alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

モンマルトルのカフェ文化

2014年02月22日 | パリのカフェ文化

「この場所にはまだインスピレーションを与えてくれる雰囲気が残っているのよ。
偉大な画家たちがこぞってこの場所に住んだのも決して偶然ではないわ。」

 私が初めて映像翻訳をさせてもらった「パリで逢いましょう」という
番組は パリ9区からの担当だった。初めてその映像を観た時に
なんて素晴らしい場所なんだろう、絶対住みたい、でも、ここは一体どこだろう?と
私は首をかしげてしまった。パリは結構知っている。
モンマルトルも知ってるはずだ、だけどマルティール通りというのは?
その後で地図を見てやっとわかった、ああ、あの雰囲気のいいとこだ・・・。


 私がたまに通るところをうまくすり抜けるようにマルティール通りは
存在していて、その一帯は他とは違うあたたかい空気を放ってた。
番組に登場していたアーティストの女性はその周辺に自宅アトリエをもち、
彫刻のアトリエに通い、マルティール通りのカフェにも通ってた。
そんな彼女が発した言葉。「決して偶然ではないわ・・・」


 残念なことに私はそのあたりを何度かすり抜けただけであり
映像を見て絶対住みたい!と思ったものの、前回渡仏した際も
時間切れでそこには行けずに終わってしまった。
私が知ってるモンマルトルは 丘のあるモンマルトルで
彼女が住んでるモンマルトルは丘の下の、騒々しい大通りを下った
ピガールやクリシー広場の南側。


 1月になって急に研究をしたい気持ちが高まって
手つかずだったモンマルトルの本を開いた。今まではモンマルトル、といえば
ピカソに洗濯船だと思ってた。それはとんでもない思い込みで
モンマルトルにはもっと大切な前史が存在してたのだ。


 彼女がそう語ったように、モンマルトルにはまさに
そうそうたる「偉大な画家」が住んでいた。
ロートレックにマネにドガ、それからゴッホも住んでいた。
そして彼らはカフェを愛し、カフェやキャバレーを舞台に絵を描いた。
それらのカフェはフロールやシャノワールほど名前は知られてないだろう。
けれどもそんなカフェがあった。ゴッホが展覧会をしたカフェ、
ゴッホの「ひまわり」が掛けられていたカフェ。
南仏の「夜のカフェ」で有名なゴッホはやはりカフェに愛着があったらしい。

 クリシー大通りにあった「カフェ・タンブラン」でゴッホは
ロートレック、ゴーギャンとともに展覧会を開催したという。
ゴッホは弟に向けた手紙にこう書いている。
「パリにいて、僕はずっとカフェに自分の展示場が欲しいと思ってたんだ・・・」
あのゴッホがパリのカフェの壁に絵を飾り、偉大な芸術家達がこぞって
飲み物を前にした誰かの絵を描いていた。オルセーで眺めていた
印象派画家たちの絵の中に カフェのような、カフェじゃないような
暗い雰囲気の絵があった。それらはモンマルトルのカフェであり
かつジャポニスムの影響も受けている・・・
モンマルトルの時代はラパンアジルからでも洗濯船からでもなくて
もっと前から 丘の麓に人が集った。
モンマルトルの歴史を調べてみると、そこにこそオルセーがあって
しかるべきじゃない?と思う程だ。モンマルトルには
小さな美術館があるけれど、あんなちっぽけな美術館からは
想像もつかないような作品が溢れるように生み出された場所だった。
1910年くらいには もうそんな時代が終わってしまうけど
それでもまだもしモンマルトルやその麓 に
芸術家たちを呼び寄せたような空気感があるのなら
今度こそその場所に足を踏み入れたい。

今でもまだ 少し風情の残るモンマルトル、ただの観光地じゃなくて
あの場所にあった歴史をできる限り学びたい。

豊かさとお茶

2014年02月10日 |  カフェ的な場で考えたこと
 先日ほんの1時間だけ時を過ごした中国茶館でのひとときは
私の心に深く影響を及ぼす程に 穏やかで豊かな時だった。

 どうしてたった1時間の、お茶の時間があんなにも豊かだったのだろう。
不思議に思って考えてみると どうやらあの湧き上がる湯気に答えがありそうだ。

 日本茶を飲ませてくれるお店でも 何煎もお茶が飲めるとこはある。
だいたいもともと日本は中国から影響を受けているわけだから
玉露を飲ませてくれるお店と先日の中国茶芸は茶器なんかも
結構似てたりしたのだけれど 大きな違いはあのやかん。

 日本茶をたっぷり飲ませてくれるお店には たいていポットが置いてある。
それは利便性のためでもあるけど、温度のためでもあるのだろう。
玉露に適した温度は低い。沸騰したお湯では苦みが出てしまう。だから
きちんと温度を計って それをポットにいれておく。
中国茶の場合はお湯はいつまでも湧いていて いつまでも
しゅーしゅーと湯気が立っていた。

 立ちのぼる湯気 自分が席を立つまでは その湯気は消えることがない。
それが豊かさを彷彿させるのだろう。
ふんだんにある 
絶えない どこまでもある その安心感。
源泉掛け流しの温泉のように 贅沢なものが尽きることなく
いつまでもある。使っても使っても まだあるというその贅沢さ。
私の目の前にあった湯気 は 露天風呂から立ちのぼる湯気のように
いつまでたっても絶えないという 懐の広さを象徴しているようだった。

 絶えない 山ほど ふんだんにある。
本当は お金だってなんだって 世界にはふんだんにあるのだ と
時折本には書いてある。
そんなこと 自分が貧しい状態にいたら信じるのはとても難しい。
私が極貧だったころ、20円でも200円でも 目の前の出費が怖かった。
20円でもいいから安くしよう。300円と200円の珈琲だったら
200円にするしかない。650円の珈琲なんて私には絶対無理だと思ってた。
その頃はとにかく無理!お金がない!!と強く思い
子供にクリスマスプレゼントを買うために 相当頑張って働いたけど
今思えば どれほどお金がなかったのかというよりも
あれは「お金がない」という強迫観念に近かった。
お金がない、だから無理、これも買えない、あれも買えない。
バスには乗れない、歩くしかない。外食なんてもっての他。

 そのころの心理的状態に戻りたいとは思わない。
あの状態があまりにも怖いから、だからこそ私は無理な渡仏をちょっと避け
様子をうかがっているのだろう。一人身の友達は何人も海外に
移り住んでしまったけれど 生活の苦しそうな話を聞く度
私はそれをもう一度息子と一緒に繰り返すのが かなり怖いと思ってしまう。

 お金がないから パリに居てもカフェにもいけない、ビストロなんて
絶対無理。お金がないからおもちゃも買えない。バスにすら乗れなくて
おむつだって買えそうになかった時がある。安いマルシェで野菜を買い込み
リュックサックを一杯にした。そんな生活 それも悪くないかも
しれないけれど それでも笑えることはあったけど 心はなんだか
おかしくなった。それは本当に現実的にお金がない というよりも
心の持ちようだったのだろう。

 世界には 本当は豊かさがふんだんにあり 自分もそれに触れられる
自分もその恩恵を受けることができると思うこと
「ない!」んじゃなくて「ある」んだと、安心するのが大切なのだと
いくつかの本に書いてある。
私はやっと その豊かさに 少し触れ始めたのかもしれない。

 御殿場にある「時の栖」というリゾート施設の
大人専用の温泉施設には豊かな時間が流れてる。
そこには温泉だけでなく 「菜根譚」という名の休憩所があり
寒い廊下の木の階段をタタっと駆け上っていくと
あたたかなストーブや毛布付きのごろ寝どころが待っている。
ストーブの上からはしゅーしゅーと湯気が立ち。
美味しい珈琲をいただいてほっと一休みすることも
毛布の中で本当に眠りにおちている人もいる。
もちろん温泉にはたっぷりとしたお湯があり 富士山も
見れたりするのだけれど 私はこの菜根譚というお休み処が
なんとも好きだ。いつまでもいてもいい そこで本当に寝てもいい。
本を読みたければ読んでいい。目の前には囲炉裏があって
そっと炭を足してもらえる 静かな中にしゅーしゅーと
ストーブの熱の音がする。どこまでも続く時間。
自分が時計さえ気にしなければ 一日ゆっくりすればいい・・・


 世の中には 豊かな時間を教えてくれる場所がある。
それらは一見高そうだけど ゆっくりと時を過ごせば
後日振り返ってみた時に そこでの時間がかけがえのなかったものだと気づく。
2千円の温泉代も800円のコーヒー代も そこでしか
得られない 豊かな時間と 物の見方を少し広くしてくれる
そんな時間を与えてくれる。そんな豊かな場の中心にお茶がある。
そこにお茶を囲む時間はあるのなら、お茶もまた、豊かさの象徴の1つかもしれない。

芸術家とカフェとお茶

2014年02月08日 |  カフェ的な場で考えたこと


「どうして美樹はカフェに行くの?」と不思議そうな目で言われたことがある。
世の中にはお茶をほとんど飲まない人もいる し
全くと言っていい程 カフェに行かない人もいる。

 どうして家でも珈琲やお茶が飲めるのに、わざわざカフェに行くんだろう?
それはまさに命題で カフェの存在意義に関わってくる。
誰しもが簡単に美味しい珈琲を入れられる Nespressoが自宅にあれば
カフェに行く必要なんかない。ない・・・のだろうか?
おそらく多くのカフェはふるいにかけられ、どさっと落ちてしまうだろう。
高いお金をとられるだけで 価値のないお店は多い。
けれどもそれでも残った店は その店の珈琲やお茶の味でなく
そこにしかない何かがあるから 人はつい足を運んでしまう。

 ウィーンにはカフェ・ツェントラールというカフェがある。
そこは19世紀末に青春ウィーン派と呼ばれる作家たちが
グリーンシュタイドルというカフェが閉鎖されてから選んだカフェで
今でも街に存在してる。

 教会を思わせるような高い天井、広々とした店内、
奥にはきらびやかなケーキが並び、真ん中にはグランドピアノが置いてある。
憧れて来てみたものの、私にはどうしてこの店に彼らが集い
丸一日も過ごしていたのか なんだかよくわからなかった。
一杯の珈琲を前にして半ば途方に暮れた私は
やることも特にないので店内をノートに描き始めた。
もう帰ろうか・・・と思ったその時、目の前のピアノに向かって
正装したおじさんがやって来て 生演奏が始まった。
今度は彼を描き始めた。美しい音色が続き いくつか演奏が
終わった後で 彼は私のとこに来た。「これは・・・僕のこと?」
私はドイツ語はわからないけど 身振り手振りでそうだと言った。
彼は微笑み、自分のピアノの席に戻って
「日本の曲だよ」と私に声をかけ
私の知らない日本の曲を演奏してくれた。


 見知らぬ一見の客と お店で演奏している彼と その時間
私たちは知らない人同士であったけど 心が通った そう思う。
そして私は立ち去れなかった。幾度もこの店を出ようとした時
また何かがやってきて けっきょくここが面白いから
まだそこに残ってしまう。それがカフェ だったんだ。
だからきっと 彼らも残った。はじめから1日も居ようと
思っていたわけではないのだろう。だけど立ち去ろうとした
その時に またドアが開いて あ、あの人!がやってくる。
それならもうちょっといようかな まだもうちょっと・・・
そうして時が経ち 気がついたら1日すら経ってしまった
そんな出会いがあったのだろう。

 カフェこそが教養の場であり 出会った人から学んでいった
そんな時代が確かにあった。カフェはそんな場であった。
カフェには面倒くさい人たちがいた。
「カフェ・ツェントラールはウィーンの経度の下では
孤独の子午線の上に位置している。その住人たちは
大部分が人間嫌いと人間好きとの性向が共に同じほど
激しい人たちであり、一人でいたいと欲しながら、仲間をも
必要とする人たちである。」(平田達治『ウィーンのカフェ』p.254)

 一般社会とはなんだか相容れない人たちの 避難所であったカフェ
そんなカフェにはいつだって ちょっと強めの飲み物がある。
フランスのカフェにはエスプレッソ 中国の茶館には濃い中国茶。
自宅で飲むような なんとなく薄めの飲み物ではなく
はっきりと身体の機能の違いを感じる 脳みそがクリアになっていく
精神がさわやかになっていく そんな飲み物が置いてある。

 今になって私は思う。お茶や珈琲を愛した芸術家たちというのは
面倒くさい人たちだったのではないか。気分にどうしようもない
波があったり ちょっと癇癪持ちであったり 普通に生きられる人たちのように
日々穏やかには生きられない。自分ではどうしようもない気持ちの揺らぎ
それを落ち着けていくために 1日に何杯も 珈琲や茶を
飲まずにはいられなかったのではないかと思う。


 他の人のようになりたくっても そうなれない自分がいた。
彼らの真似をしてみても 喜びを感じられなかったのかもしれない。
ウィーンのカフェに集い、のちにパリのカフェにも姿を見せた
作家のシュテファン・ツヴァイクは高校時代にはさんざん
友人たちとカフェに行き、議論も戦わせていたそうだけど
最終的に芸術の世界を諦められなかったのは自分一人で
後は普通に公務員や弁護士などになっていったと述べている。
他の人のようになってみようと思ってもなれない自分。
自分の中にある波に 飲み込まれそうになる自分
それを落ち着けてくれる場所 が カフェであり
それを促すものがお茶や珈琲だったのかもしれない。

 きっといつも 心穏やかに生きられる人は
お茶は必需品ではないのだろう。どこかで無理矢理息を吐く必要がなかったら
カフェに行く必要もないのだろう。フランスの映画を見ても
登場人物の精神がぐらぐら揺れた時 に 彼らはカフェに立ち寄っている。
カフェやお茶 というものは 揺れ幅が大きい人たちにとっての
精神安定剤なのかもしれない。

お茶文化

2014年02月04日 |  カフェ的な場で考えたこと
 ふつふつと、ポットの底から泡がやさしく湧き上がり、
しゅーしゅーと湯気が小さな音をたてている。
湧き続けるお湯から立ちのぼる湯気を眺めていられる時間、なんて贅沢なんだろう。

ティーポットの中にたっぷりと入った茶葉にゆっくりとお湯を注げば
穏やかな時間の始まりだ。


 世界中 沢山の国にお茶文化はあるという。コーヒーとお茶は不思議なもので
同じカフェイン入り飲料だけれど かなり異なる道を進んでいった。
世界の中でお茶は文化や芸術として、それ自体が1つの道や儀式のようになっていった。
イギリスのアフターヌーンティ、日本の茶道、中国の茶藝・・・
お茶にはどうしても優雅な印象がつきまとう。
コーヒーを飲んでいても怒られることはなさそうだけれど
それが一杯のお茶に代わっただけで「あの人ってばまたお茶をして」に
変わってしまう。コーヒーは仕事につきもの、仕事の邪魔というイメージはない。
でもお茶をしながら仕事をするとちょっと白い目でみられるものだ。


 一杯のお茶、立ちのぼる湯気 それをぼーっと眺めていられる幸せな時間。


 台湾に行ってみたいと ずっと前から思っていた。
いざそれが実現可能かもしれないと思い、チケットなどを調べていくうち
私は中国茶のことを何も知らないことに気がついた。
そんな状態で行ってみたって ただのお金の無駄ではないか?
お金持ちなら別だけど ないお金をなんとか削っていくにしたって
10万円くらいかかりそう。それならもっと勉強してから
行った方がいいんじゃない?じゃあそのお金を他のことに
使ってみたらどうだろう、例えばお茶について日本でしっかり学ぶとか・・・


 お茶は好きだけどあまりにも身近にあって
我が家にあるのと似たようなお茶に千円以上払うというのはハードルが高かった。
だけど「お金がない」そんな理由で東京にある沢山の
お茶どころに行ったことがないなんて、それで私はいいのだろうか?
カフェ文化研究家からカフェ・お茶文化研究家になりたいと思った今年。
それならそこにはお金をかけてみてももいいのでは?

 
 そう思って先日横浜の中国茶館に行ってみた。
中国茶が楽しめるお店に行くのは子育て中の身には容易いことではなくて
前回行ったのは確か妊娠中だったように思う。滋賀県にあった
喫茶去という非常に素敵な中国茶館。また行きたい、行きたいと
思っていたけどついに日の目を見ずに滋賀は遠くなってしまった。
けれども私の住んでいる横浜市には中華街があるではないか。
台湾にいったとしても中国語もわからない、し まずは
ここで台湾気分を味わおう・・・。


 中国茶のお店にはゆったりとした空気が流れてる。
木製品が多く、天井も木だからだろうか、なんだか京町屋の
ゆるいカフェを思わせる。中国茶館でもかつて多くの詩人が
試作をしたという。大学院時代に同じ研究室を使っていた先輩は
たしか茶のバイブルと呼ばれる陸羽の「茶経」を研究している人だった。
その隣には中国の雲南省の有名なお茶屋の一人娘という人がいた。
その時も 中国茶の話をあんまり聞いたりもしなかったけど
(聞けばよかった)なんだか面白い人たちがいた場所だったんだなあと思う。


 茶道にアフターヌーンティに中国のお茶文化。ハーブティに
漢方まで含めてみると お茶文化は本当に幅広い。
一日6杯くらいのお茶を飲み お茶がないと生きられない。
そして一日何度だってカフェに行きたい だからこそ
もっと好きなものを追求しよう。東京には外国に行かなくっても
世界のお茶文化に触れられる場所が多そうだ。

 一杯のお茶から始まる優雅な時間
悠久の時を感じていられる中国茶館。それはどうも
私が愛用しているスタバとはまるで雰囲気が違うらしい。
茶館で詩作していた詩人たち。モンパルナスのカフェで詩作していた芸術家達。
その場だからこそ生まれうる、その場だからこそ力をもらえる、
そういう場や刺激というのはあると思う。
もっとそんな場の力を借りて 私もものを書いていたい。


 これからはおすすめのカフェやお茶どころなどを
こちらのホームページにアップしていこうと思います。
よかったらご覧下さい。

印象派とパリのカフェ

2014年02月02日 | パリのカフェ的空間で

「印象派たちもカフェに集った」そんな言葉を耳にしたのは
留学中のことだった。それはモネの美術館として知られる
マルモッタン美術館で 一緒に行った人から聞いたのか
そこでパラパラめくった本にちょっと書かれていたのか
そこまではよく覚えていない。
だけど印象派たちもカフェに集った、私の大好なパリのカフェに。
その2つが突然結びついたこと それは間違いなく研究のきっかけだった。


 「僕がパリにいた時はね フランス語がわからないから
美術館にばかり行っていたんだ。それでね、あんまりも
通ったもんだから サインの場所の違いなんかも覚えたよ」と
かつてフランスに3年程住んでいたという知り合いが 留学前に
教えてくれた。辛かった留学時代 私はその言葉を胸に刻んで
すきをみては美術館に通ってた。ルーブルの年間パスも買い
大した用もないのにルーブルに行っては絵を見るよりも館内のカフェで
お茶したり、ぼーっと彫刻を眺めたり。あの広い空間が好きだった。

 印象派が大好きだった私がジャポニスムを知ったのはいつのことだろう。
印象派も浮世絵も好きだったけど その2つが結びついた時
嗚呼なるほどな、と深く納得したものだ。ルーブルにある絵の
重厚な雰囲気と オルセーの最上階にある印象派の絵の軽やかさ
そして美しく豊かな色合いは あまりにも雰囲気が違う。
日本人で浮世絵に愛着のある私が自然と好きになってしまうのは
どうしたってオルセーにある印象派の絵の方だ。



 それなのに どうして私は少しは知っておきながら
印象派とカフェについての研究をしなかったのだろう?
おそらくそこに大層な理由はなくて、パリのカフェ文化の研究を
始めたら 一番始めに目についたのが有名なサンジェルマンデプレだったとか
それらのカフェに愛着があったからだとか そんな程度の理由だろう。
研究を始めていくと実際にはサンジェルマンデプレのカフェ文化は
想像されているほどのものではなくて、花開いた文化の根っこの多くは
モンパルナスにあることがわかり、そちらに対象が移っていった。
でも今になってよく考えたら もっと興味がある人たちは
エコールドパリの人たちよりも 印象派付近の人たちなのかもしれない。


 昨日偶然電車の中で「北斎展」の広告をみつけ、開催期間が
1週間にも満たないというのでこれは行かねば!と言っていたら
一緒に居た父が「じゃあ今日帰りに寄ったら?」と提案してくれ
大恐竜展を息子と観た後、3世代で北斎展にも行って来た。
デパートの展覧会だというのに相当なボリュームがあり、
それだけでもよかったのだけど、なんと最後にアンリ・リヴィエールの
版画があった。「エッフェル塔36景」というその版画は、
フランス人のアンリ・リヴィエールが北斎の富嶽三十六景に触発されて
建設中のころからのエッフェル塔のある風景を 木版画で刷ったもの。
私はこの版画を観るためだけに展覧会に行ったことがある程だけど
日本橋三越の北斎展ではアンリ・リヴィエールのことはほとんど
宣伝してもいないのに、展覧会にしっかりと含まれていた。


 大好きなパリの風景と木版画の美しさ でも絵の雰囲気は
オルセーで観た印象派を思わせる・・・この絵に出会えてよかったなあと
思っていたらなんと「アンリ・リヴィエールはシャノワールという
週間新聞の編集者でもあった」と書いてある。これ、モンマルトルの
カフェのシャノワールが出してた新聞のこと!?


 家に帰って北斎展の復習をしようと思って、以前もらって読んでいなかった
フランス語の「HOKUSAI」という本をめくると、そこにもアンリ・リヴィエール。
彼は富嶽三十六景だけでなく、およそ800点もの浮世絵を収集していたそうだ。
もうちょっとこの人のことを調べようと思い、印象派、モンマルトル、
ジャポニスムの周辺の本を読み始めるとやっぱりとても面白い。
印象派とカフェはしっかりと関係しているらしいけど、ジャポニスムと
カフェはどうだろう?いわゆるモンマルトルのカフェ文化が花開く
ちょっと前の時代に 印象派達はモンマルトルの麓のカフェ・ゲルボワや
ヌーベル・アテネに集ってた。そこはまさに、私が「パリで逢いましょう」
で一番始めに担当させてもらったパリ9区周辺で、映像を観てすぐに
「絶対ここに住みたい!」と強く思った地区なのだった。
なんだか縁があるような・・・


 大好きだけど 雲の上 で 遠かった人たちがいた。
モネ、マネ、ドガにピッサロ、セザンヌたち。
絵の前から動くことができないような、
そんな素晴らしい作品を残した人たちもカフェに来て、お互いに議論していた。
のちに印象派展と言われることになる、第1回目のグループ展の発想も
まさにカフェから生まれたらしい。


 以前の研究対象には 19世紀もモンマルトルも入ってなかった。
でももしかすると やっと私は そこに至れるようになってきたのかもしれない。
私の家には翻訳で真っ赤になった本もあるけど まだ真っ白で、でも
ものすごく面白い本もある。やっとフランス語がわかるようになってきた今
もっと彼らの世界に近づきたい。

フランスに行くなら

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