alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

女の声

2009年07月31日 | 女の生き方

最近は本が読めるのが嬉しくて嬉しくって
毎日毎日本を読んでる。今は『フランス 新・男と女
幸福探し これからのかたち』を読んでいて
これは2001年に出た本だけど この本を読むと
なーんだフランスの女性達も悩んでるんだと
気づかされる。 仕事をするのが当たり前という
社会でも そう簡単に「家庭と仕事の両立」
だなんてできないようで 女たちはもがいてる。

 それだけじゃなく この本ですごく共感したのは
「結婚」に対する恐れのようなところで
フランスでは「結婚」しないカップルがますます
増えてるそうだけど それはなんでかというと
明確な理性的な理由というよりは「結婚」というものに
対する恐れから というのがどうやら一番大きいらしい。


 特に今の若い世代は両親が離婚した人たちが多く
「離婚のトラウマ世代」と呼ばれ 離婚するのが
こわいから 結婚するのもやめておこう、、、と
思う人が多いみたい。これ、以前にも読んだけど
今となってはよくわかる。たぶん日本よりもっと
「結婚の弊害」が社会的に認知されている国だからこそ
そういう視点になるのだろう。



 「結婚」ってイメージはちょっといいけど
現実的にはいいものなのか?先日テレビで
結婚したくない独身タレントが結婚したばかりの
タレント達の話を聞いて説得させられる番組をやっていたけど
結局の処日本の芸能界も離婚ばっかりつづいてて
「どうせあんたもそのうちなんでしょー」
そんな空気も流れてる。
なんであんなにラブラブそうで すぐに離婚してしまうのかって
一度ブログでかいてみたけど それは女性が自由になったから。


 自由に生きてきた女達 を結婚はがしっと縛って
結婚式をすぎてみると ボーヴォワールが描いたように
そこにはかつて自分の母がやってきたことの繰り返し
単調な日常が繰り返される。彼女は『第2の性』だけでなく
自伝の中でもこう語ってた。


 大人達は人生は楽しくない 人生は小説のようではないと
繰り返し言うのであった そんな大人達をみて
私は気の毒に思った。毎日毎日 料理 洗濯 皿洗い
これらのことは無限に繰り返され どこにも到達しない
私の人生も同じようになってしまうのだろうか
そんなのは嫌だ!と私は自分に言った、、、


 人生は楽しくない 人生は小説のようではない?
子供達は毎日笑顔で楽しく発見をして生きているのに
「大人」になるって楽しそう!と大人のマネして生きているのに
憧れの「大人」になったら 人生はそんなものに
なってしまうのだろうか 彼女がみていた
かつてのフランス女性はそんな人生を送っていたけど
実は今でも「結婚」という段階を踏んでしまうと
そんな人生に悩みをかかえ 「自分」を失い
鬱になってしまっているという そんな女性も多いらしい
彼女たちは どんなことを思って生きていたのか
そういう本もフランスではけっこう出ているらしいから
がんばって読んでみたいなあ 

 結局の処 女がそうして自己に目覚めて
「私の人生こんなんじゃない!!」と思っても
それを旦那にいってみたって 「ただの文句」と
思われるだけで「うるさいなー あいつ また言ってるよ」
くらいにしか思われないものなのだろう。

 女達 は 声を持ってる 一応言葉を持っている。
結婚という 経験しないとわからない ちょっと
おそろしい経験や 子育てという 経験しないと
イメージできない これまたすさまじい経験をして
文句や愚痴を言えるくらいの声はもってるわけだけど
それは愚痴 で終わってしまって 夫に押さえ込まれてしまって
社会からは 封印されてて 他の人には届かない。


 私も子供を産んだとき はじめて「女の世界」をしって
あー自由に生きてきたけど 自由な女性と思ってたけど
女達は 嘘をついてた 本当はみんな知っていた
隠蔽された 女の世界が 産んだとたんに「ほらあんたもね!」と
「あんたも私たちと同じ道よ いままでのは 全部幻想」と
そんな感じの 恐ろしい 隠された女の世界に出会ってしまった。
そして女達は口を開いた 電車の中で バスの中で
見知らぬ女が口をひらいた 「あんたも同じ女なの、、、」


 サバルタンは語りうるのか?女達は語りうるのか?
女は声を出している 女はおしゃべりは大好きだ
カフェなんて 女達の打ち明け話で満ちているけど
けれど声はどこにも届かない。 もっと違う声が必要なんだ
女としての経験や 女としての苦悩をきちんと 伝えて
変えていくように。 女たちはだまってた。
少なくとも 私は子供を産んでみるまで「女の声」を
聞けないでいた。 どんなに苦しみもがいていても
黙っていたら 伝わらないし 夫にいっても
聞く耳をもってもらえないなら きいてもらっても
そこで止まってしまうだけなら 女はもっと
せっかく受けた教育を きちんと活かして語るべきだろう。
女でなければ 女の境遇は変えられない
言葉にならない経験を 伝えにくい経験を
なんとか言葉で語ること そして女が変えてゆくこと

 フランスでは ボーヴォワールががんばって
その後も沢山の人が続いていった どこにいっても
素晴らしくなんかないようだけど どこにいっても
結婚は悩みの種のままらしいけど
「女の幸せ」なんて決めつけないでほしいけど
少しでも状況がよくなるように もっと自由に
心から笑って生きられるように 女達を応援したい。

成長

2009年07月29日 | 子育て
 私にとって 文章を書くときというのは
勢いや熱い想いが必要で そういう時は
たいていが問題意識を強く感じたときで
「もーやってられん!」とか「怒った!」時には
すらすら文字が書けるけど 「幸せだなー」
「あー楽しいなあ」 そんな時にはうまく書けない。


 世の中に失恋の歌がたくさんあって
人恋しい歌がたくさんあって だけど
「幸せ!!!」な歌があんまり多く存在しないのは
そういう時に歌を書く気になれないの と
歌を書いても 「しあわせ!」「うれしい」くらいしか
言葉がでないからだろう。


 そういうわけで このブログを読んでくれている人達に
一つだけ知ってほしいのは 私は決していつも
「もー嫌!」と思って子育てをしているわけではなくて
そういう状態とか なにかがどーんときているときに
筆が進んでいるだけであり 意外と私に実際会うと
「なーんだ けっこう元気そうじゃん」と言われるように
それなりに楽しくもやっているけど そういうことは
伝えるのがとても難かしくって まあいいかと
思ってしまう それだけのことなのだ。
(だって3行くらいで終わってしまいそうなのだもの)


 さて そんな訳でれんちゃんは
最近すくすく成長し いつからだったか
2日に一つくらいのことを覚えるペースで
沢山のことを吸収してる。

 そして今日 記念すべきは 立ったのだ!!!

 私が遅くに帰ってきて 梨をむいて
一緒に食べてた そしたら梨をかじったまんま
あれ?あ あれ!!!立った!!

 れんちゃんは両手を挙げて あきらかに
「やった!」という顔して みんなで彼を賞めてたら
いつまでも自分で拍手をしてた ついに今日
立てたんだ!そしたらお風呂に入るときにも
また裸ん坊でちょっと立ち きっと明日には
もっと長いこと立てるんだろう すごいなー
本当に日々成長してる。


 最近は実家の階段を全部のぼれて
おりるのもまあまあできるようになり
おっぱい離れも少し進んで私が外出しているときは
(最近はかなり長い時間遊びに行かせてもらってるけど)
なんと家ではミルクを飲むこともなく ご飯とお茶で
なんとかかんとかもっている。
バイバイしても泣かなくなったし
だんだんと お母さん離れも進んできたのかな?

 今ではバイバイも上手にできるし
「結んで開いて」の歌にもまあまああわせて手を挙げたりして
なんだかとってもかわいいんだな
れんちゃんと布団の上でごろごろしながら
同じ景色をみていると なんだかこれって幸せだなあ
親子そろって 同じところを見てるんだなあ
一年前には 目がみえていなかったのにと
いろんなことで嬉しくなる


 れんちゃんはいつも楽しそうに生きている
いつもママをしたってくれて いつも笑顔で生きている
なんでそんなに楽しいの?と聞きたくなるほど
素敵な笑顔で生きてます。
外に行くのは大変だけど カフェに連れて行くのも
気が張るけれど それでも彼の笑顔はかわいい
そのうち会いに来てください

犠牲の母

2009年07月28日 | 日仏子育て事情
昨年京都でちょっと通った桶谷式のマッサージの
先生に こう言われたのが気にかかる。
「あなたは犠牲の母ね、、、」

 犠牲の母って 何だろう
それは言い意味なのだろうか
それとも悪い意味なのだろうか 
私にはわからなかったし 今でもよくはわからない。


 その時の私にとって この言葉は
むしろいい意味な気がしてた。
自分は痩せはて 子供は肥えて
おっぱいだけで大きくなった 自分のことを犠牲にしても
子供をなんとか元気に育てた 「母乳育児」が
大切なんだ!と思った私は 日本的な価値観に
かなりそまってた私としては それでいいのだと思ってた。


 けれどもそれってどうなのだろう 
フランス的な価値観に ちょっと触れるたびに私は迷い
いつもどうかと思ってしまう。
フランスでは母乳をあげるのはたいしてよしとはされていなくて
母親が自分の人生を 大人としての人生を
できる限り楽しみながら 子供も育てるそれが
いいとされてるようで 母乳は「動物的」なんだそうな


 いろんなことに迷い 悩み 考えながら
もうちょっとフランスの育児について知りたいなあと思っていたら
とても参考になる本に出会った。
その本(『世界一ぜいたくな子育て-欲張り世代の各国「母親」事情』)には
フランスだけでなく、日本やオランダ スイス ドイツなどで
子育てをしてる女性の悩みや生き方と社会における
価値観の違いが書かれてて ものすごく参考になる。


 とくに参考になったのは 母乳で苦しむスイス人の
女性の話で 母乳が絶対いいのだと 言われているから
頑張ったけど 辛くて辛くて それでもなんとか頑張って
だけどつらくて 子供は泣き叫び おかあさんは家事を
する余裕もまったくなくて 旦那はその状態にたえられなくなり
家庭が崩壊していってしまう そんな状況の描写があった。

 そうなんだ そんな辛い想いをしている人がいるんだな、、、
「母乳絶対主義」の裏では 母乳で苦しむ人がいる
それでストレスがたまり ご飯もろくに食べられなくて
おっぱいが美味しくなくなり トラブルがおこり
赤ちゃんはわんさか泣いている それでも母乳?
それならミルクにした方が いいのだろうと思うけど
その母をしばるのは「母乳じゃなきゃだめ!」という
強迫観念に近いもの それってわかる!でも
そんなの絶対やめたほうがいいと思う。


 私も子供が産まれた直後に母乳絶対!!の義母がきて
うまくいかない母乳で悩む私の横で「何があっても
母乳が大事!!」と延々さとされ ミルクを足してる
病院を非難され それがとても辛かった。(泣きました)
それでも母乳?それでも どんなにつらくても?
結局の処私の母乳が続けられたのは 実家の母が
京都にきてくれ 散々ご飯をつくってくれて
なんとか助けてくれたから。それでなんとかなったけど
もうやめよう!と決意した夜 乳腺炎になってしまって
それを直すためにはれんちゃんに飲んで貰うしか
ないとわかって 結局つづけることになったけど
母乳育児のその裏で 母乳神話のその裏で
がんじがらめで苦しむ人が どれほどいるというのだろう。


 私の場合は 母乳やおんぶや 器具をつかわない昔の
育児に興味があって 義母がそれをかなり強く推奨していて
だけど一方 自由に生きて フランスに憧れた面もあり
やりたいこともあるわけで そういうことを
身よりもない場で 一人で全部かかえていたら
そりゃ破綻すると 今になってようやくわかった。

 「仕事と育児の両立」だとか 「子供がいて
素敵な生活」だとか 本屋に行けば きれいな言葉が
並ぶけど ほんとのところは どの国にいても
沢山の女性は悩みを抱えて 自由に生きてはきたものの
子供を産んだらがーんと変わって
どっぷり子育てにつかっていたり 母乳のことで
悩んでいたり たいして変わらないようだ。
そんなことを伝えてくれて 深い視点で世界の子育てを
比較検討してくれてるのも 著者が子供を産んだから で
母乳育児をやってみて 色々思っていたからで
彼女だからこその視点があって 本当にためになる本だった。
子育てをした人には した人にしかわからない
深い 深い視点があるのだと思う。たぶんそれは
子育てをした男性著者とは もっと異なった視点であって
もっと共感をもちやすい。

 今日は素敵な女性に出会った
そんなモデルもいるんだな 彼女は子供を産んで10年で
この本を書いたそうな 私ももっと たくさんのことを
自分の視点で研究したい。

旅する赤ちゃん

2009年07月28日 | 子育て
 おんぶって重くてかなりつらいのに
なんでおんぶをしてきたかって
私が「偉い」わけじゃなくって
なんとか身体をきたえたい そうしていつか
パリに行きたい そんな日を
そんないつかを夢見て そういえばがんばったのだ
そんなことを 昨日ふっと思い出す。


 昨日は友達とれんちゃんを連れてカフェにいき
友人の近況をきいていた ら その友人は
国家試験に合格したらしく すごいねー!!と
その努力に圧倒された。私も何かやろうかな
でもやれそうにないかしら そんなことを思いながら
ふと「そういえばこれからどうするの?」と
質問してみた。すると彼女は
「私はこれから一生働くつもりだから
今ここでバイトをするのもどうかと思う」と言っていた
そうか そうだね もっともだ
じゃあ海外に行ってみたら?これは今しかできない経験
働いたらもう休みなんて ちょこーっとしかとれないもんね。

 そんな話をしていたら どういうわけか
「そういえば私もパリに行きたい」ということになり
「一緒にいかない?」という話になった
「私ね もうユーロもあるし 携帯は海外で使えるし!」
あとは航空券と 一緒に行ってくれる人が必要なだけなのだ。

 そしたらそれはいいね!という話になって
「私も美樹さんと行けたらな と思ってたけど
とてもそんなこと誘えないだろうと思ってた、、、」
と言われてしまった。 そうかー 私はかなり本気で
一緒にパリに行く人を探して探してたんだけど
げんきくんも無理そうだし うちの親もちょっと
無理そうだし むこうのお母さんも乗り気ではなさそうだし
もう半分諦めていたとこだけど、、、 こんな選択肢があったとは?!


 彼女といくのは実際あまり非現実的ではないようで
彼女は私の留学時代に3週間パリに来ていて
そこで一緒に美術館とかカフェにいったり 小旅行をしてみたり
たくさんのパリの思い出がある 一緒に写真も撮ったなあ
美術館とかいきたいよねえ フランスの女性支援と
子育てについて勉強しようよ!!そんな話で盛り上がる


 そんなことができたなら 本当に実現できたなら
かなりドキドキするけれど 何かあったらどうしようと
いつでも思っているけれど でもなー
それができたら なんだか生きる気力が湧いてくる
それならフランス語がんばりたいし 通訳するし
なんなら英語もしゃべれるようになりたいし
もっとフランスの子育て事情を研究したい
やりたいことが でてきたら 生きる気力が湧いてくる
子連れで海外 それは半端なことじゃない
しかも普通は旦那といくのに そうじゃないのは
かなり責任重大で 何かあったら 一人で
全部背負うわけ で それはかなりこわいけど

 でも熱だしたら結局の処
家でじっと見てるだけだし どこいってもかわらない??
保険に入れば病院もいけるだろうし、、、?
パソコンとかもっていったらなんとかなるかな
フランスだけは行きたいと 生まれたときから思っていたから
どうしてなんだかわからなくっても それだけはしたいと
思っていたから 実現できたらいいよなあ


 いつの日か の フランスにそなえ
わたしはれんちゃんを担いでいった
忙しいげんきくんは 一緒に旅行もできなくて
私たち は 勝手に外に出て行った
もう新幹線も慣れてしまったし 
電車とバスも数えきれないくらい乗ったし
特急だってのったもん そういえば船にものった
あとは飛行機だけかなあ??

 れんちゃんはかなり旅してて
吉野にはじまり 奈良 静岡 愛知
長野 横浜 東京 京都 大阪 神戸などなど
うちには車がないというのに なんとか
おんぶでがんばって どうにかこうにか連れてった
もちろんかなり疲れたけれど それでも
得たものは大きいようで いつかフランスに行きたいなあ
そんな思いでやってみた


 彼女とは 調子にのって HISまで行ってみたけど
本当に行けたりするんだろうか あまり期待するのも
よくないだろうと思うけど 少しでもワクワクできる
そんな状態が私はとっても嬉しくて
どうなるのかな 大変だけど できればいいな
海外なんて 滅多にいけない だからこそ
機会は逃さぬようにしたい 
れんちゃんとママは一緒に旅して成長をする
そんな風になれたらいいなあ

(写真は二子玉のカフェで
ベッドをつくってもらって寝ているれんちゃん)

対話の場から社会は変わる?

2009年07月26日 |  カフェ的な場で考えたこと
 最近の私の命題は「どーやったら社会は変わっていくんだろう」
ということなのだけど 日々それに想いをはせながら
いろんな人と話をしてると やっぱり対話の場は重要だと
気づかされることになる。昨日はカフェで対話の会(?)を
開催し、今日は子育てしながら働いているママ友と
ようやく会って沢山語って やっぱり吐き出すことって
大事だなあと思わされる。


 彼女と話して色々考え、社会って変わるんだろうかと
駅のトイレで考えていたら ふっといいことを思いつく。
そういえば101匹目のサルって話があったなあ
100人を変えるには はじめに11人を変えること 
そしたら一気に広がっていき 100人が変わってくらしい
101人目に伝染したら 一気に1000人に伝わるのかな


 語ること や 伝えることに どれほど意味があるのだろう
私がここで書くことや 誰かと話をしていることは
一体意味があるのだろうかと思うこともあるけれど
昨日うちの地元のお祭りにいって驚いたのは
そんな地元のお祭りで コップがリユースされてたことだ。
これは10年前にはありえなくって 10年前といえば
私たち が 高校で Dish Return Projectを導入し
職員会議で猛反発にあったりしたけど そのあとも
次の年から続いていって 神奈川総合高校では
文化祭で お皿を洗う それが当たり前になってった。


 その頃エコリーグの先輩たちは 各地の大学で
そのプロジェクトを実行し エコリーグだけじゃなくって
A SEEDががんばったから 広まったのはあるだろうけど
あのときあそこに 私たちもいたことが 今のその
地元の祭りに 関係しなくもないような
少しくらい 関係あるかもしれないような そんな気がした。


 それに環境問題なんて 10年前にはめちゃくちゃ
疎まれいやがられてた なのに今ではみんなしてエコ!
エコが当たり前になってしまった この変化は
気持ち悪いくらいの変化の仕方 手のひらを返したみたいな
変わりよう 10年でそれだけ変わった


 それから私が愛用していた「てぬぐい」も
今では普通に使われていて どこにいっても売っている。
それだけじゃなく オリジナル手ぬぐいをつくる人も
増えてるし 高校の頃は恥かしかった 
でももうそんな時代じゃない。
つまり社会は 変わるんだ。


 どこから社会は変わるのだろう
仕組みはまだわからないけど
誰かが何かを起こしていくこと
それが大事だと思う
誰もが口をつぐんでいたら 何も変化は起こらないけど
誰かが言って それを誰かが共感したら
「え?あなたも!?」ってことになり
それをまた誰かが伝えて
それなら変えよう!こうしてみようと 
アクションが起き そんな動きが各地で起これば
何かはかわっていくのだろう。
今や100万人のキャンドルナイトも全国各地でやってるし
変わらないこと ないんだな


 昔はもっと みんな語った
携帯メールがなかったころは 
みんなに電話しまくっていた
沢山の人にもあって どんどん想いを伝えていった
それには力があったのだろう 
大学一年生の時 私の行動力はすさまじかった
それで何かは変わっていくのかも


 今日一日でわかったことは
私はフルタイムで働くことをしたいというわけじゃなく
もっと動いていたいんだ 活動したい
どこかに行きたい 沢山のところに行きたい
そんな欲求が満たされてない どうやらそういうことらしい。
子供が生まれて沢山のことに気がついたから
これからはもっと動いていく時なのかもしれない
対話の場 や 書くことで 少しでも
ほんの少しでも そう バタフライが羽ばたくように
すこしの風を起こせたのなら 何かが変わってゆくかもしれない
口を開いて対話をしよう
もっと もっと もっと もっと 人との対話を続けたい。

れんちゃんと踊る

2009年07月25日 | 子育て
 最近はやたら朝起きられなくて しんどい状態が続いてて
あーもうだめかも 重傷かも と思ってしまった。
大丈夫かな もうだめかしら さすがにカウンセリングに
行った方がいいのかな、、、と思いながらもカフェで
語りに行ってきて そこでの対話で得た回答は
カウンセリングよりカフェセラピーとか 身体を
動かすことの方が いいんじゃないかということだった。


 カフェセラピーはおいといて
身体を動かすとなってみる とやっぱり私は踊りたい。
あークラブとか行きたいなー 六本木とか行きたいなー!
何はともあれ踊りたいという欲求に 最近どうやら
気づきはじめて それならば とれんちゃんを抱えて
家で踊ってみることにした。

 実家には元DJの兄が残していったCDたちがけっこうあって
かなり古いダンスの曲を大音量でかけてみながら
れんちゃんを腰に抱えて踊ってみると ぴったんこだし
私は私で気持ちよくって なんだかこれも悪くない。
怪獣ごっこも悪くないけど 私が楽しいと言うよりは
れんちゃんが楽しそうにしているわけで
それならちょっとは私の楽しみにつきあってもらっても
いいかもしれない 大人だって大人なりに楽しみたい
いつも童謡じゃかなりしんどい 私もクラブで踊りたい!


 そんないつかをちょっと夢見て エアコンをいれて
真夏の部屋で踊ってみるのもなかなか楽しい。
ここで沢山踊ったあとは 近所の夏祭りに父とでかけて
そこではカントリーミュージックのライブがあって
また踊っている人がいたから れんちゃんを抱えて
一緒に身体を揺さぶってみる その後は盆踊りに行き
今日は踊り三昧だ。


 こうやって 踊ってみると やっぱりよさこいを思いだし
よさこいって 辛い思い出も山ほどあるけど
かなり好きでもあったわけ で 私の友人達は
頼んでもないのに踊り始めた そんな私を知っている
もうミセスになってしまったから 学生のサークルには
入れないから 踊りもそこまで難かしくないかもしれないし
ちょっとは気晴らしになるかなあ
フランスの時の鬱は よさこいで何とか解決したから
これからも踊りは私を救ってくれるかなあ
れんちゃんも音がなると身体を動かし楽しそうにしてるから
いつか一緒に踊りにいけたらいいよなあ

手紙という文化

2009年07月24日 | 私の人生

 もっとミニマムな暮らしがしたい
結局の処ダンボール一つを送ってそれで生活しているのだから
大事なものだけを身につけて シンプルに簡単に暮らす
そんな生活もできるのでは?とちょっと思って
とにかく整理をしてみよう、と 実家の大掃除をすることにした。

 そしたらやっぱり手紙がでてきてつい読んでしまう
そうすると 以外な人からの手紙が出てきて
あーあのころは なんだか文化が違ったんだと思わされる。


 大学一年のころに届いた手紙には 「私の春休みの予定はね
いついつから いつまで旅行で、、、」といったことが書かれてて
今のメールのやりとりみたいで そういうことを手紙でしていた
そんな時代が懐かしい。 どうしてこの人が?という人からも
手紙はいくつか届いてて 今ではすっかり会うことのない
連絡先もきれてしまってる そんな人が 実家から実家へ
手紙を出してくれていた。今はどうしているのかな
なんであのとき 便せんをもち 筆をとってくれたのだろうか


 先日私が悩んでいたとき 真っ先にあってくれた友達は
「これね 何だと思う?玉手箱!」と大きな菓子箱を渡してくれた。
そこには私が彼女に送った10年分の手紙がぎっしり詰まってて
「みきちゃん人生に悩んでるみたいだから 何かの
ヒントになるかと思って持ってきたの!貸してあげるね」と
渡してくれた。おそるおそる彼女の前であけてみると
カラフルな封筒たちが目に入る。フランスから送った手紙
色んなトーンの手紙があって 彼女の前で少し読む と
書いてることが恥かしい。

 なんだか内的独白みたいだ。 自分の想いをひたすら
つらつら書いていて だけど彼女は読んでてくれて
それを大事にとっててくれて 今ここにある
彼女が私に書いた手紙は それに対するコメントや
愛がつまってた。こうして二つの手紙をみると
本当にキャッチボールで 徐々に2人は進んでいって
「こうしてみたい」と書いてたことが 今になったら
実現されてる それにもなんだか驚かされる。
こうして進んでいったんだ、、、


 部屋を整理して整理してみーんな捨てようと思っても
写真は捨ててもいいかななんて 思えても
書いたものだけは 捨てられなくて それが全ての
記憶になってて 日記や手紙が存在するから
自分が何を思っていたかがよくわかる
だけどそれらがなかったら 部屋はがらーんとするだけで
今の自分があるだけで 私にはそれはしんどいだろう
私にとって 書くというのは大切で
それが残って また読み直せる 10年経っても
開封できる そんな手紙は大切だ。


 コミュニケーションツールが発達したから
より密なコミュニケーションになったのかって
かつての日記や手紙を読むと どうもそうとは思えない。
ブログがあるから コミュニケーションするかといえば
なんとなく知ったような気分になるから 実際に
会うことは減ったような気がするし
電話の前に メールをするのが当たり前になったから
電話をするのが大がかりな気がするようになって
直接のコミュニケーションが減ってしまった
携帯のメールだと 手紙ほど深い内容にはならないし
たくさんのツールのお陰で ダイレクト で
人の心を動かすような それで巻き込まれてしまうような
そんな出会いが減った気がする

 もっと 人と会いたいなあ
もっと語っていたいなあ
れんちゃんが生まれたお陰で
この一年は色んな人に再会したけど
それでも昔にくらべてみたら
なんと希薄になってしまったか
あの頃私も熱くって まわりのみんなも熱気があった
あの頃たしかにまわりの人は「仲間」だった
それが今でも 手紙を読むと伝わってくる
あれから10年 状況は大きく変わってしまったけれど
もう違う人かもしれないけれど
あの熱気 が 「仲間達」という そんな言葉が懐かしい。

アンガージュマン

2009年07月22日 | オルタナティブ

 昨日から色んなことを考えてきたら
だんだん腹が立ってきて もーどーしたらいいんだろう?
どうしたら社会は変わるんだろう?泣き寝入りばっかりの
この国なんて糞食らえだ!!と思ってた。
悶々と考えて げんきくんを心配したら寝られなくって
そしたら朝起きられなくなり 私もまたげっそりしてた。

 せっかく鬱がなおりそうだったのに
私はまた深いため息ばっかりついて
母は心配してくれている もーどうしたらいいんだろう?


 そう思ってたらテレビでニュースが流れてる、
衆院選が、、、 衆議院が解散し、、、

 政治なんて!と思ってたけど 社会を変えるのが
政治なのなら そして国民ができることは
選挙しかないというなら 今は何かのチャンスなのかも
選挙なんて なかなかやってはこなくって
選挙の時は 政治家がちょっとは本気になってくれるなら
国民の意思をきいてくれ!国民と対話なんて
したことがあるんだろうか?どうやったら
国民の思いは少しでも政治に反映されるんだろう?
他に手段がないのなら 今しか機会がないのであれば
もう訴えよう そう思って 昼間に民主党にメールしてみた
さてはてメールは返ってくるのか
(返ってきたらここにのせてみようと思います)


 どうして対話の場がないのだろう
一方的に演説をきき 一方的にパンフレットをわたされるだけで
選挙にいったらその中から誰かを選んで そんなにしっかり
選んでもなければ とんちんかんな政策ばかりを
ならべているかもしれなくて
政治もしかり 広告もしかり 教育もしかり
いつも誰かのたれながし
本当に望んでいるものをつくってくれるわけじゃなくって
「これはどうかね!いいだろう 勝ってくれたまえ」の
押しつけスタイル そんなのばかりでいいのだろうか?

 先日参加したカフェ研究会では広告の先端も
教育学の先端も どちらかといえば対話モデルに
かわろうとしているようだとわかったけれど
政治も社会も みんな 自分たちがつくっているわけであり
それなのにいつも 人々は口を開かなくって
開いたところでそれが一体どうなるんだろう?
本当にどうなるんだろう?開いただけ無駄なのでは?と
思わされる。


 秋葉原の事件があったときこう思った。
日本では死をもって 人はメッセージを訴えかける
この国は神風の伝統がまだ生きていて
死をもってしか 伝えられない
小さな意見はのみこんで 小さな思いは我慢して
たまりにたまって その人が死んでしまうか
誰かを殺してしまうくらいの すごいエネルギーになった時 に
ようやくメッセージが発されて まわりの人は はっと気がつく
そんなのでいいのだろうか そんなことのために
死までかけなくていいではないか? 
それならもっと カフェで対話を していったらいいんじゃないか
そう思って もっとメッセージを届けたい
カフェでみんなが語ればいい と私はあの本を世に出した


 けれども力を持っているのは「カフェ」ではなくて
想いを持った人なんだ。待っていても カフェから
時代はつくられない そこに「人」がいなければ
対話で何かは変わるのだろうか 変わらないかもしれなくっても
サルトルたちは変えていこうとしていった
結果的には すぐによくはならなくっても
私たちは知っている そこに彼らがいなかったら
こんな世界になっていないと
ボーヴォワールがいなかったなら フランスの女性が
そこまで自由になっていないと だからやっぱり意味はある


 どうしたら社会は変わるんだろう?
対話は小さな革命らしい それならカフェでの対話というのは
フランス革命を起こしたように 何かを変える力を持ってる
持っているといえるのだろうか 私にはわからないけど
想いだけは持っているから 行動を起こすことにしよう
もうこんな社会を続けていくのは
「沈黙は金」で何も変わらないのを続けていくのは
もうこりごり 私にだからできること。
カフェでの対話を実験しよう。

主体的な子育て

2009年07月21日 | 子育ての苦しさ
 最近とーんとワクワクドキドキしてないなーと思っていたら
友達がカフェでしてくれたワークショップのお陰で少し元気になって
二子玉のバーゲンに一人でいったら なんだか気分が盛り上がり
日曜日に開催されたカフェ研究会では 久々にワクワクする話になった。
そこでお話していた上田先生という方が 新しい本を出していたから
その場で買って 読むことにした。

プレイフル・シンキング
上田 信行
宣伝会議



 その本は『プレイフル シンキング』という名の本で
「プレイフル」という言葉 は上田先生の好きな言葉で
ワクワク ドキドキしている状態を指すんだそうな。

 私にとってのワクワクドキドキ?上田先生のpartyに行ったときは
なんだかやたらワクワクしていた。 東大で話したときも
ドキドキワクワクしていたな 表参道のワールドカフェも
めちゃくちゃ楽しかったなあ それ以外は といいますと
京都での日常生活にはワクワクもドキドキも存在してない!
自分らしさもどこにもない と思っていたけど


 上田先生によるとプレイフルな状態というのは
つくりだすことができるらしい。この本を読みながら
ここで書かれた「仕事」というのは私にとっては「育児」に
そのまま置き換えられて 与えられた仕事をいやいやするのではなく
どうして自分に与えられたのか その可能性も考えた上で
主体的に自分らしさをプラスしながらやってみる と
仕事が楽しくなるんだそうな


 それでこの一年間の私の育児を振り返ると
主体性はまるでなくって 受動的な育児だったと納得がいく。
いつも追われ びくびくし  母乳絶対主義で布オムツ主義の
義母におびえ 自分では何一つわからないまま
「げんきくんのお母さんがそういうから」という
納得のいかない理由のままで いろんなことをやってきた。
何かを調べようにも調べるような気力さえもなく
それをただ耳にしたからそうなのかも そんな程度でやってきた
そこに主体性なんてないよね なかったんだな
それにそんな自分を俯瞰する余裕なんて全くなかった
だから自分のおかれている状況が どういうものかも
何を得て どう成長していっているのかも 考える暇は全くなかった
そもそも思考が停止していた そんな状態。


 主体的に生きてゆくには ノートに何かを書いていったり
自分の立場をいちど上から眺めてみるような そんな時間が
必要らしい。 「それで自分はその仕事をどういう風にやってきたいのか?」
我が家には 方針なんてなかったし 私にも主義も方針も
なにもなかった だって受動的だったから。

 主体的に育児をしよう!と思ってみたら
主体的に自分の人生を生きてみよう!と思ったら
プレイフルになるのかな?育児はどうやら避けがたい し
変化というのが成長なのなら きっと私も成長している
育児だけでなく 自分自身も ちゃんと大事にしていきたいけど
そのためには どうしたいのか 考えていくことなのかも
目標を定めること は 何においても重要らしい
ビジネスの本なんて この一年間触れる機会もなかったけれど
なんだかちょっと ためになる。

 もうすこし 俯瞰的な視点をもって
もう一人の自分の視点で自分を眺めて
長期的視野にたってみること この状況を
たくさんの人と楽しめるようにしてみること
それがプレイフルな生き方らしい
もう少し れんちゃんにつられて笑うだけじゃなく
自分の中から ちゃんと笑顔になってきたい。

一心同体

2009年07月16日 | 子育て
 「赤ちゃんとお母さんは一心同体なのよ」と以前母が言っていた。
最近調子を悪くしてからその意味が本当によくわかる。

 京都にいるとき 私がいつも構っているから、れんちゃんは
楽しそうにやっていて 家にいるときはよくふぎゃふぎゃ
言ってはいるものの 笑顔の絶えない子だったけど
私の調子が悪くなって れんちゃんにとばっちりがきてしまう と
れんちゃんの笑顔も減っていく。


 もう鬱だ と 思った日には れんちゃんはちゃんと
察知してくれて その日は家でも泣かなくて
かなり静かにしてくれていて だけどストレスがたまっていたのか
夜中には変な泣き方をして何度も起きた。


 それでこちらに帰ってきてから 私も気分転換をして
ようやく笑顔が普通の笑顔になってきたころ
れんちゃんもあの満面の笑みが戻ったようで
今日は私と一日一緒にいたら みんなが口を揃えて
「れんちゃん機嫌がいいねえ 幸せそうだね」と言っていた。

 れんちゃんがイライラしているときやおかしな時は
振り返れば 私がイライラしている時や 私に
ストレスがかかった時で 私が笑顔で楽しそうにしていると
それに呼応してあの満面の笑みをみせてくれる。
だけど一度笑顔を失ってしまったのなら
それをとりかえすのはそう簡単じゃない
試行錯誤をくりかえし おもちゃで機嫌をとってみて も
結局うまくはいかなくて 外にだしてもなんだかだめで
結局の処 お母さんとのぴったんこの
肌の触れ合いが大事なようで
彼を片手に抱っこしながら家事をして
その上またおんぶしたりで それであの笑顔は保たれていたのだと
今頃知った。

 私たちにとって 肌と肌との触れ合いは
本当に大事なもので 京都では毎日していた怪獣ごっこの
触れあいも やっぱりとても大切で 私の腰骨というのは
彼を抱っこして片手で支える そんなためについていたのかと
そんなことを思わされる。私の人生はれんちゃんの
ご機嫌取りかと思ってたけど それでもあの笑顔は
何にも代え難くって あの笑顔は私の心もとかしてくれて
大切なものを与えてくれる。


 こちらに帰って昔書いていた日記を読むと
あー私って淋しい淋しいって言ってるなーというのがわかる。
でもれんちゃんが生まれてくれて 淋しいのからは解放されて
京都のニュータウンでの生活は 孤独ではあるけれど
れんちゃんがいてくれるから うるおいだってあるわけで
いつもいつも追いかけられているけれど 精神的に余裕はないけど
淋しくはないような そんな気がする。


 横浜にいたら カフェもいけて 友達もいて
素敵なお店も沢山あって 私をつくった東京の街も沢山あって
美術館も展覧会も おいしいパン屋もケーキ屋さんも
だけど野菜の直売所も 緑豊かな公園も 赤ちゃん向けのお店もあって
じーちゃんとばーちゃんとお兄ちゃんたちと甥っ子がいて
本当に素敵だと思う。知れば知るほど いいとこで
知れば知るほど 帰りたくなくなってしまうけど
今回は長居していいようだから 私も自分を楽しもう。
毎日毎日カフェに行き 毎日毎日外に出て
お母さんが笑顔になること お母さんが自分になること
お母さんも人生を楽しむことが 子供の幸せに直結してる
なるべく近くにいてあげられて なるべく私も幸せに生きる
そんな方法を模索しよう。

2009年07月11日 | 子育ての苦しさ

今日は朝からしんどくて なにがかドーンとやってきた
何かというのは見覚えのある そう もう私は鬱なのだろう

先週やってきてくれたげんきくんの叔母さんは
かなり危ない私をみていて「もうおさとに帰りなさい!」と
諭してくれた けれども少しはがんばれるかな
山崎まさよしの「セロリ」が頭に流れてて
頑張ってみるよ 少しだけ 頑張ってみるよ やれるだけ
なんだかんだいっても つまりは 単純に君のこと
好きなのさ ? そう思って やってみたけど
やっぱり限界だったらしい

今日は一日 その調子が治る見込みはなくて
驚いた母が助けにきてはくれたけど
眠ることさえ出来なくて

明日という日が来るのが怖い

また明日 明日になれば いつもの日々がはじまって
朝おきてげんきくんが出勤をする
パパバイバイ いってらっしゃい そういって扉をしめる
バタン というその音の影で 私のため息がそっと聞こえる
これからどうしたらいいんだろう まだ2人だけになってしまった、、、


 それでもあわただしく家事をして なんとか時間は流れていくけど
結局の処 私の今の人生は 時が流れるのを待つだけで
れんちゃんを遊ばせ 児童館にいき疲れて貰って
寝ないかなーと待っている 彼が寝たら 私も寝るだけ
そうしないと身体が持たない そして夜になり
私も寝ようとするけれど 最近はもう寝られない
そうするとすべてが悪循環になってしまう
私がイライラしていると 全てはうまくいかなくて
だけどどうして 寝られない 何かがとてもこわいのだ
また同じ いつもと同じ 変わらぬ明日が巡ってくるのが
きっととても こわいのだ


 今日の私の状態は フランスで鬱になった時と似ている
一度なったことがあるから 状況は受け入れられて
こんなとき先生がなんていうかもだいたいわかる
「帰れるうちに帰りなさい!!」
大切なのは休むこと 私も育児を休みたい
今まで一番離れてみたので12時間で それ以外は
いつもいつもいっしょにおって 泣き声におびえてる


 ああまた泣いた


 このさき私はどうなるのだろう 今は夜中の3時だけれど


もう限界か

2009年07月10日 | 子育ての苦しさ
 れんちゃんは先月に1歳をこえ、旦那の実家で
お祝いされたり京都に帰って鯛を焼いたりしたものの
ちょっとしたお祭り気分もつかの間 
大旅行の結果として高熱がでて
どうしていいのかわからない状態が続き
彼よりも私と旦那がダウンした。


 書こうとしても 一回では書くことのできないくらい
暗黒な日々が延々つづき 病院に行かせるのかいかせないのか
薬をのむのかどうするかとか 彼の家の方針と
私の気持ちがだんだん対立していって 
一人で全てを背負いながら 暗中模索している私は
本当に爆発しそうな気持ちになった


 それでいつの日だったか もう彼が泣くのに
耐えられなくて 彼が朝から泣いていた時
私も「もう嫌!!!」と大泣きをした
そしたら彼は 驚いたのか 泣くのをやめて
お父さんはおろおろしてた


 我が家は本当に大変だ。もう崩壊寸前だったけど
熱のあるとき旦那の叔母さんがきてくれて
なんとか沢山話もできて どうにかこうにかもったけど

 どれくらい耐えることができるのだろうか
この生活に 叔母さんはもう実家に帰って休みなさいと
念を押してくれていた それくらい私はもう限界で
ちょっとくらいは この身寄りのなく 友達もいない
引っ越ししたばかりの土地で やってみようかと思うけど
そのつらさがどんなものかは 誰もイメージしてくれない
京都といっても京都のはてで ほんの少しいた友達も
もう誰も来てくれないような そんな場所で
空気はいいし 住環境はいいけれど とても淋しく
話し相手はれんちゃんだけだ。


 れんちゃんはいまとてもかわいい時期だけど
れんちゃんがいると自分のことは何一つできるわけもない
手紙を書こうとすればペンをうばわれ
お茶をしようとすればお茶をねらわれ
仕方がないから逃げ回りながらお茶を飲むから
まったくほっとはできなくて
台所にたとうとすれば 私の足につかまり立ちし
よちよち歩きのれんちゃんにかまいながら仕事をすると
お皿を運ぶのもものすごく時間がかかる

その上彼は高熱のせいでおっぱいがえりをしたらしく
やたらとおっぱいにひっつきはなれなくなって
私は本当にへろへろで もう考えるということすらできない

保育園に子供をあづけて「育児と仕事で充実」だなんて
言ってる人が心の底からうらやましい。
私と言えば 時間の9割8分はれんちゃんの相手でとられ
寝ようとしたらおそわれて 頭突きをされて
鼻には手をつっこまれ おっぱいはかまれ
ときには足をかまれたりして 「もー怒った!」と
怪獣相手に反撃をして それはそれで楽しいけれど
お互い笑っているけれど こんな人生でいいのだろうか
「私の人生」って一体どこにいったのだろう
いつか帰ってくるのだろうかと 本当に悲しくなってしまう


フランス語勉強したら?と言われても
フランス語のラジオを聞くような精神的余裕はないし
ブログだって京都に帰って一度たりとも書けなかったし
パソコンをひらこうものならめちゃくちゃたたいて壊されるし
「自分」があればあっただけ すべてどこかにいってしまって
私は崩壊しかけてる 自由がほしい 自由があるのがうらやましい
自転車にだって乗れなくて 先日はじめて1年半ぶりに自転車に乗って
ああそんな自分がいたんだ こんなに楽な乗り物があったんだと
気がついた いつも私は自分の足で ひたすら歩いていただけで


切ないなー いつまでこれが続くのだろう
何のために今まで生きてきたのだろう 子育てするため?
そのためにあんなに自由にいきてきたのか
思えば思うほどに切なくなる


人によって 子育ての感想は全く違うと思うけど
自分のしたいことがあって しかも保育園にあづけられない
そんな人ほどしんどいんじゃないだろうか
お母さんを愛してくれる れんちゃんはとてもかわいいけれど
お母さんはね お母さんなだけじゃないんだよ
お母さんはね 今まではお母さんじゃなかったんだよ
一人の女の子だったんだよ 一人の人間でもある自分
それをどうにか取り戻したい けど どうしていいのかわからない

フランスに行くなら

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