京都のニュータウンでの生活に帰り
その「日常」に戻るたび 得体の知れない
苦しみを いつも感じて何なのだろうと?疑問に思っていたけれど
今日とある会合に行って なんだか謎が解けた気がした。
この苦しみは 自由がないとかいうのではなく
みんなに合わせないといけないという
ある一定の形にはまった その形に自分を適合させないと
いけないという そこからくる苦しさなんだ
そう 私 は いつだったか パリのメトロの出口を
エスカレーターで上がって地上に出るときに
どこにいたって適応の努力をしないといけないのなら
日本にいたって私にとってはとても苦しい努力がいるなら
同じ努力をするんだったら フランス語をがんばって
パリで努力したほうがいいじゃないかとひらめいた。
そしてその 努力の向かう先というのが
2つは全然別のもの で 日本では 合わせる努力を
みんなと同じように、なにかを乱さない努力を
しないといけなくて 私にはそれがとても苦しい
そしてその先にあるものは?「我慢の先にあるものって
一体何なんでしょうね?」とパリに住んでる日本人の人に
尋ねてみたとき「何にもないわよ!何にもないのよ
美樹ちゃん!」と真顔で力説されて驚いた。
日本では?そう お前は我慢が足りてないんだ
口は災いのもとなんだ 結婚とは忍耐です、、、
パリの場合は 言葉を磨いて 知識をつけて
もっともっと自己を表現する努力 で
私にとっては知的刺激にあふれてて
私にとっては 考えていたい そして書きたい
私にとってはやっぱりそちらがいいようで
同じ自分がもしいるのなら
笑顔なんて蓮太郎といる時にしかでない仏頂面の自分というのと
何故かいつも活き活きと楽しそうにしていられる自分がいるなら
私は笑っていきていたい。
「どうして女だからっていう理由で
自分らしく生きることが許されないの?」と
我が友人はパリのカフェで語ってくれた
自分らしくいきること のびのびと生きてみること
自然な笑顔で生きること が できるのならば
私は死んだ顔して生きているより そちらの道を選びたい
私はものを考えていたい 自分の意見を表明したい
たとえそれが あなたの共感をよばなくっても
あなたに嫌悪感を与えていても どこかのだれかがいつの日か
一人でも共感するかもしれない。だから私は言葉を発して生きていたい
どうしてブルトンが「くそくらえ!」と言ったのか
今ならなんだかわかる気がする それは彼が 適当に
生きてられたり もともと自由な人ではなくて
ボーヴォワールも同じだけど 既成の価値観にがんじがらめに
しばられて それに自分をあわせようとして
きっともがいていたからなんだ
そしてある時 ハッと気づいた
もうそこでは生きていられない
それとは決別するしかないと?だから彼らは
くそくらえ!と声を大にして言ってみて
カフェという場に行ったのだろうか
「あなたの話す日本っていうのは
なんだか昔のフランスみたいね」と
パリ最終日に話した知人が言っていた。
そう 私はかつて ブルトンやボーヴォワールが
もがいてたころの まだ既成概念でガチガチだった
そんなころのフランスが 今の日本みたいだと思うから
だから共感するのだろうし だからよくわかるのだろう
私は私自身でありたいと思う
笑って生きていられた方が だれかを笑顔に幸せに
することができるのだったら 私はまず笑っていたい
つくり笑いや へんにゆがんだ笑顔ではなく
心から楽しいんだと笑っていたい
まだ人生があるのなら 私は次のステップに移りたい。