alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

場の方程式

2010年02月27日 |  カフェ的な場で考えたこと
 今日はかねてより議論したりもしていた
エコリーグの15周年partyの日で
どうなるかなあと思ってたけど
私自身の結論としては 場というものは
ないよりは 断然あったほうがいい!ということだった。


 今日や今日に至る道のりで いろんな人と話してて
「あの年の8Gが僕の人生を変えたんです」とか
「僕もあのイベントがきっかけで」という言葉を
何度耳にしたことだろう。 今日はかなり前の代の方から
かなりの後輩世代までいて あああのとき一緒に
8Gをやった若手の学生が 今ではこんなに立派になって!
一生懸命活動している そんな姿をみていると
本当に嬉しくなってしまう。あの時があって 誰かが
続いて だからどの瞬間も無駄じゃなくって
それがどこかへと続く道。


 「未来をつくるワークショップ」で「過去に仲間と
未来について語った経験を思い出してください」
というのがあった。私としては ちょっと苦々しい気持ちを
かみしめながらも いつ という正確な一日ではなく
あのころエコリーグを真剣にやっていたころ
「仲間たち」 と 語っていたのを思い出す。
思い出してはいけないような だけどそれが
結局のところ 私にとっては大切で
捨てられない夢ではあるから あのときあそこで
語っていたこと それを思い出さないわけにもいかなかったから
なんだかはがゆい思いでそれを話した。


 エコリーグかあ、、、


 何とも言えない気持ちでこの一週間
今日が来るのを待っていたけど


 やってみたら 意外にもたくさんの人たちがきて
かなりびくびくしていた歌をうたうのも
はじめてみたら 誰かが肩をくみ出して
私はそれでうれしくなった そう あのときも
みんなで涙を流して歌っていたね?
そこで私は真ん中にいたから
今日というこのときくらい 少しくらいは
真ん中で歌わせてもらっていたっていいのかも
そんなことを思いながらも恥かしい気持ちは
一杯だったけど なんだかとっても嬉しくなった。

 場 というのも 想いを誰かに伝える事も
やってみたら よかっただとか よくないだとか
賛否両論あるだろう。批判すべきところも
反省点もあるわけだけど だけどないより
ある方がいい。だって そこで 何かが変わる人も
何かのきっかけとなる人も 反面教師にする人もいて
結局出発点になるわけだから。


 そんな場 で 何かが起こるようにするには
どうすればいいのだろうかと 最近感じた
フラストレーションなんかを私なりに見ていた結果
こんな結論にたどりつく。


 場にフラストレーションがたまるのは

1 時間が短すぎるとき
2 強制的に拘束されていると感じるとき
3 参加費用が高すぎるとき
4 つながりを生み出すしかけが用意されていないとき



1の場合は議論をしようにも深める時間が全くないのが
大きな原因で 待つことによって 立ちあらわれる
そんなものを待つという そういう余裕もない状況

2の場合はやらされてる感が強すぎる場合
「なんでこんなことしなきゃいけないの?」
「企画に参加する意味がわからない」という感情が生じる

3の場合は「なんで こんなに高いわけ!?」という
負の感情を生じさせるのに加えて、高額な程
「与えてもらってしかるべき」というお客様意識が
生まれていってしまう

4の場合は来てはみたけど一人でポツン、、、
結局孤独なままだわ、、という感じなときで


 これを逆手にとってみる と
なるほど!カフェで何かが生まれるわけだと思えてくる。
カフェの場合は

1 カフェに行く事自体が目的化されている場合
カフェについてみると意外と暇なので議論もできるし
何も起こらない間を待って過ごせる余裕もある

2 カフェはとにかく自分がしたければすればいいけど
したくなかったら自分の世界に入っていれば良い

3 カフェは400円くらいで3時間はいられる!
(3時間語るとだいぶ議論が深まる)

4 カフェのマスターが常連さんを紹介してくれる
もしくはアトラクターが誰かを紹介してくれれば
孤独におちいることはない


 ので かなり素晴らしい場の条件をみたしているのでは?

 と 私なりの考えでいけば
何かが生まれる場を人工的につくるには
その場をいかにカフェに近づけていくかなのかもしれません
そしてその秘訣を知るには?
いい参考書があります(笑)
『cafeから時代はつくられる』です!
http://www.amazon.co.jp/新版-Caf´eから時代は創られる-飯田-美樹/dp/4434132024

 とはいうものの、フラストレーションが爆発するとき
逆説的に何かが生まれるというのもまたしかり。
反発分子が一緒になって力強い行動を起こすこともあって
その繰り返しなのかもしれない。
だからどうであれ場というものは
ないよりあった方がいい!!

 それから今回学んだことは あまりに
空白感のありすぎのイベントの場合
「はあ?なにそれ?やる気あんの!?」と
思われてしまい 結局人が集まらないこともある
それがとっても難かしいところではある。
そう考えると2007年の「自主企画メインの
8G」はかなり大胆な試みだったんだなあと
今更ながらに気がつきます。


 今回は西村さん、小林こうえいさんはじめ
沢山の方のご支援、ご協力によって色んな事を学ぶことができました!
場をつくるって大変だけど やっぱり場があるって
とても大事なことだとおもいます。本当におつかれさまでした。
本を買ってくれた皆さんも本当にありがとうございました!
それでは京都に帰ります~

子供を預かる

2010年02月26日 | 子どもから学ぶ
 今日一日はもともとの予定としては何もなくて
母から「今日はゆうちゃんを預かるからねー」と
言われてた。全然知らなかったけど 私の今回の
帰省の日 と 兄の引っ越しはかぶってて
そういうわけで 実家にはれんちゃんも私もいるのに
それに加えて兄の子も預かる日が続くらしい。


 私はといえば 普段は母に子供をまかせて
ふらふらふらーっとどこかへいってばかりいたけど
預けるって大変だ!!と実感するのは預けてみたときではなくて
人の子を預かってみた時だろう。
(預ける場合は「ありがとう!!」「すみませんでした」
「どうでしたか?」「そうなの!よかったねえ!!」
それとお礼の何事かでだいたい終わる)


 今日は朝の10時半から夜の9時までその子と過ごして
丸一日 ほとんど休みももらえることなく相手をしていて
本当に疲れてしまった。 明日の15周年行けるのだろうか、、、


 自分の子供が一人だけなら そして自分の知ってる家なら
自分が大変になってるときは 「もーいいわー 何されても!
好きにやっててー お母さんはしんどいんだから!」と
放置することもできるけど 他人の子だとそうはいかない
何かあったら大変なのだ!!


 自分の子なら 頭を打っても ちょっとくらいの血がでても
「痛いのいたいの飛んでいけー!」とか「それくらい大丈夫!」とか
適当に言ってたらなんとかなるけど 他人の子だと
「もしこれが重大な事故になったら、、、」と
考えるだけで恐ろしいから 決してそんなことがないように
常に見張ってないといけない。

 「小さい子って目が離せなくて大変ですよねー」と
よくバスに乗ると言われるのだけど 「そうですよねえ」とか
言ってはいるけど 私の場合はけっこうれんちゃんを
放ったらかしてて いつでも遊んであげてるわけではないし
隣の部屋で放ったらかす事もよくあるけれど
他人の子だと緊張をする。


 それでもだいぶ 兄の子とれんちゃんは仲良くなって
れんちゃんが生まれたときは もう別世界の生き物のように
二人はまったく違っていたのに 大きくなったら
7ヶ月の差があるだけで 背丈も2倍違うというほどではないし
身体能力の差はあるけれど れんちゃんももう走れるし
階段の上り下りもだいぶできるようになったから
なんとか彼についてけて もう慣れたから
けんかにも泣いてばかりじゃなくなった。


 そうして彼らはうちの父のジープに乗って
二人でハンドルを奪い合い じいじのマネして
帽子をかぶり サングラスをかけ 手袋をはめて
運転席でハンドルを握ってる。そしてハンドルが
ちょっとあいたら すぐにもう一人がそれを奪っての繰り返し。


 ジープをおりて 今度は外で歩いてみると
兄の子は猛ダッシュで走っていって
れんちゃんは後ろの方でうろうろしていて
兄の子を追う私だけでは手が足りないから
じいじに「れんちゃん見ててね!!」とお願いしながら
彼を追う。そして追ったと思ったら
彼も勢いをだしておおいに転び
アスファルトに頭を打ってエンエンと泣く。
それからまた元気になるけど私もびびる。
そんなことの繰り返し で 今日は小雨だったというのに
彼らはいっこうに家に入る気配がない。


 無理にご飯だからと連れ戻しても
れんちゃんはかんしゃくを起こして泣く始末。
それでもなんとかかんとか家に入れて
ようやくお昼だと思って食べたら
楽しみにしていたフィギアがはじまり
これだけはなんとしても見てやる~!と思って
テレビにかじりつく と 置いてけぼりの
二人はつまらないのか リビングの引き出しをあけ
父の蓄音機のロウカン(レコードよりもっと古いもの)を
ぶちまけはじめ 宙に投げては喜んでいる。
危ないよー!と思ったものの フィギアをみたいのと
いい加減かまうのにヘトヘトになっていたから
もう勝手にやってくれ と思っていたら
二人の行動はエスカレートしていき
たくさんのロウカンが宙に舞い あるとき一つが
パーンと割れた。さすがにこらー!!と怒って
全部片付けることにしたけど
彼らの力は恐ろしい。


 最近二人は仲良くなって 二人でげらげら笑ってて
なんだか力も2倍になって 一人だけを見ているのより
はるかにエネルギーが必要で もうやめてー!と
思いたくもなるけれど 二人の笑顔はかなりかわいく
そう思う間につぎの行為にうつっているから
本当に休む暇もない!


 そうして気がつくと時間がたって もう3時になっていたけど
家の中だけにいるのもなんだから と なんとか
もう一台のジープを動かし (二人ともジープを
熱愛しているのでジープがいなくなるだけで
ひと騒動なのに加えて じいじがいなくなると二騒動!)
チャイルドシートを二つもつけて あてのない
ドライブに繰り出してみた。


 すると二人は20分もしないうちにこてんと眠り
じゃあ一時間は車の中か と 仕方がないので
じいじにマックのドライブスルーでお茶とお菓子を
買ってもらって ゆっくりお茶でも飲もうとすると
あれ 兄の子が起きている、、、
じいじの注文する音で もう目が覚めてしまったらしい。


 また仕方がないので 寺家ふるさと村というところを
さがして その近くで車をとめて 森の中で
雨宿りをしながらみんなでしばらく遊んで
深呼吸して 横浜なのに森を感じた。

 それから雨がひどくなってきたから
じいじが車を近くに持ってこよう と
ジープを運転しに戻っていったら
二人の子たちは「じいじ!!じいじ!!」と言って
雨の中を濡れまくりながらもじいじの方を
追いかける。「だからじいじは戻ってくるの!
森の中で待とう!」といっても誰も言う事を
きくこともなく 彼らはじいじを追いかける。
私はれんちゃんを抱っこでつかまえ
兄の子をなんとかつかまえて説得をする。


 そんな馬鹿みたいな光景も
思い返せば楽しくて 彼らはいっつも笑って
泣いて かんしゃくおこして でもまた
げらげら笑って 私も笑っての繰り返し。
帰りの車では私と3人でいろんな手真似で
合唱をし みんなで笑い転げて面白かった。

 もう夜には疲れ果てていたけれど(子達を除く)
待ちに待った兄達が帰ってきても
彼らか彼らで疲れ果ててて 夕飯を食べてる彼らは
自分の子供に全く構いたそうな雰囲気ではなく
誰か見ててー というオーラをかなり発していたので
仕方がないから私がまた3人で遊ぶことになる。
早く寝てくれという一心で 「みんなでお風呂に
はいろうか?ゆうちゃんもよかったらいれますよ」と
提案すると かなり兄達は喜んで
「本当!?みきちゃん 本当にいいの!?」と
いう感じ。


 いいですよーとはいったものの
疲れてる私もちょっと後悔したけれど
そして案の上彼らはお風呂の中で
水をめちゃくちゃバチャバチャし
まったくリラックスではないのだけれども
みんなで笑って水をかけあい 兄の子も
とってもいい表情をみせてくれ
本当に楽しい時間が過ごせて嬉しくなった。


 仲良くなるには時間がいって
二人育てるのはものすごく大変だけど
彼らはとってもいい兄弟みたいになれたみたいで
その笑顔 が 輝きが 本当に素敵なんだなあ

 子育てって 大変だけど 預けるのは簡単だけど
保育園の先生は きっと今日の私をもっと大変にした
感じだろうけど きっとこう思うのだろう
本当に大変だけど だけど素晴らしい笑顔をみせてくれるから
私はやっていけるんだって
そうしてこうも思うのだろう。 こんな笑顔を私は
毎日みてるのに お母さんはちょっとしか接してないなら
それはなんてもったいない とも、、、

 子供って 誰かが育てて面倒をみないと
どう考えても育たない。子供のいる誰かが
すきなことをやっていられるのは 誰かが
その人の身代わりになって 面倒をみているからで
それって相当大変だけど でもなんとかやってけるのは
かれらが本質的にかわいい存在だからなんだと
本当に思う。「こんなにもかわいい時期を
みていないのはもったいない」預けない人たちや
三歳までは自分で育てたら?という人たちはこう言っていた。
誰かに見せてるその笑顔 見せてもらえるものならば
「保育者」じゃなく やっぱりママに見せてほしい。

東京は楽しい

2010年02月25日 | 私の人生

 先週のワークショップの最後の最後で
東京にカフェ兼宿をつくろう計画
(通称ノマドの家)が浮上してから
「え もしかして 私東京に住むっていうのも
ありなんだ、、、!」と勝手にワクワクが
暴走しはじめ、それからできる限りの
時間を活かして沢山の人と話していたら


 どうしてなんだか 不思議なことに
浜名湖ユースに来た事のあるという人たちが
私のまわりに現れ始めた。


 ここは東京なんだというのに
ユースにいたのも もうだいぶ前だというのに
私としては もう東京で泊まれるカフェの話は
時効だったし ユースのことも哀しさを
通り越して 忘れるようになっていたのに
なんでまた こんなに急に?

 先日のイベントで講演していた榎本さんの
言葉を借りると まるで神様が語りかけてくれてるみたい。


 驚いたのは 昨日友人に急遽連れてってもらうことになった
早稲田に最近できたカフェ で そこのカフェの
話は前回東大に行ったときに聞いていて
そしたらそのカフェの店長さんと私の友人は
友達なのだと彼が言う。え?本当?!会ってみたい!と
私が言うと 彼は早速電話をかけて
今から行ったら会えるだろうと教えてくれる。
それで結局早稲田に向かって 懐かしいあの街を
歩いていると まるで東京じゃないみたい。

 早稲田はとってもあたたかくって
車通りも少なくて たくさんのお店があって
高いビルもそこまでないから 圧迫感を感じない。
こんなぽっかりしたところ が 東京の中にあるんだな。
今日六本木にも行ったけれども 六本木とは大違い!!

 それでカフェに行かせてもらって店長さんに話をきいて
いろいろとためになったのだけど 個人的に
一番驚いてしまったことは 私たちの話を横で
耳にしていた男の子 が あとからつかつかやってきて
「浜名湖ユース なくなっちゃったんですか!?」と
口にしたことだった。



 な なんで!?浜名湖ユース ご存知なんですか!!?



 すると彼は二回も泊まったことがあるという。
しかも2005年というから 多分私のいたときだ。
彼はカフェにはこなかったみたいだけれど
ホールのことは知っていて 一緒にホールを懐かしむ。
私にそのカフェを紹介してくれた友人も カフェに
何度か来てくれてたから 3人で「浜名湖ユースのホールかあ」
という気持ちになった。 こんなところに
3人も ユースを知ってる人がいるとは!
こうやって 私がそこでやってたことを
実際に知っていて 来てくれていた人がいて
そんな友人が「カフェと宿!美樹さんに向いてるよ」と
言ってくれるとなんだか嬉しくなってしまう。


 それから一日しかたってないのに
今日別件で会ったエコリーグの後輩は
話していくうち かつてうちの旦那がやってた
イベントの話を口にした。「わくエコってありましたよね、、」
わくエコ?子供わくわくエコキャンプ!?
私としては記憶の隅においやられていたものだけど
そういえばあった!そう それは私が旦那を
けしかけて何かしたら?と言っていたら生まれたものだ。
「それで出会った二人がこの間結婚したんです。」


 へーえ そんなことがあるんだなあ!!
ところであなたも参加してたの?「してましたよー!」
ということは 浜名湖ユースに来てたんだ!
へーえ そんなことがあったとは、、、!


 こんなところに あんなところに
ユースを知ってる人がいて
それだけじゃなく そうあそこにはカフェがあり
イベント中にも私はカフェをやっていたんだ
そんなこと が あったなあ


 彼とは今度はエコリーグの宿泊型イベントの中での
カフェの話で盛り上がり 彼がはじめて来た
イベントには私のカフェがあったそうな
それが私がはじめてエコリーグでやったカフェ で
それからカフェは伝統みたいになってった。
今は四国でもカフェをやったりしてるんだそうな
そんなことがあるんだな


 沢山の出来事があり 苦しい思いもしたけれど
やってみて どうだったのか 意味があったのかと
思う事だって沢山あるけど こうして聞くと
どこかで誰かがつながっていて
どこかで誰かの人生に 何らかの影響を及ぼしている
それって何だか すごいこと で
なんだかとても あたたかい。


 東京にいると いつも話は尽きなくて
ああもうこんな時間だわ!と時計を見る度
驚いている。そうしてみんなと熱く語れる。
そのうち未来がみえてくる。


 私にとっては未来というのは
やっぱりワークショップからよりも
カフェの語りから生まれるようで
そのために は 語れる相手がとっても大事で
どうやら彼らは 何故か東京に集まるらしい。
なんで京都じゃだめなのかなあと
長い事思ってきたけど 先日わかった。
それは文化の問題なんだ。
東京と京都では あまりに気質が異なっていて
それは平安 鎌倉時代から もう
しっかり違うものだから
そこをどうにかしようとするより
私は自分に合った風土に飛び込む方が
きっと手っ取り早いのだろう。


 東京はなんだか楽しい。
空気はあんまり美味しくないけど
それでもとても楽しくて
水を得た魚のように 私はピチピチしてしまう
明らかに東京にいるときの自分と
京都の自分はテンションが異なっている。
日記をみても ブログをみても
その違い は 明らかで
京都だからこそできること も あるけれど
東京は心が弾む。なんだかワクワクさせてもらえる。
未来がどうなるのかなんて まだまだわからないけれど
何かが動き始めてるなら 私も一緒に動きだそう。

遊びの可能性

2010年02月25日 | 子どもから学ぶ
 私がこの一年に出会った教育学の先生達は
「遊びは学び」なんだと主張していて
子育て真っ最中の私としては まさに
それを身体で学べる そんな時期にあるのかななんて
思いながら れんちゃんと一緒に過ごしてた。


 時に何やってんだろう と思いながらも
時に空しくなりながら も
時に働きたい!と思いながらも
彼との時間を重ねていった。


 そうして葛藤しながらも子育てをしていく中で
先日の「未来をつくるワークショップ」に
参加をして知った事 は 「遊ぶ事の重要性」を
認識している人たちが多いといっても
実際に毎日毎日仕事をしている働き盛りの
男性達は 遊ぶという経験どころか
身体をつかう そんなことすらないらしい。


 そんな話を聞いていて ああ もしかして
私って恵まれた状況にいるのかも、、、
とちょっと思った。それまでは
「いいなあ社会の第一線で働けて!!!」と
かなりうらやましがっていたけど
みんながみんな 自己実現して楽しく仕事を
できているというわけでもないし
「今日も会社に行きたくない~!!」と
思いながらもなんとか行ってる そんな
人たちもけっこう沢山いるようで
それと比べるのも変だけど
私はれんちゃんにかまいながらも
毎日遊びを開発していて
それはとっても面白い。


 子供にただただつきあって
「つまんないなー 早く家に帰ろうよー」という
気持ちだけで眺めていると 寒いし
子供の遊具は大人にとっては楽しくないし
もう嫌だーと思ってしまう。
公園に行くと そんな顔して
嫌々ながらも仕方がないから遊ばせに来た、
そんな顔をしたお母さんにもよく出会う。


 だけどそんな時気持ちを変えて
遊びを発明してみると 意外と自分も
その世界に入っていけたり
れんちゃんはめちゃくちゃいい笑顔で
喜んでたり 二人でイメージの世界に入って
げらげら笑う それもけっこう面白い。
そういう訳で なんだかんだで
私たち は 毎日大きな口をあけて
あっはっは!!と笑いあってて
それはそれで とても素晴らしい経験なのかもと
ワークショップで気がついた。


 子供達 は 生まれたときから
ものすごい可能性を持っていて
それをどんどん開花させてき
イメージをふくらませては
自分の世界をつくってく。
公園で遊んでいる小学生をみていると
設計された通りに遊ぶ子なんて誰もいなくて
激しく反対方向だったり
アスレチックで鬼ごっこしたり
ブランコに二人乗りしてすごい高さまでこぎあってたり
すさまじく動き回っている。

 こんなにも遊びを開発しまくっている
人たちが 激しい身体能力の
ある人たちが 大人になって会社員になってしまうと
ほとんど遊ぶこともなく
「遊びが学びだ!」ということを
まじめな会場で椅子に座って聞くことになる。


 シュールレアリスムをはじめたアンドレブルトンは
「まじめくさった大人達の社会が大嫌いだ」と言っていて
かつ「一番素晴らしい経験ができたのは幼児時代だ」とも
言っていた。なんだか子供と時間を過ごしていると
そういう意味がよくわかる。

 子供の無邪気な視線で大人達の真面目くさった
行動をみていると なんだかおかしく思えてしまって
そんな大人になるために この子達は生まれてきたのか
そんな大人になるために お受験を重ねていくのか
そう思ってしまうと 子供をどう育てていいのか
検討もつかなくなってしまう。


 個人的には ブルトンの思想は大好きだけど
子供や無意識や偶然などから沢山学んでいきたいし
まだまだ学ぶところは大きいだろうと思うけど
子供はいつか「社会」に入っていく訳で
そこがとっても難かしい。
大人がもっと 子供たちから学んでくれたらいいんだけどな
もうちょっとゆるい社会に 少しくらいは
誰かと向き合うゆとりのあるような社会になってくれたらいいのに
子供は本当に素晴らしいものをもってうまれてくるのに
だれしも子供だったのに
いつしかそれらを失っていく

 それらを失っていく事が
大人になることかもしれないけれど
それらも大事にしたままで
大人になるってできないのかな?
そんな人たちもいると思うし
そんな人たちはすばらしい才能をもって
活躍してると思うから
もっとみんなが自分の可能性を広げていって
笑顔になれる そんな社会になってほしい。

 子供達 と 遊ぶこと で
見えてくるものもきっとあるから
普段は接する事のない 小さな子達と
機会があったら向き合って遊んでみてください

参加しますか? エコ・リーグ15周年party

2010年02月24日 | オルタナティブ
エコリーグに少しでも関わりのあるみなさまへ
今週末なのでとっくに予定入ってるよと言われそうですが
もう関係ないよときっと言われるだろうと思います が


 こんな機会じゃないと会えない人がいるのも確かです。


 かつて 仲間だと思って活動していた人たちは

 もう離ればなれなんでしょうか?
離ればなれかもしれないけれど
それでもせっかくだからと機会を用意してくれた人もいます。
(ちなみにそんな彼は肩の骨折で手術かもしれない状況だそうです)


 みんなでつながっていたような
一体感を持っていたような
同じ夢を共有したような あの感覚は
いったい何だったんでしょう?


 こんな機会でもないと 会えない人たちがいるのは確かです

 会っても何にもならないかもしれないけれど
 少なくとも あのとき会ったと
空間を共有してたと それだけは思い出になるかもしれません


 そのために何周年というのはあるのかもしれません


 昔 熱く語り合ったりしましたね

 もう十年も前のことですが


 かつて私の先輩がこういっておりました。
「今僕たちは二十歳だけれど 十年もたって
社会でそれなりの力をもつ年になって
まだ僕たちがつながっていたら
その時こそ僕たちは本当に社会を変えられるかもしれない」


 たくさんの夢を見てました


 あれはただの夢だったのかな
あれは夢想だったのか あの一体感は
本当はなんだったのかな


 私の人生は97年の京都会議で変わりました。
エコリーグに出会わなかったら もっと
つまらない人生を送ってただろうと思います。

 みなさんはどう思ってますか?
こんな機会でもなけりゃ いつまでたっても
ばらばらなんです それでもいいのかもしれませんが

 機会だけは存在してます。

 まだ申し込みは間に合います。
何も起こらないかもしれませんが 何かが起こるかもしれません


 結局はそれは自分次第なのかもしれません


 「エコリーグは可能性なんです」
十年前の私はそう言っていたのを先日思い出しました。
エコリーグの可能性って どうだったんでしょう?
これまでかもしれないし これからかもしれないし
未来は自分たちがつくるものなら
自分たちがどう思うかで 変わるものなのかもしれません

私は会には参加しますが 飲み会は行けるかわかりません
お会いできる方!お会いしましょう。




====★ エコ・リーグ 15周年記念OB・OG会 ★======

◆日 時:2010年2月27日(土)14:00~
 ※受付開始 13:30~

◆場 所:国立オリンピック記念青少年総合センター(オリセン)
     国際交流棟 レセプションホール
 (MAP):http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html



◆会 費:社会人-5,000円、学生-2,000円(軽食・ドリンク)
※会費のうち一部がエコ・リーグの運営に寄付されます。

◆プログラム
 13:30 受付
 14:00 <オープニング>
  ・現代表理事から挨拶
  ・乾杯の挨拶
 14:15 <歴史の証人>
 14:25 <エコ・リーグの現状を伝えるプレゼンテーション>
 14:45 <ワークショップ>
 15:55 <クロージング>
  ・次期代表理事挨拶
 16:00 プログラム終了&歓談
 17:00 会場完全撤収、その後、飲み会へ。
===========================================================

ご不明な点があれば、お気軽に、下記のエコ・リーグ事務所まで
お問い合わせください。

<エコ・リーグ関東事務所>
 〒162-0825 東京都新宿区神楽坂2-19 銀鈴会館507
 E-mail:eleague@mxa.mesh.ne.jp
 TEL/FAX:03-5225-7206 事務局長 福島


未来をつくるワクワク

2010年02月21日 |  カフェ的な場で考えたこと
 今日は「未来をつくるワークショップ」の2日目で
朝起きて機嫌のよかったれんちゃんにちょっと
パンを食べさせてから ごめんねー!といって
出ていって 帰ってきたら じいじに抱かれた
れんちゃんが まさに眠りについたとこだった。
というわけで子育てをして多分はじめて 
我が子を10分も抱いてなく 一時間も
接してないけど それなりに親子共々楽しい時間を
過ごせたようだ。


 私は朝の9時から東大に行き
期待をしていたカルロスさんという人の
おいしいコーヒーを飲ませてもらって目を覚まし
さーて今日は何が起こるのかなあと
どきどきしながら待っていた。


 今日の朝は はじめにグラフィックファシリテーターの
ゆにさんという方のお話をきき、彼女が描いた
漫画のような一日目の記録を見ながら
昨日は何がおこっていたのかをゆっくりと再確認した。
何が一番心に響きましたかーという質問があり
私は昨日でた「金太郎」の話がなんだかいいなと
思っていたので そこにふせんを貼付けてたら
参加者のうち二人しかあてられなかったというのに
何故か 私はそのうちの一人になって
皆のまえで どうしてそこに貼ったのか と
理由を話すことになる。


 何故かといえば 私は子育てをしているわけで
昨日のグループでの話し合いでは たくさんのとこから
「ありのままの自分」とか「殻をやぶった自分」とか
「赤子のように裸ん坊の自分」のような そんな言葉が
飛び出していて 赤ちゃんや子供の純粋さ
好きな物しか追求しない その姿って
みんな ちょっとうらやましくって 
そうなりたいと そう思ってもいるものなんだと
認識できて 驚いた。


 だけど私は子育てをして 育てるということは
今ある大人達のつくった社会にその赤子を
適用させることであるから どのくらい
それをやったらいいのか迷ってて
子供達をしつけて縛るだけではなくて
大人達こそ 子供から学ぶ事もあるんじゃないかと
考えていると そんな話をさせてもらった。


 それから今度はプロセスワークで
とこさんという方のデモンストレーションと
説明を受け 二人一組でワークをしてみた。
120年後の自分はどこでどう過ごしているのだろうか?
私はあまり時間はなかったけれど
アルプスの少女ハイジのような 山か丘で
木でできた小屋に住んで ゆっくりお茶を
楽しんでいる そんなイメージがわいてきた。


 さてそうこうしているうちにもうお昼になって
待ちにまったOSTで どうしようかな
私もレボキャンの話をするべきだろうか
どうしよう、、、と迷っていたけど
沢山の人が議題を出していたから
私もえいやっと レボキャンに関連しそうな議題を出した。


 さーどーなるかなあ でもとにもかくにも
お腹が減った!というわけで ちょっとこの人
面白そうだと思ってた人が「ご飯を食べながら
みんなでお話しましょう」という議題をだしていたから
それに行ってみることにした。


 そこでみんなで輪になりながら 自己紹介をしていると
ここで議題をだした人が「僕はグループオタクでねえ」と
変なことを言っていて その次の人が「それなら
紹介したいグループがあるんです。小学校時代に
体育が嫌いだった人たちでつくったフットサルの
グループなんです」と それについて説明を
しはじめた。その話はとても面白くて
私はとっても共感し あとでみんなの前で
「私も体育苦手だったんです!」とちょっと
カミングアウト(?)をしてみてしまった。


 するとその後 場がいったん解散の方向に
向かってからも その話に興味ある人たちが居残って
そこからそのまま議論になって 話題はどんどん
移っていった。勝ち負けの話、ルールは楽しむために
ある話、競争と協同の違いの話、協同といっても
何かしないといけないのか?そこに居るだけじゃ
だめなのか?そうしてあるとき話題がうつった。
「僕働くのを強制させられるのがすごく嫌なんだよね!」

 何のために働くのだろう?お金のためか?
お金って何のためにあるのだろうか?交換?
では物々交換では駄目なのか?もし食料や
エネルギーや教育や住居がほぼタダで手にはいったら?
その時何をするのだろうか
明らかに 働き方は変わるだろう、、、


 私たちのあまりにカフェ的なグループは
時に人が入れ替わりながらも議論に
夢中な4人くらいを中心にして 3時間以上
ひたすら議論しまくっていた。
それが私は楽しくて面白くて仕方なかった。
レボキャンでしたい話をすでにしてるじゃないか!
それがすごく嬉しくなった。


 さてそんな話が出そろったあと
サードプレイスと関連した話をしてたら
「東京にそんな場があったらいいね」という話になって
あとから加わった人たちと じゃあ宿泊型のカフェのある
ところだったら、、、 収益はこうやって
なんとかやっていけるかも?じゃあ誰がやるかですよね
みきさんやったら?子供もいるし ふわふわしてないから
信頼されますよ、、、、 え、、、ホント!?


 そーんなー 私京都に住んでいて旦那もいるのよ

 と思ったけれど これはかなり面白そうで
そりゃあそうで 私はまさにこんな場をつくりたいと
早稲田の時から思っていたし 計画書までつくったことが
あるわけで もう忘れていたし東京になんて高くて
住めないと思ってたけど なんだかとても楽しそう!!
こんな風にできるなら 都内にだって住めるのかしら
しかも家賃を少なくできて ラッシュにだってあわないし
みんなで集って 子育てもして なんだか
とても楽しそう!いーなー 実家も近いしなあ
東京はやっぱりワクワクするしなあ


 最後の最後に そんなイメージがふってきて
みきさんは適任だといわれて嬉しくなった
研究者か カフェをするのか 非常に迷うとこだけど
そんなの夢想にすぎないかもしれないけれど
なんだか面白そうだなー
旦那になんて言われるだろうか 
それだけが気がかりで ちょっと怖いから
先にブログに書いておこう。
そんなことができたらいいなあ
京都にいるより東京の方が 私はいきいきできそうで
せっかくだから わくわくできる
そんな未来を描きたい。

「未来をつくる」一日目

2010年02月20日 |  カフェ的な場で考えたこと
 「ワークショップで未来って創れるんですか?」
この企画をしている人に 私がしてみた質問は
このイベントに 参加してみた今日になっても
まだまだ答えはわからない。

 「そもそも未来ってどうやって創るんですか?」
と私はまた 彼に質問を投げかけた。
そしたらそれがそのまま大きな問いとして残ったようで
「未来をつくるワークショップ」の今年のテーマは
「未来をつくるって何?」ということになったらしい。


 さて ワークショップで未来はいったいつくれるの か?
今日はまだ一日目 で 明日は明日で京都のけんしゅう君が
OSTをがんばるらしく 妊娠中に京都で受けたOSTのイベントは
とっても素敵なものだったから 明日は明日で
きっと違う雰囲気になるのだろうなと思うけど


 個人的には どうもワークショップに私は懐疑的。



 今日は朝から 日本にコーチングというのを持ち込んだ
榎本さんという方のライフヒストリーを聞き
それはとっても面白くって とてもためになるお話だった。
彼の話で個人的に印象に残ったとこは
「気がついたら個人事業主になっていた」という話だったり
(その単語が私にとってあまりにもタイムリーで嬉しくなった)
「内なる声に耳をかたむける」というお話だったり
じゃあどんなのが内なる声なのかとか 
彼が自分の事業を辞めて 北欧のエコビレッジで暮らしてみたけど
何も起こる事なく 次第に神様を恨み始めたということだったり
日本にかえってトランジション運動という
新たにエコビレッジをつくるのではなく
既存の街や都市を持続可能にしていくという運動は
とても興味深かった。


 この人と少しでいいからお話したい!と思ったものの
榎本さんは忙しく お話が終わると次の予定へと行ってしまった
榎本さんが もっとカフェの魅力を知ったとしたら
どんなことを思うだろうか それに私は興味があった。


 それからワールドカフェをして いろんな話を
したのだけれど あまり印象に残ってないなあ
もう何度もワールカフェを体験したけれど
やっぱり尻切れとんぼな感じがしてて
あまりにも時間が短く そこで切るかよ!という
タイミング で 「対話」はブッツリ切られてしまう
それって本当にどうなのかなあとワールドカフェをする度思う。


 その後で 今度はAIというのをつかったワークショップで
二人一組でペアになり 計一時間 お互いに
インタビューをするのがあった。私たちは
素敵な会場の二階のデッキで 東大の風景や
樹々を眺めて 時折コーヒーを飲みながら
初対面の相手同士なのに なんだか沢山語ってしまった。
このインタビューはおもしろくって 聞かれる前には
想定もしていなかったようなこと が 口をついてでてくるようで
私も相手になった人 も お互いを深く知れたし
自分のことも思っていたより理解が進んで
なんだかとてもいい時間を過ごせた。


 それはよかったんだけど
ワークショップは「はいじゃあこれやってくださーい」
というのが何度も続いて えー そんな
さっきこの人に話した事を いきなり皆の前で
共有すんの!?何それー なんでそんなに
プライバシーを多勢の前で予告もなしに
さらけださなきゃいけないんだろう?と思ってしまう。


 その後のワークで それなりに は
面白いつながりだとか 自己肯定や
自分の本来の可能性に気づくことなど
それから自己実現に向かっていって
まわりの人も幸せにする そんなサイクルがみえてきて
そうやって みんなで一緒に頭をつかって考えて
何かが見えてきた瞬間は おもしろいなあと
思うのだけど なんだかなーあ
なんだか なんだな
ワークショップは どうしたって
やらされてる感が否めない。


 ワークショップを使った方が
うまくいくこともあるけど
初対面の 見知らぬ人と いきなりワークをすることで
本当の共有認識なんて生まれるのかな?
現実に対する共有認識はあるかもしれない
仕事に毎朝いきたくないとか
でも未来に対して そこで出会ったばかりの人と
いきなり一緒にできるのだろうか?
エコリーグのGatheringで感じてきた問題意識が
ここでも時々私をおそって
なーんだ あそこでやってきたことと
たいして変わっていないのか。

それなら今更の認識だけど
あそこであの値段であの質で
分科会やらワークショップやら自主企画やらを
宿泊型でやっていた それってかなりすごいことなんだ
ようやくそれに ちょっと気づいた。

 
 どうしてなのだか 私の参加態度が悪いのか
(ちゃんと参加してるつもりはあるのだけれど)
私の入ったグループは ワークショップやシェアリングをしても
そこまで盛り上がったこともなく そこから何かが立ちあらわれる!
そんな経験もしたことがない。それよりも
想いの強い誰かがそこにいることで
それに共鳴した人たちがぐーんと引き寄せられて
何かが起こる その方がよっぽど未来をつくっていくのだろうし
(逆にそんな経験は何度もしたことがある)
だからこそ 「企画」でもなく「ワーク」でもなく
本当の想いに基づき自分で計画することが
本当に必要なんだと思う
(たぶん明日のOSTはそんな場づくり)


 未来をつくるって何なのだろうと思うけど
エコリーグの自主企画からは沢山の未来が生まれていった。
私のレボキャンもそうだったし たくさんの
イベントが生まれていった。 そんな思いのある人が
仲間を集めていけるような そんな場 が必要なのだれど
大切なのは想いであって 手法なわけではないんだな、、


 カフェから時代が創られるのは
カフェには強制力も義務もないからで
本当に一緒にやりたい そう思った人だけが
参加すればいいわけで それだけの強い力が働いている
でもランダムに選ばれた人が一緒にワークをしてっても
(同じ会社で同じ目標とかじゃないなら)
なんだか微妙な気がするなー


 夢は誰と描くんだろう? 
見知らぬ人と 夢想するより
あの人となら面白そう!と思える人と
Hou can we do it?と考える方が
私にとってはワクワク度はよっぽど高くて
ちょっと無理かも でもあの人となら
あの人がOKと言ってくれるなら
こんなことすらできちゃうような
そうやって夢を描いていくのは
とってもワクワクすることだ。

 榎本さんは「僕も今から未来を
つくりに行ってきます」と言って会場を後にした。
私も東京にいるのもいいけど 洛西で
ちゃんと未来をつくるため に
カフェの人たちと何かを練るのも
大事な時間なんだよな、、、
(さすがに東京に来過ぎです!)


 誰と?どんな?どこで?未来をつくるのだろう
一年後?私はどこにいるのだろう
フランスに居られたらわくわくしそう!と
言っていたけど そんな風になるだろうか
明日は何が起こるのだろう
もっとワクワクできるといいな。
明日も朝から行ってきます。

どうしてなのか

2010年02月17日 | 子育て
 今朝はかなりショックを受けて
ブログを書いてみてから友達に会い
また色んな事を考えて

 どうして私は

 どうして私は4月入所の保育園の申し込みを
しなかったのだろう 

 と 歩きながら考えた。


 申し込みだけでいいなら することくらいはできたのに
それは本当に「申し込んでもどうせだめだろうから」とか
「ちょっと忙しかったから」とか 
そんな理由だけだったのだろうか。


 よく考えると 違った理由もみえてきて


 ブログでも悶々と書き続けてはいるけれど
私は子供がいる生活というものに
(たとえそれに自分が合っている方ではなくっても)
可能性を見いだしていて そこからもっと学びたい と
子供たちにこそ 21世紀の価値観の大事な可能性が
あるのではないかと思った訳で
だから他人の子供を集めて研究をするのではなく
自分で子供を産んでみよう と 思った訳で
そういうところで悩むから だから預けるのにも
けっきょく躊躇するわけだ。


 預けるのは簡単だ と 私は思う。
状況的には難かしくても 無理矢理にでも
仕事をみつけて(アルバイトでも)無認可で
空いてるところに預けてみるとか
実家の近くに住んでいるなら 週何日か
母親に見てもらうとか そういうことは
実際に動いてみれば できてはしまう ことであり
だけどそこで働いてみて もちろん家庭との
両立はとても大変だけど 子供のいない環境で
かつての自分がしていたように
何事もなかったように 子供をもっていない人たちと
一緒に仕事をしてみることは
どれくらい 成長なのだと言えるのだろう?


 そう私は思っていたから 躊躇したりもするわけで


 子供をどこかに連れて行くこと
それはとっても大変で


 そもそもその子が楽しんでるか
預けておもちゃに囲まれて 子供用の
プログラムできちんと遊んで成長していく
それでお互いいいじゃないかとも思うけど
子供にとってはそれがいいのかもしれないけれど
大人の世界に 何かが足りない
言葉でばっかり話していても 何かが足りない
潤いのような 深さのような 微笑みのような
足りない何かを小さな子供はもっていて
それを大人に与えてくれる


 私が預けなかったのは カフェの研究を
机上でするだけだったら子供はかなり邪魔者だけど
カフェという場にいくときに 子供が一緒な
その時に 最悪なこともあるけれど
雰囲気がぐんとよくなる それを何度も経験したからで
私が一人でカフェにいくのも それはそれで
すごく大切だけど れんちゃんとカフェに行ったら
見知らぬ人との出会いが生まれ 見知らぬ人たちが
会話をはじめる それがとても魅力的でもあったから。


 本当は 子供を箱の中に閉じ込めてなんかいたくない。
保育園が地域社会との何かをうたっていたところ、で
地域に住んでる私としては そんな集団の子供達 が
公園やら道路にいても 話しかける気にもなれないし
急いで車で迎えにきては さっさとそこを立ち去ってしまう
そんなお母さんたちをみてると 地域社会と保育園の
関係性があるようになんか思えない。
(以前は保育園の隣に住んでいたけれど
まったくそういった交流はなかった)


 だけど子供がもっと少数で歩いていると
たくさんの人が声をかけ 笑顔になってくれるから
社会に子供がいることで 明らかに場の質が変わる事があるから
それはこの私にとっては 研究の一環なのかもしれない。


 環境からカフェにテーマがうつったときに
沢山の人に質問された。「どうしてカフェなんですか?
エコなカフェをしたいんですか?」そうではない と
私は思った。でもどうしてなのかわからなかった。
それが今では 社会変革の場としてのカフェという風に
きちんと結びついていて もしかした ら
今回も 私にとっては カフェの次もしくは
カフェと深く関連しているテーマの一つに
子育てというのがあるかもしれない。

 
 私が働くというそのために 子供は預ける
そうして両者は全く別の世界で生きる
そういう世界はとっても楽なわけだけど
(東京では私もそうしているのだけれど)
でもそれは20世紀の価値観をひっぱりすぎな気もしてて
「何事もなかったように」振る舞ってても
何事か は あったわけ で
例えば子供が風邪をひいているとか 激しい下痢になっているとか
明らかにたくさんのことが変化をしていて
それならば 無理してみんながそう振る舞ってる
そんな社会のままでいるより
変化や違いを noiseさえもっと受け入れられる
そんな社会が 本当は みんなが口にする
多様性のある社会なんじゃないのかな

 たくさんの箱に 閉じ込められた人たちがいる
彼らは箱と家との往復で なかなか他では交われない
箱の中にいれておくことが 豊かな社会になるのだろうか
サードプレイスはそれと真逆な概念で
21世紀的だとするなら 私自身はもう少し
子供から 学んだ方がいいのかも。

 今日はカフェのカウンターでいい子に座ってたれんちゃん
ブログも書かせてくれたれんちゃんと 公園で
フリスビーをしてきました。

ため息

2010年02月17日 | 私の人生

 最近私はなんだかしょっちゅうため息ばっかり
ついていて れんちゃんは私と一緒に「あーあ」だとか
「はーあ」なんて言葉をつかってて
いけないなあとは思うけど なんだかため息が出てしまう。


 昨日は確定申告でちょっぴりワクワクしたというのに
今日は近所のカフェに経理のことに詳しいおじさんが
いるというので その人に会いにいって相談に
乗ってもらったら なんだか哀しくなってきた。


 私にとっては がんばっていただいたお金が
少しでもあり 誰かがやってきたことを
認めてくれた そんな証なのだけれども
彼からしたら そんな収入ははした金にすぎなくて
「うーんこれくらいの収入じゃあねえ
事業所得とはいえないですね もっと専らそれに
従事して働いてるか そういうのが大切だから、、、」

 そりゃあさ パートタイマーだって
一年間働いてたら よっぽど収入が多いだろうけど
私にとっては 誇りがあって 自分が細々
でも それなりに続けてきた研究の結果を
きいてくれる人たちがいて 興味をもってくれる
人たちがいて その人たちからいただいた
対価であって それはとても素晴らしいと思うけど
金額だけでいったなら「こんなの申告しない方が、、」と
言われてしまう。


 そりゃあそうかもしれないけれど


 申告したって これで「カフェ文化研究家」なんて
名乗るより 誰かに職を紹介してもらって
そこで働くことにした方が そりゃあ収入もいいだろう
それに保育園の優先順位もしっかり上がるだろうけど
私にだって想いがあって 私にだって誇りがあるさ

 どうなるかなあという想いで書いて
はじめての読者はうちの父 で
なんてコメントされるかものすごくドキドキしてて
それからだんだん いい反応をいただいて
あるとき東大の先生が読んでくださって
それからつながりが広がってった
私は本当に嬉しかったし
本当にそれを誇りに思った。
私は自分がしたかったことを
まがりなりにもやったんだ。

 もう院生時代やカメラマンのときのように
妥協なんてしてないし 自分が考えてきた事を
聞いてくれる人たちがいて それに
納得してくれる人たちがいた。
だから未だ見ぬ誰かに向かって
私は研究をつづけてて


 それが私の誇りなの


 なのにな 「これしか収入がない」と
そんな目線でいわれると それはとっても哀しくて
そりゃあそれが現実だけど
私は私で頑張っている。子供をみながら
研究をかろうじて続けていくのがどんなにしんどいことなのか
私はよくわかっているし 子育てをしたことがある人たちなら
きっとわかるだろう。でも「主婦の趣味?」とか言われてしまうと
それは本当に哀しくなる。


 相談にのってくれたおじさんは 決して嫌な人ではなくって
「窓口にいったらこういわれるだろうね ということですよ」と
言ってたけれど だけどなんだかへこんでしまった。


 一方で このまま言われてなるものかという
私の反骨精神は ちょっぴりそこで目覚めたわけで
今までだって頑張ってるけど よく考えたら
受動的でもあったわけ で もう少し
積極的に 自分で仕事をつくっていこうと
そんな気持ちにもなった。


 くそー 負けてなるものか!
来年もこうして言われてなるものか!
なんだか悔しい とってもくやしい。
保育園に預けられるような資格もなくて
大学に戻れるようなお金も知識もないけれど
だから仕方なく主婦をつづけて 子供が昼寝をした時だけに
なんとかふんばっているけれど 世間の男たちと同様
おんなじ舞台に立つのだなんて 子育て中の
女には本当に大変なことなのに 世間がそれを
求めてくるなら がんばる のしか ないのだろうか?


 どうであれ このまま言わせてなるものか!
今年はもうちょっと研究家として それらしくもっとやっていこう!


 子供のいない女性のみなさま
自分の本当にやりたい仕事は今のうちに 
しっかりと後悔ないよう確立させた方がいいですよ、、、
(後で後悔してもおそすぎるから!!)

確定申告?

2010年02月16日 |  カフェ的な場で考えたこと
 今日はれんちゃんを週に一回三時間だけ
預かってもらう日で 何しようかな
オルデンバーグもいいけどなんだかしんどいし、、、
と思ってああだこうだと悩んでいたけど
確定申告の相談会場へ行くことにした。


 私がかつて 妊娠中に行ったイベントで
出会った書家の女性がこう言っていた。
「青色申告はね した方がいいですよ!
そうしたら個人で事業をしているっていうことになるから
保育園にも預けやすいの」
彼女は実家が京都の人だったから
その日はたしか おばあちゃんに子供を
預けて参加していて 普段は「書家」という名目で
子供を保育園に預けて自分にとって大切な
書道に専念しているらしい。
へーすごいなあと思ってて
彼女が私に念を押して教えてくれた
青色申告 青色申告、、、
ついにその季節がやってきた?


 最近はまわりの人に
確定申告って何なのか はたして自分は
それをする必要があるのかどうか
聞いたりしてみているのだけれど
どうも調べた感じとしては 私のささやかな
収入程度じゃ する必要はないようで
だから相談会も必要ないかと思ってたけど


 今日はれんちゃんにめっちゃ悪さをされてしまって
半ばぶちきれ もーこんな子供のための
人生なんて本当に嫌だ!と思ってしまった。
そうして申告会場へと向かった私は
きっと子供を預けたくって 必死の気持ちで
保育園を調べていった お母さんたちと
似ていただろう。 それくらいの想いがなければ
何となく日々は過ぎゆき あれよあれよという間に
時は流れてしまう それでもそうまでがんばってでも
保育園の申し込みをきちんとするのは
かなりのモチベーションがないとできないことだろう。

 今日の私は 相当モチベーションがあったから
もう自分に不利であっても私も何かをやっているという
証明書類が欲しいんだ!とそんな気持ちで行ってきた。


 そして待つ事約1時間?何もかもわからぬままで
相談会場に来てしまった私といえば「自力作成コーナー」
なんかにびびりながらも ところどころ教えてもらって
最終的には記入の仕方がなんとかわかるようになる。
それで判明したことは 私の収支はかなりひどくて
赤字が50万もあるということだった!
皆さん 本 買ってください!
何故なら本を出版するのに75万くらい費やしているからです(泣)


 こんな赤字で馬鹿みたいだな こんなのなのに
書類を出す人なんているんでしょうか?なんだか
とても恥かしい気分になって 相談に乗ってくれた方と
少しばかり会話をしていた。
「本を出してるんですかー すごいですねえ
どんな本なんですか?」
「あ あの、、、 カフェに関する研究なんです」
「はあ? カフェ?」
「あの、、、そのへんの 町中にある、、
コーヒーを飲むところです」
「ああ カフェですかー」(こういう反応久しぶり)


 こんなに赤字経営(?)の私をみかねて
かわいそうだから声をかけてくれてるのかと思ってたけど
社交辞令にしてはなんだか話が深くなり
はて?本 買いますって でも ネットでは
ちょっと手に入りにくいんです だけど在庫は
ちゃんとあるから 本屋さんで注文すれば
手に入ります なんでこの人こんなことまで聞くんだろう、、?


 と 思っていたら 彼は本当に興味あるんです
私一日5回はコーヒー飲むんです と言っていた。
「こんな仕事してますから 絶対お金払いますから
本送ってくださいね!」と名刺を渡され
私は手元にあった通帳の振込先を彼にメモして
「じゃあ明日送ります!」とそこを後にすることになる。


 はあ?カフェ、、、?


 といってたおじさんが

 本当に本を注文してた?確定申告相談会場で?


 変な話だ! 本当なのかな?いまだになんだかわからない。
不思議な出会いがあるもんだ。

 
 これで私も 申告書を提出したなら
自分で語るだけじゃなくって「個人事業主」としての
「カフェ文化研究家」として認知してもらえるのだろうか
そうだとしたら 私の立場もちょっと変わる
そんな気がする。これはこれで もしかして
気がついたら起業していたようなものかもしれない!?
だったら私もアントレプレナー?そう考えると
なんだか少しワクワクできる。


 専業主婦!はやっぱり嫌だ。
幼稚園ママになるのも 私にはとても恐ろしくって
世の中にはママという人種が確実に存在すると思うけど
私は「ママ!」にはなりきれない。
れんちゃんはたいていは(一日の8割は)かわいいけれど
だからといってれんちゃんだけに自分の全ては捧げられない
だって全然違うんだもん
彼は毎日ジープやトラックにばっかり興味があって
私はカフェに興味があって 今は仲良くやってるけれど
全く違う人格で 彼には彼の趣味があり
彼には彼の人生がある もちろんママといるのも
大切だけど ママはなー ママにだって自分があるよ


 これからいったいどうなるのだろう
京都市内で一番15歳未満の人口比率が高いといわれる
西京区 で 保育園に預けるのは指南の技だけれども
もう少し もう少しくらい 私も自分の時間が欲しい。

ほどほどに子育て

2010年02月15日 | 子育て
 最近はあまりにいろいろやりすぎて
身体の調子は悪くなるかな?
いや まだ今のところ大丈夫かな?と
思っているけど 急に寒気がしてきたり
勉強をしようとしては眠気に襲われてしまったり で
やっぱりなかなか難かしい。


 今までかなり仲良くしていたニュータウンの
ママ友達は 私が東京にいってた間に
急遽仕事をみつけたようで 毎日のように
無認可の高い保育園に子供を預けて
働き始めた。彼女の話をきいてみる と
子供はれんちゃんよりも年下だけど
もう保育園にも慣れてるそうで
楽しくやっているんだそうな

 そんなら私ももう預けたい!!

 と思ったものの 先立つお金も存在しないし
それはそれで大変そうだし
4月からの入所の申し込みもやりそびれたし
これからどうやっていくんだろう。



 れんちゃんの相手をしながら
同時並行で 研究もやり 英語もやって
あげくの果てにフランス語やら その他諸々
もちろん家事も 節約術も
いろいろやっていくというのは 
やっぱりなかなか大変で 
東京の友人たちとつながってるのは面白いけど
私は子育て中のママであり 独身の男性達と
張り合おうとする事自体がまちがっている そう思う。


 昨日はバレンタインだったからなのか
さすがに丸一日家を留守にしようとしてたら
旦那さんが淋しそうな顔をしながら
これ見よがしに「子供とドライブ関西」という本を読んでいて
さすがに申し訳ないか と 予定をキャンセルさせてもらって
ファーストプレイスを大切にする日になった。


 それでみんなでご飯は家できちんと食べて
一時間かけてドライブをして チルドレンミュージアムという
以前から興味のあったところへ出かけていった。


 そこはとっても素敵なところで
旦那の実家の近くの田舎な雰囲気そっくりで
廃校を利用した建物なのも 旦那の通った
廃校になって使い方を模索している木造校舎の中学と
なんだか似ていて驚いた。


 つくと外には遊び場だったり 
シャボン玉をわんさかつくれる場所があり
中に入ると 駄菓子屋さんやら 食堂だったり
むかしの給食を再現しているところだったり
それから遊びの部屋もある。

 私はそこで 駒をまわしてみたけれど
全然うまくいかなくて それでもやってみようとしたのか
どういうわけだかそこに一人で長居してたら
駒が上手な小学生の男の子がたくさん指南してくれて
おかげでそこにあった小さな駒から大きな駒まで
ちゃんとまわせるようになった!

 それかられんちゃんと紙飛行機をビューンと飛ばして
なんだかたっぷり遊んでしまった。
遊びが学び だというのなら
私はもっと遊ばないとな 遊び方も経験も
かなりわかっていないらしいから
小学生やら先生やらに恥かしげもなく教えてもらって
もっと遊び上手になってみたい。


 れんちゃんはそこでも思い切り笑ってて
毎日まいにち いっぱい遊んで本当に楽しそう
そんな横で お母さんはため息なんかつきながら
(れんちゃんは「あーあ」と言えるようになってしまった)
「いーなー れんちゃんは!毎日楽しくて
一杯遊んで お腹へったらご飯よこせーっていって怒って
ご飯食べたら寝てまた遊んで お母さんも
そんな生活がいい!!」と言ってみたりする。
れんちゃんもお皿洗ってくれないかしら
料理つくってくれないかしら お菓子つくってくれないかなー
そんなのいつになるのかなー

 いつか助けてくれないかしらと思うけど
我が子はけっこう優しくて
「れんちゃーん ママのことギュッてしてー」
というとギュッとしてくれ それから
頭をいい子いい子してくれて
それからチューもしてくれる!
それでかなり癒されるから
よし また家事するかーという気になれる。


 この先どんな風に生きていくのかわからないけど
れんちゃんと一緒にいるから 大変な事も
一緒に居るから 得られる時間もあるわけで
自分のやりたいこともあるけど
お互いに無理ない程度に なんとか続けていけたらいい

未来をつくるワークショップ

2010年02月15日 | 私の人生

 年末から何度も何度も東京にいっていますが
またしてもいくことになりました!
今回はかなり面白そうな「未来をつくる
ワークショップ」というイベントと
27日のエコリーグ15周年に参加してきます。
未来をつくるワークショップはレボキャンへの
いいきっかけにもなりそうで 
本当に何かが動き出していきそうな予感がします。

 場作りに興味ある方は要体験のまとまった
手法も体験できるみたいですので
よかったら来てみてください!
一緒に語り合いましょう~


ーーーーーーーーーーーー

2月20日(土)-21日(日)(19日にも前夜祭を行います)に

「未来を創るワークショップ2010」

という、
対話を通じて新しい未来を生み出すための
ちょっと大人数のワークショップを行います。

2日間の対話は、
ワールド・カフェ、AI、OST、プロセスワーク、グラフィックレコードなど、
創造的な対話を生み出すためのプロセスを活用します。

と言うと何だか難しそうですが、
要は「みんなで話し合おう!」ということです。

ただ、
集まっても良い話し合いが出来るとは限らないのは
多くのカンファレンスやフォーラム、交流会が示す通り。

そこで、
いくつかの組織開発や都市開発、紛争解決
で使われているような対話のメソッドを活用します。

まぁ、楽しい対話なので、
来ていただければ体験してもらえます☆
準備は何もいりません。

そして、今回は、
日本で有数の実践の第一人者達が
ファシリテーターをつとめます。
このメンバーで出来るのは、僕に取っては
夢のコラボレーション。

すでにそれだけでわくわくします。
(ファシリテーターの紹介は一番下を見てみてください。)

2日半のプログラムのために、
40人のスタッフが3ヶ月の時間をかけて
(しかも全てボランティアで!)
準備を進めてきました。

このワークショップで行いたいのは、
「変化を生み出す」こと。まさにそのもの。

未来を創るというのは、
それぞれがこの2日間が無ければ出会えなかった
新しい未来に出会うことだと思います。

それは、単なるビジョン作りや行動計画ではなく、
新しい可能性を生み出すこと。

様々なプログラム(とても自由でとても楽しい対話のプログラム!)
を通じて、新しい未来と出会うための対話を行いたいと思います。

何かを変えたい!けど、どうしよう。
2010年に新しい未来を生み出したい!
こんな新しい社会を実現したい!
何かおもしろいものに出会いたい!

そんな方のご参加をお待ちしています。

様々な人、様々な分野の人が
知り合い、話し合い、未来を生み出す。

そんな場を創ろうと思います。

また、プログラムも日々進化しているので、
当日までにさらにおもしろい仕掛けがたくさん生まれそうです。
もちろん、参加していただく方にも
単にプログラムに乗っていただくのでなく、
この企画自体に参加していただきたいと思っています。

(この2010自体、スタッフの半数が2009の参加者から構成されてます)

2日に参加するのではなく、
始まりの2日を共に過ごしましょう!

どんなプロセスと未来が生まれるのか。

共に未来を創る仲間を募集します☆

※本企画は、非営利で行われています。参加費は全て運営にかかる費用として使います。
※もちろん、転送や紹介は大歓迎です。
※当日参加出来ない方へ。ツイッターでハッシュタグ「#future2010」を
用意しています。

■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□  未来を創るワークショップ2010~未来を創るって何?~
   2月20日(土)21日(日)at東京大学(※19日(金)は前夜祭を開催)
  http://positivelearning.seesaa.net/article/139941061.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□

今年の未来を創るワークショップのテーマは「未来を創るって何?」です。
タイトルの「未来を創る」そのものをテーマに掲げてみました。
まだコーチングというもの自体が知られていなかった時代に、CTIジャパンを創られ、
その後、世界を旅し、今はセブンジェネレーションズを中心に新たな取り組み
を行われているパイオニアの中のパイオニア、榎本英剛さん
のお話から、2日間のワークショップが始まります。

ワールドカフェ、AI、OST、グラフィックレコード、これらの対話のメソッドを
活用しながら、単にそうした対話のプログラムを行うのではなく、この場から始まる
新しい未来を創りだす。そのために集まり、そのために語り合う。
そんな共に話し合い共に生み出す2日間です。

ファシリテーターには、日本でも有数の実践の第一人者をお呼びしています。
(ファシリテーターのプロフィールについては下記をご覧下さい)

また、今年は、前日に前夜祭を用意しています。前夜祭では、ワールドカフェの
対話を通して、前の1年に起こった事を振り返り、
2日間をより豊かにするための時間を用意しています。

プログラム概要や、ゲストプロフィール、申込み方法等は、
下記をご覧下さい。

たくさんの方々と、
楽しい対話を通じて新しい未来を生み出せることを楽しみにしています。

主催:「未来を創るワークショップ2010」企画運営委員会
共催:ダイアログBar
問い合わせ:info.futurews2010@gmail.com

ツイッター用ハッシュタグ 「#future2010」

※ワールドカフェ、AI、OSTは、大人数で創造的な対話を行うためのプログラムです。
主に組織開発やまちづくり、コミュニティの再生などに活用されています。

【日  時】
 ・2010年2月19日(金)19時~21時
 ・2010年2月20日(土) 9時~18時 
 ・2010年2月21日(日) 9時~18時30分

【会  場】
  ・東京大学弥生講堂アネックス
   ※南北線「東大前駅」徒歩1分
 http://www.a.u-tokyo.ac.jp/yayoi/plan_annex.html

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
■プログラム内容
※AIとOSTのファシリテーターについては下記のプロフィールをご覧下さい
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
◆2月19日(金)19時-21時
 ワールド・カフェ前夜祭!
ワールド・カフェにフューチャーサーチのメソッドを取り入れて
ちょっと変わったワールド・カフェを行います。
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
◆2月20日(土)9時半-18時
午前
 0.カフェ・タイム
 1.オープニング
 2.ゲストのストーリーテリング&ワールド・カフェ
   ゲスト:榎本 英剛氏(CTIジャパン創設者)
午後
 3.AI(Appreciative Inquiry)で新しい未来の種を創るダイアログ
AIのプログラムを活用して、対話を通じて未来への変化の鍵を創ります。
 4.クロージング
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
◆2月21日(日)9時半-18時半
午前
 0.カフェ・タイム
 1.オープニング&グラフィック、1日目の振り返り
 2.プロセスワークで見る未来から見た現在
「エッセンス」と呼ばれるちょっと深いレベルから、未来と現在について
対話と体験を通じて考えてみます☆
午後
 3.OSTで共に新しい未来を創り上げるダイアログ
OSTのプログラムを活用して、対話を通じて未来への行動を創ります。
 4.クロージング
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
◆その他
 グラフィックレコーディング、プロセスレコーディング

 昨年のグラフィックレコーディングの様子
 (1日目)http://positivelearning.seesaa.net/article/112918695.html
 (2日目)http://positivelearning.seesaa.net/article/112961908.html
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
 昨年の様子:http://positivelearning.seesaa.net/article/113159013.html
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

【参 加 費】
  ・25,000円 ※2日間通しての料金です。2日間の昼食代を含みます。
(※会場費、備品、運営費、食事代、茶菓子代、ゲスト謝礼として)
本企画は、非営利で行われています。参加費は全て運営にかかる費用として使います。
         
 ◎スタッフ枠(2日間15,000円)を用意しております。
  広報、レポート作成や当日運営のお手伝いをしていただきます。
  (※締め切りました)

【定 員】
  ・80名(スタッフ枠を含みます)
  
■■【お申込みはこちら】━━━━━━━━━━━━━━━━■■

https://ssl.form-mailer.jp/fms/6cf28dfc85801
(上記申込みフォームよりお申込み下さい)

スタッフ枠を希望の方は[info.futurews2010@gmail.com]まで
タイトル『2010スタッフ希望』とお書きいただき、
1.お名前
2.メールアドレス
3.連絡先
を記載してご連絡ください。

■■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■■

【ゲストプロフィール1】
榎本 英剛(えのもと ひでたけ)さん
 1994年、株式会社リクルートを退職しアメリカに留学。
サンフランシスコにあるCalifornia Institute of Integral Studies (CIIS) にて
Organizational Development and Transformation (ODT:組織開発・変容)を専攻、
1997年に修士号取得。2000年、CTIジャパンを設立、代表に就任。
現在日本有数のコーチ養成機関となった同社の礎を築く。
2008年、トランジション・ジャパン、セブン・ジェネレーションズという
非営利団体を設立。現在は地元・神奈川県藤野町をベースとした
トランジション・タウンの活動を通して地域レベルの「暮らしの変容」を
促進すると同時に、セブン・ジェネレーションズの活動を通して
主に個人レベルの「意識の変容」を促進することに注力している。
他に、株式会社ウエイクアップ共同代表、株式会社CTIジャパン顧問、
株式会社CRRジャパン顧問。

CTIジャパン
http://www.thecoaches.co.jp/
トランジション・ジャパン
http://www.transition-japan.net/
チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウム
http://changethedream.jp/

【著書】
『部下を伸ばすコーチング』(PHP研究所、99年/改 訂版06年)
『図解 部下を伸ばすコーチング』(PHP研究所、05年)
【訳書】
『バーチャル・チーム』(ダイヤモンド社、98年)
『コーチング・バイブル』(共訳[CTIジャパン訳]、東洋経済新報社、02年/第2版08年)

【ゲストプロフィール2】
やまざき ゆにこさん
グラフィックファシリテーター

様々な議論の現場で,グラフィックファシリテーション
(=グラフィックレコード+グラフィックフィードバック+グラフィックダイアログ)
を実施する。
300人超のシンポジウムから,企業も国籍も違う参加者の集まる研究会,
組織を横断したプロジェクト,経営者・リーダークラスのビジョン研修,
組織研修,顧客との協働プロジェクトなど多岐に渡る。
企業・組織の事業判断・意思決定,プロジェクトや個人の意識・行動変革の一助
になればと"絵筆を持って"活動中。

※グラフィックファシリテーター(graphicfacilitator)は,
やまざきゆにこの商標登録です。

【公式】グラフィックファシリテーション.jp
http://www.graphic-facilitation.jp/
【連載】技術評論社「モヤモヤ議論にグラフィックファシリテ―ション」
http://gihyo.jp/lifestyle/serial/01/graphic-facilitation


【ファシリテーター・プロフィール1】
OST(オープン・スペース・テクノロジー)のデザインとファシリテーション

嘉村賢州(かむら けんしゅう)さん

京都市未来まちづくり100人委員会の事務局長
http://kyoto-machiza.jp/
NPO場とつながりラボhome's viの代表理事
http://homes-vi.com/index.html

(スタッフからの紹介)
京都のまちづくりを始め、様々な現場でOSTを活用した
大規模なセッションを実施。OSTに関する実践の第一人者です。
日本で数少ない、OSTが機能した場面を知り、
またOSTが本領を発揮する場を生み出せる方です。
まちづくりの他にも、豊富な経験と知識を元に
AI、フューチャーサーチ、OSTなどのホールシステムアプローチ
を活用した企業変革にも取り組まれています。

【ファシリテーター・プロフィール2】
AI(アプリしエイティブ・インクワイアリー)のデザインとファシリテーション
土屋 恵子(つちや けいこ)さん

組織開発や人材育成の実践と展開に携わる。おもに「学習する組織」を軸とした組織
改革の取り組みに加え、前職で3年間のアジア統括人事として多様な文化のなかで
チームを率いた経験から、信頼をもとにした生成的なダイアローグ(対話)の重要さ
を深く実感。一人ひとりがのびのびと、豊かに個性が発揮できるチームや組織のプロ
セスと場づくりを目指して奮闘中。現在はIT企業に所属。

生成的なダイアローグを広く探求するなかで、2002年ごろにAIと出会う。ダイ
アナ・ホィットニーのワークショップにシカゴ及びタオスで参加したのをきっかけに
興味を深め、現在はケースウェスタン大学ウェザーヘッド大学院で、クーパーライ
ダー教授のもとでAIやホールシステムアプローチなどを基盤にしたリーダーシップ
と実践を研鑽中。

────>>>> 
□ご協力のお願い
未来を創るワークショップでは、マイ箸、マイコップの持参をお願
いしています。
それぞれの準備はしておりますが、環境配慮のためお持ちいただけ
るとうれしいです。

【主 催】「未来を創るワークショップ2010」企画運営委員会
【協 催】ダイアログBar

【未来を創るワークショップとは】
未来を創るワークショップは、2008年11月に
「未来を創るワークショップ2009企画運営委員会」のメンバーを募り、
スタートしました。
そして、第一回は2009年1月に横浜のBarnkart1929で実施されました。
委員会メンバーは、ダイアログBarの参加者を中心に、
組織開発コンサルタントや企業内人事、大学教員、
様々な対話の場の実践者などで構成されます。

未来を創るワークショップは、
ワークショップの中で多くの人が「ダイアログ(対話)」を通じて交わり、
1人1人のアイディアやエネルギーが融合してより大きなエネルギーを生み出し、
新たな発想で新しい未来像を描くこと、
そして参加者がそれぞれの持ち場(組織、職場、地域コミュニティ)で
“対話の場”を形成することを目指しています。

また、ワークショップは、
ワールド・カフェ、OST、AI、グラフィックレコーディングなど
創造的な対話のプロセスを生み出すメソッドを取り入れ、
自由でクリエイティブな対話と共に進められます。

昨年の様子:http://positivelearning.seesaa.net/article/113159013.html

【ダイアログBar】
http://dialog-bar.net

ダイアログBarは、「対話の場から創造的な社会を実現する」
をテーマに主宰の西村勇也が2008年4月に開始したコミュニティです。

コンセプトは”日常に対話の場を創る”

学習する組織、ダイアログ、国際協力、プロセスワーク、
組織変革/組織開発、デザインコミュニケーション、社会変革、etc

各回ごとに様々なテーマを扱いながら、ゲストのストーリーテリング、
参加者同士のワールド・カフェによる対話の場を生み出してきました。
開始から1年半で、計19回の対話の場を、
計800人を超える参加者と共に創ってきました。

【発起人】
西村 勇也(にしむら ゆうや)

ダイアログBar 主宰/代表

大阪大学、大阪大学大学院にて6年間、教育心理学を学び、
主に人の内面的な成長のプロセスについての研究を行う。
同時に、学生団体でコーチングと心理学を元に学生のキャリア支援、
キャンププログラム等の活動に2年間従事。

卒業後、人材開発・組織変革のベンチャー企業で
セミナー運営や企業研修のプログラムの開発に携わり、
その後、(財)日本生産性本部でメンタルヘルスをテーマに
企業の組織診断と、ワールド・カフェを始めとしたダイアログ(対話)による
組織開発プログラムの開発とワークショップの実施に従事する。

同時に、08年4月よりダイアログのプロセスを活用した非営利コミュニティ
『ダイアログBar』の活動を開始。海外のコミュニティより高い評価を得る。
1年間半で19回の「対話の場」を設け、約800人が参加。
現在は、「”対話の場”を創り、創造的な社会の実現する」をテーマに活動を展開。
ダイアログ、OST、ワールドカフェ、Circle、システム思考などのメソッドを
活用したワークショッププログラムの開発など多数実施。
対話の場を創るためのファシリテーションとプロセスデザインに取り組む。
2009年12月より、Art of Hostingの招聘プロジェクトを運営中(5/7-9に開催)。
著書:「ワールド・カフェの準備と手順マニュアル」(下記よりダウンロード)
http://kokucheese.com/event/index/1472/

英会話はじめました

2010年02月14日 | 私の人生

 先日久しぶりの友人に会った際
「私ねー 何故かフランス語も教えてんねん」と言っていて
「何故か」って何?と思っていたけど
そういうことが起こりうるんだとその後知った。


 カフェという場は どうやら職業斡旋所としての
機能ももっているらしく ある時いきつけの
カフェのおばさんにこう言われることになる。
「あなた フランス語できるのよねえ
英語はどうなの?英会話教えてほしいっていう人が
いるんだけど、、、」

 「英語ですか!?英語はちょっと、、、」と
言っていたのに 「フランス語ができるなら
大丈夫よ!」というわけのわからない理屈によって
一度英会話をしたいといっている方のお母さんと
お会いする場を設けてもらった。


 まさか私が英会話?とは思ったものの
カメラマン時代に尊敬していた人が私に
こういっていた。「専門学校で学んだ大切なことは
話があったら絶対に断っちゃいけないということです」
それは私にとっても教訓となり カフェに関することに
関しては ほとんど受けてきたけれど
え 英会話?どうしよう?


 どうしようかと思ったものの マイケルにはまったのを
いいきっかけに もしかしたらという機会に備えて
英語を勉強することにした。そしてその話から2ヶ月弱が
たった昨日に ついに私は英会話の先生役をつとめることになったのだ!


 大丈夫かよーと思ったものの
教える事になった人と一緒に本屋でテキストを選び
これならお互いいけそうかしら!?というのを買って
彼女のお宅にお邪魔した。そうして一時間
英語をやって やったらなんだか楽しくなった。
そういえば フランス語を教えていたこともあるけど
あのときもこんな気持ちだったなあ


 語学を教えることなんて 考えてもみなかったけど
今の私の状況にとって これはとてもいいことで
フランス語も 英語も 教えるとなれば
それなりに勉強をしなきゃいけない。
でもその勉強は私にとってはプラスにしかならないもので
読めるようになればなるほど 使えるようになればなるほど
研究の世界も広がるし 英語の世界も広がれば
考えても見なかったような 視点の本に出会えるだろう
シアトルのコーヒー業界の視察だっていけるかもだし
なんだかとっても実りが多そう。


 フランス語も 誰か教わってくれないかなあ
このご近所の 有閑マダムが平日に
蓮ちゃんをちょっとみながらのんびりと
フランス語 そんなのできたらいいよなあ

 英会話をやってみたいという彼女のおかげで
今年に入って私の英語に対するモチベーションは
飛躍的にのびていて 今まで全然やる気になんて
なれなかったのに それだけで彼女に感謝だ。
もっとこれから学び直して いつの日か
自身をもって フランス語と英語は使えます って
きちんと話せる そんな自分になってみたい。

私のサードプレイスで

2010年02月11日 | サードプレイスとしてのカフェ
 サードプレイスの本を読み
サードプレイスについて考えながら
サードプレイスに行ってみて
沢山の話を耳にしてきて また考える。


 火曜日には洛西でよく通っているケヤキにいって
水曜日にはれんちゃんを預けて一人で勉強をしに
山の麓のカフェにいき 今日木曜日はゴゴに行ったら
その後もう一見知人が開いたカフェに立ち寄ることになる。


 山の麓のカフェの方 は もう常連になっているのか
多分なってはいないけど お姉さんは「あの人ね」とは
認識をしていてくれて そこはだいたい60前後のおばさんたちが
おいしいランチを食べにきた後 そのまま話して
お姉さんともまたしゃべる。 そんな場所なのだけれど
私はそこも自分にとってのサードプレイスと思ってて
お話にも入れてほしいけど かけがえのない研究もしたい
そんな思いで揺れていながら 結局話をつい聞いてしまうことになる。


 今回はなかなか集中して本が読めなかったけど
おばさんたちの話をきいてしまうのは楽しくて
そこでこんな会話があった。

 「うちの旦那は空気みたいな感じでね、、」
「えー 空気ってとてもいいですね!
私もそんなこと言ってみたいなあ!!」
「うちの旦那なんてね 有毒ガスですよ 有毒ガス!」
(一同絶句)


 私はこの会話には参加はしてないのだけれど
つい耳にしてしまって 考えた。有毒ガスも大変だけど
(それでも彼女は3人も子供がいるそうだ
結婚は勢いだったのよーと言っていたけど、、)
空気ってそんなにいいのだろうか?


 私もよく 自分の旦那さんを空気のようだと思ってて
たまに夢をみたりする。はて 私だれと付き合ってたんだっけ?
不思議に思って目をさます と あ そうか
私 彼と結婚したんだわ、、、
そんなことまで忘れてしまう!それっていいのか?
空気って きっとあることをあまり意識してない
そんな存在でもあると思う
それってそんなにいいのだろうか 
私は「空気」と表現をした そのおばさんと話を
ちょっとしてみたかった。


 今日またオルデンバーグの本を読み
この本深いなと思わされるのは
結婚によって変わってしまった状況のことも
色々と書いてある事で
結婚をして(幸せそうにはたからはみえているのに)
実はすごく孤独を感じる妻達の生活だったり
男性の友人が結婚をひかえているときに
「ああ彼はサードプレイスで得ていたものを
これから手放そうとするんだな」とちょっと哀しくなる
人の話とか なんだかとても深いと思う。


 結婚をして子供を産んで 子供にかなり
ふりまわされてる私はというと どうしてこんなに
サードプレイスにいくのだろう?それは昔から
そういう人で カフェがないと生きられない人種だからかも
しれないけれど 結婚をして 子供を産んで
そういう人なりの孤独を味わってみた事でこそ
サードプレイスの重要性や 会話をすることの
必要性が 身にしみてわかったのかもしれないな。


 今日は久しぶりのゴゴに行き
はじめて一家で行ったのだけど
そしたら見知らぬ常連さんがカウンターに座ってて
私とお姉さんがドアのところで会話をしてたら
私がトイレに立ったすき に 彼は私について
質問していた。そしてお姉さんの声が聞こえた。
「大丈夫。あとでふってあげるから、、」


 そうなんだ。 ここのお姉さんはそういうのが
めちゃくちゃうまくて そしてここでは
彼のように 若い大学生の誰かがまた一人
常連になり かつて私が通ったように
カウンターに日々通いはじめて 
そうして誰かと会話していく。
ここにはテレビがあるのだけれど
テレビはとても重要で ここにいるお客はみんな
テレビの方を見ているそぶりを見せながら
本当は内容はどうでもよくて
人の話をきいている し
おもしろかったら 入れる隙をうかがっている
テレビは話題のきっかけにしかすぎなくて

 でも話を途中でやめてもいいし
また自分の本を読んでも良くて
沢山の逃げ場が存在している
だけど みんな 誰がいるのか興味があって
どんな話をする人なのか 
それとなーくうかがっている
それがとっても面白い。

 ゴゴはやっぱりつながっていて
なんともいえない カフェ特有の
「独特の連帯感」が存在していて
ここはとっても心地いい。
いる理由なんて何もなくても
閉店するまで居続けていたい。
そうして時を 何かが起こるかもしれないのを
ちょっぴり待って 共有したい
そんな気持ちにさせてもらえる

 やっぱりゴゴは気持ちいい。


 サードプレイスには沢山の種類の人たちがいる
タバコを吸う人 吸わない人も 子連れの私も
おじいちゃんも 団塊の世代の人も
クセのある人も 一見さんも 学生さんも
ときには中学生や小学生も外国人もいたりして
彼らと会話をしなくても
本を読んでいるふり(?)をしながら
ついつい会話を聞いてしまうのは
とても とっても 面白い。


 オルデンバーグの説によれば サードプレイスは
着飾っては行かないそうな たまに着飾って行ってしまうと
常連達から何それ!どうしたの?と言われるらしい
そんな時が あったよね。
ゴゴに通った 私とそこで出会った常連の人は
確かおんなじ日 が 卒業式で
謝恩会に行く前の彼は ばっちりスーツに
花束をもってゴゴに来た。

 ああそうなんだ 卒業したとき
それを祝ってほしいとき 真っ先に来る場所が
このゴゴなんだ 私はとてもそれがわかって
なんだかとても嬉しくなった。
カフェには色んな出会いがあって
独特のルールがある中
ゆっくりと人がつながってゆく
カフェは本当に奥が深くて
行く度に 心を打たれることがある。
dramaticという程でもない
カフェにはカフェの日常がある
だけど 時に dramatic なことがある


 あの人に また 会えるだろうか
あの人はあそこにいるのだろうか
常連さんとは ほとんど話題がなくっても
なんだかとても会いたくなって
ついつい探してみてしまう
出会いがあれば 別れがあって
カフェの客はゆっくり変わる
カフェはサードプレイスだけど
そここそが居場所な人もいる。
息抜きできる程度じゃなくって
そこに住んでる人もいる。

 振り返ったら 私もいくつか
そんな場所を もててたみたいで
それはみんな 京都にあって
それだけでも なんだかとても素晴らしいような
そんな気がする。サードプレイスの特徴は?
あたたかいこと 時に家庭よりも家庭のようにあたたかい。
オルデンバーグはそう言っていた。
本当に そうだと思う。
サードプレイスよ ありがとう。

The Great Good Place! 面白い!!

2010年02月09日 | サードプレイスとしてのカフェ

The Great Good Place: Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and Other Hangouts at the Heart of a Community
Ray Oldenburg,Ray Oldenburg Ph.D.
Da Capo Press


 先日れんちゃんを預けた時から読み始めた
オルデンバーグのグレートグッドプレイスは
はじめて挑戦してみた英語の本だったけれど
まさに今こそ読むべき本で 大変な思いはしても
やっぱりとっても面白い!から ついつい
がんばって読んでしまう。


 今日も もーどーやって時間とったらいいの!!と
半ば怒っていたところ 旦那さんに
「れんちゃん寝た後じゃだめなわけ?」といわれ
そういえばそれもそうかも、、、と気がついて
昼寝の時と 彼が寝てから時間を足したら
3時間弱にはなるかも? なんとか一日三時間
かろうじてだけど時間をつくって 
研究を進めて続けていきたいものだと思う。



 さて グレートグッドプレイスを読んでると
もーこれを読んだ人からしたら私の本は
パクリじゃないかと思われる程に(パクリじゃないです!)
すごく同じことを言っている。
いやむしろ 同じことを考えているといった方がいいのかも
そこまでは言ってないけど 私としては
つまりこういうことだよね!!と勝手に共感してしまう。

 サードプレイスでいかに新参者が常連になっていくか
(でもこれは私の本で書いたプロセスとはちょっと違った)
サードプレイスの見た目は意外とたいしたことがないだとか
(まさにゴゴや私の通っているケヤキはそんな感じだ!)
徒歩でいけるくらい家の近くにないとだめだとか
主人に認められるだけでなく 常連にも認められてなんぼなのだとか
(これは私の本には書いてないかな)


 これを読んでると あーどうみても
オルデンバーグはカフェやサードプレイスに
通った事がある人なんだ!とよくわかる。
こんな人の本はこれまで一度も読んだことがない。
おかしなことに ここまで考えが似ているのなら
参考文献が全く同じかと思いきや
ほとんどかぶってないようで ではどうして
こんなに似たような考えになるのかといえば
よくいる研究者の視点と違って
どう考えても 彼はサードプレイスが好きで
通っていたのだろう。だって「どうやって
カフェで常連になるのか」なんて
どこにもきっと書いてない けど
体験として カフェにいる人は知っている、、、


 こんな人が いたんだなー!
先日この本を読んでいるという話をしたとき
意外にもこの本はそこまで知られてないようで
「それなら美樹さん翻訳したら?」と言われてしまった。
私の英語力では無理だろうけど でも
私だからこそ(感情が入るけど)理解できることも
きっとあるのだろうとも思った。
英語が読めても カフェに対して通ったりとか
熱い思いがなかったら きっとよくはわからない
だけど私はよくわかるから 本当にとても面白い。
オルデンバーグの本をつかって 何かをもっと
伝えられたらいいよなあ!
もっともっと カフェの魅力を分析したいと思っていたら
やっとそんな人に出会った

 不思議なことに 大学院でやってたときは
誰一人としてこの本のことを私に教えてくれなかった
だけどとっても大事な本で もし第三版をつくったり
違う本をかけるのならば この本をもっとリンクさせたい。

 英語なんて フランスに留学してからかなり
さけていたけれど フランス語をがんばった甲斐もあり
意外にも言葉がけっこう理解でき これならなんとか
読んでいけるかも そんな気持ちがとてもうれしい。
やっぱり研究はとても楽しい 研究の醍醐味は
人に伝える事もあるけど 求めていた本に出会って
「そうなんだ!やっぱりそうなんだ!!」と感動するのが
とても楽しい そうしてぐんと世界を広げて
自分の中の確信を深めてまだ見ぬ世界へ向かっていくこと
それがなんだか楽しいんだな!


 気がつけば 環境活動なんかより
よっぽどか長い事カフェの研究をしていたようで
それは一度も 諦めることはなかったわけで
やっぱり私に合っている。
オルデンバーグはすごいなあ 
私も立派なカフェに関する本を書いて
影響を与えられたらいいよなあ
もっともっと 研究を深めていったら
第二弾の本を書ける日も来るのだろうか

 マイケルに出会い スタバの社長の本をよみ
今度はオルデンバーグに出会って
なんだか私のやる気は高まっている
大変だけど 「挑戦すること」少しでも
マイケルの爪のあかを飲んだ気持ちで
一歩一歩 未だ見ぬ世界に向かっていこう。

※『cafeから時代は創られる』まだまだ在庫あります!
ネットで購入しにくい方はalternativeway@mac.com(飯田)まで
ご連絡くだされば(送料込みで2900円ですが)お送りします
もしくは書店さんで注文いただければ在庫はあるそうです。
ちょっと高いですがよかったら読んでみてくださいね。

フランスに行くなら

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