alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

苦悩

2015年02月26日 | パリのカフェ的空間で
 昨日、6週間という長い沈黙期間の後で、シャルリーエブドは
次の号を発売した。表紙にはほっとすることに
マホメットの絵は描かれていない。描かれているのは
シャルリーエブドをくわえた犬が、怒り、興奮している人たちに
よって追われる姿。

 シャルリーエブドは苦悩していた。
もがき、本当に苦しんでいた。
新たに編集長になったリス氏は これまでもシャルブ氏とともに
シャルリーエブドを培ってきた人らしく、あの日の編集会議にも出席していた。
彼はテロリストたちが部屋に入ってくる音を聞き、彼らの姿をこの目で見ていた。
そして彼らがシュルブ氏に近寄ってしっかりと狙いを定めたことも。
彼自身も打たれたけれど、奇跡的に重傷で済み、
亡くなりはしなかった。恐ろしい現場に叫び声はほとんどなくて
気がつけば沈黙があったという。つまり、彼が周りを
やっと見渡せたころにはほとんどの人が命を落としていたということだ。


 病院に運ばれた彼は入院しながら恐怖で一杯だったという。
奴らがここを見つけて自分を殺しに来る・・・その考えに取り憑かれては
見つからない場所に逃げたくなった。彼にとっては事件後の数日間の
シャルリーエブドに対する連帯に感動するよりも、いつか奴らが襲ってくる、
その現実的な怖れの方が勝っていたといえるだろう。

 ほとんどの人が殺された中、一人テロリストから免がれた人もいる。
彼らは言った。「女がいる?女は殺さない・・・」彼らはシゴレーヌ氏を見つめていった。
「怖がるな、落ち着け。お前のことは殺さない。お前は女だ。
俺たちは女は殺さない。」(実際にはすでに一人殺されていた)
そして彼女にこういった。「だが自分が何をしているのか、よく考えろ。
お前がやっているのは悪いことだ。お前のことは見逃してやる。
見逃してやるからにはコーランを読め。」そして彼らは
「俺たちは女は殺さない!」と声高に叫び、部屋を後にした。
彼女はずっと覚えている。彼女を見つめたテロリスト、兄のサイードの目が
優しい目をしていたことを。そしてずっと自問している。
どうして彼は優しい目をしていたのだろう・・・。


 主犯となった兄弟について、多くのことがわかってきた。
私にはこの事件に関する様々なことが他人事とは思えない。
だからこそ、シャルリーとは何の関係もなく、誰からも
要請されていないというのについ気にしてしまうのだろう。
まず年齢だ。主犯の兄は34歳、弟は32歳。私は兄と同い年だ。
彼らはパリ19区という私も滞在していた土地に長年住んでいて、
しかも彼らが関わったイラクにジハード戦士を送る組織の名前は
「ビュットショーモン」というらしい。ビュットショーモンとは
まさに私が息子と毎日のように通った素晴らしい公園で、
もしかするとどこかですれ違ったことすらあるんじゃないかと思う程だ。
事件の後、フランスの新聞「ルモンド」にはほとんど毎日のように
この事件やイスラム社会について論じ、考えさせる文章が載せられている。
その中でまたしても衝撃的だったもの、それは意外にも
主犯の彼らがそこまで「気の狂ったテロリスト」のようには見えないことだ。


 彼らはアルジェリア移民の子供でフランスで生まれたフランス人だ。
5人兄弟で、兄が11歳の時に父が亡くなり、その3年後から二人で
一緒に児童養護施設に住むようになる。
二人がほぼ成人するまでその施設で過ごしていたが、彼らは
ほとんど普通の人と変らなかった。それどころか兄、サイードは
頑固とはいえ、控えめで、どちらかというといい人だったらしい。
有名な弟、シェリフの方はサッカーが好きで人を笑わせ、気性が荒いところもあり
目立つタイプだったどいう。性格の違う二人はお互い補完しあって生きていた。
フランス国外での取材に応じた兄の友達だったという人は
「あの当時サイードに出会えて本当によかったと思う」と言っていた。
家族の中で一番信仰熱心だったというわけではないものの、
二人の中で先に信仰熱心になったのは兄のサイードで、始めは
誰にも言わず一人静かに部屋で祈っていた。ところがある時から
あえてその姿を一目にさらすようになり、ウォークマンを聞き
「何聞いているの?」と尋ねられると「コーラン」と答えるようになる。
弟は信仰熱心なタイプではなかったものの、二人三脚の兄弟の中
兄に影響されないわけにもいかず、やがて信仰を共にするようになる。
彼らの中でしいて変ったところを挙げるとすれば、彼らは自分たち
「アルジェリア人」と生粋の「フランス人」をあえてわけて考えていたということだ。
彼らはフランス人女性と付き合ったことがある。けれども自分の
妹が「フランス人」とデートするのは許せない、と思っていたらしい。


 その施設を出てから約10年間で何が起こったのか、詳しくは誰もわからない。
彼らは唯一の親族である叔父の家でやっかいになり、
彼が影響を与えたのかもしれない。弟の方はイラクにジハード戦士を
送る組織に関わったことで刑務所にいれられる。そこで
よく語られているのは彼が2005年に刑務所に入った際に、
事件の共犯となったアメディ・クリバリと知り合ったということだ。
その時にはもう何かに対する激しい憎しみが生まれていたのかもしれない。


 事件が起き、彼らの名前はフランスどころか世界中に知れ渡った。
そんな中で驚きのまなざしでそれを知った人たちもいる。
それが彼らの妻たちだった。シェリフ・クアシ(弟)の妻はこう言っている。
「これら全てが現実ではないように感じています。悪夢を見ていて
夢が覚めることで終わるのではないかと思うんです・・・」
サイードの妻はこう語る。
「あなたと一緒に生活し、毎朝一緒に置き、一緒に笑っていた人が
12人も殺せるだなんて想像してみてください。そんなのありえないでしょう。」
彼らは「ちょっとバーゲンに行ってくる」と言い残し、家をあとにした。
彼女達の証言によれば、彼らが宗教の名の下に人殺しをするなんて
考えられもしなかったという。彼らはイスラムの中でもある種セクトの
ようなものに属していたと言われ、かなり「厳格な」イスラムだった。
シェリフの妻は人に姿をさらす時には上から下までを覆う「ジバブ」という
服を身に付けるように気をつけていた。彼女はイスラム国を「酷い」と
思い、アルカイダは彼女に死者や恐怖を連想させる恐ろしいものとして映っていた。
そして夫も同じように感じているのだと思っていた、そうルモンドに語っている。
彼女によれば、夫は毎日5回の礼拝を欠かさない「私のように
普通にイスラムを実践している人だった。」

 これら様々な記事の中、あまりに私の心を打ったのは、
「テロリスト」となった彼らの実の妹の発言だった。
家庭内でほぼ母親の身代わりのようになっていた彼女も
あとから同じ児童養護施設に入った。フランス式の教育を自然に
身につけた彼女の方は、自由に、他の人のように普通に生きたいと思っていた。
だからフランス人とも付き合っていた。けれどもある時「お前も
ヴェールを被れ」と兄達に強要されるようになる。
兄達が射殺された後、彼女は泣きながらこう言った。

「警官で亡くなった方もいるんですか?何なのよ、理解できないわ、
みんな絵のせいだっていうの?そんなのありえない。犠牲者と人質の家族はどうなるの・・・
こんなの本当に酷い、遺族は今悲嘆に暮れていて・・・
ノン 絵のためだけにこんなことするもんじゃない、
ノン  絵のために人を殺すなんてしちゃいけない。(中略)
たかが絵のため?そんなの酷すぎる。
私たちはお兄ちゃん達と同じ人生を過ごしてきた。父さんたちは
私たちをたたき、母さんはネグレクトした。それでも
みんなで手をつないで生きてきたのに・・・」

 移民の世界や苦悩を知らないフランス人の発言でなく、
彼らとほぼ同じ、いやもっと苦しかったかもしれない中で
フランスで生きてきた、実の妹の発言だ。
彼女の言葉はつきささる。ライシテの中で生きようとしてきた彼女
それは他の人たち同様、自分らしく生きる自由を与えてくれた。
宗教に目覚め、やがて急進的になっていく実の兄達。
それでも彼らは彼らで生活があり、傍らには妻がいた。
シャルリーエブドの中心にいる人たちも、テロ実行犯の周りの人たちも
1つだけ共通している想いは「これが悪夢ならすぐ覚めてほしい」ということだ。
だが悲しいことに、悪夢より恐ろしい現実を今生きている人がいる。
私にはわからない。けれど1つだけわかったことは
問題は単純じゃない、そして根が深いだろうということだ。
問題を少しでも解決に向けるためには
事件に多少なりとも関わりを感じる人たちの、相当な理解と歩み寄りが必要だと思う。


参考文献 Le Mondeより 訳は拙訳
"On ne tue pas pour un dessin, il a pensé qu'à sa gueule, Chérif" par Soren Seelow
"Les frères Kouachi:une jeunesse française" par Marion Van Renterghem
"« Charlie Hebdo » : le casse-tête de la reconstruction"Par Raphaëlle Bacquéé
"Riss:"Tous le monde n'est pas obligé d'aimer "Charlie""

侮辱雑誌?

2015年02月20日 |  カフェ的な場で考えたこと
 フランスのテロが起きてからもう1ヶ月以上が経って
その間あれは何だったのか この先どんな社会になればいいのか
沢山のことを知ろうと思い 出来る限り本を読んできた。
特に私が興味を持ったのはイスラムについてだったから
子育てと仕事の合間を縫って、電車に乗る度 時間が
ある度 少しでもページを進めようとした。
私は理解したかった。世界で一体何が起きているのか?
どうしてそんなことになっているのか・・・?


 シャルリーエブドの事件のすぐ後、フランスのメディアは
イスラム教の指導的立場にある人たちの見解を伝えていた。
「イスラムは平和を願う宗教だ」
「あんな事件にあまりにショックを受けている・・・」
イスラム教とイスラム過激派とは違う。それはフランスの
メディアが折に触れて伝えようとしてきたことだったと思う。
アラブ世界研究所での演説の際、「原理主義によって一番の
被害を受けているのはイスラム教徒の人々だ」とオランド大統領は語ったし
それと全く同じことはあの緑色の表紙のシャルリーエブドをめくると
書かれている。だからこそ事件が起こった当初、
イスラムの指導者達は多くのイスラム教徒に対して
日曜日のデモに参加するよう訴えかけていたのだろう。


 日本でシャルリーエブドについて書くこと、それ自体
もはや私には恐ろしい。それだけで「お前はあんな侮辱雑誌を
擁護するのか」とたたかれるような空気を感じてしまう。
シャルリーエブドを読むことも、その雑誌を持つことも、
その雑誌が言わんとしていることを真剣に考えることも
今の日本では難しい。でもその状況に、日本における
イスラム社会が一役買ってしまったことは否めない。


 私はもっとイスラムについて知りたくて
読めば読む程頭の中には疑問が一杯になっていたから
イスラム教徒の人の話を聞きたいと思っていた。
さんざん読んでもわからないから、そろそろコーランを
読まないと、謎は深まるばかりだろうと思っていた。
そんな折り、日本在住のイスラム教徒の方たちが
意見表明するセミナーがあり、えいやっと訪れてみることにした。


 一体どんな人がどんな意見を言うのだろうかと思っていたら
そこにはテレビで何度か目にした 日本在住の
イスラム教徒を代表するような方も参加し、意見を述べていた。
彼らの中には後藤さんと湯川さんのために祈り
出来る限りのことをし続けてくれた人もいて
ニュースを見る度にありがたい、いつか
会ってみたいと思っていた人たちと偶然にも会えたのは
私にとっては喜びだった。


 参加して実際の声を聞き、多くのことを感じた中で1つ
残念に感じたことは、意見表明をする登壇者たちの中に
ほぼ共通して「シャルリーエブド あれはひどい」
という認識が当然のようにあったことだった。
はじめに話をした方は「インターネットでちらっと
見ただけですがショックを受けました」と語っていた。
インターネットで・・・きっと私がしたのと同じように
画像検索をしたのだろう。そしてショックを受けただろう。
何これ?!というのが第一印象だっただろう。
それで、それから?絵と共に書いてあるフランス語の意味は?
解読しようとしたのだろうか?それともすぐに「ひどい」
と思って投げ捨ててしまったのだろうか。
私は講演を聴きながら思うところが一杯だった。
画像検索で出てくるようなのはほとんど表紙だろうけれど
表紙の裏に隠れているであろう その時の雑誌自体の内容も
読んで判断しているのだろうか?
表紙に現れた表現が、その時の時事問題に対応した
彼らなりの批判だったとしたらならば?


 私はこれまでも出来る限りシャルリーエブドに関する情報を
読んできたけど、侮辱だ!無礼な!遣り過ぎた!これは暴力ではという
批判はあっても、じゃあ具体的にどこが侮辱なのかを
論じている文章にはほとんど出会ったことがない。
シャルリーエブド自体はイスラム教自体を批判しているのではなく
イスラム原理主義を批判していると言っているし、
「神の名のもとに」全体主義的になり、自由が奪われ
最悪なことに人が殺されることがある。現実として
それは今でも、おそらく今日も、「神の名の下に」行われている。
そこを批判して、だからこそ黒い服を着たマホメットらしき人物は
「こんな馬鹿な奴らに愛されるなんて・・・」と嘆いているんじゃ
ないんだろうか?もちろん敬虔な信者にも慕われている。
でも残念なことに、現状では世界中の多くの
イスラム過激派、原理主義と言われる人たちが、
(一般のイスラム教徒からはあんなのはイスラムじゃないと言われても)
同じ神の名の下に各地で戦い、自爆テロを起こしてる。
パキスタンではモスクすら過激派に襲撃された。シャルリーエブドは
原理主義者たちについては確かに小馬鹿にした描き方をした。
だから原理主義者の側から怒りを買うのはよくわかるにしても
原理主義者が本当のイスラムとは「違うし全く関係もない」のであれば、
穏健なイスラム教徒の側は、もう少し違う目で物事を見つめないといけないだろうし
状況が悪化の一途をたどっている日々だからこそ、
穏健なイスラム教徒の指導者達が、イスラム教徒に向かって、そして
世界の他の人々に対して、声を大にしてその違いや追求している精神を
訴えなければいけないのではないかと思う。


 シャルリーエブドが新たにマホメットの絵を掲載し
世界には非難が巻き起こった。そのデモによって今度は死者すらも出た。
私だってまたしてもマホメット?とショックを受けたし、
それが穏健なイスラム教徒の方達を不快にしたことは否めない。
相変わらずあの絵をあのタイミングで出した意図はわからないけれど、
おそらくそれにも深い意味があるとは思う。
あんな中でも、あえてあの絵を掲載した。
それが意味するところを全く考えないほどに、彼らは「傲慢なフランス人」なのだろうか?
12人もの敬愛する先輩や関係者が亡くなった中、あえて
挑発し、侮辱し、社会を馬鹿にするような絵を描くほど、
シャルリーエブドの中にいる人たちは気が狂っているのだろうか?


 その意図やニュアンスをほとんど考慮することなしに
「またしてもマホメットが描かれた」ことを侮辱ととらえ
世界の多くの人たちはただ嫌悪感を表した。
パキスタンやチェチェンではデモが行われ、フランスの国旗も焼かれた。
日本でも東京新聞と中日新聞が絵を掲載したことに怒った人たちがいた。
そして穏健なイスラム教徒の偉い人は 東京新聞が素直に絵の転載を
謝罪したことを語り 日本の良さを褒めていた・・・


 私はシャルリーエブドを強く擁護したいわけではない。
けれども特に日本においてはあまりに早急に「侮辱雑誌」として
認識された感があり、それが果たしてそうなのか、もっと問う必要が
あるんじゃないかと言いたいだけだ。
シャルリーエブドの絵は一目見た時 確かにショックを起こさせる。
うわ、何これ・・・ここまで描くか
そう思うこともあるだろう。だけどそれから激しいモヤモヤが
残ってくる。何故そこまで描くのだろう?一体何を意味しているのだろう?
彼らはそんなにも馬鹿で傲慢な人たちなのか?
私はそうではないと思う。
本来だったらシャルリーエブドのバックナンバーをいくつか取り出し
フランス語がわかる人たちが頭を突き合わせて意味を解釈し
本当に意図していたことは何だったのか、それを考え
それから判断するべきだと思う。けれども日本には
アンスティチュにも都立中央図書館にもバックナンバーがないわけで
実際には判断のしようがない状態が続いているのでは?
(オランド大統領は彼らの事務所が襲撃されてすぐ
現場を訪問し、ショックを受けている関係者たちに
「私たちは来週の号を出すべきでしょうか・・・」と
問われた際に、「絶対に出すべきだ。」と力強く言ったという。
オランドや彼らを助けて事務所を貸したリベラシオン紙の
人たちはそんなにも侮辱を良しとする人たちなのだろうか?)


 もしかすると忙しい現代人にはそんなことを考える暇はないのかもしれない。
携帯でちらっと画像を見るだけで、この野郎!と思ってしまう。
そしてすぐに、自分の経験に基づいた判断を下してしまう。
もちろん当事者だったなら、受けるショックは大きいだろう。
けれどシャルリーエブドが大事にしようとしていたことは、ライシテと同じように
物事を相対的に、客観的に、一歩引いて眺める姿勢ではないのだろうか。

フランスの風刺画は明治の日本を揶揄していた。
西洋の猿真似をする日本の鹿鳴館の貴婦人たち。
描かれた方はただ描かれただけでも悔しかったかもしれない。
好きでそんなことしてるんじゃないと思った人もいるだろう。
それを客観的に眺められる立場にいる側と、渦中でもがいている側とでは
「力」の格差が存在するのはきっと確かなことだろう。
けれども今になって振り返ると「果たしてその道でよかったの?」と
むしろそれを描いた西洋人のような気持で、私たちもその絵を
眺めてる。シャルリーエブドがしたかったことというのは
「果たしてこんな状況でいいのだろうか?」と絵を通して
そしてもしかすると、笑われた悔しさまで通して
人々に考えさせることだったのではないのだろうか。


 私はずっと考えている。
どうしてあの絵のマホメットは涙を流しているのだろう。
けれど誰もそんなことを解説しようとしてくれない。
あのマホメットが舌を出してアッカンベーとしているのなら、
確かに侮辱といわれるだろう。でも彼は泣いている。
"Je suis Charlie"ということが、「私はシャルリーエブドに大賛成だ」
という意味でなく、「私も自由を支持する」(これが一般的な
Je suis Charlie の意味だ とフランスのプレスは解説している)というか
「私も(弾圧でなく)自由の方がいい」という意味ならば
平和を愛し、忍耐を唱えたはずのマホメットだって、(人殺しという
イスラムの通常の教えに反したことではなく)違う表現手段を支持する、
という意味合いだってあるのかもしれない。そう考えると
もういい、もうやめてくれ、このテロすら、すべてを一旦水に流そう(全ては許された)
神の名の下に人を殺すのはもう終わりにしよう・・・という意味にすら見えてくる。
私にはあのプレートが、なんだか白旗のようにすら見えてしまう。
神様が本当にいるのなら、神は神の名の下に殺し合いをすることなんて
望むはずがないだろう。宗教は、どの宗教だって、本来平和を求めるはずだから。


 批評雑誌や風刺画を出版するのはもちろん勇気がいるものだ。
殺される、かもしれない そう思いながらそれでも一歩を
踏み出すのはそうまでして伝えたいことがあるからだ。
表現の自由がなければ革新的な文化や芸術は生まれない。
サルトルは「文学作品とは呼びかけである」と言っていた。
誰一人との呼びかけに応じなくても、それでも信じるものを書く。
一人でもいい、いつの日か、わかってくれる人が存在するなら。そう思って書いていく。
おかしいものには勇気をふりしぼっておかしいのじゃないかと問うてみる。
迎合して言いたいことが言えないくらいなら広告なんてもらわない。
コーヒーマシーンがいつも壊れていてもそれでもなんとか描き続ける。
少なくてもいい、購読して、愛してくれる人がいるのなら
それでもなんとか続けていこう・・・例え倒産しかけても。


 コーランを読んでいない私にイスラムを語る資格はないかもしれない。
それならばシャルリーエブドの表紙のみを一瞥したことしかない人にだって
それを決めつけて語る資格はないと思う。
混迷をますます極める今の社会の中で、問題を大きくしているのは
決めつけや先入観、思い込みによる判断ではないかと思う。
果たして本当にそうなのか?できる限り自分の頭で考えること
早急に結論を出す前に もう少し違う角度からも情報を集めてみること
そんなことを言ってる場合じゃない という程に 世界の情勢は緊迫している。
もはやシャルリーエブドも自由があった過去の幻影にすぎないのかもしれないけれど
それでも少し 考えてみる 両者の言い分を聞いてみる。
西洋でもない、イスラムでもない、歴史的な利害関係が多くない
中立的な立場の日本にいるからこそ できることはあると思う。


追記:東京新聞に掲載された文章を読んだところ、
文章自体はシャルリーエブドがマホメットの絵を載せたことに批判的な
ニュアンスでした。(むしろ侮辱雑誌という感じすら伝わってくる)
私がその中でショックを受けたのは明らかにその訳が間違っていたことです。
直訳すると「全ては許された」なところが、東京新聞では
「全ては許される」と書かれていました。この最後の1文字の違いで
どれほどのニュアンスが異なることでしょう?
「全ては許される」そう、まさマホメットにだってJe suis Charlieと
言わせてやれ?どうせ侮辱してるんだから。そんなニュアンスで伝わります。
これはかなり簡単なフランス語の間違いで、どうして一人でもいいから
フランス語がわかる人に相談しなかったのだろう?と残念でなりません。
その「誤訳」により、そう思い込んだ人はそう思い込んで受け取ります。
私は個人的にはそちらを謝罪してもらいたいと思いました。


続・砂糖断ち

2015年02月15日 | 私の人生


 砂糖断ち に再び興味を持ったのは
皮肉にも そんな辛いことはほぼ無理だからと
以前ブログに書いた文章に注釈をつけようとした時だった。
私は砂糖断ちと水毒の症状緩和という二つの実験をしたことがあり
砂糖断ちはものすごく大変で継続しにくいものの、水毒の方は
いつも摂っていた水分を大幅に減らすだけでよく
かなりの効果もあったので その方が楽ですよ、と
書こうかなと思っていた。
(水毒というのは漢方用語で、水分を摂りすぎていることで起こる
不快な症状で 関節に水がたまる、胃のチャプチャプ感、
喉の異物感、おりもの、むくみ、下半身の冷え、頭の重さなど
これらは全部自分に当てはまっていて 今ではかなりなくなった)


 ところが自分が書いた砂糖断ちの文章を読み
思わずへえ~と思ってしまった。
そこにはすっかり忘れていた効果が書かれており
ふうん、やってみようかな、という気になった。
砂糖断ち とは言っても 甘いもの大好きな私が
完全に断つことはやっぱりできない。とはいえ極力
減らすだけでも、1日目から髪の毛に変化が訪れた。
今までは美容院で切ってもらった次の日でも髪の毛がはねる、
やっぱりパンテーンを買わなきゃな・・・と思っていたのが、
あれ、なんだかすっと手櫛が通る。髪の毛がしっとりしている、
そんな状態に驚いた。日々ハネやパサつきに悩まされていた
私にとって、もうこれだけでも相当な喜びで、この
「何もしていないのにしっとり感」は今も続いてありがたい。


 砂糖断ち をするとわかるのは 砂糖をとると
「だらり」としてしまうということだ。
だらり というのは口がぽかんと空き、よだれが垂れそうな
様子とも言える。また、すぐに姿勢がダラリとするのも
実感できる。なんというか、大切な芯となるものを
垂れ流してしまったような感覚だ。髪の毛にもコシがなくなり、
自分をまっすぐにさせる力がなくなり、だらんとしてしまう。
自分の実感としてわかったのはそんな感じで、心なしか
歯も白くなったように思うし、顔だちもハッキリしてきたように思う。



 さて、水分を減らすことと砂糖を極力とらないこと、
それに加えて先日読んで衝撃を受けたウィリアムス・デイビス氏の
『小麦は食べるな!』という本に影響され、
数日間パンやらパスタなど、小麦製品を避けてみることにした。
砂糖に中毒性があるというのは以前の砂糖断ちで実感でき、
禁断症状みたいなものすらあった自分に驚いたけど、
この本によれば小麦はヘロイン並みの中毒性があるらしい。
タバコ、ヘロイン、それから炭酸飲料くらいだと
「身体に悪そう!」と思うけど、人類を育んできた小麦が
まさか身体を蝕むなんて思いつく人は滅多にいない。
(この本では品種改良や遺伝子組み換えにより、もはや
古代から人間が食べてきた小麦と現代の小麦は別物だと述べられている)
私も本の存在は知っていたけど「そんなこと言ったって・・・」と
なるべく通り過ぎていた。とはいえ砂糖を断ってもお茶を減らしても
なんだか頭がぼんやりする・・・なんだか調子がでないまま、という
状態は結構あって、頭にもやがかかったような状態が本当に嫌だったので
もしや、これ、小麦のせい?ということで、ちょっとやってみることにした。
(本にはそれは小麦の禁断症状だと書かれており、小麦は食べれば食べる程
もっともっと食べたくなってしまうらしい。つまり朝パンを食べた2時間後に
どうしてもクッキーが欲しくなり、昼を食べた後数時間眠くなり、
またお菓子が欲しくなり。。。まさに私?)



 さて、小麦を極力避けてから驚いたのは、意外とご飯だと
お腹がもつということだった。かなりパン好きの私は3食お米なんて
久しぶりだったけど、昨日のお昼は小ぶりのおにぎり2つと
おかずが少々だけで、これでは夕方にお腹が減ってしまう!!と
恐れていたのに、ほぼ間食せずに7時くらいまでもってしまった。
これがサンドイッチだったなら、食パンを2枚の中に
オムレツを挟んだとしても、3時までもたないと思うんだけど・・・
(この空腹感は一般に言われる「お米はパンより腹持ちがいい」
というだけでなく、小麦特有の禁断症状であるらしい つまり
もっと小麦を!もっともっと、という状態を小麦がつくってしまう)
しかも一日中頭も冴えて、頭に空気がスウッと通る感じがしていた。
そういう状態は心地よいけど どちらかというと珍しく
図書館に行っても勉強したいのに何だか眠い・・仕方ないから
またコーヒー、の繰り返しだったのになと思う。



 砂糖断ち+水毒緩和+小麦断ち(すべてできる範囲で)の
相乗効果としては、髪の毛しっとり、それからこの1週間で
かなり痩せたように思う。特に1年程前に始めた水毒の実験前は
ぽっこりお腹だったのが、「あれ?ウエストがある」と思うようになり、
今回の砂糖断ち以来、ウエストが目に見えてくびれてきたようだ。
なるほど、人間を絵に描くとウエストがくびれているけど
本来そう在れるものだったのか・・・と妙に納得。
お腹から下がずいぶんすっきりしつつあり、水毒の実験以前は
もうきつくて着られないと思っていたようなズボンも大丈夫になり、
下着がゆるくなってしまった(それだけむくんでいたのだろう)
1週間程度でのあまりの変化にいつも驚きを隠せないし、
大丈夫か??と思うけど、身体の調子はいたって良いし
別に無理なダイエットをしているわけではない。
(例えば1食まるごと抜くということは一度もしていないし
食べる量もほとんど変っていないのに、お茶の量を減らし、
お菓子をできるだけ減らし、小麦製品も減らすことで
明らかにスタイルが良くなった)
お茶を減らす前は右膝がかなり痛かったけど、今では
痛みも相当へった。また、この3つの相乗効果が明らかに
表れるのは階段を上ったときだ。あの重い、つかれる、
もちあがらない・・・という感覚がない。身体の軽さを
感じてしまう。階段をあがった時に、全てがわかるような気がする。
あ、やっぱり摂りすぎた。身体が重い、そしてだるい。
そしてそれが反省になる。やっぱりもう少し減らさなきゃ・・・


 髪の毛がパサつくからトリートメントを買わなくちゃ。
肌色が良くないから高い化粧品を買わなくちゃ。
歯をもっと白くするために美白歯磨きを買わなくちゃ。
そう思うとお金はたちまち消えていく。
けれどこれらをやってみて実感したのは、上から何かを
塗ったり摂取していくことよりも、身体の中から
何かを取り除いて行く方が、効果が表れるのが断然早いし
お金は一銭もかからない。一銭もかからずにより綺麗に
健康になれる方法があるのなら、薬局に行く前に
1日だけでも試してみては?
(私はあまりに元気がなくてハーブに頼り、ハーブの資格まで
取得とったけど、ハーブ療法よりよっぽど効果が実感できる
それにハーブも高い!)

 いつも疲れを感じている人、食事やお茶だけが楽しみなのにと
思っている人、膝の痛みを感じている人、肌の調子が悪い人・・・
砂糖断ち、水毒、小麦断ちのどれか1つでも丸1日挑戦するだけで、
あれっ?という変化に気づくかも。
どこまで続けられるかわからないけど、小麦断ちはまずは
5日間やるのが大切らしい。これじゃあ成城石井に行っても
何の楽しみもないけれど、もう少し変化がわかるまでやってみよう。

(追記:この後誘われて家族でピザバイキングに行ってしまったら
やっぱり小麦は美味しい!パスタもうまい!と思ったものの、その後激しく後悔・・・
頭にもやがかかってフランス語読むどころではありませんでした。
そのもやを取り除くのにコーヒーも飲みましたが効果なし。
読みたかった難しい本は諦めました。
やっぱりしばらくできる限り断ってみようと思います)

興味のある方へ
はじめての砂糖断ちの記事はこちら
水毒についてはこちら
その続きはこちら
けっこう効果あると思いますよ・・・


イスラム世界を学ぶ

2015年02月08日 |  カフェ的な場で考えたこと


 フランスのテロが起こって以来、私の頭は
イスラム教とイスラム急進派のことで一杯で
できるだけ多くの情報に触れ、それなりに本を読んできた。
私がテロの翌日に初めて知ったのは「イスラム教と
イスラム急進主義は違う。イスラム教は平和を愛する宗教だ」と
いうことだった。それまで何もわかっていなかった私にとって
フランスのラジオから流れてきたイスラム教を代表する人たちの
そんな声明が驚きだった。


 でも、違うのならなぜ同じ「イスラム」という名が使われているのだろう?
そこに共通点はないのだろうか?実際そこはかなり微妙なとこらしく
もちろん一般的なイスラム教徒は穏健で平和を祈っているけれど
コーランを厳しく解釈した一部の人たちは、より厳しい戒律にのっとった
生き方を望むらしい。そういう人たちもごく一部だけれども居る中で、ある時
普通のイスラム教徒がそちらにぐっと引き寄せられてしまうこともある。
そのプロセスを『ヨーロッパとイスラーム ー共生は可能かー』の中で
内藤正典氏は非常にわかりやすく解説してくれている。


 まずヨーロッパにはイスラム圏からの移民が70年代から増えていた。
移民1世はなんとかお金を稼ぎ、母国に送金しようとしていたから
ヨーロッパで多少辛い目にあったって、そこはなんとか耐えていた。
けれども2世が生まれ、ヨーロッパの教育の中で育つことになった時、
現地の人とは頑張っても同じになれない自分、存在しないはずの差別に
気づいてしまう。そんな中、自分のルーツであるはずのイスラム教の
モスクや同じ文化圏の人たちが集まるところに行くと彼らは
今までの生活では得られなかった癒しや安堵感があるのに気づき、次第に
信仰を大切にするようになっていく。そんな人たちが増えることで
移民社会がしっかりと形成されていき、次第にその中では
ドイツ語やフランス語を話さなくてもよくなっていく。
結果として現地の人からするとそこは「何をやっているのかわからない・・・」という
ちょっとドキドキする地区になっていく。


 ところで内藤氏によれば、イスラム社会では衛星放送が発達していて
イスラム圏の国々で何が起こっているのか瞬時に知ることができるらしい。
ドイツにいても中東で起こっているニュースが毎日目に飛び込んでくる。
少しでも誰かを助けたいと思っているイスラム教徒は同胞が辛い目に
合っているのを見て非常に心を痛めてしまう。



 そんな心境にある時に、同じイスラム教徒であるはずの人から
ふっと根源的な問いかけをされたらどうだろう?
先日NHKが特集していた世界におけるイスラム国についての
番組では、イギリスで路上にたむろする若者達に
急進派たちが問いかけていた。
「この社会で君は幸せに生きているの?彼らは平等なんて言っているけど
実際には不平等ばかりじゃないか?」「差別を感じたことはない?」
「そうだ、あいつら、俺のことを盗人呼ばわりしやがって!
何にもしていないのに俺がやったって決めつけるんだ。」
「西欧文明が進歩しているなんて本当にそうだろうか?権利ばかり
叫んだ果てに家庭はバラバラになっているではないか?」
確かにね、口にはしてなかったけど、心の底では密かにそう思っていた。
そんな時、急進的な人たちに「兄弟よ、我々がこれを変えるべきなんだ!」と
力説されてしまったら・・・確かに西欧社会の裏側を身にしみて生き、
差別のまっただ中で生きてきた人たちにとっては一筋の希望に思えるだろう。
そこで徐々に何かが切り変っていく、そうして後のジハードの戦士が
今も各地で誕生しているのだろう。


(ちなみに「ジハード」という言葉はもともと信仰に精進するということだそうで、
断食に励むようなこともジハードというらしい。よく耳にする「ジハード」
としては、(いろんな説があるものの、総合すると)
「異教徒が攻めて来た場合、防衛のため戦う」ことは
コーランでも許されているといえそうだ。
(やむを得ない場合であり、こちらから戦いを挑むのはダメ))


 こういった心境というのは何もヨーロッパで育った移民の
イスラム教徒だけに見られるものではないと思う。
疎外感、社会の中で必要とされていない感じ、
一体何のために生まれてきたのか?そう思っている若者達が
一度でも「君の力が必要なんだ!君こそやるべきことがある!」と
力説されたら、そこで何かが輝きだすのだろう。
方向性は色々だ。ジハードの戦士になる人もいる。
でも根底にある気持が社会に対する大きな疑問と
誰かの役に立ちたい、ちゃんと人から必要とされたいという
気持であるのなら、それはNGOやボランティアに参加する若者の気持とも
(その時点では)大して変りはないと思う。社会において自分の存在意義とは
何なのか?それが薄くなればなるほど、結局人に必要とされたい
大事な人物だと思われたいという欲求をもっている人は
何かを強く求めてしまう。そこにイスラム急進派やイスラム国が
ぴったりと当てはまってしまったのだろう。
日本にも学生運動があり、大学闘争があり、その後には
おそろしいあさま山荘事件もあった。もちろんはじめは
「もっと良くしたい、変えるべきだ」という純粋な気持で
始まったのだろう。けれどいつしかそれが恐ろしい事態に
変っていった。社会に疑問を抱き、何らかの役に立ちたいと
思う若者達、それをうまく利用し吸い上げていく急進派、
どこかでベクトルが変ってしまい、いつしか意見は弾圧されていく。
全体主義的な雰囲気の中、次々と恐ろしい事件が起こる・・・
その時すでに宗教やもとにあった思想というのは
本来の形からかなりデフォルメされているだろう。
(そこをシャルリー・エブドは問いたかったのでは・・・)



 暴走してしまった力をどうすればとめることができるのか
私にはわからない。けれども暴走していく力の根っこ、
共感者たちを減らしていくこと、それも同時に大切なのでは
ないかと思う。今のイスラム国の指導者層を育くんだのは
皮肉にもイラクにあったアメリカ軍の収容所であるキャンプ・ブッカなのだという。
(ニューズウィーク日本版には「キャンプ・ブッカは
いわば野心に燃えるテロリストのサマーキャンプ」
「テロリスト大学のようなもの」と書かれている)
フランスのテロでも犯人たちは刑務所で固い絆を育んだ。
ル・モンドによれば刑務所内ではイスラム教徒でなかった人も
信仰熱心で絆があるように見える彼らの姿をうらやましく思い
「兄弟よ、困ったことがあったらいつでも面会に来るし
相談にのるからな」と言ってくれる誰かに出会うことで
改宗する人もいるという。
共通の憎き敵があり、自分たちのおかれた状況が
堪え難いほど、復讐への誓いは確固たるものになるだろう。
テロは許されるものではないし、イスラム国は本当に恐ろしい状態にある。
ヨルダン人のパイロットは火あぶりの刑にされ、イスラム教では
火葬自体が禁止されているためにヨルダン人は激しく起こり
あんなものはイスラム教ではないと強く言っている。
(なんとヨルダンを代表するテレビ局にアルカイダの人物をわざわざ
招き、アルカイダの人たちもイスラム国のやり方を非難したらしい)

 とはいえ、忘れてはならないのは、人間はテロリストには
生まれないということだ。生まれた時からテロリストな
人間は一人もいない。それを育む環境があり、世界から
共感する者が集まり、組織が大きくなっていく。
彼らのスイッチを押したものは一体なんだったのだろう?
差別に対するくやしさ?言われない罪を押し付けられたこと?
この格差に満ちた社会をなんとかしたい、中東で
大変な目に合っている同胞たちを助けたい、そんな気持を
抱いた時に、他に選択肢はなかったのだろうか?
西洋が夢見た自由・平等な社会には裏側が存在していた。
そして今まさにその裏側に居た人たちからの不満が
暴力という形で爆発し、もはや戦争の一歩手前のようになっている。
ヨーロッパでは今の状況を第二次大戦前夜に例える人たちがいる。
私もそんな空気、多くの人たちの楽観的無関心と
一部の人が突っ走っていく空気というのに似たような雰囲気を感じてしまう。
戦争が起こってからでは本当に遅い。だからこそ
今少しでもできること、一人一人がほんの少しでも
手や頭を動かして、状況を知り、
昔と同じにしないためには何ができるか考えること
それが大切だと思う。


フランスに行くなら

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