの日仏交流会とかに行ってみると
たいていの人はパリに住んでる人だと思って話をしてる。
そう考えると 客観的視点からしたらどうもそう見られてるみたいだし
あとは自分の意識が追いついてないだけなのかなあ という気もしなくもない。


 何かを手に入れたかったら
そのための準備をすること というよりむしろ
それを手にする心の準備をしておくことも大事らしい。
もうそれがやってくる と 信じきって
それを受け入れる準備をしてると それが起こったりするらしい。
7割くらい 準備ができたら 神様はまた何かをくれるだろうか
心の準備も 物の準備も いろんな準備がそろっていたら
こんどこそ飛び立てる日が来るのだろうか。
私はあまりに怖かったし 沢山苦しんでしまったから
つい臆病になるけれど でも 本当のところ
フランス人と話しているのはとっても楽しい
ソフィーがフランスに帰ってしまって 私はとても寂しくて
当たり前 のようだった 彼女との歩きながらの議論も
ちょっと時間ができたらとりあえずカフェに行くことも
今にしてみればかけがえのない経験だったんだなあ。


 脱原発会議のプレスルームに入れてもらって
私はそれが嬉しくて「これで人生3回目のプレスルームなの!
私もプレスになりたいなあ、、、」と言っていたら「私も
昔は憧れてたなあ 今は普通になっちゃったけど。
そうはいっても憧れてたからやっぱり原点に帰るととっても
嬉しいんだけど」と彼女は言っていた。

 そう ジャーナリストのソフィーにとっては
プレスルームに行くのは日常。取材をするというのも日常。
そんな日常の人もいる。世の中にそんな日常の人がいてもいいなら
私も遠くへ行ったり 通訳したり プレスになったり
議論してたり カフェへ行ったり そんなのが日常だったらいいよなあ

 カフェのツアーも今回の通訳も本当に充実していて
まったく苦痛を感じなかった。毎日不思議なエネルギーで
満たされていた。特に誰かが私を通して議論が可能になった時とか
そんな時は本当にうれしい。日本語とフランス語でこうして意見を
交わせるなんて!だからそれが大変でも 私にはとてもやりがいの
あることだった。そんなのが1年に1回じゃなく 日常の一部だったら
いやそれがむしろ大きな部分を占めてたら きっと嬉しいだろうなあ。


 パリには何があるのだろう どうしていまだにこんなにひかれるのだろう

 それは自由? それとも議論? それともまず自分自身でいられること?
それともカフェ? それともテラス? 美しい街並だろうか
それにあのアパルトマンからもれる間接照明?
それにラジオクラシック? まあきっと 全てだろうけど


 やっぱりなー 私はできる限り自分のやれることを活かして
パリでもっと楽しく仕事をしていたい。もうちょっと気合いを入れよう
ちゃんと現実化できるように。自分の意識がもし一番の足かせなのなら
もう少し未来にワクワクしてみよう。パリにはきっと 何かがあって
それは日本の未来の役にもきっと立つ。まだ言葉にはできないけれど
そんな気がした いつか持った確信が そのうち言葉になるといい。

次の道

2012年01月06日 | 想いをカタチに


 議論 というものに漠然と憧れていた 私が初めて
本当の議論らしい空間に それも憧れていた
まさに外国映画のような たくさんの古書に囲まれて
外国人がソファーに座って 真剣なまなざしで議論をしている
そんな空間に身をおいたのは 9.11の後だった。

 10年前に留学をしたときに 私に待ち受けていた
最初の難関。 フランスに行って1ヶ月もしないうちに
その事件はやってきて 当時パソコンも持っていなければ
語学力も相当ひどかった私には 何が起きたのか
さっぱり何もわからなかった。そんな時 私は
夢にまで見たような あこがれの議論の場に居合わせて
その時はじめて矛先が私に向かって 嬉しかったけど驚いた。

「それで、日本があれをやったんじゃないかって説があるんだけど、、
あなたはどう思う?」私は本気で驚いた。
そして「絶対そんなことはない!」とそれだけ言った。
驚いて言葉にもならなかったし 反論がしたかったけど
そんな証拠もなければ反論できる知識も語学力も持ってなかった。
そして彼らは「でも日本がやったんじゃない?だって
カミカゼの国だし」というまなざしを持ったまま
また私のわからない言葉で延々と議論を続けてた。


 私にはあれがあまりに衝撃的で いつか
彼らに自分の意見を話したい いつの日か と 思ってた。
それがくやしくて仕方なかった。


 それから10年ちょっとが経過して
ようやく自分の考えをなんとか表明できると思った私の次に
やってきたのはまたしても議論をする場。今度は
原発に関してだった。どうして?それは彼らの関心事でもあったし
あまりにいろんな事が怖くて仕方なくなった私は
息子を抱えてフランスに逃げたから。
それでもそれだけじゃやりきれなくて
せめてフランスにあって日本にない情報を伝えてみようと
当時はがんばって日本に関するニュースを目にしては聞いたり
見たりしていたけれど フランス語は難しすぎた。
それにちょっとわかっても そのニュースが
果たして日本にもあるものなのか フランスだけで流れているのか
それも私にはわからなかった。だってすべては日本の映像
日本にあってもおかしくなくて それがフランスだけで
公開されているのか とっくに日本で知られているのか
私には判断のしようがなくなってった。


 そんな中 で なんとかかんとか 少しでも情報を得ようとしてきたことが
無駄な努力にも思えたけれど 今回 少しそのことが
これから役に立ちそうで 明後日からフランス人ジャーナリストに
お伴して福島の取材のお手伝いをすることになりました。


 フランス人のジャーナリストが日本人を探してる?
しかもテーマは福島の親子について。至急返事を求むと言われて
どうしてもやりたくなった。やれるだけの能力があるかはわからないけど
やらせてください!!と強く思って 母におそるおそる尋ねてみたら
行ってもいいとのことだった。

 フランス人?ジャーナリスト?それだけでも興味があるのに
彼女は2児の母だという。しかもマリークレールの記者だって!
これはまるでかつて私が読んだ『スーパーウーマンはこんなに大変』の
世界じゃないか。子供が2人いるのに世界を飛び回って取材する
キャリアウーマンの彼女はいったいどんな人でどういう生活を
しているのだろう?フランス人のジャーナリストはどんな風に
仕事をするのだろう?そしてなんとなく連帯感を持ってしまった
彼女と私はその後すぐに仕事をしはじめ今に至る。
まだ会った事はないけれど、彼女の情熱が沢山の人を動かして
福島で沢山の人が取材に向けて動いてくれてる。
そして彼らと彼女をちゃんと結びつけるのは 私が語って
説明をしようと試みる それらの言葉 なんだなあ。


 おそらくそれは ただの言葉の通訳なだけじゃなくって
様々な説明が含まれるだろう。様々な質問が飛ぶのだろう
「どうして~は~なの?」その説明には おそらく私の解釈も多少含まれて
それが彼女の腑におちたらそれがそうだとなっていくのだろう
そう 今度はパリでのツアーの逆バージョンが待っていて
私はパリを説明したけど 今度は日本の女性について
私も説明をするのだろう 原発の事故に加えておそらく
それだけではない様々な日本特有の苦しみがある。
私にどれほど理解ができるかはわからないけど
私も一人の母であり 震災の後にいろんな思いは渦巻いていて
かつフランスとの違いもわかるから きっと少しは役に立っていけるだろう

 あのとき経験したことが どういうわけか
これから役に立ちそうで あのとき議論しようと思って
日本の状況をなんとか理解し 誰かに説明するために
必死で覚えたフランス語の特殊な単語も また使うことになるのだろう

 足りない部分はいっぱいだけど 何かが待ってる
そんな気がする。私たちの取材期間中に 幸運にも
脱原発世界会議というのも開催されるらしい。
そこには福島で活動をしている沢山のお母さんが集まってくるらしく
私もきっと沢山の人と関わる中で 影響を受けていくのだろう
私もかつては活動していた おばあちゃんは女性運動家。
女性の状況について私もいつかものを書きたいと思ってた
この10日間で何がどうなるかわからないけど
自分の中では何かが動く そんな気がする。
明後日は空港出迎え これが初の通訳ガイド?
お伝えするのが許されるなら 私にも関われること
これからお伝えしていきたいと思います。

いよいよ出発

2011年11月16日 | 想いをカタチに


 ついに明日 成田から念願の 念願の飛行機に乗り
飛行機はパリに着いてくれるのでしょうか
そしてパリに着いたら 私はいつものように
なんだかよくわからないけれど 元気になってしまうのかな
そうだと本当にいいのだけれど!


 この5ヶ月は 長かったのかそれほどでも
なかったのかはわからないけど 私はけっこう
妄想の世界に生きていたから なんだか想像の方が強くなり
どれが現実世界なんだかよくわからなくなってしまった。
かつてはパリは遠かった。存在するのかもわからないほど
でも今は そこにいて友達と話している自分が未来に存在してたり
過去にもまた存在してたり どれが今でどれが未来で
果たしてあれは過去だったのかもなんだかごちゃまぜになっている。


 人は強く想像してそれにワクワクしたり強い感情をこめて
望むとだんだんそうなっていくのだという。


 私はかつて 去年の今頃?クルミドの影山さんに手紙を書いた。
フロールの絵を描いて いつかそこに一緒に座れたらいいですねなんて
想いをはせて書いてみた。それから1年ちょっとが経って
「次はパリで会いましょう!」なんて そういって今日
最後の打合せをさせてもらった。なんだか不思議。
描いてたことが現実になる。誰かと話したあんな話やこんな話や
あのカフェで私たちが夢見てワクワクしたことが
本当に現実化されていく。それってほんとにすごいなあ。。。


 私はかつて子供を産んで相当鬱っぽくなっていたとき
お暇をもらって代官山を歩かせてもらっていた時入ったカフェで
イタリアやら外国の話をしている人たちの横に座った。
その時は私には外国なんて遠すぎて 彼女達がうらやましかった。
私もあんな風になりたい、インターナショナルな人でありたい!と強く思った。


 そうして私は今ではなんだかフランスとやりとりしたり
フランスの人と企画を立てたり そこに日本人を連れて行ったり
日本とフランスの相互作用?そう私は今年の1月にそんなことを
書いていた。なんだかそれが少しずつだけどできそうな
そんな気がする。なんだか変な感じだなあ。



 本当に好きなこととかワクワクを感じてすすめることというのは
努力なんていらないそうな。私はなんだかいろいろあって
それなりに頑張ったとも思うけど 気がついたらこうなっていた。
いろんなことが後押ししてくれ 物事が前に進んで行った。
本当にありがたいことです。なんとシャンパーニュにもまた行くことに、、、!



 私が今回とても嬉しいのは このツアーの報告を
キャトルセゾンの記事で書かせてもらえることになったことで
私がフランスでずっと求めてた「日本でアウトプットする先」というのが
できたわけ で それが本当にありがたい。それがあったら
同じ滞在をするにしても意味合いがぐんと違って来るし 視点もきっと深くなる。
素敵な写真もとれたらいいなあ 「じゃあ読者プレゼントもやってください」なんて
言ってもらえると飛び上がりたくなってしまう。オリーブ少女だった私が
パリのカフェについて語って それをキャトルセゾンのコラムに書ける
そんなの本当に夢みたい。夢ってやっぱりみてみた方がいいのかな。



 私には描いてしまった沢山の夢があり それらは去年の夏から
私の頭の中でむくむくと増殖しはじめ もう夢なのか夢うつつの現実なのか
頭が朦朧としてる時なんか特によくわからないけれど
クリアに想像できてしまったことというのは いつの日か
実現されるためにあるんだろうか。
私は実験だと思って引き寄せてみることにした唐揚げをついに
おととい食べることができた(!)ので この先もいろんなことが
引き寄せられるといいのだけれど。想像はもう一杯したから
素敵な現実がもしも待ってくれているなら 私はパリで飛び込みたい。

諦めないこと

2011年11月14日 | 想いをカタチに

 最近は「11月にはいいことが一杯起こる!」と
念じていたら この1週間はなんだかすごい出来事が一杯あって
本当にありがたい限りです。今日はものすごい念願だった
キャトルセゾンの社長さんとお話をしに行って来て
というのももう4ヶ月も前から「連絡をしなきゃ、、、」
と思っていたのにそのメール一本が書けずにいたら、
エイやっと書いたその日に連絡があり、「またコラムをお願いしようかと
思っています」とのことだった。その嬉しかったことといったら!!!


 しかもすごいタイミングで、カフェのツアーの報告を書いてみては?とのことで
どこかで書かなきゃなー でもどうしようかと思っていたので
まさにかつて(今も)私が憧れていた様な、キャトルセゾンのお店にある
フランス旅行アルバムみたいな形で報告できたら素敵だろうなあ。。。
蓮太郎とお店の前を通る度に「お母さんこのお店が好きでねえ」と
想いをはせてたキャトルセゾンに、また再び関われるなんて
本当に嬉しい限りです。ありがとうございます!!
(あのエッフェル塔たちになんと勇気づけられたことか!)


 さて、私はそのメールをいただいた際、気づいたのだけど
世の中でいう「才能」っていうことばなんてほとんど嘘だなあと思った。
「あの人は才能があるからなれたのよ」という言葉は
ものすごくよく耳にするけど そんなの「私には才能がない」と
思っている側がいいように使える言葉なだけで
多分世の中でうまくいくかどうかは「才能」なんかじゃなくって
諦めないで押す力があるかどうかなのだろう。
だって私の今度の話でいったら原稿を見せたわけでもなんでもなくて
(そのかわりブログは読んでいただいていた)なんだかよくわからないけれど
具体的な話の前に「じゃあやりましょう!」となっていた。
そうして人は 誰かにちょっと信頼されて「じゃあ君が言うなら
ちょっとやらしてあげるからね」と言われた時に
それに沿った形になれるよう 努力をしていくのだろう。


 だからはじめに才能ありきじゃないと思う
だって本にも書いたけど 才能のある人なんてゴマンといるんだ。
毎年どれだけの人間が文学部に入り、美術大学に入学するだろう、、、

 もしも私がこの先 これから 書く ということを仕事で
続けて行けたとしたら それは才能によるものではなく
ただ辞めなかったから。もしかして何年か後には とても
スマートな文章になって「才能ある」感じの文体になれるかも
しれないけれど それは才能が先にあるわけではなくて
ただ書くことを続けて行ったからだろう。
そしてもしかしたら4ヶ月も出せないでいた一通のメールを
エイやっと思って送信してみたことだろうか。
「才能は勝ち取られたものなのです」とボーヴォワールは言っていた。
私はその意味がやっとわかった。人は何かをしたいと思って
たまたま誰かがその枠にいれてくれたとき このままの自分じゃ
やばいと思って努力して のちにその枠の中で恥じない自分になれるのだろう。
沢山の場所で 沢山のことが要求される その要求をなんとか満たそうとして
がんばっていたら 次第にあれ?けっこうできるようになったななんて
思える日 が 来るのだろう (だからこそそういうところにちょっと
人を入れてあげられたカフェのアトラクターは偉大なんですね)

 
 だから諦めないことなんだ


 そして自分を信じてみること


 私はすっかり自信がなかった 

 でも自信をとりもどそうと夏から自分に沢山いい言葉をかけてみた
自分のイメージをもっとよく思えるように 毎日毎日がんばった。
それは今も続いてて 奇跡が起こるかななんて待っているけど
奇跡が起きたらいいのだけれど 今の時点でも 相当素敵なことが起こってる。
それなりに自分を認めてあげられるようになってみると
誰かに言われたことというのもすうっと通って
あー この人 今までお世辞で言ってるのかと思っていたら
もしかして本気で言ってくれてるのかな??だとしたらすごいことだなとか
いろんな可能性を感じたりして ようやく自分の人生の意義や
やるべきことが 見え始めて来た様な 私だからできることが
ちゃんとあるんだと見えて来た様な そんな気がする。


 お世話になっているみなさん 本当にありがとうございます。
カフェツアーも本当に素晴らしいものになるといいですね!!
もうすぐフランス 体調治して行ってきます。

言葉が誰かの心に響く

2011年11月10日 | 想いをカタチに



 今日は最近働きはじめ、かつ今度のパリカフェツアーを
開催することになった西国分寺のクルミドコーヒーさんで
パリのカフェ勉強会が開催されて オーナーの影山さんが
2ヶ月くらい前にささやいていた「今社員のみんなに
『cafeから時代は創られる』を読んで印象に残った箇所を
10個書くという宿題を出してるんですよ」という
嘘の様なほんとの話が本当になって 今日はそれを聞いてきた。


 そもそも今週の月曜は 影山さん主催の「クルミドの夕べ」という
イベントがあり そのタイトルが「カフェから時代はつくられる?」
なのだった。私が影山さんとお知り合いになったのも
2年前に影山さんが私の本を読んでくださり それでクルミドの夕べで
おそらく同じタイトルの会を開催してて それに私が書籍名の検索で
ひっかかり またしても飛び上がって嬉しくなってメールを送って
それからお店に本を置かせてもらったり いろいろとご相談にのってもらったり。
(悩み相談のつもりがパリカフェツアーを開催しましょう!ということになったり、、、
ちなみにそれもカフェで起こった出来事ですね!)



 さて その月曜日の「カフェから時代はつくられる?」は私も
参加させてもらって 横でお話をきいてると なんだかとっても不思議だった。
その前日に私は久々に 長いこと恐ろしくて開けなかった我が著書を読み直し
ふ と この瞬間に日本で何人がこの本を読んでいるだろう と想像し
もしかしたら5人くらいはいるかもしれない? そう考えただけで嬉しくなった。
おそらくそのうちの2人は私と影山さんだろうと思われ 次の日の夜のイベントで
しっかりと読み込まれているその本と 手元にあるメモを片手に影山さんは話続けた。
「カフェにおける自由ってのは4つあって、、、」


 それ かつて 私が大学院の時 大澤先生のゼミやなんかで話していたなあ
「まず居続けられる自由があって、、、」そういう「4つの自由」というのは
私が考えたものだった。「アトラクター」という単語 も はじめは
「キーパーソン」と読んでいて いつしかどこかで これよりも
もっとアトラクターの方がいいんじゃないかと言葉を変えて使っていった。
そんな言葉や私の頭にあったものたちが 今ここで 誰かの口から
同じように流れ出て あたかも私が語るように 影山さんが語ってる。
それはとっても不思議なことだ。


 かつて息子をおんぶして洗濯物を干し泣き声に追われるという 
ニュータウンでの終わりなき専業主婦生活に途方に暮れていた時に
一筋の希望を見させてくれたのは 東大の中原先生が書いてくれた
「カフェから時代は創られる を読んだ!」というブログだった。
それを読んだらまさかこれはコピー&ペーストしたわけじゃあるまいし
それにしてもどうやったらここまで正確に私の本の内容を要約できるのだろうかと
驚いた。誰か 私ではない 別の誰かが 私が書いた本を読み
それにおそらく共感してくれ それをまた別の言葉で
しっかりまとめて誰かに示してくれること
そんなことが起こりうるなんて それが可能なくらい
不思議なことにこの本には誤読もないようで
影山さんの語りをきくと この人が著者??と思うくらいに
本当に理解してくれている。私にはそれが不思議でならない。


 私がかつて伝えたいと思った言葉が 誰かの胸を打つことがある。
私はこの本を通して 一人でも多くの人に もはや日本で忘れ去れた
サルトルという人の言葉に耳を傾けてほしいと思ってた。
そしたらブログや感想などでも ほとんどかならず「サルトルの
言葉に胸を打たれました」と言ってもらえ、これが筆頭にあがってる。
「人間はかくあろうと意図したものになるのではない
かくあろうと投企したものになるのだ、、、」(耳がいたい)
「人は卑劣漢に生まれるのではない 英雄は英雄であることをやめる
瞬間が 卑劣漢には卑劣漢であることをやめる瞬間が必ずある、、、」


 そういえば 主人の愛情についてももっと知ってほしいと思っていたな。
そうしたら今日社員の人がロトンドの主人とモディリアーニのエピソードを
引用して「うちの店から持って来てないのはワインだけだったからね!」と
いうのを挙げていた。それについ笑ってしまったら「この話には感動しました」
と多くの人が言ってくれていた。日本ではおそらくビクトール リビオンという
人の名前なんて誰も知らなかっただろうけど 私も少し彼の偉大な功績を
知ってもらうのにこれで貢献できたのだろうか??
(彼がモンパルナスの時代を創ったとアンドレサルモンは述べています)


 私が私の本の内容を熟知している そしてそれを語ることができる
それは当たり前のことなんだけど 私が書いた本の内容を
他の誰かがよーく知ってて「ああ あそこのあれは本当に共感しました!」
と言ってくれると どうしてそんなにもわかってくれるのか私は嬉しいを
通り越してなんだか不思議になってしまう。「はあ?そんなこと
書いてありましたっけ」と言われる方がよくあることのような
気がするけれど すごくよくわかってくれる人に出会うと
本当に書いた甲斐があったなあと思う。


 「サロンの女主人の話 共感しました」
(これは私のちょっと嫌な経験をもとに考察したのだけれど
もうそんなに共感してもらえるならあの経験もよし!と思える)
「たしかに録音された音っていうのはよくないかも知れないですね」
「僕はこんなカフェをつくるために一生をかけてもいいと思いました!」
「この本に出会って生き方を変えようと思いました」
とか そんなことを言ってもらえると とても嬉しい。
本当にありがとうございます。



 私にとって 生き甲斐って何だろうと悩むとき
答えはやっぱり書くこと 考えること それを言葉にして書いて
一人でもいいから 誰かがそうだと言ってくれること
「思ってたことを書いてくれてありがとう」とか
誰かがそう思ってくれること それが私にはすごく嬉しい。
一人でもいいと思っていたのにそれが5人、もしくは10人に広がったなら
もうそれだけで本当に出してよかったです。
おかげさまで『cafeから時代は創られる』はクルミドコーヒーで
20冊も売っていただき完売しました。私の在庫も完売しました。
第3版、がんばっていきたいです。
応援してくださってるみなさん 本当にありがとうございます!
西国分寺のカフェから時代が創られる日が なんだか来そうな気がしませんか?




異なるものの見方で世界を見る

2011年10月09日 | 想いをカタチに

 最近はアイパッドのおかげかネガティブな言葉を
使わないことに決めてみたからか 蓮太郎との関係性も
今までで一番くらいに良くなって なんだかとっても
不思議なのだけど やっと運気が上がって来たような気がする。


 さて、そんな今までとは違ったものの見方を信じて
そうして色んなことを感じていくと アインシュタインが
時計の時間は絶対じゃないと言っていたらしいけど
私の今の感覚だと 何かが急に近く感じたり 何かが
とっても遠く感じたり なんだかとても変なのだけど
何かが「ぐわん」と来る感覚がある。
それは「揺らぎ」といってもいいし 「風が吹く」と
いえるのかもしれないけれど 意識の中かどこからへんで
なにかがぐわんと近くに感じてやってきたとき
それはもう遠くないような なんだか変な感じだなあ


 私はいつもとても不思議に思ってた。

 どうして世の中には「ヨーロッパ?死ぬまでにあと1回は
行ってみたいなあ」とめちゃくちゃ遠い目をして語る
30代のママもいれば、「私の使命は日本とフランスの架け橋」みたいに
しょっちゅう行ったり来たりしている人もいるのだろう と

 フランス?いつか住めたらいいよねえ と いうのが
たいていのフランスに憧れる人の発想だけど
そう 私が「カフェのつかい方」というキャトルセゾンの
コラムで書かせてもらったように たいていの人にとっては
「ふらんすに行きたしとおもへども ふらんすはあまりに遠し、、、」
なんだよね。


 私は先日驚いたのだけど フランスにはニキドサンファールという
変わった女性の芸術家がいて、彼女の作品はポンピドゥの近くとか
いろんなところにけっこうあって フランスでは身近な感じの芸術家。
そんな彼女の美術館が日本にもあったらしい。それでそこに
憧れていつか行きたい と ずっと思っていたという人が
「もう閉館しちゃったんですってね!いつか行きたいとずっと
思っていたのに、、、」と嘆いてた。それは那須にあったらしいのだけれど
そんな行きたかったなら日本なんだから行けばいいじゃん と
聞いてる私は思ってしまった。フランスに行ったらもっとあるのに
そんなに好きなら行けばいいのに と思ってしまったけれど
きっと那須でさえ遠い彼女にとってはフランスなんて
ものすごく遠い場所なのだろう。


 でもそれは 本当はただの意識の問題なのかもしれない
時間や距離の問題じゃなく 意識のレベルで近い、行ける!と
思った人は きっとさっと行くのだろう。私がフランス語を
教えていた人みたいに 思い立って仕事をやめて その半年後には
ビザをもって旅立っている。行きたい、行けるんじゃない?行っちゃえ!と
思った人は どんどん ばんばん旅立っている。もちろん
一人で身軽だからというのもあるだろうけど
でももしかして 私たちを縛っているのは 本当は
距離でも時間でも手持ちのお金の多さでもなく
意識なのかもしれないな(銀行残高の違いでいったら
行かないタイプの人のほうがよっぽどしっかり持っていると思う)


 無理だ と思うから 無理だけど 行けるかも?と
思った時から なにかがはじまる そんな気がする。
天才達は まず夢を見た 彼らは天才に憧れた。
そんなの無理だろうと 何度も思ったことだろう
でもあるとき天才たちと自分との共通点を発見したりして
「もしかして私もいけるかも?」と思ったりした
それは「もしかして?」程度なんだけど
私はこの感覚は「ぐわん」という感覚だと思う
それは今まで手に届かない 無理だと思っていたものが
急に身近になる感覚で 今の私にはまだわからないけど
「もしかして?」と思ったときから 何かが可能になる旅が
動きだすのかもしれない。


 私は今まで 相当な固定観念にしばられていた。
そういうものの見方で世界をみていた 
だから5次元ってのがあるんだよ と言われた時も
なんのことだかわからなかった 癌患者で何年も前に余命何ヶ月と
宣告された人たちが私の目の前で すごい笑顔で人生は楽しい!!と
言い切っているのをみたときは ただ彼女達の笑顔の質に圧倒されて
どういうことだかわからなかった。 彼女達は
病気をプレゼントだとすら言っていた
どうしてそんな風に言えるんだろう?
私にはさっぱりわかならなった でも今いろんなことが
わかりかけているような そんな気がする


 もし人生というものが 苦しんで生きるためでなくって
賞賛するためにあるのなら?私に偉大な価値観を教えてくれた
先生は自己組織化について自分で研究をしつくした果てに
「森で鳥が鳴いているのは世界をたたえるため」みたいな
ことを言っていた。 私にはさっぱりわからなかった
でも もしかして 世界は賞賛されるために存在していて
それを待っているだけだったなら?もっと世界は
美しいものでみちていて 素晴らしかったのかもしれない。


 それはものの見方が違っただけで
私たちが長年かけて教え込まれて来た固定観念が
もし実はあまり意味をなさないものだったなら
それにがんじがらめになって不安にあおられ必死の形相で
生きている そんな生き方が実は自分が信じていたほど
たいそうなものではなかったのなら?
これも革命みたいだなあ、、、



 わたしにはまだわからないけど 私は何かを学ぼうとしていて
もしここで何かが「そうだ!」とわかったのなら
きっとそれは私にとって大きな革命なのだろう。
世の中には 違う世界で生きている様な人もいる
私はそんな人たちがうらやましかった
どうして同じ人間なのに?20年間フランスで暮して
文筆業をしているというめちゃうらやましい日本人もいれば
そうでない大多数の人がいるのだろう 彼らも同じ人間なのに
一体何が違うのだろう 少なくとも第一に
何かを成した彼らはそんな生活に憧れた きっとそれを
夢見て現実に近づけようとしたのだろう それくらいは
確かだろうから やっぱり夢は 見ないよりは見てみたい し
叶う方法があるのなら それはやっぱり叶えたい。

夢を描く そしてカタチに

2011年09月30日 | 想いをカタチに

 まだi Padを手に入れてから1週間もたってないけど
私の生活は革命的に変わったみたいで なんかもうすでに
フランス語のリスニング力が上がったような気さえしてしまう。


 そんなにi Padがいいの?と聞かれても
私はそもそもiPhoneすら持ってないから 状況に
雲泥の差があるわけで それでも子供を膝に
のっけて絵本をみせる感覚で フランスの童謡のサイトを
使って一緒に歌い続けたりとか(まあパソコンでも
してたけどリラックス度が全然違う)電車に乗ってる
「合間時間」にやるべきことを整理したりとか
それだけでなんだかぐーんと前に進んだ気分。


 さて、今回ははじめてカフェでインターネットに挑戦!と
wifiの機器を持ち出し いつものカフェでネットに接続。
わーすごーい!!と感動する一方で 無駄に
ネットサーフィンをするわけにもいかない。
なんせ子供が待っているのだ、、、 さてどうしようと
思ったときに、そうだ メモしていたやることリストを
ちょっとばかし進めよう やる気のかなりなかったような
ことたちも ここで検索して電話番号やら何かを
調べよう と 「電子書籍検討」だとか
いろんなメモのリストを先に進めて行って


 その日が終わってけっこう前に進んだなあ
意外と調べるといろんな機会ってあるんだなあ
人生そんなに悪くないかも?と思っていたら
なんと今朝 『cafeから時代は創られる』を出してもらった
いなほ書房の方から電話があって 「電子書籍の件ですけど、、、」
と言われてしまった。なんと昨日カフェで重すぎる腰をあげて
調べ、もうアドレスわかったならメールをしようと
i Padのスケジュール帳にメモしたことを実行したら
次の日の朝に電話がかかった!「そこの電子書籍の会社ね、
私の知り合いなんですよ 第3版出すよりは安そうだし
いいんじゃないですか 見積もりとってもらいましょうか、、、」

 まさかこんなに早くコトが動くとは!いままで何ヶ月も
動けていなかったのに i Padさまさまです。


 しかもそのいなほ書房の星田さんとは ちょうど昨日
お話したいと思ってて コーヒー文化学会関係では
よく生産地のツアーとかをしているようなので
いつかパリのカフェツアーも、、、と思い
「今度パリのカフェツアーをすることになったので
コーヒー文化学会の会報に記事を書いてもいいですか?」
「ああそりゃ面白そうですね、、、」
それから話はつづき「飯田さん、ウィーンとかはどうなの?」
「知ってますよ やれるならやりたいです!」
「生産地の方はね やれる人がいるんだけどね
ヨーロッパのカフェは需要はあるんだけど
案内できる人がいないんだよね」


「じゃあ私にやらせてください!!!」


 ヨーロッパ?!

 パリだけじゃなくって?いつかイタリア?
アムステルダムにブリュッセル?ウィーンのカフェも?
そういえばそれらに憧れ一応ドイツ語とイタリア語も
ちょっとは勉強したなあ


 そんなところに「仕事なんです」っていって
行ける日がもし来たのなら なんて素晴らしいんだろう!!
堀内誠一はブルータスが空飛ぶ絨毯だったと言っていた。
私はそこまで身軽じゃなくても それでも
パリや できれば少しは仕事と称して
他国のカフェや街並紹介にも関わってみたい
もちろんパリが中心だけど パリのカフェ?案内?
ツアー?じゃあ飯田さんに そうなったなら
そりゃあなんて素晴らしい、、、!


 かつてパリビストロの代表の事務所に
インタビューに行ったとき 彼が「これの
日本語版もつくろうと思っててねえ」と語ってた。
そこで私はすかさず言った。「私にやらせてください!!」
彼はそんな出会いを思い出してよくパリでいろんな人に
そのエピソードを紹介してくれていた。
そんなこと だれかがやれるんだったら
パリのカフェに関わること?日本人で?
私がやりたい!!と思ってしまう
たとえハードルが高くても そう Paris-Bistroの
ハードルは高い。知らなきゃいけないことに
ハイレベルなフランス語力に広告をとるほどの交渉力!
ガイドだってとてもハードルは高いだろう
でもそんなこと できたらなんて素晴らしいだろう
そういうことを やっていたなら
あー今までいろんなことをやってきた意味が
あるよなあ って思えるんだろうなあと思った

 まだまだハードルは高いけど
夢だったことがただの夢ではなくなっていく瞬間がある
到達するのにたくさん時間がかかっても
おぼろげな夢が現実に近づく瞬間がある
夢を現実にするために 協力なツールと一緒に
しっかり前に進んでいこう


-----------
ちなみに  『cafeから時代は創られる』はそろそろ在庫が
少なくなってきています。電子書籍になるかどうかはまだ
わかりませんが、本というカタチでお手元に置いておきたい方は
ぜひ早めにお問合せください!第三版をつくるのにはまたしても
巨額のお金がかかりますので、どうなるかはわかりません。。。

手帳を変える

2011年09月26日 | 想いをカタチに

 今日はi Pad1日目 で 朝からバタバタしてたのだけれど
それでもなんだか充実していて あーi padってすごい!と思う。


 フランス語に1日1時間は触れていよう と
夏に会った日本語ペラペラのフランス人に圧倒されてから
決意したけど 最近は1時間どころか 聴くもの
読むものフランス語?みたいな日が増えていて
(とはいえやっぱり難かしい!!)
けっこうな時間触れていたのだけれど i padが
登場するともうすごい。自分次第では1日15時間でも
触れていられる そんな気がする。


 今日は病院の行き帰りにこれをi pod代わりに使って
フランスのラジオのポッドキャストを聞いていた。
病院に着いてみるとなんと待ち時間が1時間!普段なら
うえーと思うとこだけど 今日はi padを持っているので
かかってこいという感じだった。それで久々に
(i podをなくしてしまったのでもう5ヶ月ぶりくらい?)
フランス語の音楽を聴き 今日はスケジュール管理してみようと
待合室のソファーの上でいろいろといじりはじめてた。


 「夢をカタチにするにはね 手帳が大切なんだよ、、、」と
占い師の友人が 私がかなりへこんでた時に時間をつくって
話してくれた。そうかあ、、、と思ってやる気のない手帳に
彼に言われるままに少し物事を書き込んで ちょっと
やることリストみたいなのをつくってみたら それなりに
すすんだけれど 精神的なダメージを受けてたときは
手帳どころじゃなくなっていた。そうして気づけば1ヶ月
ほとんど動きが止まってた。その間さんざん夢想するだけは
してみたけれど 夢は描いてるだけじゃあいけないのだろう
実現にする努力をするには 手帳と想いとの二人三脚がいいらしい。


 「それでねーこのi padがいいんだよー」と彼は
自慢げに話してくれた。こういったたぐいのものを使いこなしてる
彼が使っていたのがi pad付属の手帳かどうかはわからないけど
「もう手帳が切れてしまう!!」という想いでi pad購入に
踏み切った私にとって この手帳はかなりよかった。


 なにがいいかといいますと


 1日の時間をこのタスクは何時から何時まで と
色を使って示してくれるので あーけっこうここ
空きがあるなというのが見えやすい。
じゃあこの時間なにしようかな?って
未来のことをイメージできる!これはすごい。
今までの私は「明日?明日の風が吹くんじゃない」程度だったし
その日になってバタバタどたばた あああれもない、、、という
ことが多かった。


 ところがこの手帳はひとつのタスクについて 時間の幅と
メモ欄もあるので たとえばどこそこに行くのに
持ち物はこれとこれ というのが書ける
もしくはそこに行く前に確認の電話 えっと
電話番号は、、、もういいや今i padで調べちゃえ!となってしまう


 ところが今までの私といったら!!
「はんこですか、、、すみません、忘れました」とか
美術館に行ったらやってなかったとか 書類が1つ足りないだとか
そんなことの繰り返し。これなら前の日とかにチェックできそう!
それで早く起きてがんばろうという気になれるかも!


 「i padはねーメモもいいんだよ」と誰かに言われた気がするけれど
私が漠然と「これはした方がいいだろうな」と思っていた
ことのリストも 打ち込んでみると うーんじゃあこれは
今週?10月から?どこでやろうか という気になれる。
まずすべきことは?プリント?それとも連絡先を調べること?と
なんだか前に進んでる感じ!今までは「あーあれもしなきゃ
これもしなきゃと書いていたけど今週もできなかった、、、」
という感じだったのに 私 手帳で変わって行けるかしら?


 これだけ沢山のすきま時間を有効に使え しかも漠然と
描いていたことを現実に落とし込めそうな手帳があるなら
なんだか生き方は変わって来る様な気がするなあ
今までは「子供がいるからあれもこれも難かしい」と思ってた。
でも子供がいても 隙間の時間をかなり有効に使えてしまえば
「あーもういいや今日は沢山やったしあとは蓮太郎と遊ぼう!!」と
保育園に預けた後の様な気持になれるものかしら
そうやって気持が切り替えられて 前に進めたらいいよなあ

 今日はi Padのお陰でちょっと違う世界に生きられた。
これからも有効活用をして かっこよく前に進みたい。

フランスに行くなら

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