alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

日本を学ぶ

2010年08月23日 |  日本文化


 日本に帰ってほっと一息ついたのも
ほんのつかの間 今週末にはおそろしい試験が
待っていて パリで遊んだ分だけいい加減に
勉強をしないといけなくなってきた。


 一体何の試験かというと「通訳案内士」
というもので、日本に来る外国人向けの
ガイドの資格をとる試験。それで私はフランス語で
それを受けようとしているのだけど
一応 難関国家資格の1つ。というわけで
とても私には難かしい!! もう諦めちゃおうと
思うことも 沢山あるけど それでも
はなからあきらめるより 最後の
1週間くらいはやったほうがいいかなあ と
なんとか今日も勉強をして
気がつけば 日本にいると 私は
勉強してばかり(でもいっこうに伸びて
いかないのは年をとったから??)


 ガイドを本当にするのかどうかは
まあおいといて 誰かにガイドをすることと
ガイドのための勉強をするのは
私にはかなり合っていて
今は過去問を解いてるのだけれど
地理なんてかなりわかってないけど
それでも過去にふらふらほっつき歩いた
経験が あっと 写真をみただけで
あ!これ伊香保温泉だ!とか
これは道後に違いないとか そんなことが
わかったりして いつもこんなに
ほっつき歩いて何になるんだろうと思ってたけど
今年に入って 私のこのぶらぶら歩きも
意外とためになるのかも!と
思う機会が増えて来た。


 それにしても 日本文化や
日本の歴史や 日本にまつわるいろんなことに
長く興味を持っていながら
こんなにも覚えられずに
説明をしようとすると中途半端になってしまう
そんな自分が本当に哀しくなるけれど
しかもフランス語だってもう何年も
つきあってるのに その中途半端さときたら!と
本当に哀しくなるけれど
だけど私は1つはやってきたはずで
そう それらの中途半端のものごとの横で
カフェの研究はやったんだ。
だからそんなに自分を責めなくたってきっと
いいのだろう これからそこに
向かっていけばいいのだろうから。




 あーフランス語で 外国語 で
日本の文化を学べたら!!もっと
違う視点をもって もっと包括的に
学べるのになと思うけど
フランスでちょっと手を出した
日本の歴史の本はというと
1ページでもうお手上げです。
だって国づくり神話について
フランス語で書いてあるんだよ?
日本語でだって なんのことやら
わからないわと思うのに、、、、



 それでも私はこの試験を受けること で
試験の実質的な勉強だけじゃなく
(実はそっちはあまりしてない)
日本文化って何なのだろうと そういうことは
それなりに考えてみたり 学んでみたり
京都も廻ってみたりして 京都だけじゃなく
奈良でも高松塚古墳をみたり 白鳳文化に
ついて学んだり 万葉集記念館に行ってみたり
けっこう色々学べたりして
なかなか面白い2ヶ月だった。





 日本にいて 日本語で頭を抱えて
日本を細かく知ることも フランスにいて
もっと大きな流れのなかで 日本を
とらえてみることも どちらも
私にとってはきっと大事で
その後の糧になるのだろう。
うちの近所には「国際日本文化研究センター」
という ものすごい内容だけど かなり閉鎖的な
施設があって きっとそこに通えたら
私の中身も もっと豊かになるのだろう。
(ちなみにパリには日本文化会館というところがあり
そこもかなり素敵です できればそっちで
勉強したい どちらにせよ語学がいるけど
http://www.mcjp.fr/)


 こうして日本を学んでいると
あーまだ行ったことないな 行きたいな!という
ところが本当に山ほどあって
「日本なんて、、、暑いしもうイヤ」と
かなり思いがちだったけど
外国人の気分になって 沢山の
写真を眺めていると あそこもいきたい
ここも行きたい もっと知りたいと
思えてとてもうれしくなる。


 フランスにいても 
日本にいても 知るべきことが沢山あって
あーもっと!!もっといろんなことを
吸収したいと思ってしまう
その先に何があるのかはわからないけど
いつかそれらの経験とちゃんとした知識を
もとにして しっかりとした 本が
書ける日が来たらなあ。
沢山の視野をもちながら日本やフランスを
行ったり来たり 広重の浮世絵のように
俯瞰的な視野を持ち のちのち何かができたらいいな。


冒険

2009年11月03日 |  日本文化
 おっぱいをやめてからもう二ヶ月が経過したのか
最近はだいぶ体力もついてきて れんちゃんと二人で
行ったことのないところへいったり ちょっとした
山道みたいなところを一生懸命登っていったり
だいぶいろんなことができるようになってきた。


 今日は何も予定がなくって げんきくんは
部活に行くと言っていたから あー休日なのに
暇だー つまらん!どうしようかと思っていたら
そういえば「曲水の宴」があったような、、、


 いってみようかと調べてみるとやっぱり今日で
がんばればいけなくもなさそうだったから
バスを二本のりついで 城南宮まで足をのばしてみることにした。

 バスの時刻はかろうじて調べたものの
かなり適当にやっていたから 一時間に一本しかない
バスに結局のりおくれ どうしよう、、、
やめとくべきか ほかの場所にいこうかな
でもなーこれは一年に一回かもしれないし!
そう思って無理矢理電車に乗ってみた。

 バスにのって 電車を乗り換え 竹田駅で
おりてはみたものの 行けるのか やっているのかも
わからない。仕方ないけど歩いていたら
ぽつりぽつりと雨が降り出し あーいけてない
なんだか今日はついてない!!とへこむけど
ここまで来たんだ なんとか行くだけ行ってみよう


 城南宮のある場所は 由緒正しい場所であろうに
ラブホテル街の目の前で 石垣で強固に囲った
お宮の中へは どう入っていいかもわからない。
散々まわりをぐるぐるしたあと 困り果てた私を
見かねてくれたのか 「入り口はどこですか?」
と聞いた私に 宮司さんは「出口だけどいいですよ
ここから入ってください」と通してくれた


 そしたら宴ははじまっていて 平安時代の衣装に
身をつつんだ人たちが 美しい庭園の小川のまわりで
歌をよんでいる。あーこれなんだな
中学の頃の国語便覧に載ってた世界 憧れていた
雅な世界は今目の前に広がっていて
ようやくこうして来てみると うーん葵祭の印象みたいだな、、、


 あまりにもつくられた かつての世界は
なんだかちょっとおかしくて 現代からは遊離していて
美しいとか 美しくないとか そういう判断基準を超えて
スペクタクルをただ見せられている そんな感じがしてしまう
なーんか ちょっと 微妙だなあ、、、


 それでもせっかくだからとれんちゃんの機嫌も
よかったことで 最後の方までみさせてもらっって
神苑が無料開放とのことなので そこをなんとか
おんぶでまわって 気になっていたお茶席に行く。
そのお茶席はとっても混んでいたけれど 神苑の中で
一番きれいで はっとさせられる景色があって
そのときはれんちゃんも眠っててくれて 一瞬だけども
美しい空間の中で 何かを感じることができた。
そうしたらなんと隣に先日説明会に参加した大学院の
先輩が座っていたのでちょっとお話なんかして
彼女は中国の留学生なわけだけど
こういう場所で 京都なんだから京都の若い友人と
ばったりあってもおかしくないのに
日本的な場所にはなかなか若者たちはいかないという
そんな事象にまた気づく。


 日本の美しい世界 日本の美しい空間を
もっともっと味わって それをゆっくり楽しむこと
日本に住んでる日本人の友達たちと もっと
そんな時を重ねて行くのもいいのかも


 意外なことに れんちゃんは 私が最近
企てている冒険や 映画鑑賞なんかにも協力的で
たぶんそれなりに彼も楽しんでいるようで
だから一緒にどこかにいける 知らない場所も
たくさんあるけど 迷うことも 天候不順もあるけれど
トイレにいくのは大変だけど 誰も助けてくれなくっても
だいぶ動けるようになってきた。
れんちゃんといると いつも感想をいえたりだとか
寒いね!とか話しかけていられるから
私としてはありがたくって 誰かと時を共有できる
そんな気がしてなんだか楽しい
美しいものは共有したい 感動は一人でするより
誰かと一緒の方がいい これから寒くなるけれど
日本の秋を堪能しよう。

美の国

2009年10月25日 |  日本文化
 先日パリからの友人と洛西を散策していた時に
世にも美しい「石の寺」に入る時 
あまりにも美しいその光景に 冗談ながらに
「ほらね 日本は美の国なんだよ」と言ってみた。
そしたら「確かにそうだ」と神妙な面持ちで納得されて
あれ そうなのか、と思ってしまった。


 それから幾日か日が経って 「石の寺」の
極楽浄土かと思わせるほどに美しい枯山水と
借景の入り混った風景をみて そのあと黄金に光る
稲穂を見たり 大山崎の美術館に行って来たりしてみると
本当に 驚く程に美しくって ああ日本って本当にすごい
この美意識は この美しさの形というのは 一体
どこから来ているのだろうと 驚きを隠せない。


 そういえば大山崎にはモネの絵があり
かつてわたしも訪れたことのあるジベルニーの写真があって
そこにはモネが憧れていた日本の太鼓橋を真似してつくった
橋がある。その橋の写真をみると 現在の写真だからか
過去もそうだったのかしらないけれど 木製の橋が
ただ緑色に塗ってあり ええ これが?と思ってしまう。
うちの近所の大原野神社の池はまるでモネの絵の様に美しいけど
そういえばジベルニーの実際は 絵ほど美しくもなかったような
それなら大原野神社の方がいいような ちょっとそんな気もしてしまう


 最近は柳宗悦の『民藝四十年』を読み始め
彼の言う民衆の工芸の美しさをもっと実感したくて
それならばここだ!と北野天満宮の天神さんに行きたくなった。
でも蓮ちゃん連れては行けないし、、、と思っていたら
前日に大げんかをしたおかげなのか(?)
「今日はれんちゃんを試合に連れてくよ!」と
げんきくんが提案してくれ 朝から晩まで 彼らは
遠くにいっていたから それならちょっとはいきたいなと
密かに思いをはせていた。


 でも調子悪いしな 寝込んでようかな いやでもやっぱり
いや でももうよく知ってるし 今いったって時間がないし
いやでもやっぱり やっぱり、、、 いっちゃえ!と
着くのが3時を過ぎる事もわかっていたけど
それでもやっぱり行ってみた。


 もうみんな閉店かなあと思っていたけど
急ぎ足で門前にいくと 意外にお店はやっていて
せっかくだからとお参りをすませ さあ見よう!
と物色開始。見るだけ 見るだけ そう思ってやって来たのに
ああ もういいのに当たってしまう しかも閉店間際だからと
おじさんたちもまけてくれ あーなんでこんないいのが
こんな時間まで残っているの?とほれぼれしちゃう
美しいお猪口に湯のみ 春慶塗のお重に 美しいお皿達、、、


 ああ怒られる げんきくんに怒られる!!
そうはわかっているものの もう見るのを止められなくて
わたしの目は らんらんと輝いてゆき 物色の目になってゆく。
これはたいしたことないな この店はどうかしら
あ このお皿は うーん 次、つぎ
そういって足を伸ばしているうちに
素敵なお皿に出会ってしまって おじさんと話をするうち
もうだめだ、、、ということになり 大金はたいて買ってしまった

 あー 怒られる 怒られる、、、どうしよう
でもあまりに 美しい、、、



 結局のところ 作家さんの物を買っても
お店で売ってる最近のお皿をかっても ブランド品でも
いろいろ沢山みてきたけれど やっぱり骨董にまさる物はない。
柳宗悦もいっていたけど 伝統の重みはやっぱり違って
これだけの長い年月愛されて来た 重みのある柄達や
美しい絵付けの食器は どうしたって美しくって
食卓に並べたときに ここ何十年かでつくられた
お皿達とは比べ物にならなくて
何度みても見飽きなくって 使い込むほどに愛おしくって
いつも食卓をちょっと華やかにしてくれる。
作家さんのものも買ってみたりしたけれど
それらはなんだか浅いかんじで でも骨董は
驚く程に なんにでもしっくりなじむ。
それが骨董の魅力なんだな、、、


 先日静岡を訪れた際、県立美術館で狩野派展を観たけれど
そこで目にした水墨画 が そのままお皿に書かれてる様な
それでいてその線は藍色で 一枚一枚がそのまま芸術であるような
そんなお皿なんだなあ 本当に美しくって 洗いながらため息がでる。
なんでこんなのが当たり前にあるんだろう
本当に この国には いろんなところに 
手に届くところに美しさ が 溢れてる
モネたちが日本に憧れていた頃に フランスでは
『藝術の日本』という本が書かれていたけど
本当に 実はこの国はすごく美しい国なのかもな
こうしていつも 美しいものや景色に触れて生きていられる
それって かなり 素晴らしい。

フランスに行くなら

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