alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

春だから

2015年03月21日 | 子育て


 春だから 眠っていたものが
ようやく芽を出し始める春だから
私の中に抑えてたものも知らずに動き出すようで


 最近息子はだんだんと言うことを聞かなくなって
怒ることが増えていた。ご飯の時はお行儀よくしなさいって
何度いったらわかるんだろう?手で食べないの!
お箸はもっとこっちをもって、お茶碗には左手を・・・!
些細なことの繰り返しだけど 毎日言っても変わらない。
そんなことが山ほどあって さすがに私も疲れてた。
それで先日 もう理由すら覚えてないけど
保育園に送る時 お互いとても嫌な気持になって
バイバイ、とは言ったものの 手を振ることすらなく出て行った。


 嗚呼もう、まったく・・・!そんな思いは日々つのり
それでもその日の私はなんだかいつもと違ってた。
このままではいけないと どこかで深く感じたのか
朝の別れ方が本当に嫌だったのか なんだか非常に
哀しくなった。ママだって、大事にしてないわけじゃない。
いろんなことを頑張っている。朝から蒸篭でサツマイモご飯だって
蒸している、そしてそんなことをして余計疲れていくわけだけど・・・
ママだって 蓮太郎のために何もしていないわけじゃない。
でもできないことだって山ほどある、それは仕方がないじゃないか・・・


 仕事をしながらも何だか頭が息子のことで一杯で
本当にどうしたらいいんだろうと文字通り途方に暮れてしまった。
さすがにもう子育ての本をちゃんと読まないと無理だろう、
3冊くらい続けて読めば何かはつかめてくるだろうか。
そうはいっても・・・そうはいっても
薄々自分でわかっていた。多分構う時間が足りていないんだ。


 正直これ以上どこに?どうやって?と思っていた。
もはや平日は分刻みのスケジュール。この3年間
いかにして自分の効率を上げて仕事をするか そればかりに
とらわれていた。お金もなく、時間もない。限られた時間の中で
お金をかけずにどうにかするには、自分というマシーンの
効率をフルスピードに上げていく以外に道はない。
辿り着いたのはそんな結論であり、ほとんど私は
スーパーウーマンを目指してた。昨年はソムリエ試験もあって
そのお陰で勉強の仕方がなんとなくわかったから
これを応用して他も可能にしてしまおうと思ってた。
そして?将来的には仕事に困らないようになろう
そのための投資と思って今はフランス語も英語もやろう
できないと言っている暇はない・・・
保育園に息子を預けて電車に乗ったら早速英語の
ニュースを聞いて、帰りの電車はフランス語。
ほっと息をつく暇もなく、ある時間を最大限
有効に使うこと。そればかり考えていた。


 そうやってこの3年間、かなり無理矢理動いた中で
手にしてきたものももちろんある。今となっては
私のやっていることを見て羨ましそうな目をする人もいる。
でもその裏には半端じゃない強迫観念や怖れがあり
なんとかしてこの先も生きていくため、息子をなんとか
育てていくため、そう思ってやってきた・・・はずなのだけれど。


 傍らにいた息子にとっては足りてない。母はいつも忙しい。
どこかに連れて行ってはくれても母はベンチで勉強中だ。
遊ぶのは自分一人?それでは淋しかったのだろう。
そう、言うことを聞かなくなった息子は
まず自分が母に言うことを聞いて欲しかったのだろう。
「ちょっと待って!ママ忙しいの」じゃなくて
「あと1分だけね!」じゃなくて
彼の気が済むところまで 彼の気の向くままに
ママと遊んで 構ってほしかったのだろう。
それは保育園の先生に相談したりとか
育児書を読み込むまでもなく 心のどこかで薄々気づいていたことだ。



 だからその日 本屋で育児書を手にする前に
その時間があるなら公園に行こう、とまっすぐに保育園に向かって
息子を迎えに行った。早いお迎えを喜んだ息子に公園に行くことを告げ
ママはね、今日哀しかったんだよ・・・とポロっと漏らしたら
息子も「僕も 僕だって悲しかった・・・」と真顔で答え
もうそこから私は涙が溢れ 初めて園庭で泣いてしまった。


 早く暗闇で涙を隠したい、そんな思いでそこを発ち、
公園に行く途中で涙が本当に溢れてしまった。
私だって辛かった。相談できる人もいない。
お金は稼がなきゃいけない。でも子供はそれでは辛いという。
お金を自分で稼ぐ必要がない専業主婦なら
子供に充分構ってあげられるかもしれないけれど
私にはそういう余裕がない。しかも大したお金なんて稼げてないから
他の働くママたちのように「お金で解決」という方法もなく、
結局は何もかもが手作りになり、そこにはしっかり時間がかかる。
ママだってそれなりに頑張っている、でも子供には「馬鹿!意地悪!」と言われてしまう。
泣きながら息子に説明し、息子の話を聞いてみると
やっぱりもっと遊んで欲しいしいろんなところに行きたいし
そこでゆっくりしたいという。私はやってなかったわけじゃないけど
そこでの関与や時間が到底足りてなかったというわけだ。
公園に行けきさえすればいいだといか、
行ったからすぐ帰ればいいってもんじゃない・・・


 ごめんね・・・と息子に謝り、闇に包まれてもはや誰もいない公園で
久しぶりに一緒に遊ぶ。思えばこの公園に来ても私は
ベンチでフランス語の勉強をしたりで息子と遊んだ記憶は
はるか昔のようだった。今日は遊ぼう、そう思い、
何も考えずに一緒に遊び、ブランコをし、一緒に走って
家に帰ると息子は幸せそうだった。こんな可愛い顔するんだこの子、
それくらい幸せそうで、話し方すら優しくなっていた。
わかったよ、ごめん。これからは週末はちゃんと公園に行こう。
どちらかの日はいつもピクニックしよう。できれば
山にも行ってみよう。もう早く帰って仕事しなきゃ!と
思わずに 1日くらいはかまってあげよう。
3年間ひたすら仕事をしてきたけれど 
だから何だったんだろうと仕事をしながら
思ってしまった。大切なはずの息子とは この先10年以上は
一緒に過ごすであろうというのに ないがしろにしていちゃいけない・・・


 カフェ・ド・フロールという映画を観ながら
どうして私はあんなに泣いてしまったのだろう。
それは母と手をつなぐ幼い息子の姿が
自分と重なって見えたからだろう。
私は必死に生きてきた。多分映画の主人公もそうだろう。
必死な人は余裕がない。一番ないのは自分の姿を
客観的に眺める余裕で それを映画館で意図せずすることになった時
ほんの些細なシーンでも 私は涙が止まらなかった。
それは息子としてきたことだから?それともすべきことだったから?
「早くしなさい!」と子供に言う母。それでも時折
道端で子供と遊んでしまう時。子供を抱きしめ、必死になって
職場に向かう母の姿。1分でも遅れてしまうわけにはいかない。
スケジュールは分刻みなのだから・・・
狭い部屋で肩を寄せ合い、時に「恋人のよう」と言われて過ごす
母と息子。そこには愛情もあるけど憎しみもある。
楽しく笑い合った直後に堪え難いと感じる時もある。
それでも それでも一緒に過ごす そこには切ることなんてできない
親子の絆が存在するわけだから。この映画を観て息子を大切にしたいと思った。
実際には実践できてなかったけど これを機に もっといい関係を
築いていけたらいいと思う。東京の緑や自然の中も街だって
もっと一緒に探検したい。

天使の微笑

2012年05月13日 | 子育て

 「まあ あなたは天使ねえ」
「蓮太郎君の笑顔は天使みたいですよねえ」


 そんなことを 何度か言われることがあるほど
蓮太郎の笑顔というのは独特で 今日は久々に
保育園もなく1日ずうっと息子と過ごしてゆったりとした
時間の中で 沢山のことをぼんやりと考えていた。


 3年と8ヶ月。その間蓮太郎は保育園には行けなくて
一時保育に預けられたのも週2回が限度だった。
そんな中 私は私なりにがんばってきたとは思うけど
周囲の人から言わせると私の努力は足りないらしく
「蓮太郎の笑顔?それはあんたが放任してるからじゃない?」と
家族に言われたりもする。だけど本当に笑顔は放任から来るものだろうか??


 さて 蓮太郎が笑顔な時はどんな時かと考えてみると

 一番は 悪いことをしてる時
それからママとふざけあっているとき。
だいたい普段はあまり許されないようなことまでも
大人が面白がって許してくれて対応してくれると調子にのって
ギャハハと笑い ゲラゲラ笑い続けてる。
(息子の大好きワード うんち おしっこ おならも
禁止にしないで逆手にとって使って遊ぶと大ウケしている)
たたかいごっをしたりとか アホなことをしたりとか
ゴロゴロ遊びをしているときに蓮太郎は嬉しそう。

 それから「どう?こんなことできるんだー!やっほう!」という感じの時。
高い滑り台の頂上にいる時や、先日コーヒーを淹れられるようになった時、
ママと競争したりしてたいてい勝つ時、サッカーのボールを蹴るのがうまい時
そんな風にプライドを刺激されて得意になっているときは嬉しそうな顔をしている。

 あとは美味しそうなお菓子を発見してそれが食べられるらしいとわかった時。

 それに保育園のお迎えの時?れんたろうは駆け寄ってくる。


 では逆にひどい顔をしてる時は?
インフルエンザの時の「あれもだめ!これもダメ!」時は最悪だった。
しかもこの頃はちょっと放射能のことも気にしたりしてたから
禁止令がやたらと強くて「マスクしなさい!」そういうことを続けていると
3日目くらいには眉間あたりに変なしわのようなものができ、
目の下はなんだかへんなくぼみができたりする。
一見「言うことを聞くいい子」ではあるし大人のプライドというか
世間体?はちょっと満たされるけどどうみてもこれはやばい、、、
という顔をしているようにみえる。なんというか生気がない。


 だから私は2月の最悪なインフルエンザの後からいろんなことをもうやめにして
(まずマスク。でもあれからおかしいことに一度ものどが痛くなってない。
甲状腺痛いと思っていたのは何だったのだろう?)もういいやどうせアホだし!と
思うことにした。


 私が思うに蓮太郎の笑顔というのはアホなことを認めていることに
関係性があるんじゃないかと思う。蓮太郎の笑顔はすごい。
そして蓮太郎は本当にあほだ。それを自他ともに認めきっているので
本人は何度アホと言われようが全く気にもしない。「だって僕アホだもん。」
「そっか あんたのママもアホだしねー 僕たちアホ親子だねー」というので終わり
私の方も家でバカ遊びをしてる分にはもういいわどうせバカだし
あんた頭おかしいんじゃない?と言われたとしても自分でもそうじゃないか
と思っているので特に言い返せるような言葉がない。

さてそんな2人がまったりと布団の上やらでアホな遊びをしていると
家中に大笑いが響き始める。そんな時間が大切だった
そこに気づいてはいなかったけど そんな時間がいかに貴重だったのか を
理解したのは保育園がはじまってから。


 「僕ねえ 疲れてるんだよ!」と時折叫んでは眠そうに抱っこされて
ご飯を食べる息子はちょっと可哀想。「そうだよねえ最近ママとバカなこと
する時間もないしねえ」と 今日は「急ぎなさい!」というのをやめて
まったりのんびり、道草をしながら大きい公園まで行って来た。
すると息子の笑顔の輝いてること!何度母は胸を打たれたことだろう。
あんた、、、本当にかわいいねえ。なんでそんないい笑顔なの?
そんないい笑顔を私に向かって見せてくれるの?そんなにお母さんのことが好きなの?
好きでいてくれてありがとう、、、!!

 やっぱり命令なんかするより こうやっていい関係を築いていたい
沢山笑って過ごしていたい。まあ そう思ってはいるものの
何時間か2人っきりで過ごした後にはだんたんと嫌になってきて
「もー行くって言ってるでしょう!!」になってくるわけだけど。
それでも息子はやっぱりかわいい。笑顔の元?それはスキンシップとか
愛情表現だとか一緒にアホなことをすることにあるんじゃないか?
大変な3年8ヶ月だったけど 2人で孤独を山ほど感じては来たけれど
それでもいろんな変化があった。もう行かない!とかいいながら
山ほど色んなところに行った。ケーキもつくった、餃子もつくった、
パリでは散々ピクニックした。デパードの試食もうろついた。。。
そんな変化のある日々が当たり前だった息子にとっては
保育園はやっぱりある意味ちょっと単調に感じるだろう。
それはそれで面白いけど ちょっとしんどいだろうなあ、、、

 ママのことを邪魔もするけど 大好きでいてくれている蓮太郎
もっと一緒にたくさんの世界を見てわー素敵だね!って感動をして
沢山発見していきたい。沢山の花を見て匂いを嗅いで 密を吸って
芝生でごろんとねっころがって、、、そういうのって
意外と大事なことだったんだって 今になってようやく知った。

こいのぼり

2012年04月23日 | 子育て

 雨の降る中初めてまともに傘をさす
息子と一緒にいつものおもちゃ屋さんと輸入食品店に行き
こいのぼり の 飾りを見てたら ああ買ってやらなきゃ と
ふと思い 「れんたろうにこいのぼり買ってあげなきゃねえ」と
漏らしてしまうと それを聞いていたからか さあ店を出てもう帰ろうと
したその時に「これほしい かってかって買って!!」が始まった。



 保育園が始まって 私の時間が少しでき
私はようやく自分に近づいたような気がしたけれど
6時半まで預かってもらっていると 蓮太郎とはずっと離れて
あんなにも一緒にいたのに なんだか遠くにいってしまったようで
嬉しいけれども反面なんだかちょっと切ない。
ああそうか 子供を保育園に預けてた人たちの葛藤って
こんな感じなのか と ようやくわかる。


 だから息子といる時間をもっと愛おしもう

 そう思ってはいるものの いざ行き帰りの時間になると
私の口調は「早くしなさい」「もー危ない!お手てつないで!」と
命令口調っぽくなっていて のんびりと楽しみたい?と思ってはいても
布団の上でごろごろするような余裕もなくて なんだかなあ と 思ったり。


 こいのぼり を 買ってやらなきゃ


 そう思っていたというのは 去年の今頃 もう子供の日が 過ぎた頃だか
息子は3歳になるというのに 子供の日らしいこと を
フランスで何一つやってやれなかったからで 
これではさすがに申し訳ないと強く思って 日本文化会館みたいなところで
開催された 鯉のぼりの絵を描くワークショップに参加してみた。
沢山の人が来る予定だよ と言われたものの 大きな空間に参加者は
私と息子の2人だけ。色鉛筆やクレヨンで 一緒に色を塗ろうとしたけど
息子はそんなことには興味がなくってミニカーで遊びたいらしい。
ちょうどその日に パリに留学中の日本人のピアニストの女性にリクエストして
そこのホールにあったグランドピアノでラピュタやら宮崎駿の映画の曲を沢山弾いてもらってた。
彼女は全て 楽譜もなしで 楽しそうにどんどんと曲を弾いてくれ
子供がいてコンサートなんかいきたくても行けない!と思っていた私には
本当に嬉しいかけがえのない経験だった。


 そう 結局 そこでの経験は そんな感じで こいのぼりのために行ったけれども
結局マヤさんの音楽にうっとりしてて 持ち帰った鯉のぼり は 何日か後に
大雨に打たれ びしょぬれになって破けて階下に落ちてしまった。
そんなパリでの鯉のぼり。


 あれは切なかったなあ、、、
それはあまりにも可哀想すぎる、、、


 駅の近くまで行っても「こいのぼり買って!!」と大声で泣きじゃくる息子を眺め
なんでそんなに欲しいの?と聞き(だってラムネがついてるんだもん!)
問答を繰り返すけど でもなあ なんで働いてんだろう
子供におもちゃも買ってやれないんじゃ働くって何なんだろう
そんなことや パリでの切ない思いを思い出し 結局お店に戻って行った。


 そうして息子は嬉しそうに風車のついた小さな小さなおもちゃの
こいのぼり で 喜んでいる。これならパリにも持って行けるね、、、


 亀田の柿の種のけなげ組に入れるんじゃないかと思うくらい
けなげでかわいい蓮太郎は 大変な状況下なのに それらを
大変だとも思わぬらしく 今年もたくさん成長をした。
もうあんた 傘をさして歩けるんだね。 黄色い傘から顔も出せずに
カッパと足だけが見えていて なんだか傘が歩いてるみたいだけれど
「蓮太郎どこー?」というと嬉しそうにニコーっとして顔を出す。
今日はなんとお箸をつかってご飯もきれいに食べていた。
それに最近はYouTubeで覚えた発音で カーズのキャラクターの名前を
英語で発音してくれる。そうして母は息子に教わる 「ねえマックイーンって
英語でどう発音するの?」 そんなことができるなら
この人は私よりきっとすらっと簡単に フランス語だって
身につけて 何年かしたら私に発音や意味を教えてくれるようになるのだろう。


 蓮太郎のため と 思って 心配していたようなこと は
ほとんど彼には関係なくて 彼はいつでも楽しそうにアホなことをして
ゆるい笑顔で笑ってる。息子は本当にアホだけど 優しくって
けっこう言うこともわかってくれて 最近は大人みたいにいっちょまえにしゃべってる。


 あんた、、、お兄ちゃんになったんだねえ

 このほぼ4年間 病気らしい病気というのはインフルエンザとたった1日の
ノロウィルスみたいなのだけだった。あとはいつも元気でとびきりの笑顔
そして大きく成長してった。お金がなくても 何かがなくても
想像力で楽しんできた。トミカの駐車場のおもちゃが買えなくっても
私たちは積み木で駐車場をつくって「こんな木の駐車場持ってる人なんかいないね!」と
言ってきた。レストランになんて行かれないからいつもピクニックをしていたけれど
それも今にして思えば贅沢な時間なのだった。つちかってきた沢山の時間
最近は離れて行きつつあるけれど 蓮太郎と これからも一緒に
もっと世界を楽しみたい。

子育てって、、、

2011年09月14日 | 子育て

 子育てって素晴らしい?それとも辛い?
素晴らしい けれども辛いときもある?
幼稚園ママになるのは素晴らしい?
それとも選択肢がなかっただけ?
ママ友と子供と公園で遊ぶことに
心底喜びを感じている人がどれくらいいるのか
私にはよくわからないけれど


 どっちにもいいとこがあり
どっちにもないものねだりなとこはある
働きたいと思う女性も沢山いるし
復帰したと思ったら両立が大変すぎて
やめたという話もよくきくし
福利厚生の整った会社に勤めてる人が
復帰したのに 前の条件ほどよくなくて
それがストレスになってやめたという話も
きいたことがある から どれがいいとか
いちがいになんか言えないけれど


 少なくとも 子育てには辛い一面もある
それは事実じゃなかろうか
あとはとらえかた次第なのかもしれないけれど


 私は今高校時代の友人で蓮太郎より
年下の子供がいる子が2人いて 彼女達の
様子をみてると痛いほどその気持がよくわかり
たまに「私はもう抜けたかな」と思う時は
アドバイスとかできるけど そうじゃないときは
私も一緒。 もうどうしていいのかわからない。


 子育てって 本音で母たちと話してみると
みんなけっこうやばい状態になったりしてて
私がパリで会ったどうしてこんなに優しく
子育てできるんだろう?という驚くほど
優しいママでさえ 子供がまとわりついて
もう嫌!!と思って子供をベッドに投げたことがあると
言っていた。そう ほとんどみんな 虐待する
人の気持が痛いほどよくわかる って 
本音で話すとそう言っている。



 そうだよね ほんと言うこと聞かないし
うちの息子は最近は頭にシャワーしないでというので
約2週間くらい大泣きを続け 今朝は虫除けスプレー
しないでというけど後ろからかけたら大泣きしたのが
10分くらい続いて近所中にひびく大声で泣きつづけ
もうそういうのがはじまってくと どうやっても
とまることなく よけい厳しく言ってやろうとすると
どう考えても逆効果 で 15分でおさまるところが
1時間延々とわめき こちらも腹が立ってしかたがなくって
結局半日嫌な気分 に なってしまう。


 私は最近は引き寄せの法則、、、と思っているので
もうこれにとらわれないようにしよう とらわれたら
負けだと思って息子が泣いているその横で自分の
気分をそらし 違うことを考えて気持を上向きに
もってくと 意外と早くそういう大泣きがおさまることが
多くって でも今晩はこれじゃだめか 洗わないと
頭も臭いし!と思ってシャワーをかけたらもう
本当にだめだった。そして私もイライラしはじめ
もうどうにもとまらない、、、


 そんな経験 ありませんか?これを読んでるお母さん!!


 それでね たまに罰ゲームみたいって思いませんか?
なんでこんなことになっちゃったんだろうって
それで自分を責め始めたりしませんか?何か悪いことしたからかなとか
私の友人なんてめちゃくちゃがんばってるのに
「私前世で悪いことしたんだと思う」なんて
泣き叫び続ける子供を抱きかかえながら言っていたけど
そんなの絶対間違っている!と私は思ったのですけど、、、



 女というのは産む機械?子供を産むためにするのが結婚ですか?
でも結婚したら旦那はお金を稼ぐために家にはなかなか
帰ってこなくて 俺はお金を入れてるんだからお前は
育てて当然だろう よかったな 家にいられて?
どうして?子供を産むのが結婚だから?


 私はただ 逃れたかった どうしていいかはわからなかった
だけどとても嫌なことが一杯で 家出をしたいと考えていた
それだけは覚えてる その先がどうなるかなんて
私にはわからなかった だけどただ 私には沢山のことが辛かった


 だから私は 誰かにアドバイスをすることなんて
本当は全然できないけれど どうしたら幸せに円満に
子育てができるのかなんて わからないけれど
友人は自分を責めていた。「いろんなことを勉強してこなきゃ
よかった」そう 日本の幼稚園ママ向きの子育ては
15で姉やは嫁に行き、、、の時代からあんまり変わっていない。
何も知らないで家のことして子供を産んで ご飯つくって
「そういうものだ」と思っていたら 何も問題は生まれて
こなかっただろう。


 だけど時代はあまりに違う 先日小児科の先生が
「予防接種に反対の人もいますけどね そりゃ昔は
はしかにはみんなかかってましたよ でもだからって
今の時代の恩恵を受けてるのをみんな無視してそれだけ
昔に戻れっていうんですか?」と言っていた。私たちは
女だからって 沢山の恩恵を受けて育って来たよ
インターネットもグローバル化も 高い教育もみんなある
それでいきなり「女は家にこもって子供でも育ててろ」って
その落差といったら激しすぎるよ だから苦しむ人がいる
彼女達 は 私も含めてその苦しみをどこに吐き出せばいいのか
わからない。旦那に吐き出してしまったら 夫婦仲が悪くなるし
かといって私の友人みたいに全部自分で抱え込んだら
病気になってしまうことだってあるわけで
コミュニティカフェに行ったらいいわけ?
それで?おばさんたちに「こんなものよー
諦めなさい、、、」と諭されることになるのかなあ?



 こんなにも時代は変わってしまったというのに
私たち に 求められてる母のカタチは あまりに古風で
それが合って大好きな人も世の中にはいるだろうけど
他の人たちは?彼女達 は どれほど幸せなのだろか。
私はなんだか ちょっと怖い。今の自分の状況が
どうかだなんて わからないけど だからといって
前のあの恐ろしく孤独で満たされない気持でいっぱいの
あの状況には戻りたくない。今日出会った幼稚園ママが
公園でこう言っていた。「きれいにしてもきれいにしても
散らかされて きれいになるのはほんの一瞬、、、
だからもう掃除をしたいという気にならない」

 そうだよね よーくわかる その気持ち

 
 どうしたらいいのかなんて 私にはよくわからない
どこかに素晴らしい答えがあるのか そんなもの
存在しないのか 女が諦めれば全ては解決してしまうのか
それも私にはわからない。だけど少しは声を出すこと
たとえそれがちょっとネガティブな言葉であっても
だれかとそれを共有すること それって大事じゃないかなあ?


--追記(2日後)

 「どうしたらいいものなのか?」
私にはわかりませんが、フランス式は事前に説明するのが
いいらしく そうかなあと思ってやってみると意外と
うまくいったりもする。。というわけで今日はなんと
お風呂で髪の毛も洗い、歯磨きもスムーズ!
ちょっとありえなくって嬉しかったです。
「お母さんのいうこと聞くとこんなにお母さん
嬉しそうなんだねえ 抱っこもいつもより
してもらえるもんねえ じゃあちゃんと言うこと
きくようにしたほうが蓮太郎も幸せだねえ」
「うん 本当にそうだねえ!」
我が子 第二反抗期?別名やだもんですが
今日は何故かそれなりに言うことを聞いてくれました!
明日もそれが続くといいなあ

3歳の誕生日

2011年06月27日 | 子育て

 蓮太郎は先週で3歳の誕生日を迎えることができ
当日は飛行機に乗ったのだけれど この一週間
いろんなところで色んな人たちにお祝いしてもらい
なんだか幸せそうだった。

 3年間 が経ってみる と
あっと言う間というののだろうか?パリにいた3ヶ月は
本当にわーとやってる間に過ぎ去ってしまい あっという間
だったけど はじめの2年は 長かったなあ
そしてこの私がなんと3歳まで 子供を自分でみたんだなあ


 とっても不思議なのだけど なんでそういうことになったかって
保育園の申し込みのタイミングがうまくいかなかったのも
あるけれど 私がどこかを行ったり来たりしていたい
そんな人だったからだろう。


 この3年で 彼はどれだけいろんなところに行っただろう
どれだけの人に愛されただろう どれだけの乗り物に
乗ったのだろう 新幹線に飛行機、バス、電車に
蒸気機関車、蒸気機関車バスにロープウエイ、それから
船にTGVも乗ったなあ。どれだけカフェに行ったのだろう
数えることはできないけれど おそらく日本の3歳児の中では
トップクラスに入るくらいの回数を重ねたことだろう。
たくさんの場所を移動して 沢山の場所で眠って
沢山の人に愛されて 3つ子の魂百まで というのであれば
この子は旅人みたいになるのだろうか


 蓮太郎が 自分の家でしか眠れない子だったなら
こんなことは不可能だった 蓮太郎が 激しい人見知りの
子だったなら こんなことは不可能だった
蓮太郎がパンもチーズも大嫌いだったなら
こんなことは不可能だった だけど彼は
どこに行っても幸せそうで どこに行っても眠ってくれた
バスの中 飛行機や誰かの家で それから私のひざの上
パリではなんと立ちながら眠ることまで身につけた!
(東京の満員電車みたいですね)


 いろんなところを行ったり来たりを繰り返していた
私たち は この先どんな風に過すのだろう
そう 今までは幼稚園や学校がなかったから
私の動きにあわせて幼児料金のかからない蓮太郎を
抱っこしてどこかに行くのが可能だった。
そのうち一人で行くのもいいけど なんか
蓮太郎がいた方が 楽しかったり 哀しいときには
あたたかい手を差し伸べてくれたり
泣いてるときは「ママまた泣いてるの?」と言ってくれたり
ごはん食べるときは取り合いするけど それでも
仲良くやってきた 蓮太郎はいつも幸せそうだ
それが私にはとっても不思議
でもあなた が そんな笑顔で曇りなき眼で
笑って愛してくれるから なんとかやっていられるのだろう


 飛行機が離陸するときと着陸の時 私はいつもこわかった。
そうして一人でお祈りしていた。今回は蓮太郎が
いてくれたから彼の手をしっかりと握りながら
「飛行機ではね 無事に着けますようにって
お祈りするんだよ」と教え、2人で手を合わせて祈ってた。
気流が悪くて揺れる時も毎回私はもう死ぬかもと思って
本当に怖かったけど、蓮太郎と怖いねといいながら
手を握り合ってると、なんだかだいぶ安心できた。パリに行って
蓮太郎がいてくれてよかったと思った。母は弱っちくて
強がりで つい遠くをみてしまうバカだけど
そんなママを愛してくれてありがとう。
元気に育ってくれてありがとう。お誕生日おめでとう。
これからも楽しい思いを、沢山の人と一緒に
あははと笑っていけますように。

散歩の同伴者

2011年01月17日 | 子育て


 かつて一年前くらいだったか
この同じブログで同じタイトルで文章を
書いたことがある。東京を一緒に楽しく
散歩ができる そんな散歩の同伴者が欲しいだなんて
書いたような気がするけれど
だからといって誰もそんな人が現れることもなく
ただの自分の気持の表現で終わってた。

 けれども今日久しぶりに会って喜んでいる
息子ともっと時間をとろうと 家にいたって
仕方がないから そうだもっと日本を探ろう
探検をしよう 下町に、、、と思って
実家から一番近そうな下町を探し
三軒茶屋に行ってみた。


 息子との二人旅。息子はなかなか
よくできていて何週間か母がいなくても
淋しいと泣くこともなく かといって帰って来ると
ものすごく幸せそうにしてくれていて
母がぐうたら寝ていても その横で
静かに遊んで起きるのを待ってくれてたりする
そんな心優しく理解力のあるわが息子 は
母に似たのか探検もなかなか好きらしく
「探検する?」ときいてみると いつも「する!!」と
即答で 実家に来ると私は東京に行きたくなるので
「よーし東京探検しよう!電車に乗るよ
電車ではどうしてるの?」「じっと座ってるの、、、」
「ちゃんとできる?約束ね!」というわけで
お昼過ぎから下町探検に繰り出した(息子2歳半ですが)


 三軒茶屋に着いてみて 私としては
ただ「人が集まる」場所というか
なんとなくにぎわっている そんな場所を
のんびりと歩いて誰かに声でもかけてもらいたい
そんな程度の気持しかなく 道の文化を
感じたいなと思ってやってきたのだけれど
のんびりと歩くといっても 歩行者天国なわけでもなくて
ちょっとどーするかなあという感じ。


 しばらく行くとわが息子はチンチン電車の絵をみつけ
「これ乗りたい!!」と言い出して それならば
乗ろう これならお金もかからないし と
お寺を見学してみたあとで 世田谷線に乗ることにした。
世田谷線は区間均一で1回140円なのだけれど
一日乗車券は320円で売ってるらしい。
それなら40円の違いだけだし せっかくだから
買ってみるか と 2時間も乗る予定もないというのに
買ってみて 息子はとっても大喜び。
私は旅が大好きで 息子は路面電車に乗りたくて
なんだか興味が一致したようでちょっと嬉しい。





 それからどこに行こうかと考えたけど
けっきょくいつもの知ってるところでボロ市の開催される
駅で降り ちょっと歩いたら「地域住民のための
まちもりカフェ」というのを見つけ ほほー
これはサードプレイス、コミュニティカフェだな!と気がつき
蓮太郎もいることだし(子育てについても書いてあった)
ここはちょこっと勇気を出して ここの扉を開けてみよう。
(パリでの勇気に比べたらこんなのかなり平気になった!)

 何食わぬ顔して「ここはカフェなんですか?」とか
聞いてみて お手洗いを借りたりしてたら おばさんが
コーヒーを入れてくれ そこにいた人とおばさんと
世田谷線の変遷についての話をしたり、蓮太郎が
欲しいというから世田谷線の絵の描かれた箱に入った
羊羹を買って食してみたり。蓮太郎には昨日
長野から送られて来たばかりだというりんごジュースも
サービスしてくれ、我らは世田谷線情報を得て
それなら豪徳寺に行ってみようということになり
そこを出た。いやあ こういう場所 いいですねえ




 ちなみにこのカフェはカフェといっても非営利で
商店街の空き店舗対策で始められたものらしい。
そういう使い方っていいよねえ。奥の部屋は
託児所になってるらしく、1歳くらいの子たちを
1時間から預かれるようになってるようだ。
こうやってちょっと旅人が来たり、お年寄りや
子供やちょっと暇のある人がきたり
そこで自分のもってる情報や提供できるものを
交換しあう そんなカフェって本当に素敵だと思う。
(ちなみに飲み物は無料で提供してくれ、運営費は
世田谷線グッズとかの売上げでまかなっているそうです)


 カフェ慣れしている息子とともに
ちょっとそんな場のあるところを探検しにいく
そんな旅 も いいかもなあ。


 豪徳寺を歩きながら


 ああ世田谷の この夕暮れや
このお寺の感じ 高校の時から歩き尽くした
東京の美しく なんだか切ないこの夕暮れ時を
私はずっと一人で歩き続けて
下町のガイドなんかをみてみても
柴又以外はほとんど行ってて
かなり遠くまで歩いてる。
だけどその時 同伴者なんて誰もいなくて
私はずっと一人で歩いてた。
授業の早く終わった午後に東横線に乗った後
たくさんの街を歩きに行った
どうしてあんなに 東京の街を歩いていたのか
そして一人で切ない気持になっていたのか
私にはよくわからないけれど

 今ここに一人 自分の後ろに
小さな子供が一人いて
それなりに一緒に楽しんでくれていて
それなりに歩いてくれる人がいる。
この先も こうして散歩をしてくのだろうか
誰かと一緒に?息子と一緒に?
そうしてその嬉しそうに笑う子供は
いつの日か こんな母のもとに生まれたことを
よかったなって 思ってくれる日もくるのだろうか
いまのところは 幸せそうにしてくれてるけど
悪い母でごめんねと思うことも沢山あるけど
こんなお母さんだったからこそ
おもしろかったといつの日か 思ってくれたらいいけどなあ


 この先も こうして街を 歩いて写真をとるのだろうか
彼と一緒に?誰かと一緒に?もう一人ではないのだろうか
私は心の奥底で 誰か一緒に歩いてくれる
そんな人を求めていたのだろうか 私にはよくわからないけど
パリの空 も 東京の切ない夕暮れもそれぞれにとても美しく
私に役割があるのなら 私は自分が美しいと思ったものを
この世にもう一度残していきたい
忙しく生きてる人には気づく暇もないような
そんな世界が実はあること
そんなことに気づかせることが
通常の世界で生きられない人に
課された役割なのかもしれない。

子供との時間

2010年10月17日 | 子育て


 今日は日曜日なんだけど
旦那は1日東京に行ってしまうらしく
わー久々に旦那のいない休日だわあと思っていたら
そうそう 思い出すこの感じ
かつては週末なんてなかった我が家が
どうして大変だったのか、、、

 だって平日だったらかろうじて
ママサークルとか児童館とかいけばいいけど
週末はそんなのないんだもん!(特に日曜日)
かつ 友達になったママだって
「家庭」が日曜にはあるわけだから
遠慮しちゃって「日曜日ひま?遊ばない?」とは
なんだか言い出しにくくもあって
かといって 1人で子供を連れ出して
家族連れでにぎわうところに行ってみる と
父親不在を否応無しに感じて悲しくなるから
それが嫌で 外にも出る気になんだかなれない
そう そんなのが 旦那のいない週末でした。
雨の日にママたちが鬱っぽくなるのと同じくらい
子供と2人っきりの週末ってのは
ママの精神的によくない 私はそう思うのだけど、、
(今ではなんとも思わないけど「週末に
3人でどこどこに行ってね」という話を
聞くだけでも辛かった)



 さて今日は どこかへ行くのも面倒だから
まー家の片付けでもしたらいいかということにして
のんびり過ごすことにした。


 それでお昼ご飯に、一度つくって また食べたいと思ってた
中華風ネギもちというものを作ろうと決め
蓮太郎に「こねこね とんしたい?」ときいてみると
「こねこね とんする!!!」とのことで
昨日つくったお菓子を一緒に食べてから
お昼前からまた小麦粉を出してご飯つくりに挑戦だ。


 そういうわけで 今日は初の蓮太郎のお手伝い。
彼は生地も練ってくれ 生地のうえに
ベーコンとねぎを散らして それから
生地をのばすのもやってくれ 「蓮太郎すごいね!」
とほめていたらとっても嬉しそうだった。





 子供と一緒に料理をつくる

 子供と一緒にお菓子をつくる


 それってなんだか素敵だなーと
ずっと前から思ってて
やりたいな いや やるべきだなあと思ったのは
以前保育園の見学に行った時に その家庭的な保育園では
けっこう料理をするんですというのを聞いたからだった。
預けられた子供達は 先生と一緒にパンをつくったりするという。
それがとっても楽しいらしい。


 それってとっても素敵だけれど

 それこそ 本当は 親が子供にするべきなのでは?!

 と 私はちょっと疑問に感じて


 保育園を出た後に 考えてはみたのだけれど

 実際のところ 保育園でやってくれるような
これでもか!!みたいなサービスなんて
子供をみているだけで精一杯の 疲れた親には
あんまりできず 私のまわりで自分で子供をみている人は
口をそろえて「お昼ご飯も簡単だし 子供にたいして構ってやれない」
と言っている。それにひきかえ 保育園は 梅干しはつくるわ
お昼の献立は素晴らしいわ 絶対市販品使わないわ
絵の具でお絵描きもできるし ねんどもできるし
お歌も教えてもらえるし!で 楽園みたいにうつってしまう。


 だけど 本当はそんなこと 
親もいっしょにやってあげたら 
きっと一番いいのだろう 


 とは 思っても そんな余裕なんかないんだよー!
というのが本音なのだろう。


 でもちょっとはやってみたい!と私は思い
今日は一緒にこねこねしてたら 蓮太郎も
美味しそうにご飯をずっと食べ
眠そうになってお昼寝させに連れて行ったら
「今日お料理したねえ」と自分から言っていた。
「楽しかった?」「うん たのしかった」
「またお料理する?」「うん またする」
か かわいい。。。





 子供のいる喜びって こういうことにあるのかなあ

 子供に何かを伝えていくこと

 自分が大切にしたい価値観を
自分の子 に 伝えていくこと
かつて好きだった絵本とか 好きな音楽を一緒に聞いたり
子供は親がやってたら 「そんなの嫌!」とは文句をいわず
音楽だってきいてくれるし だいたい興味を示してくれる
それを次世代に伝えていくこと それができること
それが子供をもったもの の よろこびなのかもしれないな。


 子育ては私にとっては大変な方が多いけど
それでもやっぱりかわいくて 自分が大事にしたいところを
子供もわかってくれたなら 例えば彼も バーバパパの
キャラクターの名前を自分から覚えていったりするのだけれど
そして童謡をかなりしっかり歌うのだけれど
そういうのって あー 私が教えたからなんだ、、、
となんだか報われた気がしてちょっと嬉しくなった。
2年間本当に大変で 孤独な日々も山ほど経験したけれど
なんだか少し 報われてきた。
子供がいるからさみしくないし
話し相手になってくれるし
教えると吸収してくれる。

 いつの日か もっと料理を沢山教えて
10歳くらいになったなら ママが寝込んでいるときに
おままごとじゃない 本当の料理を 彼はつくって
くれるだろうか。料理のできる男めざして
今からいっぱい仕込んでおこう。

生命力

2010年09月26日 | 子育て


 今日は以前から入院したりを繰り返している父の
病院にはじめて行って その巨大さに驚きながらも
病院の中に入ると あ なんか これ
久しぶりに見る 病院特有の雰囲気で
いろんなことを感じてしまった。


 父は基本的にはとても元気で
なるべく病院にはいたくないから
今日までもずっと家にいたりして
1日9キロ歩いたり 我が子と激しく
遊んだりして 家族の中でも一番元気そうなのだけど
そんな父が 今日は病院のベッドで眠るらしい。


 いわゆる大病院というものに足を踏み入れたのは
もう10年ぶりくらいだったから わーなんだかなーと
思ってしまって そりゃあうちに帰りたいよなと
そんな気持ちがよくわかる。名もないベッド
名もない病室 特別な誰かだったのに
そこにいると 誰々さん、と看護婦さんに呼ばれるだけで
長い人生でつちかってきた アイデンテティもはぎ取られるような
そんな病院特有の雰囲気で なんだかおそれを抱いてしまった。


 子供を産んでしばらくしてから
もう本当に辛かったから 「入院したい!!!」と
切に思うことが多かったけど 実際に入院している
ところをみると それって本当につらいんだなあと
よくわかり 病院になんてお世話にならない
そんな人生を歩めるありがたさ が 身にしみる。


 そんなちょっと暗い雰囲気の病院の中
ひとつだけ明るい光をはなっていたのは
お見舞いに来てる無邪気さまるだしの子供達。
今日は私も子連れで来たけど 彼は着く前に
昼寝をしはじめ 病院の中はみていなかった。
けれどもけっこう子連れは多くて
エレベーターに乗りながら ああ そうか
子供って 次世代の生命なんだ、、、と
深い感慨を覚えてしまった。


 子供を産むっていうことは

 一体どういうことなのか?と
長いこと考えていたけれど
人間には 男女の出会いの時でさえ
遺伝子やホルモンが働いて この人となら
子孫を残せそうかどうかというのを
チェックする機能があるらしい。
それくらい 子孫を残すということは
人間や動物に備わった本能的な行動で

 「社会的」な場所にいて 独身の人が
働いていて 楽しそうに笑ってて という
そんな場所にいてしまう と 子供は面倒
大変だ!とつい思ってしまうけど
少し暗い雰囲気の おじいさんおばあさんが
沢山リハビリしている病院の中を歩いてみると
子供だけ が希望のような気さえする。
なぜなら彼らは新しい生命だから
新しい希望の星だから。


 自分の子供を見ているときに
なーんでこんなに元気なんだろう!?と
不思議に思うことがよくあって
こんな30歳間近の人から生まれて来たのに
両親はへばっていても 子供は夜の10時まで
めちゃくちゃ元気に動き回って 笑いに笑い
よくこんな疲れた親からこんな子が、、、と
驚いてしまう。私から生まれたはずのその子は
とても元気で もうこれ以上力がついたら
怪獣ごっこも無理そうなくらい
エネルギーに溢れてる。
お肌もほんとうにつやつやしてて
その細胞 わけてもらえませんか?
っていうか私から出て来たはずでは?
なんでこんなに元気なのかなー?と
本当にうらやましくなってしまう
(それに語学習得能力といったら!!お願いわけて!)


 そんな彼らを産み落とすこと
産み落としてから何年か は 本当に大変なんだけど
いつか自分が老いた時 に 若い光が
元気を与え 笑顔を分けてくれるのならば
いつか自分が老いた時 に お見舞いに来てくれるなら
子供って やっぱりとても大切な存在なのかもしれないな。


 かつて戦後の住宅難の時代に日本は
こぞって山を植林にして 何十年後かの資源をつくろうと
したらしいけど 子供って きっと今 すぐではなくって
十何年かした後に 自分がもう 子供を産めなくなってしまった時に
その活動や若さや気力で 人にパワーを与えてくれて
そしてちょっと助けてくれて 一人だけ でいるよりも
元気にさせてくれるのだろう。
彼らは希望に溢れてる。何にだってなれるわけ で
それは本当にうらやましい。


 子供を産むって もっともっと
深いサイクルで見ないといけないことなのかもな、、、

 今日病院で私は思った。おばさんたちが
「自分のやりたいことなんてやれる時間がたっぷり
ある日がいつか来るわよ!でも子供は今よ」と
私によく諭してくるのは きっとそういうことなのだろう。
その時 自分が老いた時 側にだれかが居てくれるのか
その時 もっとエネルギーをもっていて はつらつとしてる
誰かがそこにいるだけで みんな若返るのだと そう言っている
子供がいると 笑顔があって 子供がいると 会話があって
いつの日か孫のいる人生がある それって何だか素敵そう。



 いつの日か 私ももう一人子供を産もうとするのだろうか
今まではそのリスクばかり考えてたけど 子供を産むということは
もっと とっても根源的で 本能的で 本質的な
なんだかそんな気がするな。。。
子供はどうして笑うんだろう 
どうしてあんなに人を笑顔にさせられるんだろ
どうしてあんなに若いんだろう
子は宝 というけれど 本当に社会の宝なのかもしれない

 「花のいろはうつりにけりな いたずらに 
我が身よにふる ながめせしまに」

 若いしこれから!と思ってる時 女性は子供も産み時で
判断するのは難かしいけど いつかリミットもあるわけで
仕事?自分?子育て?収入?考えることは山ほどあるけど
もしかして 子育てっていうものは そういうレベルの
判断じゃなく もっともっと 根源的なものかもしれない
そう思えたのは都会の真ん中。なんだか不思議な経験だ。

可愛さとにくたらしさのはざまで

2010年09月13日 | 子育て


 今日は蓮太郎が いかに最近可愛らしいかを
書こうかなーと思っていたにもかかわらず
先ほどお風呂に入る直前 私たちは大げんかして
もう虐待の通報が近所から来るんじゃないかと
ちょっとおびえてしまうほど 蓮太郎は泣いていた。

 なんで泣いていたかって?
お風呂に入りたくないからだ。
それだけのこと、、、(そんなもんです!)


 それでなんて泣いてたかって?
「にゅうにゅう(牛乳)飲みたい!!」
「アンパンマンうんちする!!」
(普段めったにトイレになんか行かないくせに
私がお風呂に入っている時に限ってトイレで
おしっこするという)
あとは散々わめき散らして
お風呂の扉を開け放しては私の側に寄ってきて
だけど断固としてお風呂になんかはいってたまるかと
彼は一歩も譲らず泣き続ける。


 そういうシチュエーションがずっと続くと
さすがに堪忍袋の尾も切れて
「もう怒らないぞ」と決めてるくせに
ほとんど毎日怒鳴ってしまう「うるさいんだよ!!」
もー本当に いい加減にしろ!!と思う毎日だ。


 だけど息子は可愛くて
昨日の夜なんて私にむかって「大丈夫?」と
言ってくれ そんなことを言われてしまうと
「うん大丈夫よ ありがとう 優しいね」と
つい言いたくなって そんなこと の繰り返し。

 今日も結局このお風呂号泣事件の後は
どうせ泣くならもう同じだ、と無理矢理つかまえ
シャワーを浴びさせ身体をふいて、しばらく部屋に
放っておいたら 私がお風呂を出て来た頃に
膝によって来て眠ってしまった。
そんな我が子はかわいいのだけど
憎たらしいときは本当に腹が立ってしまう。


 昔はなー 可愛い8割 憎いの2割くらいだったけど
今は可愛いのが3分の2で 憎たらしいのが3分の1くらいに
なってしまった気がするなあ それでも可愛いとは思うけど
それでも彼が 寝てしまった時 あの小さな足や手を見ると
ああ この子のことを守らないと 私が守ってやらないと
と 思うけど だけどお前にゅうにゅう にゅうにゅうって
いい加減にしろ!それから靴はくって決めたのに長靴に
するって言って後からワーワー泣くな! お店に入って
買い物かごの中に靴はいて入るな!!と
もう嫌にもなってしまう。(これ全部本日)


 私は一時保育があるから まだ精神的に楽だけど
それがなくて しかもこの子みたいに6月生まれで
まだ来年も幼稚園なしな状態じゃ
「一体いつまで続くんだろう、、、」と本当に
恐ろしくなりそうだ。


 ところでこんな感情を抱いているのは私だけ?
かと思いきや ママサークルでちょっと本音を
話してみると「私も朝はめちゃ怒ってたよ!!」とか
「毎日どなってばっかりだよ!仲良さそう?全然!」とか
「この間ものすごいわがまま言うからもう絶対嫌!と思って
抱っこしないことにして 道端でだっこだっこ言うのに
構わなかったら中学生が「抱っこしてあげなよ、、」って
顔して見てくるの。あなたもいつか母になったら
この気持ちがわかるわよって言ってやりたかったわ!」と
言っている人もいて なるほど!!と思ってしまった。
そう あなたもいつか ママになったら、、、
この気持ちがわかるわよ。


 ママ達に聞いてみるとたいていの人は
「虐待する人の気持ちもわかる」というし
新聞を見ると「しつけのつもりだった」と
いつも書いてあるけど「ほんまかいな」と思っても
でもどこまでどんな風にしつければいいのかなんて
母たちは誰も知らなくて 「今は子供だから
仕方ない」と思っていいのか「子供だからって
これはだめ!あれもだめ!全部ダメ!!」と
すればいいのか 私にはまだまだわからない。


 我が子は生後5日目にして沢山の赤子をみてきた
助産婦さんに 「頑固な子ねえ!
誰に似たの?」と言われたくらいの子なわけで
その頑固さには私もほとんど負けてしまうから
どうしていいのかわからない。
我が子の笑顔はかけがえのないくらい素敵だけれど
このわがままっぷりも激しすぎ
まあ 怒る 怒鳴るよりは機嫌を違う方向に
持っていくのが 得策だろうと思うけど
なかなかどうして難しい。
そう 子育ては修行です。


 そんなだけれど 最近はあー子供って可愛いなあ
もう一人くらい居た方がいいのかしらと思ってしまう
それくらい可愛い!ということもいっぱいあって
どういうことかといいますと

その1 私がどこか痛いときに「いたいのいたいの
飛んでけー! 飛んでった!」と言ってくれる。

その2 バスやしらないおじさん、おばさんにも
「いってらっしゃーい」と言って手を振っている
(けっこう無視されてるけど一向にめげない)

その3 ご飯を食べてくれないのでお母さん悲しい!
れんちゃんのために一生懸命つくったのに、、、と
悲しい顔をしてエンエンすると「食べる!」といって
食べてくれるようになった。

その4 しょっちゅう歌を歌ってる。
得意な歌はアンパンマン、七夕の歌など
ごはん中まで歌わなくてもいいんだけど、、、

その5 ボールを投げるのも上手になった!
「一緒にあそぼー」と言ってくる。

その6 今日は愛用の帽子、ケロちゃんにもパンを
わけてあげようとしてた「ケロちゃんも食べる?」
かつてはクマのぬいぐるみの歯を磨いてました。
そういうとこ大好きです。

その7 なんと肩を叩いてくれる!「母さんお肩を叩きましょう♪」
を歌うとけっこうちゃんと叩いてくれるのです

その8 たまにゴミを捨ててくれる
あー子供がいてよかったと思う瞬間(笑)

その9 たまにお菓子をわけてくれる!信じられない
以前は絶対くれなかったのに!今日もいちじくをもらいました

その10 カフェに行くとお金を払う役目を引き受けてくれる。
ちゃんとおつりももらってきてくれて可愛い。

その11 今日は初の写真も撮れたみたい!

でもカメラ壊さないでね、、

 なーんて そんなことなんだけど
彼は日に日に成長していて 毎日とても楽しそう
(まあ大泣きもしょっちゅうだけど)


 「子供ってさ いるのといないのと
どっちの方がいいんだろうね?」
それは永遠の課題かもしれない。
特に自由に生きたい人にとっては
とても難かしい選択だけど
子供がいるから笑えることも
子供がいるから学べる視点も
子供がいるから変われる自分もあるのだろう。
私はおばかな息子にずっと付き合っていて
私もかなりおばかになって だいぶ自然体になったみたい。

 かつてスタバで執筆してたときに
毎日顔を合わせてたおじさんが
先日違うカフェで偶然隣り合わせたときに
こう言っていた。「だいぶ表情が変わりましたね
前はもっと なんていうか とんがっていた感じでしたよ、、、」
あー なるほど。 とんがっていた、
そんなの自分じゃわからないけど
確かにそうかもしれないなあ

 蓮太郎がいなかったなら 
私はカフェで 路上やバスで
見知らぬ誰かと話をすることなんて
なかっただろう だってこんなじゃなかったわけで
もっとギスギスしたオーラを持っていたから
だけど今はオープンになり
沢山の人の話を普通に聞けるようになってきた。
それが職業だからじゃなくても
「そうかー」と思えるようになってきた。
私もひとつの大変さ を 経験してみたからなのか な




 子育てをするということは
まわりの人からしてみたら
「子供がおっきくなるだけじゃない
その間あなたは何しているの?」と
思われたりもするかもだけど 本当は
親がおんなじくらい学べるもので
関係性をつくる間に 両方が沢山成長している。
それが子育てなんだよな だから「専業主婦」というのは
今では劣った目でみられがちだけど
意外としっかり大きくなってる
そんな気も私はするな。

 この2年間 沢山の出会いはあったけど
どんな本を読むよりも どんなイベントに行くよりも
蓮太郎との長い時間で 私は変わっていった気がする
子育てって きっととっても奥が深くて
だから難かしいのだろう。

魔の2歳児?

2010年09月05日 | 子育て


 最近は蓮太郎とも随分と仲がいいわーと
思っているのもつかの間で 一週間くらい前からか
イヤイヤの量が半端じゃなくて
これって ついに よく耳にする
「魔の二歳児」ってやつがきた?と
ちょっと恐ろしくなってきた。

 ネットで少し調べてみたら
今の蓮太郎はまさにそこに突入したらしく
ちょっとイヤ!という程度ではなく
おもらしをしたパンツをとりかえるために
大泣きをして断固としてかえさせない。
我が家は虐待の通報が来そうなほどに
蓮太郎の意固地のために大泣き状態が続いてます。


 (ちなみに子供のいない人に知ってほしいので
書きますが 子供は泣きます。
すっごく泣きます。いろんな理由で泣きます。
ただお菓子ほしくて30分泣ける子もいます。
隣できいてたら「虐待?」と思うかもしれませんが
母親達はそんな通報におびえながらも
自分の信念か子供のわがままに折れるのか で
けっこうよく戦っています。「とにかく通報!!」
という世の中は間違っていると私は思います。
もっと母親達にあたたかいまなざしを向けて、
子育ての大変さを理解した上で、一緒に育ててほしいのです)


 ところでそんな大変な状態に突入し、
イヤイヤばかりの蓮太郎にはかなりイラっとくるけれど
最近は大声でどなるのはもう無駄だからやめよう
どうかそこは自分をコントロールしてみよう、と
彼が一息つくのを待てるようにがんばってみて
なんとかかんとか生きている。
そしてケロッと笑顔になると

 は? あれ 何だったの、、、?

 ということばかり。

 そしてその笑顔が以前よりもっとかわいく
「一番大変なときが一番かわいい」という言葉の
意味が なんとなくわかる気がする。


 1日のうちで「こんのやろー いい加減にしろ!!」と
思う時もいっぱいあるけど「なんでこんなに可愛いのアンタ!」
と思う時も山ほどあって なんだか不思議で仕方ない。
最近は蓮太郎は私に反撃されるのを かなり喜んでいる
ようなので 私も怪獣にたちむかっていき
二人はしょっちゅう戦ってたり
サッカーをしたり 探検をしたり
街に行ってカフェにいったり
電車に乗るのを楽しんでみたり
一緒に乾杯したり アンパンマンを歌ったりして
なんだかんだで仲がいい。





 イヤイヤ!!!って言うことに
意味もあるのかなーと思ってたけど
ここまでイヤイヤされてしまうと
「もーお母さんがイヤ!!」と言ってても
仕方なくって(でもそういうとちょっと笑う)
かなり途方にくれるけど ちゃんとかまってあげてると
意外と電車やバスの中ではいい子にしてくれて
かまってあげる 彼の時間を 一緒に
大事にしてあげること それってやっぱり
大事なんだなと思わされる。


 我が子は最近ネガティブな表情の使い分けが
うまくなり しかめっ面をしてみたり
眉間にしわをよせてみたり 赤ちゃんのように
泣いてみたりとか 嫌な顔をした直後に
嘘のように笑ってみたり その変化がとても
激しいけれど ほっぺにはえくぼができて
よくもまあ そんなに笑っていられるよなあというくらい
ケラケラと楽しそうに笑ってる。
息子は毎日人生をエンジョイしています。

 私もそんな彼のおかげで だいぶ遊べるようになり
子供心を取り戻し 笑えるようになってきた。
人生は しかめっ面して他人を気にして生きているより
笑って笑って生きてる方が よっぽどか楽しいようで
彼はそれを教えてくれて 彼の笑顔は
たくさんの人の表情を すぐに笑顔に変えてしまう。
それって本当に 神様からのギフトだなあ
こんな笑顔をいつまでも このえくぼ をいつまでも
失わないで これからも人を幸せにする
そんな蓮太郎でいてほしい。

怪獣との日々

2010年08月31日 | 子育て


 最近は一時保育に通いだしたり
フランスのことを思ってみたりしているせいか
前ほど子育て大変じゃない?と思ってたけど
蓮太郎と2日一緒に過ごしてみると
あーそれって ただ単に 保育園のおかげなんだわ!と
痛感してしまう。


 保育園がなかったころは

一体いつまで続くんだろう
一体いつまで 私は時間がないんだろうと
本当にこの状況が恐ろしかったけど
保育園に週2回でも行ってくれるようになり
自分の時間が確保できると
かなり精神状態は異なるようで
蓮太郎のことを一番かわいい!!と
心底思えてしまうのは やっぱり
保育園に行ってた日の夜や
長いこと離れた後で
丸2日一緒にいると 途中で
嫌になってきたりしてしまう。


 どうしてなのか

 児童館にいるママたちで

 とてもさわやかに子育てをしているように
見えた人たちが存在してて
子育て つらくないのかな?
そんなに素敵なママができるなら
3歳くらいになるまで自分でみたらよさそうなのに
そんな人たちにかぎってこぞって子供が
1歳になるより前に 保育園ママになってしまった。

 私は不思議でしょうがなかった
それに対して 自分で子育てを続けることになった人たちは
けっこうしょっちゅう「もうやめてー!!」という
オーラを発し 子育てが得意そうにはあまりみえない。
この対称性ってなんなんだろうと思っていたけど

 先日ちょっと希望を失った際によーくわかった。
あれって 保育園があるからできたことなんだ、、、


 彼女達 は 知っていた。
いつか終わる日が来ることを。

 あと何ヶ月かで 私はただのママじゃなくなる
だからママを楽しもう 精一杯向き合ってみよう
そんな気持ちになれたのだろう だって私はまた
働くわけで こんな風にはみていられるのは
限られたほんのわずかな期間だから。

 それに対してずっとママをする方は
それが根っから向いてるタイプの人もいるけど
そうじゃなければこう思ったりもするだろう。

 いったいいつまで続くんだろう
私の人生はどこへいってしまったのだろう?
これまでやってきたことは一体なんだったのか?
この先もずっとこうして追われていくのか
それなら少しでも休みたい!!!

 そして女は誰かの前でこう叫ぶ
「もうやめてー!いい加減にしてよ!!」


 そうなんです かくいう私もその一人。
早く保育園の日こないかな なんて
指折り数えてみたりする。
ママサークルに行ったりする度
なーんで人は 子供を欲しいと思うんだろう?と
すごく疑問に感じてみたり
(だってこんなんい大変なのに!!!)
でもやっぱりめちゃかわいいから
もう一人欲しいかもと思ってみたり
いやいやもうあの地獄の日々は恐ろしいと
思ってみたりのくりかえし。


 子供って なんでこんなに怪獣なのかな
なんでここまで手がかかり
なんで言うこときかないんだろ
人間の子供に限って なんてこんなに大変なのかな
人はどうして子供を産むのだろう


 我が家の怪獣レンタゴンは
いつも笑顔で私を襲い 私はいつも
ああ殺される、、、とけっこう本気で怖くなり
もう早くお昼寝してよ!!と試行錯誤で
眠らせるけど 寝ない時は だんだんと
ストレスがたまり腹もたってくる。
こんのやろー!!と思うけど
いつも笑顔のレンタゴンは たいていは
かわいらしいのだけれど
おもらし おもらし ウンチも3回漏らされてると
だんだん腹もたってくる。


 まあ冷静になってみる と 子供の機嫌が
悪いのは 親がかまっていなかったりとか
そういうのによるんだけれど
日々子供と向き合っていたら
なかなか冷静にもなれないようで
それでも私は今日はイライラしたけど
怒りを爆発させないように
なんとか自分をコントロールできたみたい。


 子育ては 本当に大変
私にはとても 「簡単だし かわいいから
躊躇しないで子供を産んだ方がいい」とは
若い女性には言えません。だって今の日本で
核家族 で 子供を産んだら
みんなが想像しているように
本当に人生変わってしまう
私にはまだ そこをどうしたらいいかもわからない
少なくとも 一時保育というものが
もっと世の中に増えてくれたら
だいぶママの精神状態はよくなるだろうと
それくらいは言えるかな


 フランスは今子育てしやすいというけれど
かの地はいったいどんなのだろう
余裕があったら もう少し ちゃんと本を読みたいな。

二人目

2010年07月30日 | 子育て




 今日はママサークルの夏祭り、で 想像以上に
人が集まり、噂によれば60組くらいきてるとか、で
いつもの小さな集会所 が なんだか今日は
幼稚園のようになっていて その雰囲気に圧倒される。

 泣き叫ぶ子供達 ビニールの剣を振り回している子供達。
二人の子供に手をやいているママたちに
おままごとする子供達 たくさんのことが
同時多発的に起きていて 私はただ息をのむばかり。

 ああ これが子供の姿なんだな
子供って 泣くもんなんだ
子供って けんかするもんなんだな
子供って とっても手がかかる、、、

 ママサークルに所属してると
そこにいる人の感覚としては
「子供は二人は産みたい」というのが
どうやら存在しているらしく
二人の子供のお母さん が 半分くらいを占めてるし
妊娠中の人もいるし 二人目が一才未満の子もいる
たくさんの子供がいるから なんだか
安心感があり これがあるなら 二人目も?と
思うことも多々あったけど


 結局のところ 私には二人目を産む勇気がない。


 本屋に本を売り込みにいく勇気はあっても
二人目を産む勇気はなくて キャンプなんかに
行ったりするたび いやあやっぱり兄弟は
必要だよねと思うけど
移動の多い私の人生 両親とも遠く離れた
今の生活 そしてやりかけている物事を
考える度にこわくなる。

 きっとその怖さというのは 子供を
もっていない人が 子供のいる生活を
イメージしたとき 失うものを考えた時に
感じる怖さと似ているのだろう。
私はもう 子育ても子供のいる生活も
それなりにはわかっているから
そこまででもないのだろうけど
それでもやっぱり私は怖い。

 だけどいつだたったか
二人を産んでる他のママに
「二人目を産むの怖くなかったですか?」と
尋ねてみたら はあ?という顔をされたことがある。
一体何が怖いのだろう?自分の時間がなくなることか?
でも子育てはそういうものじゃない、、?


「でも子育てはそういうものじゃない?」

 そう思えたならいいのだろうけど
そう思って諦めきれたらいいのだろうけど
私には少しの自由がまだ大切で
なかなかそうも思えない。
そうして私は中途半端に 自分の立ち居値について
悩んでしまってる。

 思い切って二人目を産む勇気とか
家を買ってみるという決断だとか
仕事をばりばりしはじめるとか
そんなママたちがしているような
決断のどれかというのが私にはとてもできなくて
私はいつも宙ぶらりんで
立ち居値について悩み始める


 私 何やってんだろう、、、、

 この一ヶ月くらい ずっと私はそう思ってる
私 一体何したいんだろう?
したいことが 色いろあるようにみえているけど
本当に到達したいことは何なのか
私は何をやっているのか
なんでここに今生きてるのか
なんだか とても わからない
 
 沢山の状況を あああの状況があったからこそと
活かし 乗り越えることができたなら
この状況に すべてに感謝できたなら
きっと何かが変わるのだろう
最近はそんな気がする

 いつまで私は自分を演じて
生きていくのかわからないけど
もう少し で 何かが変わる?
私にももっと勇気が欲しい

生まれて2年がたちました

2010年06月22日 | 子育て
 今日は蓮太郎の2歳の誕生日。
盛大なことは何一つできなかったけど
家族でゆったりお祝いしました。

 蓮太郎はすくすく育って
大きな病気もほとんどせずに、なんと
病院のお世話になったのはまだうまれて3回くらい!
それくらい元気に楽しく育っています。


 大変だー!と思っていたし 本当に自分を捧げてきたけど
蓮太郎に癒されることもたくさんあって
あー彼の笑顔があるから 私も笑顔になったんだなあ
彼がいるから なんとかやっていらるのかなと思います。


 結婚をして3年がたち 子供はもう2歳になって
自分はどこにいったのか と見失うことも多々あるけれど
この2年 いったいどうだったのかな
感想としては長かった。あっという間!じゃ 全然なかった。
とってもゆっくり過ぎてった。


 それでも幸せ だったのかなあ
蓮太郎と過ごした時間は 結局私を笑顔にしてくれ
沢山愛情をもらっていたから 私も元気になれたのかもな
パリにいって 自分にも自分の人生があったということに
はっきりと気づいてしまったけれど
だからもう 前と同じようには戻れない し
戻りたくないと思ってしまうけど


 だけど彼は私を助けてくれた
私が車で号泣したとき チャイルドシートの中から
あたたかい手をさしのべたのは
あの小さな小さな蓮太郎 で 私が泣いていたときに
笑顔で私をなぐさめてくれた。本当に心の優しい子です。


 結婚って何なのだろう
どうして人は結婚するのか
人生は何のためにあるのだろうか
いろいろと 考えることはつきないけれど
それでも蓮太郎がいてくれたこと 私の側にいてくれたこと
この2年間 あたたかいぬくもりを そして優しい笑顔を
いつも私に向けてくれてた それは本当にありがたい。


 「美樹ちゃんはねー 子育てには向いてないよー
主婦にもねー」友人たちは軽くそう言ってくれるけど
本当にそうだと思うけど いつになったらこの状況を
もっといいように変えられるのか まだ私にはわからないけど
この2年間 3年間?少しは学んだこともあるかな
きっと成長したことでしょう もっと大きく
パワーをもって はばたけるならいいのにな!

葛藤と成長の日々

2010年05月13日 | 子育て
 相も変わらず京都に帰ると あー大変だ!!と
ため息をつく毎日で なんで私は男二人の世話ばかり
する日々なんだ、、、なんのために結婚したんだろうとか
かなり思ってしまうけど 相も変わらずやっぱり
保育園とか考えるけど 私のこころが曇ってなければ
お隣にいるれんちゃんは いつも楽しそうにやっていて
ああごめん お母さんが自分のことを考えてるから
大事な時間が目の前でまさにすりぬけていく、、、と
反省したり でもなあやっぱり自分のことも と思ったり。


 今日の場合はれんちゃんは何も悪くないけど
私は朝からため息で あーもう人の世話ばっかりの
人生なんて!自分のこともしたいのに!と
朝から思ってしんどくなった。
だけど働いてる人だって 人の世話をしてるといえば
してるわけだし 誰の世話をするかという問題なのかもと
思うけど 私は私で やりたいことを それなりにやらせてもらって
生きてきたから ここまで自分が制限される
それはけっこうしんどくて

 他人をみてはうらやらましい!!と
ついつい思ってしまったりして

 そんなことで頭が一杯になってしまうと
れんちゃんはかわいそうなのだけど
一度おそとに出てしまえば 仕方がないので
私も一緒に遊ぶしかなく 二人で公園の遊具を
全部つかって 誰もいない公園を二人じめ(淋しい)して
たくさんたくさん笑ってみると それはそれで
素敵な時間なわけであり

 あーれんちゃん こんなこともできるようになったのか!!
という発見が沢山あって そして彼は
かなりママ離れしてしまったけれども
それでもママと一緒に遊ぶのがとってもとっても
嬉しいらしく 最高の笑顔で笑ってくれる。

 長いこと書いてないのでどんな風になったかと言うと
 
単語2語でも話せるようになってきた。「お茶飲む」とか!
お手伝いもだいぶできる。洗濯物を一緒に運んだり、
ゴミをゴミ箱にポイしにいったり、カフェでお金を払いにいったり
(おつりもちゃんと渡してくれる)、なんと肩たたきもしてくれる!!

彼の脳みその半分は多分車で占められていて車に関しては
「ジープ」「くるま」「バス」「タクシー」「バイク」
「新幹線」「幼稚園バス」「ピーポーピーポー」「クレーン車」
などが言えるようになり、ショベルカーの真似ができる

なんと踊りも踊れる。おかあさんといっしょの「どんすかパンパン
応援団」というもの。これを実家の父母がみて感動していた
(私のこともビデオもみないで踊れるんですよ!)

階段もかなり上り下りが上手になってきた。

今日は鉄棒に数秒だけぶらさがれた!すごい!!

かなり言葉を理解している。最近やたら絵本が大好き。

相変わらず愛想がいいので、道行くおばさんが手を振ってくれると
すぐにバイバイをしてあげる。たまに「こんちはー」も言える。

私とはかなりコミュニケーションがとれる状態になっていて
何か言うとかなり理解してくれているし反応もしてくれる。

先日私が泣いていたとき「いいこいいこ(頭なでなで)」を
してくれた。とっても優しい子なのです

何よりも大嫌いなものは歯磨き。号泣どころじゃない。
でもうがいができるようになってきた!

そして自分の思うがままに行動していたい
従順になんてなってたまるか!というのが蓮太郎です。
一歩距離をおいて考えてみると いいところも悪いところも
だいたい私に似ています。ものすごく頑固なところも、、、?

私みたいな人が私みたいなのに振り回されてるんだから
私にとっては相当大変なんでしょう、、、

 だけどね れんちゃんがぎゅってしてくれたり
チューしてくれたり おいでーって言ったら
抱っこされにきたり そんなとき とっても私も嬉しくて
癒されてたりするんだな


 もうちょっと 余裕がもてたらと思うけど
そしたらもっと 愛してあげられるかもと思うけど
十分向き合っている気もするし 後悔するほどのことはないけど
この先ねえ、、、 この先が問題なんだ


 なんだか長いこと書いてないから
全く文章が流れないけど ご報告と記録まで に
彼はもうすぐ2歳になります。
2年前には この世に誕生してもいなかったのに
私の本も 存在していなかったのに(まだ書いていた!)
2年ですっかりいろいろ変わった
そう思ったら 全然無駄じゃない 充実していた2年だったの
かもしれない。大学院生の2年間より
ものすごく濃かったのかもしれない。
研究はそんなに進んでないけど
子育てはちゃんとしてきた自信はあるから
それだけは胸をはれると思う。
これから先はどうなるのかな
もう少し 自分の時間をとりたいけれど、、、

かけがえのない時間

2010年04月03日 | 子育て
 
 今日は夜寝る前にお風呂あがりのれんちゃんに
服を着せたりさせながら たくさん
コミュニケーションしていたら
はっと する瞬間があり
ああそうか こういう時間ももう長くない、、、
となんだかふっとわかってしまった。


 以前書いてたブログを読んだら
私の友達が子供が1歳10ヶ月くらいのときに
「この子といる時間を大切にしよう!」と思って
しばらく育児に専念することにしたのだ と書いてあり
そうかー れんちゃんもそれくらいだな
そう思って読んでいたけど 私も自分で
はっと気づく日が来るとはな、、、


 最近はやたらと5歳以上の男の子に会うことが多くて
かれらの行動を見るたびに ああいつか
れんちゃんもこんなになってしまう日が来るのか!!と
思うとなんともいえない気持ちになる。
彼らといえばお母さんは好きではあるけど生意気で
お母さんより友達の世界が大切で
モデルガンをもって知らない人を狙っていたり
いかにも男の子っぽい服をきていて

 あー こんなになっちゃうんだ と
彼らを見る度せつなくなる。そう 彼らは
私が小学校時代に見ていた男子と何らかわりがなくて
あの れんちゃんも こうなってしまう日が来るなんて!!!


 かなしいなー でもくるんだわー
なんだかとても信じられない。
今の彼 は お風呂上がりにお腹をさわると
アハハ!!とわらい おかあさんに目配せをして
何かというと抱っこ!!といって
ぬいぐるみたちの世界にひたり
クマのぬいぐるみにごはんをあげたり
ぬいぐるみの歯もみがいてみようとしたり
一生懸命「お母さんと一緒」のDVDの
歌を覚えては私と一緒に口ずさんでる
そんな彼 が まだ赤ちゃんと子供の間の
たくさんたくさんスキンシップをさせてくれてる
こんな彼 が あんな「男子」になるなんてー!!!


 かなしい、、、


 と思う度 今の時間を大事にしようと本当に思う。


 私は今まで 「私だって子育てしながら自己実現に
向かっていきたい!」とかなり意地をはっていたけど
時折まわりのおばさんたちから「焦りすぎよ」とか
「今は子育てが大事な時期よ あとでやったっていいんだから」と
言われていたけど なんだかそういう気持ちがちょっとわかった。
だって二度と戻らないから。 時は進んでく一方で
どうでもいいような 2年後にだってできるような
「今やりたい!と思ってること」を 無理矢理そこですることで
気づかぬ間に失っているものがある。

 友人はこう言っていた。「仕事なんて後からだってできるもの」
確かに本当にそうだよな アルバイトやパートの仕事も
翻訳の仕事も復帰するような仕事であっても
枠があるという ただその事実が「それに適する人であるなら
誰であれ可能である」ということで そりゃあタイミングだって
あるけれど けれどタイミングということならば
その子の見過ごしてしまった時間や表情というものは
二度と戻らないものなんだ。


 夜が来るのが淋しくなった。
れんちゃんが寝てしまうのが
もうあの笑顔に今日会えないことが
なんだかとっても淋しくなった。
だから私はこう言った。
「おやすみなさい 明日も会おうね!」
そう私たちは明日も会える。れんちゃんは健康だから
きっと元気でいてくれるだろう だから今日はねんねして
明日もその笑顔をたっぷりみせてほしいと思う。
あの笑顔もコミュニケーションも
スキンシップもかけがえがない。
いつか彼から離れていくから
いつか抱っこさせてもらえない日が来てしまうから

 だから今 彼が望んでくれてるうちに
たくさんたくさん愛しておこう。
もっと投げやりな態度じゃなくて
子供との時間を慈しもう。
もう過ぎてしまった時間は決して戻らないから
れんちゃんは きちんと構ってあげたほうが
よっぽど素敵な顔をするから


 大切なこと は 何なのか


 いつも命題だったけど


 結婚前の あのラブラブな時間というのが
特別な時間であるように 子供が本当に小さいうちは
もう二度と帰ってこない だから堪能した方がいい
そんな時間 なんだなあ

 自分のことをやろうとしたって
どっちにしろ中途半端にしかできないのなら
それで疲れ果ててしまうのならば
子育てに いや 子供と過ごす時間というのに
もっと重きをおいた方が 長期的な視点でみたら
理にかなっているのだろう。「自分の時間が!!」と
あまりに思って生きていたけど なんだか違う
それだけじゃない とらわれてると
とらわれてるから 大切なものが目に映らない
そんなことが あるようだ。

フランスに行くなら

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