alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

コーヒーと自由

2014年03月17日 | サードプレイスとしてのカフェ


 コーヒーは きっと自由の象徴なんだ

 ふっと そんなことに気がついた。

 私はコーヒーがそこまで好きじゃない。
体調が悪くなったとき、真っ先にやめるのはコーヒーで
初対面の人とカフェで会うとき よく驚いてこう言われる。
「あれ?コーヒー頼まないんですか?
コーヒー好きだと思ってたのに。」
コーヒーはどうも私の身体に負担をかけ
飲み過ぎたあとに身体をこわす。それは経験でわかってる。


 けれども私の人生に コーヒーというのは必要で

 それは頭をクリアにしてくれるから?
いや違う。それなら紅茶でも中国茶でも濃い日本茶でも十分だ。
今日ふっと気づいたことは
私はコーヒーが好きなのではなく
コーヒーを飲むことができる 
そんな時間を手にした自分
それがただ嬉しくて 
ちょっとした時間ができた時
あえてコーヒーを買ってみるのだろう。

 コーヒーというのは紅茶と違い
自由だとか奔放、逸脱、議論というイメージがあるらしい。
それに対して紅茶はサロン的で、
どちらかといと右の女性のおしゃべりのお供、
反体制ではなく体制側でお金持ち、穏やかでゆっくりとして
静かな時間というイメージだ。


 私は自由を手にしたかった。
子供が生まれた直後に私が自分を取り戻すため
ほんの少しした抵抗は お茶を一杯のむことと
ブログを書くということだった。
団地に囲まれたニュータウンに引っ越して
専業主婦だらけの生活の中 私は何かを切望していた。
何かが違うと思っていた。目の前に連なる団地の山は
私の人生に立ちはだかる壁そのもののようだった。


 久しぶりに 幼稚園のお母さん達の隣ですごしてやっとわかった。
私は自由を手にしたかった。彼女達は時間的には自由に見える。
時間に追われまくってる私の目には
うらやましいなと映ることもよくあるけれど
実際には彼女たちの生活も 見えない鎖のようなものに縛られている。
彼女達を見て思い出した。主語が自分ではなくなっていく
子育て生活。いつも話題になるのは「私」ではなく
「主人」や「子供」 なんとなくライバル意識を持つつも
笑顔で語り合っているけれど 女子特有の探り合いみたいなものがあり
沢山の勝ち負けの基準があった。二人目を生んだ?
家は買った?運転はできる?子供の行く学校は?
何かを知る度ショックを受けた。ああ、先を行かれてしまった・・・

 別にそれがどうというわけでもなく
幼稚園ママはそれをよしと思い、保育園ママはそちらを選び
互いに互いをちょっぴりうらやましいと思っているのだろう。
専業主婦と働くママという二つを経験してみると
どうやらそこには なんだか独身女性と子持ちの女性くらい
深い溝があるようで 同じ「母」とはいっても違う世界観で生きている。
どうしようもなく生活に追われてるとき
あああの暮らしに戻りたいと思うこともあるけれど
私が選ぶことにした場所は もう違う世界なわけで
そんなママたちの近くでしばらく時間を過ごした後に
ああ私が欲しかったものは自由なんだと気がついた。
おそらくそれは 時間的な自由ではなく
精神の自由なのだろう。


 コーヒーはそんな自由の象徴で
ママでもなく、仕事に追われた誰かでもなく
自分になった気になれる。自分としてどこかに向かえる、
そんな一瞬を味わえる。だから私は
身体には向いてなくてもあえてコーヒーを飲むのだろう。
私は今 自由な時間を手にしているのだ
そう自身に言い聞かせてみるために。


 サードプレイスにはコーヒーがある。それは当然かもしれない。
サードプレイスは役割からの開放の場所。
良妻賢母でなくていい。誰かの母じゃなくてもいい。
仕事で悩んでてもいい。「人間だもの」と受け入れてくれる。
そんなこともある そんな日もある
泣きたい日もある うまくいかないこともある。
この生き方とは違う何かを切望することだってある。
そんな時 役割に縛られて「頑張ってきた」
無理してなろうとした自分ではない誰か ではなく
自分自身になろうとする時
他の誰かともう違っててもいいじゃんか と
反抗的な気持ちになるとき

 やっぱりそこに似合うのは
ちょっとやりきれない気分とか
かすれた気持ちとうまがあう
反社会的 と 恐れられた黒い飲み物
コーヒーになるのだろう。

 私は違うかもしれない。
あの人達と同じように もしかしたらなれないかもしれない。
違和感を感じるかもしれない。
郷に入りては郷に従えと言い聞かせてみても
従いきれない自分だっているだろう。

そんな時 人は何かを求めてカフェに行く。


 何をしてもいい 懐の広いカフェ。
そこには自由な時間が流れ
心が少し 広がっていく。

 そこにワインやハーブティではいけないの?とも思うけど
ファッションや車に象徴的なイメージがあるように
コーヒーには「あるブランドを身につけた自分」と
同じようなイメージがあるのだろう。
「コーヒーをゆっくりと飲む時間」
それだけでも自由な感じがするけれど
それが「パリのカフェのテラスでエスプレッソを飲む時間」
になったらもっと自由で開放的な匂いが漂ってくる。

 自由を感じられるコーヒー片手に
自分の世界に入れるカフェ
そんなカフェに行ける時間が人生にあるのなら
その人はきっと 自由で幸せなのだろう。


ショコラ

2014年03月08日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今年から英語をちゃんと勉強しようと思った私は
色々と努力してみたものの、フランス語も続けながら
英語もさらにというのはかなり厳しく
今年になって2度も体調を崩してしまう。
もうだめだ、正攻法の英語は無理だ・・・
でもToeicが、、でもここまでやったのに、、、
そうはいってももう身体が無理だ、またしても
英語を捨てるしかないか・・・と
絶望的な気持ちになっていたとき
息子と一緒にTSUTAYAに行ってふと気がついた。

 そうだ 正攻法がだめなら映画でいけばいい。
それは私がフランス留学時代にどうしても正攻法の
フランス語学習に馴染めずに 自分で編み出したやり方だった。
さんざん映画館に行き とりあえず耳を慣らした私は
聴き取りは少し得意になった。それなら英語も
それでいったら?そう考えたら世界がふっと広がった。


 今まで私にとっての映画というのは語学学習法の
1つという位置づけで TSUTAYAにどんなに映画があっても
時間のない中自分に許した映画はフランス映画のみだった。
ところが英語もOKとなると、学生時代から観たかったような
映画もついに借りられる・・・もういいや、好きなのを見よう。
カフェに関係するだとか フランス語であるだとか
歴史がちょっとわかるとか そんな要素はなくていい。
ただ見たかったものを見よう。英語だったらそれでいい・・・

 そう思って手にとったのが 何故だか「ショコラ」という選択で
その選択は偶然にしてはできすぎている程に 私が観るべきものだった。

 「ショコラ」という題名からも 有名なポスターからも
それがフランスで撮影された英語の映画という程度の知識からも
まさかその内容が まさに私にうってつけの そして
チョコレート店 というよりも 実はカフェなんじゃないかという
そんな世界が待っているとは想像だにしていなかった。


 母一人、娘一人。赤いマントに身を包み 吹き荒れる北風とともに
旅をしながら住む場所を探す主人公。そして彼女はカトリックの
ガチガチの価値観の村の中で 断食中にチョコレート店を開くわけだけど。
そこには激しい価値観のせめぎ合いが待っていた。

 言葉にするのは難しいけど 私はこの映画の世界に入って
なんだか本当に救われた。私が体験してきた世界と似たような世界が
この映画には描かれている。昔ながらの価値観で がっちりと守られた世界。
犯してはならない規律があって 少しでもそこからはみ出していたら
見て見ぬふり で なんとか通す。表面的には何事も起こっていない村。
英語の中でもtranquillité というフランス語があえて使われていたけれど
トランキリテというのは波風のたたない というイメージでもあるのだろう。
守らなければいけない見た目、世間体、価値観が強くある中で
自分の想いは押し殺す。圧倒的なトランキリテの中で自分を持ってしまうこと
それは少し 狂気に近い。「ショコラ」の中で村の人から
ちょっとおかしい人だと思われている女性がこんな風に述べていた。
「夫の3度のご飯を作って掃除に洗濯、ここではそれが人生最大の
喜びであるべきなのよ。それ以上のことを望むと気が狂っていると思われるの」


 そんな彼女は本当は他の人より少しだけ 自分に正直なだけだった。
周りの人たちが押しつぶしている感情を 押しつぶせないままでいて
でもどうすればいいかわからず途方にくれて
苦虫をかみつぶしたように 泣きそうな顔をするしかなかった。
そんな彼女を主人公のチョコレート屋の女主人は受け入れた。
その店にはカウンターがあり、そこから主人は人を招いた。
"Please, please come in!" と彼女は通りに向かって笑顔で叫ぶ。
ちょっと入って、お願いだから、ほら、チョコを差し上げますよ。
よかったらホットココアはいかが?お代はいいから。
彼女が受け入れ、話しかけて来た人たちは ほとんどみんな
その村で ちょっとおかしいと思われていたり
ちょっと自分の感情に 気づいてしまった人たちだった。
だけどそこには激しいカトリックの規律と「こうあるべき!」という姿があって
彼女の店は標的になる。それでも彼女は笑顔を忘れず
少しでも店に顔を向けた人たちを受け入れ、話をきいた。


 やがてはその店はかたくなだった村を変えるきっかけとなっていく。
まずはおかしいと思われていた女性から、そして意固地で我を通しているおばあさん。
その店に集まった人たちは 言って見れば逸脱者たち。他に行く場所の
なかった人で、他では自分の気持ちを表現できず、受け入れてももらえなかった。
世間からは顔をしかめられるような人たちを 顔をしかめることなく笑顔で
受け入れる。扉を固く閉ざすのではなく 自ら開けて"Please come in!" とすら言う。
その店にあるチョコレートは人の心の扉を開けるという。
そうして少し 一瞬だけでもお客さんの顔に笑顔が見える。
いつの日かその人の笑顔が増えて、誰かの手をひっぱってくる、
そのうちにそんな仲間が増えていき その店はかけがえのない存在になる・・・

 それってまさに 私が求めていたカフェであり
歴史の舞台となったカフェに おそらく共通するのだろう。
私の本を読んでくれた方が一言で本を要約し「つまり主人が大切だってことですね」と
語ったそうだ。沢山のことを書いた私はそうだったかしら、と思っていたけど
まさにその人の言う通り、で 主人が本当に大切なんだ。
彼らは「他の場所では受け入れらなかったような人たちを受け入れた。
しかも一人の人間として受け入れた。」これに尽きる、と私は思う。
顔をしかめ、扉を閉ざすのはよくあることだ。でもその真逆をいった人たちもいた。
他の場所では受け入れられないような人 というのはそれなりにそんなオーラを
出している。「人は見た目が9割」というのであれば、一瞬で
「見てみぬふり」をされてしまうかもしれない。けれども
それを受け入れた人がいる。その理由は様々だろうけど
その1つに自分と彼らを重ね合わせたこともあるのだろう。

 ショコラの女主人は自分もノマドでおそらく何度も
迫害の目に合っていた。非難の的になることだって慣れっこだったから
多少悪く言われるくらいでは笑っていられたのだろう。
それでも自分の生き方に自信をもっている彼女は
自分らしく生きたいけれどもその一歩が踏み出せない人に
チョコレートを通して手を貸した。けれどもそのもどかしさや
悔しさや難しさがわからない人にはそんなことはできないだろう。
ダダイストが初期に集まっていたカフェ、セルタでは
世間で恐れられているダダイストの彼らを「彼らは
髪の毛が栗毛色の方 というような調子でダダイストの方」
とお店で呼ばれるのだとルイ・アラゴンが書いていた。
世間の見方ではなくて、一人の様々な想いをかかえた人間として
その想いや方向性が たとえ今の世の中に合致していないとしても
同じ人間として受け入れる。そしてそっと飲み物を出す。
それが素晴らしいカフェであり そこから何かが変わるのだろう。

 カフェから時代はつくられる、カフェから街は変わってく。
カフェがきちんと人を受け止めることができたなら。
カフェはただ、飲み物を飲んだりお菓子を食べる場所じゃない・・・
人がちょっと心を開き、次第にまわりの世界が変わっていく場
あなたはあなたのままでいい たとえ世間と違っても
そこの価値観にそぐわなくても。「ショコラ」の最後
神父さんがこう言っていた。「今日は神の神聖さについて
ではなく、人間性について語りましょう。神が偉大だったのは
何かを禁止することではなく、許したことにあったのではないでしょうか。」
禁止して、無理矢理規制の価値に当てはめようとするのではなく
そうでもいい、と許すこと。そうでもいいのかもしれない、と
思える場が1つでもあるということ。世界にはまだまだこの村のような
問題が満ちあふれているけれど、カフェやサードプレイスという
場所は 解決の糸口になるかもしれない。
「ショコラ」はそう気づかせてくれた、本当に素晴らしい物語。

サードプレイス育ち

2012年05月02日 | サードプレイスとしてのカフェ

 昨日は東大山内研の森さんという方が持っている
専修大学の質的調査法 という インタヴューをする授業に
呼ばれて行って 自分とカフェとの関わりだとか
カフェに関して学生さんからいろんな質問を受けていた。


 なんだか大学院の時みたい、、、

 ああなつかしい こんな質問 そういうのが沢山あった。

 Q メイドカフェやマンガ喫茶についてはどう思いますか?

 A  日本の喫茶店の歴史をたどるとナントカ喫茶というのはかなり
初期からあるものなので、それもある種の日本の文化なんじゃないかと思います。
女給喫茶、ゲーム喫茶、同伴喫茶、ジャズ喫茶、名曲喫茶etc
その時の流行に合わせていろんなジャンルの喫茶をつくる一方で
本流の、コーヒーを飲むのがメインの喫茶店もちゃんと続いていますからねえ(純喫茶など)


 Q  お話の中でカフェだけでなく図書館、街あるきなどが好きだったと
おっしゃってましたが、それらに共通するものは?


 A  それはインフォーマルパブリックライフだと思います。第一の場所、
家庭、第二の場所の学校や職場でもなく、第三の場所として閉ざされたハコ、
身分証明書をもったり強い関係性がないと入れないようなハコではなく、
誰にでも開かれている場所というのが共通点だと思います。
小学生でも、高校生でも、お金がなくても、おじいちゃんでも
インフォーマルパブリックライフというのは誰でも気軽に足を運べる
公共の生活というような感じで、カフェもあまり高いカフェは別ですが
300円くらいのカフェだったら誰にでも開かれていて気軽に入れると
言えるのではないかと思います。


Q カフェと喫茶店の違いとは?

 A しいていうなら喫茶店はアルコールを出さず、コーヒーがメイン、
カフェはアルコールもありというのかもしれません。定義できる程の明確な差はなくて、
年代の問題なのでは?70年代くらいに建てられたのが喫茶店、2000年代ごろに
つくらたのがカフェという、、、(でも喫茶店を模倣してつくった新しい店も
ありますね)あとは喫茶店はご飯は軽食だけというところが多いかもしれませんね。


 などなど、なんだかちょっと懐かしくて あーもっと深めないとなという
質問が一杯でした。日本とフランスのカフェの違い、小宇宙的喫茶店、
街路を向いている席があること、横並びに座る、またはカウンターで
横並びになることの会話のしやすさ、気楽な出会いのあるカフェをつくるには?
スターバックスはいいものなのか?(素晴らしい!と私は思います。
だってスタバが人の流れを作り、素敵な街路樹を眺めていられるテラスを
沢山の人たちに安い値段で提供してくれるようになったのだから。これがあることで
どれだけの人たちが嬉しそうな顔をしていることか、と賑わいのある街の
スタバを見る度に思います)


 大学院のころはこうして沢山質問を受け カフェ研究会を開いたりして
友達と考察を深めていたんだなあ。大阪と京都で開催していた3人だけの
カフェ研究会は11回程開催されて、カフェを巡ってはいろんなことを
考察していて面白かった。あんなことがまたやりたいなあ。
一人では答えのなかなかでないこと も 誰かといるとすぐに
出て来たりするものだから。それにああしてカフェを誰かと一緒に
巡れたというのは大きな財産だったと思う。


 さて、この講座には自分とカフェの関わりの年表を
つくるという時間もあって 今までは「カフェの研究をはじめた
きっかけは?」と聞かれることはあっても「カフェとの出会いは?」
と聞かれたことはなかった。はて、それっていつ どこにさかのぼる?
小さい頃美術館のカフェに行ったこと?美術館は嫌いだったけど
ケーキだけが楽しみだったこと?私はよくカフェに行ったのだろうか
いつか二子玉川のフーケッツという素敵なカフェで、ナイフや
フォークのカチャカチャいう音を聞きながら 私はカフェなんて
嫌いだと思ったことがある。その時はまさか自分がこんな風に
なるなんて想像もしていなかった。小さいころの私は
美術館も石庭もカフェも嫌いだと思ってた。
でも結局 小さい頃に触れたものは 強く残るものなのかなあ?


 これを主催した森さんが書いてくれたブログを読んでいて
うーん私はどうだったかなともう少し深めてみたら
ああそうだ 質問されたときは忘れていたけど
私には雑貨屋さんが重要だったのだ!と思い出す。
森さんが小学生の時からカフェに通っていたおませな子なら
私には雑貨屋さんがあったのだ。多分それは似ている気がする。
一人で行っても決してガラスの食器を割らないように
私は十分気をつけていた。大丈夫だよ、そんなことくらいできるから!と
いつだったかお店の手伝いを少しさせてもらったのが
本当に嬉しかったのを覚えてる。
そこはフランス雑貨が売られてたお店で
私はお店のお姉さんが大好きだった。そんな店 で 私は育った。


 中学に入ってからは自由が丘をめぐり続けた
寄り道をしないで家に帰ったのは金八先生の再放送を見たときだけで
それ意外はいつも7時頃に家に着いていた。それは家が好きじゃ
なかったから?そう おそらくそうなのだろう。
じゃあセカンドプレイスは?私は馴染めなかったのかなあ?

 
 ファーストプレイスにもセカンドプレイスにもいつも
馴染めないでいた 私は結局サードプレイスで育ったらしい。
雑貨屋さん、東急の百貨店、安い値段でみれる映画、
自由が丘からはじまった東京の街歩き それにボランティアが
加わった。保育園でのボランティア、九品仏生活実習所での
ボランティア、中学のおわりには森の学校というのに出会った。
そこで中高生と一緒に山を歩いて沢山のことを教わった。
あれは楽しかったなあ!高校のときも山を歩いた
そして散々東京の街を歩いた。今日はどこに行こう?と
暇をつぶしに一駅ごとに下車していった。


 そんな私をようやく認めてくれたのは エコリーグだったのだろうか
高校でなんとか活動していたけれども環境活動は疎まれていた。
でもそんな私に大学生たちが目をつけて面白がってくれたから
そういえば京都会議にも行ったなあ その頃東大の文化祭の
手伝いもして 東大やら京大に憧れた。京都会議の時は
吉田寮に泊めてもらった。そこでいろんな出会いがあった。
なんだかとても懐かしい。



 こうやって探って行くと インフォーマルパブリックライフ
サードプレイス育ちの私は 長いことファーストプレイスにも
セカンドプレイスにも馴染めなかったらしいけど
そんな私をサードプレイスは救ってくれた。だから
こうしてカフェのことやら街のことを研究して
カフェでものを書いたりするのもきっと自然な成り行きなのだろう。
だって私を救ってくれたのは 雑貨屋さんや街やカフェだったから。
そこにはゆるい出会いがあった。それでもいい、それでもいいよと
誰かが認めてくれたのだろう。それは京都の喫茶店?
「どうせ誰もいないから使っていいよ」と長居させてくれた
喫茶ゴゴのマスター。馴染めなかった大学院で論文を提出し終わった時
かけつけていったゴゴのカウンターでマスターはお酒を出してくれた。
子供が産まれて密室育児とあまりの猛暑に気がおかしくなりそうだった私に
しぼりたてのオレンジジュースをごちそうしれくれたゴゴのお姉さん。
沢山の辛いことがあったけど「みきちゃん あなたはねえ
今は取材をしてるところなのよ」と言ってくれたお姉さん。


 街やサードプレイスは懐が深い。


 他の場所では馴染めなくっても 街に出たら 一カ所くらい
自分を認めて居させてくれる そんな場所があるかもしれない。
カフェは誰かの居場所になって 人を成長させてくれる場所
気づいてはいなかったけど そんな体験を自分もしていた
そっか 私 サードプレイスで生きてきたんだ。
都市はそれでも懐が深い。懐の深い街には 沢山の人たちが
何かを求めてやってくる。



 森さんのブログはこちら

あたたかいカフェでの出会い

2012年05月01日 | サードプレイスとしてのカフェ


 クルミド という そのカフェは
西国分寺という場所にあり 大抵の人が
その話をしてみたときに「行ってみたーい
でも西国分寺?」という反応をする。


 西国分寺?私も足を踏み入れたことはなかった
西国分寺?そこには何かあるのだろか
働き始めてからうろうろしてみたりもしたけれど
驚くほどに駅前には何もない。


 そんな西国分寺にあるカフェは

 何故だか不思議な出会いが起こる。
なんで?どうして?ここがせめて飯田橋ならわかるけど?
ここ 西国分寺なんだけど、、、


 先日影山さんとお話したとき
影山さんは活気のないような場所で何かをやっても
だめなんじゃないかというようなことをおっしゃってたので
私は最近読んだジェーンジェイコブズの本を持ち出して
彼女によれば いい場所さえあれば人は集まってくるものであり
「アメリカ人はみんな夜はテレビを見ているから
夜のお店を出してもうまくいかない」というのは嘘なのだと言ってみた。


 影山さんはその時「そうかね」みたいな表情をしていたけれど
まさにクルミドこそがそれを表してるんじゃないのかな?


 私はクルミドに週2-3回くらい、時にはもっと少ない時間しか
いなかったにも関わらず 働いているときやその後で
ばったりと誰かと目が合うことがある。
明らかにその人は驚いていて文字通り目を丸くする。
私も「え?」という顔になる。
はて この人は、、、 頭の中で検索がかかる。


 あれ? この間会った人? つい最近?

「え?こんにちは! っていうかどうしてここに??」
私の頭の中はよくわからない。相手もちょっと「は?」という
顔をしていることがある。そんなことがもう3回以上もあった。

 「働いてらしたんですか?」と言われることも
こちらが「どうしてここに?」ということも
「いやあ僕のお気に入りのカフェでねえ」とか
「話に聞いててきてみたくって」とか
そんな受け答えがあるのだけれど


 ここ、、、西国分寺だよ? と私は思う
新宿から40分。みんながみんな中央線沿線に住んでいるわけでも
ないのだろうに どうしてここではこんなに出会いがあるのだろう。

 そんな出会いはたいてい私のシフトが終わって
帰らないととは思ってるものの ちょっとお腹が減ったなあとか
なんとなくすぐに帰りたくないなあと思って中2階らへんに行くと起こる。


 昨日は先日本郷のカフェの話をしていた人が客席に座っていて
本当に驚いた。他の人とも話をする用があったので、まずその人の
ところに行ってから本郷のカフェの人に声をかけ
席が空いているようなので私も腰掛けさせてもらって
いろんな話で盛り上がる。すると あれ そういえば
先日話に出て来た本に詳しい男の子は目の前に座っているではないか!
そうそう あなたと話がしたかったのよ、とちょっと声をかけ
2人を紹介し、本棚の前で立ち話して3人で盛り上がる、、、


 パリにシェイクスピア&カンパニー書店っていうのがあって、、、
そこは昔アドリエンヌ・モニエとシルビアビーチっていう女性が集って
パリの文学界の人たちが本が読みたくてやってきた。
カフェのような いやもしかしたらカフェよりももっとすごい
役割を果たしたかもしれない書店が存在していた。


 そんなの 本郷にあったらいいんじゃない??
たとえばこんな本があって、、、そしたら私もアマゾンで
4000円する外国の本を買わないでも読めるかしら、、、とか
立ち話でかなり盛り上がり そんな時間と空間が
なんだかここは パリみたい と思わせてくれるのだった。


 パリにはよく立ち話 というのがあった
ワインを片手に ちょっと料理もつまみながら
誰かと話して盛り上がる。座るわけじゃないから
自分たちの気が向いたら他のところに行って他の人と話せばいい。
片手にはワインが合って話していてものどが乾いてくるしくなるということはない
ワイン片手に そう片手に 何かをする時は いつも立ち話だったような、、、


 クルミドで立ち話をするお客さんなんてあんまり見たことがなかったけれど
本棚の下の一角での立ち話はなんだかとても気持ちがよかった。


 このカフェでは なんだか不思議な出会いが起こる
ちょうどあなたに会いたいと思ってたんですよ、、、
というような人が西国分寺までやってくる。
そして偶然の出会いがあって そこから何かが生まれてく。
西国分寺がパリになる日 と 影山さんは言っていた。
私はちょっとそんなこと、、、と思ったりもしてはいたけど
なんだか昨日はこれ パリよりすごいんじゃない?と思えてしまった
わざわざ人がやってくる。何を求めて?何かを求めて、、、
きっとみんな 何かがアンテナにひっかかるのだろう。
ここにいけば何かがあるかな?
面白い出会いがあるかな?

 何かがあるかもしれません。

 クルミドはとてもあたたかい。

Comme vous voulez, あなたのお好きなようにどうぞ。
パソコンを持ち込む人もいる。マンガを読んでる人もいる。
商談をしている人もいる。語学のレッスンをしている人もいるし
恋人と過ごしにくる人もいる。原稿をチェックする人
ここで取材を受ける人、、、子どもと一緒にやってくる人
妊婦さん、近所のママたち、子どもの卒業式にやってくる人
なんとなく私みたいに その場に居たくてやってくる人、、、


 クルミドはとてもあたたかい。

 よかったら 一度いらしてみてくださいね。



サードプレイスでの革命

2012年03月10日 | サードプレイスとしてのカフェ


 「今日はお店がいっぱいだから、フランス語は
お店の上でやりましょう」と案内された場所 は
マージュ西国分寺というシェアハウスのコモンスペース。
そこには大きなテーブルがあり クラシックなんかもかかってて
カフェでできないのは残念だけど それはそれで悪くないかと
静かな環境でフランス語教室を開催してた。へーこんなとこなんだ。
けっこういいとこだったなあ これからはこっちでやるのもいいかもな


 そう思いながら帰り際にiPadでフランスの童話を読むと
'mage'という単語が載っていた。そういえばマージュってどういう
意味だろう?と単語のところを触ってみると
魔法使いとか キリスト誕生の時に東方からやってきた
3人の博士のこととか書いてある。へーそうなんだ、
なんだかそれは意味深い。ああ だから あの空間は 
魔法のようなことが起こるんだ。


 不思議なことに クルミドコーヒーという名前のカフェで
私が時を過ごしていると なんだか魔法のような
偶然のような でも偶然にしたらどうもできすぎているような
それでいて何気ない顔してやってくる
そんな出会いがたいてい起こる。それは私がそのカフェで
働いたあと ちょっとどうしても去りがたくって
もう少しだけ居たいと思って席に着いたときにたいてい起こる。
もういいか 帰ろうか、、、やっぱり早く帰らなきゃ。


 どうして出会いというのはそんな時にばかり起こるのものなのだろう?
そういえばウィーンのカフェでもそうだった。有名なツェントラルという
カフェの中で どうしてここにはいろんな人たちが集ったんだろう?
カフェには特に何もないというのに?と考えていた。私には
それが不思議で仕方なかった。そのカフェは宮殿みたいな建物で
天井も高くて内装は素敵なのだけど なんだかガランとしているような
私には結局わからない カフェにきても手持ち無沙汰だ、、、と
思っていた まさにその時、目の前にあったグランドピアノに
座ったおじさんが生演奏を始めてくれた。




 こ これは、、、 立ち去りがたい。


 まあいいか 急ぐ理由もないことだし と 座っていたら
なんだか絵でも描こうかという気分になって 彼の絵を描いてたら
何曲か弾いたあと、おじさんは私のところにやってきて 「これは私のことか?」
と聞いてくる。そうだ、とうなづいてみると彼は「じゃあ日本の曲を
弾いてあげよう、、、」と私の知らない日本の曲を弾いてくれた。
言葉はわからなかったけど 私は絵を描き 彼はピアノで
心から交流できた気がして 本当に嬉しかったのを覚えてる。


 ああ だから こんな出会いが次々あるから 

 もう立ち去ろう。 そう思ったまさにその時

 ドアがキィっと開いて誰かが入って あらあの人だ!という出会いがあって
そんな出会いが次々あるから だから立ち去れなかったんだ。


 だからカフェに集った彼らはあんなに長いことカフェにいたわけだ。




 誰だって 1日ずっとカフェにいようと思っていたわけじゃないだろう
だけどそこには魅力があった。カフェはベルトコンベアーのように
自分は同じ場所にいるだけで 他の人々がやってくる。
だからカフェは立ち去りがたい 家とは全然違う魅力があるのがカフェなんだ。


 そしてなんだかクルミド という 場所はそんな魅力を持っている。
それは私が中に入って知り合いが増えたからかもしれないけれど
今日は本当においしいイチゴの焼きたてケーキを堪能した後
帰ろうと思っていたら影山さんが地下に居て ちょっと話しかけたら
いろんな話題で盛り上がり とても嬉しくなってしまった。
影山さんは私の次の本に関していろいろと構想を練ってノートに
書いてくれてたらしく そんな人がいるものなのか、、、!と
思っただけでとても嬉しい。


 そう それで話していたのだけれど


 サードプレイスという場所は きっともっと可能性を秘めている。
それはカフェもそうかもしれない それはオルデンバーグの本に
書かれているようなことも 書かれてないこともきっとある。
きっと そう カフェや力をもったサードプレイスという場所は
いつの時代も革命的な場所なんだ。そこでは人間の本来の力が
発揮でき そこにいる人たちがどんどんとクリエィティブになっていく
そんな魔法のハコが カフェであり サードプレイスなのだろう。
(カフェに入る前と後では4倍頭が良くなっていると
モンテスキューは言っていた)


 オルデンバーグは書いていた。


「日常生活においては本物の歌手でもダンサーでも詩人でも雄弁家でも
心理学者でもコメディアンでも賢人でも印象派でも、賭博のやり手でも
大根役者でも英雄でもない人たちでも、サードプレイスに行けばきっと
そうなることができるのだ。そこではステージが開かれていて、どんなに
演技がまずくても、観た人たちはそれをほめてくれるのだ。
アマチュアたちにとってこれ以上励みとなることがあるだろうか?」
(Ray Oldenburg 'The Great Good Place' p.59)


 なぜ 他の場所ではふたをしないといけないようなことが
サードプレイスでは言えるのだろう?なぜ他の場所ではできないことが
サードプレイスではできるのだろう? それは誰かがそんな誰かのあり方を
「それでもいい」と許したからなのだろか。息子が私に言ってくれた。
「お母さんちょっとおかしいかな?」「おかしくってもいい!」
そうやって肯定されれば それで一緒に笑えれば そっか まいっか
どうせバカだし いやむしろ相田みつをのように「人間だもの」と思えさえする。


 私は今日お風呂に入ろうと思って服を脱いでお風呂場の扉を開けたら
お湯が全く張られていなくて驚いた。何てバカな!と思ったけれど
フランス語で息子にC'est pas grave, C'est la vie...
(たいしたことじゃないよ そんなこともある(それが人生さ))
と思わず言ってみたら まあいっか それくらい と思えてしまった。
そう 別にたいしたことじゃない、、、

 フランスはそういうのがゆるかった。日本では許されないようなことも
山ほどc'est pas grave...といって許されきた。人間だもの そういう時も
あるんじゃない?人間だもの そういう空間の方が気持ちいいんじゃない?


 オルデンバーグによれば、平均的な人々が演じている、外の世界での
社会的役割の体系は、人間の活気ある表現欲求を満たしきれないし、
人は自分のイメージを意識して、クールであろうとするものらしい。
普通の人は、スーパーで歯の間にバラをはさんでダンスをしようとはしないし、
映画館で列をなして待っている間に好きなバラードを歌ったりもしない。
じゃあどこでそういうことをするかって? ふつうの人はそんなことをしようとすら思わない。
平均的な人はシャワーをしながら歌ったり、朝ご飯をたべながら小さな声で
配偶者に話をすればそれでこと足りてしまうのだとか。
(The Great Good Place, p.59)
でも本当に?そこに彼は疑問を投げかけた。
本当に?それでいいの?


 日本では自分の中に他人の目がしっかりと内在されている。
「そんなんしたらお隣さんに嗤われるえ」「ありえへん」
京都のカフェで私が耳にし続けたのはそういったたぐいの断罪だった。
だからしっかりと枠からはみでることのないように
「恥ずかしくない」人間がつくられていく。それはあまりに
意識されずに行われる教育だから どれくらい強い社会規範が
自分の中身を統制してるか そんなことには自分ではもう気づきもしない。
本来の自分というのがどこかで少し叫んでいても
内在された「他人の目」はどこまでも自分をおいかける。
外国にいってちょっと解放された気分になった日本人女性を後から
責め立てるのは 他の誰でもない まさに自分の中に内在された
「他人の目」で だから私たちはわけもわからず時折涙を流してしまう。
どうしてなのかはわからないけど 「許されない」と思うから 
外国や遠くに行っても自責の念に責め立てられてしまうのだろう。


 だけどそれが許されたなら?

 いいじゃん別に! 人間だもの そんなことあるよ
やってみたらけっこう楽しいもんだよね 
本当は私だってできることならしたかった って
誰かが認めてくれたなら?私は今日なんだか嬉しい気分になって思った
本当は私も踊りたいし 歌いたい 嬉しいときは嬉しいダンスをしたいと思う
(でも一人じゃ恥ずかしくてできないので蓮太郎を誘うけど)
アホなことをするのも本当は楽しい。身体を思いっきり動かすのも
叫ぶのもきっと楽しい 本当はそんな自分がいたはずなのに
子供のころの自分 きっと息子のようにのびのびしてた自分は
どこかに消えてしまってた。だけどそんな力を発揮したなら?


 少なくとも 例え上手に笑えなくても
笑顔の方がまわりは嬉しい。へーあの人 こんな風に笑うんだ、、、
そんな顔するんだ、って いい顔して笑ってくれたら
まわりはもっと嬉しくなる。いいよ 本当はいいんだよ
意見を言っても 踊っても 歌っても 自分の気持に素直になっても
もう少し自分を出していいんだよ きっとそしたら 勝手に
人がつながっていって 勝手になにかがうまくいく、、、


 サードプレイスがそんな拠点だったなら いやきっと
昔のモンパルナスはそんな場だった。ロトンドに行って
人生が変わってしまった人たちは きっと何かを「見た」のだろう
自分が今まで属して来た息苦しい世界とは違った「何か」を
そんな人たちも「ありうる」ことを 想定外ではなく
現実に存在することを。そこで自分の中に革命の風が吹いたのだろう。


 そんなの も ありなんだ、、、


 たった一匹の猿が芋を洗いはじめたことで 100匹が変わることもある
誰かに起こった革命は まわりの人たちを変えていく
それは社会的圧力に対して自分がもっと 直感や欲求に従った結果だろう。

 それでもいい そんなのもあり 別にたいしたことじゃない、、、
例え他の人や規範とは違っても、、

 そこから何かが始まっていく

 サードプレイスやカフェというのは そんな場所になるのだろうか
なりうるだろう だってきっと 今までもそんな力が働いていた
そしてこれからもきっとそうなのだろう。

 時代にはその時代の思想を 思想にはその自由を。

思想の自由のためには?まずは自分がとらわれから解放されていくことか、、、


2冊目の本に向かって

2012年03月01日 | サードプレイスとしてのカフェ

 
 なんだか塩味の効いてないラーメンみたい。
それが自分のやろうとすること 書こうとすることに対して
ずっと抱いてきた感想で。きっと悪くはないと思う
きっと形にはなると思う。でもなにか 芯が足りない
芯がなければ本当はいけない。だからぐらぐら揺れている。


 じゃあその芯って何なのだろう?
それがあってこそなのじゃないのだろうか
まわりから攻めていったら芯が見つかるなんてこと も
あることはあるのだろうか あるかもしれない。そうして私はこうつぶやく

 「なかなかね すすまないんです、、、」


 「飯田さん、2冊目の本楽しみにしてますって 友達が言ってました!」
と大きな声で言われた時に 私はどうしようもない返答をしてしまう。
「子供がいるからあんまり時間もとれなくて」言いながらそれは嘘だと思った。
そんなのは嘘でしかない。本当はそうじゃなくって 私の問題
インスピレーション 降ってこないかな、、、 今日はぼんやり
そう考えていた。


 あんまりの大雪のため、電車が時間通りにこないだろうと予想して
秋頃から働かせてもらってるクルミドコーヒーにシフトの前から行ってみた。
こんな大雪!誰もいないかと思っていたら 予想通りでお店は閑古鳥が鳴いていた。
でもこのお店 ゆっくりできるときにこそ 力を発揮する店だから
そんな朝の時間を楽しもうと思っていたら アルバイトの男の子が
私の座っているカウンター席の近くで昼食をとりはじめてた。
そこで雑談。「なんかねえ 書けないんですよねえ、、、」
彼は確かこう言っていた。「僕なんかは気分のってきてよしやるぞ!って
決めた時にカフェに行こうと思いますけど パリなんかだと
気分がのるのをカフェで待ってる感じなんですかねえ」
「ああそうかもしれないね、、、そういえば京都のカフェに居たときは
そんな感じだったなあ、、、」

 それってとっても贅沢なこと。

 カフェで気分がのるのを待つ。

 カフェで何かを待ってみる。

 そういえば私はそんなことを自分の本に書いていたではないか



 そう カフェで待つ時間。

 そんな贅沢な時間というのが 京都に居た頃にはあった
パリでも来る日も来る日もカフェから外を眺めてた。
東京で そんなことはあまりなかった だけどクルミドは特別だ。


 私はそんなことしてる場合じゃないのをよく知ってても
特にシフトが終わった水曜の夜 美味しそうな匂いにつられて
ちょっとだけ!!急いで帰るから!そんな気持ちでスープを食べるのが大好きだ。
なんだかよく わからないけど この店には独特の魅力があって
そう ただ 本当は もっとその空間に居たいだけ。


 そこで私は何かが起きるのを待っている。


 そして不思議なことに この店では何かが起こる。
それはひょっこりと店に立ち寄ったアルバイトの子との偶然の出会いであったり
同じく書けないことで悩んでいる人との出会いであったり
息子さんがフランスで仕事をしている人との出会いであったり
クルミドの夕べに来た人との「あれ?あなた働いてたの?」という出会いであったり
なんとなく 期待していたような 何かがここでは働いて
だからなんだか守られている 魔法がちょっとかかってるような
そんな気持ちになってしまうから
なんだかんだと理由をつけて 私はちょっと残りたい

 そして私は待っている。

 「インスピレーションが降りて来たらいいんですけど、、」
とこれまた偶然出会った影山さんにこう言った。
今日は「どうやったら書けるのだろうか 書くとは
一体何なのか」とか そんな話ばかりしていて
結局何も書いてないけど でもなんだか実りもあった気がした。


 そうして家に帰ってきてから お風呂上がりにハッと気づいた。

 ついに来たか?

 私の中にはこんな言葉がやってきた。「近代を乗り越える、、、」
そうかつてレボキャンをもう一度しようとしたときに出たテーマ。
近代?なんか懐かしい 1つの道、1つだけの道 それは一体なんなのか
それと近代は関係あるのか なんだか関係がありそうで
私たちは違う方向に向かおうとしている気がする
そしてそのテーマの1つにサードプレイスや
インフォーマルパブリックライフがあるということだろう。


 そう考えて久々にノートに考えをメモしていったら
クルミドのみなさんと行った哲学カフェのテーマまで頭に出て来て
なんだかシンクロニシティみたい。そう あの日の朝、哲学カフェに行く前に
私はまさに あさま山荘事件と共産主義的な雰囲気だった日本について
熱く語った。すると哲学カフェのテーマは「正義と秩序」のなんたらで
あれはめちゃくちゃ難しかったけど かなり深かったようにも思う。
秩序のために権力者は力を行使することがある。
とくに共産主義はそうなっていく それは正義のための暴力という言い分になる。
それらは支配者の論理であって じゃあ もっと人々が自由に生きたなら?

 オルデンバーグは「共産主義や全体主義者の一番の敵は
人々の集会や人々が自由に語り合うことである」と言っていた。
そんな自由はアメリカでは普通にあるからどれほどの脅威なのか
実感しにくいものだけど 違う国へ行ったなら それがどれほど
統制されているのかよくわかり それこそが重要な印である
証拠なのだと述べていた。カフェはいつだって警察や権力と対峙してきた。
じゃあカフェで人々が自由になって もっとクリエイティブになったなら?
困るのは人々をコントロールしたい支配者だろう でも
それはカオスになるのだろうか?

 私の理解は追いつかなかったけど おそらくあの日の哲学カフェでは
けっこう深い議論がされてた。そして私がよくわからなかったことに対して
尋ねてみたら、皆の前でかっこよくと意見を述べてた移民系の青年はこう言っていた。
「ああ あれはね カオス理論のことだよ。国鉄の窓口にね 列で
きちんと並びなさいという印をつくっても全然うまくいかなかったのに
そういう列をなくしてちがうデザインで人々の自己組織化にまかせたら
うまくいったっていう話。」カオス理論か、、、 その時はよくわからなかったけど
あれって私に必要な話だったのかもしれない。


 ああバイリンガルだったなら!
ラジオもこんな議論もその場で全部理解できたら めちゃくちゃ面白いのにな
ものすごいリアルタイムで いろんなことを理解して伝えられるのにと思うけど
その前にするべきことは 私の中の塩味をきちんと効かせることなのだろう

 もっと違う社会のありかた もっと違う生き方
1つだけではない世界が ありうるかもしれないことを
私はもっと深い観点から追求してってカフェを通じてそれを提示するのだろう
もっと人々が持って生まれたものを 押さえ込んで生きるのではなく
活き活きと開花させたら?どんな社会になるのだろう


 少しずつどこかに近づいて来た 
インスピレーションを得るためには とにかく考え続けることだ
そのためにはノートをしっかり使うこと 明日雪が降ってなければ
広尾の図書館で頑張ってみよう。

創造行為

2011年02月01日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今日は蓮太郎が保育園に行くはずが、
朝から大量に下痢をして うえっ ノロウィルス再来か?
と恐ろしくなり保育園に電話をしたら病院に行ってください
とのことで 結局保育園は中止になった。

 朝はバタバタしたけれど お医者さんで薬をもらうと
だんだんと自分の想いも噴出しはじめ
くそー今日こそは本を書く予定だったのにとか
昨日から楽しみにしてたのにとか
だいたいなんでこんなところで誰もいない公園に
いつも二人ぼっちなんだとか
「幼稚園ママ」なんて向いてないのに
そのカテゴリーに当てはめられてる そんな自分の状況が
嫌で仕方なくなって 蓮太郎は悪くないのに
だんだんイライラしはじめてった。

 午後はそんな調子だったから 蓮太郎も
「ママ 怒ってるの?」と何度か聞いて
「怒ってないよ 蓮太郎は悪くないよ」とは言ってみるものの
うっぷんはたまるばかり。それで夕方旦那に
「今日も一日蓮太郎にかかりきりで
しんどいから映画に行きたい!!」と訴えてみたら
意外とそれが受け入れられて 夕飯を食べた後
一人で映画に行くことにした。(今日は1日 映画の日)


 まーその後のコントラストといったらなんの!
私は知的刺激がないと本当にだめらしく
頭の中が渦まいていて 沢山の刺激と刺激が
ぶつかりあって 何が生まれるかわからない!っていう
いっぱいいっぱいな状況こそがけっこう楽しい人らしく
誰もいない公園でのんびりと砂場遊びが続く毎日に
喜びを感じられるタイプではどうもないらしい
(でもあんまりそんな人みたことないけど、、)


 さて今日観たのは飛行機で観てもう一度
ちゃんと味わいたかった『ソーシャルネットワーキング』という
映画で これはたまたまフランス語以前観たのだけれど
あまりに早口でしかも訴訟の現場もたくさんあって
何がなんだかわからなかった。でも何かものすごく
創造に関するヒントが沢山隠されている気がしてならなくて
それでお金を払ってまでもみたいと思って観に行った。


 いやー 2回観ましたが


 圧倒されてしまいます アメリカ文化というか
日本とまったく違う文化に そこで創造がどんどん起きて
たくさんのことが同時多発的に起こっていく
こんなにも活き活きしていて躍動的で
ダイナミックな変化が起こる しかもその舞台は
21世紀のハーバードやカルフォルニアで
それなりの伝統もしっかり残っている場所の中
パソコンを使いはちゃめちゃな発想をして
たくさんのものが生まれてく なんだか
これは 日本とは全くもって違う文化で
でも確実に他の国に存在していて

 こんな場が facebookがリアルになったような
そんな場所が 日本にあったら 絶対面白いだろうなと
最近よく思ったりする。


 先日パリに行った際 友人が「今のアメリカはすごいよ
最近の偉大な発明はみんなアメリカから生まれてるじゃないか
グーグルもfacebookもそうだろう?」と言っていた。
彼によれば発明と欲望というのは切っても切り離せないんだそうな。


 今回の映画を観てても 彼女に復讐してやりたいだとか
好きだった人を奪いたいとか そんな理由で頑張って
何かをつくりあげていくことがある。その友人によれば
男性がパーティを開催するとうまくいくけど
往々にして女性がパーティを主催すると失敗すると
言っていた。それは男は男の欲望というのを理解してるから
なんだって。私は女だからあまりよくわからないのだけれど
この映画をみてて やっぱり欲望って創造行為に
とても大切なんじゃないかなと思わされる。


 フランスに行って考えたけど アートというのも
高尚なものに思われがちだけど 本当はそれを創る人は
すごい沢山の欲求や欲望があり もっと人間的で
どろどろしてたり渦巻いているものがあり
それを表に出した時 に アートが生まれるんじゃないかなあ
鑑賞や研究をする人というのは往々にしてお金持ちで
冷静そうな顔して眺めるものだけど 創られた方の
アートというのは もっともっと混沌とした世界から
生まれてくるような そんな気がする


 そう 映画を観終わった私みたいに
頭の中が渦巻いていて それをどこかに
表現しないではいられないような
そうして文字を叩いているような


 映画の主人公のマークのように
友人に話しかけられインスピレーションを得た直後
階段も早足で上ってしまって 急いで
扉をあけて パソコンを開き
「そうだ!これだ!」と何かをつくっていくような


 そんな技術とインスピレーション、それに長いこと
考えている 何事か があったなら
それを形にできたとき に 人は創造したというのだろう。
アーティストという人は 芸術家だと思っていたけど
アートというのは「技術」でもあり
頭の中に渦巻いていてた 何かを形におとせる人なんだ。


 アーティスト って かっこいいなあ
創造するってかっこいいなあ 映画の中で
ハーバードの学長はこう言っていた。
「発明は何よりも大事なことだ。アイデアを
盗まれたのなら違うプロジェクトを発明すればいいではないか」
そう アイデアは浮遊している 沢山の場所に
ころがっている それを誰が形にするのか
それを誰が もっと優れた形にするのか
それができた人というのは のちに賞賛されるらしい
facebookはエジプトやチュニジアの革命にも
かなり影響を与えたらしいし 本当に人々を
病みつきにさせてしまったわけであり
それを創った彼は本当にすごいと思う。


 私も少しでも創造行為ができるなら
それについて考えることができるなら
私ももう少しがんばろう。明日こそは保育園。
2冊目の本に向けてちゃんと頭を働かそう。

サードプレイスコレクションから一年

2011年01月24日 | サードプレイスとしてのカフェ


 昨日は昨年六本木で開催された「サードプレイスコレクション
というイベントからはや一年が経ったらしくて
その時の画像をまとめた映像が送られてきて
みているとなんだかとっても感慨深い。

 そっかー あれから一年 経ったんだ。


 私にとっては昨年の後半6月以降は
何がなんだかよくわからない怒濤の半年になっていて
今朝蓮太郎とマイケルジャクソンを聞いたりしてたら
ああそういえば あの時私はとてもマイケルにはまってて
やたらと"Man in the mirror"がお気に入りになっていたから
サードプレイスコレクションの時ですら、私の
発表の時にはこの曲を流してもらっていたんだな。


 よくよく歌詞をきいてみる と
私はこのChange!!という感じが好きだっただけの
つもりだけれど 世界を変えたいと思ってるのなら
まずは鏡に映っている自分自身から変えることさと
言っている。そうそして 気がつけば
私の人生はなんだかぐわんと変わってしまって
それも私が無意識で強く望んでたからなのかしら と
なんだか感慨深かった。


 あのときは 私の人生にキラキラ感も
パーティみたいなものも 華やかさも
東京の街も存在だってしていなくって
自分のノートに「そういうのに触れたい!!映画とか」と
書いてある。本当に遠い存在だった
架空のように見えた世界は
何故だか今は 現実のものとして存在していて
それが本当に不思議だなあ


 子供を産んだばっかりのとき
東京の街があまりに遠くて 実家にお見舞いに来てくれた
友人たちから「丸の内」とか「表参道」という
言葉を聞くだけで幸せだった。いいなあ いつか
いけたらなあ と 心の底から強く望んだ。
渋谷にだって行けなかったから 友人に
お願いしてDEAN and DEULCAのバッグを買って来て
もらったりした。それくらい遠かったのに


 いつしか私は 子供がいるのに

 前よりもっと 東京に行くようになってしまった

 神保町にも 代官山にも 渋谷や表参道だって?
なんだかとっても不思議な気分で それもあのとき
強く望んだからなのだろうか


 パリも映画の世界みたいに キラキラしていて
アッハッハと笑っていられる そんな世界も
あまりに遠くて喉から手が出るほどにうらやましかったけど
なんだかんだで体験できて その世界も
かつて「本当にパリなんてあるんだろうか」と思ったほどには
遠かった訳でもないようで なんだかとっても不思議だなあ


 サードプレイスコレクションも 同志社の上田先生の
Party for the futureも とってもなんだかキラキラしてて
今になったらわかるけど あれは外国の雰囲気なんだ。
日本にはなかなかないけど 日本の外に存在している
楽しくって クリエイティブで たくさんの人と
語り合える そんな素敵な社交の場としてのサードプレイス
そんな場 が 外にはあって それを知っている人たちが
「じゃあ日本でも」と年に一回 もしくは一度きりかもしれないけれど
やってみようとしてみた場 で それらは本当に異なっていた。


 私もいつか あんな場を 恒常的にキラキラしている
沢山の人がいきいきと語り合える そんなカフェのような空間を
いつか日本につくるのだろうか それが東京にあったなら
とても素敵だと思うけど 今はまだ 私は吸収していたいし
それらを書いていたいと思う だけどいつか
そんな機会が訪れたなら 沢山の人が私に尋ねた
「またいつかカフェをやるんですか?」という
そんなカフェ が そこにしかないサードプレイスができたなら
私は幸せ なのかなあ? 今はまだわからないけど
何かに強く憧れること で 何かが起こることもある
だからその夢も いつかに備えて保っておこう。

洛西のサードプレイス

2010年12月15日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今日は朝の10時から18時前まで一日中
蓮太郎と出ずっぱりで どこに行っていたかというと
電車にもバスにも乗らずに 近所でいろいろ
まわってて 朝は近所の幼稚園で
おもちつきがあるらしい!という噂をきいて
それは行きたい(みんな親が食べたい)と
私も思い、友達を誘って行くことにした。


 行ってみるとなかなかのびのびした雰囲気の
幼稚園で 日本の幼稚園に対するイメージは
あまりいいものではなかったけれど
そういえばこんな空間に足を踏み入れたのは
25年振りくらいなわけで いろんなところが
あるんだなあ。フランスと教育の比較したいなと
思っていたけど こうやって今のうちに
幼稚園をまわってみるのも面白そうだ。


 さてそこではもう100人以上が集まっていて
わーわーした雰囲気の中 久しぶりに餅つきをみて
ああそうか 人が集まるって そうただそれだけで
楽しい気持になるんだなあ 今や餅は
たいていの人は餅つき機でつくらしいけど
こういう雰囲気を共有すること
餅どうこうというだけよりも
みんなでやってる みんながそこにいる
ただそれだけの 一体感を共有すること
それが楽しかったんだろうなあ と
なんだか思わされてしまう。


 そこでおいしいお餅をいただいた後
今日は第何回目だか いつからはじめたか
主催者もうろおぼえの「洛西ほっこりカフェ」があり
今日は何をするのかなー?と思っていたら
和室に着くなり 主催者のおばさんが
「今日はケーキをつくるわよー
それからポインセチアと飾りもあるし
ちょっとデコレーションしてみたら?」ということで
よしきた!となんだかかつてカフェをやってたことを
思い出し えーと配置はこうで
じゃあここに布をひいて、ポインセチアの下には
緑の色があるといいから えい じゃあこの
袋をやぶってつかってしまえ!と
即興で場を創ってく。


 あるものでイマジネーションを働かせ
それをつかってカフェ的空間をつくること
それって楽しいんだよなー。


 そうしてなんだかいつもと違った
素敵なクリスマスっぽい空間がそこに出現し
「はいじゃあケーキやってね」ということで
おばさんが用意してくれたスポンジに
クリームを塗り いちごを配置して
ちょうどよく支度ができたころ
同じ餅つきに参加していたママ達3人がやってきた。



 いままでここは 「おじいちゃんから子供まで」と
いっていたけど 宣伝はしてみるものの
子供もママもあまり来てはくれなくて
基本的にはおばあちゃんたちが大勢だった。
でも今日は餅つきがあったからか
ランチを隣のカフェで食べ それから
「ほっこりカフェ」に参加しようという流れで
3人きてくれて 子供をいれると6人になり
今日は全員あわせて15人くらいいたのかな?
なんだか素敵な空間だった。


 せっかくだからとクリスマスケーキを
食べ、紅茶を飲みつつ
自己紹介をしてみると へーそうかーと
まだまだ知らないことが沢山あって
なんだかちょっと 親密になれた
そんな気がしてうれしくなった。


 そうやって ケーキを食べたり 
お茶を飲んだり プレゼントをもらってみたり
出会った人と話したり お茶をいれたり
中学生と一緒にババ抜きしたり
ママと一緒に話してみたり
どうやったらクリームがうまく塗れるか
隣の人と見比べあったり


 そうやってわいわい話をしていると


 なんだか地域の家族みたいだ。


 そして思った


 ああついに サードプレイスが1つ誕生したのかも。


 根付くまで に 半年くらいかかったけれど


 これがあるからできた関係性があるわけで

 この人はどんな人なのか
ただカフェに通ってるだけではわからない一面や
同じ時を共有し 「あの人来るかな?」と
思い合ってる そうして一緒に遊びをしながら
だんだんとつながりがしっかりしてきて
地域の居場所になってくる。



 こんな場 って なかったよなあ

 こんな場 って なかなかないよね?

 赤ちゃんからおじいちゃんまで
若いママも中学生も 4歳の男の子も
一緒になって わいわいやってる
かつては地域社会の中に ちゃんとこんな場があったろう
だけど今ではすっかりそれは薄れてて
なかなかないんじゃないのかな
これをコミュニティというのだろうか
これを地域社会というのだろうか
しいていうなら ゆるやかなコミュニティ なんだろか
別に何の縛りもないわけだから
来たっていいし 来なくてもいい
帰りたかったら帰っていいし
とてもカフェ的な そんな空間なんだなあ
(でも和室だから地域の茶の間みたいなかんじ)


 なんだか今日はとても素敵な光景で
みんな思い思いに楽しんでいた
そういう場 が 少しずつだけど
この洛西にも増えている
誰かと出会い 想いを話し
少し気が楽になって ちょっと前向きになれる場所
ちょっと人とつながれて
人のぬくもりを少しだけでも感じられる場所

 そんな場所って 大切だ。
大人も子供も一緒になって遊べる空間
路地のような そんな空間
もっと沢山 日本に復活してほしい。

浜名湖ユースのカフェ ルナティック

2010年12月13日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今日は蓮太郎が夕飯前に起きて泣き出して
30分以上ずっと泣いて泣き止まなくて
どうしてこんなに泣いてるんだろう
悲しいのかな? もしかして私のせいかもなと
いろんなことを勝手に解釈してみたりして
そしたら私もどうすればいいのかわからなくなり
何だかツゥっと涙がこぼれた。


 もう長いこと 私は泣きたかったのかもしれない。


 たくさん たくさん 泣いたあとには何かがわかる
大切なことが待っている だけど今はまだ
それが何だかわからない


 そしてなんだか 浜名湖ユースのカフェのことに
興味をもって かつて書いた日記をちょっと
読み出した。この日記はmixiをはじめたころの
日記で ブログとしてこうして書いてる
この書く というのももう6年目。
その1年目に書いてたものが プリントされて残ってて
ああ ユースにいたとき 豊かな暮らしをしてたなあ
ああ こんなにも夢を描いていたんだなあ と
思い出す。そしてそこには書いてある
「私はカフェをやるために生きてきたのかもしれない」と。


 カフェには沢山の出会いがあった。
ユースホステルのお客さん 新居という町の人たち
浜松から来てくれた人 そして旦那の家族もみんな
やってきては応援してくれ 本当に多くの人たちと
日々交われてる そんな時期だった
あの時はあれが普通だったけど
本当に今にして思えば よく京都でもない
浜名湖というあの場所に あれだけの多くの人が
集まったなあと 本当にすごいことだったんだと
それだけは よくわかる。


 「あなたがやってたユースとカフェっていうのはね
1つのはっきりとした主張でしたよ」と慶応の
熊倉先生は言っていた。今「三田の家」で有名な
この先生は たぶん3回くらいは来てくれて
その「主張」を面白いと思ってくれてた
私はもう ほとんど忘れかけていたけど
あの場所は 一つの大事な場所だった
あの場所では 輝いていた 私もカフェも
あのホール も そこにいたお客さんたちの顔だって


 あそこでは お客さんが来る度に 
芸術談義をくりひろげたり 深い話をしたりしていて
いつだって 一人に対して2時間くらいは語り合ってて
それも私が話すんじゃなく お客さんに質問をして
彼らの話をきいていた。私は店主だったから。
「カフェルナッティックはね 飯田さんのカフェの
物語の序章だと思うんです 適性検査というか、、、」
「美樹さんのそんな顔みてるとね 自分の仕事
これでいいのかなって思いますよ」と
言ってくれたお客さん。年賀状に1年の一番心に残った
思い出はあのカフェですと書いてくれたお客さん
あのカフェはそこに来た人たちのまさにサードプレイスで
かけがえのない そこにしかない居場所であって
滋賀からも 東京からも 埼玉からも来てくれていた
みんなが大事にしてくれていた
誰かと出会えるかもしれない
少なくとも開いてれば 私がカウンターにたっていて
おいしいコーヒーが保証されてて
たぶん楽しい出会いが待ってる
そんな場所 だったんだ。


 どうしてやめてしまったのかって?
他にも可能性があるんじゃないかと思ったからで
ブレーメンの笛吹きが 私のことを
私も京都に帰りたい!と 知的な場所に帰りたいと
思わせて 研究をしっかりやろうと思ったからで

 あのときカウンターに立っていた
私は私 だったのだろうか
それはきっとそうなのだろう。


 あれからもう何年もたち 
浜名湖ユースは閉鎖され
今では更地になってしまって
ホールの跡形すらもない。
本当にそれがあったのか?
本当にそこで出会ったのか?
私たち は たくさんのことをあそこでしたけど
沢山のことを語ってきたけど
あれらは どこに つながるのだろう


 私たち は 夢をみていた
それはユースがあったから?
あそこは夢をみれる場所だった
あんまりに大きかったけど
だけど素敵な場所だった
そうしていつしか時がたち
何故だか私は京都郊外のニュータウンで
一人の専業主婦として
ほとんど誰も訪れることのない大きな家で
暮してて なんだか別人になったみたいだ。


 カフェがすぐそこにあったころ
着替えをして下に降りれば誰かいた。
プライバシーなんてなかったけれど
それが嫌にもなっていたけど
だけど今 こうして郊外に住んでみて
プライバシーだけは重視されてても
サードプレイスや誰かと交わる
誰か面白い人たちが行き交ってる場が
ほとんどない世界にいると
何かがとっても乾いてしまう。


 あそこはカフェでかつ宿だったから
「いつもかわらない常連客」だけでなく
すっと新しい風を吹き込む 遠くの場所から
遠くの国から来た誰か が そこに
やってきて 空気をちょっといれかえて
さわやかな空気がやってきていた
私はあまりに若かったから 
彼らの空気にあてられて
私も旅がしたいと思い 
私も人生を試してみたいと思ったけれど
実際 どうだったのかなあ


 そうしてあれから京都に住んで
私たち は すっかり「普通の人」の
ようになってしまった。この先は
一体どうなるのだろう 長いこと
「カフェをやるより通う人になりたい」なんて
言ってみたけど あそこでの1年半の語りは
あまりに深かった。いつかまた
私もどこかで 場所をもつことになるのだろうか
夢 っていったい 何なのだろう
私にはよくわからない。

社会問題とサードプレイス

2010年12月09日 | サードプレイスとしてのカフェ

 子育てはよく出口のないトンネルに
たとえられるのだそうで 今日は朝から
新聞に虐待に関する特集が載っていて
他人事じゃないけれど でもどうしたらいいんだろう?
最近私はだいぶ穏やかに子育てできるように
なったけど、、、と思ってた。


 ところが子育てにはムラがあり
この3週間くらいだいぶ蓮太郎との
つきあい方がわかってきて私も変わった!と
思っていたのに 今日は一次保育をキャンセルして
しまったからか それとも彼がお昼寝を
どうがんばってもしなかったからか
だんだんと私の機嫌も悪くなり
ひさびさにムカッときてしまう。


 ふざけんなこのやろー!!!
と思いたくなるときは だいたい
密室育児の時で 外には出てても
いつもより家にいる時間が長かったりとか
行ってみたら自分にとってあまり得るもののなかった
場所行くのに やたらがんばって時間を
気にして行った時 で
なんだかどっちもやるせない。


 今日は近所のカフェのおばちゃんの家で
私の近所のサードプレイスについて話をしてたのだけど
ここでは「場をつくる人」と「実際その場を運営する人」の
二人の関係性がうまくいってないままで
ほぼ店から姿を消した そのおばちゃんの家にいくたび
私は「だけどあの人はね なんど言ってもこうなのよ、、、」
という愚痴をきかされるはめになる。


 そういいたいのもわかるけど
そうだ 私が正しいんだと主張したいのもよくわかるけど
(私も浜名湖ユースでそんな経験をしてたものだし)
だけど ちょっと待ってください。
サードプレイスというものは 地域の人には
そこしかなくて 本当に大事な場所なのだから
喧嘩している場合じゃないって!!
あっちがいいとか こっちが悪いとか
いいあってる間に 沢山の人が
どんどん居場所をなくしてる
その重要性に もっと気がついてほしいんです
あなたしかいないのに あの場所しかないというのに
日々雰囲気が悪くなってく
そして足は遠のいてくけど
遠のいた足は家の中にあるだけで
家の中しか居場所がないと
人にははけ口がなくなって
自分ですべてを抱え込むから
ものごとが悪い方向にみえて進んでく


 サードプレイスやみち空間が
昔の路地のような空間が もっとあったら
子育てだって介護だって きっと全然違うだろうに
家があまりに大きくなって
私たちは疲れ果ててる
掃除して 洗濯をして 掃除したと思ったら
部屋中をぐちゃぐちゃにされ
気がつけばもうお昼になって
約束の時間に遅れまいとあわただしく飛び出して、、、
私 何やってるんだろう?と思いませんか
こんなに家を掃除して 誰が来るというわけでもないのに
誰かが来たって 別にたいして気にしてないのに
大きくなってしまった家に 家事 に
「主婦」になってしまった女性は
いつだってとらわれている。

 
 それが人生 なのかなあ?


 私はとても空しくなった


 フランスにいって 少しは光が見えたから
かろうじて今 生きているけど
今日こんな日々がずっと続くことを考えて
かつての私を思い出し やっぱりぞっとしてしまう。
人間希望がなければやっていけない
私は本当にそう思う。


 子供がとっても可愛いときは
こんなかわいいなら一人だけなのはもったいないとか
思うけど 子供がとっても手がかかるときは
私は必死で求めたほんのささやかな自分の時間を思い出す。
2ヶ月の時はおっぱいの前にお茶を飲むことだけが
私にとっての抵抗だった。3ヶ月のころはブログだけが
私が私であることの証明だった そして今 は?
一次保育をキャンセルしたら こんなにも辛いんだなあ


 自分が自分自身であれて 少しほっと息を抜けて
かつアップビートで元気になれる場 それが
サードプレイスらしいけど 日本には
「ふれあいの居場所」はあっても
どうもこの「アップビート」なサードプレイスは
あんまりないような気がするんだな。

 オルデンバーグは「そこでの会話こそが
素晴らしいということほど、サードプレイスを
よく表しているものはないだろう。
ここでの会話は活き活きしており、
火花を散らし、色彩に富み、没頭させられるものなのだ。
サードプレイスでのつながりの喜びは、
何よりも笑顔やキラキラした目の輝き、握手をしたり、
相手の背中をポンとたたいたりという様子から理解できるだろう。」
(オルデンバーグ « the Great Good Place »p26)と言っているけど
そんな場があったなら もっと元気になれるだろうに
日本のサードプレイスはあまり元気な場所ではなくて
どちらかというと愚痴を言う場で 変化といえば
誰かの健康状態の変化であって おじいさんが
手術を受けることになったとか 誰々さんが回復したとか
蓮太郎がしゃべれるようになったとか
どこそこの子は保育園にいくらしいとかで
なにか面白いことをやってみよう!
つくりだそうという


 そう ワクワクする そんな雰囲気は
なかなか感じられなくて


 それがとっても悲しいなあ


 そしてみんなこう言う訳だ
「こんなものよ 人生なんて、、、」

 ボーヴォワールはこう言っていた。
「大人達は口を揃えてこう言うのだった
人生は楽しくない。人生は小説のようではない」と、、、


 だけど彼女は社会を変えた。
彼女の人生はどう考えても面白そうだなあと思う
一方で社会を変えた人もいるけど
基本的には諦めムードがただよっている
だけど私は先日言った。「カフェこそ
最後の砦であってほしい」のだと。
カフェがそういう場でなけりゃ
どこで夢を見れるのだろう?
カフェがそういう場でなけりゃ
だれが変わり者を受け入れてくれるのだろう?
カフェがそういう場でなけりゃ
どこで創造が起きるのだろう?
カフェもサードプレイスも本当に
すごい力をもっているのに
やっぱりまだまだ そう認知されてないようで

 私はきっとカフェやサードプレイスが
様々な社会問題の解決の糸口になると思う
そこは愚痴をいう場なだけじゃなくって
愚痴が「じゃあこんなことやってみよう!」という
ワクワクに転化する場であってほしい
そんな場が いつか日本中に たくさんの
人がいける場所につくられたなら
もっとみんな いい顔で 
笑えるようになるんじゃないかと思うのだけど

 そんな想いを大切に
2冊目の本ができるよう
これからがんばっていきたいです

サードプレイスとしてのパリのカフェ

2010年10月15日 | サードプレイスとしてのカフェ


 この先どんな未来が待っているのか
私にはもうさっぱりわからないのだけれど
少しでも歩み始めてみたのなら
もう進むしかないのだろうかと
手をつけたことはやりはじめ
「2冊目の本を出したい!」という
気持ちは私の中ではかなり盛り上がって来てはいるので
これを機会に いわゆる研究を再開だ。


 私にとって 研究というのがどれほど
大切なのか 本当は好きなのか 好きではないのか
あんまりよくはわからないけど
1つだけ言えること は ママサークルで
話していたり 三輪車を押してたりする私より
図書館で本と向き合い ノートにがりがり
書き付けている 私の方が 私にとっては
自分らしい感じがするということだ。
(そしてああ書きすぎて手が痛い、、、というのが
ちょっとした快感だったりもする。。)


 そんな時間があるときに

 ああ しあわせ、、、

 研究できるってなんてしあわせ、、、と思ってしまう。


 1年前は 図書館にすら行くことなんて
できなくなっていたというのに 今では
憧れの日文研の図書室で 自分さえやる気があるなら
文字通り朝から晩まで研究できる。
それってとてもありがたい。


 さて最近は 今年前半にはまっていたのに
途中でやめてしまってたオルデンバーグの
'The Great Good Place'をもう一度読みはじめ
わー英語だよーと思っていたけど
もうインターナショナルな道をめざそう、
もうしんどいからできないだとか
幼稚園ママと同じ道をたどっているのに
そんなの無理とかいっていないで
3カ国語できるようになってやる!と
遠くの方を見るようにして やってみるのも悪くない。

The Great Good Place: Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and Other Hangouts at the Heart of a Community
Ray Oldenburg,Ray Oldenburg Ph.D.
Da Capo Press





 そしてやっぱりこの本はとても面白くって
この人も パリのカフェについては特別視してて
やっぱりなー パリのカフェって カフェの理想型
みたいなもんだし オルデンバーグもそう思うんだと
ちょっと嬉しくなってしまう。外国人だからこそ、
当たり前とはとらえられずに、う うらやましいと
指をくわえて見てしまう そんな光景がパリにはあって
オルデンバーグも私同様「フランスはとても美しい!
そうだったろう!」とフランスを旅行してきた娘の
友達に力説していたらしい。

そうやっぱり 生活に根付く美学というか
「おい、そんなとこに駐車場つくるなよ!」とか
「おい、こんなセンスの悪い建物つくるなよ!」とか
つい突っ込みたくなってしまうような
そんなことは フランスでは なかなかないようで。
東京で写真を撮ろうとしてもなかなか撮るものが
見つからなくって悲しくなった私からすると
やっぱりフランスはうらやましい。


 オルデンバーグの言葉には だいたいいつも共感してて
「そうだよね!やっぱりパリのカフェいいよね!!」だとか
「そうだよね!やっぱり郊外でサードプレイスのない生活なんて
最悪だよね!」とか「そうそう サードプレイスで
一番大事なのは温かさ!でもそれをわかってない人が
多すぎるんだよ、、、」とか 私は勝手に意気投合して
いつか翻訳してみたいとか 2冊目の本に
沢山言葉を載せてみたいとか いつかお話してみたいとか
そしたらきっと気が合うだろうとか
そんな妄想をふくらませてたりしてしまう。


 彼の本を読む度に だからさー
もう郊外の宅地開発やめようよ、、、(特に
うちの近所の桂坂は京都の高級住宅地だけど
サードプレイスなんて何もなければスーパーも
1つしかなく 恐ろしい、、、と思ってしまう)
と私は思い、やっぱり近所にいいカフェがあるところに
住みたいわ、、、という結論になる。


 オルデンバーグはめっちゃいいことを書いてるし
サードプレイスがいかに人々の生活にとって
あった方がいい場所なのか を 力説してくれてるのだけど
翻訳も出ていないまま 今度は日本が
彼の描いたかつてのアメリカ郊外みたいになってしまって
日本にもっと サードプレイスやカフェという場の、
人と人が 出会い 交わってく場の重要性を
声を大にして問う人がいないといかんと思ってしまい
では誰が?と思った時に 他にも誰かいるかもだけど
私もその1人では?と思うので 私は私で
できる限りの力を活かして この2年間
子供を寝かせてなんとか続けてはいた
研究の成果も活かして 何かが伝えていけたらいい。


 カフェに通った人は知っている。
カフェにはすごい力があると
カフェにもっとみんなが通えば
社会問題も少なくなるし それどころか
自主的に解決にむけて勝手に人が動きはじめるかもしれない
それほどの力があるのに まだまだカフェは「もったいない」。

 いつの日か 日本のカフェが もっともっと
面白くなり フランス人が指をくわえて
うらやましー と言いたくなるような
そんな場所になってほしい。

カフェに本をおいてもらいに

2010年09月20日 | サードプレイスとしてのカフェ


 せっかくカフェの本を書いたんだから
本屋さんだけじゃなくって 人の集まるカフェでこそ
売ってもらえたらいいのにな、、、

 そんな想いをだいぶ前から抱いてたわりに
なかなか行動に移せないままでいたけど
前回のフランス行きで もう後がないと思った私は
動き始めるしかなくて そういうわけで
今日で3軒、京都で2軒 東京で1軒、
カフェで『cafeから時代は創られる』を
販売してもらえるようになりました!


 今日訪問させてもらったのは
西国分寺にあるクルミドコーヒーという素敵なカフェで
ここでは毎週「クルミドの夕べ」というイベントが
開かれていて だいぶ前のことだけど
私の本のテーマについて オーナーの影山さんという方が
お話をしてくれてたらしい。


 そのことは たまたまネットで自分の本の名前を
検索したら知ったのだけど もちろん私は飛び上がるように
嬉しくて またしてもその人についメールを書いて
一度お会いしてみたいです と書いてしまって
そうして以前お店に伺い それはそれ で
終わったのだけど もう一度 今度はお店に
本を置いてはもらえないかと ぶしつけなお願いを
させてもらってた。


 どうなるかなあ、、、と思っていたら 
影山さんからお返事が来て なんと彼は
私の長いブログを3月分から夏にいたるまで
全部読んでくださり それらを全部ふまえた上で
「応援します!」と快い返事をくれたのだった。


 というわけで 今日は影山さんとお話をしに
クルミドへ、、、 ここはなんだか森の巣のようで
居心地がいい。外観はコンクリートなんだけど
入るとびっくり 木の中みたい。それもそのはず
一枚板のテーブルだとか 木のイスだとか
トイレには素敵な木の扉とか テーブルの上には
自分で割って食べていいというクルミがあるとか
なんだかとっても面白い。つい長居したくなるような
ほっとできる空間なんです。


 さて私の本を驚くほどに熟知してくださっている
影山さんと2時間ほどカフェ話で盛り上がり
思うがままに話してしまって私はとっても楽しくて
気がつけば はて 何をしに来たのやら、、、 
そうだ とりあえずするべきことはしていかないと!と
お約束してたPOPをその場で書いてみて
今日から私の本もここに並べてもらえるのかな?
この素敵な空間で 誰かが興味をもってくれたら
そしてゆっくり読んでくれたら それだけでも嬉しいけれど
このカフェが 面白い動きが生まれるような
活発な人の出会いが起こってくような
そんなエポックメイキングなカフェになったら
もっともっと 面白い。(きっとなると思います!)


 今日影山さんとお話しながら
2冊目の本はどうしようかと考えたりしながらわかったことは
あー やっぱり 私カフェを通して人を救いたいのかも
と いうことだった。


 カフェで私は救われるけど
救われるのは決して私だけじゃなく
沢山の人の人生を もっと豊かに 
もっと潤わせてくれる そんな出会いが
確かにカフェには存在していて
カフェの魅力をもっとみんなが知ってくれたら
もっと普通にカフェでの会話や出会いがあったら
凶悪犯罪だってもっと減るのに!と思っていたから
私はカフェを広めたくって いろいろやっていたんだな。


 
 あれやこれやと悩みがつきないなら
ーーカフェに行くことさ!

 彼女がとにかく何かまことしやかな理由で
来られないなら
ーーカフェに行くことさ!

 ブーツがぼろぼろになったのなら
ーーカフェに行くことさ!

 給料が400クローネで支出が500クローネなら
ーーカフェに行くことさ!

 まこと慎ましく暮らしているのに、
何の得にも恵まれないなら
ーーカフェに行くことさ!

 医者になりたかったのに、いまはしがない官僚なら
ーーカフェに行くことさ!
 
 気の合う女が見つからないのなら
ーーカフェに行くことさ!

 心の中はもう自殺に追い込まれているのなら
ーーカフェに行くことさ!

 人を軽蔑しながら、それでも
人がいなくちゃ困るなら
ーーカフェに行くことさ!

 もう何処にもつけがきかなくなったなら
ーーカフェに行くことさ!

(ウィーンのカフェ・ツエントラールに通った詩人
 ペーター・アルテンブルグの言葉
『cafeから時代は創られる』p.215より)



 カフェにいったらそれらが解決するのかって?
それは神のみぞ知ることだけど
カフェに行ったら 恋人と出会えるかもしれないし
(バーバパパの著者たちはカフェで出会ったし
藤田嗣治は結婚相手を2回もカフェで見つけた)
仕事が降ってくるかもしれないし(モンパルナスの
画家たちはカフェで絵を売り歩いてた)
自分の存在を認めてもらって元気になれるかもしれない。

 
 どうしても泣きたい気持ちでいっぱいだったら?
ーーカフェに行くことさ!

 お腹を壊して子供のごはんもつくれなかったら?
ーーカフェに行くことさ!

 子育てのストレスで破裂しそうだったら?
ーーカフェに行くことさ!

 誰とでもいいから話をしたくて仕方なかったら?
ーーカフェに行くことさ!

 トイレに行きたくなってしまったら?
ーーカフェに行くことさ!

 子供と2人きりでご飯を食べるのが辛く感じたら?
ーーカフェに行くことさ!

 あまりの熱さにへばりそうになってしまったら?
ーーカフェに行くことさ!

 誰かと語りたくなったときは?
ーーカフェに行くことさ!

 パリで喉が乾いたときは?
ーーカフェに行くことさ!

 食後のエスプレッソが恋しくなったら?
ーーカフェに行くことさ!

 眠くて倒れそうだったら?
ーーカフェに行くことさ!

 家ではできない仕事があったら?
ーーカフェに行くことさ!

 家の前が保育園でうるさすぎたら?
ーーカフェに行くことさ!

 エアコン代がもったいないと思ったら?
ーーカフェに行くことさ!

 一人でいたら気が狂いそうと思ったら?
ーーカフェに行くことさ!


(これは実体験に基づき私が詠んでみました)


 カフェにいったら 何かが変わる
カフェに行ったら 何かが起こる かもしれない
それはあなたにもよるのかもだけど
あなたが誰かと少しでいいから 話してみよう
少しでいいから気持ちを打ち明けたいと思ったら
何かは起こる かもしれない。


 カフェはとってもおもしろい はず。
日本のカフェが もっとこれから
たくさんの人を救って たくさんの人に
勇気を与えて たくさんのものが生まれる
そんな場所に なったらいいな。





 ちなみに京都で本を扱ってくれているお店は
御所南のmocomococafe(モコモコカフェ)
という、町家を自分たちで改装したとても素敵なお店と


西陣のトリペルという、漫画も読める、京都界隈の
面白い人たちの出会いの場になっていきそうなカフェ、バーです。
どちらも京都でいろんな活動をしている若者達がつくったカフェです。

9月の洛西ほっこりカフェに行ってきました

2010年09月15日 | サードプレイスとしてのカフェ
 
 いったいいつから始まったのだか
もう気がつけば半年くらいになるような?
洛西ほっこりカフェに今日も蓮太郎と行ってきました。

 「美樹ちゃんは主催者なの?」と
たまに聞かれるのだけど 言い出しっぺでは
あるけれど、ほとんどのことは喫茶けやきの
おばさんたちにおまかせしていて
私がなんとかやってることは、毎月
参加することぐらい(あとこれを書いていること?)

 今回は百人一首なんかどうですか?と
提案をして、「じゃあうちにあるから持ってくわー」と
おばさんが承諾してくれ、百人一首で遊ぶことに。

任天堂 百人一首 舞扇
任天堂
任天堂


 とはいえ子供も大人もいるわけで
(今日は大人と子供含めて参加者9人かな)
「百人一首はれんちゃんにはちょっと無理ねえ」と
おばさんたちは気をつかってくれ
それならば、と坊主めくりをすることになる。

 坊主めくりね!昔やっていたけれど
そして花札もあったのだけど もう
さっぱり忘れてしまって 結局みんなに
教えてもらう。(百人一首をつみあげて
順番に札をとっていって 坊主がでたら
手持ちの札を没収されて、お姫様がでたら
没収されてた札を自分のものにできる)
まあ運でしかないのだけれど
私は一度も勝てません。
ゲームはやっぱり弱いんです。。。


 それにしても もう「子供時代」を
通り過ぎてしまってから 十何年も
いわゆる「みんなで集まってするゲーム」というのを
やっていなくて 人生ゲームとかモノポリーとか
大富豪とかトランプだとかウノだとかウインクキラー
(結局いつも勝てないけれど)
そういうので 盛り上がる
それって本当に楽しくて すっごく大事な瞬間なのに
どうして一定期間を過ぎたら みんなやめてしまうんだろう?

 私はママサークルやここのおかげで
ゴム跳びをしてみたりとか お手玉をしたり
ジェンガをしたり 風船をお皿にのせて走ったりとか
そんなゲームをさせてもらえて
けっこう笑わせてもらうけど
そんな時間 たわいもなくってどうでもいいような
そんな時間を共有すること
ただそのことが 内容だとか
勝ち負けだなんてどうでもよくって
ただ真剣になり 笑い合い その時間を
共有すること そのことが大事な気がするけれど
そういう時間って本当にない。

 フランスに行ってあーいいなーと
思えたことの1つに、意外にも
「遊ぶ」時間があることで、
留学中に驚いたのは、日本人の先輩が
カフェで「シュールレアリストな遊びをしよう!」と
提案してきたことだった。
その遊び は なるべく意味がなく
関係のない言葉を思いつき
どこまで関係がなく かつ 驚きに
満ちて美しいかを競う(?)もの で
私ははじめ「じゃあ 渋谷の雨!
それにはこんな思いがあって、、、」
と言ってみたら 意味があったらダメといわれた。
まあつまり 溶ける魚とか 哀しい扇風機とか
空に落ちたイスとか?思いつくのが難かしいけど
やってみるとけっこうハマる そんな遊びを教えてくれた
(そしてこの経験が大いに研究に役立ちました
こういちさん、本当にありがとうございます)

こないだは日本人2人とフランス人1人で
日本語のしりとりをして大いに笑い合ったり
(「つ、、、つきました。」とかなの!可愛い
でも大笑いしてたらだいぶ直って普通になってしまった)
公園にはチェスをするためのテーブルがあって
まわりには人だかりができてたり
日常の中に「遊ぶ」っていう
暇なというか、大事なというか
まさに「遊び」といわれるような
余裕のある時間があって
ほんならちょっとやってみるか と
大人になっても楽しめるらしい。
(もちろんダンスも!)
それってとってもいいよなー
私もチェスとか教えてほしい!と
もっとかの地で遊びたい と思ってしまう。


 いやいやでも日本人だし?
やっぱり百人一首や花札くらい
それにここは和室だし 京都のおばさんもいることだし
とちょっと百人一首に触れてみる と
いやあ なかなかみんないい歌で
先日奈良は飛鳥の犬養万葉記念館というところに
たまたま行ったけど 万葉集より
百人一首の方が わかりやすいし 
私にとっては心にしみいる。
いい歌だなあ、、、と坊主めくりを
しながら歌をながめてちょっと想いに
ふけってみたり。
もう少し触れてみたいなあ。

 嵐山には百人一首をテーマにした
美術館みたいなの(時雨殿)があるらしいから
そのうち蓮太郎つれてそこに行ってみようかな
フランスに行きたい!とも思うけど
日本にあった大切なこと
風流だとか 美しい風景だとか
美しい言葉のあり方 昔の世界
そんなもの も 少しずつ は 
学んで行きたいなあと思う。





あたたかいカフェ

2010年09月11日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今日は朝から息子と2人で何故かカフェを
3軒もはしごして けっこう面白い日に
なるのかなあと思っていたけど
以外にも街中のカフェはちょっと微妙で
私はまたしてもショックを受けて
やっぱり京都にいられる時間も
もう長くないのかも と
ちょっと確信してみたりする。


 なにがどう合っていないのか
言葉にするのは難かしいけど
京都の街中 いわゆる「市内」というとこは
小さな子供に対する目が厳しくて
あまりあたたかいまなざして見られることがない。


 私は蓮太郎と行動するとき
もしかして彼は生粋の 場を感じる力を
持っていて その空間の空気感 が
どうなのか を 一瞬で悟り
そこにいたいかどうかを見極めているんじゃないか
そんな気がちょっとしてしまう。

 というのも彼はもっと小さいときから
バスに乗ったり電車に乗ると
(うちは車がなくて 私が外に出たがりなので
かなり小さいうちから公共交通機関に乗っていた)
けっこうちゃんといい子にしてて
それが満員電車で殺気だった雰囲気だとか
雨の日のムシムシした気持ちの悪い環境でなければ
叫んだり泣いたりすることもなく
意外といい子にしててくれ
よく年の変わらないお母さんから
「どうしてれんちゃんはいい子にできるの?」と
言われてた。


 私には明確な理由はわからないけれど
彼女達との違いといえば うちには車がなかったことで
「公共交通機関とはこう振る舞うとこだ」というのを
彼は言葉を発する前から身体で覚えていったのだろう。


 そういうわけで けっこうすごいなと思うんだけど
彼は場の空気感を察知していて どうも私が思うには
うんなるほど!ここは居心地いいよなあ というところでは
意外といい子で長居ができて うーん微妙と思うところは
20分も間がもたない。それは私の勝手な解釈?
でも本当に不思議なことに 私の大好きな喫茶ゴゴでは
彼は1時間半でもいられる。それはもちろん
お姉さんがかまってくれて サービスをしてくれるからでも
あるのだろうけど 彼はほとんどぐずることもなく
楽しそうに過ごせるんだな。2歳児がカフェで1時間半!
驚きじゃないですか?(別に子供専用カフェじゃないですよ)


 
 ところで今日は 近所の喫茶けやきで
本当に感動的な光景を目にすることができ
あーこんな日が ついにくることができたのも
私が生後2ヶ月の時から蓮太郎をカフェに連れ出していた
おかげかも とちょっと思えて嬉しくなった。

 今日はその喫茶店のすぐ隣でヨガのサークルがあり
おばあちゃんたちと蓮太郎が仲良くなって会館を出ると
実はヨガサークルの昼食会がけやきであるということで
私は知らなかったのだけど 今更いいか いやでも
なんだか仲良くなれてきてるし 隣でお茶でも飲んでくか、、、
と躊躇してたらカフェの常連の蓮太郎は 当然のように
スタスタと店に入っていって 「ケーキたべる!」というので
一緒にケーキをわけて食べてみることにした。


 隣に並んだヨガのおばちゃんたちの目の前には
めちゃくちゃ美味しそうなサラダに小さな小鉢が沢山。
この店で1300円のランチだなんて よっぽど
豪華なのだろう(いつもランチは600円なのだ
ちなみにコーヒー、オレンジジュースは250円!)
おいしそう、、、、 と思ってつい眺めてしまってたからか
おばちゃんたちは「れんちゃんもちょっと食べたら?
おばあちゃんたちこんなに食べられないし、、、」
といって 唐揚げやソーメンにはじまり
結局おいなりさんからビールまで
みーんな取り分けしてもらって 私と蓮太郎も
一緒に乾杯させてもらった。 お 美味しい、、、!
おばちゃんたちは「昼間からビール!」と楽しんでいて
なんだかとてもいい感じ。


 私たちはヨガの人やらお店の人やらと会話をしたり
していたら 「あら?もしかしてれんちゃんじゃない、、、」
あれ?と思うと あ!こんにちは、
かつて蓮太郎をよく預かってくれていたおばさんが目の前に。
そして彼をかまってくれて「ひさしぶりねー」と
お話に花が咲く。ようやく蓮太郎がまた席に戻ると
今度は金曜日のヨガで2回だけご一緒させてもらった
おばさんがお店に入って 彼女が少し蓮太郎に
声をかけてくれている。


 でもまああんまり知らない人だしなつかないよな、、、
と思っていたら あれよあれよという間に
蓮太郎は彼女のテーブルのとこにいき
イスに座って本をとりだし そのおばさんに
新幹線やら車やらの名前を説明しはじめている。
へー こんなことってあるんだなあ!!!
おばさんも楽しそうにしてくれているので
自分の席から眺めていると その関係は長く続いて
私は本当にうれしくなった。蓮太郎、、、成長したなあ


 これこそまさに 地域の人たちが出会う場じゃないか
大人から子供までがそこで約束もせずに出会って
一緒に笑って元気になって そしてまた帰ってゆく。
これじゃない?これじゃないですかここの代表の人が
したかったのは?本当に この地域の拠点になっている、、、
私はとっても嬉しくて 席を立ち、蓮太郎と遊んでくれてる
おばさんと話にいったら「私もとっても嬉しくてねえ
こうして自分から来てくれたのよ!」
「こんなこと普通ないんですよ はじめてなんです!
私もびっくりしました」
「あらまあ 気が合うのかしらねえ、、、」
と彼女は笑顔で喜んでくれて私も蓮太郎もとても嬉しい。
そう ここの人たちはあたたかい。


 子供がどういうものなのか
母であるということが 一体どういうことなのか
みーんなもうよくわかっているから
だからとってもあたたかく 彼の成長を見守ってくれ
みんなで笑って声をかけてくれているから
蓮太郎も 沢山の人のところをまわっていける。

 彼はこうして 人の間で 関係性を学んでいって
振る舞い方を学んでいって あんなにも愛想よくなり
誰にでもバイバイをして いつも笑顔の子になった。
蓮太郎 あんたはきっと 大きくなるよ
今のこの姿を大事にしたら きっと素敵な大人になれる。
そんな彼をつくっていったのは バスで出会ったおばちゃんたちや
カフェで出会った人たちで そんな出会いが起こったのは
私が彼を連れ出して 彼の笑顔に かわいさに
みんなが心を開いてくれたから。
私も笑い 彼も笑い 目の前の人も笑っていった
そこにはいつも あたたかく 優しい空気が流れてた。

 保育園もいいけれど 子供を外に出すことで
何かが変わることもある こちらが 大人こそ が
学んで変わることがある。こうして蓮太郎は
たくさんの人に囲まれて すくすく元気に育っていった。
近所にあった あたたかいカフェ 若者専用のカフェではなくて
沢山の世代が集い みんながちょっと 前より笑顔になれるカフェ
私はやっぱり そんなカフェこそ
そんな愛のあるカフェこそが
私は一番素敵だと思う。

フランスに行くなら

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